2014年7月25日金曜日

「ボン太」

大好きな夏がやって来たが、やはり外は暑い。でも気分はいいな。前世はきっと、暗い穴倉にでもいたんだろうな。

昨日、今日と泣いたものだから、身体も心も疲れている感じだ。急逝した友達を見送った。昨日の通夜で散々泣いたものだから、今日の葬儀は大丈夫だと思ったのだがそうもいかなかった。
この世から藤原を「ボン太」と呼ぶ人間は誰ひとりいなくなった。お互い良い親父になってからも彼は愛情込めて「ボン太」と呼んだ。出会った当時、東京ボン太という芸人がいて田舎者を売りにしていた。で、藤原は岩手の田舎者だから「岩手ボン太」ということになり、周囲はみんな「ボンちゃん」と呼んでいた。

久々の再会から亡くなるまで、彼の中で藤原はずっと「ボン太」だった。もう、誰も呼ばない・・・

彼は5男、男兄弟の末っ子で享年67。長男は77歳で兄弟はみな元気だ。今日、長男の涙をはじめて見た。人前で泣かない男が声を詰まらせて泣いた。

・・・ ・・・

藤原を「愛ちゃん」と呼ぶ友人がいる。この世で2,3人。そんな時代もあったのだ。上京した15歳からの人生を振り返ってみた。結構長い道のりだとおもう。
出会いも多彩だった。別れも増えてきた。

さて!気分転換!
ボン太、泣かない!(笑)

2014年7月20日日曜日

「あいつが逝った」

2014年7月20日

一昨日見舞った「あいつ」が逝った。いや、逝ったそうだ。今さっき、連絡があった。

16歳~19歳ぐらいまでの間、「あいつ」とはいろんな思い出がある。東京で初めて出来た友人だったようなきがする。あまりにも鮮明に当時を思い出すことが出来る。

今年も何度も会った。馴染みのすし屋で俺におごらせ、挙句の果て先に帰った藤原の焼酎のボトルを空にしやがった。酔うと何度も俺の頭を小突いた。お前がこんなに立派になって嬉しいよ、と何度も言った。当時、同じ女の子を追いかけまわした。「大人の世界」に連れて行ってもらった。3歳しか違わないやんちゃな兄貴のようだった。

今、藤原より悲しんでいる人がいる。心中を思うと切ない。

前しか向いていない人生だったが、こんなことがあると時々立ち止まる。振り返る。さまざまな経験の中でも、心の中に宿る友との別れはつらい。過去に一度だけ葬儀場で大泣きして目が開かなくなったことがある。「あいつ」とのお別れの場所で平常心でいられる自信がない・・・

空が真っ暗だ。雷も聞こえ始めた。異常な空模様だ。
「ヒロちゃん」 安らかに。一昨日、話ができてよかったよ。   合掌

2014年7月18日金曜日

「敏感な涙腺」

2014年7 月18日

東京に出てきてからの友人で、10代のころよく遊んだ「あいつ」が病に倒れた。今朝見舞ったのだが「情けないよ」「頑張れよ」が彼から聞き取れた言葉だった。手を握っていたら、眠ったようだったので気を許したら涙が止まらなくなってしまった。本人の前で涙などご法度なのはわかっているのだが・・・。検査入院と聞いていたのだがそうではないらしい。「また遊びに連れてって」と語りかけるのが精いっぱいだった。こんな弁達者なはずの藤原が言葉を見つけられない・・・。

彼のことを思うとなぜか「涙モード」になってしまう。不思議な感覚だ。あんなに威張りん坊だった「あいつ」と現実にギャップがあり過ぎるのだ。

昨日は「BS日本のうた」の収録だった。北島さんが頑張ってくれた。「今日はお前のために・・・」と言ってくれた。いいスペシャルステージだったと思う。本番中はステージの後ろにいたものだから、北島さんの後姿を見ていたのだが、途中で泣けた。本番が終わってから「親父」という曲の話になった時、北島さんがこう言った。「藤原は泣いてたろ」。

最近、特に涙腺が弱いという事ではない。ある種の感情と状況に涙腺が敏感に反応するだけなのだ。反応が激しくなってきた、という事はあるのかもしれないが。

そうそう、こうも言った。「今日は気持ちのいいところで音が出てくるんだよ」。そうか、終わってから指揮者に握手を求めたのはそのせいだったんだ。
(音を出すタイミングの合図は、全部藤原が出していたんだけど・・・)
他の会社はADさんがやる仕事だからね。神野美伽ちゃんがリハの時、藤原の姿を見つけて「こんなところにいたんですか」と驚いているから「見張り!」と返したのだが、そんなもんだ。

今日は曇り空。夏!早く来いよ!!!



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2014年7月8日火曜日

「二日酔い」

「お客様、他のお客様もいらっしゃるのでもう少しお静かにお願いします・・・」
何十年も言われたことが無かったが、昨日渋谷の居酒屋で店員さんに注意された。俺が。
そんなに声がデカかったか?デカかったのだ。帰りのタクシーでは行先を一文で言えない。「新宿方面へ・・・」「う~千駄ヶ谷小・・・う~小学校を曲がり・・・」「ごめん、一回で言えなくて・・・う~」てな具合だ。気がついたら洋服のままベットに朝まで。

6人で飲んだのだが、なぜかしこたま酔っぱらってしまった。酒が飲めずにコーラだけ飲んでいたスタッフが約1名、可愛そうに時間が長かったろうな。
他の5人は結構飲んでいたし、社長はベロベロだし(笑)。

昨日はテレビ東京の「歌いーな!」の収録だった。前川清さんに、「少し太りましたか?」と言われた。他のプロダクション関係者からも言われた。だから言ってやった「むくんでいるだけ!」とね。
26日の放送に向けてたっぷりと作業が残っているが17日にはBS日本の歌の収録もある。歌にまみれた毎日ってか。テツ&トモが出演者の中の一組として新曲を披露してくれたのだが、片方が頑張りすぎて、どうもハーモニーバランスが悪い。で本番前に一言おせっかいを。「少し力を抜いたほうがいいよ、力み過ぎ」とかなんとか。彼はすごく素直に捉えてくれて、本番はいい感じだった。
今朝、作曲の浜圭介さんから電話があった。「ありがとう、アドバイスしてくれたんだって?いい子たちでしょう、なんとか育てたいんだ」って。う~ん、情報が早い。
人へのアドバイスは、良く伝わればいい結果を生むが、ときには余計なおせっかい、
という事にもなりかねない。
でも、テツ&トモはとても性格もいいし、頑張ってほしい二人だ。

さて、ようやく酒が抜けてきた?今日はいくらなんでも、飲んだりはしないよ、と己に言い聞かせて家路につくとするか。
2014-07-06
      「雑念に沈む」
 
 
ホームページに悪戦苦闘ってか。更新に手間取り、まだ自分たちのものに出来ていない状態。何事も、改める・・・という行為にエネルギーが必要だってことで、納得するとするか。

ブログ更新をしていないこの一か月間に書きたいことはいっぱいあったのだが、ことごとく忘れてしまったような(笑)駄目だこりゃ。

先日、番組に出てもらう予定の某高校の「太鼓部」の練習を見に行ってきた。
それぞれが初ゝしくて眩しいいほど。娘も息子も、この年頃まではそうだったのに・・・と思ったかどうかは別として、まるでJALやANAのスチュワーデスさんも負けるほどのとびっきりの笑顔での太鼓プレイ。いいね。

明日はテレビ東京の歌番組の収録だが、10日後のNHKの歌番組の出演者と一部重なっていて時々混乱する。だが、歌はやはり昭和の時代が歌らしかった、とつくづく思う。
歌に時代の情景が重なるし、人々はそれぞれ歌を愛していたと思う。歌を送る側も、歌を受け取る側も、愛していたのだ。番組のためとはいえ、時代の歌を聴き直すと改めてそう思う。

さて、7月だよ。ブログを書き始めたものの、珍しく進まない。
進まない場合は無理をせずにやめる。
(今日の仕事はとりあえず終えたから、いいでしょ!)
 
2014-06-09
「64回目」
昨日が64回目の誕生日だった。
何十代だったかはわからないが、自分の目から見た64歳はかなりの爺さんだった気がするのだが。

晩飯は「家族で自宅で」とお達しがあったので仕事を切り上げて8時過ぎに帰宅。 腹を空かせて待っていてくれた家族諸君!ありがとう。
娘からのメッセージカードを写真でここに載せたいのだがやめておく。
だが文面は書いておきたい。

「パパお誕生日おめでとう。いつも沢山の愛をありがとう!良き理解者でいてくれて感謝でいっぱいです。これからもよろしくね。いつまでもかっこいい父でいてね。」

プレゼントと共にこのカードを目にしたのだが、その場ではゆっくり目にすることが出来なかった。 なぜ? 娘の隣に笑顔の彼氏(たら)が座っているからだ。うかつに涙等を見せるわけにはいかぬ! (わしはきっと、娘のカードを読んだら泣いてしまうような気がしたから)
思えば子供のころ、誕生日など祝ってもらえたことはなかった。
一言、「誕生日おめでとう」といってほしくて仕事から帰ってくる母を家の外でずっと待っていた光景をなぜか鮮明に覚えている。
卵焼きでいいから…そう思っていたこともなぜか覚えている。
こんな話をすると 娘はきっと鼻を赤くする。

仕事から帰ってきた息子は、ぶっきらぼうに「おめでとう」と言った。これはこれでいいのだ。 昨日は日曜だったから、今日社員がケーキで祝ってくれた。



書き物仕事をしていたのに急に部屋の電気が消え、「なんだ!仕事しているのに!」と思った瞬間「ハッピーバースデー」 の歌が…
♪前夜は飲み過ぎ。 ♪ケーキは全員で食べた。
歩いてきた道のり、これからの道のり、さまざまな時間を思う。
だが、決して失敗の人生だった、などとは思わない「これから」を生きたい!
そんな思いを重ねる64回目の通過点でもあった 6月8日。


2014-06-07
「ウンのつき?」
旅に出かけると、いつものことだが便秘気味になる。牛乳で調整をするのが習慣だ。 海外では、購入する牛乳によって効果が絶大なこともあるが。

昨日中国では初めての街に出かけた。出かける前、習慣のようにホテルで牛乳を飲み、雨の中、ホテルで傘を借り、リュックを背おって宿泊先から車で1時間30分ほどの街に出かけた。
さて、到着して間もなく、トイレを探そうかな…という気分に。見回しても、喫茶店のような都合のよい店はありそうもなく…。 すると大きな病院が目に入った。何とか医科大学付属病院とあった。 何棟かあったので、一番人混みのしている棟を目指した。入口にには「問診部」とあったと思う。

トイレはすぐにわかった。「やった!」てな感じ。
病院のトイレだから綺麗なはずだ、と期待したのだが、覗くとそうでもなさそう。上下隙間のあるドアがついた大便所が3 か所あった。 一番手前は先客がいるようだったので真ん中を覗いた。いわゆる和式風便器。汚い…… 一番奥がすごい音がしていたので覗いてみたら、水洗のバーが壊れているらしく、水が勢いよく流れたままだ。 流れているからいいか、しっかり水洗している感じだし、とドアがなかなか閉まらなかったのだがそこに決めた。

さて、それぞれは流れの中にすぐに消え、これはこれでいい感じだった。
さて、慣れない姿勢なものだから、背中にあるリュックサックも傘も邪魔だなぁとのんきに満足感を覚えていたら、 トイレットペーパーがなく、さらに紙を流せないことに気付く。
仕方がない、リュックの中から紙を取り出すか…ということで無様な格好でリュックを背中から外した。その時!

「ドボン」というような音がしたと思う。

ゴーという感じの流れの中にズボンからつながっている紐のようなものが見える。 音の主は流れの中に消えた「携帯電話」だと気付くのに時間はいらなかった。 無様な格好のまま、紐を引く。流れが速いから無理をすれば切れてしまう。水の勢いが強いので 流れゆく先の状態が分からない。そこで、手を突っ込んだ。後ろ前が分からない便器だが、流れゆく穴は目の前。
あった!ベルトを抜けてケースごと落ちたから引っかかっている。 だが水の流れが強いからなかなか抜けない。
焦るな焦るな、俺!ってな感じだ。 < かなり焦ったが >。

誰かに助けを求めるわけにもいかないから、少しばかり狼狽しながら何もなかったような顔をしてトイレを後にした。 ホテルには無事帰還。
だが、携帯電話は少しづつ少しづつ変調をはじめやがてダウン。
トイレでのあの様子を他人が見たら…面白いだろうな、ドッキリカメラのようで。 しかし、病院のトイレぐらい清潔を心掛けてほしいものだ。ほかにもいろいろあったが、今回の旅は このネタに尽きるきがする。
さて、これでウンのつきとなったのか、ウンがついた、となったのか(笑)

2014年5月

2014-05-20
「ブッキング」
今制作中の宝塚100周年関連の番組で、どうしてもインタビューコメントの欲しい方の一人が「浜木綿子」さんだった。
スタッフが事務所に何度連絡をとっても電話がつながらない……
「つながりません」の報告の連続で何週間も過ぎてしまった。ので、その作業を引き取った。

「どうしてもこの人が欲しい!という想いと愛情が足りない!」とかなんとか言いながら、さてどうしたものかと…。 で、つながらない事務所あてに手紙を書くことにした。で、手紙を書いた。 想いと愛を込めて。 想いと愛と更に願いを込めて書いた手紙を速達で出した。期待半分、あき らめ半分。

3日後、携帯が鳴った。知らない番号にはあまり出ないのだが、その時はなんとなく出たのだ。

「浜木綿子です」……

なんとご本人からだった。 「5月中はいろいろバタバタしていましてね」
しばらくやり取りは続いたのだがスケジュールをもらえる話までなかなか進まない。そこで藤原は昔話作戦に出た。 「もう何十年も前になりますが、浜さん、ニューオータニでお店をやっていませんでした?」 「古い話ね、雇われママだったのよ」「僕、あの店でピアノを弾いていたんですよ!カウンターでお話をしたこともあります」 「えー、藤原さんはピアノがお好きなの?私もピアノが好きよ」 という展開になり、なんとスケジュールをいただける話にまで発展、願いが叶ったのだ。

結構長い間こんな業界の中に居ると、昔の出会いや経験がブッキングに役立つことがある。 27種類ぐらいの職種を経験しているし、高級で高尚な話題以外は大概ついていけるしね。

「数の子入れていいの?」「いい…ふがふが」「いいってどっちのこと?」「いや今日はちゃんと あれしてきたから(入れ歯のジェスチャー)」。近所のすし屋の親父と年配の客のやり取りだ。 年配のお客さんが握りを一人前注文した時の会話。親しい親父だが、この時は会話を無視。 本当は「もう少し優しく言ったら?」と会話についていきたかったのだが。

さて番組は23日に収録、編集を残すものの一区切りがつく。
このところ提案が立て続けに2本こけた。
しばらく藤原のブッキング(出演交渉)力は、出番が無いのかな・・・

2014-05-09
「第5回 岩谷時子賞」
谷時子賞の授賞式があったので出かけてきた。1回目から参加しているが今年でもう5回目。 去年の授賞式までは岩谷先生がご存命だったので、今年は本人不在のはじめての授賞式となった。

岩谷時子賞は指揮者の佐渡裕さん。奨励賞はミュージカルのStarsの若手3人組だ。 去年はユーミンの弾き語りを聴いたが、今年のこの3人組もとても魅力的だった。人気のある訳がわかる気がした。日本のこれからの音楽シーンに大いに貢献できる若者たち。 (なんだか若さをいい意味でうらやんでいる気がする自分…) とにかく、志高い「岩谷時子賞」の今後の発展を願わずにはいられない。

去年まで賞のプレゼンターだった八千草薫さんは今年「特別賞」を受賞された。 岩谷先生がご存命だった去年までは、ご縁という事でプレゼンターを務められたのだろうが、受賞コメントがしみじみといい話だった。 そして今年のプレゼンターは竹下景子さん。時代と共に、新たなページがめくられていく。

レセプション会場では立食で食事が提供されたのだが、結構年配の方々の長い列。 一応並んだのだが、それなりのスローモードなものだから、せっかちな藤原には待っていることになかなか我慢がきかない。 会社に戻る途中、コンビニで「おろしぶっかけソバ」なるものを買って昼飯にした(笑)

ついさっきまで夏日の様子だったのに、今は空が暗く強い雨。そして大きな雷の音。 だが、この変化は誰もがもとに戻ることを知っているし心配もしていない。 そうだよ、多少の変化はあって当然。このまんま、なんてことはないのだから…などと 妙に神妙になりながら風車に目をやる… (風車?ベランダのカラス避けに先日買ってきた。よく回るし結構可愛い)

岩谷先生も可愛い人だったよなぁ 
なかなか巡り合えない「天使」を感じる人だった。

2014-05-08
「サブちゃん×欽ちゃん」
昭和42年 日劇のステージにコント55号がいた。
北島三郎ショーの前座というのかな。 型破りでスピード感があって、実に面白かったので、一週間の公演期間の間、毎日 ステージ脇で観ていた。
16歳の藤原には実に刺激的だったのである。
その時、藤原は北島バンドのベース弾きだった。バンドメンバーになって、まだ日が浅 い本当に少年だった。(可愛い美少年!笑)

あれから何年の月日が流れたのだろう…
サブちゃんも欽ちゃんも現役で、藤原も現役の平成26年、この二人の対談番組が成立する。 制作はもちろん藤原だから、当時を知る三人の番組ともいえる。
サブちゃんは「藤原の好きなように作っていいよ」と言ってくれたし、欽ちゃんも快諾してくれた。 自分のなかにあるドラマが、これで一つ完結するような気もする。

番組が放送されるとき、北島三郎77歳、萩本欽一73歳、藤原64歳。

16歳の視線の中にあったあの二人と自分…自分史のなかにある、大きなドラマだな。 9月ごろの放送になると思うが、一年半も温めてきた企画なので、想いを込めて作りたい。込め過ぎない程度にね。
このところ、やはり自分の道のりを考えることが多くなった。
後悔も反省もないのだが時間に対する考え方は少しずつ変化してきている。
もうすぐ64歳年齢を自覚しようと思うとなおさらだ。
昨日会社に花束が届いた。??? 
メールが来た。「勘違いしました!」 ???
なんと、一ヶ月と一日早い「誕生日」のお祝いの花束だった。
送り主の彼女は70代。
ここに登場する4人の年齢を足し算したら、いったい何歳になるんだ!ってね。(笑)

2009-05-01
「心のくすり」
なんとなく不愉快だったり、気分がすぐれなかったり、グズグズしている時にぴったりはまる 素晴らしい「本?」に今日出会った。今朝、起き掛けになんとなく手にした「本」で思わず爆笑 してしまったのだ。コンビニで売ってたらしい。

爆笑「母ちゃんカンベンしてくれ・心温まるおバカエピソード」という「本」だ。本当の事だから 登場するエピソードはごく日常的。あるある、きっとこんなこと、の受けネタオンパレードだ。

「間違って父ちゃんの弁当を持ってきた。俺はどうすれば・・・」
現物の弁当の写真が載っている。(ごはんの上にノリか何かで こんや と書いてある)
涙を流してわらった。

ま、これは今日の朝の話だが、会社にきてから資料として買ったコント55号のDVDを見た。
これでまたわらった。午前中に2度も無心に笑えたのだ。悪くない一日だ。

上手に生きるテクニックとして、心のくすりは必要だ。感動して大泣きするのもストレス発散になる。無心に笑えてしまえる状況もストレス発散になる。
家族は藤原が素面で笑ったりするとなぜか喜ぶ。いかに日頃仏頂面しているか、という事だ。
心のくすりだ…必要なのは。

近々ホームページをリニューアルする。
会社にとって、薬になればいい、と願うのは必然かも。さすがに古いHPだしね。
そして5月。メーデーの影響で今朝は渋滞に巻き込まれたが、心のくすりの「本」のページを思い出すだけで、イライラはしなかった。
やっぱり、自分なりの「心のくすり」は必要だよ。

2014年4月

2014-04-27
「藤の花」
昨日、樹齢千年以上という「藤の花」を見てきた。藤棚の部分はなんとなくイメージしていたが その基になる部分、幹の部分を初めてじっくり観察した。枝振りからは想像もつかない、なんというか、決して立派とは言えない姿、とでも言おうか…

先日ゴルフ場で小さな藤棚に出くわしたとき、一緒に回った友人が「昔 ♪藤棚の~と歌った歌があったわよね」と言ったので藤原はすぐに歌った。 「うす紫の藤棚の 下で歌ったアベ・マリア~ 安達明!」 友人は「私たち、その時代がすぐわかるから、嫌よね…」とかなんとか。
それほど我々の世代には時代と歌が、強くインプットされている、という事か。
なんという歌?「女学生」だったと思う。

そんなことがあったので、わざわざ「藤の花」を見に出かけることにしたような気もする。埼玉の 春日部まで行った。満開ではなかったが、それは見事な藤棚だった。アベ・マリアは居なかったが。

帰りに根津神社によって「つつじ」を見てきた。人混みを見てきた、というほうが正しいかもしれない。
藤原はそんなに花が好きか?そうでもないと思う。詳しくもないし判別もできないし。だが、花でも 愛でていたい今の気分、そんなところかな。花のある生活、それは好きだな。
花を愛しむ余裕、それは求めているな、きっと。らしいのか、らしくないのか、わからないけど。

見てきたと言えば、先週「オーヴォ」を見てきた。サーカス風メルヘンチックパフォーマンスショー とでも言えばいいのか。見事な肉体パフォーマンスだった。習性というのか、パフォーマンスに 目をやりながらも、意識は音楽や照明に向いている。素直に楽しめよ!と言いたいね、自分に。
こんなんだから、仕事とは全く関係のない「花」がいいのかもしれない。

一年前から温めていたものが、番組として成立しそうだ。すべてが「おもいつき」から始まる。
何かを思いつくためには、いつも「何か」に出会っていなければならない。
そう言い聞かせ、自分の尻を叩きながらあちこち出かけるのだ。(笑)

「藤の花」は本当にいい匂いがしていた。「女学生」の気分になったよ!
なんてね、 いい、一日だった。

2014-04-22
「白いツツジ」
自宅に咲いたツツジ。去年はあまり咲かなかったが、今年はまだまだ花をつけそうだ。



桜を見ることはできなかったが、少しの間ツツジは楽しめそうだ。



2014-04-14
「ホーチミン」
例えば夕食780,000 タクシー初乗り17,000 ビール350,000 喫茶店のコーヒー480,000とか。
円?いやいやべトナムのドンの話だ。わかってはいたのだが、いざ使うとなるとなかなか難しい。

4泊の短い滞在だったが、ホーチミンに行ってきた。初めてだったのでツアーを使った。フリー タイムが多かったのでこのツアーを使ったのだが、やっぱり初日は同行者と仲良くすることになる。
同じホテルになったおじさんご夫婦がホテルに着くなりツアーガイドに聞いた。
「枕チップはいくらだね」担当者「20000ドン程度」。
オジサン、僕に聞いた。「両替してきたかね?」ボク「空港でしてきましたよ」。
「20000ドンていくらかね」ボク「最初はわからないだろうと思ってドルを持ってきました。枕チップなら 1ドルでいいんじゃないですか」オジサン「悪いんだけど1ドル貸してくんないかね」ボク「ええもちろん」 てなわけで初対面のおじさんにいきなり1ドルを貸すことになった。
オジサン「1ドルっていくらかね」ボク「103円ぐらいじゃないですか」。てなことで初日がスタート。

このおじさん、後で聞いたら70歳だって。オレよ~とか朝からビール飲んじゃってよ~とかやたらと フレンドリー。結局はいい人だったけど。

まず街中のバイクの多さに驚いた。台北などのバイクの多さの比ではない。とにかくバイク、バイク。
市内の住居費が高いので、みんな安い郊外から1時間も2時間もかけて通っている人も多いらしい。
バスが少ないし、電車も地下鉄もないから交通手段は必然的にバイク。ホンダがやたらと多かったな。
ツアーだから、一応の観光に参加。結構参考なった。よいタクシーと悪いタクシーの見分け方なども。
情報があったから、タクシー移動も苦ではなかったし、ツアーはともかく、どこの国でも最初は観光に参加する。
ガイドに聞いてみた。「シンガーでカン・リーって知ってる?」と。発音が悪かったせいかすぐには わかってもらえなかったが、メロディーを口ずさんだら「知ってる知ってる、年配の人は大好きだ」と 言った。「若い人は好きではない」とも教えてくれた。「僕は知っている」とも。
この「カン・リ―」という歌手とベトナム戦争時代のある歌に興味があって行ってきたのだが、取材 には至らなかったがベトナムの空気を知ることはできた。取材はツアーではなかなか無理なことだし。

留守中に届いていた取材対象の本を読み始めた。本に出てくるストリートとか建物とか、時代とかが 読んでいてやはり身近に感じる。これが旅の結果だし、もっともいいところだな。
来年、番組にしたいな…などと思いながら、取材対象を絞り始めたところ。気の長い話のようだが、 実は時間はあっという間に過ぎていく。遠い国まで取材に出かけて番組に出来なかった案件もある。
だが、確実に人の出会いや友情が生まれ、大切な財産ともなっていく。
またすぐ行きそうだな、ホーチミン。

2014-04-02
「桜咲く春」
まだ桜見物をしていない。自宅のご近所の家に大きな桜の樹があるのでそれを見ることは見た。
が、桜見物と言うほどでもない。桜というのは何気にピンク色だったような記憶があるのだが、 なんか白っぽく感じるのはなんでだ?・なるほど。

昨日は娘の入社式だった。5年も海外に居たから、25歳の新入社員だ。入社式の会場が渋谷に 近かったのでついでに車で送った。めったにないことなのだが、なぜか鼻歌を歌いながら会社の 玄関を開けたところ、約束していた来客がすでに・・・すっかり失念していたものだから、15分も待 たせていたのに、鼻歌を歌いながら登場するという場面を作ってしまったのだ。
ま、いいか。桜咲く春だから。

このところ酒を飲むと、なんだか怒りっぽい。自分で嫌になるね。余裕がないんだな、きっと。
回りが迷惑だよ絶対。飲んだ藤原に近ずくなかれ、注意!てか。
4月の暖かで優しい日差しに背かぬように、そろりそろりとまいりましょう!てね。

5日で会社は21年目を迎える。振り向けば、遠い記憶のようでもあり…一瞬の出来事の様でも あり、良くやって来たな、という思いと共にこんなもんか…という思いもあり…
人はどこを満足地点とし、どこを完了、とするのだろうか。
そんなことを思っている時などは、日差しの中に咲く花を見るのが好きだ。日差しの中だ
。 日陰であってはならない。今の季節からは日差しを楽しめる。いいね。

昨日立ち寄った居酒屋のカミさんと、それぞれが上京した時の季節の話になった。確か、 3月だったよね、とか4月だったのかな、とか。何れにしろ、桜咲く時期だったことは確かだ。
この季節は、地方から上京した人間にとって、特別な季節なのかもしれない。いくつかの 大切な「はじまり」の中でも、特に大切な一歩であろう記憶を刻んだ「桜咲く春」の季節。
その桜たちは、毎年のように「いつの間にか咲いて」…「いつの間にか散って」いるのだ。

2014年3月

2014-03-16
「アンネの日記」
ニュースで騒がれていたから、空港で本を買い求め、読んでみることにした。
他に2冊持って出たからなんでもいいや、てな感じで。あとは週刊文春と週刊新潮、これはで出かけるときの定番週刊誌。 本の一冊は途中まで読んでいたから飛行機の中で読んでしまった。 ホテルに着いてから読み始めたのが「サイゴンから来た妻と娘」なのだが、この文庫本は字が小さすぎて閉口した。ちゃんと読めるけどね。 ベトナムに興味があるので関連本として読んだ。いずれ役に立つと思う。

さて「アンネの日記」だが、特別な思いがないと、なかなか読み進めるのが大変だ。子供の日記だもの。 でも、これが子供か?と思うほどの観察力や洞察力。 本人が書いたかどうか、問題になるわけだよね。
読みながらいろんなことを考えてしまうものだから、なかなか進まない(苦笑)旅の帰路、なかなか集中できないな、 と思いながら読んでいたら、隣に座った男が激しい貧乏ゆすりだ。 右足が終わったかとおもうと、すぐ左足。半端ではない激しい貧乏ゆすり。 思わず顔を見たがあまり正気とは思えないような表情をしている。本に戻ることにした。 と思ったら…次に乗ってきた女性が真向かいに座った。 (注・これは旅先の列車内の話で一等座という車両なのだがなぜか個室風に仕切られていて3人が向い合せなのだ。まったく使い勝手の悪い無駄なつくりだと思う) で、正面に座った女性だが、座るなり携帯で話し始めた。延々と40分ほど。 言語が分からないから、言葉の洪水はあまり苦にならないのだが、その隣のおっさんにかかってくる携帯はけたたましく、話し声もデカい。 こりゃだめだ!で車内の読書はあきらめた。アンネ、ごめんね。

空港に向かうために降りた駅は初めての駅だ。いつもの駅は工事中で使えないらしい。 すぐにタクシーを拾ったのだが運転手は煙草をくわえている。順番だからこのタクシーに乗るしかない…乗ったら何か話しかけてくる。 分からないと言っているのに何かを身振りを交えて言ってくる。 何のことはない、ガソリンスタンド(正確にはガス)に寄りたかったのだ。ここで外に降ろされその間待たされた。 ガスを入れてから客待ちをしろよ!とは言葉が通じないから言わなかった。 この運転手、正しいお釣りをよこさなかったし。 日本人は文句を言わない人種、というイメージがしっかり定着してんだろうね。 怒るほどのことでもなかったからよしとしたが。でも、ナメラレテルヨネ。

で、無事に空港について今これを書いている。「アンネの日記」は機内までお預けだ。 読み切る自信はない。拾い読みして、あとは何れ…てなとこかな。 きっと読みたい日が来るかもしれない。アンネ、ごめんね。

それにしても、国が違えばマナーも違う。マナーがあるの?と思ってしまう場面に出くわすことも多い。 しかし、それもこれも旅をしないと分からない。だから旅が好きだ。
次は、ベトナムだな。 あの国はきっといい国だ。本を読む限りそう思う。
さて、搭乗時間がきた。飛行機に乗るか…

2014-03-10
「ただの泣き虫?」
先週、映画「ワン チャンス」の試写会に行ってきた。
英国で一躍時の人となったポール・ポッツの半生を描いた映画だ。 うだつの上がらない携帯電話販売員が、歌手として成功を収める。 映画そのもののクオリティーが高かったかどうかは疑問符だったが、歌や音楽はやはり人の心に迫る。 泣かすつもりだろう…とわかってはいるのだが、場面と歌が一対になるとやっぱり泣ける。 次に観に行く映画は「あなたを抱きしめる日まで」だろうな。なんで?ひたすら泣けそうだから(笑)

その翌日、明治座で「欽ちゃん奮闘公演 THE LAST ほめんな ほれんな とめんな」を観てきた。 欽ちゃんの舞台を初めて見たのは昭和42年、「日劇」だった。舞台の袖から見ていた。 舞台で演ずる彼を見たのは、あれ以来だ。この芝居はほんのりほんわかな喜劇だから、別に泣く芝居ではない。 のだが…その場面にぴったり音楽がハマると、これがまた泣けてしまうのだ。 やれやれ、俺は泣くために出歩いているのか? 月末までに、もう一度観に行ってもいいな。泣く為ではない。ちょっと勉強したいからだけど。

そうそう、試写会の後ふと思い出して、アメリカンステーキの店に寄った。 作曲家の浜圭介さんに連れて行ってもらった店だが、「ルース クリス」というステーキハウスだ。 日本人は霜降り肉を好むがここの肉はいわゆる赤身。これがまた旨い。 最近脂身の多い部位は食べる気もしないから、歳をとったせいだろうが、これぞステーキ、という感じがしていいな。 寿司ネタも大トロは勘弁してほしいのだ。ベトベトしている感じがして、美味しいと思えなくなってしまった。 味覚はもうすっかり、オジサンの世界だね。

そうして週末を過ごし、日曜の昨日の夜は、介護中の母親を乗せた車椅子を押した。 そんな現実の中では感傷なんかに浸れない。現実は残酷だ。

そんな藤原は現実逃避として、泣ける映画や泣ける芝居を求めて出歩くのか?じゃないよ!(笑)
ま、いずれにしろ「ただの泣き虫」だよな、オレ。

2014-03-06
「愛のある光景」
名前を呼べない。あなたに、とか、あなたは、とかしか呼べない。これは不幸なことなのだろうか。
7歳違いの長男が居る。正確には片親しか一緒ではないから、長男、次男の関係はやや複雑。 戸籍上はどちらも長男だからだ。 手紙を書いた。といってもパソコンでだが。宛名もパソコンで書きたかったがそれだけは手書きにした。 そこで、名前を呼べない自分が居ることに気付いた。
手紙はスタッフに頼まず、自分で切手を貼り、自分で投函した。
生きざまについて、その歴史に触れざるを得ないこともあるから、あれこれは神様のせいにするのが良い。 「私はあなたに何も望んではいません、神様がお決めになった事でしょうから…」のように(笑)

「愛のある光景」にあこがれて生きてきたような気もする。 男と女のそれではなく、家族的?な愛のある光景だろうか。

こんなことがあった。高速道路を運転していてふと見上げた歩道橋に二人の男の子がいた。 流れる車をただ見ている二人だったが、その場を通り過ぎた後、なぜか涙がぽろぽろ流れた。 涙腺の刺激のツボが人とは違うものだから、ときどき本気で困る。 さて、孫を抱きしめたり孫の世話をしたり、そんな日がいつかは来るのだろうか。 その前に子供たちの結婚式があったとしたら俺は平常心でいられるのだろうか…などと要らぬ 心配をしながら「愛のある光景」を夢想するのだ。 「愛のある光景」とは距離があり過ぎる手紙を投函して、こんなことを書きたくなった。(苦笑)

2014-03-02
「二本の枝」
道ですれ違った顔に見覚えだあった。
あの大きな顔の彼をどこかで知っているよなぁ…
誰だっけかなぁ・・・
すれ違ったものの振り返るほどの事でもないし、距離はだんだん 離れていく… あぁ記憶がだんだん遠くなる…ちょっと不思議な感覚に陥った。そして突然思い出す。 あぁ!アレンジャーの○○だ!。ところが、今度はその○○が思い出せない。 職業は思い出したものの、名前が思い出せないのだ(笑)。その後出会った知人の口から偶然名前が出てきて解決。

思い出す思考回路はそうして時々徐行運転なのだが、止まらない思考回路もある。 例えば、「二本の枝」というテーマがあったとする。二本の枝?立木か?枯れ木か? 流木か?となればいいのだが、二本の枝?・・・日本の絵だ?
「日本の絵だ」とくればエルミタージュ美術館で見た日本画のコーナーか?「日本の円だ」 それは当たり前だ。「日本のえっ?だ!」う~ん、番組とタイトルにならないかな・・・ ・・・ 「二本のエンター」それがどうしたの・・・てな具合にこの手の思考回路は止まらない!のだ。

駄洒落の好きなおっさんの思考回路は、似たようなもんだろうけど。

発想は豊かなほうがいいに決まっているが、発想に豊かな愛情も欠かせない。 ぬくもりってやつかな。人は善と悪の二面性を持ち合わせていると思う。二本の枝だ。 喜びと悲しみの感情も二本の枝かもしれない。ヒトの手の裏表も二本の枝かもしれない。そうなんだ。 一本では、永遠に交わることができないが、二本なら交わる可能性は大きい。 3本になると三角関係とやらが成立しそうでこれはまずい!とこれは余分なのだが。

社内の勉強会のテーマになっている「二本の枝」をボーッと考えていたら…こんな日曜の朝。。。

2014年2月

2014-02-19
「岩谷時子さん お別れの会」
一昨日、岩谷先生のお別れの会がパレスホテルであった。
改めて、また一つ時代が終わったことを思う。
越路吹雪、ザ・ピーナッツ、加山雄三、日本語ミュージカル「レ・ミゼラブル」「ミス・サイゴン」などの訳詩、 それはそれは数えきれないほどの作品数で、数々の名作を残された。 いっさいテレビ番組にはお出にならない先生だった。作詞家は影の存在で、作品のイメージの中に私のような「人間の素性」が見えてはいけない、というのが持論だった。 それを承知で何年もかかって先生の映像をとることに成功した。その結果が21日に再放送される「歌伝説 愛の讃歌 作詞家 岩谷時子」だ。

帝国ホテルをお住まいにされていた。1年以上かけて4回ほどロケをした。 それが後にも先にも最後の動く映像になったと思う。お別れの会の会場に番組が流されていた。 先生の番組を創ってておいてよかった・・・ ・・・とつくづく思った。番組は手間暇かけて創るもの、その思いが実った番組になったと自負している。

「読売」「産経」「日経」「毎日」「朝日」、自分の好きな新聞の順番だ。 読売は子供のころから読んでいたし、中立を感じるから安心できる。産経は寄り過ぎていて面白いから結構好き。 日経は会社で購読しているが読み応えのある記事も多い。なんでこの話?
世の中には「朝日」が一番という人もいる。「産経」がおかしいという人もいるかもしれない。 人それぞれだからどうでもいいのだが、岩谷さんの作品は好きか、嫌いか、というレベルではないものだ。 あの「永遠の少女」のようなお顔とお姿から想像もできないような「お言葉」も。 でも、どちらかというと「読売」だね。決して「産経」や「朝日」ではなかったと思う。

お別れの会では当然懐かしい顔ぶれとも出会う。 レコード会社の知り合いは、社長になっていたり、重役になっていたり。 時が流れているんだ、と改めて感じる瞬間でもあった。そんな時こう思う。 俺は20年間一緒だよなぁ・・・
北島さんがこう言ったそうだ。「お前らはいいよな、頑張ればそれなりの変化がある。俺は初めから歌手で終わるまで歌手のままだ」と。そりゃぁそうだ!(笑)

2014-02-14
「テイチクエンタテイメント 80周年記念コンサート」
「♪あなたは あなたは家族も遠く  気強く寂しさを堪えた あなたの あなたの見せない傷が ・・・」

このフレーズを聴いていて、不覚にも涙をこぼしてしまった。 「吾亦紅」のリハーサルの時だ。ステージ脇で進行を見守りながら、なぜか2コーラス目のこの部分でポロポロ。 ライブのエネルギーとは、こういうもんなのだな、と思いつつ止まらない涙。

12日、13日と中野サンプラザで開催された「テイチクエンタテイメント80周年記念コンサート」の制作チームを我が社が担当した。 二日間で48名の歌手、84曲の熱唱、大イベントだった。 仕事だから、歌に聞き入るなんてことはないし、段取り確認やスタッフの動きに神経を使っているのだが、時々こうして「歌」のちからを実感することがある。
若手から歌手生活77年という大御所まで「日本の歌文化の縮図」のような要素もありながら2日間とも3時間という音楽ショーを終え、事故やトラブルの無かったことに安堵している。 そして、さっきインターネットで「吾亦紅」の譜面を買い求めた(笑)すぎもとさんの事は良く知っているし、「吾亦紅」の存在は当然知っていたのだが、歌手の歌でもないし、好きで勝手に歌っているんだろ、てな感じで作品に対して無視を決め込んでいたのだが。
(作曲家挫折の藤原の隠された嫉妬心だ?きっと(笑))

だが、いいものはいいんだ、と認めてしまったわけだ。
いい歌だよ、今更だけどね。
そういえば随分前になるが、生放送で司会者の隣にいた藤原が歌を聴きながらぽろぽろ泣いてしまい、司会者がもらい泣きをして、カメラが戻った瞬間司会者の言葉が出なかった、という事件があった(笑) 今は民放で活躍している堀尾アナウンサーだが、藤原さんが泣くからつられて~と後で笑い話。 (NHKのアナウンサーたるもの、番組で泣くなんて、と視聴者からお叱りを受けることになったが)

そして東京は今日また雪だ。昨日でなくてよかった。歌を愛する人々の心を濡らすのはいいが、足元を濡らす必要はない。 そうそう、歌ではなかったが綾小路きみまろさんのステージもよかったよ。 さすがの中高年のアイドルだ。頑張る同年代の姿、いいね!
そして藤原は明日からの土日、提案書きに精を出すことになる。
この姿、地味だね!

2014-02-05
「あした死ぬかもよ?」
ひすいこうたろうさんの本のタイトルだ。いいタイトルをつけるものだ、と感心。 アマゾンで頼んでおいた本が会社に届いたから、さっき一気に読んだ。 人生最後の日に笑って死ねる…などなど、「死ぬ」という事をテーマに、生きるためのさまざまな工夫と知恵、といったところかな。楽しく読んだ。

なぜこの本を? 友人との電話の会話の中で「最近コンビニでもこんな本が売られていて結構売れている」と聞いたから。 なんで売れているのか、それを知りたかったからだな。明日死ぬとしたら、今日何をしたいか?的なテーマは身近な問題で、読んでいて なるほどが結構書かれている。 別に本を宣伝しているわけではないのだが、今「考えていること」の参考になった。

歳を重ねてくると、どうも頭でっかちになっていて、「素直」が頬っ被りしている傾向があることを気付かされたりするもんな。特に本にはね。

時間がない、時間が無い、最近思い描く言葉だ。充分に時間があるのに、頭だけが焦っている。 余裕がない、集中力がない、煩雑な作業が多すぎる、あぁ時間が無い、とこうなる(笑) でも、もっと大変な時期や事柄はたくさんあった。 「あのときの大変が10だとしたら今はまだ7だ」とこう考えたら楽になる、とも書いてあった。 作者はまだ若者だろうにな…などと余分なことを考えている自分。

俺が明日死ぬとわかっていたら、さて今日リンゴの苗木を植えるだろうか? あと半年で死ぬとわかった時、まだこの会社を続けるだろうか? 棺桶に片足を入れようとするときに、最後に聞きたい一曲ってあるかなぁ…etc

「明日死ぬかもよ?」

人間には「死ぬ」ことと同じくらい、避けられないことがあるんだ。それは「生きる」ことだよ。 (チャップリン「ライムライト」より) だって。

2014-02-02
「ASEAN」
このところ、東南アジアに興味がある。
なかなか行くチャンスが無かったという事こともあるが、昨年ミャンマーの若者と一緒に仕事をしたこともあり、ASEAN諸国の記事などを丁寧に読むようになった。 ASEANの中でマレーシアだけだな、行ったことがあるのは。
さて、インドネシア、どこだっけ?島だらけの国だという事はわかっているのだが、え~と・・・ てな具合に地図を探して「あぁ ここね」、などと不勉強極まりない私。 ASEANは10か国だったなんて最近知った始末。アメリカとかヨーロッパは、知ったかぶりするのにね。

ベトナムに行きたいと思っている。悲惨な歴史の中で生まれた「いい歌」を少し学んだからだ。 3年ほど前、やはりサンクトペテルブルクに「歌」を見つけて早速出向いたときと同じ感覚かな。 ベトナムの「歌」も、今行けば関係者はまだ生きている…時間の都合をつけて行きたいな、早く。

東南アジアのあれこれを学んでいて、アジアハイウエイの存在とAH1号の起点が日本橋だったことも最近知った。 日頃必要がない事柄だからいいとしても、アジアに関して知らないことが多すぎるよな。特にASEAN、東南アジアをね。
ASEANに限らず、知ったつもりで疑問も何も持たないことが多すぎるのだろうか?などと自問。 結構何にでも興味を持つタイプなのだが、忘れるのも早い(笑)本当に忘れるのだ。見事に。 「恨み辛み」、これも結構忘れられる。特技だな。 さてさて、もう2月。忘れたいのに忘れてはいけない現実と向き合いながら、また巡りくる節分。 正月、節分、新年度、何度もやって来る「仕切り直し」のチャンス。

ASEANの10か国、スラスラ言えるかって? 無理かも…無理だな。

2014年1月

2014-01-24
「あのころ君は若かった」
今朝、車を運転しながら映画音楽のCDを聴いた。ミュージカル映画のサウンドトラック盤。 映画のシーンと連動はしないのだが、曲はほとんど知っている。そんな曲を聴いていると、「昔」とか、「懐かしい」とか言葉のキーワードがいくつか出てくる。 「あの頃」とか「あの時代」とかも。
すると、よくあることなのだが、自分にとって「妙に恥ずかしい」場面が甦ったりするのだ。 なぜだかよくわからないが「布団をかぶって寝てしまいたい」的な場面を思い出すのだ。 「いやいや、俺がそう思っているだけで、誰も覚えていないし、どうってことないのだよ」と 自分に言い聞かせるのだが、こんな感覚、俺だけなのだろうか。 心のどこかに、トラウマのように潜んでいるんだろうな…数々の恥ずかしい場面が。。。

このところなぜか、妙に昔を懐かしむ感覚が押し寄せることがある。あの人、どうしているんだろうか・・・ で、小説家の佐藤愛子先生に本当に久しぶりに電話をした。 「嬉しいわ!暖かくなったら会いましょう!今長編を書いているけど多分4月には書き終えるから電話するわ、私はもう90さいでヨボヨボ寸前よ!」

90歳で長編を執筆中だって…

先日、留守中に昔懐かしい女性から電話があったそうだ。藤原が上京して間もなく知り合った女の子で当時中学一年生ぐらいだった。 おれを「お兄ちゃん」と呼んでなついていた娘だ。 社員が応対してくれたらしい。
「懐かしくて声を聴きたくなったので電話しました 仕事はまだしていますか?」 そしてこうも聞いたらしい。「…髪の毛はまだありますか?」と。
社員はこう答えたらしい。 「ふさふさです!」

番組も、藤原の年代以上は「懐かしさ」が魅力であり、若者には「今」が魅力なのだろう、と改めて思う。 次の企画提案までにあまり時間はないが、「今」は若者に任せて、やはり「懐かしさ」を軸に考えるのが素直だよなぁ…と改めて思うのである。
《ふさふさ、には やや抵抗があるのだが》

2014-01-12
「旅先で」
中国福建省の厦門に向かう新幹線の中で、ティッシュペーパーとハンカチを使うことになってしまった。 物語の終盤に差し掛かり、予感はしていたのだがやはり泣いた。その時、隣の席が空いててよかった。 しばらくぶりの一人旅だ。成田で2冊の文庫本を買って旅に出た。 2冊でよいと思ったのは、新しいPCも持参したから。新たなパソコンに慣れるのにきっと時間がかかるから、2冊もあれば充分、てな感じだ。

が、今回は出鼻をくじかれて旅は始まった。新幹線のチケットを依頼してあった旅行社が空港に来ていない。 日にちを間違えていたか、うっかりしていたか。結局駅で旅行社と待ち合わせて事なきを得た。 さてホテルに着いて、さっそく新しいパソコンを繋ごうと思ったら。 パソコン側にラインを繋ぐ「穴」がない!軽さを求めて買い求めたパソコンだから本体はかなり薄い。 だから、ラインケーブルを入れられるほどのそれらしき「穴」はない。さっそく自社に電話をしてスタッフに聞いた。 「穴」がない!「ラインの規格が変わったという話は聞いたことがありませんが!」 (馬鹿な会話だ)

結局探し回ってUSBのライン用アダプターを買い求めたので一件落着、と思いきやドライバーとかをインストールしなければならないことが分かったのだ。 外付けドライブは置いてきた…もういいや!で PCをしまい、PCの存在を忘れることに。

結局、緩やかな時間は「本」に向かう。一冊は山本一力の時代小説「たまゆらに」。 この作者の小説は初めて読んだが、なかなか面白くて一気に読んでしまった。 細かなト書きが書かれた台本を読んでいるような感もあり、実に見事に場面が映像のように見えてくる。 たった一日の出来事が縦軸なのだが、その展開の面白さは際立っていて、旅先に持参する小説としてはいいチョイスをした。

