2014年11月26日水曜日

「そこそこ あそこ」

「ほら、あれがね、あれあれ、あれの事だけど」「あー、あれのことですか、うーん、それってどうしたんでしたっけ」?・・・あれとそれで会話が済んでしまう。済んでしまうというか、主語が出てこないのだ、会話に。これって何病?決して老人病ではない。若者にも多いのだから。

とっさに「名詞」を思い出さないことが多くなった。形容は出来るのだが「ほらほら、あれ」ってな感じで会話が成立する、と思い込んでいるのは自分だけか?いやはや、コミュニケーションが豊かというのか希薄というのか、ね。

昨日67歳で旅立った知人の葬儀に行ってきた。年末になるとやたらと「喪中欠礼」なる葉書が届くのだが、今年も多いな・・・と思っていた矢先、身近な人が旅立った。元気な人だった。せっかちで「ね、ね、ね」とせかすような言い方が口癖だった。本人が急かされたわけではないだろうが、早すぎるよ、生き急ぎせっかちめ!   いい人だった・・・

「ほらほら、あれさ、チェ、なんだっけ、ほら、あれ」ってな仲間が、少しずつ減っていくようだ。言葉を思い出さないのはいいとして、式場で挨拶されて「誰だっけ?」という人が昨日何人か居た。場所が場所だけに、笑って何気なく話をして思い出す時間も稼げない。うーん、会ったことはあるのだが、誰だっけ・・・その答えはいまだ見つかっていない(苦笑)

外は雨だ。外は寒そうだ。ベランダの風車が回っているから風もある。これからロケハンに行く約束をしてしまった。うーん、今日はマフラーを忘れてきた。明日にしちゃおうかなぁ・・・だめだめ、俺らしくない!と、こうして時間稼ぎをしているのだが、やっぱり行こう!行先?「ほらほら、あそこ、うーん、なんだっけ、あそこあそこ」    完

2014年11月22日土曜日

「風物詩」

今日は「二の酉」なそうだ。一の酉の時も、家族に誘われたのだが、くたびれていることを理由に行かなかった。人混みをイメージしたら、腰が引けてしまったのだ。去年までは欠かさず出向いていたのに、何としたことだ。熊手も毎年購入していた。だが、飾る場所が無いことを理由に止めてしまった。この変化をなんと見るか・・・

ロシアの友人に「ロシアのサンタクロース」についてメールで質問したらすぐに返信があった。ロシアではサンタの事を「マロース爺さん」と呼ぶらしい。 ※(以下、友人ワーリャのメール無断転載)
 
 
※ ロシア語では「メリークリスマス!」は「S Rozdestvom] -[ス ・ロジェストヴォム!] 
С Рождеством! 難しいですね。『笑』。 もちろん、皆 1月7日に「[ス ・ロジェストヴォム!]といいます。1118日はロシアの Дед Мороз ジェド・マロース」の誕生日です。とても年寄りです。ずっとむかしの古代ロシア(スラブ民族宗教における神さまです。神道の神様と同じです。冬、寒さの神様。マロースの意味は寒さ「吹雪、“冬将軍”」です。ある日本の本に『サムサムじいさん』という名前を見つけました。ロシアの昔話の翻訳でした。サンタクロースは聖ニコライと密接な関係があるんです。ロシアのマロースにはみっつの衣装があります。青、赤、白です。「シューバ」とかトゥループ」という名前です。帽子をかぶっています。頭巾じゃなくて。靴は長靴じゃなくて、ロシアの伝統的な冬のバレンキです。乗り物はトナカイじゃなくて、三頭の白い馬です。三の意味は冬の三つの月『12月、1月、2月です
 
こんな説明があり、何種類もの写真が添付されていた。ありがとう!親愛なるワーリャ。
 
そんなこんなで、酉の市もサンタも、年末にむけた風物詩だ。そうか、そこまで年末が来ているという事だ。やれやれ、年末か・・・

2014年11月20日木曜日

「物欲」

60歳を過ぎたら洋服など身なりに金をかける!と言い続けていたのだが、とうにその年齢を過ぎたはずなのに、なかなか身なりに対する物欲が湧きあがらない。夏場は暑すぎてスーツなど着ないしネクタイも締めないしシャツとズボンがあればいい。寒くなってきたので気分を変えたいのだが、時計も欲しくないし、コートももう要らないし、靴を買いに行くのも面倒くさいし・・・で先日裏地の破れたスーツを見つけたのでやった!てな感じ。スーツを新調する理由を見つけたのだ。

何年かぶりでスーツを作りに出かけた。担当だった高田さんというオジサンは定年でもういなかった。このデパートの外商だった仲のいい佐野ちゃんも辞めてしまっている。だからだんだん足が遠のくんだよなぁ、などど言い訳をしながら久々に一着作った。隣の売り場がオーダーワイシャツの売り場で、そこから「チクショー!」という声が聞こえてきた。「だれだ、下品なのは」と言ったら担当は苦笑い。「そういえばワイシャツ売り場に孫さんていたよね」と言ったら「今のは孫です」となった。あ~ぁよかった、知り合いがいたよ。隣の売り場に顔をだして、「誰だチクショーなんて下品なこと言っているのは?」と声を掛けたら孫さんが照れながら出てきた。「いやぁ あの チケットが・・・」云々カンヌンとしきりに照れている。 ははは、孫さん、居てくれてありがとう!