さてパソコンに使うべき時間を本に充てることになったものだから、すぐ2冊目の小説に手が行く。 東野圭吾の「秘密」だ。狙って買ったわけではない。これもたまたま手にした一冊。時代小説を読み終えて 間を置かずに読み始めたものだから、なかなか中に入っていけないかな…との思いはすぐに吹き飛ぶ。 その日の夜は、食事に出かけるのも面倒くさくなり、持参したカップラーメンと焼酎のお湯割りで済ませ、結局 午前2時ごろまで読みふけってしまった。
で、読み残した分を電車の中で読んだというわけだ。途中何度か、きそうになったのだが、最後の最後、数行で 泣かせてくれた。 小説家はきっと憑依体質だ。ストーリー、描写、読者をひきつける力、凡人は小説家を尊敬するしかない。 さて、間もなく成田に向かう飛行機の搭乗が始まる。本は読んじゃったものだから、時間つぶしにこれを書いている。 インターネットはだめだけど、これなら、って感じで。

2014-01-03
「三が日」
元日 朝9時30分からの自社制作の番組を観て、午後例年通り、近所の氏神様に初詣。 ついでに「花園神社」にも参拝。元日の帰宅が朝4時を過ぎていたからかなりの寝不足。 よって早めのダウン。 2日、風呂場の掃除以外ほとんど何もせず、夜「新橋第一ホテル」で夕食。タクシーで帰宅。 テレビで映画を観て、いつしかダウン。 3日、「ニューイヤーオペラ」本番のスタッフに「お年玉」の配達。そして今、会社。年賀状整理。 これからの予定?何も決めていない…

例年、元日と2日ぐらいはあえて何も考えずだらだら時間をやり過ごすのだが、3日になると、現実がそわそわしながらやって来る感じがする。 いったい、自分以外の人々はどんな正月を過ごしているのだろうか…と思ってしまう。
そうそう、年末7億円を手にしそこなった! 誰が手にしたんだろうか…と思ってしまう(笑)。 さて、今日はさっさと切り上げよう。そうだ、社員が使っている毛布類の洗濯をしよう。 コインランドリーで、2回程度洗えばすむ。 今日のこれからの予定はこれだ!みんなも仕事しているし…

これって、俺がやることか?  …と思ってしまう(笑)

2013年12月

2013-12-31
「昭和純情」
先日大掃除した会社だが、すでになんか汚れている感じ。ま、忙しかったしね。 大晦日の会社は電話が鳴ることもなくいたって静かだ。が、外は騒々しい。 NHKの周辺で街宣カーが何かを叫んでいる。紅白入場の人たちが並んでいるのだろうから そこに向けて何かを訴えているのかね。聞き取れないが。絶叫している感じだな。

さて、西暦2014年になり平成26年になるわけだが、なんだかややこしいな。 今年何年だっけ?という会話が目に見えるようだ。どちらか一方ならいいんだけど。 我々の世代は昭和を西暦で言われるとほとんど時代が見えてこない。きっとみんなそうだよね。 2000年以降は実感があるけど、昭和を西暦で言われてもなぁ…

明日放送の民放の番組で、歌の年代表記をみんな年号にしてみた。 若いディレクターはなぜ?というのだが、西暦で表記されてもありがたみが無いからだ。 昭和○年のヒット曲、とあれば時代が鮮明に見えてくる。若者には関係ないらしいが。

何れにしろ、昭和がだんだん遠くなる。確実に一歩一歩。 サブちゃんが紅白を去る、などと言う話題に触れると、なおさらだ。 「50年、本当に遥かなる道だよなぁ」ときのう本人がしみじみと言っていた。 そうそう、藤原が以前創った「北島三郎 遥かなる道」の話からそうなったのだが、確かに「遥かなる道」だ。 もう一作、「北島三郎 ひとすじの道」という番組も創ったのだが、同じようなタイトルなので自分でもどっちが先だったか混乱する。 今夜、改めてサブちゃんにDVDを進呈する。
「昭和純情」という曲があって、北島さんに仮歌を入れたCDを渡してあるのだが、聞いてくれたかどうか聞きそびれている。 いい歌だと思うんだけど。20年以上前に創った歌だ。 昭和純情、典男の純情だね。

なんだかんだあったが、あと数時間で今年も終わる。終わりがあれば、始まりがある。逆もね。

2013-12-29
「怠け者の言い訳」
怠け者の言い訳として、才能が無い、学び始めが人より遅い、時間が足りない…読売新聞の編集手帳にあった。 そして来年に向けてこう続く。 努力を惜しまぬように、言い訳せぬように、人様をうらやまぬように…

先日、音楽業界の大手会社の会長にお目にかかった。藤原より4歳年上だという。 輝いているこの先輩に大いに刺激を受けた感じがする。パワフルを感じるのだ。 俺は?なんかグズグズ文句を言うばかりで、すっかり夢を忘れているような気がする。 守ることに専念をしてきた一年だった気がする。何が生まれた?多分なんにも。

社員には「言い訳するな」と言い続けてきたが、自分自身が、心の中でさまざまな言い訳を探してこなかったか?と自問すると、答えは「言い訳まみれ」かもしれない。 O会長は、今の藤原に、とても大切な刺激になる気がする。 自分が怠け者にならないための大切な刺激。

今日も社員は皆出勤。明日の生放送に向けて。そして正月3日の「ニューイヤーオペラ」に向けて。 怠け者は誰もいない。だが、言い訳する奴はいる。(苦笑) 一年の終わりに向けてカウントダウンだ。明日の生放送が終わり、紅白終了後の北島さんとレコード会社の打ち上げに顔を出して、今年のメニューがすべて終わる。 「怠け者の言い訳」、来年はこんな言葉に目がいかないような日々に、気にならないような日々に、 したいなぁ~(急なトーンダウン)

2013-12-28
「激論」
スタッフWとアルバイトのM君が仕事の仕方、仕事の振り方、段取りについてなど激論を交わしている。 この会社では珍しい光景だ。《これは実況中継!》 アルバイトのM君がWの抗議に負けていない。5年も後輩のいなかったWにとって初の後輩的対象のM君だから、彼に対していろいろ不満も含め必死の訴え。

こんな光景を経営者としては喜んで見ている。わが社のスタッフはおとなしすぎて、議論が激論になることなど無いのだ。 おや、これを書き始めたら、終わってしまった…。 カメラを回しておけばよかった。どうぞあとくされがありませんように。

さっき、以前我が社のADで、今は税理士を目指して勉強中のK君から電話があった。 また試験に落ちたんだそうだ。「落ち込んでいるんですよ~」と笑いながら明るい声で伝えてきた。 「お前はバカなんだから税理士なんかあきらめろ!」とかなんとか言いながら15分ほど話したが、彼の明るい声にどこか救われる思いがする。 (彼の電話代があとで心配になったが。貧乏なはずだから 笑 )

落ち込んだ時、社長の声が聴きたくなるんです~
(いつも馬鹿にされるだけなのにねぇ)

さて、話を戻すが、我が社のスタッフは極端に傷つくことから逃げている気がしないでもない。 だから、激論なんか発生するはずもない。 仕事ぶりもおとなしい。社内も静か…
聞く耳を持つようにはなったけどね。だが、おとなしくなり過ぎたかも。 藤原?若い頃は本当に激論家だったような気がする。今も声はでかいし、よくしゃべる。 若い人たちの激論を耳にして、どこか心地よかった。仕事とは、そうあるべきだよ… などと心の中で思いながら、彼と彼女がこの後、どんな着地をするのか、楽しみだ。

2013-12-25
「Merry Cristmas!!!」
ロシアの友人からメールでクリスマスメッセージが届いた。「Merry Cristmas!!!」 「親愛なる大好きな友人 藤原様」。親愛なる、という言葉の響きがいいね。

息子や娘はかなり大きくなるまでサンタクロースを信じていた。 学校でかなり馬鹿にされたらしい。「親がやってんだよ」と言われて家に戻ると、「違うよね」と哀願するような目でサンタの存在を信じようとしていた。 今やその子供たちも御年27歳と25歳。

プレゼントを天井から吊るしたり、それなりに毎年工夫をして楽しかった。 自分の子供のころのクリスマス?あまり記憶にないな… 岩手には、サンタが居なかったのかも…(笑)ケーキ?とんでもない。ケーキ屋なんてそんなもの無いよ。

東京に出てきて初めてのクリスマスの夜。アルバイトでサンドイッチマンかビラくばりをしていた。時給100円だったか…16歳だった。 ケーキを手にして通り過ぎていく人々の群れを、なんとなく羨ましい気分で見ていた光景が記憶に残る。冬物のコートもなかった。とにかく気分も体も寒かった。

あれから○十年。
一通りさまざまな経験を重ね、それなりにクリスマスの夜を過ごしてはきたが最近は「クリスマス?だっけ?もう?」てな感じ。 子供たちもそれぞれの時間を過ごし親父は会社でこんな時間を過ごし…

だが Merry Cristmas!!! はやっぱり Merry Cristmas!!!
でも今年は暦が悪いね、世間はクリスマス本番前の3連休だもの。気分が盛り上がらないよ。 我が社は22日の日曜日が会社の大掃除と忘年会だった。 そして今日のクリスマス、全員が会社か現場にいる。 もっとも、独身者は彼女も彼氏もいないみたいだし(苦笑)それでもMerry Cristmas!!!

2013-12-10
「北島三郎さん」
つい先日、北島三郎さんの紅白勇退の記者会見に立ちあった。不思議な感じがした。 出会いは昭和42年、藤原は16歳だった。46年後のこの日、特別を感じる会見の 場所に居る藤原。時代と時間は、有無を言わせず変化をし、そして過ぎていく。

昨日、五木ひろしさんと作曲家の弦哲也さんが出演する元日用の番組の収録をした。 五木さんと弦さんがふたりでギターを弾いていたのだが、弦さんがおもむろにこう言った。 「藤原さんがベースを弾けばいいのに」

そうか、彼は知っていたんだっけ。北島さんのバックバンドでベースを弾いていたことを…

北島さんは引退ではない。だが、終着駅が目線に入ってきたのは事実だ。感慨深い。 東京に出て、初めて身近で見たスター歌手だった。 バックバンドだから、いつも北島さんの背中を見ていることになる。 「いつか正面から、堂々とあの人と向き合い、話をしたい…」

今の仕事をはじめて、その思いは遂げられることになる。 もう何本も北島さんの番組を創った。ある番組で司会者を頼んだことがある。他にもいろいろ。 「お前だけだ、あれやれこれやれというのは!」 ロケ先の空港で出迎えたら、愛あるプロレス攻撃を受け周囲の笑いを誘ったこともあった。 真冬の港で、船の先端に乗ってもらって湾内をぐるぐる回って撮影したことも。 そのシーンは結局番組には使わなかったが。

10年ほど前、北島さんの郷里の知内町で、北島さんを囲んでカラオケをやった。 北島ソングを、本人を前にして何曲も歌った。(酔っていたから) 「お前、上手いな」… …「あのころ言ってよ、歌手志望だったんだから!」と独り言。

そんなこんなで、月日は流れ、年末に向け北島さんがらみの番組を創っている。 最近、歌うこともなくなった。あれだけ、歌好きだったのに…

2013-12-04
「笑えねぇよ!」
指が治らない。突き指をして、靭帯を斬ってしまった指だ。板を添えたまま・・・だ。 何かと本当に不便だ。 などと思っていたら、今度は右足の付け根あたりから膝に向かって外側がなんだか痛い! 神経痛だかなんだか知らないが、今度は足に湿布だ。(笑)寒さのせい?歳の??

昨日、往復400キロほどを運転したのだが、車を降りたら足腰が固まってまるでロボット歩き。 笑えねぇよ!

先日整形外科で何気なく張り紙を見ていたら、65歳以上は料金が安くなる、的な文言が… ついこの前までは関係ない話、と思っていたのだが、思わず指折り数え… 笑えねぇよ!

替えズボンを3本ほど買い求めた。結構長めで、モーニングカットで、とかテキパキ注文。 採寸も面倒くさくて適当、ほかのズボンも「合わせておいて」などといたって適当。 今日穿いてみたら、股下が長すぎて、こりゃ駄目だ。
笑えねぇよ!

9日収録に使うスタジオの見積もりが届いた。全体予算がみえていないから、高いと言えば 良いのか、値引きしろ、と言えばよいのか… でも、これはにっこり笑いながら、値引き交渉するんだろうな。
さて、今年も師走だ。この一年に思いを馳せれば…笑えるのか?笑えないのか? 抱える問題が現実的過ぎて、てなことかな。 かなり大きな夢を抱えていたはずの典男君!どこでサボってんの!

寒さが嫌いです。背中が丸くなる気がするから…
雨が嫌いです。言い知れぬ寂しさに重なるから…
酒が好きです。飲むと、幾分気分が軽くなる気がするから…
駄洒落好きです。脳みそ密度が上がる気がするから…

これ、笑える? 笑えねぇよ!

2013年11月

2013-11-25
「お別れの会」
昨日、昨年亡くなった友人のお別れ会があった。
18歳の時の出会いだから長いお付き合いだった。癌で余命宣告を受けてはいたが、彼は時期を待たずに自宅のマンションから跳んだ。 別れも告げずに。

「想い出を語る会」だったから、長い友人という事で一番最初にステージで話すことになった。 想い出が多すぎて、その多くを話せなかったが、彼との別れの区切りにはなった。 69歳で亡くなった彼は、友人であり、時に兄のような、父のような場面もあった。 「変な人」だったが、奥さんに残すものは残し、多分誰にも迷惑をかけない形を整えて、旅立ったのだろう、と容易に想像がつく人だ。

彼は一時期、都内の高級住宅地に住んだ。一度だけお邪魔したことがあるが、立派な家だった。 昨日のお別れの会に、その家の前の持ち主というご婦人が出席されていた。 ステージで思い出を語る友人たちのあとに、各席にいらっしゃる方にマイクが回り始める。 そして、そのご婦人にマイクが回った。 「私が家を売った前の持ち主の○○でございます」のような話から、「私の主人は医者でございまして、あの坂の家と、医院ビルと、他に別荘と土地などもございましていわば相続のために売ろうという事になりまして・・・」 と 想い出と言うより・・・ま、そんな自慢とも思える話が続いた。ここまではいいとして。
マイクが一回りしたところで、そのご婦人は何を思ったのかまたマイクを握った。 「ここには音楽関係の方が多いようですので・・・私は作詞家で・・・」と言い自分の筆名を2度連呼! う~ん・・・・・・・・・・・・(苦笑)
亡くなった彼は多分10年ほどでそこを手放し有明に越したが、正解だと思った。 だって、残された○子ちゃんが、あの高級住宅地のご婦人方に染まったら、付き合い難しいもの(笑)
スキーもテニスも彼から教わった。作曲を始めたきっかけも彼だった。 彼の結婚式の司会をやった。独身時代、熱を出して寝込んでいると聞いて、おかゆを作って 持って行った。彼の作った歌を歌った。番組に観客として出てもらった。 だが、つい自分の自慢になりそうな思い出はいっさい避けたので、あまり話さなかった。

きのう、ベットに入ってから、「土地柄と人種」というテーマを、真面目に考えてしまった(笑)

2013-11-20
「おもいでとは、思い出すこと」
もうすぐ収録の番組台本が、まだ書けないでいる。あと一週間しか無いのにだ。 締め切り前に何日間余裕があっても、いつもこれだ。昔からそうだった。いつもぎりぎりだ。 もちろん、事前にイメージは作るし、展開もそれなりに考えてあるから、始めれば早いのだが、 始めるのが遅い。やってしまえば、楽なのに…

元日の番組だから、よし、オープニングは出演者全員で「一月一日」の合唱で始めよう。 途中で「お雑煮」の試食をやろう、などと仕掛けを考えていき、あとはコメントを書き入れていく。 「一月一日」と関係者に歌のタイトルを伝えても、なかなか伝わらない。 「♪年の初めの 例とて 終わりなき世の めでたさを ~」と歌えば皆納得する。 そういう自分も、あれが「一月一日」というタイトルだったんだ~てな具合だった。 否が応でもこの時期になると、年末年始を一足早く意識しなければならない。

この番組の構成段階でふたつ思い出したことがある。 50年前のヒット曲を取り上げるコーナーの一曲に、「皆の衆」という歌がある。なぜこの歌が 身近に感じるのか…当時「田園ソング」というラジオ番組があり、「今月の歌」という扱いだったと思う。 藤原少年は中学生で、新聞配達をしていた。朝のひと時、各家庭から大きな音量で流れる「田園ソング」が好きだった。 大音量ではないかもしれない。当時は静かな農村地帯だから、普通の音量でも大きいと感じるぐらいよく聞こえたのかもしれない。 ラジオに負けないくらい大きな声で歌いながら新聞配達をしていたことを、懐かしく思い出した。

もう一つは「お雑煮」。 岩手の雑煮の話になった時、「あまり餅が好きではない」と口にして思い出したことがある。 ま、これは貧困と哀れみ的な話だから、やめておこう。

しかし、50年前の歌たちはあまりにも懐かしく、そしてさまざまな思い出に重なる。 「田園ソング」で覚えた歌もたくさんある。当時の友人は、典男と並んで歩きたくない、と言った。 どこでも、大きな声で歌うものだから、恥ずかしくて嫌だ、と言われた気がする。 その友人か忘れたが、一緒に映画を観に行ったら、誰よりもでかい声で笑うものだから、 その帰り道、「みんなが振り返って見たりするから恥ずかしい!」と言われた。
あれもこれも、もう50年前なのだ…
今朝、思ったことがある。このままではただの年寄になる。
歳とったね…藤原さんも…
こんなことは言われたくない。そう思ったのだ!
が … … なかなかエンジンがかからない。

2013-11-16
「リーダーシップ」
自分の力量を知ったつもりで、その力量のなかで活動している限り、リーダーにはなれない。 リーダーは、資質を伴うとともに「力量の限界を超えなくててはならない」・・・のようなことをETVで放送していた「リーダーシップ白熱教室」の中で言っていた。
久しぶりにテレビに熱中し、思わずその言葉をメモしたよ。
エンターテイメント系の番組を作っていると、どんなにこだわって創っても、視聴者は「ながら観」なんだろうな、と思ってしまうことがある。 ご飯食べながら…ビール飲みながら…片付けモノをしながら…トイレに立っちゃう…とか。 あの映像にあんなにこだわったのに!あのコメントを何度も書き換えたのに! そんな部分に限って結果的に誰も評価してくれなかったとか。 テレビだから仕方がないよな…と思いながら、でもメモを片手に観る番組もあるよな… などと思った番組であり、昨晩だった。

そういえばかなり昔、音楽をやっていたころだ。友人のペンションかなんかの集まりで、藤原が作詞した「歌」を有線放送でリクエスト、みんなで聴こうという事になった。
誰かが「あと7曲目ですって」のようなことを言い、「楽しみ!」みたいなことを言いながら待った。 だが、曲が始まった頃には宴会になっており、誰も聴いていなかった(笑) モノを創る、その創り手になることはできるが、結果を喜ぶことができる、なんて本当にまれなことだよな。

今日は厚いセーターにふわふわダウンのような重装備で出かけて来たのに着こむと暑い! 昨日、一昨日、あんなに寒かったじゃないか! やれやれ、どうも「外す」なぁ ~ でも、暖かくていい天気だから、好きだなこんな日。

「力量の限界を超えなくてはいけない」

難しい注文かもしれない…し、当然かもしれない…し
でも、刺激的な番組だったな、僕には。

2013-11-12
「突き指」
もう3週間ほど前になるのだが、激しく右手の中指を突いた。 左手の指の骨折の経験があるから、骨折ではない、と自己判断。 それは正しかったのだが3週間たっても腫れがひかない…ので、昨日整形外科に出向いたら、靭帯が切れていて、出血の腫れだ、などと言われ…今更、大げさな金具のようなものを指にはめられた…3週間もたっているのに。 早く行けばよかった。

今日も病院に行ってきたのだが、外は寒いし、薄暗くなってきたし、一人で行くのは嫌だなぁ…でどうしたか?社員を二人「連行」したのだ。 自分の都合でお供をさせるなんて横暴!・? 違う違う、インフルエンザの予防接種に強引に連れて行ったのだ。 藤原は2日の日に早々と済ませたので、社員に接種の号令をかけたのだが、なかなか行かない。
毎年社員の予防接種を完了させるのに苦労する。インフルエンザに対して緊張感がないから、グズグズしていてなかなか行かないのだ。 だから、藤原が病院に行くついでに「連行」となった。 予防接種を「社長命令」としてあるのだが、どうも最近「命令」の効果が薄いようだ。 これで社内の5人が完了!あと半分だ。 やれやれ、こんなことでイラつくから、突き指したりするのだ!!!とここは人のせいにしておこう。

かなり酔っていて、自宅の階段でこけた。手に持っていた衣類を踏んで前のめり、痛かった~ 病院の先生も、かなり激しく突いたでしょ、と言ってたぐらいだから。
怪我をしたり、車をこすったり、そんなときは精神が不安定な時が多い。 「突き指」で済んでよかったってことだ。 大難が中難に、中難が小難に、そして小難が無難に、と願うとするか。

ああ、ペンが持ちにくい、ズボンの右ポケットに入れた小銭がとれない、ハンドル周りのあれこれに指の金具があたる、人差し指だけでキーボードを打つから、指の疲労・・・
(これ、笑いながら書いてんだけどね)

2013年10月

2013-10-31
「国立(くにたち)と田中ちゃん」
国立駅までは思っていたより結構遠かった。渋谷から乗り、新宿で乗り換えて国立へ。 何十年ぶりだろうか、国立駅に降り立ったのは。

昭和41年に、すぐ隣街にある「精神病院」に勤めていたことがあるから、昔の特徴的な駅舎は記憶がある。現在の駅は、その面影すらないけれど。 駅前から続く直線の道路は、その昔滑走路だったんだそうだ。そういえば真っ直ぐで長い。(長かった) 今どうなっているのか、見てこなかったが。
国立のどこかに、NHKの通信学園のようなものがあって、書類をもらいに行った記憶がある。 書類に健康診断書が必要と書かれてあり、300円程度が必要だった気がするが、その300円を躊躇しているあいだに時は過ぎ、結局通信教育を放棄した。
なぜ、国立まで行ったか?ここでようやく田中ちゃんが登場する。主治医の田中ちゃんだ。 彼の職場となる病院や住まいが、むこう方面で、「おいしい和食の店!」に招待されたからが、前にも「田中ちゃん」の事は書いたから、その2となる。 月一出張主治医とはなぜか気分が融合できる、そんな気がする。彼がどう思っているかは知らないけれど(笑)。
手作り創作料理だった。美味しかったし、雰囲気もいいものだから、なんと4時間もいた(ようだ)。 問題は、「田中ちゃん」があまり飲めないのに、藤原が飲み続けたことだ。そして、 今日の二日酔い。焼酎のあとに〆のつもりで飲んだ日本酒がいけなかったかな・・・

今朝、娘に、「酔っ払い!」と言われた。わかっちゃいるのに、また呑べぇの醜態をみせたのか・・・ さんざん不摂生をして、その主治医である「田中ちゃん」に土曜日、薬をもらいに行く。 主治医付きの「痛飲」と言うことで、飲み過ぎの反省は後回しにするか。
でも、お医者様の友人、知人がいるということは どこかに安心感がある。
ありがとう!そして、ごちそうになってしまった。ひとの勘定で飲みすぎてしまった。すまない!

2013-10-25
「7億円」
年末には7億円を手に入れる予定だから、きっとルンルン気分で正月を迎えられるんだ。 7億円もの現金をどう使おうかな…特別欲しいものないし、でも何かに使うんだよなぁ… スタッフAに7億入るから、100万円あげる、Bには30万円あげる、息子と娘には3万円ずつで… といったらスタッフの「ドケチ!」という言葉を期待したのに「ありがとうございます」と言われてしまって、大ぼらお楽しみタイムはあえなく撃沈!!! 7億か、でも、買わなきゃ当たらないよね。今年は買うか、少しは夢を見られる。

先日久々に徹夜をした。現場を出たのが朝7時40分ごろで、ベットに入ったのが9時ごろかな。 でも、結局2時間ほどしか眠ることができなかった。あぁ、しんどかった。 よーし、7億入ればこんな暮らししなくて済むぞ!とまだいう藤原。今年は買う!(笑)

スタッフのWがあまりに頑張るから、頑張りのご褒美に何か買ってあげなきゃね、と言ったら、「みんなも頑張っていますから」と言われてしまった。 これも、あえなく撃沈。 ちーっとみんな、まじめ過ぎるんじゃない、ちょっとぐらい弾けてぴょんぴょんしてよ!

娘が明日誕生日だから、今朝娘に「何か欲しいものがあったら買ってあげようか?」と言ったが特に何が欲しいとも言われなかった。ここでも、撃沈。

結局、7億を手にしても、大した使い道は無いのだ。(笑)

あれとあれと、それとこれ、ぐらい厄介な問題を抱えているのだが、逆に人前でテンションが上がる。 ま、そうでもしなければ、自分が撃沈、となるのも嫌だしね。 だから、また7億円の話に戻るのだが、宝くじは昔から結構夢を見られる。夢を見るというより、楽しい時間を作れる、ということかな。 この想像タイムは結構いいよ。 売り出しがいつからかは知らないが、前後賞合わせて7億円という新聞記事は読んだ。 よーし、俺のものだ。(笑・笑・笑) ほら、楽しい時間が作れた。

2013-10-21
「遠くへ行きたい」
同じ空の青さなのに、なんで空に秋を感じるのだろう。
雲の色だって同じなのに。
太陽光線の強弱のせいか?それとも、蝉が鳴いていないせいか? いずれにせよ、気温は下がり、夕暮れの時間が早くなり、木々もそれぞれ秋色だ。

昨日は久々に熱っぽく、腹の薬や風邪薬やいろいろ飲んだら次は胃痛で胃薬だった。 そんな中、身体に鞭打って編集に顔を出したのだが、スタッフも胃痛で苦しんでいた。 もう一人は何日も同じTシャツを着ていた気がする。上着もなく靴下の替えもなく。 つまり、何日も編集室に閉じこもりってわけだ。
仕事とはいえ、「ご苦労様」だけでは終われない、重苦しい場所と化してるね、「番組作り」。 彼らや彼女たちに、「笑顔だらけ」の時間をどうしたら提供できるんだか。 社内会議でいつも苦言を呈している社長だが、時々本気でみんなが気の毒に思えてくる。
そんなこんなで、少しばかり「どこかへ出かけたい病」が始まりかけている。
思いっきり、遠くへ行きたいなぁ…

今書いている台本の締め切りをスタッフに聞いたら、今日中とは言われなかった。 ということは、明日でもいいってことか?などと一瞬思ったとたん、明日回し!となる。 30秒分は書いた。今日は他の番組のナレーションも時間内にやったし、と言い訳が勝つ。
あぁ 遠くへいきたい。

もがき苦しんでいるスタッフの顔など忘れ、さっさと一人でどこかへ!(ははは)

外ではサイレンが鳴り響いている。社内では懐かしい「ウナ・セラ・ディ東京」がかかっている。 種々雑多、人それぞれ、秋の景色も一色とはいかないようだ。 「ウナ・セラ・ディ東京」は前回の東京オリンピックの年、昭和39年に流行った歌だ。 そしてみんなが「明日があるさ」と歌った。これも39年の歌だ。 「遠くへ行きたい」?これは何年に流行った歌だっけ?。

2013-10-15
「家族の光景」
一月ほど前、「有意義な親父を巡る旅だった」という文言で結ばれたメールが息子から来た。 唐突に、岩手の盛岡にある墓参りに行ったらしい。その帰り、唯一の母校である中学校に寄ったとある。 藤原が通った中学は移転し、校舎はいま取り壊し中と聞いていた。
メールには、父親の通った学校だからと工事関係者に伝え、無理に入れてもらったとあった。 そして、「藤原典男ごっこ」をした、とも書いてあった。
設定は、裏番長と言われていた典男が、ホームルームに遅刻する、というものだそうだ。 校庭を、校舎に向かって走ったのだろう。28歳になる息子は「楽しかった」とも書いてあった。

一人暮らしをしている息子とは、あれから何度か会っているのだが、このことを話題にしたことはない。 なんとなく、話題にしにくいのだ。照れてるわけではないが。 逆だな、話題にしたら、おれは泣くかもしれない・・・

娘のことは、何度もここに書いてきた。娘のことは話題にしやすく、書きやすい。 だが、なぜか、いや自然なのかもしれないが、息子のことを話題にするのは妙に気恥ずかしい。

自分の中で、親子や家族をテーマに考えることが多くなってきた気がする。 親の介護が現実になったせいだろうが、「人としての幸せ」も自分のテーマになってきた。

今日、スタッフはスタジオで森山良子さんの番組を収録している。 その森山さんの歌の中に「家族写真」という歌がある。松井五郎氏の作詞だが、素敵な詞だ。 ある意味、家族という形に失望して15歳で上京した自分が、しみじみ家族の光景を想う… なんて、・・・なんてね。

収録で皆留守だから、今日は、一人会社で28日収録分の他局の構成台本を書いている。 くたびれたから、中休みでここに来た。 外は雨。今夜から台風らしい。さて、彼らの弁当でも注文するとしよう。
「家族写真」か…

2013-10-11
「海老や~」
なんという種類か知らないが、我が家には愛犬のほかに「愛海老」がいる。 最初はシラスのように小さかったが、脱皮を繰り返し、随分とたくましく成長した。 指を水槽に入れると、ワシの指を餌と間違えるのか、食いついてくる。可愛い。 海老に声が振動して伝わるのだろうか?声をかけると、住処の中から出てくるのだ。 ほんとだよ。



海老を可愛いなどと思ったのは初めてだ。

20センチぐらいに育ったら食ってやる!と言っているのだが、情が移ってむりかなぁ……

突然だが、社員食堂を作ろうと思う。どこに?残念ながら社内にはスペースが無いからこのビルのすぐそばの地下に造ろうと思う。 物件と調理師などは確保した。メニューやテーブルなどもそこそこ揃っている。 あとの問題は、利用方法だけだなぁ…

名前はなんとしようかな。アズ別館食堂。いやいや アズ別館レストランかな。名前は何でもいい。 で、場所は?ははは、目の前にある渋谷公会堂の地下にある食堂を、アズ社員食堂と勝手に呼ぶのだ。

この場所で会社をはじめて20年になるが、目の前の区役所の下に大きな食堂のあることを今日初めて知った。 近いし、安いし、勝手に社員食堂にしようと思ったわけだが(笑) 因みに、メニューを少しリサーチしてきたが、エビ料理はなかった。 最高680円で290円からメニューがあった。 次から社員をランチに誘うときは、ここだ。
なんたって安いし、エビ料理がないし。

2013-10-07
「東京人のいらつき」
地方で運転したあと、東京に戻り運転すると、そのあまりの違いに今更ながら驚くことがある。 東京はイライラして運転している人間がいかに多いか、ということ。せっかちとか危険とか。 昨日も、北国からもどり羽田から首都高に乗ったとたん、暴走車が脇をすり抜けて行った。 続いて、右車線へ出た途端激しいクラクションとともに黒塗りのでかい車がすり抜けて行った。

どうしてみんなそんなにイライラしているの?と思わず口に出したほど。彼らはイラついている。 走り方が偉そうで横暴(笑) ま、若い頃は「右に同じ」的な部分は藤原にもあったが。

ドライバーの余裕と言う意味で感心したのはハワイ。ここはいい。知っている範囲ではね。 歩行者が見えると、ドライバーは本当にのんびり待っている。マナーと余裕を感じる。 沖縄も、車の運転に関してはあまりドライバーのイラつきを感じない。 暖かな土地柄と、東京のような瞬間的に暑い地域とは違うんだな、きっと。 それから、地方へ出かけたとき、のんびりと流れていく時間や環境を見る度に思うのは、 誰でも、どこでも、「同じ時間が流れていくんだなぁ」 ということ。 あくせくしても、のんびりしても、イライラしても、過ぎていく時間は同じだ、ということだ。 東京の豊かさや便利さなどとの引き替えに手に入れたものは、「失った心の余裕」なのかね。

かと言って余裕を求めて東京を離れて暮らすことができるか?これはあまり自信がないな。 なぜ?う~ん、せっかちだから。

さて、今日からまた一週間の始まりだ。いつものように新しい「花」が届き、仕事のあれこれを思うとき、 どこかにイライラを抱えている自分に気づく。 仕事をしたいのだが、エンジンがかからない。 これに関してはちっともせっかちではない。 いつものことだが、出だしが遅いのだ。
それに「イライラ」してるってか。

2013年9月

2013-09-19
「酒を想う」
最近酒量が随分減った気がする。なかなか酔わなくて、飲むのに飽きてしまう、てな感じ。 ハシゴもしなければ、もちろん泥酔もしないし、酔っ払いになれない酒は途中で嫌になるし。 夜中12時前に帰るやつは「ただの爺だ」と思っていたのはつい最近のような気がするのだが、12時過ぎてもまだ飲む、なんてことはとんとなくなってしまった。

だが、やはり毎日飲む。ただの惰性で飲んでるな、と思うことがある。
勢いがなぁ 勢いが欲しいよ(笑)

今日は収録で社内には誰もいない。現場はスタッフに任せるようにしているから俺は会社。 これがまた苦痛(笑)現場で仕切りたいタイプだから、じっとしていることが苦痛なのだ。 走り回って、怒鳴りまくって、大声出していたら、きっと酒も美味いんだろうが。 が、いつまでもそうはいかない … と自分に言い聞かせて … … いる。

先日、三浦しおん の「船を編む」を読んだ。旅にも行かずに結構速いペースで読んだのだが毎日深酒をしていたら読み切れなかったよなぁ。 あぁ 毎日毎晩ベロベロに酔っぱらっていたあの頃が懐かしい。

酒にまかせて悪いことも沢山したし。若気の至り、で済ませた悪行の数々!か (笑) 今更、若気の至りなどと、口が裂けても言えないし。 渋谷駅の近くの246にかかる歩道橋の上から、走って来る車めがけて小便した話、 先日久々に思い出した。 み~んな、若さと酒がストーリーを作った。
さて、スタジオに顔を出すとするか。

2013-09-08
「緊張」
オリンピック招致の結果が午前5時。
気にしながらベットに入ったのだが、今朝は4時25分に目が覚めた。
パソコンのテレビをつけたら、すでにカウントダウンが始まっている。
テレビ画面の中に居る人たちの緊張が伝わってくる。
観ているほうも緊張する。結局朝6時まで観てしまった。
駄目だったら、現地の彼らや彼女たちは、どんなコメントを用意しているのだろう… 背広の着こなしがどうも今一つと感じる猪瀬都知事はどんな弁明をするのだろう… プレゼンの様子も視聴していたから、大丈夫、とは思いつつも「駄目」な場合のほうに思考が行く…

先に「駄目な場合」を用意している思考回路のなんと脆弱なことか。

結果が発表されたその瞬間、画面の中の人たちと同じように、涙腺が緩んでしまった。 オリンピックか・・・あれからもう、50年にもなるのだ・・・ 初めて東京の街を目にしたその日、首都高速道路は建設中で、高いところに出来る道路に驚いた。 誕生日前なら、まだ13歳だったかもしれない。 その後14歳で一度家出をして上京し、結局15歳で東京に出てくるのだが。

昨夜はオリンピック関連の緊張の前に、もうひとつの緊張の瞬間があった。 娘が来春から就職する会社の研修で、アクセサリーやらバッグを販売する店舗に行っている。 早めの夕食で一本飲んでしまったワインの力を借りて、店舗がある某デパートに行ってみることに。 「遠くからちょっと様子を見るだけ・・・」のつもりが結局顔を合わすことになってしまった。 店のスタッフは「ピンクの上着を着た変なおじさんが居ると思った」と言ったとか言わないとか。

この時もなぜか「緊張」した。あとで娘にこうメールした。「ごめんね、ごめんなさい」。 「超過保護キャラ」と返信があったのだが、怒りのマークも、笑いのマークもなかったから、 父は「緊張」のまんま(笑)

招致の結果発表を待つスタジオの彼らや彼女らは、入試の結果を待つみたい、と何度も言った。 入試の経験が無い(笑)藤原はいちいちコメントに反応しながら、でも、やはり同じように緊張をした。 そして今日は、スタッフは皆外部仕事だから、誰もいない会社で一人、緊張から逃れている。

2013-09-05
「オリンピック」
東京オリンピックのあの時、中学2年生だった。
国道4号線を聖火が東京に向かい、我が矢巾村を通る区間で、伴走者グループの一員として走ったっけ。 あの頃、東京は遠い遠い都会だった。 2020年、またあのオリンピックを、この東京で見ることができるのだろうか。決まればいいね。

東京オリンピックが始まる直前、村中の電気屋(広い村だったので何件かあった)を回り、学校にテレビを貸してくれ、と一人で交渉に回った。 一件の電気屋だけ、学校にテレビを貸してくれた。 もちろん藤原のクラスに設置されたのだが、他のクラスのみんなに教室を入れ替わり立ち代わり明け渡したっけ。 なんで自分のクラスに設置することが許されたのか…今じゃきっと考えられない事だよね。いい時代だった。

本当にいい時代を生きてきたと思う。人々の人間関係にはぬくもりがあったし、歌で泣けた時代だ。 洗濯機や冷蔵庫に感動し、テレビにあこがれ、スターは雲の上の人で本当のスターだった。 モノの不足が次の希望に向かい、豊かさや「次」を求めることに知恵や工夫が活かされた。 思えば、ありがたい時代を生き、そのおかげでさまざまを経験できたのだ、とつくづく思う。

次の「東京オリンピック」の体験は、時代を比較体験できるは最適なイベンだと思う。招致できたら…
2020年でも、俺は幾つになっているのかな…などと年齢を心配してしまうのは俺だけか? 次回になってしまったら、俺は元気なままで存在しているのだろうか…などと思うのは俺だけか? 俺より少し上の世代は、東京オリンピックは「生きている間に…」になってしまう(笑)

スポーツには、無条件で感動場面に出会える力と魅力がある。 中学生だったあの時のオリンピック、自宅にテレビなどなかった。感動はやや遠くにあった。 今でも藤原はスポーツ音痴だし、詳しくもなく、ルールも知らないが、感動はできる。

「東京五輪音頭」の替わりの歌と音楽は、どんなサウンドで、誰が歌うんだろうね。 

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「過去ブログ 平成25年8月~平成18年」

        
「小説」

「信長の棺」を買ったのは3月だったか4月だったか…上巻は比較的早くすらすら読んだのだが
下巻に時間がかかった。昨夜、11時ごろベットに入ったのだが、残りを読んでしまおうと思って読み始めたら、読み終えたのは結局午前2時半ごろ。
いつもは数ページ読んで眠くなるから、そのつもりで読み始めたのだが、結局読み切った。
後半が面白かったのだ。信長は結局どこで果てたのか、亡骸はどこに行ったのか・・・ ・・・

そして、何がすごいかと言うと、作者がこの小説を書いたのが75歳で、これが初めての小説、だということ。小説の処女作が75歳だって…しかも長編で、どこかにエンターテイメント性も感じる。
時間がかかったのは、藤原があまり歴史小説好きではないのかもしれないが、小説は面白かった。

小説家の頭の中を覗いてみたい、と思うことがある。どこからどんなふうにあんなストーリー展開が創り出され、物語が出来ちゃうのだろうか…本当に小説家は天才だと思う。
藤原の創作頭脳が1だとしたら彼らは100だな、などと本気で思う。
ま、小説家にはならないし、なれないから、いいとして。

さっき知人とお喫茶店で茶を飲みながら、文学の話になった。彼は思春期のころ「太宰治」は女々しくて嫌いだった、と言った。藤原はどこかかっこつけたくて太宰治を読んでた、と言った。
思春期を取り巻いた数々の歌や音楽のように、文学もあったよな…思春期なりの。

で、75歳での小説処女作だよ。改めて感服。

このところ、じっとしているとイライラするし、でも何かをしようとすると「気力崩壊」を感じる。
男の更年期障害、などとわかりきった理屈とも葛藤するのだが、何事もスタートするのに時間がかかる気がする。せっかちで貧乏性の藤原には似合わないのだ(笑)

こんな時、藤原が次に手にする小説は、何なんだろうね。読みたくて買いに行った小説なんて無いから。

(平成25年8月26日)

「旅の徒然」

海外の旅先からロシアの友人にこうメールした。

今度の旅で読もうと思って買ったのは「東野圭吾」の小説です。今まで彼の作品を読んだことは
無いけど、作者の名前は知っていたから。空港の売店で買ったけど、他にめぼしい作品が無かったから、・・・のようなメール。

すぐ返信がきた。
東野圭吾(ヒガシノケイゴ)ですね。知っています。推理小説ですね。私も推理小説大好きです。

ははは、ヒガシノケイゴと読むんだ。ワシは《トオノケイゴ》だと思ってたよ。推理小説?知らなかったよ。
遠いロシアの友人から教わった!ロシアの友人はロシア人・・・と言う話。 頑張って読み切ったけど。
因みにタイトルは「片思い」・・・    確かに推理小説だったよ。

その旅先で、初めてひどい下痢と高熱。原因は多分、現地で買い食いしたソーセージかな。
ホテルの医務室みたいなところに電話をしたら、3人もの女性が体温計を持って部屋にきた。 測ったら38度5分。
解熱剤をもらいとにかく汗をかく努力をしたら帰国日にはなんとか回復、ちょっとしんどかった。
いつもは バファリンのような薬を必ず持っていくのに、今回はなぜかすべて無防備。そんなもんだ。フロントに、すこし日本語のわかるスタッフがいて、よかった。

旅先の街の光景だが、つい最近この交差点に信号機ができた。
だが、横断歩道はバイクのためにある。(笑) もっと沢山止まっていることが多い。
 
そして、かわいらしいバイクの日傘は夏の定番だ。日本人なら驚く。しかも3人乗りとか4人乗りのバイクも
見かける。もちろん子供2人込み、だが。 
 
ところ変われば・・・だ。町中、バイクのクラクション?ピーピー ピーピー 一日中鳴っている。
まるで口笛でも吹くように。なんでそこで鳴らすの?訳もなく、と言う感じ。バスなどもよく鳴らす。
あれが騒音に聞こえないのであれば、やっぱり、口笛のかわりだ。
 
(平成25年8月19日)

「8月13日」

新宿末広亭に行ってきた。誰と?もちろん娘と二人で!。「 圓馬 」さんぐらいかな、良く笑えたのは。
そのあと、カミさんと娘の彼氏たら、と合流して焼肉屋に行った。あまり酔えないから、最後に日本酒の熱燗を頼んだのだが、馴染みの店員の女子がオラにこう言った。「やきもちですか?」・・・ ・・・ ・・・ ・・・

娘と並んで座っているのは「彼氏たら」だし、ははは、笑いで誤魔化したが。

今日は、昔お世話になった「お坊さん」のお宅に伺い、線香をあげてきた。
「観音様に手を合わせに行った」と言うほうがが正しいかな。久々でいい気持ちだ。
今思い出してもすごく力のある「お坊さん」だった。能力というか、霊力というか、仏力というか。
感謝の想いを忘れそうになると、家の中に変化が起こり始めるのだ。
我が家で線香をたく、などということはないのに、家のある場所で「線香」の匂いがすることがある。
居間でみんなでいると「チーン」と鈴のような音がすることもある。家族がみんなで聞くから、びっくりする。

こんなことは序の口だが、一時期家を留守にすると「セコム」が来てしまう時期があった。同じ場所を
誰かが横切る現象があるのだそうだ。観葉植物の葉っぱが揺れたの?などと真面目に考えてしまった。 犬が動き回るわけでもないし・・・
もちろん、その先生が亡くなってからの事だが、本気で家の中で「先生?」と呼びかけてしまったほどだ。

さまざまなエネルギーが存在することは、経験上も身を以て知っているのだが、理解不能な現象を感じることもある。ま、あれもこれもそれも、いいってことで。

会社はまるで開店休業のように静かだ。夏休みのスタッフや、仕事のために一日中ヘッドフォンで音楽を聴いているスタッフなど、会話もない会社だから・・・うーん、やだなこの感じ、ってな感じ。。。

さて、今日はまだ火曜日。夏休みで「デスク」不在のこの一週間を、どう乗り切るかね。
あ~あ、現場の仕事がしたい。(現場を、社長が自らやっちゃダメ、といわれたばかりなのだが・・・)。

(平成25年8月13日)

「ドラセナサンデリアーナ」

「幸せの竹」とか「ラッキーバンブー」と呼ばれているそうだが、正式には「ドラセナサンデリアーナ」だと。
4月に友人からいただいて、社員のほうの部屋に置いていたのだが、藤原が意識した時は(無残)だった。
長い間水をやっていなかった感じ。社長室の部屋花は、皆仕事として、気遣ってくれるのだが・・・ ・・・

土曜日に会社の来たのは、この「ドラセナサンデリアーナ」のためだった。栄養剤もあたえ、鉢も替えたが、今朝みたら、やはり元気がない。さっきもう一回り大きな鉢に植え替えてみた。これでだめだったら、「ドラセナサンデリアーナ」よ、ごめんなさいだ。

室内の観葉植物は、室内のエネルギーに実に敏感だ。びっくりすることが何度もあった。
取引先の知人の退職の日、その方にいただいて10数年育てた観葉植物が、音を立てて折れて終わった・・・  うつ病の薬を一年間飲んでいた時期、藤原の部屋に新たに置いた「植物」は皆 育たなかった。すぐ、萎れるのだ

インタビューでいろいろな事務所やプロダクションを訪ねる機会があったが、「植物を枯らしたまま」だった会社は、発展していないか、存在が無くなった。この状況と状態は、結構インパクトがある。

社員の部屋に置いた「幸せの竹」は油断してしまった。誰かの、弱いエネルギーと共鳴したので無ければいいが・・・などと気になってしまう。
大きかろうが小さかろうが、多分どこの経営者もいろんなことを気にしながら仕事をしている。

何かを学ぶとき、もしくは何かを始めるとき、学習も大事だが、その案件が好きか嫌いか、が一番重要な気がする。いや、好きか嫌いかではないな・・・重要なのは「まず好きになること」だな。
「好きになること」が出来なければ、あとは屁のような努力あるのみだ。

今日は何か理屈っぽい?よな。昨日からなぜかイライラ感が抜けない。
暑さのせいにしておこう。そうだ、娘からこんなメールがあった。
「寄席に行くとき連れてって!」。いくらなんでも、こんなメールの時はイライラを忘れる。 「久しぶりに、父のブログ読んだ」、だって。・・・ ほんとに一緒に行く気かな・・・ ・・・

(平成25年8月5日)

「カラスにハイター」

昨日、ベランダの花を植え替えた。ハイビスカスが綺麗だったから二株植えた。それぞれ二つの大輪。
3段の花壇にしてあるので、ハイビスカスを一番上に植えて満足していたのだが・・・
今日、それぞれ一輪ずつが無残に落ちていた。またカラスだ。よくカラスが花を突きにやって来る。あのカラス!ハイビスカスを狙う「ハイ・ブス・カス!」だ!  これ、あんまりおもしろくないね。

月曜日に入れ替わる今週の室内の花はユリ。もう木曜なのに、半分がつぼみのままだ。
このまま、週末誰にも見られず美しさが終わっていくのは、もったいないなぁと思うほど。こんなことを書いているのだから、今日は暇だ。暇が一番健康に悪い。
更に、昨日が月末と言うことで、帳簿をチェックしたものだから、精神的衛生上「暇」は尚健康に悪い。 花の存在など、忘れているぐらいが丁度いいのだが。

今日、久しぶりで音楽制作の打合わせをした。
「う~ん、音の立ち上がりと減衰が機械的」「せせらぎの中に時々小さなショックのような音、次を待つ感じ」
「ストーリーが全体ではなくて、2小節ぐらいいい顔のアップを見ている感じをメロディーで・・・」
「サウンド主体ではなくそこだけは旋律重視かな・・・」などなど、藤原はイメージを言いまくるのである。
作曲家は、「わかる、わかる、わかります」と言いながら 文字のメモと、五線にメロディーを書き込んでいく。
こういう打合わせ大好き。藤原はやっぱり現場の人間なんだなぁとつくづく思う瞬間でもある。だけど、社長業だし・・・ ・・・。

この作曲家は、とても人間的で大好きだが、彼は時々「あの人は結構変わり者だから」と口にする。
その都度藤原は大声で笑う。「貴方が変わり者でしょ!」。今日はあんまり認めていなかったみたい(笑)
それと、約束の時間に少し遅れると「今、アイスクリーム買ってます」とか「コーヒー買っていきます」と
電話をくれる。これが、約束の時間前だったことはない、多分。(笑)

今まで、「人間大好き」と言い続けてきたが、やっぱり好きと嫌いは両方存在する。
だけど、憎めなかったり可愛かったり、仕方がないか・・・も含めて「いいやつ」とは仲良くしていきたいな。
大概は許せてしまうし。

だが、あのカラスだけは許せない。今度見かけたら「ハイター」=(漂白剤)で白くしてやる。

(平成25年8月1日)

 
「・・・ ってか」

蝉の声が夏を告げているのか、夏の終わりを告げているのか、もたもたしていると季節は移ろう。
7月は半月ほど会社に居なかったのだが、長い7月だったのか短い7月だったのか・・・だが、終わる。

4月に92才になる母親が脳梗塞で倒れ、介護がはじまったが、これは終わりそうもない。
何を長く感じて、何を短く感じるのか、やれやれ・・・ってか。

世間的には3人兄弟なのだが戸籍上は長男で、自分だけが4人兄妹というややこしい生きざまは たくましさと引き替えに何を失ってきたのかな・・・などと思わぬでもない今日この頃。いいよいいよ、何でもアリだもの・・・ってか。

カネボウの化粧品が騒がれている。自分用のものにカネボウ製品があったので、昨日捨てた。 美白化粧品などとはもちろん関係の無い化粧品だが、捨てた。
何の化粧品?売り場で「アンチエイジング」とか書いてあった気がするが、タダの衝動買い。
「アンチエイジング」という言葉に魅かれただけなのだ(笑)
そうそう、免許証を盗まれたおかげで、再交付した免許の写真は前よりちょっとマシ。
いかに自分の衰えを(美容的に)意識しているかと言うことだ~ ・・・ってか。

油断していると、娘がいつの間にか父の表情を盗み撮りしている。父には、ちゃんと「写真顔」と言うものがあることを知っているから、不意を突いてくる。
時々パソコンや携帯に「天然顔」を添付してくるものだから、現実を知ることになる。
この前の写真なんか、まるで人間顔じゃなかった。あ~あ、ついこの前まで、美少年だった・・・ はずなのに・・・ってか。

笑いが欲しいから、寄席にでも行こうかな、と言う気になる。
あ、そうそう、この前仕事の打ち上げ時に「藤原さんの笑顔が物事を解決させる」的なことを言われた。
嬉しかったから、そのあと一人で馴染みの小料理屋に出向き、濃い焼酎の水割りを2杯飲んだ。
余分だった。。。

さて、こうしている間にも時間は過ぎ、7月は去っていく・・・ってか。

(平成25年7月30日)

「ミャンマースタッフ」

ココ、ニャン、アン、ミャンマーの3人の若者と密度の濃い時間を過ごした。
ミャンマーの新しいテレビ局、MNTVのロケスタッフだが、鹿児島2日間、東京を2日間ロケした。
4日間とも、早朝から夜まで、かなりの強行スケジュールだったが楽しかった。

そして今日は、彼らの一日だけのOFFなので、3人のの希望で鎌倉まで車で行ってきた。
通訳もかねて同行してくれたのは「黒宮ニイナ」ちゃん。藤原は運転手だから一行5人様だ。
鎌倉の「大仏」を見学し、そのあと行ったのは「銭洗い弁財天」、渋い?藤原の案内だが、パワースポットとして理解し、彼らは結構気に入ってくれた。
もちろんそれぞれが素直に「お金」を洗い清め、どこまでも自然体。
彼らは藤原をそれぞれ「オトウサン」「オニイサン」「オジサン」などと覚えたての日本語で呼ぶ。時には「オジイサン」になってしまうこともあるが。

驚いたのは今日の昼食。とある蕎麦屋に入ってそれぞれ丼ぶりものなどを食したのだが、
伝票を持って精算に行ったら、レジ係が「お金はいただいてます」・・・ ・・・ なんで? 三人の若者が先回りをして払ってくれたのだ。伝票は藤原の手元にあるのに・・・

日本人的というか日本の若者にはないというか、この心配り様・・・
ニイナちゃんに聞いたら、ミャンマーではお世話になった方には若者がご馳走する場合もある、とかなんとか・・・年上を敬う精神なのだそうだが、参った。
ありがとう!「オトウサン」嬉しかったよ!

24歳、27歳、29歳と、3人とも20代の若者。ミャンマーのテレビ局はみんな若者なのだそうだ。彼らは明日帰国する。なんか寂しいぜ。

24歳のアンには「ゴリ」さんと愛称をつけてやったら、結構自分んで気に入っているらしいのだ。自分で周りに「ゴリさん」と言っている。ゴリラのゴリさんだから、まずいよな・・・と思っていたら、鎌倉のトンネルの中で「ウフォウフォ」的なことをふざけてやっていたから、一安心。意味が分かってた。多分、愛称としたときにゴリラの事と説明したんだよなぁ・・・きっと。

29歳のココは「小さな古時計」のメロディーが好き。よく歌うから、頭から離れなくてこまる。27歳のニャンは「オトウサン、フェラーリ買って!」ときた。

あ~あ、楽しかった。

(平成25年7月26日)

「スリに完敗!」

今までの人生の中で、普通の人が一般的には経験しないであろう事柄を積みあげてきたつもりだ。
それも多面的に。だが、今回ばかりは、初体験。何を?なんと一日に二度もスリ被害に遭ったのだ。
今でも、間抜けでお人よしを画にかいたような、おバカな日本人(藤原)の姿が目に浮かぶ。。。

とある国のパリと言う街。ロンドンでの娘の卒業式の前に行ってみよう、と言うことで家族で行った。
藤原にとってパリは三度目なのだが、家内だけが初めてだったので知ったかぶりで街案内・・・
<その一 凱旋門にて>
凱旋門の真下で遭遇。これは全く気付かなかった。直前まで娘が僕の後ろ姿の写真を撮っていて、
バッグのチャックがしまっているのが確認できる。
凱旋門の上には明日登ろうか、と言って進路を替えたら、娘が「あっ!バックが開いている!」 見事に財布だけが無くなっていた。
警察に出向き盗難届を出すことになるのだが、警察はスリ被害届に慣れており、実に事務的。 娘が英語でやり取り。藤原一人なら、被害届を出すこともできなかったと思う。
少し遅れてやはりスリ被害に遭った日本女性が来署。
カナダに留学している娘さんで、一人旅の途中、パリに着いた途端やられたそうだ。
パスポートも携帯も何もかも。
「途中で何人かの日本人らしい人に携帯を貸してほしいと頼んだのですが無視されました…」
気が緩んだのか涙をこぼしながら話しかけてきた。
留学生の娘を持つ身、思わず「いいよこの携帯使って!」
彼女は盗難に遭ったカードを止めるためにカード会社に電話をかけ始めた。最後に「あとはカナダ
のカードだけです・・・」とまぁここまでおよそ、携帯で話すこと40分ほど。じっと待つ・・・(苦笑)
ポケットにあった20ユーロを渡して「大使館までの交通費にして」とまぁ、かっこよかったのだが。その後がかっこ悪すぎ。

<その二 地下鉄で>
これはもう完敗。若い女性4人組。だんだん腹立たしくなってきて書くのが嫌になってきた(笑)
しかし、その4人の少女たちの連係プレイは見事なものだった。見事な演技。
財布が無いのに、何をスラれた?
ちゃんとスラれたのだ。トラベラーズチェック3,200ドル分。しかも無記名。番号控えなし。再発行かなわず。
そして、午前中に手にした「盗難被害届」・・・ ・・・ ・・・

また警察に行った。「すみません、被害届の再発行お願いします。そして新たに被害届を・・・」
相手の女性警察官はかなりぞんざいな態度で、娘が涙を浮かべて抗議してたっけ。
あぁ なんと間抜けな藤原君。ホテルへの帰路、悔しさをにじませながらも、あまりにもお人よしな自分を
振り返り、「笑う」しかなかったのだ。貴重すぎる経験をした。

子どもだと思ってつい油断してしまうが、パリでは子供のスリが多いらしい。
二日後、ロンドンに向かう駅の待合室で、フランス語を聞くだけでイライラしている自分に気づく。
明日は、免許証の再交付に行って来なくちゃ。それで終わり!待てよ、届いていない再発行のカードがある。
カードが届いたら、それで終わりだ!!!あぁぁぁぁぁ スリに乾杯!違う違う、完敗!だ。

(平成25年7月23日)

 
「無題なればこそ」

明日からちっと遠出をしてくる。ロンドンからパリを回ってまたロンドンに戻り18日帰国する
予定だ。娘の卒業式だから、ってなことで。
問題はその先。19日の朝早くから鹿児島に向かいロケ。ロケは4日間続く。毎日朝早いし・・・ う~ん、我ながらちょっと心配かな。

机の上がちょっと乱雑だ。長い留守を決め込むので、繰り上げ作業などをしているのだが
もう、イライラしてきた。何か気分転換せねば。

そうそう、最近出会ったタレントさんで、久しぶりにお利口さんで可愛い御嬢さんにあった。ナチュラルっていうか、応援したくなるっていうか、ま、そんなとこ。
黒宮ニイナちゃんという。

16日にミャンマーからロケスタッフが到着する予定だ。19日からのロケは彼らと一緒。
だが、来日時に藤原は不在。きっとロケ初日に「初めまして」と言うことになるのだ。
通訳の浅野さん、よろしくです。ミャンマー語はもちろん、英語もダメだから!ワシ。

息子がフランスのアヴィニョン演劇祭に出演のため渡仏している。
だから、ロンドンに行ったついでに劇場をのぞいてやるか、と言うことになるのだが、
だいぶ強行スケジュールになる。栄養剤携帯だな。

この人年配かなぁと思って話をしていると自分より年下だったりする。「シニアの契約で
働かせてもらってます」というからだいぶ上かな?と思ったらひとつ下だった・・・
藤原は、あまり自覚がないから、生意気でごめんね、みなさん。

社員がこう言った。中村雅俊久々で見たんだけど(テレビ?)社長も若いけど雅俊の
若さはすごい!というから俺まけてる?と聞いたら「負けてる!負けてる!」だと。
デスクに聞いた。「どうすれば?」「う~ん、筋トレですかねぇ」と吐き捨てるように言った。

昨日、テレビの30分の台本を3本書いた。結構長いことキーボードを打っていたら、
人差し指が痛んできた。使いすぎ・・・でもこれって、人差し指だけを多用しているから。
打つのは早いのだが、ピアノの一本指奏法と同じこと、要するに、他の指を使えないのだ。

あぁあぁ~ 筋トレ筋トレ、その気はあるのだが、3日と続いたことがない。

(平成25年7月9日)

 
「長いお付き合いなのだから」

少し濃い色のピンク系のYシャツと白系でピンクが淡くほんの少し混じったネクタイをして鏡をのぞく。よしよし、と納得して白い上着を着て家内と娘のいる二階にあがった。どう?という間もなく、二人が同じ笑いでワシを見た。

あのねぇ、首から上ぐらいしか写らないのよ、なんか変~「くっくっくっ」 てな具合で二人が笑う。
娘は「なんか漫才師みたい!」(漫才師さん、ごめんなさい)
ま、そう言うんなら・・・とおもい上着を着替えに自室へ戻る。今度は薄いブルーを着てみた。
再度二階にあがる。ふたり。「さっきよりはいいみたい」。でも笑っている。
なら、「いつもと同じズボンに替えちゃう」とまた着替えて二階へ行った。三回目。娘が言った 「ようやくいつものおしゃれなパパになった!」

今日、運転免許の更新だった。出かける前の騒ぎだ。いつも免許証の写真がひどすぎるから、 少し作戦を考えて写真に臨もう、という魂胆だったのだ。着るものによって顔の印象も変わるし。「今回こそがっかりしない写真にしてやる!」との意気込みだ。

電車を2回乗り換えて免許試験センターに向かった。(違反があったから)
品川から京浜急行に乗り換えたら、座れた。突然目に飛び込んできた文字が「うんこのちから」。
なぬ?よく見たら「ウコンの力」。変な自分・・・と思いながら笑いをこらえた。
回りがみんな静かでまじめくさった顔をしているから、笑えねぇよ。
(この感じを思い出して顔を作ったら、優しい顔で写真が撮れるかも!)よしよし。

目の検査が終わり、いよいよ写真だ。3年も使うんだからいい顔して写真を撮らなくちゃ!
前の女性が終わり、「次の方どうぞ!赤い点を見てください!」といわれ椅子に座ることに。「もう少し深く腰掛けて!」とおじさん。 「はいはい、ではさっきの笑いの感情を思い出して・・・ あぁ、あの赤い点のことね・・・」と思った瞬間。

「はい、次8番に行ってください!」 「なぬ?撮りますって言えよ!あと一秒余裕をくれよ!」そして、さまざまな工夫や挑戦はあえなく不発で終わったのだ。

藤原はA型で小心者だから、2時間の講習が終わるまでドキドキ。また指名手配犯かよ。
かくして新しい免許は出来上がったのだが、写真?ははは、想像できるでしょ!
「長いお付き合いをよろしく!」ってなことで・・・(おしまい)。

(平成25年6月28日)

「と思うのである」

さて、今日も雨だよ。嫌いだな、雨。でもボクは白いズボンに白い靴。なんで?
若い頃、長い間、夜のお店で「ピアノ弾き」だった時代があった。あの頃は、雨の日はなるべく
明るい色の装いで、というのが常識だった。若い頃に経験した常識は、なかなか変わらないものだ、と思うのである。

今日、藤原さんは個人的には遊び人でいろいろやっているけど、作ったり書かせたりせると なぜか「真面目」の域を出ないね・・・のようなことを言われた(笑)
番組の構成をしていてなのだが、なかなか遊び的要素が入らないからだ。
だって「真面目」なんだもの。と思うのである。

「一生懸命」とか「必死」と言う言葉は似あう気がするのだが、「したたか」とか「ヌカリなさ」などと言う言葉は、俺には似合わないよなぁ・・・見かけと違うよなぁ・・・
と思うのである。

先日若手の社員が、「最近の社長は言う言葉が少し違ってきていると思います。
なんていうか、その(負の連鎖)が社員を無口にさせているような・・・」的なことを言った。
なるほど、と思い当たる節が沢山あるような気がする、というか自分でわかっているのだが。
でもその社員は、いい意味でなのだが、よくぞ面と向かって俺に言ったな!(苦笑)
と思うのである。

さっき息子を含めた3人の若者が会社を訪ねてきた。いろいろ相談に乗っているからなのだが、若いっていいよなぁ・・・ としみじみと しみじみ・・・  と思うのである。

(平成25年6月26日)

「2013年 歌供養」

前にも書いたと思うが、作曲家の船村徹先生が毎年誕生日に開催する歌供養が昨日あった。
埋もれてきた歌たちを供養するとともに、今年物故者になった業界関係者の供養も行われる。
わざわざ栃木の宇都宮から5人の僧侶がきてお経を唱える、神聖な儀式だ。

その後行われる懇親会。こちらは船村先生が壇上で酒とたばこをやりながら弟子たちの歌を聴く・・・など、無礼講気味。5時~歌供養開始で終演は9時近かったから、なかなかたっぷり。
先生は81才になったとのこと。作曲家生活60周年ということだ。
今年が29回目となった会だが、毎年開催されるエネルギーとその「信念的パワー」には
本当に感心させられる。まだまだ、お元気でいてほしいな。

パーティーでの隣の席は54才になる知人だった。今年奥様をなくされているのだが、奥様の儀が一段落した後、膝の痛みに苦しんだ話をしてくれた。で、その膝の痛みを治したのは「整形外科」ではなく、「心療内科」だったとのこと。彼は、こころの問題は、その現象として身体にストレートに現れるのだ、と言うことをしみじみと語った。

「俺もね、先日パソコンのマウスも持てないほど肩が痛んで、肩の周辺が内出血していたんだよ」 「それは何だったんですか?」 「俺の肩の荷が重いんじゃないの(笑)・・・最近は反対の肩にも注射しているし・・・」

で、家に帰って聞いてみた。「家に抗鬱剤あったっけ?」   結局飲まなかったが。
しかし、今日も両肩が痛い。身体も心も、運動不足だ。

歌供養参加者はもちろん船村先生に縁のある方ばかりだから、業界関係者がほとんどだが
平均年齢は当然毎年高くなる。
デビュー50年です、とか、53年前にいただいたあの歌が・・・などと言う会話が普通にでてくる。
「やぁ藤原さん」と声をかけてくださる方が何人もいたが、名前を思い出せない方も何人か居た。
う~ん、最近人様の名前を思い出さないことが多い(苦笑) やべ!

さては、脳みその供養が必要か?2013年「脳供養」。ははは←(これ、わらい)

(平成25年6月13日)

「折れそうなもの」

昨夜、寝っ転がっているワシのそばで、娘が室内運動をしていたから話しかけてみた。
「世界で一番折れやすいものってなに?」と聞いたら即座に娘が答えた。「こころ」。
期待どうりなのだが、もう一度聞いてみた。「じゃ、世界で一番つよいものは?」。娘、「こころ」。

こいつ、父親が何を言ってほしいか、ちゃんと理解しきっている。一枚上手なのかもしれない。

「お前は5年の海外生活で、なんども心が折れていたはずなのに、面と向かっては俺に何も
言わなかったね」。更にワシは続ける。
「ロンドンの壁に穴のあいたアパートのときも、ぱぱは心を痛めたのにお前は強がってた…」
娘が言った。
「だって、そのあとの暮らしがすごく良かったからかまわない…あとの2年は環境もすごく良かったし」。

何度も何度も泣いていたくせに・・・俺は知っている。

で、「折れやすいこころ」の話に戻る。
藤原が気の小さな人間だ、と言うことは自分で知っているのだが、なんでか最近「折れやすい」。
打たれ強かったし、崖っぷちの藤原は自分で感心するぐらいパワーがあった。
ここで過去形になっていることも癪なんだが。 年齢のせいかな。
相手として不足なく戦った男どもが次々と職場という戦場から姿を消していく。
定年という形で。じゃ、おれも勤め人なら定年という年恰好か?
などと考え始めてしまうと、どこかが前向きではなくなってしまうのだ。らしくないのだが。

ここに、息子の話はあまり出てこない。親はどこかで、「男なのだから」と思っている。
だが、男でも女でも「こころ」の葛藤はおなじ。「折れるときもあるよ」。
だからさぁ、だれか藤原を思いっきり空にむけて放り投げてよ!「青空」にね! (笑)

梅雨宣言のあとの東京の空は素晴らしい。毎日青空だもの。好きだよ、青空。。。
週末にはまたひとつ歳を重ねる。折れそうなものの一つに、「足、腰」が入らないように注意!ってか。

(平成25年6月6日)

「5月の完成系」

5月は海外に一度出かけて、2年ぶりのゴルフをして、絵を買い求めて、ほかに何か
あったかな・・・そうそう、田端義夫さんの追悼番組を創ったっけ。刺激の少ない5月だった。

先日久しぶりで「サブ」ちやんと二人きりで話ができた。スタッフの遠慮かどうか知らないが誰も楽屋に入ってこないので、2,30分たっぷり話ができたかな。
仕事の話でいくと、いつも誰かがそばにいるから、先日は二人で本音の話ができてよかった。ある依頼をしたが、話が進展しますように(祈)。

さて、5月だったよ。いい出会いもあったが、最悪のこともあった。
もう2度とあいつの顔を見たくない、そんな気分になったこともあるも。一昨日ね。
91歳になる親の介護も始まった。ロンドンから卒業を控えた娘も帰ってきた。
なんだ、結構刺激が多いじゃないか。今月は決算書も完成し、消費税の支払いもあるし・・・

あせるな、あせるな、と自分に言い聞かせるのだが、立派な先人たちが教える「生き方の名言」
通りにはなかなかいかないな。

神経の逃げ場所として、今度は「ベトナム」でも行こうかな、とおもって昨日調べていたら午後にあった知人が「インドネシア」に興味がないか・・・ときた。
「いくいく、来週でも!」こんなのりなものだから、話はすぐはずむのだが、夏ごろまでに行こう、と言う話にまとまった。向こうの若者と、音楽に対する民族性がいいのだそうだ。

ミャンマーにもいかなくちゃならないんだけどね。

でも、藤原にとっては、時間をせわしなく使った5月だったが、やっぱり刺激のすくない5月だった。なにかが満たされていない気がしてならない。これで満足という「完成系」がないんだな。
あと一週間もすれば誕生日だし、63才か、との思いが「完成系」を求めるのかもね。

(平成25年5月31日)

 
「届いた絵」
さっきまで、あれこれぐだぐだ書き連ねていたのだが、慣れない作業で写真を張り付けようとしていたら
書いたものがどこかへ消えちゃった。
ま、愚痴のようなもんだから、いいか。
雨が嫌いだとか、娘とお茶したとか、今日は気分が暗いとかね。
でも、絵が届いたから、いいか。
    これが某国で買った絵だす。
    少年はピアスをしている。
高島易断で今日の運勢を見てみたら
「今日を省みて明日の一助とせよ」だって。なるほどねぇ~。
(平成25年5月29日)

 
「楽しかったゴルフ」

日中やたらと眠いのだが、ベットに入るとこれがなかなか眠りに入れない。気候のせいか?あれやこれや考え始めるとイライラが始まってしまい、イライラの素材を頭から追い出すのにまた一苦労。やれやれ。

でも、この季節、好きだなぁ。夏、大好きだし。
一昨日、2年ぶりでゴルフに行ってきた。靴がどこにあるかもわからないから、新しい靴を買い、ウエアーも帽子も買い、(みんな自分で捨ててしまったらしい)とにかくクラブを抱えて行ってきた。
相手は某有名作詞家の先生ともう一人は76才になる友人、平均年齢?気にしない、気にしない。
そのゴルフ場のキャディーさんはみんな若かったはずなのに、担当したキャディーさんは・・・気にしない、気にしない。平均年齢を下げることに、あまり貢献していなかっただけ。

結果?気にしない気にしない。なんたって2年ぶりだもの。スコア?そんなもの数えられない。 仲間は丁寧に数えてくれたけど。数えなくていい、と言っているのに。
そして僕のゴルフをこう評した。
「上手い!」あとが「下手・下手・下手・下手・・・」
「上手い!が続かない、あとが下手・下手・下手・下手」と言って実に嬉しそうにわらう。

で、僕は反論する。
「馬鹿だねぇ、同じプレー費払っているのに、少ない打数でなに喜んでるの。たくさん叩くから沢山遊べてるってことでしょ!」

僕のゴルフは昔からピクニック。楽しければいいのだ。だから、スコアを気にする人は僕を決してゴルフに誘わない。僕をよく誘ってくれる某有名作詞家の先生曰く、
「僕より下手なのはもう藤原さんしかいないから」だと。ほざけ!(笑)

空振りもちゃんと数えるし、ボールより手前をなんども叩いたけどちゃんと数えるし、下手なりにちゃんとルールに沿って遊ぶ。キャディーさんが気の毒がって「それ数えるんですか?」だって。
「一点増えるだけでしょ、いいのいいの」。 だからキャディーさんとはすぐ仲良くなっちゃう。

昨夜もベットの中で、なるべくこの楽しいシーンを思い出す努力をしたのだが、結局追加の眠剤を飲むことに。人間の神経のコントロールは、ボールのコントロールより難しい・・・よね。

(平成25年5月23日)

「無断転載」
娘が海外留学をして早5年。今年卒業だ。彼女のブログをみて、ここに載せたくなった。もちろん無断だ。
 
本気でほんとうに死ぬ気で取り組んだから先生達も納得してくれて、
ほんとは、プレゼンの最後10分はせんせいたちからの質問、応答?の時間なんだけど、
最後わたしのプレゼンがおわって、ヘッドの先生が他の先生に
「まだ彼女に質問あるひといる?私は無いわ(充分伝わったよ、の意味をこめて)」
わたしが動画作るのが好きだから、
毎回映像作って提出をずっとしてきていたんだけど、
ヘッドの先生がずっとすごく気にいってくれててプレゼンおわったときに、
今日のスケジュールではわたしが最後の生徒だったから
「前学期提出した動画ももう一度みたいわ。見れる?」
と聞いてくれて、前回つくったやつもついでにもう一度先生達が見てくれました。
そして、終わってヘッドの先生と一瞬二人になれる時間があったのだけれど、
そのときすごくやさしく微笑んでくれて、
卒業でわたしが日本に帰るの知っているし、お別れとよく頑張ったね、
の意味をこめてハグしてくれてほっぺにキスをしてくれました。
最初入学したときはほんとうに厳しくて怖い先生とおもってたのだけれど
それはルールを守らないものに対してだけで
すごくプロフェッショナルにわたしたちを育ててくれるための厳しさだったと、
少しずつわかっていって、3年間母のような愛で見守ってきてくれました。
もうさいごにハグしてもらったときは目がうるうるしてしまい
ああ、わたしはこの先生がいたからこのコースで3年間も歯をくいしばってでも
頑張ってこれたんだなあ とあらためて実感しました。
わたしはもう特殊メイクをやるつもりはないんだけど、
このコースで、実技だけじゃなく、ほんとうにたくさんのことを学びました。
言葉ではとても表せない。
ほんとうに、いろんな想いがめぐってずっと泣きそうなままです。
素敵な人たちに出会えたことを本当に感謝します
クラスメイトもだいすきです。

たくさんの学びをありがとうございました。
(平成25年5月22日)

「馬と少年」

つい先日、某国のある町で、「馬と少年」の素敵な油絵を見つけた。通りすがりにたまたま。
レート換算すると、日本円で約33,000円ぐらいかな。面白いから値切ったら26,000円ぐらいになった。
筒に入れてもらい、持ち帰ったのだが。

広げてみたら、店先で見た感じよりかなりでかい。でも、好きな絵だ。
馬とモンゴル人の子供が鼻を突き合わせているような、シンプルだけどとても暖かい。
最初は自宅用、と思ったのだが会社に飾ることにした。絵を見れば、優しい気持ちになれそうだし。

と言うことで、新宿の世界堂に絵を持ち込んで額を注文した。
サイズを測ってもらったら100×100で正方形の絵だった。そうだったかな…などとボクいい加減。
でも縦の100だと「馬の耳が少し切れるかも」と店員さんに言われ、そうかな…などとまたいい加減。
結局、縦は125で、と言うことになったのだが、かなりでかい仕上がりになりそう。
絵を選ぶのは3分程度だったのに、額を選ぶのに1時間ほど要した。

で、額のほうがよっぽど高くついた(苦笑)そして出来上がるのに一か月と言われた…
「馬と少年」、楽しみだな。一か月かけて、飾る場所を考えなくては。

最近、絵が欲しい、などと思うことがなかったな。10年ほど前は結構絵の購買に積極的だったが。
その心理は、会社の業績に直結しているかも。
今?業績と今度の絵はあまり関係なく、いや関係あるかな…
「馬と藤原」は相性がいいと言われているから、ゲン担ぎ的な要素があるかも、だな。

と「馬と少年」をイメージして楽しんでいる藤原は、日曜日の今日、番組提案を書くために会社に居る。
国際共同制作提案だ。絵を買った国ではないが、何とかその国のドアを開けたい。
「馬」よ、「少年」よ、味方してくれ!

(平成25年5月12日)

「笑顔」

  きれい事では済まされないよ、と言う現実にまた出くわした。よしここで、不満をぶちまけるか。

先日、一人暮らしをしている母親が軽い脳梗塞をおこして入院した。救急車で運ばれて。
見つけてくれたのが、配達の人だったものだから、当然入院した後で駆け付けることになったのだが。

「 配達の人が発見した」「何日か倒れていたらしい」「高齢なのに一人暮らしをさせられている」。
この状況だけをあげつらえば、なんとひどい息子だ・・・ということになるのだろう、きっと。
何気に感じる笑顔の無い、看護師さんの白い眼…が和らいでくるのに一週間を要した。
解ってもらうのに 一週間を要したということだが。

 長男が岩手に居るのだが、連絡さえつかない。この野郎!!! とこれぐらい言わないと
言いようのないストレスにつぶされる!ってか。ははは、冗談じゃないよ。
などと、言葉にすると、ちょっとは救われる?こともあるような無いような。
状況を、一方的に見て判断することの無いように、俺も気を付けよっと。

田端義夫さんの追悼番組を急きょ制作することになったものだから、怒涛の一週間。
スタッフがよく頑張っている。
世間が休みのこの時期に、睡眠時間を削り、食事時間を削り、余裕と言うものを削り。
時々こっぴどく叱りつけたりもするが、愛すべきスタッフに恵まれた。
ま、こっちで恵まれているからいいか。

そして介護だとか、介護保険だとか、日頃番組のコメントには書き込むことのない単語に
翻弄されているわたくし。
そうそう、先日突然思い出した。中学を卒業する時だと思うが、何かの寄せ書きに
こう書いた記憶がある。なぜだか、鮮明に覚えているのだ。

「笑顔を笑顔で迎えられる、そんな幸せを…」と書いた。15歳の時だ。
62才になる今も、つくづく思うのだ。笑顔って、大切だよなぁ・・・ ・・・と。

(平成25年5月2日)

「とりとめのない話」

トヨタ車に15年ほど乗っていた。それも同じ車種を4台も乗り継いで。
迷ったが、トヨタ車を止めることにした。気分転換というか、何か動きをつけたくて。
守りに入っている自分にイライラしているものだから、形から変えたい、ということかな。

世間は大型連休に突入だが、社内のスタッフは今日も誰ひとり休めていない。
今日29日は2人ほど休める予定だったのだが、緊急の番組制作が飛び込んだため
休めていない。かわいそう。
最近、休むことを会社として奨励しているのだが、そんなときに限って現実は甘くない。
悲しいほど暇な時もあるのにね…

で、今、車がない。売る話をしたら、さっさと持って行ってしまった。いいよ、と言って
しまったから仕方がないのだが、忙しいものだから車に別れを告げる間もなかった。
今、携帯メールに、うっかり通知メールというものが来て、「お車への操作忘れを検知
いたしました」だと。ドアがアンロックらしい。ロックしろよちゃんと!誰だか知らんけど。
なもんだから、慌ててサービスの契約解除を申し込んだ。から、突然車の話…

今、毎週月曜日にくるお花屋さんが今週の「お花」を持ってきてくれた。
「月曜日」?と素っ頓狂な声を上げたボク。「月曜日ももうすぐ終わりますよ」だって。
まだ15時じゃん。それにしても追悼番組の台本書きがなにも進んでいないボク。
で、気分転換にこれを書いているわけ。とりとめもなく。
そして今日は、月曜日だと。なんで今日は祝日だっけ???

(平成25年4月29日)

 
「純粋の魅力」

親しい作曲家が、「藤原さん、<花より男子> 見るべきですよ」と熱心に言うものだから
DVDを借りて見た。1話から9話の完結編まですべて見てしまった。漫画ネタと言うことは知っていたが、娘が昔見ていたあれね、ってな感じ。
俺にわざわざ借りてきて見ろ(観ろ)というのだから、きっと何かあるんだよね、と。
このところずっと体調を崩していたものだから、10時ごろには寝ようと思って自室に入ると頼んであったDVDが届いていたから、ま、少し見てみるか・・・という軽い気持ちで見はじめたらなんと一気に4話まで見てしまった。結構面白い。いや実に面白かったのだ。

次の日会社で5話、6話と見た。(恥ずかしいから音量を小さくして)
その親しい作曲家と打ち合わせの為に会ったら、「9話まであるんですけど!」だって。
(再放送中らしく借りられていて無かったんだよ!とは言わなかったが)
わかった、見る見る、全部見る!と約束したので残り3話を借りてもらって全部見た。

最近、モノづくりという視点の中で、リアリティーを追うことに疑問をとつまらなさを感じていたから「彼」が<花より男子>を見ろ(観ろ)、とい言った意味はなんとなくわかっていた。
なんと、あの現実離れした世界にどんどん引き込まれてしまう。
これがエンターテイメントの世界なんだよなぁ などと思いながら楽しんでいる自分・・・

ドキュメンタリーの面白さと、現実離れしたエンターテイメントの世界、
この先自分に向いているのは?などという思いは取り敢えず引っ込めて楽しんだのだ。
なんと完結編では「涙」まで誘われてしまった。
風邪なものだから鼻をかみながら見ていたのだが、しまいには涙交じりだったよ。

現実から離れていればいるほど楽しめる世界がある。だが、一本の太い芯は必要だ。
<花より男子>には何があったか?


「純粋」。うらやましいほどの「純粋」が貫かれていた。いいなぁ「純粋」…
因みに見ろ(観ろ)と薦めてくれた友人は54才、ボク62才。純粋だよなぁ… … きっと。

(平成25年4月20日)

「あゝ無常」

活字を追いながら、二度、三度、泣いてしまった。畳み込むような描写が涙腺を弱くする。
人物描写、情景描写、心理描写…これでもか、これでもか、と言うタッチで書かれている。
何のこと?「コゼット」と「ジャン・バルジャン」の世界のことだ。「レ・ミゼラブル」。

それにしても一文が長い。話は主役を置き去りにしてどんどん展開される。事細かな
街の描写は地理を知らぬ者には想像できない。聞きなれない登場人物が多すぎて、
これ誰だっけ?と何度もページを戻す。

なのに、泣かせる。
最後を読み切ったのは伊勢神宮から戻る旅先のバスの中だった。俺は涙もろいだけか?
新訳の上下巻だが、これでも原作の半分程度らしい。何度も読み返すものだから、
読み切るのに 時間がかかった。
子供のころから知っている「あゝ無情」はこんな世界だっけ?、などと思いながら読んだ。

この本が読みたくて買ったわけではない。成田空港の本屋で、積まれていたからたまたま。
帰りの飛行機でも必死で読んだ。なかなかページが進まないから必死で。
スチュワーデスが「税関申告書をお配りしています」とやって来たので申告書をもらった。
「間もなく着陸態勢に入ります」とアナウンスがあったので読書をやめてペンをとる。

見慣れているはずの申告書なのに、書き込むことに戸惑いを覚える・・・
なんと「中国人用」だったのだ。こらスチュワーデス!お前は「日本語」で案内していたではないか!
なぜ俺にあまりにも自然に「中国人用」の申告書を渡すのだ!!!
前世は「中国人」とよく言われてはいるが(笑)
ま、それに気づかないほど「レ・ミゼラブル」に没頭していたということだが・・・

最近活字でも実によく泣くようになってしまった。涙腺がかなりゆるんだのだ。
先日、自宅の机の上にこんな走り書きが残されていた。
「世界一尊敬しているのに、うまく伝えられなくてごめん・・・ ・・・」
この件を言葉で人に話せない。ところ構わず涙腺がゆるむからだ。

「レ・ミゼラブル」も、親子の情愛のところで、お決まりのように涙腺がゆるむ。「あゝ異常」。

(平成25年4月8日)

「寂しがり屋」
 
めちゃくちゃ寂しがり屋だから、一人の時間が苦痛だった気がする。だが、思い起こしてみると、結構一人の時間を過ごしていたような気もする。
思い出の中から消えない一人の時間が鮮明すぎて、寂しがり屋だと思い込んでいるのかも。「孤独」の痛みが怖いのか・・・「寂しさ」が恐怖なのか ・・・ どっち?
ま、それもこれもどうでもいい話なのだが、ボクは今、海を渡って余所の国で一人の時間を過ごしている。いつもの事だが苦痛ではない。成田で本は買いこんだし。
贅沢な時間だ。
だが、パソコンから逃れられない。これって、場所が変わっただけで同じ日常だ。・・・よな。
宿泊先のホテルで、使わなかった歯ブラシなどを持ち帰ることがある。ほとんど歯ブラシ。旅行用の小さなバックに入れてあるから、次の旅では中身など確認せずにそのまま持ち出す。
成田からの飛行機の中で、昼食後以前持ち帰った歯ブラシを使うことにした。
(中距離だから歯ブラシは配られない)
さて、あの狭い洗面所付きトイレでポケットから取り出して箱を開けたら・・・
中身は「くし」。
磨けねぇよ!
今日はホテルの近所にある大型スーパーで、水と頭髪のコンディショナーを買ってきた。
片言英語風と日本語と身振り手振りととびっきりのスマイルを使って。
で晩飯は、外で探すのが面倒だから(不安だから)ホテル内の同じレストランで食うことに。
冒険する気なんて更々ないし。
じゃ、何でわざわざ出かけるの?と言われるだろうが、それでいいのだ。
決して「孤独」ではない一人の時間は贅沢だ。孤独ではない、と思えることが贅沢だ。
いまじゃ、こんなに「ま、いいか」おじさんだもの。
4月を迎えた。会社を留守にしていられることが不思議だ。
パソコンと携帯を持ってこなければ、もっとわがままで、いい旅になるはずなのに・・・
 
(平成25年4月1日)
 

  
携帯電話Ⅱ」
 
自宅の近くの駅は大江戸線「若松河田」駅。この駅から「練馬駅」まで大江戸線だけで
行けることを24日の日曜日に
めて知った。
練馬って我が家からそんなに近かったんだっけなどと思いながら
その大江戸線に乗った。

知人が経営する音楽教室の「春のコンサート」という案内状が届いたものだから、
気分転換に子供の音楽もいいか、てなのりで練馬文化センターまで出かけた
のだが・・・。
一旦、
都庁前で練馬方面に乗り換えるはずだ。その路線に乗るのは初めてだった。
以前は、池袋まで出て、そこで乗り換えないと練馬には行けなかったはずだよななどと考えていたら一人の老人が乗ってきた。前の席に座った彼は、リュックサックを担ぎ、
お世辞にも清潔とは言えない風体。
やおら携帯電話を取り出して何やら操作を始めた。「へぇ こういう人でも携帯持ってんだ・・・」
彼は周囲を気にするでもなく、えらく大声で話し始めた。そう、得意げに。
おじさん  「もうすぐ都庁前に着く。そう、そのまま中央公園に行くから」
ボクのこころの呟き  「へぇ、中央公園をねぐらにしている仲間に電話をかけてんだ・・・」
「? なんで携帯電話持ってんの?・・・拾ったとか・・・でもなんで?」
と、そこまで想像させるおじさん(おじいさん?)だったのだ。
おじさん 「そう、もうすぐ都庁前につく!」
?

ドアが開いた。僕は反射的に降りた。「都庁前」で乗り換えなければならないからだ。
さて、乗り換えはどこだろう・・・目指す乗り換えの案内が見当たらない。なぜだ?
ははは、そう、そこは一つ手前の駅の「新宿西口」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だった。

おっさん、車内での携帯使用はマナー違反だろう!なんでそんなこと携帯使って大声で
話さなくちゃなんねぇんだよ!とは思ったものの、まぁ可愛いいっちゃ可愛いんだよね。
子どもが初めて携帯電話を使っているような無邪気さ。

ま、コンサートの開演には間に合ったし、無邪気な子供たちの音楽もきけたし、いいか、と。
おっさん!、携帯、電車の中で使うんじゃないよ!

(平成25年3月26日)

 
「歯医者で優」

歯茎にはきっと排尿を促すツボがあると思う。歯茎を磨くと、必ず尿意を催すんだから。

何も小便の話から始めなくてもよさそうなものだが、先日歯の検診に行ってきた。
先生がこう言った。「本当にきれいに磨いてますねぇ。ほら、こんなにきれいですよ」
と前歯の裏側を小さなミラーで見せてくれた。
9か月ぶりぐらいで行ったかな。クリーニングだけで検診は終わった。「優」だって。

毎日洗髪することと、食事をしたら歯を磨くこと、これだけは習慣だから怠らない。
どんなに酔って帰っても、顔を洗わずとも歯は磨くのだ。酔っているから、
強く磨きすぎて出血することさえある。

若かった頃、バンドマンだったころだな。虫歯を治療する時間と病院に行く金がなかった。 磨くことの大切さなど、あまり気にしなかったし。
痛みを我慢するために、当時「今治水」という薬を塗りまくった。それで我慢を重ねていたら、
歯が何本もぼろぼろになってしまったのだ。
奥歯が、何年も抜けたままだったな・・・食事は当然飲み込むように流し込んでいた。

おかげで今は結構歯に神経を使い、歯茎に神経を使い、先生に「問題ありませんよ」と
お褒めをいただくまでになったのだが。
歯茎のマッサージを始めると尿意を必ず感じる訳を、先生に聞きそびれた。
先生は女性だし…
ところで、この歯科医院はもう何年もお世話になっているのだが、スタッフも先生も
いつもみんな「マスク」だから、外で会っても絶対わかんないね。あの椅子の上では
顔に布かなんかを掛けられて、顔なんかちゃんと見ることもできないし。

藤原はめげずに、布をかけられたまま、静かな診察室の中で大きな声で言うんだよ。
なんとか目立とうとする。「先生、それって 優良可 の優ってこと?」とかなんとか。
だから、オイラは先生のことわかんないけど、向こうは良く覚えているね。

(平成25年3月24日)

「溜息」

2月から募集を始めて、先日ようやく会社の新しいスタッフが決まった。
書類選考、筆記試験、面接・・・初めて男子も面接した。初めての面接の日
藤原の体調不良で誰とも面接できず、結果2月の応募者の中からは決められなかった。
それもこれも「縁」だから、仕方がないとして。

新たなスタッフを募集するということは結構エネルギーの居るものだ。このところ出入りが無かったものだから、特にそうなのかな。とにかく一段落した、と言うことで。

で、今月は決算月だよ。
つい先日、帰宅後、焼酎を飲みながら「溜息」をつきたいなぁと思って「溜息準備」に 入ったのだが、なぜかカミさんに先に溜息をつかれ、ワシは溜息を飲み込んでしまった(笑)。
ここまで書いて、思わず溜息・・・ 自分以外の溜息を聞くとなぜか不快なのだが、己の溜息は「何か」が楽になる気がすんだけど、勘違いかな。それにしても最近「溜息」が多い気がする。 溜息は、幸せが逃げていく、と言うんだけどね。

で、最近の慣れない体験は「首の牽引」。今日は10キロだった。先月痛めた「肩」のためにも首の牽引は続けたほうが良いと医者はいう。
あれ、傍から見ていたら、結構ブザマだよねきっと。
首とともに、弛んだほっぺも引きあがればいいのにね。なら喜んで治療をやるよ。

今、溜息を中止して鼻から息を抜いてみた。そうだ、「鼻息」にすればいいんだ。
昔から「サブちゃん」並みに立派な「鼻」だと言われ続けているんだから…。

(平成25年3月22日)

 
「便利」

小さな荷物をEMS郵便でロシアまで送るのだが、今朝時間が無くて郵便局に行きそびれた。
が、念のため郵便局に電話したら、集荷に来てくれるということだ。土曜日なのに。
いつからこんな便利な世の中になったんだっけ。買い物はインターネットで済むものが多いし。
酒類も、本も、薬系もみーんなパソコン。
そのうち、人は口がきけなくなったり、歩けなくなったりするんじゃないの?
ひらがなを打ち込めば勝手に漢字に変換してくれるし、ますます字が書けなくなるよ~

「便利」の対極にあるのは「不便」か?違うな、「乾いた心」だな。潤いを失った人間的物体だ。
そんなことを想像するほど、勝手に「便利」たちがやって来る。
そして人間的コミュニケーションの姿を見失う。
選挙の時だけ親しそうに尋ねてくるおばさんたちのように(笑)

何を言いたいかって?実は今、デスク募集の試験と面接の合間。
筆記の「読み書き」でつまずいている人があまりに多い。問題はパソコンの存在か?
さて、次の応募者の面接時間まであと10分。ここまでにしておくか。

(平成25年3月16日)

 
「名誉運転手」

9日の土曜日に宮城県の石巻市まで車で行ってきた。なぜ行ってきたかは後で書くとして。

石巻市の現地には夜の8時45分までに到着すればいいことになっていた。途中まだ時間が
あったから、何か土産でも買っておこうと思いつき、某市・某駅に向かった。駅中や駅前なら郷土品を扱った店があれこれ存在するはずだから。

駅前に30分まで無料という駐車場があった。時間をオーバーしたら以降何分かごとに100円と書いてあったが、タダじゃん!ラッキー!てな感じで車を止めた。

そこそこに用事を済ませ、いい時間になったので駐車場に向かい出口の精算所へ向かった。
前に一台精算中の車が。が、なかなか出て行かない。後ろには何台も出庫の車が行列を
つくり始めた。そうだよ、みんな30分以内に出ようとしている人なんだから、とかなんとか思って居たら、前の車から運転手が降りてきた。
ボク、まだイラついていなかったし何気に優しい顔で窓を開ける(女性だったし…50歳代?) 彼女は手にはお札を握りしめている。そして慌てている。

彼女、「すみません、私うっかりしていて1,000円札がなくて、5,000円細かくなりませんか?」ボクは駅中の買い物で両替できるほどの1,000円札が無いことを知っている。
「細かくならないけど、いくら必要なんですか?100円とか200円?」
すると彼女「1000円です、こんなに後ろ車並んでいるし…」とオロオロ。

あのさぁ、この駐車場で1,000円必要なほど停めるなよ!みんな迷惑なんだよ!
とは言わなかったが、おもむろにポケットにあった1,000札一枚を彼女に渡した。
「これ使ってください」彼女、「そんな~じゃ、この5,000円」「それはおかしいでしょ」「でも…」「とにかく早く出たほうがいいですよ、後ろ並んでいるし」「じゃ出たとこで待ってます」。

で、ボクは100円の追加料金を払って出庫。外は暗くなり始めていた。出たところに確かに
一台それらしき車が止まっていたが、面倒くさいから車の流れに乗ってそのまま現地に向かった。

その後この件をすっかり忘れてしまっていたのだが、なぜかさっき思い出してやにやしてしまった。

※きっとあの夜、彼女は夢想したのだ。
「今日は素敵な一日だったわ…親切で東京弁を話す”素敵”な人と出会えて・・・
その上、駐車場代も払ってくれて…あぁ せめてお名前だけでも~~~!」

ま、どうでも良いとして、なぜ石巻市に向かったか?それはただ、我が社の社員を迎えに 行った
だけの「運転手」役なのだ。かっこよく言えば「ドライバー」だな。
9日の生放送だったNHK「明日へのコンサート」の石巻部分をうちのスタッフが担当していたのだが、
同じメンバーが昨日10日のNHKホールの担当で、物理的に 朝7時の集合時間に間に合わない。
ならば、と言うことで問題の解決のためにワシが車で迎えに行ったというわけ。

この先、名誉会長にはなれそうもないが、「名誉運転手」ならいい役どころではないか!ってか。
小さなドラマもあったし、疲れたけど、良しとしたい。ははは。←(これ、笑い)
そして、3、11というこの日に、祈りを捧げたい。

(平成25年3月11日)

 
「罰当たり!」

家族の血縁を遡ると「神主」さんがいて、静岡のかなり山中に信仰を集めていた由緒正しき神社があったらしい。
急に思い立って昨日、その跡地に行ってきた。途中まで自分の車で行き、そこから先は小型車じゃないと行けない、というので現地で小型車を借りて跡地に向かった。

80才になる老婦人に案内を頼んで向かったのだが、現地近くになると狭い道には石が散乱し木の枝はたれ下がり、道の谷川はあちこち崩れ落ちている。
信仰の山として人々が向かった時代は遠いのだ…と実感した。