せっかくデパートに来たのだから、なにか買い物でもしようかな・・・と店内を少し回ったのだが何も欲しくない。靴でも・・・と思ったのだが選ぶのが面倒臭い。何が身なりに金をかけるだよ、とブツブツ言って藤原のデパート巡りは終わってしまう。昔から買い物は好きではないのだ。何を買うのも早い。吟味するという事がない。慎重派なはずなのに、買い物に関してはからっきしダメ。なぜだろう・・・原因はなんとなくわかる気はするのだが。

それと、物をすぐ捨てる。捨ててしまって、無くて仕方がないから新たに買う、てな感じかな。いっぺん嫌だと思ったらそれらの対象物はゴミとなる。買えるものはみんなゴミとなる。が、買えないもの・・・子供たちが小さい頃に書いたものとか、工作の時間に手作りしたものとか、あちこちに全部残してある。将来これらの品々をどうするんだろうね。僕。

2014年11月15日土曜日

「テザリング」

以前は、局のプロデューサーから「こんな提案書いておいて」なんて注文があって提案を書いていた時代もあった。この10年ほど様変わりをした。しかし、今日までどれだけの提案を書いてきただろう。今は書いても書いてもなかなか実現しない時代になった(苦笑)。そして今日の土曜日も会社で一人提案を書いている。

提案は書きながらワクワクしたものだ。映像を想像しながら、中身を空想しながら書き、実現もした。今は?う~ん、苦しみながら書いているってか。楽しくないな、仕事だからせっぱつまってようやく書いている感じだ。でも、明日の日曜日も、もう一本書こうっと!

さて、前回ハイレゾの事を書いたが、今日はテザリングだ。こうして書いておかないとすぐ忘れる。スマートフォンをルーターの代わりにしてパソコンをネットにつなぐことを「テザリング」と言うらしい。ようやくスマートフォンを使えるようになった身としては、新たに宿題を抱えるようなものだから、今のところさわりたくない話なのだが、これをデジタル音痴という?のか?

今日初めて友人にスマホで撮った写真をスマホで送ったら「右端にスマホカバーがレンズを邪魔しているのがご愛嬌ですね」とすぐ返信がきた。うるさいわい!写真をスマホで撮るのが邪道で、写真は写真を撮るために作られたカメラで撮るのがあ足り前!などと言っても負け惜しみか・・・だいたい、電話にカメラなんぞ要らんわ。話せてメールが送れれば充分!と思うのではありますが・・・

そんなこんなで今日の作業を終えることにする。月曜日が提案の締切だ。「テザリング」知識の吸収は、それからだな。

2014年11月13日木曜日

「ハイレゾ」

先日、あるレコード会社を訪ねたのだが、面談した担当者の口から盛んに「ハイレゾ」という言葉が出てきた。最近聞いたことがあるなぁ、のレベルで話を聞いていたのだが、話を聞き終わって藤原はこう言った。「感心して聞いてはいるけれど、話の半分はわからないよ・・・」俺正直。で、ハイレゾって何?という事になるのだが。

ハイレゾ音源はCDの約6.5倍の情報量を持つので、高域の聴こえ方はもちろん、微細な音の変化や音の余韻といった部分での聴こえ方に違いが出てきます。

ということになるらしいのだが、いわゆる音楽はCDの時代ではなく、音源はPCでダウンロードして専用のもので聴け!お前ら!ということになるらしい。テレビで言うところの4K・8Kが音楽の面ではハイレゾリューションに変わっていくという事だ。極端に言えば、今レコーディングしたものは製品化する必要もなく翌日から配信できる、と言うことになる。

今日の新聞の記事に、ハイレゾ対応のイヤホンが5万3000円とあった。イヤホンがこの値段だ。レコードやカセットデッキで音楽を楽しんだ世代は漂流するしかないのか。などと嘆いても仕方がないのだが、ついていけるのか、不安になってしまう。すべてが見えたり、すべてがわかったりすることがそんなにいい事ばかりなのだろうか。隠れている部分や、想像でしかわからない部分があるから魅力的、という事もある。あ~あ、なのに4K・8Kだし、ハイレゾだし。女性がすべて裸だったら、魅力的か?!これはもう、八つ当たりだ(笑)

2014年11月12日水曜日

「じじいの会」

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし十五の心」「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて蟹とたはむる」・・・当時石川啄木の歌を愛していたのだろうか、今でもスラスラと出てくる。授業をさぼって盛岡城跡に行き、寝ころんでこの歌を口ずさんだものだ。十五の時だ。多感な時代だった。なぜこの話?秋だからだ(笑)。読書の秋だとか、詩が心に染み入る秋だとか、秋なのだ。