目指す場所の少し手前で車を降り、数分の距離だが徒歩で向かった。すると木々のなかに
整地された場所と住居跡であろう場所に出た。一件の小屋が残っていた。
結構山の中だから、やや寒い。藤原は一足先に小屋を目指した。小屋の後ろに回った。
ここならいいだろう…藤原の「生理的自然現象」をさっさと解決した。

さて、それからだ。案内の老婦人が解説を始める。小屋の脇には上から流れ落ちるせせらぎがある。飲めるのだそうだ。(さっきの場所からはすこし離れている、と思って自分だけ安心)その流れの脇には狭く険しい道がずっと上に続いていた。老婦人曰く「この流れの上のほうに  なにか御神体が祭られていたようです…」更にさっきの小屋を指して「お祓いとかお祈りとか大切な神事はこの小屋でやっていたようです」 … …

「早く言ってよ!別な場所でしたのに!」と心で言ったが口には出せない。この罰当たりめ!ということでどうしたか?知らんふりしてさっきの「その場所」に塩をまいて、せせらぎの上のほうに向かって手を合わせながら心の中で謝罪した。「ごめんなさい」。

先月21日には、広島の厳島神社の隣にある「大願寺」の住職に会社に来ていただいた。
お経をあげていただき、社内のお札などを清めていただいた。
お坊さんが会社の「神棚」に向かって「お教」をあげるのはたから見れば妙かもしれないが、神仏一体の時代もあったのだから、それでいいと思っている。

宗教的信仰心には欠けるのだが、大切にしている「心」や「感覚」は持ち合わせてる。
さてさて、「罰当たりな藤原」に対して、神様は味方になってくださるのかどうか…
(苦笑)

(平成25年3月4日)

 
「2月28日」

やれやれ、痛みの多い2月だった。背中の痛みと体調不良で2日間ほど寝込み、なんと
そのあとは猛烈な肩の痛み。パソコンのマウスも動かせないほどの痛みでレントゲンを
撮ったら肩の骨と腕の骨がくっつき状態で内出血もしていた。
先生曰く、「この症状で救急車で来る人もいますよ」だって。加齢のせいだよな、と思っていたら、
その先生は優しい。「30代の女性も同じ症状できました」だって。 絶対嘘だ。
その先生が優しいだけ…かどうかはともかく6日間注射を続けたらだいぶ楽になってきた。
よかった。

日中、近くの整形外科に通うものだから、いつもと違って何気に街の景色を見ることが増えた。
いつもは一目散に通り過ぎる街中をのんびり歩くものだから、街並みと周辺の風景が見えてくる。
こんな店があったんだ…ここに店舗の空きがあるんだ…などなど。
日頃通り過ぎるだけで、ほとんど街を見ていなかったよな、などと今更のように実感する。

そして2月が終わる。

明日は、東南アジアを3週間ほど取材旅した知人が帰国する。
気になっている国がある。彼はその国を取材してきている。話を聞くのが楽しみだ。
近いうちにその国に行こうと思う。4月に会社は20周年を迎えることになるから、
きっといつもと違う 何か強い刺激を求めているのかもしれない。

あっちこっち痛みはするが、身体の痛みは治療すればいい。新たなものを求めずに
あとでやって来る後悔の痛みよりは、肩の痛みのほうがまだましだ!などと強がってみる。

そして2月が終わる。

(平成25年2月28日)

「急性ストレス中毒症」

先週の土曜日。新しいスタッフ募集のための筆記試験と面接日だった。下腹部の反対側、
背中側をなんというのだろうか、朝から痛みがあった。面接時間を耐えられるかな?
少しの不安を抱えながら会社に向かったのだが…

会社近くまで痛みを我慢していたが、もうすぐ会社というところで吐き気が。会社のトイレに駆け込み面接は無理だと伝え、救急病院に向かった。

10年以上前になる。同じような痛みで一日我慢をし、やはり耐え切れず深夜に救急病院に行ったら「腸閉塞」ということで緊急入院したことがある。3日間ほど集中治療室に入れられた。
あの治療の苦痛が忘れられない…恐怖!。鼻から長い管を入れられ、もちろん水分なども一切ダメ。で、医者が言った。肺に腹水が上がると命取りになるから、手術をします。≪なぜか藤原は笑った≫やや若めの医者は怒った。「休日なのに(祭日?)あなたを助けるために出てきているんですよ!」

そして「腹水」はなぜだか消えた。一般病棟に移され、医者に聞いた。「腹水はどうしたんですか?」 医者は言った。「どうしたんでしょうね・・・私にもわかりません」。

何れにせよ、あの時を思い出して「やばい!」と思い病院に向かったのだ。家を出がけに、救急の診察券は持ってでた。「東京女子医大病院 救急部」、救急に行けばすぐ診てもらえる。
が、原宿駅を過ぎたあたりから痛みが和らいできたのだ。なんで?
病院は我が家のすぐ近くにあり、道順で行けば自宅のほうが手前。病院が見えるあたりまで来て迷う。
痛みが治まってきた、家で少し様子を見よう・・・
でも、ここで我慢をしてしまうと、前のような緊急入院になりかねない・・・などと深く迷いながら家で寝ることを選択した。あの苦しい痛みがほとんど和らいでいるし。

我が家には結構医者からもらった薬がいろいろある。反省はあとですればいい、と思いながら整腸剤などを服用。風邪薬もあったし、抗生物質の錠剤もあったからこれも服用。
で翌朝、腸閉塞ではないことを実感したのだ。

思えば、痛みの来る前、過度のストレスを抱えていた気がする。
その昔も、救急車を呼ぶほどの「頭痛」で入院した時、結局原因不明で「ストレス」が原因とされた。
で、仕方がないから自分で病名をつけることに。「急性ストレス中毒症」。(笑)
いつものことだが、神経は、いたって素直に身体に反応する。

(平成25年2月18日)

 
「節分」

2月3日は旧暦の年越し、新しい年を迎えるための「節分」。そして1日明けて今日は立春。 以前、新年が2回あると書いたことがある。所謂正月の新年と、年度が明けた4月の新年だ。
だがもう一つの新年が「節分」明けの今日だ。毎年、「運気」だとか「運勢」だとか己の努力目標のスタート日を「節分明け」としている。ま、また改めて元旦を迎えたようなものだが。

昨日は韓国のお坊さんが開催している「節分のお祈りの会」に参加した。親しいお坊さんなので、 案内があれば参加する。「金ちゃん」のお祈りはいつも長い。お経だけで2時間以上。
お祈りが終わると「韓国家庭料理」のもてなしが始まる。とても旨かった。

節分明けを新年とする感覚は、以前お世話になったお坊さんから始まる。名前は「哲っちゃん」。
だいぶ前に亡くなったが、真言宗の高僧で「千野哲山」という藤原にとって大切な大切な「先生」だった。
なぜか お坊様を「ちゃん」で呼んでしまうのだが、親しさの表れということでご容赦を。ね、先生。
もちろん、本人を「ちゃん」で呼んだことなどない。あくまでも個人的な空間の中でのこと。

昨年暮れ、会社の大掃除で「哲ちゃん」が会社のために用意してくれた「お札」が剥がれた。
本来、お札は1年ごとに交換とか言われているが、「哲ちゃん」が亡くなってしまったので社内に貼ってある「お札」はずっとそのままだ。替えるわけにもいかないし・・・
さすがに気になって広島の「宮島」にあるお寺の親しい住職に相談したところ、
2月中に広島からわざわざ「お札」や「神棚」のことで会社に 来てくれるとのこと。ありがたいことだ。
が、このお坊さんをまだ「ちゃん」で呼んでいない。どうもちゃんで呼びにくい名前なんだな。
(ジャズが大好きで正直でまじめでとても人間臭い暖かな住職だから大好き)

さて、立春。今日から新しい年がスタートだ、と思えばなぜか清々しい気分にもなれる。
そうそう、 時々「節分」があればいいのだ。そうしたら何度でも、今日がスタートだ、と言える(笑)。

(平成25年2月4日)

 
「丁寧」

「○○交通の○○と申します、本日はご乗車ありがとうございました。」乗ったタクシーの
運転手さんがあまりに丁寧なあいさつをしてくれたものだから思わず「いえいえ、ご丁寧に
ありがとうございます」と答えた。その運転手さんはこう続けた。
「よろしかったら、シートベルトをよろしくお願いします」実に丁寧に言う。
いつもは小さい音量で案内が流れるだけだから、無視できるのだが、生の声で悪そうでもなく ストレートに言われると、なぜか無視できない。「あ、はいはい」読もうとした新聞を放り投げて シートベルト着用にかかる。「もし、お手間でしたら・・・」彼から、しなくていいというメッセージ。
意地だ、絶対着用してやる!が、なかなかうまくいかない。差込口がわかりにくいし、ベルトの位置も低い。時間がかかり、黙って作業するのも癪だ。
「シートベルトの位置が悪いよ。車の改善をしないで法律ばかりを先行させるからこうなる」とかなんとか。

相手に拒否的感覚を抱かせない、丁寧な言い方を、運転手さんに学んだ朝だった。

さて、1月も終わる。今年も12分の1が過ぎたんだ…などと時の移ろいを思う。そして今日、まる12年ほど勤めてくれた社員が一人会社を去る。人事に変更が出るのは久しぶりのことだ。
ここでまた、時の移ろいを思う。
乱暴に生きても、丁寧に生きても同じ時間が過ぎる。だが、乱暴な言葉と丁寧な言葉では
現象が変わる。よしよし、思いっきり丁寧な言葉で彼を送り出してやろうかな(笑)
気持ち悪いだろうな・・・

毒舌をよしとしていた時代があった。怒鳴りまくって仕事をしていた時代もあった。過去形で書いているということは現在は違う、という意味だが、藤原に丁寧な言葉は似あわない、きっと。
でも、言葉に慎重にはなったな、きっと。
人は、求めているものが金でもなくモノでもなく「言葉」だったりする場合がある。丁寧ではないが、ことばに「慎重」になったのは確かだ。「丁寧に生きる・・・」それに繋がればよいが。。。

(平成25年1月31日)

 
「紙幣」

米ドル、ポンド、ユーロ、ロシアルーブル、台湾ドル、中国元、韓国ウォン、香港ドル・・・
さまざまな外貨が小机の引き出しに入っている。札はわかり易いが、小銭は混じってしまうと
面倒だ。アジア圏の地方都市以外はほとんどカードで済むのに、なぜか現金が無いと不安
なのでつい大目に換金してしまう。そして持ち帰る。持ち出した外貨と同じくらい持ち帰ることも。
安心なのだ、紙幣を持っていると。

我々の年代の特徴なのかな。それとも藤原の個人的な特質?財布に紙幣があれば安心…
たとえカードが何枚あっても。(結局カードで済ませてしまうのだが)
つくづく思うが、日本のお札は美しい、立派というべきか、紙質が抜群に優れている。
中国元なんか、これがお札?という紙切れ(小額紙幣)が立派に流通しているけど、あれもすごい。
自国の通貨をいちいち偽札チェックをするのも中国だけど、そんなときも思うのだ。
(日本の紙幣は美しすぎて、なかなか偽札にはなりにくいだろうなって)

なんで紙幣の話?短期間だが昨日まで海外にいた。今回は日本円を一度も用いず、 現地通貨に
換金した。どうしたか?トラベラーズチェックで持っていた米ドルを換金したのだ。
アメリカ圏でしか使えないと思い込んでいたトラベラーズチェックを使えばいい、と気づいたのはつい最近。娘が最初にアメリカに留学した時買い込んだトラベラーズチェック。
留学先がすぐロンドンに変わるし、円高が急激に進んで再換金しにくくなるし。アメリカ旅行以外使えない、と思いこんでいただけに、得した気分!(かなり損失は被っているが)それで、改めてお金の価値とか、紙幣の価値を考えてしまったわけ。

さて「紙幣」君。君を手に入れるため、どれだけ努力を続けてきたことか!などと言ってしまえば話は終わるが、紙幣から見る世界の国々、なかなか面白い。
そうそう最近の円安、身に染みている部分もある。娘がまだ留学中なのだ。7月卒業だけどね。 円安が去年じゃなくてよかった…紙幣が余分に消えていくんだもの。

(平成25年1月30日)


 
「さかなの旨い居酒屋」

小さな劇団芝居を観に池袋まで行った。19時半開演だったから早夕飯を食うにも中途半端。
そうそう、久しぶりに混んでる時間に電車で行ったものだから、降りてからその駅が池袋か どうか自信がなかった。(笑)出口もわからなかったし…

公演場所に向かう道すがら、ある看板が目に入る。「獲れ立ての旨い魚」とかなんとか。
居酒屋の看板だが、外からは空いてそうに見えたから、客が少ない店は「それなり」とか
なんとか言いたいことを言って、芝居に向かった。

芝居は思ったより面白かった。小さくまとまった感はあったが客受けを心得ている若者たち。
尻の痛さと引き替えにそこそこ楽しんだ1時間50分。
さて、晩飯だ。

探すのは面倒くさいから、来るときに目にした看板の店に迷わず向かった。
居酒屋ではあるのだが、第一印象はなかなか品のよい大人の客層で繁盛している感じ。
カウンターで如何ですか?と案内されたカウンターがこれまた立派。広いしね。
中では若い板前さんの魚をさばく手元がよく見える。

やってきた御嬢さんがこう言った。♀「このお店初めてでしょうか」 ♂「うん」
♀「ではすこし最初にご説明させてください」 ♂「よろしく」
メニューを開きながら御嬢さんの説明が始まった。
♀「このお刺身は今朝、宮崎で捕れたお魚です。今朝どれのお魚で・・・ ・・・」
宮崎という言葉が何度も出てくるのだが、なにかイントネーションが気になるのだ。
♂「ねぇ、出身はどこ?」 ♀「はい!秋田です!わかります?」 ♂「オレ、岩手だから」
♀「やだぁ」

ま、この話、どうでもいいのだが、実に「食べ物」が美味だった。初めて入った店なのに、いきなり満足。野菜も魚も鍋系も。「炙り魚味噌と生野菜」の味噌が絶品。
帰ろうとしたら、カウンターの中の板前さんが「雨が降ってきました」という。
「みんな旨かったけど、ついでに傘も出してよ~」とか言った藤原。ところが間もなくして、この板前さんが傘を持ってきて「お返しいただかなくて結構ですから」・・・だって。

「冗談!冗談!」と恐縮しながら結局傘を手にして帰路につくべく店を出たのだが。
あの秋田の御嬢さんが雨の中を追いかけてきた。(勘定に間違いでもあったのか?)
「このお味噌、とても気に入っていただけたようですから・・・」と渡された「炙り魚味噌」。
こういうの、藤原弱いんだよね。(心付け!心付け!)と思ったのだが、さっきの勘定の時、 財布には一万円札しかないことを知っている。
で、どうしたか? とっさにこの御嬢さんを「ハグ」したのだ、「ハグ」。(ありがとう!~~~)

ま、この話、どうでもいいのだが、実に気に入った店だということを言いたかったのだ。
チェーン店があちこちにあるらしいが、ちょっと遠いけど、やっぱり「南池袋店」でしょ!
なんてね。
◎ 「鮮魚専門 四十八漁場」  

(平成25年1月25日)  

 
「欽ちゃん」

70才を過ぎて、芸能界で「ちゃん」で呼ばれているのは、サブちゃんと欽ちゃんのほかに
だれか居るのだろうか。
昨日、番組のインタビューで欽ちゃんに会った。藤原にとっては「コント55号」の欽ちゃんだ。

昭和42年だろうか、日劇の舞台で飛び回る二人を舞台の袖から一週間、毎日見ていた。
北島三郎ショーの幕前をスピードのあるコントで盛り上げる欽ちゃんと二郎さん。
専属バンドのベースマンだった藤原は面白いから、毎回早めにステージ袖に向かい見ていた。
16歳の少年にとって、初めて見る面白い舞台は刺激的だったからよく覚えている。

インタビューの前に、欽ちゃんにその話をした。
「多分42年だったと思いますが・・・ ・・・」 「その時代の生の証言者ってなかなかいないのよ!」「欽ちゃん」は本気で驚いていた。そしてこうも言った。
「北島三郎さんて、僕は恩人だと思っている」。 その現場では話の流れで聞いていたので
深い内容まではわからなかったが、 欽ちゃんが書いた本を今日読んで、納得した。
(普通は会う前に勉強として本を読むべきなのだろうが・・・
欽ちゃんがあまりにも魅力的だったから 改めて本を読むことにした)

欽ちゃんの「テレビに恋して20年」という本にそのくだりが書いてあった。
藤原の記憶が正しいこともわかった。「コント55号夢の日劇出演を果たす」というコーナータイトルで、昭和42年、5月13日~19日までの一週間出演とあり、面白いエピソードが書かれていた。
記憶が間違いではなくてよかった・・・
誕生日前だから、オイラはやっぱり16歳だったし。

つい先日、馴染みのすし屋で「サブちゃん」の末弟とばったり会った。彼もその時代のことをよく覚えていて、オイラがウッドベースのネックを折ってしまい、「蝶つがい」でネックを留めて演奏して居たことを懐かしそうに話してた。藤原、この話を誰にもしたことがなかったのだが笑いすぎて涙が出た。時代の生の証言者に出会えて実に楽しかった。

そして「欽ちゃん」。なにか彼で番組を作りたいな・・・ふつふつとそんな思いが湧いてくる。

(平成25年1月22日)

 
「見送りの光景」

「気を付けてね、行っておいで」そしていつものように抱擁。娘、「飲みすぎないでね」ボク、「うん」。
娘が見えなくなるまで手を振る・・・ぁあぁ 行ってしまった。
まだ学生の娘が冬休みを終えて今日、ロンドンに向かった。この見送りのシーンはいつもと同じだ。

だが、何かが違う!!!  そうだ違うのだ! 何が?「場所だ場所」。 見送る場所が違うのだ!
いつもはセキュリティーチェツクに入る前で娘と抱擁する。今日は?外の降車場所なのだ。
なぜ?「彼」とやらが一緒で、親は気を利かせたのだ。(あのいつもの場所は彼に任せよう…)苦渋の決断だ!(笑)
車を降りた娘は、笑顔で彼と建物の中に消えて行った・・・俺はしっかり手を振る…いつものように。いつものようにだ。

そして正月の賑わいは去った。

7月に娘の卒業式がある。当然ワシはロンドンへ向かう。今からチケットの手配をせねば、などと思う。が、卒業式の日取りを知らない。ぁあぁ 先が長い!(笑)
二人旅をしたニューヨーク、スペイン・・・(ぁあぁ 思い出が遠くなる・・・)
なんて、腹の底でくすくす笑っている自分を感じながら、「娘の成長」に満足するのだった。

(平成25年1月8日)

「年賀状」

「いつもご機嫌のいい藤原さんだけど、こんな時代になってもやっぱりご機嫌よろしいですか?   私は・・・ 」
小説家の佐藤愛子先生の賀状だ。いつも一筆添えてくださる。もう何年もお会いして居ないが、やっぱり賀状は人と人を繋ぐ。そうだ、 佐藤先生に手紙を書こう!

「フレーフレーのりちゃん、八十五才となれば字がダメね」と書き添えてくれたのは石丸フユさん。そう、その「のりちゃん」が十五歳で上京した時、勤め先だった病院の看護婦さんだ。そうか、 八十五才か・・・

年末は、真新しい年賀状を前に「う~ん、メンドウクサイナ」などと心のどこかで思っているのだが、年が明けて、配達された賀状を手にすると、やはりこの文化がいいな、とおもう。
日頃メールで済ましているわが身としては、ペンで書くことがだんだん億劫になってきているが、年賀状のそれぞれに、ペンのぬくもりも感じる。(今年はなるべく手書きを心がけるか・・・)

話はそれるが、新しい内閣が発表されたとき、藤原より年上の大臣を数えることが容易かった。
ほとんど年下だ。あぁ、日本をこれから動かす人たちは、みんな俺より若いんだ・・・
などと思ってしまったのはワシだけか?はいはい、年寄くさい話はよしましょ!
だが、年月を重ねて来たんだ・・・という実感はあった。はいはい、年寄くさい話はよしましょ!

「矢巾町駅を中心に町並みが変わりました。中学校もモリ山のほうに移りました」と書き添えてくださったのは、中学の社会科担当だった「藤倉幸子」先生。お幾つになられたんだろうか・・・
中学2年の時、先生の私物の「重いテープレコーダー」を借りて、背負って自宅に帰ったっけ。
なぜかそのシーンを鮮明に覚えている。当時、あのテープレコーダー、高価だったんだろうな・・・

年賀状は、日頃忘れていた記憶を呼び戻す。それも鮮やかに、そして美しく。
年賀状は無条件に、そして無邪気に時代をジャンプする。

そんな賀状とともに、また一つ歳を重ねる新しい一年を迎えたことを、改めて想う。

(平成25年1月7日)

「2013年 元旦」

30日に大掃除をしたから、会社の中はまだ「綺麗」だ。雑然としてはいるがきれいだと思う。綺麗の文字を使うには、ふさわしくないのかもしれないが、掃除のあとを感じる。
毎年元旦に会社に来ると、同じ思いで社内を見回す。いつもこうならいいのに…(笑)

家族と家に集まった若者、そして例年出かける神社の神主さん以外、「あけましておめでとう」の言葉を言っていない気がする。いやいや、電話では何人かに言った。
それにしても、静かな元旦を迎えたものだ。そして外はもう薄暗い。

自宅の洗濯機、動かし方を知らない。自宅のテレビ、録画の方法など試したこともない。
が、今会社の洗濯機を回している。大掃除で洗い残した、タオルを洗っているのだ。
こんなものだ、会社のことなら、こまごまと何でもやる。
そして、今年、会社は20周年を迎える。スタッフの落ちこぼれもなく、新年を迎えた今年、20周年だと。そしてスタッフは明日から仕事。ご苦労さま!

2013年元旦、机の前で、改めて新年を思う。(昨夜は飲みすぎた…)

(2013年元旦)

「編集手帳」

「読売新聞」を子どもの頃から読んでいるのだが、きっと配達をしていたせいかもしれない。 小学校3年から夕刊配達を始め、その後朝刊に変わって中学2年まで続いた。
読者としては、子どものくせに「人生案内」を興味津々で読んでたっけ。

昨日の読売の「編集手帳」を思わず何度か読み返した。野田首相が首相官邸を
安部さんに明け渡すくだりのなかで、
「世間の評価は知らない。小欄は起立して、その人の後姿を見送る」と書いてあった。
その部分を繰り返し読んだ。きっと藤原と同じ思いを抱いているんだ…

今まで、政治家を信じたり感動したなどということは一度も無い。無かったのだが、
野田さんだけはなぜか、「立派な政治家」という気がしてならない。敗者ではあるが。
そして「編集手帳」はこう結んでいた。
「勝者より敗者のなかに、いつも自画像が見つかるのはなぜだろう。」
この新聞の「編集手帳」が大好きだ。

自宅で読売と産経、会社で日経を読む。なぜかスポーツ新聞には興味がない。
スポーツは苦手だし、競馬もやらないし、結果として芸能ニュースにも結構疎い。

さてところで、今年の藤原は勝利投手だったのか敗戦投手だったのか、どこに
物差しをおけばいいのか、審判はいない。
決して肩を落としてうなだれているわけではないが、 渾身の一球を投げそこなった
感がある。引き分け投手かな…

しかし一年を締めくくるにはまだ日がある。年賀状もまだ手元にある。やり残した事もある。さて、机の整理を続けるか。

(平成24年12月27日)

「選挙その後」

先日の選挙は、我が家4人全員投票した。息子と留学先から帰っている娘を強制的に
投票所へ連行。あとで娘に質問。誰に投票した?「わからない…だって誰もしらないから」。うーん、ただの「死に票」だ。誰がいいよ、ぐらい言っておけばよかったかも。

そして自民党が圧勝した。娘の友達のお父さんも当選した。我が家に遊びに来ている
青年のお父さんなのだが、なんと次の内閣でかなりの役職に就くらしい。
娘の「彼」も仲間なのだが、昨日娘にメールでこう打ってやった。
「どうせ彼にするんなら「○○君」のほうがよかったんじゃない!、だって○○の息子だよ!」

で、家に帰ったら娘がいる気配がしたので、メールに書いたことと同じセリフを用意して
居間に向かったのだが、一瞬ドキリ。頭もじゃもじゃの娘の「彼」と目があったのだ。
「お邪魔しています」。なんだ、来ていたのかぁぁぁ。

でも、一度思ったら口にしないと気が済まないので、用意したセリフを彼の前で言った。
そしたら、「あのメール見せたよ」と娘。
はいはい、どうもお粗末でした。(どうもなんか癪だな)

社員には投票したかどうか、聞いていない。会社によっては、選挙に行くことを義務化
しているところもあるらしい。社会人の当然の責務として投票を促しているんだろうな。
その会社の考え方は理解できるけど。

つい先日「サブちゃん」と会った時、楽屋で選挙の話で盛り上がった。
「あの声じゃ説得力がない」とかなんとか云々。そして男の精神の話になった。
そして藤原。野田総理が「個人」なら、僕は彼を応援したと思う、決して嘘をつかない気が
するから…男らしいし。
そしてまた、男の精神の話になった。
「新曲がな、男の精神と書いて、<おとこのこころ>なんだよ」。
話は美しく合体し、腑に落ちるところとなった。

(平成24年12月21日)

「心のピンポイント」

そこに触れると激昂するとか、そこに触れると涙するとか、誰しもそんな心のピンポイントを持ち合わせているのではないだろうか…などと思いめぐらせることがある。

なぜか「カチン」と来てしまう対象に、広い意味での「公務員」があった。。もちろん若いころ。
と言っても10年ほど前までの事だが。区役所の窓口や税務署、警察官 etc

ある事がそのピンポイントに触れ、「仕事の仕方が違う、地域のため、という精神全く見られない!」と区長室に直訴し、出張所長が飛ばされた事があった。他にも税務調査のあと、ある事に気づき「あなたが知らないことを私が知るわけはない!」と税務署に乗り込み、税理士さんから「社長の勝ち」です、と言われたこともあった。これは激昂バージョンでまだ小ぶりな出来事。

公務執行妨害という聞きなれた罪名で、新宿署の一角に2泊3日の小旅行をしたことがある。
これはうんと若い頃だが、若いお巡りさんに激昂してしまった結果として、貴重な経験をしてしまった。やはり、お巡りさんの言動が心の何かに触れたのだ。
でも、不思議なことに、過去を辿れば出会った女性の父親がなぜか「公務員」が多かった・・・妻の父親も「公務員」だったし。

対極的に、テレビでも映画でも、活字でもよく泣いてしまうのだが、そこにもピンポイントがあるようだ。
周囲からはそこで泣くポイントがよくわからない、と言われることもある(笑)
だが、泣けてしまうのだから仕方がない。泣き虫だ、ボクは。

自宅の前の家が解体工事されている。今朝出かけるとき、現場で働く作業員を何人か見かけた。
しばらくの間、彼らのことを考えていた。
「寒くないだろうか」「暖かいものはどうしているのだろうか」「お湯は沸かせているのだろうか…」etc
自分の家の工事でも、知り合いの作業員でもないのだからどうでもいい事なのに気にしてしまう。
汚れた作業着で働く若い彼の「素手」がいつまでも気になったりもする。
これはどうも「おんな脳」というらしい。「母親脳」なのかもしれない。

で、そのあとは、間もなく散り終えるであろう「イチョウ」の並木を眺めて、何とも言い表しにくい想いに浸ったりするのだ。実は、そのイチョウを眺めながら、「心のピンポイント」という言葉が出てきたのだが…   さまざまに、「笑う」も加えたいものだ。

(平成24年12月14日)

「さりげない要求」

つい先ほど、渋谷の駅前で街頭演説会というものに初めて聴衆の一部として参加した。
通り過ぎようと思ったのだが、「野田総理の到着です」と聞こえたものだから,
ほとんど興味本位で駅前の人ごみの中に混じってみた。

某、もと厚生大臣の応援演説だった。あの時々語尾が強調される野田さんの演説を
寒かったが最後まで聞いた。元厚生大臣の演説だったらスルーしたと思うが…
息継ぎの間もない、と感じるほど次から次へと言葉が出てくる。
経済・教育・財政・外交・社会保障、実にまんべんなく多岐にわたる主張が繰り広げられ
結構長さを感じる演説だった。声も枯れ、寒くはないのだろうかと心配してしまう。

どんな話の脈絡だろうが、ちゃんと立候補者の名前に辿り着く。実にうまい。
主張の後で、ですから○○さんをお願いします、とさりげなく要求するのだ。
野田さんを「個人」と見立てれば、応援したくなる。

で、なんで渋谷駅近辺に居たか、ということだが。会社のホームページにある
ツイッターで、今週の当番のスタッフが遠まわしにある要求(?笑)をしていたからだ。

「パソコンの調子が悪いんです!皆に見てもらってほんの少し改善!でもハードディスクが50GBしかないんだって…。調子が悪いのも仕方がないのかなぁ 」

と書き込んであったからだ。新しいパソコンを買ってくれ!と言えばいいじゃないか!
などぶつぶつ言ったものの、社内は今日も皆で払っている。
で、俺は時間があるし…じゃ、パソコンでも見てきてやるか…と、駅近辺の家電店
に向かった、というわけ。

その辺の「さりげない要求」は、我が社のスタッフは実にうまいかもしれない。
それにすぐハマるワシ。

で、どうしたか?野田さんの「必死」が刺激になって、新しいPCを買ってしまったのだ 。

(平成24年12月7日)

「丁寧な確認」

3,000円とか4,000円の支払いをカードでした場合。「ご一括になさいますか?」「お支払回数は?」 。
どんな答えを期待してんだろうね。 たとえば 「すみません、分割で」とか?
「ご一括でよろしいですか?」だけでいいだろう!

居酒屋で氷を頼んだら、「こちら、氷のほうになります」。 どう見たって氷だろう!
「お待たせしました、氷です」でいいだろう!
「前から失礼します」 後ろからならわかるが、普通に前から出して何が「失礼します」だ。「お待たせしました」でいいだろう!

すみません、○○さん、いらっしゃいますか?その○○さんは我が社の社員で
いらっしゃいますか?と電話しているのも我が社の社員。
ことばの丁寧だけが過剰に氾濫すると、受け入れがたい年齢層のため息が増えるばかりだ。
ま、どうでもいいけど、と言いたいが社員に対してはそう寛容にはなれない。

だが、我が社の社員は外から結構評判がいい。丁寧だから…。確認の方法を学べば、
もっといいはず、なのだが。

さっき薬局に寄った。6種類ほどの薬をもらうのだが、いつも飲んでいることを知っているのに、このお薬は○○でこちらのお薬は○○で・・・説明が長い。ルールだということはわかるが、はい、はい」と言うだけでワシがろくに聞いていないことも知っている。きっとね。

最近、こういう風に文句を並べることに、楽しみを感じることがある(笑)。(まずい!)得てして老人は文句が多い。(まずい!)
文句を言う、というより、悪口雑言を口にして溜飲を下げるというか・・・
ストレスを過剰に溜め込むよりは、意外と良薬だったりして。

だから最近、編集などに立ち会っていると、うるさい。
「なんだこいつは」「××だろう!」「なんか色でも塗っちゃえ」  もちろん本心ではないがじっと画面を見ているよりは、何かが楽なのだ。

悪口雑言を並べながらも、画面の「丁寧な確認」を怠らないことが前提だが。

(平成24年12月3日)

「ナルシスト」

疲れた顔だ、どうも垂れ顔、こんなはずはない、なんでこんな写真撮ったの?
被写体「藤原」の写真にどうも本人は納得がいかない。
撮ってくれた知人からプリントされて送られてきた写真。
なんか違う…写真用の顔をしていないし。あぁ俺も歳なのかなぁ、etc。

息子のブログに載っていたこの嫌いな写真、娘が留学先で見たらしい。
「久しぶりでパパの良い写真みた。いかにも仕事ができる人!って感じ。プリントして友達に
見せようと思ったけど、データが小さくてできなかった。あの写真、いいよ!」
冬休みで戻った娘がこう言ったのだ。

ナルシストの拙者は複雑。(オレのいい顔はあんなんじゃない…ほら、もっと凛々しくてサ)と思うのだが、どうも自分の感覚がずれているらしいのだ。
いつまでも、「あの日の自分」でいることは、もはや難しいということを知った。外見はね。

でも、写真で大きなショックを受けるのは、日常のフォトではない。
パスポートと免許証のあれ。新しくしたとき、前のあれ、と比べた時のショックは大きい。あぁ~こんなに老けたの…

それなのに、数年たつとこれが違ってくる。今の顔より、パスポート・免許証の写真のほうが良く思えてくる(笑)。
日々「進歩」しているのだ。確実に、着々と~!

そんなこんな、さまざまと葛藤しながら、今年も師走を迎えてしまった。
そして、ナルシスト「藤原」の葛藤も続く…(笑)


(平成24年12月1日)

「25時」

加湿器の湿度レベルが35%とか40%とか。かなり部屋の中が乾燥しているの がわかる。
黙々と作業をしているスタッフ3人、椅子にもたれて仮眠しているスタッフ 1人。そして藤原。時計は午前1時を回っている。これだもんな、この調子だと作業が終わるのは 朝5時ごろ。読み通りだけど、飽きてきた…そろそろ。

年を重ねたきた人間の未来への必須は、きっと「心豊か」に生きることだ。
若者の未来への必須は、きっと「必死」とか「情熱」かな。
決して同じではないし、同じにはなれない。
なのに、今日も若者と一緒だ、こんな時間まで…(笑)

来週は早くもトイレ掃除当番だ。これもみんなと作業は一緒だ。
俺は、こころ豊かに生きたいだけなのに。こころ豊かな未来を得るための 試練でしょうか!さて、正気に戻るか。

机サイドの壁にベタベタ貼ってある写真が、今日一枚増えた。女の子のブログから
切り取った一枚。見慣れた顔の子だ。
冬休みで間もなく帰って来るという、やや成長した「娘」という女の子だ。
○○が成田に迎えに来てくれるからね!とのメール。所謂、迎えに来なくていい!
だと。
成長したということで、拙者はしぶしぶ心の中で納得(する努力)笑・笑・笑!!!

さて、仕事に戻るか。
                               
(平成24年11月28日)

「旅」

一等座「01号01D」が新幹線の座席だった。一番先頭車両の一番端の通路側席。
旅行者には都合のいい席なのだ。座席の後ろにスーツケースなどを置けるスペースが
あるから。今、旅先としてみんなが心配する中国某都市の旅はこの新幹線で始まった。
もちろん飛行場から駅までのタクシー移動はあったけれど。

藤原の座席の後ろのスペースが結構広かった。(この国の新幹線は車両系統のNO
は同じでも毎回車両の種類が違う気がする)
広すぎて荷物が動いてしまうから結局棚の上に収めたのだが、なんとそのスペースに
指定券を持っていないと思われるグループ5、6人が乗り込んできて陣取った。
この人たちがやたらとうるさい。グループなものだから喋りまくる。
しゃがんでいるのか座っているのか…
入口の座れない仲間に大声で声を掛けるし。ま、いいか、と諦めモードで寝たふり。

さて、次の停車駅で隣にサングラスをかけたかなり若い女性が乗ってきた。
(さっきまで隣に座っていたお兄さんは指定券を持っていなかったらしい。
 勝手に指定席に座る乗客の姿は毎回目にするがみんな堂々と座っている)
この、御嬢さん、イヤホンを耳にし、音楽を聴いているんだ…と思っていたら
声を出して歌い始めた。つられて歌っているんだ…と優しい気持ちでいたが、
なんと延々と歌っているのだ。
イヤホンを耳にしているから結構地声が大きい。車内は結構騒音の渦だった(笑)
その御嬢さんは結局同じ駅で降りた。駅前に公共タクシーがいないから白タクに
乗るのだが、なんと詰め込み状態の白タクに後から乗ってきた同乗者の一人は
その御嬢さんだった。初めて顔をみた。やっぱり、それなり…というか。

で、ホテルに着いて晩飯までの間、空港で買った小説を読み始めたのだが、ひとつ
困ったことが。主人公の「鞠子」という名前が読めないのだ。
でも、面白かったから「ン~子」とか言う感じで読み進めたのだがどうもイラつく。
100ページほど読み進めたところでかみさんに聞くことにした。
メールで質問。革という偏につくりが句の口の部分をを米って書いて何と読む?
と送った。読めないのだからこう聞くしかない。
「小学生みたい」というコメント共に「マリコ」という答えが返ってきた。
ははは 読めなかったよ、オレッタラ。

ホテルの中に韓日亭みたいなレストランがあり、そこで晩飯を食ったが、
和食のメニューに「手巻」とあり、「あらたまって」と併記されていた。
英語ではHand Rollingとあったが。誰が訳するんだろうね。

「鞠子」にもどこかに「マリコ」って書いておけよ、などと思いつつその後を
読み進めたら、最後のほうにやっとカタカナで出てきた。
手巻きが「あらたまって」なんだから、「鞠子」も好きに読んどけばいいのにね。

そして大した刺激もなく、3泊4日の旅は終わったのだ。
(中国某都市、厦門に戻る帰りの新幹線は静かだった)

                       (平成24年11月5日)

「秋」

一昨日、紅葉を期待して福島に行ってきたのだが、美しさはまだまだだった。
福島から山間部を抜け、相馬市まで往復したが、秋の気配と紅葉は残念ながら
同居していなかった。ま、紅葉観賞と旅の目的は別だったから良いとして。

問題は帰路。行は東北道で行ったのだがカーナビは帰り道を、常磐道と表示した。
何か所か通行止めの表示は出ていたが、福島回りで帰るよりずっと近い。
疑いもなく常磐道に向かった。

南相馬から常磐道を目指したが、途中なんだか寂しい町風景が広がる。
そして、灯りがまったく灯っていない町を通過・・・
不気味だった。気づくのに少し時間がかかったが、無人の町なのだ。
まるで、映画のワンシーンのよう。街路灯だけが申し訳なさそうに点いている。

とにかく抜けて常磐道を目指した。国道6号線。
6号線に出たと思ったら、カーナビは行くな、という。通行止めらしい。
仕方がなくカーナビにしたがって細い道を進むことにした。どんどん凸凹で
狭くなる。もちろん街路灯もなくなる。この道、本当か?

その先で、暗闇のなかに広い景色が広がった。何もかも流された町だと気付く。
明るい時間ならともかく、同色に見える道と平坦な場所の区別がつき難い。
さすがの藤原も、引き返すことにした。すでに5,60キロは走っただろうに…

そして、福島まで戻ったのだ。2時間近く、余分に走ったことになる。
無人の町を、また通った。
道路を、イノシシの親子だか、タヌキの親子だか、連れだって歩いている。
二組に出くわした。暗がりの中を、車に驚くでもなく悠然と歩を進める彼ら。

カーナビが利口過ぎるのか馬鹿なのか、とにかく初めての経験をした。

しかし、まだまだ寸断されている道路が多いことを改めて知った。
秋の紅葉を楽しむ…などとは言ってはいられない現実が、そこにあった。

                                                                                    (平成24年10月31日)

「遠い記憶」
 
記憶とは実に曖昧なものだ。長い年月の中で、事実として何度か話している間に
多少の脚色が加わるものらしい。そしてその歳月の中で脚色された部分も見事な
事実となっていく。脚色部分が相手に感動されればされるほど。
取材番組を長く経験すると、インタビュー中にそんな場面や現実によく出くわした。
事前取材とその話違う…なんかかっこよすぎ話…のように。本人に違ってるでしょ、
とは言えない。 でも、いいのだ、ご自分が断言しているのだから。
と、アプローチ無しで書き始めると、きっと読んでいる人にはなんのことだか解らない
よね、きっと。
「遠い記憶」の話をしたいだけなのだが。
さっき、ある人と番組の企画提案を相談しながら世間話をしたときのことだ。
藤原がなぜこの人生を歩むようになったか、のくだりの中で、「僕は中学生の時に
独唱コンクールで県で一位になった」と話した。だから間違えて「歌手」なんかを
目指してしまい、今日の藤原を創ってしまった…という話なのだが、はたしてその
県大会で一位だったのか、最優秀賞みたいなものだったのか実はよく覚えていない。
新聞に載ったことは事実だし、県大会で「砂山」を歌ったのも事実なのだが
「一位」という表現が正しいかどうかは今ではわからない。
誰に迷惑をかけるわけでもないし…という発想が、今日の書き出し部分に当てはまる
のかもしれない。
ついでに思い出したことがある。県の作文コンクールでかなり上位に入選したことがある。
小学生だったかもしれない。ラジオだと思うが、放送局に呼ばれ、表彰式とともに作文は
電波にのった。これで藤原少年は作文が上手い少年ということになった。それ以降、
学校でも文集用とか校内放送用とかよく書かされた。 作文に目覚め、文章をよく書く少年になっては行くのだが、放送局で上位入賞した作文はほとんど「異父兄」が書いたものだった!(笑)
なぜだか、経緯は覚えていない。
脚色とは関係ないが、遠い記憶の楽しくも懐かしい一ページだ。
気分が乗ってきたところなのに「切りのいいところで、早く打ち合わせに参加してくれ」
とスタッフから催促が来てしまった。残念、まだまだ「遠い記憶」がたくさんあるのに!
                                                   (平成24年10月22日)

「秋の日はつるべおとし」
 
さっきまで、会社の裏のビルが夕日で赤く染まっていたいたと思ったのに、
数分後には夕暮れ模様…まさに秋の日は「釣瓶落とし」なり。

どうも秋の夕暮は寂しくていやだ。家内いわく「前世の名残り」らしい(笑)
明るい時間が短くなってゆくことが、どうも嫌なんだな。
それと、昔バンドマンだった時代やピアノの弾き語りだった時代は、夜が
活動時間だったから、秋・冬は暗くなってから仕事に出かける…
駅のホームは仕事帰りの人で混雑しているのに、それを横目に仕事場に向かう
時間がすでに暗い、というのが何気にうら寂しい気分になったのかもしれない。

先日、会社としてお世話になっていたNHKのディレクターが亡くなった。
享年56 …
周囲から「天才肌」と言われ、数々の逸話を残し、多くのいい番組を残した。
だが、病とは名勝負ができなかったようだ。
「つるべおとし」の言葉を、連想してはいけないのだが。

秋が好き、と言えるところはどこかな…スポーツは得意じゃないし、食欲は
特にこだわりはないし、活字はいつも普通に読むし…
と書き進めているうちに、外がすでに暗くなってきた。なんだなんだグジグジ。
俺って、じじい!か ~~~ 

今年の紅葉前線の動きは遅いらしい。毎年思うのだが、紅葉の美しい映像を
撮りに行きたい、と思いながらタイミングを外してしまっている。今年は撮りたい。
「つるべおとし」を感じない時間の使い方は、じっとしていないことだ。
などと、自分で自分の尻を叩いているようでは… …
とここで、今週のトイレ当番だったことを突然思い出した!
「秋の日はトイレ掃除」 ・・・・・・・・・・・・・・・・    お・あ・と・がよろしいようで。

                                   (平成24年10月16日)

「関係者席」
 
世宗文化会館。NHKホールを模したような規模のホールで
ソウルを代表するようなホールだろうか、立派なホールだった。
チャン・ユンジョン。韓国の女性人気歌手の10周年ファイナルコンサートが開催され、
6日にそのコンサートに出向いてきた。1泊2日で。
客層は10代から80代までというが、かなり年齢層の高い観客だったと思う。
客席はいっぱいだった。ステージは華やかだった。構成する目線で見ているから
こうすればいいのに…なぜあの場面展開?…などなど職業柄のあら捜し(笑)
コーラス隊の音程が悪い!とかね。
周囲は盛り上がりを見せている。さて、ここで思わず笑いを誘う異様な光景が
気になりだした。我々一行、関係者席の光景だ。国内のコンサートでも関係者席
の人間は拍手をするでもなく、腕組みかなんかをして聞いていることが多い。
ここでも、同じ光景が。

ブロックの2列と半分が日本からの関係者席で、総勢30名。時々拍手はするが、
取材目的なものだから、やはりみな腕組み状態。周りの盛り上がりに比べて、
滑稽なほど静か。ウイテいる、かなり。
関係者席の3列目にいたから、我が一行の様子がよく見えわかる。
客席がみな立ち上がったとき、隣にいた通訳さんがたまらず、
「立ってください」と周りに言った。周囲を見ながらしぶしぶ立ち上がる我々関係者。
でも、最後までスタンディングしない雑誌関係者も当然居た。若者だね。
招待されているから、一緒に楽しむのは不自然、とでもいう感覚があるのだろうか。
人のことは言えないな。自分も関係者然としていることが多いから。
よく考えたら、なんか変だよね。
で、藤原はスタンディングしたついでに、手拍子なんかしちゃったりして。
レコードメーカー担当者10名。マスコミ関係20名。20名の内訳は、音楽評論家 2名、
雑誌関係17名ということは残り放送系は藤原1名。しかも参加者のなかに 知人はいない。
雑誌に取材結果を発表することもできない藤原はせめてこのブログに 書き込み、
チャン・ユンジョン日本デビューのお手伝いか?<10月10日日本デビュー!>
帰りに、彼女から沢山キムチをもらったし。(笑)
                                                      (平成24年10月9日)

「ベランダの花」
 
夏の盛りから、会社のベランダの花を植え替えていないものだから悲惨。
ちょっといくらなんでも可愛そうかな。残骸と化している花もある。
目配り、気配り、愛情が失われていたということだ。余裕がなかった、とか。

室内の花は、花屋さんとスタッフに任せてあるから、悲惨ということはないが
ベランダの花は藤原以外誰も意識をしていないから、花が今の自分を物語る
証言者になってしまうことがあるのだ。やっぱり余裕がないんだな。
時間はあるのだが… …

明日から一泊二日でソウルに出かけてくる。仕事と言えば仕事、取材かな。
ソウルは今年三度目だが、今回は気分転換する余裕もないらしい。
世宗文化会館というホールで行われる韓国人歌手のコンサートに行くのだが
どこのだれが参加する取材チームなのか、まったく理解していない。
一行何名なのかも知らないが、多分みんな初めましての人たちなんだろうな。
それはそれで、新しい出会い、ということで、良しとするか。

2日に三越劇場へ出向き、昨日4日は浅草公会堂に行ってきた。このところ、
ご案内をいただいても、なかなか出向く気力が弱まっていて、数々失礼して
来たが、少し馬力アップをしていろんなステージを見ようという気になって きた。
この状態が、ベランダの花状態に直結するのだ、きっと。
日差しに秋を感じる。裏の公園を挟んだビルそそぐ太陽の光が秋だと言っている。
衣替えには程遠い暑さが残ってはいるが、やっぱり秋だ。
さて、ベランダの花を、買いに行こうかな。留守にするし。
                                                          (平成24年10月5日)

「若き日の信長」
 
昨日、小劇場芝居の千秋楽を無事終えた。800名近いお客様に
劇場に足を運んでいただいたことになる。昨日は台風で心配したが
通路にまでお客様に座っていただくことになり、とうとう一度も座って
ゆっくり観ることができない結果に… まぁ、成功だったということだが。

彼らは何か新しいことを学んでくれたのだろうか…などとぼんやり考えながら
「心地よい疲労」というよりは「果てしない疲労」(笑)を感じていたりして。
でも、下は高校生から、上は「まるでお父さんようです」という37歳までを
相手にして、刺激的であったことは確かなのだが。

岡山県、岩手県、群馬県、遠方のお客様もたくさん居た。感謝!
藤原の仕事関係の皆様にも、沢山付き合っていただいた。感謝!
俺も、若いころは様々な舞台を目指していたなぁ…と何度振り返った事か。
舞台で輝いている若者に、心の中で何度エールを送った事か。
集客のためにどれほど腐心した事か。

だが、打ち上げの席で涙を流した何人かの男の子たちを眩しく見た。
過ぎてしまえば、「さて、次をどうするか」などと考えていたりして。
年に一度ぐらいなら、同じ知人に「案内状」を出す勇気を持てるかなぁ。
など、など。

さてさて、久しぶりにマッサージにでも行ってくるか。気分を変える為にも。
                          (平成24年10月1日)
 

「初日」
 
昨日、芝居の初日を無事迎えられた。初日はおかげさまで満員御礼。
プロデューサー席と脚本家席を用意する気配りの人間は誰も存在せず、
結局一番後ろで、立って観る羽目に(笑)

小さな舞台に、総勢30名もの若者を立たせたものだから、観客は驚いた
ようだ。まだまだ荒削りだが、業界関係者からは「期待以上だった」…?
とお褒めの言葉をいただいたし。

劇場のパンフレットには、定員87名とあったはずだが、95名も入れて
しまったのだから、座る場所があるはずもない。
出演者の数が、観客より多い、という現象をずいぶん心配したが
どうやら乗り切れそう。かな。

いい加減に手伝う程度の気持ちで始めたのだが、やはりそうもいかない。
若者30人をまとめ上げるのはなかなか骨がおれる。
でも、若者たちは2か月間に及ぶ稽古に良く耐えた。
途中、脱落者が何人か出そうになったが、でも結果彼らは中心人物となった。
彼らもきっと芝居以外の何かを、学んでくれたと思う。

そうそう、脱落者の中には藤原も含まれる(笑)
「もう、お前らで勝手にやれ」と宣言したら、「見捨てないでください」と
メールがきて、結局より力を入れる羽目になってしまったのだ。
そんな彼らに、若かった頃の自分を重ねてしまう。

「若き日の信長」が演じられている舞台に、「若き日の藤原」が立っている、
結構な苦痛や疲労に耐えられるのは、存外そんなことなのかもしれない。

                     (平成24年9月27日)
 

「9月17日は魔の日」
 
敬老の日、という「祝日」とやらで、私はだらしない恰好で自宅で新聞を読んでいた。
何やら人の気配がして、ごそごそもじもじという感じが伝わってきたのだが、
新聞から目を離すこともなく、無視。だいたいそんな空気の時は、
息子が何か言いにくいことを言い出すか、願い事に決まっている。
ちらっと盗み見をすると直立不動的立ち姿。
ますます知らんふりを決め込んで新聞を読み続けるワシ。
「あのぅ、」などと前置きをして、なにやらぶつぶつ言っている。(結構初々しく)
一瞬返答に困り、そのまま新聞をドサっという感じで顔に落としたワシ。
近くで聞いていた家内が「頑張ってね」だと。何を?
こっちが照れて「何が頑張ってだよ」などと新聞を顔にのせたまま呟くワシ。
場面は読み手のご想像にお任せするとして
まぁ、このところいろいろあったものだから、一応報告された、ということで良いとする。
だが、これなら何も「魔の日」ではない。後があるのだ。夜、若者たちの芝居の稽古に
立ち会って家に帰ると、ダイニングに見たことのある若者が。。。  何か 不吉な予感。
彼は最近、娘の大勢の友達のなかの一人として自宅へ二度ほど来ている。
一度だったかな? たくさん友達が来るから定かではないが、多分娘の作戦。
彼は突然言い出した。そう、にっこり笑って突然!
「<あすみ>さんとお付き合いさせていただいています」 それもきっぱりとした口調で。
ああ、今日は「魔」の日だ。絶対悪い日だ。何かがおかしい日なのだ。まともじゃない!!!
「なんで今日なの?」とかぶつぶつ。
彼は言った。「もうすぐあすみさんはロンドンに帰るし、お話する機会がずっと先に
なってしまうと思ったので今日お話ししなくては、と思いました」  … …
彼はまた悔しいほどきっぱりとした口調で言った。
それはお前の勝手だろう!と思ったが口にはしなかった。悔し紛れに父はこう言った。
「今日は午前中も告白タイムがあった。午前バージョンと午後バージョンか?」
なぜか言葉は白々しく説得力がない。
23歳になる娘に初めて男の「存在」。男の手を握ったこともないだろう、と「心配?安心?」していた父。(いいんじゃないの、だってただのお付き合いだし…)
落ち着かない父は、なぜか午前バージョンとは違い、饒舌を気取るのだった。
ああ、絶対「魔の日!」だ。
21日、娘は留学先に帰る。「一緒に成田へ送りに行くか?」などと、あぁ、また心にもないことを口走ってしまったのだ。     ・・・・・・・・・・・・・・・  
                                             (平成24年9月18日)
 

「夏休み」

久々に長めの休暇をとり、5泊7日の遅めの夏休み旅行をしてきた。現実から離れて…
のつもりだったが、2.3日はメール・メール・メール。電話着信履歴、着信履歴、着信履歴。それでも、帰国中の娘と一緒だったし、僕は満足、満足、満足。

帰国したら、なぜか「焼肉」と「ラーメン」という思いがあり、昨日帰って夜は近所で焼肉。今日の昼は、「ラーメン」を食したのだ。この性格は、子供のころから変わらない気がする。
とにかく、一度イメージしたら、食わないと気が済まないのだ。飲み物も、しかり。

若かった頃のある日、「これを飲んだら淋しくなくなった」という焼酎のコマーシャルを見て、昼日中その焼酎を買いに行ったっけ。夏休みなどとは無縁だった若いころ… …
思い出したくもない、辛く暗い毎日だった(笑)

さてさて、そんな夏も終わろうとしているのだろうか。暑さは続いているが、どこか秋。
windowには秋物、冬物。
また一つ、季節がおもむろに通り過ぎていくのだ。

「夏休み」と呼べる時間を取れることに「感謝」したい。40歳までのあの時代、休む、
などということは考えられなかった。休んでいたら、「世間に置いて行かれる・・・」
そんな風に考えていたような気がする。「食っていけない・・・」だったかな?
何れにせよ、僕の「夏」は終わった。

さぁ 早く「風よ吹け!」  あ、これって「他力本願」か? などと、ぶつぶつ言いながら
会社のスケジュール表を見る藤原。 あぁ な・つ・や・す・み。

(平成24年9月10日)

「むむむ、やるな」

先日、あることがあって娘を叱った。一言だが強く。それからしばらくは
目も合わせられなかったらしい。同じ空間にいることを彼女は避けだした。
父も、彼女のブログを見ることもやめた。(ということは毎日見ている?)

こっちも意地だ。「かわいさ余って憎さ一倍?」勝手にしろ!!!
でも、9月3日から一緒に旅行に出かけるから何とかしなければ・・・
どこかで腹は立っているのだが、つい机の脇に貼ってあるこんなものに目が行く。
そんな中で、娘から妻に来たメールに父がこう反応した。「わかった。パパ」
そうしたら、すぐに娘から返信がきた。「ありがとう、ごめんね」だと。
ブログでも見てやるか。開いてみたら、全部英語で書いてやがった。読めるわけないだろ! 日頃日本語で書いているのに、なんだよ!とすぐブログを閉じる。
昨日の夕方、久しぶりにメールが来た。「7時ごろパパの知っている高校時代の友達が
たくさん来るから、一緒にバーベキューでもやらない?」・・・なんでだよ・・・
「今日は早く帰れるかわからないからみんなでやってて」と返信したが、父が家に帰ったのは娘より先だった・・・
今朝、いつもより早く家を出たのだが、娘があわてて駐車場まで追いかけてきて
お手製の「パンに何か挟んで串で刺したもの」をくれた・・・    昼飯だ。
パン党ではないのだが、昼飯はそれで済ませた。「むむむ、おぬし、やるな」

                                                                                         (平成24年8月31日)

「蝉の声」

会社の裏が公園だから、ジージージーとかミンミンミンとか、蝉の声がよく聞こえる。
外国人にはどんな音に聞こえているかわからないが、子供のころから蝉はそう鳴く
モノだと教わってきたから、きっとそう鳴いているのだろう。
あるいは「泣いている」蝉がいるのかもしれない。

8月も終わろうとしているのに、夏の終わりはなかなか見えない。夏は好きだからいいけど。

今朝ベットの中で、何気に「鬱」時代のことを思い出していた。不調が続いたので、心療内科を受診したら、5分ほど話を聞いてくれて「鬱ですね、お薬を出しましょう。」といわれそれから約一年間、5,6種類の薬を飲み続けたっけ。薬を飲み続けることに今度は罪悪感。で、思い切って医者を替え、薬をサプリメントに替えて乗り切ったことがある。

的確な判断、的確な診断、本当に難しいと思う。だがあの時、「鬱ですね」といわれて
気分が楽になったのも確かだった。(鬱なんだからしょうがない… …)

そのころの夏、家族との海外旅行先で、僕は薬のせいでほぼ日中も寝ていた。ボーっとして。
9月に入ったら、夏休みをとろうと思っているので、そんな夏を思い出したのかもしれない。あれま、気のせいか蝉の声が遠くなった気がする・・・
「気楽さ」を手に入れて、寝そべって蝉の声を聞きたいよ。なんてか。

(平成24年8月28日)

「姿勢」

先日、スタッフを誘って昼食に出かけたときのこと。少しの間、社内が無人になる。
外にでて、ドアを閉めようとしたら、一人のスタッフが戻って室内の灯りを消し始めた。
それを見て一人のスタッフは、「すぐ戻るのに…」といった。

なぜ、この話?
今日友人と昼食に出かけたときのこと。自分の部屋を出ようとしたら友人がこう言った。
灯りは?僕「いいですよ」。

昼食をしながら、友人とこんな会話をした。今どきの若者は、会社のために利益を出そう、とか一円でも残そうとか、そんな考えは持ち合わせていない、云々。
自分の財布だったら、これが無駄とか、節約しようだとか、考えるんでしょうけどね・・・

友人がこういった。だったら社長がさっき部屋を出るとき、きちんと電気を消して
姿勢を見せたらいいのに…  ははは、ほんとだ。

節電意識はかなり浸透してきたが、改めて日中、会社の灯りを消したスタッフを思うのだった。
無駄は省けばいい。その通りだ。
で、どうした?昼食から帰って、自分の部屋に二つある灯りの片方を消した。
俺って素直?単純?いやいや、社員に模範となる姿勢を見せるために!などと思いながら、小さな溜息…なのだ。

(平成24年8月24日)

「金魚」

2年ほど前に一度書いたような気がする。が、確認せずに書き進むことにする。
「金魚」は焼酎の水割りに「大葉」と「鷹の爪」を浮かべてのむ夏向きの飲み物だ。
ただそれだけなのだが、初めて口にしたときに藤原がうっかり「もっと辛くしたらいい」と助言らしきことを言ったものだから、素直なママは新しい一升瓶の焼酎のボトルに
「鷹の爪」を6本、それもご丁寧に切り刻んで入れ、「食道が焼ける」ほどの辛さの
原液を製造して待っていてくれたものだった。

あの日は、「捨てろよ!」と心では叫んだのだが口に出せず、少しだけ飲んだ。恐る恐る。あれから、2年?3年?
昨日、久々に店に行ったら、なんとその辛い「金魚」が評判とりなり、喜んで
飲むお客様が続いているそうだ。
僕はもちろん「辛い原液」は小さなグラスに別にもらった。


本当に夏向きな飲み物だ。3杯でやめようと思っていたら、途中なぜか娘から電話があり
「金魚」の店で合流。娘はウーロンハイを少しだけ。僕は結局6杯かな、7杯かな・・・
酒が進んでしまったのは、娘にからっきし弱い、ということか。
この店、「味宏」という小料理屋でママ一人で切り盛り。渋谷マークシティの脇の坂を
ゼイゼイ言いながら結構坂の上まで登りきると、あるある「味宏」が。
マークシティの中を抜けコンビニのところに出るのが楽らしいが、通ったことはない。
あ、それから、「金魚」はなぜか悪酔いしないような気がする。…気がする…だけかも。

                                                                         (平成24年8月17日)

「昭和の光景」

昭和に関する提案を書いている途中、インターネットの検索では、古い情報しかなかった
から、行ってみてみるか…と思いつきで池袋・雑司ヶ谷の「鬼子母神」に出かけた。
駄菓子屋さんなのだが、13代目という店主はかなりご高齢なはず。
情報はかなり以前のものだったので、とにかく存在を確かめに行ってみた。
あったあった、静かな境内のたたずまいの中に、ぽつんとそれらしきものが。
創業は1781年というから、230年以上前か!屋号は「上川口屋」。確かにあった。
 
3年ほど前、やはり千駄ヶ谷や墨田区の京島界隈を歩いて、「昭和」を探したことがあったが、ここの雰囲気は何やら異質を感じる。境内の中、ということもあるが。
鬼子母神の入り口には古いミシンが並ぶやはり時代を感じる洋装店もあった。

この一角は何かが違っていた。
だが、やはり何か深い郷愁を感じる。我々の昭和に寄せる思い、とは一体何なのだろうか、などと昭和に思いを馳せながら鬼子母神を後にしたのだった。

話は変わるが
一昨日、懐かしい店に行ってきた。懐かしい店、というよりも懐かしいママの店かな。
当然思い出話に花が咲くのだが、30年近くも前の話で盛り上がる。
あいつが死んだ、あいつが別れた・・・
で、上京当時の話になる。思いで話で飲んでる酒の味は、ほろ苦いがなかなか酔えない。

あれもこれも、刺激的な思い出はすべてが「昭和」だった、気がする。
昭和の光景は、懐かしさを超えた、自分史ってとこかな。久々に昭和を回顧する時間を
ちょっぴり過ごした。なかなか酔わなかったので最後に日本酒を多めに飲んだ。酔いたくて。
これが、効いた。

(平成24年8月9日)

「小劇団」

20数名の若者の劇団公演の総合演出とプロデューサーを引き受けてしまった。
公演は9月下旬、下北沢の小さな劇場。
4日の土曜日に初めての全体顔合わせがあり、出向いてきた。脚本を友人に依頼し
それなりの芝居体制は整ったのだが。

なにしろ、片手間では仕事をこなせないタイプだと己を知っているから、どこまで
入れ込んで手助けをしていいものやら、多少悩んでしまう。
藤原も、上京したばかりのころは、音楽だけを目指しているわけではなかった。
芝居もやりたかった。が、すぐ「お金」に繋がったのが音楽だったので、飯代の誘惑に
勝てず、音楽の道に行ったようなものだ。根性無しめ、藤原!

みんな活き活きしていて、楽しい。物怖じしないし、目的意識があるし。
現場に行くまでは、実はかなり憂鬱だった。このところの個人的な精神状態からして
会社以外の「何か」にきちんと向き合うことができるのだろうか…云々。
が、結構しゃべりまくり、個人的なストレスが軽減されていたことに翌日気づく。

劇団員には、
10代も30代もいるがほとんど20代。俺の20代?ハードだったなぁ。生意気で。
組織人と特に「お巡りさん」が嫌いで、たびたびトラブルがあった。
だから、お湯のような味噌汁と麦飯、コッペパンの味を知っている。2泊3日だけど。
などと、彼らに接っしていると、思い出すことだたくさんある、ということだけだが。

さて、彼らが夢と希望の旗を掲げて臨む公演そのものを、現実という土俵にのせて
かじ取りをせねばならない。携帯の電源を切って海外に出るより、案外、藤原の
精神衛生に役立つ彼らなのかもしれない。そう願う、という意味だが。

(平成24年8月6日)

「歌謡同人誌」

「こけし人形」という歌謡同人誌がある。毎月発行の同人誌で間もなく700号を迎える。藤原がこの会に入会したのは多分18歳のころだ。「北条ジュン」という名前が最初のペンネームで、次が「愛かがり」だったと思う。誌面上でしか知らない男性会員が、女性と間違えて手紙をくれたり、カメラを抱えてアパートを訪ねてきた男性会員もいた。
残念賞!!!ってとこかな。ずいぶん昔の話だが。

なぜこの話?この同人誌が700号を区切りに歴史に幕を下ろす。その記念号に「寄せる
言葉」を求められていたが締め切りは昨日だった。
さっき昼食をご一緒した方が「共産党90周年で、それに寄せる言葉」云々で思い出した。で、急いで書いた。 から、今日はこれがテーマとなったわけ。

かなり以前、歌謡同人誌は何誌か存在したが、今はこの同人誌だけ。藤原はなぜか
会のご厚意で、ずっと特別会員の場所に名前があった。
この会を紹介してくれた友人は今年逝った。時間も事情も整然と記憶に変わっていく。

700号という重みに「敬意」と「尊敬」を思わずにはいられない。わが社は来春20周年。 3分の1程度の時間であえいでいるのだから・・・

時々「歌のちから」を思うことがある。歌は、時空を超える。一気に何十年も前に連れ戻し、「純粋」や「純情」を呼び戻す。人の命を救うこともある。
そんな「歌たち」も現代の文化の名のもと、変わってきた。
職業作詞家、作曲家の活躍の場も変わりすぎた。1990年代を区切りに、歌文化も
変貌を遂げた。

数多くの「歌謡曲作家」を取り上げ、番組にしてきたが、すでに描きつくした感がある。
TVに求められるものが違ってきたせいもあるが。

そして最後に残った「歌謡同人誌」も幕を引く。どんな物語も、歴史の中の一コマになる。

(平成24年8月1日)

「7月」

7月は、今年初めて遠出の旅に一度も出かけない一か月だった。そのわけ?
一つには娘が留学先から夏休みで戻ってきている、ということもある。
あとは…なぜかそんな気分にならないほど気が滅入っていたせいかもしれない。
なかなか、心のコントロールというやつは、一筋縄ではいかない。

因みに、と何気に去年の手帳をめくってみた。やはり、7月はどこにも出かけて いない。
きっと去年も、夏休みで娘が戻ってきていたんだろうな…からか?
何れにしろ7月は毎年のように刺激の少ない月なのかもしれないな。

そうそう、昨日娘が昼の弁当を作ってくれた。写真を撮ってから食べよう、と思っていたのに
それを忘れて食ってしまった。ははは、残念。

さて、今日は15時から「鰻屋」で昼の宴会がある。会合か?だから、今日は朝飯昼飯抜き。
なぜ15時から?この会合メンバーの一人のアナウンサーが朝早い番組担当なので、
彼のスケジュールに合わせてこの時間なのだが、みんな結構飲むんだな、これが。
なので、今日の一日は刺激的(笑)
しかし、長い間続いている「会」である。15、6年?もっとかな。メンバーは多少入れ替わって
いるが、この会の歴史上、参加者の中で「旅立った」のは一人だけ。
藤原は年齢的には下から2番目。同郷のアナウンサーが一番若い。
ということは、あとはみんな爺さんだ(笑)

利害を共有しない、思い出話だけのメンバーも、時には必要!ってことかな。
で、「7月」は、終わる。

(平成24年7月31日)

「猛暑とメダカ」

土曜日の日に一瞬迷ったのだった。メダカを家に持ち帰ろうかな…と。
weekdayなら、スタッフも結構遅くまでいるし、大丈夫かなと思ってはいたが、
土曜の夜は誰もいないし、この暑さだし・・・
迷いながら帰り、メダカが気になって昨日の日曜日会社へ来てみたら。
全滅だった。かわいそうに・・・ゆでメダカ状態だったんだろうな、きっと。

スマナカッタ、メダカたち。

さっき韓国の80歳を過ぎた知人から電話があった。
「寒いでしょう!藤原さん! ソウルも35度だよ!」だって。本当に元気なんだから。
でも、夏の暑さって、昔からこんな温度でしたっけ?
夏だから、当たり前のような、当たり前じゃないような。
でも、藤原は夏が嫌いじゃない。というより日差しが好き、ということかな。
だから、夏が嫌いじゃない。

さっき、小さな打ち合わせがあって、下北沢へ行ってきた。
南口待ち合わせだったが、藤原君、日陰に入るわけでもなく、じりじりと焼けるような
太陽の下で人を待つ。ははは、変なやつ。

前世はきっと、地下とか穴倉で暮らしていたんじゃないか?藤原は。
そういえば、さっきの打ち合わせで初対面の男性から「あっ、会ったことある!」
と言われた。「きっと前世で会ったんでしょ」とかわしてみたが、
あんがいそんなところかもしれない。

で、メダカの希望を奪ったこの猛暑、いつまで続くんでしょう。原発反対のデモの皆さんは
どんな節電対策なんでしょう。
鳩山さんはランニングシャツのような姿で参加してくれたら、
説得力があったでしょうね。
   
(平成24年7月30日)

「携帯電話」

携帯することが当たり前になってどれぐらいがたつのだろう。携帯電話の便利と束縛。
いっそ不携帯を決め込んだら、どんなことが起こるのだろう…と夢想してみた。
電源を切る、という発想にはいかず、電池を抜く、ところに行く。絶対「携帯」恐怖症だ。

俺は携帯持ってないから…そう決め込むことはできないだろうか。
仕事も、待ち合わせも、旅行も、事前の段取りをおろそかにしなければ、OKか?
などと、このところもったいない時間を費やしている。

昨日、あろうことか自宅の前のお宅の入り口というかガレージに車をぶつけた。
突っ込んだ、というほうが正しいのかもしれない。
車庫を出て、普段は切り返しなしですっきり抜けられる道幅があるのに。
正しい理由はわからない。昼日中、とにかくぶつけたのだ。
事故を起こしたことがない藤原君なのに。

すぐさま携帯で車の担当者に連絡。前の家の奥様の携帯番号を伺いご主人の携帯番号
を伺い、こちらの携帯を伝え…
だから携帯恐怖症になったわけではない。
携帯が嫌だな・・・なんてことを思っているときにそんな事態になったのだ。

携帯電話にはせっせと情報を入力するのに、前のお宅が建てられて5~6年?かな。
日頃挨拶を交わし、親しいと思っていたお宅の「名字」を、昨日知ることになる。。。

それにしても、 各種情報処理と本来の人間的communication の未来を
楽観的に捉えていていいのだろうか…などと
ブルーな気持ちで一人語りをするのだった。

(平成24年7月17日)

「マキシム」
 
マキシムというロシア人の友人がいる。音楽家だ。音楽一筋・・・と思いきや。
彼は小説を書いている。それも日本語で。
そして、小説を書いて生きていく人生を夢として描いている。純粋に。

彼の小説を読んで、藤原はどうも注文を付けたらしい。かなり酒に酔って。
本人はよく覚えていないのだが、マキシムからこんなメールが届いた。

「描写のやりすぎ、場面のつながりなどの問題があった、とこの間おっしゃったと思いますが、
それについて少し詳しく伺いたいと思います。ところで、小説を読み終わったのでしょうか。」

ここだけを抜書きすれば、なんか苦情のように聞こえるが、決してそうではない。
前後は純粋な彼らしい言葉がちりばめられている。
彼は、もっと具体的な感想がほしい、そのために藤原に会う時間が欲しい、ということだった。

彼は純粋で純情だ。すぐ赤面する。そして正直。嘘がつけない。
次に彼に会ったら、こうアドバイスしようかな・・・
「もっと悪くなれ!藤原みたいに!」。 でも言えないな。言えるほど悪じゃないし。。。

「夢」を素直に言えるのがいい。構えずに。
最近の日本人は先に評価を気にして「夢」をなかなか素直に語っていない、
としたら「マキシム」の将来の希望や夢を耳にすることが実に心地よい。

何れにしろ、前向きなエネルギーの見える友人がいることに感謝したい。
なんて言ったって、己の刺激になるから。

そうそう、早く彼の小説を読み終えなくちゃ。まだ途中だった。ごめん!!!

(平成24年7月11日)

 
「占いの館」

先日、半分冷やかし気分で「占いの館」なる場所に立ち寄った。
日頃身近な環境に「四柱推命」だとか「運命学」だとか「風水」だとかが
あるものだから、土地や環境が変わればどんなことを言うのかな・・・?
程度の軽い気分なのだが。

四柱推命系の話は、うんそううだってね、なるほどなるほど。聞いたことある!
風水、色?方角?なるほどなるほど、そう聞いていた!
(でもこれは、藤原に備わった動物的感らしく、教わる以前からそうしていた、
と言うことが 多いのだ、植物や色やたまたま一致する方角など。なぜか)

冷やかし半分と言い訳しているが、積極的ではないにしろ実は真面目に聞いている。
そして最後に、手相を見てもらった。
占い師のおばさんは、一度手をさわっただけで、掌の線を見るでもなく、こう言った。
「お金には困らない」    藤原の心の中で 「?」「?」「?」 …  …  …
そして彼女は(正確には彼女のアシスタントが)紙にこう書いた。〈富貴〉

こういうおばさん、大好きだ。

「アンタは死ぬ」などと言う占いのおばさんは自らが死んだほうがいいんじゃない。
嘘でもいいから、夢を売りなさいよ、!と思ってしまう。
夢を買った気分にはなれていないが、嫌な気分にはならなかった。
そして、今必要な「色」を聞いたので、色にこだわって昨日Yシャツを3枚買った。

俺って、単純じゃん。それも、いいよね。

(平成24年6月30日)

 
「1Q84」

文庫本になってから読み始めた。6冊中の今5冊目。
何が魅力か、と問われると説明はしにくいが、その先を早く読みたい、
というそんな衝動に駆られる小説だ。

中身を知らずに、話題の本だから…という理由でロシアへお土産として持参。
友人にプレゼントしたものだから、自分も読んおこうという単純な動機で
文庫本が全部出るのを待って買い求めた。

読み進めるうちに、女性へのプレゼントとして適切だったか疑問符が付くのだが。

読書には時間が必要だ。このところ酒量が減っている。時間をみつけて、
読んでしまおうという思いがあるものだから、珍しく本が優先されている。
本当に久しぶりだ。小説にこんなに時間を割いているのは。

余談になるが、先日、《脳を育てる「紙の本」》と言う新聞記事をよんだ。
なぜ、紙の本が脳によいのか、思考のツールとしての有効性などについて
大学教授がインタビューに答えていたものだが、
その記事を切り抜いて保管してある。
「1Q84」を読みながら、なぜかときどきその新聞記事を思い出す。

今日、昼食で外へ出たついでに少しでも読もうと思って本を手にして出かけた。
で、どうしたか?
読む場所を求めて、この辺を循環するコミュニティーバスに乗ったのだ。
小一時間程度乗ったのだろうか…渋谷駅前から乗り、会社のすぐ近くまで
循環バスは戻ってきた。クッションの無い座席なものだから、
尻の痛さと引き換えに読書の時間を手に入れた。100円で。

小説に夢中になっているのか、現実逃避で活字の世界に浸っているのか…
線引きを曖昧にして、残りのページの紙の匂いを嗅ぐのだった。

(平成24年6月27日)

「ひとりごとの時間」

外は台風だ。今午後11時30分。仕事がなかなかはかどらない。
こんなことを書いている暇は無いんだ…などと思いながら、ま、一休みってか。

この作業の猶予は明日一日。だけど明日はスタジオ収録。だから、スタジオは
顔だけだして、あちこち挨拶をして、いかにも居るふりをして、会社で作業だな。
だけどはかどらない…
ま、明日は崖っぷちだから、ナントカなるか。
崖っぷちになれば、根性がものをいう。(と言い聞かせるワタクシ)

このところ、マイナスのスイッチがひとつ入っている。友人の死だ。彼は
寿命を全うしなかった。大空へ羽ばたいた。
僕が18歳のときに書いた初めての「詞」に曲をつけてくれた。
同人誌を紹介してくれて、それから僕は歌謡詞を書き始めた。
彼の結婚式の司会もした。
弟も寿命を全うしなかった。あの哀しみと後悔とは違うが、なぜか重い。

先日、アジアの某国某都市で空港に向かう為タクシーに乗った。
もちろんその国の言語をほとんどしゃべれないから、紙に書いた「空港名」を
運転手に見せた。
わかったと言った。(ゼスチャーで理解)。だが、走り出そうとした彼は
もう一度見せてくれと言った。(ゼスチャーで理解)。
そこで僕は紙を見せながらこう言った。(ヒコーキ)。
彼は、わかったと言った!!!

僕は〈Airport〉と言うつもりだったのに…

このはなし、自分ではとても気に入っている。いつか誰かに言ってやろうと
思っていたが、ひとりごとに、丁度いいレベルか・・・

空港で僕は、気持ちよく運転手にチップを渡した。(これ、取っといて!)
と、もちろんゼスチャーで。
彼はなんでこんなにチップをくれるんだろう?と読み取れるしぐさをしながら
めちゃくちゃの笑顔で去っていった。

心の十字路で、プラスのスイッチを探す為には、いろいろな経験が必要だ。
これで、今日のひとりごとの時間を お・わ・る。
                                (平成24年6月19日)

「歌供養」

「第28回 歌供養」 施主、作曲家 船村 徹 グランドプリンスホテル新高輪 にて。

船村先生の誕生日にあたる昨日12日に開催され、今年も行ってきた。
故郷 栃木からお坊さんがやってきて、埋もれ行った「歌」たちと、
作詞家・高野公男氏を供養する恒例の行事だ。今年は、星野哲郎氏も加わった。

歌供養…何気に毎年参加していたが、先生は今年80歳。そのエネルギーに頭が
下がる。歌を供養する・・・
さて、藤原は、何を供養する精神を持ち合わせればいいのか?などと思案しながら
頭を垂れるのだった。
500名ほどの参加者だったろうか。供養の後の懇親会のテーブルで、隣席になったのが
現在82歳の昔有名な女性レコーディングディレクター。
知り合いだったから話は弾んだが、癌の手術を2回もされた方とは思えないほど元気。

船村先生の年齢を考えれば、参加者が高齢なのは納得するが、歌謡曲の世界が
年々底上げされていく現実を感じる会でもあった。

隣席だった元ディレクターから、今朝電話を頂いた。用件は昨日の会話の中で「不明」
だった件の「答え」と、もうひとつ、
「今度機会を設けて西麻布の〇〇で一緒に飲みましょうよ!」だった…
                                     
 (平成24年6月13日)

「6月8日」

先日、上野文化会館に出向き、昨日は上野の東京都美術館にいった。
何年かぶりの上野公園界隈が続いたが、久しぶりの上野公園は綺麗だった。
「スタバ」で年配の男女がくつろいでいる・・・
上野はどこか淋しい思い出に繋がるから、好んで出かけたりしなかったのだが、
ちょっと気持ちが変わった気がする。

昭和41年、上野公園口に降りて、文化会館の前あたりだったろう、と記憶して
いるが、15歳の僕は職安ごとのプラカードの列に並んだ。
立川職安だったか、府中職安だったか。
全ての始まりは、上野公園口だった。

明日の食い扶持がまだ乏しかった時代、「上野精養軒」で結構長いこと
結婚式の司会をしていた。あまり思い出したくもないが(笑)
しかし、何でもやったな・・・

なんでこんなことを?それは明日、また「誕生日」を迎えてしまうからだ。
15歳で上京して、東京で初めての誕生日を向かえたのが6月8日、16歳。
誰かが祝ってくれたのかどうか、覚えても居ないが・・・
そして着実に年を重ね、明日その日を迎える。
ロシアの友人と岩手の友人から、早々と今日、お祝いメールが届いたけど(笑)

でも、今日でよかった。これから名古屋へ出張。明日はメールが見られないからだ。
名古屋の芸術劇場で、誰に言うでもなく、一日が終わるんだろうな。

でも、暖かな人々に囲まれていることを、改めて感謝できる一日でもあるんだよね。

(平成24年6月7日)
 
 
「結婚式と涙」

先日、友人の娘さんの結婚式に出席した。友人が「泣く」ことを期待して。
日頃、ポーカーフェースを演じている彼だから、その瞬間を見たくて。

来た来た、その時間が来た、と藤原が期待する「感謝の手紙」のシーンだ。
手紙の朗読が始まり、両家のご両親がライトを浴びて、聴き入る・・・ ・・・
そして娘の父は、瞬きを始める。くるぞ!くるぞ!
藤原は手紙の主のお嬢さんに背を向け、彼の表情だけを追いかけた。
彼は確かに泣いた!しっかり見たぞ!

だけど、無残にも、大泣きしたのは、藤原だった・・・
司会者がしっかり見ていて、あとで言われた。
号泣していたのは、藤原さんだった。。。自分の娘だったら・・・ ・・・

彼はこう言い訳をした。「ここでも花粉症がひどくて・・・」認めろ!涙を!(笑)
あの日、宴が終わった夜、恐ろしく孤独な時間を迎えたんだろうな、きっと。

昨日2泊3日の出張からくたくたに疲れ果てて会社に戻り、メールを開くと
娘からのメールがあった。  ※無断転記する。
ふむ。
とりあえず、やってみないと私は悩み続けるから
思いついた事は全部やろうとおもう。

わたしは父に相談できる。
父はきっと誰にも相談できない。。
息抜きを・・・


私は、本当に涙もろい。

(平成24年6月1日)

「オペレッタ」
 
一昨日、招待されて出かけた東京文化会館のクラシック系コンサートは
実はコンサートではなく「オペレッタ」だった。行ってみて初めて知った。
しかも座席はオケピットが覗けるくらいの前列2列目。しかもど真ん中。
左右の字幕が読みにくい位置。だが、結構楽しかった。
なんたって初めての経験。同行したスタッフに「オペレッタ」って何?と
聞いているぐらいだもの(笑)
去年ロシアで観た「バレエ」も実は初体験だった。結構長く生きているのに、
まだまだ未経験のものが実に多いと感じる。
昨日、同じ「藤原」という友人が亡くなった、と奥様から電話があった…
僕が18歳のころからの付き合いだ。作曲を勧めたのも彼だった。
若いころ、作曲家を目指したのは彼との出会いがあったからだ。
まだ69歳。「亡くなったのは何時?」「昨日火葬を済ませたばかり…内々で」。
つい先日、亡くなった友人の事を自宅で話題にしたばかりだった。
「彼、幾つになったんだっけ、どうしてんのかな、大丈夫かな?」云々と。
その彼と奥様の結婚式の司会をしたのが30数年前…
未経験話はここに繋がる。必死に前を向いて生きてはきたが、左右を見る
余裕が自分にあったのか?今頃になって、初体験の事がいっぱい。。。
友人の死に接した時、残りの時間を考えてしまうのは無駄な事か?
などなど、複雑な気持ちになってしまった。
オペレッタは、明るく愉快だった。明るく愉快なのが「オペレッタ」なら
「オペレッタに生きたい」。
                    (平成24年5月26日)
 

 
「気分転換」

今朝会社のメールを開いたら、娘が6月30日着で帰ります、とあった。
夏休みだ。就職活動もするらしい。ふむふむ。お父さんの重い気分は
一瞬にして転換された。ま、すぐ現実に戻るのだが・・・

このところ精神的懸案事項を抱えていて、「我慢するべきか」「言うべきか」
「飲み込むべきか」などとぐたぐたしていたものだから、
娘のメールは清涼飲料水というところか。

世の中に、突然訪ねてくるのだが、なぜかほっとする人が居るということを
知っている。いい意味で、気分転換になる人だ。
藤原には居る。取引銀行のY君とデパート外商のSちゃん(男性)。
適当にイジメがいがあるし、何と言っても笑顔がいい。もっといいのは
ふたりともセールスが下手。でも、いつもこの「下手」な手に乗ってしまう。
彼らのほうが、一枚も二枚も上手なのかも知れない。

さて、今日は夕方から、S席が3万なんぼするという、クラシック系の
コンサートに誘われている。が、行こうかどうかと、まだ決心がつかない。
気分転換になることがわかっていれば、行く、行くなんだろうが。

で、娘が帰ってきたらどこへ行こうかな・・・などと妄想を始めるわたし。
で、朝方の精神的懸案事項は「我慢しなかった」。
で、きっとコンサートには行くんだろうな。
   
(平成24年5月24日)

「記」

10日の昼に成田を出発。ペテルブルクには深夜、現地24時30分到着。
ホテルには午前2時ぐらいにチェックインかな。一行総勢6人。
11日
午前9時集合、昨年お邪魔した「バラの学校」をワークショップを兼ね表敬訪問。
午後15時 ペテルブルク日本国総領事館の川端総領事と昼食会。
19時~演劇アカデミー(大きな学校だった)でワークショップ。晩御飯?忘れた。
12日 
10時出発 「軍港都市」クロンシュタットという市の劇場で公演。
照明、音響、事前打ち合わせ無しのいきなりリハーサル。藤原、走り回る。
終演後、会場の館長主催交流会。その後雨と風の中をミニ市内観光。
ぺテルブルグ着24時頃。ホテル内でみんなで夕食。
13日 
OFF だが 市内観光の迎えが11時。手配されたバスで市内へ。寒かった。
昼食とあまり間をおかない夕食を済ませホテルへ。
時間が出来て、ようやくパソコンを繋ぐことができた。
14日
午後、大学でのワークショップ。
演劇フェスティバル開会式参加。(ここまでは藤原不参加・体調不良)
夕方から、空港近くの一般家庭にお邪魔してウエルカム歓迎パーティー。
当日、スペインから帰ったばっかりというご夫妻。なのに沢山の手料理!感激。
15日
市内の文化会館にて本公演。
リハーサルを担当した音響オペレーターが、リハが終わった途端、僕は今日
18時までですから・・・ ??? ・・・   本番は19時30分から・・・だけど。
※なんの為のリハーサル?と通じない日本語で叫ぶのだった。
この日の会場は1階ホール内に音響、3階が照明。移動手段は階段!(この日痩せた)
キーラとサリュウナという二人の可愛い通訳をお願いして、1階と3階に配置。
藤原は1階で音響をやりながら、僕の通訳をしてくれるサリュウナに照明ポイントを指示。
サリュウナは携帯電話を使って照明技術の側にいるキーラにその指示を伝達。
面白かったがまるでタイトロープ。だが公演は大成功だったと思う。
ブラボーの声が飛び交った。会場には総領事夫妻もお出掛けくださった。
取材で現地のTVカメラも入っていた。終演後、お待たせしててしまったが
総領事ご夫妻の車に乗せていただいて、お別れパーティーの会場へ。

ここには懐かしい顔ぶれが沢山!そう、去年出合った、日本センターの日本語教室の
生徒たちが、お別れパーティーを開いてくれたのだ。
もちろん仕掛けにんはワーリャさん。
今回のロシア公演の仕掛け人でもあり友人のカリーニナ・ヴァレンティーナさんだ。
16日
帰国日。14時の飛行機だから、ゆっくりで・・・と思っていたらお別れがしたい!
とのことで朝9時集合(笑)
沢山の皆さんがホテルから空港まで見送りに来てくれた。(みんな仕事は?)
出国ゲートに入ってからも姿の見える高いところまで皆が移動して手を振ってる。

モスクワでの乗り継ぎ時間約5時間。ここで初めて本を読む。
17日
12時半ごろ家に着き、夕方打ち合わせの為出社。(なかなかハードな日々だった。)
(そして昨日19日は国際フォーラムのホールで、二人のビッグショーの本番だった・・・)

(平成24年5月20日)

「サンクト ぺテルブルク」

昨年の6月5日のブログに、ロシアのサンクト ぺテルブルクに行ってきた、
と書いてあるからほぼ一年前か・・・
来週の10日からまた行くことになってしまった。

サンクト ぺテルブルクとクロンシュタットという街で「芝居公演」をする日本のグループの
プロデュースを引き受けてしまったからなのだが、明日初めて公演内容を確認する、
というぎりぎりのスケジュール状態。大丈夫かしらん(笑)

受け入れ先側で作ってくださったポスターなども送られてきたが、お互い
両国の関係者のボランティア精神で進められてきたものだから、現地に行って
見ないと不明な点も多い。音響、照明、技術スタッフ etc

だが、ナントカなる、きっと。
いつものことだ、ナントカなる、(と言い続けるこの不安心理)かな~
さてさて、白夜には少し早いのだろうが、いずれにしろペテルブルグに向かう。
ロシアの素敵な知人、友人も増えてきた。
あと5日間で、今抱えている業務を片付けられるだろうか…そっちが不安なのだが。
そうそう、村上春樹の「ノルウェイの森」を上下巻、先日の旅で一気に読んだ。
リアルな描写はさすが「またか」という部分もあったが、読後、良い意味の「とても
不思議な感覚」に襲われた。最近、実用書的な本を読むことがが多かったから、
改めて小説の魅力に触れたのかも知れない。

ぺテルブルクの旅にも、心に刺激的な小説を持参!と、そんな気になってきた。

(平成24年5月4日)
 

「おみくじ」
 
正月に、仕事関係の事は良く当たる、という某神社?でお祈りをしながら「おみくじ」をひいた。
出てきた番号をもとに、説明をしてくれる占師のもとへと向かって説明を聞く。
「今年前半は苦難が多いが、その後順調にすすむから、希望を持て」という趣旨のお言葉。
その言葉で、少しだけ心が楽になったのは事実。
さて、苦難が続くが…という前半とは、どこまでを言うのだろうか?(苦笑) 
もう5月…(大苦笑)。
めったに「おみくじ」をひかない藤原だが、今年は「おみくじ」で自分を占ってみた。
で、それが結構重要ポイントになっていることに、時々気がつく。
ポジティブになれきれないネガティブ君は、「その後順調に」という言葉にすがっていたりして。
今、一人旅の途中。ホテルで、カップそばとカップうどん、二つ食ったら気持ちが悪い…
暇な夜の時間だから、テレビで昔の古い恋愛ドラマを見て妙に感動したりしてしまう僕。
さて、これから村上春樹の「ノルウェイの森」でも読もうかと思う。興味はなかったのだが
以前娘からこの小説の存在を聞いた気がして、成田で買ってきた。上下巻。読めるか?
話を戻すが、
4月からが会社のスタート。おみくじで言う、前半の苦難と後半のハッピーは、
正月からカウントするのか、4月からカウントするのか…などといい加減な自問自答をする
僕。。。
正月からに決まっているでしょ!とすると?
幸せの女神は来ているはずだ!!!すぐそこまで!
会社を始めたころは、お世話になったお坊さんの言葉で自分の心の一年を支えた。
今、「おみくじ」か?などとついでに空港で買ってきた「月桂冠」を飲みながら
思うのだった。
早いものでもう5月。運気の女神に、乾杯!(したい)。
                                   
 
(平成24年5月1日)
 

「北上した桜はいまどこ?」

今年は新宿御苑の桜を鑑賞した。何がなんでも、桜ぐらいは見ておこうと思い
まるでノルマか?てな感じで出かけた。
ほとんどの人が携帯を含め、カメラに夢中。被写体としては、桜はなんとも
豪華で美しいのだろう。

僕、手ぶら・・・  カメラぐらい持って出かければよかった・・・とすこし反省。
なので、会社に戻って、スタッフを誘い、一眼レフカメラをもって
今度は代々木公園に 向かった。・・・だが・・・

あっちもこっちも宴会グループとトイレを待つ長い列と、風に舞う花びら、ではなく
舞うゴミの袋!!! 目に付く青いシート、そしてとにかくゴミ・ゴミ・ゴミ!
園内を一回りして、カメラを取り出すこともなくすごすごと会社に戻ってきたわけ。

代々木公園って、あんなに汚い公園だっけ・・・という思いだけが残ってしまった。

あれから、桜を意識することもなく、気がつけばみんな葉桜。
あの、美しく可愛い桜たちは、いまどのへんかなぁ。

桜がこれからであろう、岩手の矢巾中学の生徒が、一昨日会社を訪問してくれた。
5人の少年少女たち。こどもたちは、藤原が岩手出身者、いうことで来てくれた のだが、
僕は歴とした(彼らは知らなかった)子供たちと同じ中学の卒業生。
「生徒会長だったんだぞ!」などと威張ってやった(笑)

これから、彼らはきっと、あの美しい桜を鑑賞できるに違いない。

(平成24年4月21日)

「会社創立記念日」

4月5日が会社の創立記念日。19年目になる。来年が20周年か…
最初の一年は知人の事務所の住所を借りて、電話が一本。
それも、ダンボール箱の上に置かれていた。(笑)。。。

血尿の止まらなかった日々、一年間多量に服薬した鬱剤との格闘、
それもこれも、過ぎてしまえば昔話。
格闘や葛藤はもちろん続いてはいるが、何かが違ってきていることも事実。

それはともかく、外の日差しと春の風が実に心地良い。
屋内にいることがもったいない、と思えるほどだ。
藤原の前世は、きっと地下牢のような場所での暮らしだったに違いない、
と思うほど…
とにかく「日差し」や「陽だまり」がすきだ。
「ルンルン」てな感じかな。古い?

そんなこんなで、会社の歴史に思いを戻すが、随分長い間一緒に仕事を
してきたスタッフもいる。途中さまざまな出会いと別れもあったが、結構
みんなず~っと一緒、そんな気がする。

来年まで会社があったらね、などと軽口を叩いている社長だが、今の時代
創立記念日を口に出来ることがありがたいのかも。
一年後、どんな思いで「20周年」を迎えているのだろうか。

さて、外へ出るか。窓から見えるあの日差しを、もう少し浴びたい。

(平成24年4月5日)

「中卒」

夜間高校へ2学期だけ通ったけど、やはり正しい学歴は「中卒」だ。誰の学歴?
もちろん僕の。
直木賞作家にも芥川作家にも、中卒の方がいる。誇りだな。僕はS25年生まれ。
戦後のあの時代に育ったと言うことが、今の時代ほど「学歴」にこだわらなかったのか
どうかはわからない。が、高校にも大学にも行かなかった、という事実はある。

母校である岩手の「矢巾中学」の生徒たちが「職業訪問インタビュー」と言うことで
4月に訪ねてくれるそうだ。矢巾中学は2度目。
藤原さんは「岩手」出身だと事前学習で知りました、と手紙にあったが、岩手どころか
君たちと同じ「矢巾中学」出身ですよ。生徒会長だったし(笑)

「いつからこの仕事をしたいと思いましたか?」と手紙での事前質問があったが、
この仕事をする前に業種で言えば20数種類の仕事をしていたからなぁ・・・
でも、今の仕事を始めて数年は「中卒」と「集団就職」を隠していた。
今は「売り物!」昭和41年の集団就職で、15歳から働いていま~す!なんてね。
そして来年は、会社創立20周年を迎える。

中卒のデメリットは働く為に「学業」という種類の時間失ったことだろう。
だが、生きる為の「処世術」を結構早くから学んだ。そして、絶対的に必要な事だけ
学び、学習し、自分のものとしてきた。
そう考えれば「中卒」も悪くない。
だが、上から目線で「大変でしたね」「苦労したんですね」と,どうでもいい言葉を
沢山いただいて、そのつどイライラした若い時代もあった。

矢巾中学の後輩たちの手紙を読んで、なんとなく「中卒」というイメージが
懐かしくもあり、原点でもあり、這い上がる為の武器でもあり、と思ったわけ!です。

(平成24年3月21日)

「うた」

前にも書いたかな。20年ほど前に作った「うた」があり、現在発掘作業中。
先日、なぜか残っていたカラオケがあり、「仮歌」を吹き込んでみた。
久々にうたった。ある人に歌ってもらいたくて、その歌を届けた。
もしかして、良い感じかもしれない。

「殺陣師段平」なんて歌を書いたのは24歳ぐらいだったかな。
中村冨士夫さんという浪曲師の方が歌ったのだが、なんとも渋い。。。
歌謡浪曲の主題歌だもの。
何気にジャスラックで作品検索をしてみたのだが、データに出てこない。
当時はちゃんと登録なんてしなかったんだろうな・・・と思ったのだが
思い出した。当時のペンネームは「愛かがり」だったのだ。(笑)
なんで「愛かがり」?ははは、でも、未だに「愛ちゃん」と呼ぶ古い友人も居る。

で、愛かがりで検索してみたら「殺陣師段平」があった。どうでもいいのだけれど。
何曲かデータに無いなぁと思って検索してみたのだが出てこない作品もある。
この仕事を始めるときに、音楽系のものはほとんど処分してしまったものだから
ペンネームがなんだったかわからない歌もある。

データに出てこない作品のなかに「前原典男」で登録されていた作品があった。
手書き申請だったから、字が汚かったんじゃない。
さすがにこれは先日直してもらったけど。

「うた」で始まった人生だったような気もする。で、「うた」に近い番組を作り
続けてきた。もう、「うた」はいいや・・・などと何度も自分に言い聞かせて
来たような気がするのだが、「うた」からなかなか離れられない。
「うた」の力を知っているから・・・

(平成24年3月18日)

「苦手と欠点」

藤原には病的に苦手意識の強い欠点がある。女性の高圧的な態度と言葉。
これは実に病的なほど駄目だ。いや、精神科医に言わせると病気だ。
男なら、堂々と喧嘩できるのだが、体力的な喧嘩にはならないと最初から踏んでる
女性相手に、まともな喧嘩のしようも無い。

トラウマも含めた精神的疾患だと意識はしているのだが、きっと一生抱えたまま。
家族も社員も知っていることなんだけれど…
なんでこんなこと書いてる?
ははは、今日久しぶりに女性からエキサイティングな電話を受けたから。
もちろん、仕事がらみ(笑)

誰にでも苦手も欠点もあるんでしょうが、自分で異常なほど、と思っているから、
ま、始末に終える、ということで。

そんな感情をゆったりさせてくれる友人が、蜜柑を抱えてさっき来社してくれた。
もう70歳になったこの友人、藤原とは35年ぐらいの付き合いになるのかな。
六本木で現役で店をやってる。いいタイミングで来てくれた。
さっきまでのあの「悪感情」がほろほろと解けていく気分。(と思い込みたい)

他に「苦手と欠点」はないのか?
探し出して論ったら、それこそ精神疾患になりそう!
てナことで、お後がよろしいようで。
(※昨日だったというホワイトデー 忘れていた~  これ欠点?)