この時期、陽が落ちるのが早すぎて困る。昨日飲みすぎて、昼過ぎに会社に出てきたものだから、ろくな仕事をしないうちに外は真っ暗。一日が数時間、てな気分になってしまう。心は焦るのだが仕事が進まず、「我泣きぬれて酒とたはむる」という時間が早々とやって来るのが「秋」、な訳ないか・・・。今日は飲まないぞ!(笑)

昨日の小宴会は楽しかった。友人の還暦祝いの宴だったのだが、余計な気遣いしない仲間の会合は精神衛生に良い。男6人のうち、当事者が一番若いという事に集まって初めて気が付いた。なんだ、じじいの会合だったのだか。で、会が楽しかったから、この仲間で一年に一度集まる定期的な会にしようという事になったのだが、そのうちの一人が「一年後だと死んでいるやつがいるかもしれないからもっと早く集まろう」と言う。真顔でいうものだから、6月にやろうという事で決着したのだが、やはり「じじい」の会だった(苦笑)。

集いのネーミングを「汗暦の会」とした。汗をかきつづけた60年と言う意味で。お祝いの言葉を「祝詞(のりと)」とした。これはふざけただけ。そこかしこに、笑いがこぼれていて、多少飲みすぎても仕方がないな。社会にでてからの友達と、利害がからまず無欲で付き合うのはなかなか難しい。
だが、じじいになってくると、大切な友達の選別を始めるものなのかもしれない。そんなこんなで昨日の仲間の会は「どじょうの会」と命名された。「じじいの会」ではなくてよかった・・・(笑)。


2014年11月4日火曜日

「小さな石」

今日の収録は南こうせつさん。お目にかかるのは10数年ぶりだった。「夢一夜」が藤原の18番だと本人に言わなかったが、それにしても彼の歌声は少しも変わっていない。シンガーとしての実力を感じる。パワーが少しも衰えないというのはすごいことだ。そしてスタジオを途中で抜けて会社に戻ると訪問者は税理士さん。あれ、今日だっけ?

前にも書いたが、彼がプリントアウトして置いていく書類は残高試算表だとか損益計算書だとか・・・見たくもない(笑) スタジオで、♪あぁ夢一夜~なんて鼻歌を歌っているほうが良かったよ。書類を斜めにみて、あ、そう!てなもんだ。で、今日の夕飯はコンビニで買った野菜ラーメンとおにぎりひとつ。スタッフの分の弁当がさっき会社に届いたが藤原の分は注文しなかった。一緒に食べようとしたら夜遅くなるし・・・少し前ならどんなに遅くなっても一緒に食べようとしたんだけど、この違いはなぜ?だって眠くなるんだもの(笑)

今、20時40分。そろそろ歌の収録が終わり、トークの収録が始まるころだ。スタジオに戻るとするかな。思い出したことがある。10数年前の「神田川」の収録の時、歌のカンペの担当だったW君が、「♪~小さな石鹸~」の鹸の字が難しく「鹸」だけあとで調べて書こうと思ったらしいのだが、失念してそのまま収録に突入。こうせつさんが歌い始めて 「♪ ~ 小さな 石 ~」となり笑い出して歌が止まってしまった。「♪~ 小さな石 カタカタ鳴った ~」ま、それでも良いッちゃ良いが。

2014年11月1日土曜日

「ポジとネガ」

会話の途中で、よくポジティブですね~、と言われることがある。そんなことあるものか。その本質は実にネガティブ人間なのだ。「そうありたい」という事を話しているだけで「そうなのだ」と言っているわけではないのだ。実は小さな問題でも、気分的にはすぐ落ち込だ感覚になり、嫌ぁな気分がずっと続く。

くたびれ果てていても「元気ですねぇ」と言われ、「いつも笑顔でいられていいですね」とか言われるけど・・・ま、そうなんだけどね。気にしていないふりを演じながら、ずっと気にしているような自分が嫌なだけなのだが、「A型だし、切り替えが下手だから」なんてことで今日まで納得させてきた。昨日も社員からあるトラブルの報告を受け「気にスンナそんなこと、あとで俺が何とかしておく」と言ってはみたものの、ずーっと嫌な気分が続いていたから、俺って本当にネガティブだよなぁとつくづく思ってしまったわけ。明るい藤原君の日頃は「演じているだけ!」ってことだよなぁ、と今更に考えてしまったよ。でも友人のメールの一文が救ってくれた。こんなことの繰り返しが、生きるってことか。

さて、11月だ。ポジだろうがネガだろうが時間は過ぎていく。最近、楽しく生きて行かなきゃもったいない、という思いが強くなってきた。だが、楽しく生きていくという事は結構難しそうだ。でも、よそ様から見たら、藤原は好き勝手に楽しそうに生きているように見えるのだろうな・・・なんて気もする。
それこそが見事な「ポジティブ風」生き方なのかもしれない。

今日はインフルエンザの注射もした!プラセンタの注射も打った!愉快な一日だ!!!