(平成24年3月15日)

「映画のタイトル」

昨日見た映画。タイトル、何だっけ?ほら、イギリスの名探偵で
相方は「ワトソン君」だったよな。あの、名探偵、なんていったっけ…

これって「ボケ」?
そういえば、社員の名前をボードで確認することがある。10人しか居ないのに。
(笑)(笑)(笑)
ま、たいしたこっちゃない。タイトルなんぞ覚えていなくてもなんら影響ない、かな?

聞いているようで聞いていないことがある。見てるようで見ていないこともある。
なんか別のことを考えていると、ほとんど見えない、聞こえない。
逆に、聞こえてしまうことがある。見えてしまう場合もある。難儀だなぁ…

時々、ひとつのことに集中できないことが。何かしているのに、他の事を思いつくと
そっちに手を出す。別に向かった神経は連想ゲームのように、また他へいく。
だから、机の上はぐしゃぐしゃになる。
何をしていたか、わりと早く気がつくからまだいいが。

さて、昨日の映画の主人公の名探偵は誰だっけ。思い出す気力が薄いから
誰かの力に頼ることにする。(ここでデスクの霜ちゃんに聞く)

そうだ、シャーロックホームズだ!(さらっと言われた)
何となく映画を見たいと思い、こだわって見た訳でもないから(と言い訳し)
昨日見た映画は「シャーロックホームズ」だったことが判明した。

(平成24年3月12日)

「娘帰る」

娘が海外生活を始めて丸4年以上になる。学校を終えるまであと一年半…
学校の授業の一環で、6週間の実社会体験というのがあり、6週間日本に
滞在していたが、昨日ロンドンへ戻った。

もう、成田で何度見送ったか、もう何度泣いてしまったか、繰り返してきた
見送りのシーンなのだが、昨日は初めて涙が出なかった。
が、自宅へ帰っていきなり始めた自室の掃除。年末にもやらなかった
天井の埃払いなどもやり、10年近くやっていない小さな引き出しの整理まで
始めた。自分の部屋だけなのに、随分時間がかかった。。。

不思議なものだ。娘が家に居るときは、別に何をしていようと気にもならない
のだが、居ないと「気になる」。
今日の娘のブログに、こんな呟きが書き込まれていて、また藤原は「パパ」
に戻ってしまう。

(無断転載陳謝)
(素直に甘えて、優しさに包まれればいいのに
それにどっぷりつかってしまうと、また一人に戻ったときの反動が怖くて
ついついどこかでシャットダウンしてしまう。)

ふと、思う。人はみな孤独だ。人間の孤独を支えるものってなんだろう・・・
ひとそれぞれだが、最近「家族」だな、と思うことがある。
一に仕事、二に家族、という順番は変わらないのだが、娘の存在を通して
自分の人生を考えることが多くなってきた…気がしないでもない。

(平成24年3月5日)

「パソコン」

社内の機材リストを見てもらったら、藤原のパソコンは2006年購入だと。
社内で一番古い。皆のほうが全部新しい。これは本当によく使ってきた。
自宅のものはもう何度も買い換えたのに。

時々、間違いや不明があると、つい近くのスタッフを呼んでしまうものだから
覚えたつもりが覚えていない、なんて機能も沢山ある。よな・・・  ・・・
パソコンは、おじさんが使いこなせなくて、マージャンゲームをやる機械だ、
などと文句言っていた時代は、そんなに遠くない気がするのだが。

何れにせよ、もはやパソコンの無い仕事は考えられないし、手紙もほぼメール
に変わりFAXも全て印字だし。ますます字が書けなくなる。
だけどさまざまな文章を書く、と言う行為は実に早くなった。
話は別だが、ある、著名な作詞家の方に作品を依頼したところ、メールでワード
の添付文書として送られたきた。スピードとともに時代の移り変わりを感じる。
原稿用紙に一字一字書き込み、書き方に凝ってタイトルを表紙として別に添付した、
なんて時代もあったけど、本当に時代の変化を感じる。

昨日、ある方に100年の歴史がある、という代官山の素敵なレストランで
ご馳走になった。お礼の気持ちをFAXにしたが、さすが内容は手書きにした。
手書きというアナログとパソコンというデジタルと、まだまだ上手に使い分けたい
年代なのかもしれない。

でも、パソコンの 「メール」「インターネット」のおかげで、遠くに住む娘とやり取りできる
ことが、 淋しくなく暮らせるコツなんだと思うと、パソコンには深く感謝せねばならない。

(平成24年3月1日)

「京都」

昨日、今日と「京都」に行ってきた。
何月かは忘れたが去年も京都に行った。去年は最悪の気持ちで行ったっけ。
朝、5時ごろに目覚め、リュックサックを担いで家族にも何も告げずに行った。
携帯の電源も切っていたから、家族は心配したらしい。

今回は違う。藤原の用事に妻と娘が同行。娘が3月4日にロンドンに戻るから
その前にどこかに一緒に行きたかった、と言うこともあるが。
同じ土地、同じ場所でも、精神状態によって街が違って見える。
いかに去年が不安定だったか・・・と言うことを確認することにもなった…京都で。

京都が特別に好き、と言うわけではない。が、結構行っているかな。
いろんな神社に行くし、寺の庭だけを見に行くこともある。
あまり観光客の多くない、奥まった小さな寺や神社が好きだなぁ・・・
今回は初めて「貴船神社」にも行った。
雪と、雨の後だったから、ほとんど人が居なかった。静寂と川の流れる音だけが
迎えてくれた。ここは結構好きかも。

どこへ行っても、娘は自然に隣に居る。(これが結構う・れ・し・い)
それと、今回もしばらくの間、携帯を着信不能にしておいた。
去年のように、誰とも話したくないと言うわけではなく、少しだけでいいから
仕事を忘れたかったことと、小さな現実逃避をしたかったのかなぁ。

だが、こうして京都から真っ直ぐ家へ帰るのではなく、結局会社に戻ってくる。
結局、会社人間、てことだ。

帰り、京都駅まで乗ったタクシーの運転手さん、めちゃめちゃいい人だった。
締めくくりにいい思いをすると、全てが結果オーライになる、そんな見本かな。

(平成24年2月24日)

「チョコレート」

帰り、チョコレートが多すぎるから、トラックを頼もうかな、と冗談を言えたのは昔。
でも、あったぞ。自宅で一個、会社で3個、メールの添付写真で一個。やったぞ!

飲み歩いてお姉さん方から沢山集めた時代も、あぁ遠い昔。懐かしい。。。

今日は、番組の台本を書く日、と決めていたのだが一ページも進んでいない。
進む、というか一行も手を付けられていないのだ。
(朝、トイレの掃除は、ちゃんとやった)
懸案事項が多岐にわたり、神経がそこに行かない。
提案の話、ブッキングの話、カメラマンの話、作曲家依頼の話、そして銀行。
さっきは、原作を読んで映画の提案を書け、という話まであった。

チョコレートは減ったが、話は増えた。
藤原は3件ぐらいが同時進行するぐらいでほっとするほど貧乏性な人だから
喜ばしいことではあるのだが、経営者としては疑問符がつく。
なんでも自分でやっていたら経営は成り立たない・・・ジレンマ・・・

なのに、出演者にスケジュールの説明をするのも藤原じゃなければ駄目、
なんて話もさっきあり、出向くことに。

さて、台本に取り掛かろうか、いっそ全てやめて飲みに行こうか、という誘惑も
頭をよぎり、手がつけられないから、今これを書いている。
書いている途中に某レコード会社からちょっと凹む電話。

さて、仕事を続け、ポケットに収まるチョコレートを持って、自宅に帰るか、
気分転換にあの居酒屋へ行くか・・・でも、飲んじゃうと明日のロケが・・・ ・・・

(平成24年2月14日)

 
「復活という名の純情」

20年ほど前に作詞・作曲した歌のカセットテープをこの前見つけた。
なぜか、この作品だけがいわゆる「6ミリ」と言うやつで音源も残っている。
あとは、皆無なのに。

聴いてみたら、なかなかいい作品のような気がした。(笑)
この歌、詞に少し手を入れたら、今でも通じるかなぁ などと思い始めてしまった。
よし、今日はこのカラオケを使って「仮歌」を入れ、どこかへのアプローチ用に
自宅で作業して「デモ音源」を作る一日、と決め込んでおいたのだが、
朝目覚めてふと思い出したことが・・・

U 君の誕生日だ。日曜なのにスタジオで働いている。会社のスケジュール表
にも、彼は忘れられないよう12日の部分にハートマークまで書いてあったっけ。
思い出してよかった・・・

早く用事を済ませ、自宅に帰って作業をしよう!と思い10時前に会社に来たの
だが、念のためPCを開いたら、結局2時になろうとしているのにまだ会社。。。
日曜はOFFという概念が、もう随分昔から失われているような気はするが…

ところで、まぁその歌が復活するかどうかは別として、音楽プロデューサー
の仕事もを始めてしまった。4月になれば発表できるかも知れないが、新たに
大物歌手二人による(ふたりうた)新曲をプロデュースすることになった。

番組とは気分が変わり結構楽しんでいるが、そうそう、あの「出てきてしまった」
あの歌も、静かに復活できればいいな・・・と何気にイメージしている僕が居る。

(平成24年2月12日)

「BS友の会」

今日、半年に一度ぐらいのペースで集まる「おじさんの会」に参加してきた。
BSと言っても、NHKの会ではない。2000年前後から続いている平均 年齢64歳
(今日の参加人間しらべ)ほどになる可愛い?少人数の会だ。

上、75歳 次69歳 次65歳 そして僕61歳、一番若手44歳、7人集まった。
一番若手が朝早いアナウンサーなものだから、それにあわせ、なんと集合は
午後3時。 藤原は丁度3時から打ち合わせがあり、一時間半程遅れて合流。
だが昼の酒だから、皆さんはもう ご機嫌状態・・・

かなり長く続いている会なのだが、藤原あえて皆に質問。
「この会、なんか集いの名目となる会の名称があったはずだけど・・・」
みんな納得と沈黙。

かつてNHKの衛星放送という媒体を通じで仕事をしたあの時代の仲間の集まり
だから 「BS日本の会」とかなんとか。。。
で、シンプルに「BS友の会」にしようよ・・・となった、ハズだけど、だっけ?

昼の酒だから・・・おぼろげ。

みんなと別れるときにふと思った。ここに参加すると俺はまだ若者だ!
でも、皆も若い。が、それぞれの姿かたちや表情に、やはり年月を感じる。
もちろん良い意味で。

そうそう別れ際、69歳のOさんが、にっこり笑って背中をトントンしてくれた。
とてもここち良い気持ちで、僕はまた会社に戻ったのだった。

(平成24年2月9日)

「放送人」

先週、4日ほど海外に居たものだから、仕事の連絡系はもっぱらPCだった。
だが、藤原本人が居ないと、なかなかうまくいかない案件もある。頻繁に
電話に着信があったのだが、電話をOFFにしていたものだから、なお更。。。

先週、ドキュメンタリーの番組提案を出して、その後はスタッフに任せて出かけた。
提案はうまく進んでいたのだが、取材先の最終的な合意が得られないことが
海外の出先で判明した。
ここからは、何も順調では無いのだから、提案を取り下げる素早い行動と
動いてくれた各所への謝罪、これは藤原本人でないと、なかなかうまく運ばない。
でも、藤原は国内に居ない・・・

信頼できる局内の友人がかなりの配慮と素早い行動をしてくれ、大きな迷惑を
かける事無く提案を取り下げることが出来た。が、僕はかなり落胆した。
落胆というより自分ですぐに処理できないイライラ感なのかな。

藤原の代わりのように提案部署とのやり取りをしてくれた友人からのメールに
提案部署の責任者からのメールが添付されていた。
「〇〇さんと藤原さんを 放送人として信頼しています・・・」

この一文に救われた。そしてこの「放送人としての信頼」と言う言葉が
不覚にも、藤原の涙腺をゆるめてしまった… …

(平成24年2月6日)

 
「続 三丁目の夕日」
 
今週は夜の約束が続いたから、今夜は早めに自宅に帰り、寝る前に少しだけと思って
自室のパソコン画面でTVを何気に見た。なのに、いきなり声を出して泣いてしまった。
誰にも見られていない自室という安心感も手伝って。。。
そう、ALWAYS2作目の作品だ。初回の作品は劇場で見た。あれから何年がたつ
のだろうか。続編の存在は知ってはいたが、2作目の「三丁目の夕日」を今日偶然見た。
そして、泣いた… …
なんだろうね、この涙線に迫るほのぼの感と優しさは。
当たり前のやりとりなのに、「泣いて下さい」と言わんばかりの人間臭さ。
はい、しっかり泣きましたよ。
前にも書いたが、良い涙はストレスの発散になる。
明日から3作目が劇場公開になる、とあった。見に行こうかな…
 
藤原が上京したのは昭和41年の春。ALWAYS 15歳の夕日 かな。
寅さん映画とどこか似ているが、寝る前に見る映画としては最高だ。
ほのぼの気分で ベットに入れる。              (自宅にて)
                                                            
                                                                                                                                                                                                                                                     (平成24120日)
 

 
「地下鉄」

3日続けて地下鉄を利用した。なんだか、地下鉄詳しいぞ~なんて気分に
なったりして。でも、東京の地下鉄はわかりにくい。外人だったら、東京の
地下鉄、大変だろうな・・・と言う気がする。

さて、車両の一番後ろが女性専用車輌だと言うことを知った。なんで最後尾?
階段をダダダっと駆け下りて飛び乗るのが最後尾だったりするでしょ!
はぁはぁ言いながら、前の車両になかなか移動はできないし。目の前の窓に
「女性専用」などという大きなシールが張ってあることに気付き周囲を見回す。
ゴロゴロおっさんが居る。どこが女性専用車輌???

ブツブツ言っているうちに乗り換え駅に着く。乗り換えはスムーズだったのだが
目的地の出口で困る。事前にリサーチしておいた出口が見つからない。仕方なく
スタッフに電話で聞くと、他の路線に行くんだと。よく見たら3つぐらいの路線が
ごちゃごちゃ入り組んでいる。外人だったら、絶対わからない。
なんたって外人じゃないのにわからないんだから。

などと地下鉄を器用に乗りこなし、火曜は有楽町の帝国劇場へ「滝沢革命」
の観劇に。水曜は赤坂見附での食事会へ。そして昨日は新橋まで行き、
「内幸町ホール」の舞台を観た。ぜーんぶ地下鉄で行った。ちょっと自慢。。。

日頃、電車の乗換えをイメージしただけで嫌になり、ついつい車の移動が多かったが、
運動不足を実感することが多くなり、なるべく電車やバスに乗ることにした。
入り組んでいるが、地下鉄は便利だ。渋滞しないし。

そうそう、帝国劇場のあの人混みの中で、「木綿子」ちゃんにばったり会った。
22年4月6日のブログに登場する博多のあの娘。いきなり、先生!なんていわれちゃって。
そうそう、一緒だったのが、スタッフでよかった!(笑)

(平成24年1月20日)

「年賀状」

改めて沢山の年賀状を読み直してみた。懐かしい名前がいっぱい。
今時、これほどアナログ的なコミニュケーション手段は
年賀状のほかにどれだけ存在しているのだろうか…とも思ったりする。

88歳になりました。でも、あなたとの出会いはなぜかはっきり覚えています、
という嬉しいメッセージが書き添えられていたのは小説家の佐藤愛子さん。
そう、先生のお宅に何度かお邪魔して、霊の話や、不思議な「現象」の話で
盛り上がった時期があったっけ。
「あなたとは妙に気が会った」とも書かれていた。
一年に一度感じる、暖かな懐かしさ・・・やはり年賀状はいいな。

貰うのはこんな感じでいいのだが、さて年々出すほうの作業は義務的に
なってきているんじゃないかなぁ・・・などと小さな反省。
ところで年賀状、何時の時代まで存在感を発揮してくれるのだろうか、
と心配になったりもする。

あのスマートフォンとやらで、チャッチャと送ったりする日が来るんだろうか。
ま、藤原に優しく懐かしい手書きのメッセージを下さる方々は藤原と同じく、スマートフォンに触れても居ない方々だとは思うが。仲間・仲間!

だが、そろそろスマートフォンに替えるべきか、などと思い始めている。のだ。

(平成24年1月10日)

「田中ちゃん」

正しくは小児科医で内科医でもある「田中先生」だ。が、我が家の中では
通称「田中ちゃん」。もう何年のお付き合いになるのだろうか、所謂かかりつけの
主治医の先生。以前は自宅の近所だったが、何年か前に遠い病院に移られて、
今は月一度だけ、それも月初の土曜日だけ、都内にやってくるものだから、
この月一土曜日を外してしまうと、翌月まで会えない・・・これがまた大変。

と言うことで、今日は月初の土曜日、田中ちゃんの病院へ行ってきた。
いつもと同じように一月分の薬を処方してもらい、〇〇を2アンプル注射。
月一なものだから、二人ともテンションが高い。「ははは、ワッはっは!!!」
診察室からこんなデカイ笑い声を発していいものだろうか、と思うほど。

他のふたつの診察室は静か・・・そりぁ、病人が通う病院だもの・・・なぁ
でも、田中ちゃんの診察室では、看護婦さんも一緒になって笑う。いいの?(笑)

ひと通り診察を終え、血液検査のため別室へ。針が血管に入ろうとした瞬間に、
Aさんが「明けましておめでとうございます」Bさんが同時に「今日はおひとり?」とか、
にこにこして聞いて来るものだから、何気ナ笑顔で答える藤原だが
針を入れているCさんはさすがに「無言」。
でもみんな、友達のように話しかけてくれるから、この病院大好きだな。

そういえば、受付のお姉さんも、見えた瞬間ににっこりしてくれた。窓口で
おもむろに診察券と保険証を出した、つもりだったのだが受付のお姉さん、
「めんきょ、めんきょ」と笑う。免許証を出していたのだ。
いいじゃない!同じサイズだもの!とは言わなかったが、笑えたからいい。

さて、長くなったが、何を言いたいか、というと「主治医」のススメ。そして、笑顔
で迎えてくれる「先生」のありがたい存在。
目もあわせない「先生方」が多い中、田中ちゃんは本当に貴重な存在なのだ。

普通の笑顔の暖かさと素敵さ・・・改めて思った。田中ちゃん、ありがとう!

(平成24年1月7日)

 
「希望の足音」

さて、耳を澄まして新年にこだまする希望の足音を聞いてみましょう。
2012年は、きっと素敵なめぐり合いも沢山あるでしょう。

と、幾分初々しい気持ちで書き始めたいなぁ・・・と思ってはみたが
何かよそよそしいから、止めといて・・・

今年の初詣は、方角を意識して初めての神社に変えてみた。
うん、なんか変わらなければならないな、という強い思いがあったから
元旦は比較的近いところなのだが、いつもとは別の神社に行った。

今日2日に、もちろん氏神様にも行き、いつものように祝詞をあげてもらい
お祓いをしていただき、これでやっと新年の決まりごとも済んだ、と言う感じ
かな。

人はきっと「これでいい」という事にはなかなかなれないから、何時も変化
を求めるんだろうし、新たな「何か」に出会いたいから工夫もするし・・・
そうそう、今年は「笑い」で新たな一年をスターとすることが出来た。
笑いを提供してくれたのはテレビだ。
なんだかよくわからないが、テレビでオモイッキリ笑えた。

笑いで始まった一年、何となく「希望の足音」に繋がる気もしたりしているが、
新年を迎えたんだな・・・という気分に今一度浸ってみたい、今日2日、かな。

(平成24年1月2日)

「小林旭邸」

久しぶりに旭さんちに行ってきた。何年ぶりかな・・・奥様もお変わりなく
「あら、30年ぶり?」などと冗談を言ってくださった。のに、私は手ぶら。
(大渋滞で買い物の時間を失い ま、仕方がないと心の中で言い訳)

もう何年前になるだろうか、「小林旭 俺の青春ー石原裕次郎」とか
「あの歌をもう一度」というシリーズ番組で司会をしていただいたりとか
随分番組ではお世話になったのだが、このところご無沙汰だった。

しかし、何時までも変わらない。若さというか、オーラというかなんでしょうね。
「みんなかっこいい、と言うんだけど俺はわからない」なんて謙遜していたけど
「変わらない事が、かっこいいんですよ」なんて藤原が解説?したりして。

来年春からのステージショーの打ち合わせだったのだが、藤原の「構成案」に
どうのこうのおっしゃったりしない。
以前の番組のときは、あれやれ、これやれ、と難しい注文を沢山出したもの
だから、藤原~!と一喝されて羽交い絞めにあったことも・・・(笑)

歳を上手に重ねる・・・見本みたいな旭さん。
何となくいい気分で「小林邸」を後にした。が、帰りもあっちこっち大渋滞。
街中が、師走の様相を見せてきた。

(平成23年12月27日)

「クリスマス」

あっという間に過ぎ去った今年のクリスマス。息子も娘も家に居ない
クリスマスは、もう何年目になるのかな・・・などと思いながら、
思い出を追いかけた昨日。

息子も娘も、かなり大きくなるまでサンタさんを信じていたから
学校で「バカ呼ばわり」をされて二人とも泣いて帰ってきたという。
「サンタなんているわけないだろ、親だよ親」と言われて・・・

小さなマンション暮らしだったころ、娘は自宅に煙突がない、と言って
怒ったそうだ。サンタがやって来る煙突がない!・・・なるほどね。
屋上にあるから、といったら見に行くと言って困らせたそうだ。

今、当時を忘れたかのように、息子はやたらと低い声でなにやらしゃべる。
あのころは親が出かけようとすると、「僕も行く!僕も行く!」としつこく
甲高い声で叫んだやつが(笑)。
娘の今年のクリスマスはニューヨーク。「楽しいよ」なんてメールが来る。

「天井にプレゼントを吊るしたこともあったっけ・・・」それは覚えている。
お金に余裕はなかったが、それなりに工夫を重ねてクリスマスを過ごしていた。

やっぱり、「暖かな思い出」が似合うイベントだ、クリスマスは。

(平成23年12月26日)

「とんがり」

今日、会社へ来る途中、明治神宮へ抜ける道で「騒々しい」車の渋滞があった。
天皇誕生日だからなのだろうか、数多くの街宣車。

音楽を流しながら、時々「おーい、おまわりさん 〇〇してんじゃないよ」とか
「〇〇だろ~コラ!」とか、若者だろうと思える声がスピーカーから大音量で
流されていた。何を言っているのか、よく聞き取れない。

また、いつものよう「この人たちは日頃何をして食べているのかな…」とか
日頃何を学んで、どんな思想を持っているのかな…などと考えているうちに
渋滞を脱出した。

そして間もなく「ひとり笑い」の時間がやってきた。
俺も、若い頃は「とんがっていたよな・・・」とか
本当に「生意気だったよなぁ」・・・とか、次から次へと場面が現れたりして。

「ひとり笑い」というか「苦笑い」というか「ほくそ笑んでる」というか。。。

若い頃、志のあるものはとんがっているものだ。「とんがり」はとても大切。
だけどこうも思ってしまったのだ。
あの街宣車のとんがった若者たちも、俺と同じ年恰好になったら、普通に
「そうだね」「いいんじゃない」「ありがとう」なんて、優しげに言ってんのかね・・・と。

(平成23年12月23日)

「スマートフォン」

街角で見かける光景として耳にしたのだが、とても笑えたので紹介!
藤原ぐらいの年恰好から上の年代の人のことだろうが、状況はわかる。

店頭で見本のスマートフォンを勇気をだして手にする人たちのことだ。
あれは、ページをめくるって感じなんだよな。
最初は恐る恐る画面にタッチしているのだが、ある瞬間、指を舐めて
そしてまたタッチするのだそうだ。

指を舐めて、ページをめくるおじさんのあれだ。
気分もわかる。思わずつい、ということなのだろうけど。笑える。

先日、マスクをしながら新聞を読んでいたのだが、ページをめくるのに
指が口へ・・・「チッ」という感じで、マスクをずらして指を舐めた自分を
思い出したのだ。

残念ながら藤原はまだスマートフォンを手にしていない。今のところ
手にするつもりもないのだが、指を舐める習慣をなくする為に、
あの画面で何でも済ませてしまう、なんて日が来るのだろうか。。。

※(さっきトイレの掃除、済ませました~)

(平成23年12月20日)

「トイレ掃除」

今週は会社のトイレ掃除当番だった。いや、当番だ。順番の巡り来ることに
思わず早い、ンじゃないの?と思うほどに毎日が流れていく・・・ ・・・
先々週担当のワクちゃんが、忙しすぎて会社におらず、掃除が出来なかった
から翌週、つまり藤原担当の週を私がやります、と申し出てくれた。

えー、俺の週をやってくれるの!!!(内心藤原担当週はパス!と喜んだ)が…

しかし!
鬼のようなデスクのシモちゃんは、スケジュール表を一週ずらして書き換え、
「社長担当」の文字が躍る紙が、新たにトイレに張られていた。。。のだ。
鬼!!! 気がついたときの激しいショック  笑ック 笑ック 笑ック。

さっきトイレに入り、掃除担当を思い出し、やらなくては・・・と思いながら
「水」冷たいし・・・寒いし・・・と言い訳を並べて机に戻ってきた。

年賀状も、まだだ。。。

(平成23年12月19日)

「ベランダの花」

会社のベランダには、三段重ねにしたプランターに花を植えてある。
一年を通して花を植えている・・・つもりだったが、枯れている・・・
このところの寒さで、ベランダに出ない、という少しの言い訳は出来るが
きっと余裕がないのだ。《こころ》の。

2,3日前にもベランダを見て、植え替えなければ、と思っていたはずなのに
すっかり忘れていた。あ~あ、手入れを忘れられた花は、可哀想。
手入れを怠ってしまった「花たち」の様子は、食い終えたスイカの残骸の
ようなもの(笑)。

今日の土曜日、スタッフはみな番組の作業に入っているが、藤原は番組の
提案書に挑んでいる。のだが、進まない。遅々として進まない。。。
どこかで、明日まだ一日あるし・・・と思ってしまっている倦怠感。

さて、もうすぐ今年も終わる。だが、会社にはもうひとつの年末がある。
決算月のいわゆる年度末だ。2度味わう大晦日と正月ってか。
寒さに向かう暦の大晦日と、春に向かう会社の大晦日、と考えよう。
(これってポジティブな発想ってこと?だよな・・・)

一月に、海外にいる娘が、学業の都合で6週間ほど帰ってくるらしい。
その情報を聞いて、ちょっぴりくたびれた父さんは、手入れの行き届いた
「ベランダの花」を、満足げに見ているような気分になれるのだった。

(平成23年12月10日)

 
「浅草界隈」
 
中学2年の時、家出をした。向かった先はもちろん東京。夢は「歌手」?
上野駅に着いて、「浅草寺」の前の旅館で一泊し、新聞広告で見た「商店」に
向かった。化粧品の問屋さんみたいな、藤原君には不思議な店だった。
初めての東京・・・
なんで、こんな話?今日、番組収録のリハーサルの為、浅草公会堂に行った。
高速が混んでいたので、途中から一般道を通ったら、懐かしい浅草橋界隈を
通ってしまった・・・から、思い出してしまっただけなのだが。
あの時、向かった先は、東京・上野近くの「浅草橋」だった。
だましだまし、2週間ぐらいは働いた。14歳だったよな・・・なんて。
結局一度は岩手に帰り、何が何でも中学を卒業して上京するのだが。。。
思い出は、笑顔で語れるのがいい。
哀しみも、笑顔で語れるのがいい。
集団就職の列車の中で、ズボンのすそ上げをした事を、誰にも言ったことがない。
「まつり縫い」と言うやつで。
                                                                                                                                     (平成23年11月28日)
 

 
「ロシア」

日本は、世界でも最もロシア文学が読まれている国のひとつだと言われている。
ドストエフスキーやトルストイ。音楽もしかり。どれだけのロシア民謡に触れてきた
のだろうか。「ヴォルガの舟歌」「カチューシャ」「ともしび」・・・etc

だが、一般的には「ロシア」と「ロシア人」はあまり馴染みのない国であり、人々だ。
ソ連崩壊からまだ20年。隣国でありながら、決して近い国ではない。

なぜ、こんなことを言っているか?そうそう、藤原にとってもこの6月まではロシアは
未知の国であり、遠い遠い縁のない国であり人々だった気がする。

先日、サンクト・ペテルブルグで日本向けの旅行社を営んでいる青年が訪ねて来て
くれた。Nikitaさん。友人の日本語教師の生徒さんでもある。
短時間の「お茶面談」だったが、彼のとても真剣な質問の数々に圧倒された。

「藤原さんがビジネスに対してもっとも大切にしている精神と心は?」の類の質問が
次から次へと。子供が2人で30歳なそうだ。
言葉を選びながら、丁寧に答えたつもりだが、何か話したりない・・・

帰国するまでに、もう一度逢って、食事でもしよう!と言ってわかれたが、
さて、何を食うか、などと考えているうちに、「ロシアとは」などと考え始めたわけ・・・

今日、ぺテルブルグは「雨だ」というメールが友人から届いていた。
近い国も、遠い国も、同じように「雨」は普通に人々の頭上に舞い降りている。
不幸な歴史のイメージだけで、遠い国にしてしまっている、ということはないだろうか。

(平成23年11月19日)

「ヒアルロンサン原液」

今年に入ってから膝がずっと痛んでいた。いわゆる正座ができない状態。
思い余って整形外科を受診したが、レントゲンでは異常が見えてこない。
でも、痛いのだ。

先生はこう言った。電気で治療しますか、それとも薬?、あるいは注射?
すかさず僕、「注射!」。「痛いですよ」「かまいません!」

結構前から、グルコサミン、コンドロイチン、コラーゲン、とかなんとか、
沢山飲んでいたのだが、効かない。先生に、沢山飲んでいます、と告げたら
「好きですね・・・」  「・・・ ・・・」

で、注射を打つ為に週一回通うことになったのだが、これがまた注射が
結構具合がいい気がする。膝が何となく楽になった気がする。

「その年齢で、おかしいですね」みたいなことも言われたような気がする。
でも、あちこち痛む。

やっぱり注射が好きだ。すぐ効くから。
「原液」・・・これもいい響きだ。
どうでもいいのだが、やはりあちこち体が痛むのは歳のせいか???

さて、頑張るか!

(平成23年11月17日)

「10円玉」

先日の新宿のアパートの火事で、生活保護世帯の方が数名亡くなったり、
その多くが焼け出されたという記事を何度か目にした。後日談の記事の中で、
一時 現場に戻ることを許された「老人」の記事を読んだ。コツコツつり銭などを
貯めた 10円玉貯金が焼け跡から無事に手元に戻ったことが書かれていた。

ビニール袋に入った10円玉、約1万円とあった。コツコツ貯めた10円玉で 1万円・・・
「大金だろうな・・・」と思った。で、思い出したことがある。

10代の頃、仕事場に行こうとして「定期券」のないことに気がついた。電車賃?
もちろんそんなものはない。とにかく慌てふためき、雇い主であるバンドマスター
に電話をしようとしたのだが、公衆電話をかける為の10円玉がない。
いや、部屋中どこを探しても10円すらなかったのだ。(笑)

どうしたかというと、駅前の交番に当時の「米の通帳」を持っていって、お金貸して!
と半べそかいておまわりさんに頼んだのだ。「帰る電車賃がない」というのなら
わかるが、これから出かけるから「電車賃を貸せ」、というのは聞いたことがない!
と。でも、若いおまわりさん、200円貸してくれた。(ちゃんと返したけど)

子供のころ、10円玉3枚を握り締めて、「欲しいもの!」を買いに行った。
おばさんがお金を受けとった瞬間「あつい」と言った。
「よっぽど握り締めてきたのね!」とおばさんが笑った。

お金の価値、とは別の意味で、あの「コイン」には、特別な価値があるような。。。

(平成23年11月14日)

「なみだ」

涙を流すことが、ストレス発散になるということを体験的に知っている。
感動や、笑いに通じる涙なら、ことさらいい。
悲しみの涙も、思いっきり 泣くのがいい。

先日、作曲家のH先生と飲んで、久々に思いっきり泣いた。感動?喜び?
どちらでもない。わがままな坊やが駄々をこねて泣いている、そんな風。
その日は二人でワインを4本飲んで、何か知らない強い酒も飲んだ。

酔っていたから・・・もちろんそうなのだが、それだけではない。
もう、藤原はただの「お子ちゃま」なのだ。〈うるさいんだょ~〉
〈それがなんなのぅ ~〉と泣きじゃくりながら訴えかけたような、気がする。
後半は良く覚えていないのだが、その店のマスターが翌日電話をくれて
〈可愛かったよ〉・・・だって。 m m m ・・・

H先生には恥ずかしくて電話が出来なかったから、FAXで(すみません)
と謝罪の気持ちを伝えておいた。そしたら彼から電話が来てしまった。 
「気にしてないよ、また行こうよ。でも埋め合わせしてね(笑)!」 だって。

ストレス発散どころか、翌日の激しい自己嫌悪!

やっぱり「なみだ」は、感動的な映画をみて、オイオイ泣くのがいい。
涙腺の緩む芝居などに触れ、人目を気にせずボロボロ泣くのがいい。

そう泣くことはストレス発散になる!
泣き場所を探して結局探せず、困ってしまうことも、あるには あるが。

(平成23年11月4日)

「小劇場の空間」

昨日、新宿2丁目にある、タイニィアリスという小劇場の芝居を見てきた。
韓国人の劇団の皆さんが演じる、「歌姫クロニクル-Re-membering-」
という芝居。なかなか見応えのある芝居だった。大きなテーマは日本と朝鮮。
日本で生まれた朝鮮人の少女たちの心の葛藤、そして音楽・・・ ・・・ etc

前にも書いたが、出演している皆さんの熱演を楽しみながら この人たちは
日頃、どんな生活をしているんだろうな・・・
芝居が、好きで好きでたまらないんだろうな・・・
自分だったら、どの役が出来るだろうな・・・
などと余分なことを考えながら観劇してしまう。

小劇場だから、演じる人たちは近いし、芝居そのものが人間くさくていい。
昨日の芝居は、途中で泣いた。そんな小さな感動を楽しみながら、
時々、頭の中で入場者と入場料と公演数の掛け算をしている藤原 。。。
(自分も芝居がしたかったなぁ・・・などと時々思いながら・・・)

きっと金銭的には恵まれない「芝居」という環境のなかで、ありったけの
エネルギーを 注いでいるであろう彼らや彼女らに、「うらやましさ」をちょっぴり
感じている 自分に気付くのが、いつも、小劇場の空間なのだ。

  ※ 10/29(土)14:00~&19:00~   10/30(日)14:00~

(平成23年10月29日)

「言語」

韓国や中国にそれなりの回数、行っている。結構たくさん。
なのに、ほとんど言語を話せない。う~ん、難しいというより
たぶん覚える気がないのだ。それなりに出かけて帰ってこられるし。
英語圏にいたっては「サンキュー」と「ゼェス プリーズ(笑)」だもの。

ロシアの新しい友人が2週間の日本の滞在を終えて今日帰国した。
結構頻繁に会ったが、会話は?全部「日本語」。なんたって彼女は
サンクト・ペテルブルグで活躍する、日本語教師でもあるからだ。
ロシア語?これがまた至って発音が難しい。。。巻き舌?(できるけど)
覚える気がないもんだから、何度聞いてもわからない(笑)。

ひとつだけ覚えた。「またね」を「パカパカ」と言うのだそうだ。
「Ba」ではない。「Pa」だ。 「 Baka Baka」 ならもっと覚えやすいが。

スペイン語の「オラ」も、これもひとつだけ覚えている。挨拶さえ出来れば
どんな国でもなんとかなる、なんて言っているのは、タダの負け惜しみで、
覚えられないのだ、きっと。。。

しかし、言語を考えるとき、なんて日本語って難しいのだろう、と思う。
これだけ長い間、日本語を駆使して生きているのに、未だ想いを正しく
伝えきれずに、もどかしいことがある。
こちらの言語は、結構学んでいるつもりなのだが・・・ ・・・

(平成23年10月16日)

「紙舟忌」

一昨日、作詞家・星野哲郎先生の一周忌法要「紙舟忌」にお招きいただき、
久しぶりに星野先生の思い出に浸ってきた。
あの日から、もう一年近くが過ぎてしまったのか・・・

星野先生には何度も番組に出ていただき、特集番組も作らせていただいた。
ふるさとである周防大島にも何度かロケに行った。
先生の追悼番組の折、大阪の舞台に出演中の北島三郎さんのインタビューに
出向き、インタビュー中に不覚にも涙をこぼしてしまった藤原。

あとで北島さんが「藤原も歳をとったな・・・」と言っていたらしい。
歳をとると、涙もろくなる・・・と受け取ったのだが。。。

さて、本格的な秋ですよ。夕方、景色がなぜか淋しいんです。秋の夕暮れ・・・
たぶん子供時代の「何かの想い」がそうさせているんでしょうが、
めちゃくちゃ淋しい気分になることがあるんです。
人恋しい・・・って言うのかな。なかなか的確に表現できない感覚。

話を戻して「紙舟忌」には、北島さんをはじめ300人を越える方が集った。
この集いの中で、新たな出会いと、新たな展開があった。
星野先生の「紙舟忌」の集いがなければ、たぶん生じなかった展開。
こつこつと、真面目に取り組んでいれば、いいことがあるんだな・・・なんて
素直に喜んでいる僕。星野先生!「ありがとう!」ございます。

(平成23年10月14日)

「舞台の演出」

13日に中野サンプラザで行われる「前川清」&「堀内孝雄」二人による
「ふたりのビッグショー」のリハーサルが3日にあった。
これがまたなんでか、構成・演出が藤原だ。テレビの構成はそれなりに
経験を積んできているが、営業のステージはなにかと勝手が違う。

まず、歌い手さんとの内容に対するコミュニケーションのとり方。
番組なら、こうしていただきたい、で解決することが多いのだが、さぁ、
営業ステージとなると、注文がいろいろついてくる。
スタッフもみな違う。スタジオならほとんどが社員だから、こらぁ!と
社長面したりプロデューサー面したりして仕切っていればいいのだが。。。

出演者は二人、俺一人、あぁ、だれか味方して!なんて場面があったり。
実際、お二人が帰られてから「誰か味方してよ!」などと強引に笑いを
とったり、と。

夜、自宅で遅めに帰ってきた息子が、父親にやや反抗的言い方をした。
「やかましい、おまえに 気をつかってしゃべらなければならないなんて
いう神経を俺は持ってない!!!」と切れた僕。

ああ、とばっちりで不運な息子。結構飲んでいた父だが、翌朝、なんと
気分のすぐれない朝を迎えてしまったことか。。。

夕べ12時ごろ、食事をしないまま自宅に帰ったのだが、そんな時間に
なぜか食事の支度がされていた。夜遅く買い物に出かけて、息子が
用意したんだと。。。外で食ってたら、どうすんのよ。。。

さて、ひと悶着あって、反省したのは父なのか、息子なのか。。。 。。。

(平成23年10月5日)

「カエル」

自宅の玄関アプローチの花壇の中に、でっかい「蛙」がいた。
なんで?なんでこんなところにカエルが?それもデカイ。10センチほど。
なかなか動かないから、置物と間違えた。
近所に池があるわけでもなく、公園があるわけでもなく・・・
おい、カエル。どこから来た!?などと思いながら、少し暖かい気分に。。。

蝶々も結構沢山いた。因みに自宅は新宿区。
今日の暖かさが原因なのかなぁ・・・

子供のころ、小さいカエルは、解剖の素材だったし、何かの餌にしたような。
それにしても、あのカエル、どこから・・・などと思っているうちに、9月も終わる。
いや、終わった。
スーツをようやく着られる気候になって、少しだけ心が引き締まってきたのか
どうか。でも、やっぱり仕事は、スーツを着ていられるのがいいなぁ。

番組ではないが、来年、小林旭、八代亜紀の二人でやるステージショーの
打ち合わせをしてきた。3月とか6月とか、そんな先の話なのだが、藤原は
なぜか構成・演出ということになっている。
仕事のさまざまな環境が、藤原を「カエル?」「変える?」 ・ ・ ・
ここまで書いて、寒い「オチ」を考えている自分が見えてきたので、やめる。

9月最後の一日は、蛙の出現によって、なかなかいい気分の一日だった!

(平成23年9月30日)

 
「北島三郎」さん
 
16日に、名古屋の御園座で公演中の北島三郎さんを訪ねた。別にたいした
用事があったわけではないが、毎年、地方公演のどこか一箇所は顔を出 して
いる。今年はたまたま名古屋だったわけだが、芝居も歌謡ショーも見てきた。
相変わらず舞台はお元気。75歳だよ・・・ ・・・などと思いながら、名古屋で
サブちゃん「印」の元気に触れてきた。

出会いは藤原が16歳だったから、なんとなんと、あの日から45年にもなる。
(21年12月24日のブログに詳しく書いてあるが・・・)
北島三郎という人は、その間、変わらぬ「北島三郎」という人だった。
そして今日も、
歌手生活50年という節目の年を、75歳という年齢で、劇場を観客でいっぱい
にし、一ヶ月公演という舞台にいつもと同じように立っている。

感心、とか感動とか、そんな種類の感情ではない。
北島三郎という人は、藤原にとって、「同じ釜の中で煮えていたい」。。。
いや、ちょっと違うかな。とにかく、特別な存在なのだと思う。

去年は福岡の博多座だったと思う。東京で会えるのに、これがまたわざわざ
出かけるんだな。しかし、北島三郎というひとはあまりにも大きい。 そして、
とにかく人間臭い。なんたって、「サブちゃん」だもの。表も裏も。。。

(平成23年9月20日)

 
「人間ドック」

いつも検診を受けている医療機関のドックが来年まで空きがない、
というので、日頃かかりつけの中規模な病院で検査を受けてきた。
あっちこっち調子が悪いのに、検査で悪いところは、今日のところ
見つからなかった。と言っても、この病院で6種類もの投薬を受けて
いるのだが。

会計で、支払いをしながら、いつごろ結果が出るの?なんて話を
していたら、眼底検査の話になり、「それ受けてないよ、スルーした
みたい」と言ったら、若い検査技師がとんで来て「今日はバタバタ
していたものですから・・・」というので一応検査をして全て完了。

大病院の「ドック」は鮮やかなほど、スムーズだが、この辺がやはり
地域病院。だが、なかなか人間チックでよい。
会計も看護師さんも結構顔見知りだし、来たついでだから プラセンタ
も打って!などとわがままをいい、2アンプル分注射。
何に効くのか定かではないが、藤原は結構注射依存症、なのだ。

(内視鏡検査にも注射)
昨年の胃の内視鏡は注射を打って、眠っているうちに終わりとても
楽だった。なのに今日は注射を打ったが眠くなく、苦しくて涙がでた。
う~ん、この違いはなに???

話は飛ぶが、娘がうたた寝していた。風邪をひいてはいけないから
あすみを(おこさなくちゃ)・「起こさなくちゃ」というつもりが、
あすみを(おかさなくちゃ)・「犯さなくちゃ」と言ってしまい、周囲爆笑。
何で娘を犯すの!これには何の検査が必要なんだか・・・
因みに、「脳ドック」には改めて行こうと思っている。脳によく効く注射!
はないものか・・・と思ってしまうのだが。。。

(平成23年9月14日)

「土曜出勤の訳」

このところ、番組から手の離れた土曜、日曜は提案を書くことに明け暮れ
ていた。なので、今日の土曜日は、午前中は病院だったし、休もうかな・・・
とぼんやり考えていたら・・・

昨日熱を出して病院へ行ったという娘が、外出の支度をしながら、
「パパ、会社は?」と聞くので、なんとパパはすぐに反応してしまった。
「うん、行くよ。乗せてってやるよ」と即答。そう、反射的に。反射的に!

「どこへ行くの?」「うん、代官山」「いいよ、送ってってあげる」とかナントカ。
もちろん家内のあきれた眼差し。

そんなわけで会社のデスクの前にいる。
せっかくだから提案を書くことにした。

昨日、貧乏性と書いたが、やはり逃れられない貧乏性。
きのう友人が、メールに「気分洗浄」と書いてきたので返信しようと打ったら、
「気分戦場」だと。まさに、その通りだと、納得、納得してしまったのだ。

                                         
(平成23年9月3日)

 
「早足歩行とテーマ音楽」

最近、歩行スピードを上げている。だらだら歩くより、各種筋肉への刺激が
よいのだそうだ。
歩きながらスピード調整の為に頭の中で歌うのが「ペッパー警部」だ。
この前見た、民放の番組に刺激されただけの受け売りなのだが。
これが、なかなかスピード感が良い。(年齢制限を考えなければ)。
「三百六十五歩のマーチ」でも歩いてみたが、これは遅い・・・他の曲もやって
みたが、なかなかぴったりこない。今のところ「ペッパー警部」が最高。
先日、編集室までかなり早くついた。ま、のんびり歩いたほうがよい場合もある
のだが・・・一日一歩、三日で三歩・・・   今の時代、置いていかれそう ???

こう書くと、よく歩いているようだが、実はまだ数日。だが、歩くことが楽しいと
感じたのは事実。おすすめしたいなぁ。

9月の声を聞いて、また時間のスピードを考えてしまう。
スローライフ、なんて誰が言った!そんなことが出来るなら焦りはしない!!!
などと言えているうちが、丁度いいスピードなのかも。。。

4日放送の番組が一本完成した。なぜか淋しい。藤原の貧乏性の極めつけは
急ぎ足、早足で目指したい次の目標なのだ。
結局、のんびりしていることの苦手な藤原にとって、「ペッパー警部」ぐらいの
スピードが、安心できるスピードなのかもしれない。

                                                                                                                                                                                                                (平成23年9月2日)

「神様からの贈り物」

先日、久々に39度の高熱を出した。平熱が35度5分ぐらいだから
普通の人なら40度ぐらいの体感なのだろうか・・・震えがきたし。
異変を感じたのは北海道にロケに行く朝、おもいっきり吐いた。
その後羽田に向かい、千歳でレンタカーを借り、札幌でインタビュー、
苫小牧に向かい、実景ロケ・・・さすがにカメラマンも見かねたのか
「運転変わりましょうか」と言い出すほどだった。遅い便で日帰り。

10年ほど前、腸閉塞で緊急入院しているから、それだけが心配
だったが、それはセーフ。しかしそれ以来の苦しさだった。病んで
3日目にようやく病院に行って点滴したのだが、医者いわく、
「いまさら来ても・・・早く来なさい!」というのだが、そう言われても。。。

なぜ、いまさらこんなことを言っているか? それはさっき、義理の弟
が来て、「もう還暦過ぎてるんですから、いつまでも同じ馬力でやっちゃ
駄目ですよ」なんて会話をしたから。わかっちゃいるんだが・・・

しかし、その入院以来という、10日間の断酒。禁酒?節制?
アルコール抜きの毎日に耐えられている自分が、不思議なくらいだ。
最近、どこか「逃避の為」のような飲酒が続いていたから、体調不良は
きっと「神様からの贈り物」だったような。・・・少し酒 ひかえろ、こら。

神様ついでに、もうひとつふたつ、贈り物が欲しい気もするが。(笑)

さて、そろそろ復活を記念して、誰を肴に「飲み会」をしようか、などと
少々気弱に思うのだった。「還暦過ぎているんですから」・・・ ・・・か。

                                                                   (平成23年8月22日)

「親愛なるВалентина様」
どうぞお体に気をつけてください!優しくてユーモアがある、
頭が良くてすごくハンサム(私の若い教え子の意見!)なひと!藤原さん! 


これはロシアの友人、Валентинаさん(愛称・ワーリャ)さんからの
思わず太字にしたくなるようなメールの一部分!なんです。
こんなに褒められたのは何百年ぶり!お世辞でも嬉しいよ~
自分の心を覗いて、やっぱり人のことは「褒めるべき」だよな、なんて。。。  

心が疲れていると、些細なことで心は傷つくし、逆に小さな言葉に救われる。。。
でも、最近の藤原に、優しさとユーモアはあるのだろうか、と ・・・ ・・・
つい先日、自分は笑いの「表情筋」を使っていないな・・・と真剣に思い、
寄席でも行こうか、と思ったほど。

さりげなく、そして軽く、時には深く、言葉でコミニュケーションを感じる誰かを、
人々も、藤原も求めているのでしょうか。
twitter についていけてない藤原の手段は、もっぱらメールなのですが。。。

                                             
(平成23年7月29日)

 
 「花園神社・野外劇」

新宿の花園神社でテント芝居が始まったのは「唐 十郎」からだろうか。
昨日、誘われて初めて神社の境内で行われた「野外劇」をみた。
夏の風物詩だという「椿組」の公演で、もう20数年続いているらしい。

面白かった。何しろ野外なものだから、セリフは絶叫調。時々、セリフが
聞き取れない。でも、想像は出来るから、そこは乗り切れた。
時々、良いシーンで、ステージの背景にある明治通りを走るタクシーや
手を繋いだカップルが視線に入る。(観劇に集中していないせい?)

大勢の役者さんの熱演を楽しみながら、この人たちは日頃何の仕事をして
食べているのだろうか・・・などと余分なことを考えていたら、あっという間の
2時間。実に楽しく面白かった。

「夢中」「必死」「情熱」「大好き」「明日」「貧乏」「無欲」「集中」・・・ ・・・
彼、彼女らの芝居を見ていて、いろんな単語が浮かんでは消える。。。

演目は「けもの撃ち」 芝居を見終えて、最初に発した言葉は、
「こういう芝居、応援してやりたくなりますよね」だったと思う。

7月24日まで。招待で出かけたが、当日券はたぶん4,500円と記憶。
タダって訳にもiいかなくて、帰りにカンパはしてきたけれど。。。

あのエネルギーが欲しい!

(平成23年7月22日)
 

 
「カラオケボックス」

先週の土曜日、何年ぶりだろうか、カラオケボックスに行った。
その趣味はないのだが、早めに会社から帰った何となく「不機嫌な父親」を
娘が気を使って誘ってくれたのだ。「友達と行くんだけど一緒に行かない?」

何となくイライラしていた父親は0.5秒ぐらい迷ったのだが 「うん、行く!」。
安くて臭い部屋じゃなくて、綺麗なところにして、とかナントカ注文出したりして。

で、歌舞伎町近辺のカラオケに行った。受付の女性が「VIP ルーム」は如何
ですか?などというものだから、その気になって「おー、いいじゃない」なんて。

さて、ここでびっくりすることがあった。石原裕次郎が歌った自分の作品がカラオケに
なっているのは前から知っていた。ので、これは誰も驚かない。  (娘が撮った)
      

自分でもビックリしたのがこれ。30年ほど前に歌った「歌」がカラオケに入っているのを
発見したのだ!。「愛のおしゃべり 折尾の街」だって。 ははは、藤原は歌手だった?(笑)その気になって歌ってみたが、メロディーを全部覚えていなくて、ちゃんと歌えなかった。
      
      
因みにこのカラオケはDAMだそうだ。「あの頃の自分」に出会ったようで、変な気分・・・
久しぶりに娘と、遊んだ。。。
                                    
 (平成23年7月19日)

 
 「おしゃれ」

 60歳を過ぎたら、身なりに金をかけるぞ!が口癖だった。良質なものを身につけ、
 良い服を 着るという意味だった。日本人はどうも、歳をとると身なりに金をかけなく
 なる。  みっともない! という思いがあり、俺はそうにはならない!
 という意味だったのだが・・・ 

  先日「ユニクロ」に行って2,990円というズボンを2本買った。靴下もまとめて。
  こう暑いと、何を着てもすぐに汗だくだし、ましてスーツなど着る気にもなれない。
  去年、還暦記念にと思ってスーツを2着オーダーしたのだが、一着は袖を 通しても
 居ない有様だ。去年も暑かったし。

  この夏、ユニクロで買い求めた計5本のズボンが大活躍している。汗になっても
  気にならないし、しゃがんでも、腰掛けても、こぼしても、気にならない。。。
  最初、買い物している場面で、誰かに会ったら嫌だな・・・なんて思っていたのに、
  今じゃ気にならない。

  そのかわり何でもクリーニングに出してしまう。先日、親しくなったクリーニング店の
  おばさんに「これは自宅で洗ったら・・・」と言われたそうだ。ユニクロの白いGパン
  どんなに暑くてもYシャツにネクタイだった。それが自分のルールだった時代・・・
  それはマナーでもあり、自分流のおしゃれだった。

  今?クリーニングさえしてあればいいし、汗のにおいがしていなければ良いし・・・
  でも、「Tシャツ」をズボンの中に入れるスタイルだけは、家族に笑われる。

  値段の高いものが「おしゃれ」だと思っていた時代が確かにあった。  今?
  自分らしければ、「赤」だろうが「ピンク」だろうが、何でもありよ!!!
  もちろん「ユニクロも」。。。  藤原?もちろん「おしゃれ」だし。。。 ???

                                          
 (平成23年7月17日)
 

 
「金魚」

酒飲みの第一歩はビールで始まったと思う。飲み始めたのは16歳かな。
(社会人だったから・・・)

その次がウイスキーが長く、20代の頃一時ブランデーに凝った事がある。
それも飲み飽きて、バーボンに一時傾倒。40歳を越えたころから基本は
焼酎になった気がする。長い間「芋」に凝っていたが、最近覚えた「麦」の
飲み方に「金魚」が登場する。グラスの中にシソの大葉を入れて最後に
「鷹の爪」を浮かべるのだ。これがまた、悪酔いしないで良い。何より見た
目が涼しげで綺麗だ。これをみんな「金魚」と呼ぶ。。。

渋谷の小さな居酒屋でこの飲み方を知ったのだが、ここのママが面白い。
「ボクは辛いのが好きだから、最初から鷹の爪を入れておいて、少し辛味
のエキスを出しておいたら?」と酔いのついでに言ったらしい。

そんなことは忘却の彼方へ、と言うことで、しばらくして店へ出向き「金魚ね」
と注文。ママはうきうきした顔で、「藤原さん用に仕込んでおいたの」と緑と
赤が可愛い「金魚」を出してくれた。

一口含んだら、まるで「食道」の火事!だ。
なんと、新しい一升瓶の麦焼酎に、鷹の爪を6本、それも切って入れたという。
・・・ ・・・ その日は日本酒にした。

昨日、久しぶりに2件目の店として行き、「金魚」を結構飲んだ。2,3杯目から
辛味が少しずつ増すような気がした。なんと!失敗作であるはずのあの
焼酎を少しずつ、加えていたのですよ~ママは。

失敗作として処分せず、有効利用していたんです。「捨てろと言ったのに」とか
なんとか能書きをたれながら、また、「金魚」をしこたま飲んだのであります。

                                             
(平成23年7月2日)

 「詩人と作詞家」

山口県長門市仙崎。この町の「遍照寺」というお寺に、「金子みすゞ」の墓がある。
先日、墓参りに行ってきた。墓参が主な目的だった訳ではない。生誕地である
仙崎の風に触れ、みすゞを訪ねる旅をしたかったから、思い立って出かけた。

つい先日、みすゞの詩を発掘して世に広めた「矢崎節夫」さんのお話を聞く機会
があったことと、友人である浜圭介さんが、みすゞの作品を作曲していることも
理由の一つにある。

多くの人がそうであるように、みすゞ作品との最初の出会いは「大漁」だった。
いつのことだったかは、どんな場面だったかは、記憶にない。が、
金子みすゞの「まなざし」が鮮明な記憶として止まったことは間違いない。
いつか行ってみたい・・・と思っていた。
もう一つの小さな理由に、同じ「遍照寺」に、生前親しかった作詞家の「大津あきら」
さんのお墓もある、とずっと以前から聞いていたから・・・ ・・・

と、ここまで書くと、墓参が目的だったかのようだが、あくまでも「金子みすゞ」が
生まれ、感性を育んだであろう土地を探訪すること。捕鯨の町だった仙崎の人々の、
鯨に対する優しさや哀れみの感情が、みすゞの世界の奥底に潜んでいると信じて
疑わなかったからでもある。

「みすゞ記念館」を突然訪ねたのだが、初対面だったのに「みすゞ顕彰会事務局長」の
草場さんが「詩の原点」ですから、と、とても親切に車で鯨墓などを案内してくださった。
いきなり、仙崎の方の優しさに触れることになった。

話は飛ぶが、ひとしきり案内していただいてから、礼もそこそこに「遍照寺」を訪ねた。
小さなお寺だ。先に、大津さんの墓を見つけた。早すぎたね大津さん、47歳だった。
同じS25年生まれ。彼が売れる前から通っていたという、渋谷の小さな店で2人で
飲んだっけ。
みすゞの墓は、ちょっと探してしまった。入り口のすぐ近くにあったのだが、探した。
本名「金子テル」と言われているが、墓石には「金子テル子」と刻まれていた。
仙崎が生んだ、詩人と作詞家の墓に、何を語りかけたかったのか、などと言うことは
どうでもいいような気がする。

親戚でも身内でもない人の「墓参り」をしたのは初めてのこと。
しかし、仙崎が生んだ「詩人」と「作詞家」が、藤原の心の中に居ることだけは確かだ。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  (平成23年6月30日)


 

見習いたい人々」
 
 
 
 60歳を超えたら、何か新しい事を始めたい・・・と言い続けてきたのだが、
 一年も前に越えたはずなのに、何も新しいスタートが切れていない。。。 。。。
 普通に、淡々と、時間が過ぎてしまったようで…
 先週ロシアで出会った「リュウバ」さんが今、ご主人と二人で来日している。
 ご主人はもう14,5回目の来日だそうだ。9日に彼女とホテルで会ったが、
 ご主人は?と聞くと、毎日「代官山」「青山」「原宿」「渋谷」のいろんな店舗
 を回って、店のデザインを含め「日本流」を学んでいるのだそうだ。
 一週間の滞在では、時間が少なすぎて、普通の観光は出来ないのだそうだ。
 そんな活動的なご主人のエネルギーに触れたくて、13日にディナーの約束を
 した。その翌日にペテルブルグに帰るそうだが、食事の約束は午後8時。
 ギリギリまで事前に調べた店舗などを回るので、少しでも遅い方が良いという。
 まるで彼女と藤原が会話しているようだが、当然、藤原はロシア語が出来ない。
 そこで彼女は英語で話すのだが・・・その英語も出来ない。。。(笑)
 英語の出来るわが社の和久田女史を同行して、彼女が通訳、ということになる。
 さぁ、ディナーを想像してみよう。ロシアのお客様と和久田が3人で英語で会話を
 している。 藤原は、和久田が通訳してくれるまで、にこにこ笑顔で待っている。
 わからない会話の間、ずっと[笑顔]でいる・・・って結構大変。なの。
 さまざまな出会いの中で、さまざまな経験を重ねていくのだが、時間は待って
 いてはくれない。だが、「見習いたい人々」は結構身近にいる気がする。
                                
(平成23年6月11日)
 

 
「バラの学校」
 
ロシアのサンクトぺテルブルグに「バラの学校」と呼ばれている公立学校がある。
第83番学校。ペテルブルグの街中からずっと北のほうで、地下鉄の終点から更にバスに乗る。
興味があったのはこの学校と日本語教師でロシア人のカリーニナ先生。
興味はいつもの唐突な行動となり、6日間ほどかけ初めてロシアに行ってきた。
人との出会いを、こんな楽しい気分で思い出せるなんて、この感覚は久しくなかった。
愛称・ワーリャのカリー二ナ先生は、日本から勲章を受けているような方だが,いい人!!!
初日は図書館の館長を紹介され、日本の副領事を紹介され、歌手の方を紹介され・・・
「街を少し散歩しましょう」と言われ、ま、歩いた・歩いた・・・本当に良く歩いた。
二日目は予定通り「バラの学校」へ。夏休み中だというのに学校は10人ほど生徒
を集めていてくれた。感激。。。ここで面倒見てくれたのはスタリコヴァ先生。校長先生
を含め3人の先生が参加してくれて、日本語教育を知る有意義な時間だった。
夕方からカリーニナ先生が教室を持っている「日本センター」へ向かうことになった.
バスと地下鉄を乗り継いで、センターまで送り届けてくれたのはスタリコヴァ先生。
日本語の講座の見学かとおもって出かけたのだが、なんとちゃんとお役目があった。
藤原との会話の出来不出来が、3日後の口頭試験の点数に加味されるというのだ。
だから、みんな緊張してる。だけど楽しかった。歌も一緒に歌ったりして・・・
途中、一人の男性が席を立った。「これからリハーサルがあります。ありがとう
ございました」「行ってらっしゃい!」などと軽口で見送った彼は「アントン」君。
結局この日、2クラスをお手伝いすることになったのだが、今回のロシアの旅の
同行者は会社で一番若い和久田未希。漢字でどう書くんですか?などの質問に…
ボードに大きな字で書き!いい味出していた。が、社長の名前を書けと言われたら
頭まっ白状態だから えぇと。。。えぇと。。。(笑)
一回では書ききれないほどたくさんのことがあったから、残念ながら多くを割愛して、
さて翌日のこと。
この日は、取材を忘れOFFと決め込んで「エルミタージュ美術館」へ。ワーリャさんの
教え子が働いている、との特権を利用して特別な入り口から待つことなく潜入。
そして、夜だ。生まれて初めて「バレエ」を見に行くことになった。
「くるみ割り人形」・・・チャイコフスキーか・・・と思ったかどうかは別にして、キャストを
見てびっくり。日本語の教室で、出会ったあの「アントン」君が、くるみ割り王子!!!
主役ジャン!!!
まだまだ出会いは沢山あったが、とても書ききれない。
フィンランド航空で行ったが、ペテルブルグの空港で、普通に「ありがとうございます」と
日本語でいわれ、親日度と日本語力を更に知る。
特筆は「白夜」。夜10時に劇場をでたら、まだ太陽が空にある。
しかし、短い間だったが、沢山の友人・知人が出来た。
大切な大切な「人」の財産となった。 
              
                                         「平成23年6月5日」

 
「2枚のCDと絵」
 
ロンドンから、たった今、会社に郵便物が届いた。
「RELAXATION」と言うタイトルのCDと「body&soul」と言うタイトルの2枚のCDと
藤原と娘が顔を寄せている一枚の絵が届いたのだ。その娘の手書きの絵には、
「ぱぱ、いつもありがとう」というサインがしてあった。
つい先日、娘にこんなメールをしてしまったのだ。
「パパ最近ネガティブモード・・・疲れたかも・・・」と愚痴なのかつぶやきなのか、
そんなメールを送ってしまった。結果が今日の郵便物。
そんな贈り物を手にしたパパは、部屋のドアを閉め、CDをかけながら
ハンカチを取り出すことになるのだ。
「金子みすゞ」さんの詩のなかに「日の光」という作品がある。
おてんと様の4人のお使いが、それぞれの使命を帯びて旅に出るのだが
4番目のお使いをこう描いている。
のこったひとりはさみしそう。
(わたしは「かげ」をつくるため、やっぱり一しょにまいります)
最近「みすゞ」さんの作品に触れると、人の本質的な優しさを考えてしまうことが
ある。だが、今日届いた優しさは、みすゞさんに、勝るとも劣らない・・・気がする。
                                  
(平成23年5月24日)

 
「距離と時間」
 
自宅から会社まで車だと約15分ほどで到着する。徒歩だと1時間20分くらい。
自転車は・・・忘れた。で、電車はドアからドアで45分ぐらいかな・・・
この2,3日地下鉄を利用したけど、不親切な東京の地下鉄!だ。
放送局のように、表示が少ない!(自分だけがそう思っている?)
昨日の帰り、地下へどんどん降りていって、おれの乗る電車はどっちだ?なんか
垢抜けているのかどうなのか、先方が見えにくいオブジェのようなものがあって
結局右からでも左からでも行けたのだが、オブジェ風な、あんなもの要るのかよ。。。
そうそう切符。東急と東京メトロと言うのが書いてあって、途中で大江戸線に
乗り換えたいのだが表記がない。ようやく地上にでたら、いつもと場所が違うし。
私は本当に東京の人でしょうか!?
両方から入れる改札、あれもよくわからない。早い者勝ち?謙虚だから、出られない。
日頃の、車通勤を反省して、少し歩くことを意識し始めてのことだが、いつまで続くか。
でも、今月は片道ながら3回も自宅ー会社を歩いている。
今月末、サンクトペテルブルクに行く。10時間以上を、エコノミーで行く。
スタッフと一緒だから。
あぁ、耐えられるでしょうか、その距離と時間・・・
                                    
(平成23年5月23日)
 

 
「電波時計」
 
何日か前に、目覚ましとして使用している電波時計を枕元から落としてしまった。
以前も何度か落とし、外れた電池を入れなおして、強制受信をしたらすぐに復活。
のはずだったが、今回は時計が言うことを聞かない。強制受信、時刻合わせ…
何をやっても正確な時刻に針が進まない・・・4日間ほど試みただろうか。。。
今日も帰宅して何気にこの時計君を見ると、二時間ほど狂ったまんま。駄目か…
藤原は捨てることを決意。いらないよ、お前なんか!
こんな思いを引きずりながら、あれやこれや会社の事、仕事のこと、考えていた。
のだが、さぁ寝よう、と思いつつ捨てられる運命の時計君を何気に見たら!
この部屋にあるあと二つの電波時計と、同じ時間を刻んでいるのだ!なんで!!!
なんで急に良い子になるんだよ、お前は。。。捨てると言っただろう。。。
この時計君の「心」がわからない。心が、あればね。
さて、こんな事が人間にあてはまるだろうか。あてはまるんなら、「捨てる」は
いろんな場面の、特効薬になりそうな…ならなそうな…微妙だな。
                                                                       (平成23年5月9日)
 

 
「読書と娘」
 
娘が、留学先から小旅行で出かけたというベネチアからの手紙が届いた。
「夏には、最低でも2週間ぐらいここに来たい。本をたくさん持って川べりで
読むのであります・・・」とあった。
そういえばこの20年、資料を読むという感覚で沢山の本を斜めに読んだが、
のんびり読書を楽しむ、なんて豊かな時間はあったのだろうか… …
とわが身を振り返ってしまった。
川べりで2週間、本を読む。うん、悪くない!俺も誘ってくれ!などと娘離れ
の出来ない父親のごとく、空想と妄想の世界を行き来してみるのだった。
読書の時間の何百倍、何千倍?を飲酒の時間に費やしてきただろうか。。。
などと、どうでもいいような自分史を振り返りながら、娘が書いてきた「川べり
での読書」は、羨ましい光景だが、なぜか妙に気にかかる。
先日のメールには「一時停止も悪くない」などと、まるで父親が言いそうな
ことをさりげなく書いてあったっけ。
無理をするな、娘。楽しんでいる様子を演じて、張り裂けそうな心でいる君が
見える。わかる・・・ ・・・
読書はビタミン、川べりは栄養、心を演じすぎるのは化学調味料過多だ。
それにしても、豊かな思いで、のんびり読書の出来る日が来るのだろうか。
何しろせっかちだから。本を「あとがき」から読み始めてしまうから。。。
心配性なうえ 過度のせっかちにのんびりなんてあり得ない…ね、娘よ。。。
                                
(平成23年4月30日)

「プライバシー」
 
両陛下が被災地の避難所を訪れた映像を見た。各家族を守る段ボールの壁。
段ボールとはいえあの壁はプライバシーを守っている。気分だけだろうが
あれすら無かったら、人々は耐えられない思いをするのだろう。早く、住まいを!
「遮るもの」はプライバシーにいかに必要なものか、と思う。
やや、かなり不遜な話だが、「遮るもの」に深い?思いを寄せたことがある。
息子と二人で行ったモンゴルでのことだ。用足しはもっぱら野っぱら、だ。
朝早かった。羊の群れと目があった。彼も彼女もみんながこっちを見ている。
くぼみ・・・石ころ・・・遮蔽物・・・見渡す限り草原・・・草っぱら・・・なのだ。
でも、猶予はない。藤原はそこにやや大きい石ころを見付け、遮蔽物だと
思い込むことにした。7,8センチの石ころが数個。。。思い込めば、見事な
プライバシー空間だ。だが、羊の群れの彼と彼女とは眼があったままだ。
これだけは経験しないとわからないと思う。が、良い経験だった。
知人の実家のゲルは狭かったので、隣にテントを張って息子と二人で寝た。
歌を歌いながら回し飲みする、廉価で度数の高い酒は、二日酔いのいい
お友達にはなった。
あれも、これも、陛下が行かれた避難所の生活空間を見て思い出したのだ。
プライバシーとは何か?人のぬくもりが無くては生きられない藤原にも
独立した空間は必須だ。避難所のプライバシーは、いつ回復改善されるのだろうか。
                               
 
(平成23年4月29日)
 

「ビッグ対談」
 
番組のインタビューで、あんなに口が渇いたことはなかった気がする。
緊張したのだ。インタビュー開始前に、緊張しています、と白状したのも
初めての経験だが。
昨日、「作曲家・筒美京平 Vs 作詞家・松本隆」の対談をVTR収録した。
おふたりにとっても、マスコミにとっても、すべてが「初」。
筒美先生は何度かお目にかかっているが、松本さんとは初対面だったし、
事前に「あの二人は5分でも10分でも、会話がなくても平気だから・・・」
とインプットされていたから、会話が成立しないことをイメージしてしまって
緊張したのだと思う。
なんたって、日本の歌謡界を牽引してきた、2大巨匠でもあるし。
番組上、数分をイメージしていたコーナーだったのに 1時間半もテープを
回してしまった。話が弾み、中身が面白かったことと、何よりも二度と実現
しないであろう2ショットだから・・・との欲張り根性が働いてしまったのだ。
御茶ノ水にある「山の上ホテル」を「対談」の収録場所に選んだ。
筒美さんは「オークラ」を日常的に利用されているから、オークラにすれば?
という意見もあったが、藤原の一存で「山の上ホテル」にした。なぜ?
特に理由はなかったのだが、歴史のあるホテルだし、何よりも「文士系」
の方が利用している、という藤原にとっては良いイメージがあったから。
で、初めてこのホテルを利用した。
収録中に、驚きの事実が判明する。ことになるのだ。あぁ びっくり。
番組で取り上げる「木綿のハンカチーフ」について、話を聞き始めた。
すると突然、松本さんが「あの作品は奇しくもこのホテルに缶詰になって
書き上げた作品なんだ」と。。。「この山の上ホテルでね・・・」。
まるで事前に取材をし、わざわざ「山の上ホテル」を選んだかのように。
対談は、和やかに進行し、無事収録を終えた。
周囲が「どうして?」と言うのに、なぜあのホテルを選んだのだろうか。。。
「当たり!」に、ついニマニマしてしまう、藤原なのだ。・・・単純かな・・・
                                
 
(平成23年4月19日)
 

 
「走行距離 1600キロ」
 
首都高に乗って間もなく、「災害派遣」「災害支援」等の文字が書かれた車を
何台も目にした。自衛隊の車や、ボランティアであろうバスなど。
この車も、あの車も、被災地に向かうんだ・・・4月14日昼過ぎ、まだ都内だった。
~17日までの4日間を使って、被災地である岩手の沿岸部を回ってきた。
盛岡を基点に宮古から山田町へ、翌日、釜石から大槌町へ・・・・・・・・・
13日の夜、被災地に立つ池澤夏樹さんの「被災地を行く」という記事を読んだ。
現地に行って、現状をこの目で見て、現実を知るべきだ・・・と思ってしまったのだ。
15日午前、宮古市に到着。見渡す限りの建物の残骸、瓦礫、そして静けさ・・・
報道の任務を背負って行った訳でもないから、カメラを向けることに躊躇した。
シャッターを切ることに、引け目のようなものを感じたのは、初めての経験だった。
まして人物に、なかなかカメラを向けられない・・・・・・
でも、廃墟となった町にも、明るさはあった。子供の屈託のない笑い声。… 響く。
 
     
 
見渡す限りの瓦礫と、荒れ果てた住宅地であっただろう場所に立ちすくむだけで、
声も出ない・・・一人だったから、感想も言えない・・・息を呑む、まさに息を呑む。
 
     
被災地をこの目で見て、何を学べたかはわからない。
だが、間違いなく、ここも、あそこも、復活を遂げるだろう・・・とは思えた。
・・・思いたかった。
壊滅し、廃墟となった町の様を、ただ見に行ってきた訳ではない、
と言いたいのだが、今のところ、誰の、何処の、何の役に立っている訳ではない。。。
帰路、立ち寄ったガソリンスタンドで、タイヤに釘が刺さっているのを見つけた。
新聞で、車のパンクが多いという記事を読んでいたから、被災地の現場で
迷惑をかけなくて良かった・・・
17日、昼ごろ東京へ向かったのだが、東北道の須賀川で高速を一旦降りた。
何か、福島県の産物を買っていかなくては、と強く思ってしまったから。
スーパーを探し、福島県産にこだわって意味もなく手当たりしだい野菜を買った。
福島県産の日本酒も2本買った。ようやく並び始めた牛乳も2パック買った。
思ってしまったら、止められない性格が、全行程1600キロの運転をする事に。
岩手まで、車を運転して行ったのは、約30年ぶりのことだと思う。
もう一度あるとは、思えないが・・・・・・
                           (平成23年4月18日)  

 
「別に恥ずかしくないよ・・・」
 
今日はなぜか人が少ないんだなぁなんて。それに座れというし。なんで?
「裏側」に住所と名前と理由を書けと言うし。なんで???
「表側」をもう一度見た。。。投票日4月10日。「あれ、今日何日?今日じゃないの?」
2,3人のスタッフが嬉しそうに笑った。(いかにも声を押し殺している、と感じる輩も)
「え、誰?今日と言ったの、何、今日じゃないの~」
なぜか藤原は大きな声。さっきの笑い声は数が増えているような・・・
「期日前投票」 いい制度だ!。無駄足にはならなかった。
「理由はなんて書けばいいの?間違えたって書くの?」
藤原はわざと大きな声で聞く。おばちゃん、また笑う。今度は青年が笑いをこらえて
言った。「あの、傍線を引いていただければ・・・」 どこに傍線だ、若者!!!
≪仕事の都合≫、と言うところに大きく○をつけてやった。
そのあと、打ち合わせに出かけ、あるホテルでいつものように珈琲を注文した。
席を立ちながら、ちょっとおしゃれな黒いファイルを持って颯爽とレジへ。
「駐車券もよろしく!」・・・  ・・・ 黒服のお兄さん、目は笑っているが何か変。
差し出したのが、「メニュー」だと気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
4月3日、日曜日。久々に笑えていい日だった。
いやいや、久々に笑われて、いい一日だった。
                                    
                                   
 
 (平成23年4月3日)

 
「・・・」
 
震災直後の映像と活字のニュースには、驚きのあまり呆然とするのみだった。
被災から間もなく2週間を迎えようとする今、伝えられるニュースに接するたび、
涙を禁じえない。映像に登場する光景も、活字から見えてくる光景も、かすむ…
このところ、新聞紙面の中の「亡くなった方」という欄から、目が逃げる。
己の無力を嘆く人が多いと聞く。その気持ち、わかる。わかってしまう…
近い将来、東京にも経済的ダメージが襲いかかる。
200キロ先の出来後が、どこか遠い場所の出来ごとのようで、実は近い…
韓国の知人から何度も電話があり、お見舞いの言葉を頂いた。FAXも来た。
募金を始めている、とあった。日本語に訳された、歌も添えられていた。
海外では、東北地方の震災ではなく、日本という国の震災なのだ。
このところ、会社の自分の部屋の暖房を点けて居ない。夕方からは足元が寒い。
我慢、ということを自然に教わった年代だから、いいのだけれど。
ほかに何か出来ることは無いのか…
45年前に岩手を後にした。身内も知人も内陸部なので津波の被害は無かったが、
宮古も、釜石も、あの沿岸は何度も訪れた土地。
韓国の知人は「お祈りしています」と会話を結んだ。
藤原も、祈りたい・・・耐えがたい哀しみを抱えた人々に「…」祈りたい。
                       
 (平成23年3月24日)
 

 
「歌えない!」
 
先日、久しぶりに友人の店で歌ったら、どうもうまく歌えない。
表現が難しいのだが、声は出ているのだが、なんだか「歌えてない」のだ。
随分長い間、カラオケと縁が無かったからだと思うのだが・・・
歌も、体の筋肉と同じなのだ、きっと。使用しない筋肉は衰えるから。
鍛えることを忘れた精神や肉体は、音程の悪い歌声か?(笑)
次の番組で「筒美京平」氏を描こうと思っている。驚くほどのヒット曲。
マスコミに登場しない作曲家だから、多分顔を知っている人は少ない。
だが、JーPOPを確立した作曲家の数々の作品は、演歌系の藤原でも
かなり知っている・・・
あの歌も、この歌も、あれもこれも筒美作品だ。本当にすごいのだ。
だが、「ブルーライト・ヨコハマ」と「また逢う日まで」ぐらいは歌えるが
Kinki Kids や 少年隊 近藤真彦やC-C-B・・・  知ってはいるけど
「歌えない!!!」
そして藤原は、これからブツブツ言いながら下の階の編集室に向かうのだ。
今、午前2時半、作業はまだ終わらない。
気分転換に、大きな声で歌いたいのだが 近所迷惑だから
「歌えない!!!」
                        (平成23年3月3日)
 

 
「名言」
 
中学時代の同級生からメールが来た。
「《今と、これから!》覚えてる???これ典男くんの名言!だよ。」
当時、何かの寄せ書きに書いたらしい。当時というならば45年も前だ。
ふ~ん、なかなか生意気だったんだ、典男君も・・・
このところ、謝罪行脚をしているような気がする。プロデューサー、
もしくは社長という立場上仕方が無いのだが、謝罪に名言は使えない。
嘘を言わず、誠心誠意、謝意を伝えるしか、解決方法がないのだ。
(必要な嘘もあるが・・・)
でも、これ一発決めれば、《解決!》なんて「名言」は存在しないだろうか?
などと思ってしまう。(笑)
今夜の放送に向けた作業が今終わった。放送当日というのは初めての経験
のような気がする。睡眠時間も取れず、受話器を持ったまま眠ってしまう
ような劣悪な環境の中、頑張りぬいたスタッフに、伝えられる「名言」は無い
ものだろうか…
「名言」よりも、もっと「満たされるもの」がいい、と言われそうだが…。
 
(平成23年2月4日)

 
「時実新子さん」
 
お嬢さんの安藤まどかさんから、徳島で行われる川柳作家、時実新子展
の案内パンフレットが届いた。亡くなって、すでに4年目を迎えるという。早い。
「母だから泣かない 母だから泣く日」 この句がとても好きだ。
金沢を一緒に旅した折、新子さんは僕に向かって「藤原さんは歯がきれいだから
好きよ」と言ってくれた。
番組に何度か出ていたいただいたが、打ち合わせのとき「藤原さんに騙されて来た」
と言ったのを、真に受けたプロデューサーが居た。(藤原は嫌われていると思われた)
「全句集出版記念祝賀会」に出席させていただく為に神戸まで行ったっけ。
川柳大学100号記念特大号に藤原の駄文を寄せたのは2004年だった。
生放送中の歯に衣着せぬ発言と様子を「勝負球」というタイトルで書かせて頂いた。
新子さんは結構喜んでくれた。文章を「神戸の母さん」と結んでいたはずなのに・・・
お別れの会にも行けなかった・・・
会社の自分の部屋に飾ってある、 新子さんからいただいた小さな色紙には
「起承転転 みずうみの波 高ければ」の句が書かれている。
色紙が、年月を感じさせる色合いになってきた。
新子さんの句は、感性に訴える音楽のようだった。
・・・・・・そして、鋭かった。」
(平成23年1月26日)
 

「2011年は平成23年で…ええと…」
 
今年は何年だっけ?と何回も聞くことになるのだろうな、今年も。。。
食事に向かう車中での会話だが、「じゃコースでいいよ」と娘は言ったらしい・・・
何を食べる?という会話の最中の出来事。父である私はこう答えた。
「タコライスはないよ、和食のお店だから・・・」このすれ違い会話は爆笑を呼んだ。
「出過ぎたかおるみたい」と娘が言った。どこの「かおる」かな?と父は思う。
「で、杉田かおる」と言ったらしい。これも笑えた。
車中で見たお笑い番組。運転しながらだったが、結構声を出して笑った。
「パパが笑ってる・・・」という声がした。               そうか…
正月 元旦と二日の短い休みだったが、一般的に言えば穏やかだった。
そして、声を出して笑えた事が、仕事から解放された時間を物語っていた。
「笑福亭典男」     今、突然思い付いた。よし!とはいかないが
案外、的外れではないかも・・・と思いたい年の初めである。
                                  
 
(平成23年1月4日)
 

「続・午前3時」
トイレの鏡に映ったくたびれた顔、自己愛の強い 藤原君は年齢相応のお顔に
やや不満なのだ。・・・などと思いながら机に戻る。時計は午前3時を回った。
ところで・・・ ・・・
今日、久しぶりに会社を訪ねてくれた知人の一言に、一年という歳月を思う。
「丁度去年の今頃の社長は、見るからに驚くほどのネガティブ状態でした…」
「今年のほうが、ずっと元気ですよ!」
去年の暮れか・・・思い当たるフシがある。でも、 遠い記憶のような気もする。
そう言えば、そうだったかも・・・などと、他人事のように振舞ってはみたが
藤原を見てるね、彼も。なかなか。ははは、もう一年も前のことか。。。
ところで・・・ ・・・
近頃、煙草を吸う人がうらやましいと思うことがある。  「気分転換!!!」
藤原がこうして気分転換をしている間、彼らは煙草を吸いながら談笑している。
無言でキーボードをたたいているより、煙草の気分転換のほうが健康的!に
思えてしまう。
ところで・・・ ・・・
「遺憾」という言葉と文字が、やたらと氾濫したと感じてしまう一年だった。
!!! ・・・ 向こうで「出来た!」という声がした。なぬ、明るくなる前に
帰れるのか?!
(平成22年12月28日)
 

 
「午前3時」
 
現在地《社内》 場所《机の前》 夕食《買出しの牛丼》 現在時間《午前3時》
社内には他に5人のスタッフ。 表情・《くたくた》 ・・・だから、なんなの。
朝、10時半に集合して打ち合わせを始めたのは、昨日の朝だったような・・・
あれから何時間過ぎたのだろうか。そして作業はまだ終わらない・・・
誰かが、「おじさんなんだから、早く帰って寝なさい!」と言ってくんないかね(笑)
でも、一息入れてこれを書いているのだから、まだ余裕ということで、いいか。
スケジュール帳を埋めることだけに腐心した40歳までの「音楽屋」生活を思う。
年末年始のゆるいスケジュールは、痛みと辛さを伴うしんどい「余裕」だった。
きっとそんな思いが強いから、仕事に明け暮れることはなんでもないのだ・・・
と自分は思うが、悲惨なのは帰れないスタッフ。《すまん》。
だが、さすがに重ねてきた年齢を思うことが増えた。
「時間を無駄に過ごしたくない…」 「バカ馬鹿しいことにむきにならない…」
「無駄に頭を下げたくない…」「あぁ もう少し 楽をしたい。。。。。。」etc
さてさて、仕事に戻るか。 明るくなる前に帰りたい。
 
(平成22年12月16日)
 

 
「年末」
 
この時期になると「喪中はがき」が結構届く。年賀欠礼というはがき。
年の瀬を感じるとともに、日本の「冠婚葬祭」の文化に思いを馳せることになる。
それにしても、年末… 「年初」の方が、なにか明るい気分がする。
「世末」じゃないからいいけれど(笑)
いくつの山を越えたのだろうか、いくつの川を渡ったのだろうか…
一年という月日を振り返るのも、12月という年末気分のなせる技、なのかも。
それにしても、一年が早い!早い!と感じるのは充実していたから?
そうだ。自分が思っているよりも、充実していたということだ。きっと。
今日は、なにか面白そうなことを書けそうもないし、これで止めるか。
でもね、あと二週間で娘が留学先から帰ってくるし、けっけっけ、
年末には楽しみも、ちゃんとあるんだよ。。。そうだ俺は、父親だっけ。
 
(平成22年12月1日)
 

 
「超」
 
毎日提案という文章を書いていると、どこかの神経が「何か書きたい!」
と言っている。(かどうかは、わからないが)
「涙を抱えて沈黙すべし」幕末の志士の言葉だそうだが・・・ ・・・
あのね、会社の隣のスパゲッティー屋さんで居合わせた女性2人のこと。
《社会人》と思し召し若い女性の会話を何気に聞いていたのだけれど・・・
あのさ、超○○でぇ~      そうそう超○○よねぇ~
超○○って超○○よねぇ~    うん、超いやよねぇ~
(超)が耳に残る会話だなぁと思って聞いていたのだが、心が笑ってる。
だって二人の会話に出てくる《チョー》さんが
社長(超)がね。 早朝(超)にね、と聞こえてしまうんだもの!
たいした話じゃないのだけれど、ふと手を休めて誰かに言いたかった。
(平成22年11月10日)
 

 
「小さな旅」

パソコン作業に疲れ、アイディアも湧いてこず、んじゃ昼飯でも…と外に出た。
陽だまりがなんとも心地よい、と美しくい言いたくなるような優しい秋の日差し。
(そうだ、トイレよってくりゃよかった!とここで思ったのが旅の始まり)
公衆トイレがすぐそこだな・・・おや、視線の先になにやら可愛らしい物体。
「ハチ公バス」と書いてある。オレンジ色だ。コミュニティー循環バスという使命
を持った料金100円のバスだ。どこまで乗っても100円なんだ・・・
前から何となく興味があったので、小銭を手にフラッと乗り込んでしまった。

着席だと10人程度の小さなバス。それにしてもぐるぐる狭い道を走る。
どこかで降りて飯・・・と思いながら珍しさも手伝って尻が痛くなるまで乗って
しまったのだ。住宅街ばかり走るので、「代官山」なら、食うところもあるだろう、
と思い「代官山駅前」で降車。「駅はどこだ?」「ここはどこだ?」

すぐに時々発病する「優柔不断病」にかかってしまう。こんな店に一人で
入ってもなんだしなぁ・・・昼からフレンチなんて気分でもないしなぁ・・・
蕎麦屋とかラーメン屋とか無いのかよ。ぶつぶつ。だけどそこは「代官山」。

結局渋谷目指して歩き始める。ま、気分転換だから良いか、などとつぶやき
ながら、さっきの店入ればよかったな~と小さな反省。
優しいと思った秋の日差しは、何気に寂しさを醸し出している秋の日差しかも。
「人はみんな、どこかで孤独なんだろうな・・・」 ヤバイ・まずい、ドウシヨ!。

結局「蕎麦屋」を見つけて入ったのだが、蕎麦を食いたかったはずなのに
注文したのは「カキフライ定食」。一口食べてすぐに反省。「優柔不断病!」。
歩いて帰るのもなんだしなぁ・・・とぼとぼ歩いた道の先になんと「ハチ公バス」
の看板が!循環バスだから、帰れる!100円玉を手にじっと次のバスを待つ。
タクシーの空車が何台も目の前を通り過ぎる。僕はじっと待つ。待つ!待つ!

小さな旅だった。全行程3時間。往復200円と昼飯900円。1100円に
有意義を求めるなよ、と思いながらのプチ旅行だった。
さて、提案文書にかかるか・・・今日も・・・。

(平成22年11月9日)

 
「ロケ現場  偉そうなあいつ」
 
今度の特集番組の主役、作曲家のH先生。だけど何かにつけ
プロデューサーのFの口調がきついんじゃないか?。
ロケ後、コメント確認の為、収録Vをチェックしていた あいつ だが、
ずけずけ言い放っていた自分の口調に、さすがに冷や汗・・・
《再現》
H先生 「Fさん ここで○○の話をしたいんだけど良いかな・・・」
F    「駄目!」「・・・ ここでは○○の話だけで いいですから」
H先生 「・・・Fさん、A型だから きついから・・・」
《次の現場》
H先生「今回の番組で、僕は歌わないのかな・・・」
F   「先生は歌うと、作曲家じゃなくて歌手になっちゃうから!」
H先生 しばらく沈黙の後
    「僕の歌を楽しみにしてくれるファンもいるんだよ・・・」
F   「知ってます!」 
    「先生!それじぁ 次のコメントお願いします!」
何事もなかったように 進行する現場。 
《昨日の現場》
F   「それでは先生、お願いします!」 Take5!Take 6!
    Take7!   結局  Take 8! 
    ※ 何べんやらすんだ! ときっとH先生の心の叫びが!!
F   かまわぬ素振りで、「先生、次は海岸で歩き です!」
    そして、海辺を何度も歩かせ挙句の果てに、H先生は波をかぶり 
    靴も靴下もびしょぬれ・・・   ・・・   ・・・
偉そうなあいつは さすがに 謝る。
こうして、番組は着々と進行し、何事もなかったかのように
11月3日の放送を迎えるのである。
(H先生! GOMENNASAI)
(平成22年10月20日)
 

 
「日中友好(有効)」
中国人船長釈放のニュースに接するたび、なぜかイライラする。
怒りを前面に出さない、日本人の謙虚さに、じりじりする。
ニュースも見たくない、新聞も読みたくない、と思いながら
隅々まで読んでしまう・・・
石原都知事のような発言を、紙面に探している自分が居たりして。
でも、選択と結果を尊重すべきだと思っている自分も居る。
「日中」、いらいらすると、肩が凝るし・・・(笑)
ということで、会社を抜け出して向かった先は、中国式マッサージ。
だが、会社に戻って夕刊を手にしてまたムカムカ。なんだかなぁ。
中国にはもう幾度となく行っている。日本語を話したとたん
乱暴な運転に変わるタクシーの運転手さんも居る。
やれやれ、と思いながらおとなしい日本人を演じている自分…
中国式マッサージに話を戻そう。中国人の店長は顔なじみ。
店に行くと「やぁ社長!」といって満面の笑み。
土曜日で忙しかったので、彼の奥さんが担当してくれた。
「どこが一番凝ってますか?」「う~ん肩かな」と二言三言。
やがて藤原は、日中「有効」の深い眠りにつくのだった。
 
(平成22年9月25日)
 

 
「幸せ感・お金じゃ買えないんだって!」
珍しく、イライラいらいらしながら帰宅した。気分和らげよう!
和らぎそうなボトル?をセレクト。黙々と飲み始める。だが、失敗。
楽になるどころか、イライラの原因をイライラしながら追究し始める。
妻は空気を察知。「お休みなさい…」 ははは、何より懸命だ、と思う。
「始終3人」だよ。「それはそれは43人様ですか、大勢様で…」
今日聞いた「落語」の一節を思い出して、楽しい気分の演出。
そういえば、「今日笑ったか」などと、日常気にする事はあるのだろうか。
「昨日笑ったか…」
心の底から笑ったのは、いつだったか…  「幸せ感」を何で測るのか。
(と、だんだん理屈っぽくなる深夜の時間…)
今日の新聞に、「年収と幸せ感」の分析というデータ記事があった。
結論として「幸せは金で買えない」という通説を裏付ける報告だったが。
いや、藤原が言いたいのは、日々笑っているのか、どうなのか!
(自分の気持ちに、なんとなく言い訳を感じながら、無理のある誇張)
今日感服した「落語」の「笑い」に気分を戻そう。
あの笑いへの誘いは、「芸」だ。お笑い芸人の笑いとは少し違う。
笑いのツボで、泣く事だって出来そうな、達者な笑いへの誘い。
そうそう、イライラや不満を、ストレートに表現するのは芸がない。
…と、くどくど考え始めたから、飲むのをやめた。
いつになったら、「俺って大人だな…」と思えるんだろうか。
と、くどくど考え始めたから、これでやめる。
「やーめた!」  。。。  。。。 (自宅にて)
 
(平成22年9月7日)
 

 
「ああ、思い込み・勘違い!」
 
いつも終電間近の決まった時間に席を立つ男がいる。今日も決まったように…
店のピアニストは、男の後ろ姿を視界に収めながら、もうすぐ終わり…と思う。
その日も「いつもの男」は、いつものように席を立った。
ピアニストは、いつものように時計に目をやり、「やれやれ、終わり」と小さくため息。
静かにラストソングを奏でる。なにもかも「いつも」と同じ。
店のママがトンデきた。「もしかして、冗談でしょ!」
ピアニストは改めて時計に目をやる。そういえば、ラストソングには一時間早い。。。。。。
「ああ、思い込み・勘違い!」
あの日のことが、なぜか忘れられない。教訓のように、忘れられない、のだ。
さて、「心のこり」という歌があった。♪わたし馬鹿よね、お馬鹿さんよね~ それそれ。
ある人がこの歌のタイトルを聞いて、感心したそうだ。現代人の疲れを歌っている・・・
「心の凝り」・・・う~ん  こころの凝り。(読売新聞で知った)
昨日、作詞のなかにし礼さんとお目にかかったが、話題にすることを忘れてしまった。
「俺はすごい!」「これは素晴らしい!」「これが一番!」そう言い切る人に最近会った。
いい思い込みだ。だが、勘違いだとは思わなかった。なぜ?
その人は、少年のように目が輝いていたからだ。きっと、涙することも知っている。。。
いいじゃない、俺にはその思い込みの力は無いけど、うらやましいし、好きだよ!!!
とは言わなかったが、その方は藤原より少し年上の62歳。いいね、いいね。
「生きる」という道程の中で、思い込みの失敗や勘違いの挫折を数え上げれば
きりがない。
が、さて「思い込み」に笑い「勘違い」を笑い、さまざまをさりげなく笑う余裕の人…
でありたい。きっと「少年のように!」と思い込もうとしているのかも知れない。
(平成22年8月17日)
 

 
「すずめの涙」
すずめの涙って見たことある?見たことない。想像したことある?無い…。
どんな涙?
親しい作曲家の一人に「浜圭介」さんが居る。彼の作品の中の一曲だ。
桂銀淑が歌っている。今日、必要があって何気にその歌を聞いていた。
不意に襲ったなみだ。。。のりおの涙、だ。なぜ?なぜ?なぜ?  なぜ?
つい最近読んだ本の中に、こんな一節があった。
「出会いは神様からの、ギフト」
わかってるって!なのに、なぜか新鮮で書き留めてしまった。そう、新鮮。
突然の感情ほど、理解に苦しむものはない。と思っているけど、きっと必然。
あのね、あのね、(誰かに言いたいんだけど)どうしたもんなんだろうか。。。
あまりにも「急ぎ足」の時間への不満か?
いえいえ、「すずめの涙」ほどの 小さな葛藤ですってば。
梅雨が明けたらしい。痛いほどの夏光線は望むところだ!
書を捨てて、街に出ようぜ、みんな!
と言いたいところだが、世の中の3連休とは縁がないらしく、会社でスタッフ
とともに資料に埋もれている藤原。
社長!お休み返上で仕事をしているんですから、少しだけでも手当をください!
「すずめの涙」程度でもいいですから… …
聞こえてきそうだ。。。 。。。
 
(平成22年7月17日)

 
「指導者」
 
指導者が夢を語ることの大切さ、そしてその結果のなんと大きなことか。
「世界のベスト4へ!」
何の興味も持たないサッカーだったのに、深夜までテレビ観戦をしてしまった。
岡ちゃんは夢を口にすることで、チームを束ね、若者を発奮させた。
「指導者」か。。。 
「経営者」も「ある意味「指導者」か。。。
わが国のサッカーの指導者は、愛想はないが 男として強いし、すごい。
さて「わが社」の指導者は、愛想はあるんだが、「焦り」とか「現状打破」だとか
「このままでは・・・」とかばかりを言っている気がする。
「夢を語っているか?」 。。。  沈黙の自問自答。。。
これを書きながら、すでに反省ばかりをしている。。。やれやれ。
先日、故郷岩手の同級会に行ってきた。小学校単位で3つの学校が集まり
その後、会は190名ほどの中学の集まりになった。
名札と顔を見比べて、「覚えてる?」「懐かしい!」の連続。
なんたって45年ぶりだもの。
あっちにもこっちにも、「初恋話」が咲き乱れたりして・・・
ははは、みんな60歳だよ。あの娘も、あいつも、60歳なんだって・・・
お世話になった先生方、そう、当時の「指導者」のお姿は どこにもなかった。
歳月の流れを、五感を使って味わうことにもなった一泊二日の岩手の旅。
「夢だよ夢。いつまでも夢を語らなくちゃ」。
今日も小さな会社の「指導者」は、
言い訳がましく、自分に言い聞かせるのだった。
(平成22年7月1日)
 

 
「北国」
 
東京を基点として、どこから北国というのだろう。
新幹線のなかったその時代、雪が多かったアノ時代、
上野から北に向かえば、すぐに北国だった・・・ような気もするのだが。。。
そう、仙台は北国だったし岩手はもっと遠い北国だった。
 ♪北の~酒場通りには~長い髪の女が似合う・・・ 
「北酒場」は東北新幹線の開業の年だった。
あのころの北酒場は、そう仙台あたりだったのかもしれない。
北国に、旅情という言葉が似合った時代だ。
さて、何で北国とか、岩手とか・・・?
今月、何年かぶりで岩手に行く。還暦を祝う小学校の同窓会だ。よ。
〇子ちゃんも、△男君も、どういう風に年を重ねているのだろうか・・・
なんたって、みんな小学生だったんだから。
北国生まれの、北国育ち。彼も、彼女も、記憶の中の子供たち。。。
「孫がね」なんて言うのだろうか。(ははは)
振り向けば、すでになが~い道のりがある。この道の出発点は
岩手という北国にある。新幹線も、高速道路もなかった時代の
「北国」は、15歳の藤原を東京へ送り出した始発駅でもある。
 
(平成22年6月8日)
 

 
「記念日」
 
《新宿区福祉部高齢者サービス課いきがい係》様から突然郵便物。
僕、第一声、「ふざけてるね」。
そう言えば、いろんな形で間もなく迎える60歳をイメージしてきた。
だが、あと一週間以上ある。。。還暦まで。
さておいて。福祉って何だろう。考えろ!という意味か?新宿区は。
「一定の年齢に達した(方など)に対して新宿区ふれあ入浴証による
公衆浴場での入浴サービスを行っております。月4回まで無料…」
福祉を取り違えていないか、こいつら!と思ったのが本音。
誰に、どこに言う? 政治家になるつもりもさらさらないし。。。
怒涛のような4月、5月だった。
スタッフ便りも書けていないし。満足もあった…挫折もあった…
今日、久々に夏の花を目にした。巡りくる夏目前、当たり前だが
季節の移ろいを実感できる少しの余裕に感謝。
さて、この「入浴証引換券」なる腹立たしい葉書状の紙切れ、
どうすんだか(苦笑)紙の無駄をやめてよ新宿区!!!、って
文句言うか。
 
(平成22年6月1日)
 

 
「狼狽する」
慌てふためく、取り乱す・・・本当にそんなことがあるんだ・・・
自分のことだ。過去にあまり経験の無い狼狽ぶりだった。な。
生放送で使用する「〇」が用意されていないことを夕方知る。
用意できなければ番組の根幹が成立しない。明日から連休、
我ながら驚くほどの狼狽ぶりで電話かけまくり、懇願。
「なんとかお願いします」「助けてください!」
「助けていただけませんか!」・・・ ・・・ etc

嵐は思ったより早く通り過ぎた。一瞬のタッチ感覚でセーフ。
「神様~」とは思わなかったが、落ちてゆく底をイメージした。
やれやれ。

過ぎてしまえば血圧も戻りつつ、さて気分の建て直し!
だが、社長の狼狽ぶりを見ていた〇君と〇さん
「社長も普通の人じゃん」と思ったかどうだか。ね。
(平成22年4月30日)

 
「ジャニーズ」
 
大衆演劇の魅力は、何といっても時代離れしたあの感覚だ。
デジタルなどとは縁遠い、そうそうアナログの魅力。なんだな。
息子が、大学卒業後、某ホテルに就職したのだが、一年で退職。
始めたのが、日舞の稽古と殺陣。
日本的文化を極めてアメリカへ行くんだとか… 良いとして…  
縁あって大衆演劇の沢竜二の芝居に出ることになったんだと。
そこで、沢氏曰く、俺の芝居にかかわっている間、お前の芸名は
「ジャニーズ竜也」にしろ!……  
私の息子なんだから、当然ジャニーズ系の雰囲気ではない。
ま、それもこれも良いとして…  
このところ、土曜も日曜もなく仕事まみれで心がかさかさしてた。
そんな中で、名前が「ジャニーズ竜也」だって!と聞いた。  
笑った、久々に笑った。涙が出そうになるほど笑えた。
嬉しかった。笑えることが嬉しかった。ははは、ほんとに。  
わがジャニーズよ。よそよそしく恥ずかしげに逃げ回るな。
俺もな~もう少し足が長くてダンスが上手きゃ、
きっと ジャニーズだったのに。。。    な。                 
 
(平成22年4月26日)

 
「博多のもつ鍋と木綿子ちゃん」
 
学校から帰ると、赤いランドセルを放り投げて遊びに出て行った…
あの頃、木綿子ちゃんは確か小学生の低学年だったと思うが…
すでに20数年を経過しているから、記憶は定かではないのだが。  
場所は五島列島の福江島。地図で言えば福江島の北の外れのほうに
高崎という集落があった。そこで漁業とスナックをやっていた
友人の娘さんなのだが、懐かしい名前とともに「博多のもつ鍋」が
10人前も会社に送られてきた。可愛い封書の手紙が添えられていた。  
「愛先生…」(当時はそう呼ばれていた)とすると、20数年より
もっと以前?「現在、飲食店の経営とともに、博多のもつ鍋販売の
全国展開を進めています。是非召し上がっていただきたいと思い…」  
番組収録のあと、会社で社員とともにも「もつ鍋」の試食会をした。
朝から飯も食わずに夜10時過ぎのお疲れ様会だから、腹が減って
いるのは理解できるが、「あっと言う間の10人前!」だった。  
味に懐かしさを覚えることはままあるが、味の送り主に懐かしさ…
でも、あの子は小学生、だった。いまでも、小学生のまま。。。
木綿子ちゃん、「一緒に海で泳ぎました」という君の手紙、すごく
うれしかった。(でも、藤原君はいまだに泳げないんだけど(笑))  
感謝の気持ちを込めて、ここで「博多のもつ鍋」紹介していいかな。
元祖竹炭やき鳥 はかた風土 (←こちらをクリック)
挫折と憔悴の記憶で描いていたあの時代に、ぬくもりの灯りをひとつ
だけ、いや、有り余るほど見つけた、気がする。
木綿子ちゃん(ゆうこ と読む)。。。                    
(平成22年4月6日)
 

 
「小便小僧」
むかし昔、若かった頃、渋谷の246の歩道橋の上から
流れるように美しいヘッドライトのその列に、元気よく
小便小僧!(もちろん酔っ払いの所業だが)
一人だったのか、友人と一緒だったのか、記憶は定かでは
無いのだが、ドライバーには突然の雨となったのだ。

なぜ、小便小僧の話か・・・
わが社のトイレの掃除は、一週間単位で社員が当番制で
担当している。もちろん藤原にも順番は回ってくる。
掃除を自分でやると、汚れ方が気になる。男どもよ、何故
こんなに散水ホースなの?
男は立ってするもの!女みたいにしゃがんでんじゃない!
を持論としていた藤原なのに、掃除をするようになった途端
なんとなるべく座るようになった・・・ ・・・

男は立って堂々とやれ!とか言っていた若かりし頃の
あの歩道橋の小便小僧も、変われば変わるものだ。

変わりついでに、昔話が多くなる藤原君を、本来のやんちゃな
藤原に変えて~!なのだ。この思い、どこに向ける!!!
(平成22年3月8日)
 

 
「大願寺」

広島の宮島に、「大願寺」というお寺がある。
鎌倉時代に再興され、幕末には勝海舟と長州藩士がこの寺で
講和会談をしたという、歴史のある寺だ。
もう何年になるだろうか、この寺のご住職ととても懇意にさせて
頂いている。もちろん奥様ともだが。
住職は、なにか深い「ご縁」を感じる、とおっしゃる。

平成18年に完成した総白檀の不動明王の開眼式の日には
一番乗りで火渡りをさせていただいた。
裸足で火の上を駆け抜けるやつだ。熱くはなかったけど。

思えば、「ご縁」を感じる方に、幾度となく今日まで助けられてきた。
きっと明日からも、これからもだ。
信心深いとはいえないのだが、出会いは信仰心と近いところにある。

先日、久しぶりにお目にかかって楽しい時間を過ごした。
住職はめちゃめちゃジャズが好きだ。
奥様がため息をつくほどレコードを持っている。(見てはいないが)
演歌は嫌いらしい。でも、藤原の前では演歌も聴く、と無理をする。
(奥様が横から口を挟む)
「いつだって、演歌はきらいじゃ、というてるくせに」・・・だって(笑)
 
(平成22年2月11日)

「2010年 正月 明けました!」

《元旦》 
午前1時 氏神様の「西向き天神」に出向き、恒例行事となった新年の玉串を
ささげる。
午後、新宿の「花園神社」に参拝。おみくじを引く。「中吉」だった。
その足で会社に向かい神棚を清め、年賀状を自宅に持ち帰る。
なんとも穏やかな一日を過ごす。
2日》 
お昼から「明治座」にて「細雪」を観劇。親しくしている紺野美沙子さんが
出演していたからだが、芝居はなかなか見応えがあった。終演後楽屋にて挨拶。
一日があっという間に過ぎる。
3日》
留学中の娘が留学先に帰るので成田へ見送りに。
この2年間で何度か見送っているのに、同じ場面でまた涙が・・・
ますます涙もろくなっていく自分を実感。
あぁ・・・ ・・・

そして4日から会社に出ているのだが、七草粥などすっかり失念してもう9日(笑)。
今日で四日目になるが右肩の「50肩」らしき痛みが一年半も続いているので、
近所の整骨院で針治療を始めた。あと数ヶ月で50肩ではなく60肩になってしまう
ので、あわてて治療を始めた藤原君。だが、なかなか痛みはおさまらず。

さて、そろそろ、頂いた年賀状をもう一度めくりなおしてみるか・・・
あの人も、あの方も、あいつも奴も、元気に新年を迎えたということだろうから・・・
(平成22年1月9日)

 
「東京駅」

地下道だったか、改札口の近くだったか、記憶は定かではない。
一見サラリーマン風ではない、男たちが集まっている特定の場所があった。
都会の12月の冷たい風が、骨身に染みていたことだけは覚えている。
あれは昭和41年冬・・・16歳の冬だった。
仲間に教えてもらったとおり、仕事欲しそうな顔をして立っていると、
それらしい おじさんが並んでいる男どもに次々と声をかけ、やがて自分の前にやってきた。

おじさん 「ユー 何?」 僕 「ベースです」 楽器持ってる? 「持っていません」。
おじさん 「ギャラE万、正月3日からね、楽器は月賦で買えるところを紹介する」。
なんと、この程度の会話で、北島三郎専属楽団への入団が決まってしまった。

因みにE万とは3万円のこと。小さなコンボバンドでその日まで月給1万円で仕事を していた
藤原君には、びっくりするほどの大金だった。
その春、集団就職で上京した ばかりだ。正月が来るからといって、帰郷するわけには
いかない。 だから・・・この話はなんとハッピーだったことか。  
なんでこんな事を思い出したか・・・
つい先日、その北島楽団でサックス奏者だだった「野宮行夫」さんが、
80歳で亡くなったと葉書がきた・・・。あれから40数年が過ぎているのだ・・・。  
ギャラは半月ごとに支給された。それまで月給1万円だった藤原は有頂天。
その日、1万5千円を手にした藤原は「渋谷」のお姉さんのいる酒場に行った。
大人の気分で、大冒険だった。その後、東十条の飲み屋に寄って、一晩で 半月分の
ギャラは消えた・・・ような気がする。  
北島三郎さんは、生まれて初めて見るスターだった。斜め後ろから見ていた。
藤原はベース奏者だったから、ステージ中央でライトを浴びて歌う彼の姿は、
ベース奏者から見て、「左側」だった。
緞帳が上がって北島が歌いだした。ベース弾きの少年の全身に鳥肌が立った。  
あの日から、43年か?  
あの東京駅のあの場所は、あれから間もなく大規模な工事が行われ、姿を消した。
昭和のバンドマンを語る、最後の時代で、最後の場所だったのだと思う。  
昭和41年、集団就職でたどり着いたのは上野駅だった。そして昭和41年冬、
今の自分にたどりつく始発駅は、「東京駅」だった。まるで、ドラマ・・・のようだ。
                                    
(平成21年12月24日)
 

 
「夢がたり」
 
親しい内科の先生がいる。おもむろにこう言った。
いさかいの無い部族がいる。何故いさかいがないのか研究した人がいる。
その部族は、毎朝皆で、夕べ見た夢を語り合うそうなんです・・・
藤原は、40過ぎからず~っと睡眠導入剤を飲んできた。なぜ?
夢ばかり見て熟睡できない毎晩が怖いから…だったのだが。
先生がなぜそんな話をしたか?それは藤原が睡眠導入剤を要らない!と 言ったから。
なぜ要らない?それは、夢を見るのは自然なんだ…と気持ちを 入れ替えたから。
もう、一か月近く、飲んでない。酒は相変わらず、だが。  
薬をやめると、夜中に目が覚める。だけど焦らない。これが自然…自然…
呪文を唱えている間に、なぜか眠れてしまう。夢も見ずに(たぶん)。 夢は不思議だ。
ささいな心の葛藤も姿を変えて出てくる。追いかけても 追いかけても届かないさまざま。
いやいや、いいんだ。これでいいんだ。  
未来という夢を語ることに、年を重ねれば躊躇する人がいる。嫌だ。
未来という夢を語り続ける藤原でいたい。のだ、のだ、のだ。
そして、夕べ見た夢も語りたい。争いのない、部族の一員になれるなら。  
だが、争いをむやみに避けているわけではない。仕方がない争いもある。
守らなければならない、さまざまがあるからだ。と言い聞かせながら 薬のない眠りで、
いい夢を見たいと願う藤原だった。                     
 
(平成21年11月21日)
 

 
「出会いと導き」

石橋を叩いて渡るような慎重さと、ひらめきだけで突き進んでしまうようなふたつの
要素を持ったボク(自己分析だが・・・)
信心深いわけではないのだけれど(じっと座ってお祈りを続けるなどという事もなく)
心を許し、導きをいただいてきたのは「お坊様」だったりする。
40歳のとき、音楽をやめて結果的にいまの人生を歩もうとしとき、方向と希望を与えて
くださったのは真言密教のお坊様だった。亡くなられたが、「知野哲山」というお坊様
だった。この先生が存在しなかったら、今の自分は無かったと思うほど・・・

自分は、きっと催眠術にもかからないと思い、霊的に何かが見えるなんてこともない。
宗教的な儀式もどこか妙に冷静に見ていて、きっと疑り深い性格だ。
神社でもよし、寺でもよし、観音様やさまざまな仏像に手を合わせることはするのだが、
なにか一体感を求めるようなこともしなかった。いや、出来なかったのだ。
が、このお坊様の言うことだけは信じたし言うことを聞いた。何を言われても「はい」と
素直に言うことを聞いた。「でも」とか「しかし」なんて事はなかったのだ。
それまでの人生で一番素直になれた先生だった。いまでも、本当にありがたいと思う。

さて、ボクは来年60歳を迎える。40歳の節目では知野先生がいた。はたと考えた。
もう一つの人生の節目を迎えるとき、導いてくださる力は必要ないのだろうか・・・と。
ひらめきだけで突き進んでしまう・・・こんなときが本領発揮だ。
唯一ボクに備わっていると思える動物的な感が作用して、霊力が強いと評判の韓国
出身のお坊様を訪ねた。あえてリサーチせずに行った。疑い深いボクだから情報が
かえってジャマになると思ったから。

どんなもんかな・・・程度の気持ちで行ったものだから、特に相談ごとも用意せず会話は
すぐにでも終わりそうな雰囲気。が、涙が出てきてしまった。
知野先生と初めてお目にかかったときもそうだった。ハラハラと涙がこぼれた。
あの時と、似た感覚だ・・・と思っていたら、そのお坊さんが、「悪霊払い」をしたほうが
いいとおっしゃった。(よく聞くあれか・・・)などと思っていたのに、
口が勝手に是非!と言ってしまった。
お布施の金額を聞き、瞬間ためらったがまた口が勝手に「すぐにでも!」と言って
しまった。悪霊払いというのは経験がなく、よくテレビで見るあれかな、などと思ったりもして、
どこか真剣身に欠けていたボク。

一回目がすぐに始まった。何のリサーチも情報も仕入れないで行ったものだから
それが3時間半に及ぶことなど想像もしていない。すぐに大きな失敗に気付く。
トイレに行っとけばよかった・・・。
お坊様が読経の最中、足の痛みとトイレの我慢で時間が過ぎていった。

四日後に二回目のお払いを受けに行く。
観音様をじっと見ていると、視覚に変化が起きるはず、と今度は具体的な説明があったので、
少しは心の準備をして臨めた。だが足の痛みに集中力が欠ける・・・
3時間半の読経が終わった後、どうでしたか?と訪ねられ視覚に変化が起きなかった
事と足の痛みが集中力を欠いた事を伝えると、お経が短かったのかな?
とお坊様はニコリと微笑まれ次は椅子を用意しましょうと言ってくださった。
3時間半でお経が短い?う~ん。
でも、長時間、まさに息つく間もないほどのパワーで読経をしてくださっているお坊様に
ただただ頭の下がる思いだった。

その二日後、三回目のお払いを受けに出向いた。椅子が用意されて始まった。
後がない、どこかそんな思いで臨んだ。そこで初めて経験をしたのだ。
疑り深いボクが視覚に変化を見たのだ。文字では伝えにくい。
目が疲れたのかもしれない、などと何度も見直すのだが目の前の世界が変わって
しまった。お坊様も消えた・・・
お坊様は、途中一滴の水を飲むこともなく、休憩することもなく・・・
朝、10時半過ぎに始まったと思うのだが、終わって時計を見ると間もなく4時!
終わる時間を2時とイメージしていたものだから絶句。5時間を越えている・・・

7日間で味わった計12時間を越える体験。3回目は自分がどこかに行ってしまった。
「出会えてよかった・・・」 何かの縁を感じる。不思議な体験なのだが、
なぜか不思議と言う感じがしない、のだ。
お坊様は「金先生」という方だ。

きっとまた出向くことになる。久々の勇気のようなものを分けていただいた。
長くなってしまった・・・
(平成21年10月29日)

 
「道草」
わが社のスタッフは結構遅くまで会社にいる。仕事が好きなんだからぁ。
「早く帰ったら、いつまで何頑張ってんの?」たまに声をかける社長・・・
ということは 社長もそんな遅い時間までいるということ?となる訳だが。
藤原はたぶん仕事好き。会社の滞在時間は長いし、土日も良く会社にいる。
でも、それってただの貧乏性のような気もするのだけれど・・・
話を戻そう。
社員の社内滞在時間が長いのだ。なかなか帰らない。それは社長が居るから
帰れない? などなど悩んだ末、退社時間について社内会議で提案してみた。

「寝るだけのために帰る、と言う毎日を少し改善しよう!」たまに早く帰れよ!!!
理由その① 時間と作業を一度リセットするという感覚を身につける!
理由その② 新しい情報に触れる、と言う時間を見つけ出し有効に使う!etc

とにかく真っ直ぐ帰る、とういう帰巣本能状態から時々脱線してほしいのだ。
いわゆる 「道草」。コンサートでもよし、いっぱい飲むでもよし、寄席に行ってもよし。
で、会議で決めたことは・・・

週に一度、必ず19時迄に帰る日を設定する。(これでもわが社ではかなり早い退社)
月一回、観劇なり鑑賞なり申し出があれば会社が3,000円を補填する・・・
週に一度19時までに帰らなかったら、500円の罰金! と決めたのだが・・・

道草は時にさまざまを発見をする。道草は時に失敗もする。だから、勧めるのだ。
藤原なんか、「道草」でどれだけ失敗を重ねたことか(笑)
500玉貯金が始まらないことを祈る。
頼むから、ときどき早く帰って! ね。ね。
 
(平成21年9月18日)

 
「自戒と自覚」
 
1、に仕事。2、に家族。
この順番は家族を持った時から変わっていない・・・
ならば3から先は?
3から先は何度も変わってきたような気がする 。  
① 「恐怖心にかられて、悲観論者の言うことに 耳を傾けてはいけない」
② 「良い決断をしたら、それをくじくような事実にも くじけてはいけない」
③ 「やればできるはずだ!」
強がりでもなく、巧みでもないならば、
男はいつも 背筋をシャンと伸ばそうと必死なのかもしれない。  
④ 「まず怒れ、そしてその怒りを乗り越えよ」  
①~④は、あのコリン・パウエル米国務長官の、ルールという自戒の 十三か条にある、と
 当時の読売新聞の(よみうり寸評)にあった。  
                     
 
(平成21年8月21日)

 
「独りごと」
 
交差点などで立ち止まった時、頭の中では誰かとの会話か、何かの場面が
休むことを知らずに描写されている。
「・・・だろう」「違うんだってば・・・」「・・・でもね」
こんな「独りごと」を声に出している自分に気づき驚くことがある。  
いや、驚くというのは違うな、よくあることだし・・・これって誰かに迷惑?
でも、これってやっぱり変?年十年も前のことを思い出して「まいったな…」
なんてこともある。やっぱり変?かな。  
自宅のパソコンを操作しながらふと時計に目をやる…もう午前2時を回って いたりする。
そんなとき「もう寝なくぴゃ」などと自然に口に出る藤原。
普通語になっていない。そんな時「独りごと」の魅力に気づいたりする。
たとえば、誰かを気にしていないのだ。人目も気にしていないのだ。  
あしたこそ、「晴れてチョ」。 なんで? 痛いほどの日差しが好きなのだ。
あした、笑えるほどの日差しに出会ったら きっと言うんだろうな。
「俺って変?」とあくまで「独りごと」で。
 
(平成21年8月2日)  

 
「子烏」
   
自宅の自室の机の上が、明り取りのためにガラスの屋根のようになっている。
一昨日19日の朝6時ごろのこと。
カァカァカァカァうるさくて目が覚めたが、そのガラスの屋根部分を一羽の烏が
行ったり来たり。
あまりのうるささに起きてしばらく下から動きを眺めていたが・・・

10分ほど下から眺めていたが、いつまでも飛んでいかないので我立腹。
下から突いたりものをぶつけてみたり・・・でもカァカァ言って逃げはしない。
「この烏!頭来た!」
まだ眠かった藤原君は2階の風呂場に駆け上がり風呂場から覗いたら
まだ普通に歩き回っている。
そこで一計案じた我は、シャワーで水攻撃をした。
そしたら飛びたったのではなく落ちるように下の方へ飛んでった?
頭上にはなんと、牙を剥いたかのような大きな烏がさらに2羽、怖かった。

後で気付いたのだ。あれは子ガラスだ。
なにか不都合があって飛べなかったのだ。威嚇してきたのは親烏だ・・・
自宅裏の茂みのような部分に落ちた?飛んだ?あの子烏。
きのう20日の朝にも、か細い声でカァカァ鳴いていたような気がする。

今朝も気になったのだが見に行かなかった。死んでたらどうしよう・・・
親カラスが襲ってくるかも知れないし・・・
死んでたらどこかに埋めてやらなくては・・・etc

年末特集提案に明け暮れた2、3日で、暇だったわけではなかったのに、
あの子烏が気になるんです。とても悪いことをしたようで・・・ ・・・。
 
(平成21年7月21日)

 
「レーシック」
   
昨年の11月にレーシック手術を受けた。18歳から使っていたコンタクト、
40年ぶりにおさらばしたわけだが、0.02が今0.3ぐらい? 
1.0ぐらいには出来たはずだが、老眼鏡を嫌い、近視を残すことにした。
だから裸眼で読書は楽だが、結果近視のメガネをすることに・・・
半年ぐらい追加手術の選択に悩んだが、今は満足している。
おしゃれメガネで楽しもう!新しいフレームを3個も買っちゃった・・・

昨日、随分以前に2年ほど一緒に仕事をしたことのある某氏が
公然わいせつと言う罪で逮捕された。う~ん・・・それってなぁに?なのだが、
それをある男がメールで知らせてくれた。そのとき藤原君は携帯不携帯。
なかなか返事が来ないことを心配してその男は妻にこう言ったそうだ。
「もしかして藤原さんも一緒につかまったんじゃ・・・」
その妻は真顔で「困る・・・」と心配したそうだ・・・彼はこう言った。
「妻は、本当に心配していましたよ!」

怒怒怒×3!!! 「それって心配って言うのか???」
因みに男は義理の弟でその妻は義理の妹だ。身内に信頼の無い わ・た・し。

見えないものが見えるようになるレーシック。
歳を重ねれば、レーシックをしなくても見えてくるものがあるはずだが
逮捕された彼は、歳を重ねて見えてくるものを拒否し続けたのだろう。
彼のガッツかな。 ま、いいとして、
レーシック手術の恐怖は一瞬。俺だって、まだまだいろいろやってみるさ・・・
などとため息混じりにつぶやく藤原だった。
 
(平成21年7月9日)

 
「雨のち晴れ」
 
結論として、「人」が好きなんだな、と思うことがある。
いや、思っている。きれいごとと捉えられたくはないが・・・
痛みを超えた人間関係があるとする。それは薬に頼ってしまうほど。
でも、この人生59年間、絶対許せないとまで思っている相手が いるだろうか・・・
いない・・・う~ん、やっぱりいない。  
人にはいろんな能力があると思う。その人だけの。
押し売りする必要のない、参りました!と言わせてしまう「能力!」。
例えば、一日中「雨」としか思えないその瞬間を「晴れ」にしてしまうような。  
船村徹という作曲家の先生がいる。そう、あの船村先生。
茨城県の笠間市というところへロケに行った。
残念なことに一日雨模様。 先生の到着30分前、現地は雨。
止めるわけにもいかず傘を用意。
先生が来た。あれが見えたらいいね・・・と言っていた山並も見えた。
ADさんがピンポイントお天気情報で調べたら、
笠間だけが晴れになっていたと・・・なぜだ?  
今日、なかにし礼先生とご一緒したが、なんでそんなに元気?70歳を過ぎて・・・
昨日お目にかかった青木光一さんは83歳。
照る日も、曇る日も、受け入れて消化した人だけが迎えられる晴れの日。      
 
(平成21年6月19日)

 
「・・・的」
 
 的、という言い方はとても便利だと思うことがある。断定しなくていい、からだ。
しかし、こんな若者の言葉を耳にしてしまい、考えてしまった藤原。
「・・・的っていう感じ」「的」も物事を断定していないし、「感じ」も断定していないし・・・
これって言葉に責任を持たない、断定しない症候群2段重ね活用?
などと思いながら、若者の町を早足で駆け抜けるのだった。(渋谷の街のひとコマ)

先ごろ、岩手県(出身地)の二つの中学の生徒さんが会社を訪ねてきてくれた。
修学旅行中の学習の一環として、岩手出身者の職場訪問をしインタビュー。
なんとなく、どこかうきうきしていた感じの藤原だった。
が、今の生徒さんはなかなかおとなしい。
特に男子生徒は静か・・・だったかな。つい自分と比べてしまう。
藤原の中学生?そりゃあ坊主頭がルールの学校で、一人だけ長髪、
ラッパズボンに下駄履き通学、集合写真では一人だけ手をズボンに突っ込み
斜に構えてツッパッテイル。
(でも生徒会長だった)今思えば殴ってやりたいほど生意気!(○○的って感じ、
かな・・・)

今も、充分その面影ありかな、などと思いつつ、「甘いね」と言われても良いから
純粋な気持ちだけは失いたくない、ガキでもいいし・・・(ガキになりたい!)と
5月の風に吹かれながら、つくづくと思うのだった。
 
(平成21年5月19日)

 
「桜」

毎年のように、桜の季節だ~と思いながら何故見逃す?
観てはいるのだが、きっと眺めていない、向き合っていない?からだ。
4月は会社にとって新たな年明け、毎年そんな心のざわめきが、
桜の美しさを見慣れた景色の中に潜らせているんだろうな、と。

「藤原ちゃんいつ還暦?来年?」という質問を受けた。誰のことだ?!
昔、早く40歳になりたかった。かっこいい50歳になりたかった。
還暦なんて他人事、けして俺のことじゃない、のだ。
60歳になったら、真っ赤なスポーツカーを乗り回すから、と言ってたのは
誰だっけ・・・遠い未来のことだったのになぁ。

そして今年も「桜」を見逃すのだろうか。今日、明日、見ごろらしいが
今日も会社のデスクに向かっている藤原(笑)

「さいた、さいた、サクラがさいた。」あの教科書は新しい匂いがしていた。
4月1日からは新卒新人も入った。やっぱり新しい匂いがする。
頑張れ、新人!桜を見逃すな!
(平成21年4月4日)

 
「旅立ち・道のり」

彼が逝った。
昨年8月に「いい一日」と題して癌の知人とのふれあいを書き留めた。
その彼が逝った・・・。65歳、早すぎる。これから夫婦で旅を、などと・・・
病院から自宅に帰った彼と対面した。
武将のような、そして達観したような・・・顔。
頑固で、人情家で、家族思いで、真っ直ぐな人だった。
そして、とてもおしゃれで  ・ ・ ・ お世話になった。
明日通夜、明後日告別式。「大之木さん」、ご苦労様でした。

精神病院の看護人、喫茶店ボーイ、八百屋の店員、サンドイッチマン、
バンドマン(Bass)、ギターの流し、ピアノの弾き語り、ボイストレーナー、
コーラスグループのバンドマスター、作詞、作曲、編曲、指揮者、カラオケ教室の先生、作詞教室の講師、演技研究所音楽講師、司会者、写譜屋、歌手、
音楽ディレクター、音楽プロデューサー、イベント屋、  ほかに・・・
~そして現在。藤原が経験した職業だ。
彼の人生を思いながら、自分の人生を振り返ってしまった。
人の人生に、これでよし!などということがあるのだろうか・・・
 
(平成21年03月14日)

 
「2月の便りにかえて」
 

 
「手紙」

字がふるえます。読みづらいでしょうが、やはり自分で書きたい手紙なので
許してください・・・
早々に届いた新年の便り、差出人の彼女は今年81歳になったと言う。

出会いは43年前、藤原君が15歳で岩手から上京したときだった。
すると、彼女はまだ30代・・・う~ん
ちょっと磨り減ってはいたが、靴をもらったり、食事に呼ばれたり・・・
あの時回りで飛び跳ねていたチビどもは、・・・想像できない。

人の出会いは、貴重だ。年賀状だけのお付き合いだが貴重なひとり・・・
東京のすべての始まりはあの時代、あの場所にあったんだ、などと
思い起こしているうちに、今年もあっという間に8日間も過ぎた。
時の移ろいの中での、沢山の良い想い出に感謝!

手紙はこう結んであった。
*初志 つらぬかれます様祈っています。「典ちゃん頑張れ」。*

なんだか最近、やたらと涙もろい・・・
 
(平成21年1月8日)

 
「追悼番組」

作曲家、遠藤実さん。亡くなったと連絡が入ったのが6日土曜日。
急遽放送日が決まり打ち合わせに入ったのが8日月曜日。
9日からロケ開始、10日台本作り、11日最終編集作業、12日収録、
14日放送・・・
先生のご冥福を祈るばかりである。

番組制作に携わる者の一人として、どんな番組でも必死になるが
あの笑顔を、あのぬくもりを知っている藤原としては
なにか特別に複雑な感情を抱いてしまう。
先生は17歳で上京された。藤原も15歳で上京、「流し」もやった。
遠藤先生と時代や環境は違うが、なにか通じるものがあった。
出来ることなら、追悼ではなく、もう一度元気な遠藤実の番組を
作りたかった。今は、ないものねだりだが・・・

スタッフは実によく頑張ってくれた。寝ずの奮闘努力。
遠藤先生に、ご苦労様でした・・・とつぶやきながら
スタッフにも、本当にご苦労様でした×100回ぐらい
い・い・た・い。
(平成20年12月12日)

 
「想像力」

 「知りたい」という積極的な気持ちさえあれば、拙い情報の中でも
本質に迫ることは可能だ、ということだ。
「これは、もうわかった」というおもい・・・往々にしてそれは、思い込みに
過ぎない・・・

先日読んだ本の、長い文章の中の一節だが、なぜか線を引いた。
「知りたい」という投げ出さない思いは、想像力を増幅させるのだと思う。

子供の頃、○○になりたい・・・みんな思っただろうが、純粋だった。
純粋な気持ちでこれからも、こうなりたいと想像できるのかなぁぁ
だが、いつまでたっても、これで良いんだ・・・などと思えないから
「終生欲求不満型症候群」を持病にもつ藤原は、
「知りたい、知りたい、知りたい!」と子供の叫びのような思いを
忘れてはいけないのだ!  ? だろう。

芸術家にはなれないが、芸術は愛したいし
立派な人にはなれないが、立派な人と出会いたいし
低いところよりも、高いところで遠くを見たいし・・・

なんだ、「想像力」の話じゃなくてただの「欲望力」の話か?

一年のゴールが視界に入ってきたこのごろ、もういちど年初の思いを
振り返ってみるか、などと思いながら「ちあきなおみ」のCDを聞いている。
(平成20年11月20日)

「インタビュー」

番組の制作過程で、証言者としてVTR出演を願いよくインタビューする。
先日もある高名な作家の方に出演をお願いしたところ、
基本的に2,3分のインタビュー出演はしない、
とのことでお断りを頂いた。
さらに、短い時間だと、話をした意図と違う部分が放送上使用されたり、
編集で意に反するような証言になっていたりしていたことが数多くあり、
何度も苦い思いをしている、とも。
私どもは、決してそんなことはいたしません、と言い、
今までもそんなことは無かった、と信じていた。 だが・・・

先日、ある方に叱られた。
以前、番組でVTR出演していただき、それ以後も何度も仕事をしてきた方だが、
どうも目をみていただけなかった。
それが「腑に落ちた」のだ。

「あなたは、私のコメントの真実の部分を削除し、
更に、私のコメントそのものをナレーションにしてしまった。」

謝罪するしかない・・・

人は、自分だけは、と思いながら間違いを冒しているのだろう。
どこかに「おごり」があったのかも知れない。

「番組さえ良ければ」 そんな思い上がりでは、人間愛を描く番組など
作れるわけも無く、わかっていたはずなのに・・・
自分の心にインタビューするのであった。
(平成20年10月22日)
 

 
「紛失」

 先日パスポートを紛失、再発行手続きをした。
使用しようと思っていた直前、どこを探してもない!
無くなる訳がない!との思いで、部屋中のそんなところまで?という探し方をした。
結果でてこない。さて、そこで藤原君は考えた。
「慣れきってしまっている」「いつものことだ」
「俺に限って」「たいしたことじゃないんだから・・・」etc.
心の緩みは突発性の悪しき状況を生み出す。
もしくは予期せぬ悪環境に陥る・・・
パスポートの紛失はいろいろなことを考えさせた。
朝10時の出発は当然キャンセル。
その日のうちに旅券課に出向き再発行の申請をした。
その足で会社へ・・・
念のため会社の金庫を調べてみた。
あるべきところにはない、ない、ない、ここにも無い・・・
銀行などのカードをファイルしている小さなノート状のものがあった。
こんなのは一年に1、2度しか使わないし・・・と思いながら開いてみた。
見慣れたものが挟んであった。ぱ・す・ぽ・う・と。だ~!!!

なぜだ、なぜだ、なぜだ。この紛失における「謎」はいまだ解明されていない・・・
 
(平成20年9月29日)
 

 
「いい一日」

 先日、「肺がん」治療の為入院している知人を見舞った。
ご本人が「肺がん」と公言されているので、多少気が楽ではあったが、
思ったより元気だったので一安心。
アレンジの花を持参したら「置き場所が無いよ」と笑う。
「花を愛でるような気持ちが無いと病は良くならない!」と切り返すボク。
談話室に場所を移し、並んで座ったがイスの関係で
彼の頭はボクの目線の下という位置関係・・・
「抗がん剤はよく効いているようだ。副作用で頭の毛が抜けてね・・・」
自然に頭上に目がいく。彼はボクの思いを察知したかのように
「ま、前からあんまりなかったけど・・・」
「抜けたなんて、ぜんぜん気がつかなかった!変わってませんよ!」
ことさら明るく言うボク。(二人はここで大きく笑う)
「先日一時帰宅したとき、インターネットでバンダナを探したんだ。
頭が気になって・・・」
ボク、ひたすら笑う。「まだ色気があるんだからぜんぜん大丈夫!
ここの看護師さんは若いの?」などと馬鹿話はヒートアップ。
「バンダナだけど、頭にちょこんと乗せるというか かぶるようなものもあるんだよ・・・」
まだあきらめない。そこで、「
かぶったら 蒸れて少ない毛がますます抜けてしまうんだから!」彼は、メガネを外して涙を流して笑った。ボクも心の底から笑った。

その夜、お台場で開催されたなかなかいいライブコンサートに行った。
珍しく満足感に満たされたライブだった。
だが、ベットにもぐりこみ、今日という日を振り返ったとき
彼のあの笑顔が、いちばん満足させてくれた出来事だった ・・・
(平成20年8月26日)
 

 
「新卒採用」

会社設立以来、幾度となくスタッフの面接を繰り返してきた。
採用も不採用もそれほど悩むことなく繰り返されてきた。
だが、今度は何かが違う。161名の中からの2人、
それなりの時間をかけ選考したが、来年から仲間となる2人も残念ながら最終的に選に漏れた6人も「希望」という同じ土俵で最後の学生生活を送ってほしいと心から願う。

選考過程の中で、面接時に読書の必要性をかなり語った気がする。
だが、である。先日長道中の旅があったので機内で読もうと
一冊の文庫本を買った。「日本型リーダーの研究」という本だが
中に登場する方々の読書量、参りました!
一流のリーダーになる人の姿勢の違いを改めて知ることになるのだった。
自分は?資料として斜め読みは良くする。資料として「あとがき」はよく読む。
本も良く買う。でも、資料として・・・
人に読め、と言っている自分の読書量など、読んでいるうちに入らないな・・・
とまじめに反省する藤原であった。
(平成20年7月1日)

 
3月から5月にかけ、初めて新卒採用のリクナビ募集を行った。
161名のエントリーがあり、二次面接が終わり最終選考に向けて数名が競ってくれている、
そんな状況になぜか緊張している。
なぜ緊張している?私には同じような年頃の息子と娘がいる。
応募してくれた学生さんたちに、親心にも似た大きな責任を
感じてしまうからなのかもしれない。
昨年、息子の就職活動の「必死」を間近で見ていた。
応募してきてくれた彼ら、彼女らの親御さんたちも、愛する子供の将来を期待と不安で
見つめているんだろうな・・・そう思うと緊張するのだ。
こんな小さな会社だから・・・そんな思いも無いと言えばうそになる。
胸を張って、新人を迎える準備と努力をしたい。
(平成20年6月19日)

 
先日、会社創立15年目を迎えた。
仲間内の小さな宴。ひとくさり読み上げてもらった会社の歩みをここに転記。
このページ、あまりにもご無沙汰で転記の読みは「テヌキ」とルビを振らなくてはいけないかも知れない。
(平成20年4月)
 
「会社の歩み」

平成6年2月下旬、コタツの中で書類と悪戦苦闘する42歳の男が居ました。
まだ、ワープロをうまく使いこなせなかった男が手にしていたのは「有限会社のつくり方」
の手引き書でした。本人にとってはちんぷんかんぷんの文言が並び、書類が出来上がるまでにかなりの時間を要したといいます。
書類が完成し、そこで問題に直面します。有限会社設立資金の300万円の工面が出来ていません。今度は金策です。やっと全てが整い会社登記にこぎつけたのが平成6年4月5日。その日男は、有限会社の社長になりました。

男は藤原といいます。昭和41年15歳で上京。その日から数えて28年目のこの日、全スタッフ3名、資本金300万円という有限会社アズクリエーションとが言う組織が生まれ、ヨチヨチ歩きながら、会社としてスタートしました。
が、当初会社の部屋を借りることは出来ず、友人の会社に住所を置きダンボールの上におかれた電話が一台という痛々しい旅立ちでした。
一年後に会社は、現住所にあるビルの206号室にめでたく入居を果たします。
ようやく小さな会社の城が出来たのです。

そうまでして会社を作りたかった藤原は40歳まで音楽の仕事をしていました。
40歳で一流になっていない音楽家は続けていたらゴミになる、そんな思いで一念発起。
NHK局内で2年ほど修行を積み会社設立以来NHKの番組一筋に制作業務を続けてまいりました。

有限会社としてスタートした会社ですが、間もなく株式会社に組織変更されることになります。理由は明快です。
ある日、取引先に書類を届けたときのこと。担当者が「おい、うちは有限会社と取引できるんだっけ?」と言った
一言でした。
その時、有限会社の社長は心の中で「よーし、株式会社になってやる!」と叫んだのでした。そして間もなく、
株式会社 アズクリエーションの誕生です。
その後現在の501号室に移り、横暴にも隣室との壁をぶち抜き502号室もわがものとし、
現在の巨大なスペースの会社になりました(笑)。
会社は、よき友人に恵まれ、よき先輩に恵まれ、よきスタッフに恵まれ14期の決算を迎え現在15期目に突入。今日15歳の誕生日です。
これまでに「衛星放送局長賞」を5回、ほかに ギャラクシー賞奨励賞、及び月間賞を受賞するなど、
作品にも恵まれてきました。
会社の財産的番組とも言える総合放送の「そして歌は誕生した」、
現在続いているBS放送特集「歌伝説シリーズ」など、会社の顔となる作品もあります。
ひとり歩きできるディレクターも育ってきました。
15年という歳月が長かったのか短かったのか、結果はこれからです。

会社の名前はA to Z ですから 日本語で言えば あ ~ んです。
何でもやるぞ!というなんとも欲張りな 名前の会社ですが
これからも 会社は小さいながら 志は大きくアズ クリエーションらしい歩みを一歩一歩積み上げていくそんな思いをスタッフ一同が抱いて迎えた 15年目です。
 

 
「鈍感力」という言葉を新聞で目にした。鈍感は敏感の対極にあり、マイナスイメージだが鈍感のプラス面を紐解いていた。渡辺淳一氏の著からだが「それぞれの世界で成功をおさめた人々は底に必ずいい意味での鈍感力を秘めている。鈍感はまさしく本来の才能を大きく育み花咲かせる最大の力」とあった。それに続く解説も、当たり前だが興味をひくものだった。負のイメージの中にも、学ぶべきことは沢山ある。
 ところで、久々の書き込み。年末を編集室で過ごし、年明けは4日からロケだった。つい先日、新年の思いを新たにしたつもりがもう2月も終わる。
 会社設立以来、音楽番組に情熱を燃やしてきたが、新年度から、舞台の演出やドラマにも首を突っ込むことになりそうだ。
それこそ、ピリピリし過ぎないでいい意味での「鈍感力」を学び、「血尿おじさん」の世界から脱出せねば・・・と言い聞かせるのだった・・・。                
 
(H19年2月24日)
 

 
 先日思いっきり転んで肩を強打しました。全治2週間程度でしょうか。普通に歩いていて、少しの坂で靴を滑らせたんです。フー。でも、頭を打たなかったのは幸い。車の多い狭い道で車が来なかったのも幸い。
これって、大難が中難に、中難が小難に、小難が無難に、の図式で言えば小難?やれやれ
何れにしても痛い思いをして知る56歳のわが身。
 先日27年前に出演した番組を27年ぶりに 見た・・・あの頃も生意気だった、今もきっと生意気だ。
いやいや、今はきっと偉そうだ・・・。などと自問自答しながら、来年の運気と仕事が気になる時期をまた迎え、スタッフに「スタッフ便り書き直せ!」 と〔偉そうに〕叫ぶのだった。       
 
(18年10月27日)
 

 
 日本の四季と言うが僕は五季だと思っている。春と夏の間に梅雨があるからだ。だがどうやら今年の関東地方の梅雨は五季入りしなかったかも・・・。
 最近何気に聞いたラジオで印象深い話があった。聞き流していたから正確ではないかも知れないが、「きつねと葡萄」と言う話だ。美味しそうな葡萄を見つけ、狐は何度もジャンプして葡萄を採ろうとした。
結果何度チャレンジしても失敗。そして狐はつぶやいた。「どうせあの葡萄は甘くもないし不味いんだ」。
やろうとしてやれなかった事へのいい訳・・・一時の自分への言い訳として瞬間心の不満は解決できるが、それが社会へ向けた言い訳だとしたら・・・云々。
自分への言い訳はあったとして、外への言い訳は人として見苦しい、けど良く遭遇する光景かも。
因みにその話の主題は「欲求不満」、だったと思う。
 
18712日)
 

 
 新年度がスタートしたと思ったらもう5月・・・ 桜が去った後の緑たちがなんともいい。仕事仲間でもあり、お世話になった知人が本を出した。(「みんなのうた」が生まれるとき)。
60歳の記念に、とおっしゃっていたが、この時期の緑のようになぜか気分が清清しい。
昨日、録画しておいた「釣りバカ日誌」をみた。スーさんはあの歳であんなに頑張っている。自分なんかまだまだ・・・などと思いながら、深いため息。これこれ、ため息ついてる場合じゃ ないでしょ!とすぐに気を取り直してはみたが、さて、自分自身の記念樹は、どこに、いつ?                            
 
(18年5月2日 )


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