2015年12月29日火曜日

「今年も終わるか・・・」

今年も終わるか・・・1月5日に歩行者妨害とかで交通反則切符を切られ、点数残1点というありさまで安全運転に徹した一年間でございました。黄色い信号、まず停まる。高速道路、なるべく追い越し車線を走らない(これ結構苦痛だった)。1月5日まで、安全運転頑張るぞ!(笑)

今年も終わるか・・・夢にまでみた娘とのバージンロード。終わってしまえば娘がそばに居ないという現実だけが残り、俺は老境に・・・は決して入らない!孫はまだ先のようだし・・・

今年も終わるか・・・今年65才になった途端、年金がどうの、介護保険料がどうの、予防接種がどうの、と老人扱いする書類が次から次へと届いた。老齢基礎年金、老齢厚生年金とか書類が続々。なんでそんなに面倒臭いの。社労士さんに頼んだからいまだによくわからない。

今年も終わるか・・・いい年だったか停滞した年だったか。迂闊に判断できないね。最悪ではなかったという事で。無難という言葉が当てはまるのだろうか。明日宝くじか?その結果を受けて、今年を判断しよう(笑)今晩は当選金の使い道を考えて楽しむことにして。

今年も終わるか・・・どこに仕舞ったのかすぐ忘れることが多くなった気がする。今日銀行の担当者が来て「預かり証を下さい」と言われた。「確か、わかり易い場所に置いたよね・・・」「どんな紙だっけ・・・」「無くすといけないからと、すごくわかり易い所に仕舞った気が・・・」「あ~ぁ、ダメだねやっぱり・・・」と、愚痴。

担当者「ありました!ここに!」

わかり易い場所とは、側に飾ってある「画の額」に張り付けてあったのだ。忘れてしまえば、何もわかり易い場所ではないのだ・・・銀行マンの方が先に見つけるなんて(苦笑)

今年も終わるか・・・いやいや、まだ2日もある。明日は会社の大掃除だ。終わらないね。

2015年12月19日土曜日

「黄金の虹」

昨日、日本橋の三井ホールで行われた「川上大輔ワンマンライブ」に行ってきた。8時過ぎに終わったかな。日頃なら、しばらくぶりの夜の日本橋だし、ちょっくらどこぞへ立ち寄って飲んでいこうかな…となるのだが迷わず家へ直行した。その訳?録画したまま溜まっていたテレビドラマがあったから。(笑)

普通家で観るテレビはニュースが中心なのだが、このドラマを見はじめてからというもの、なぜか観たい!という欲望が。以前も書いたが、なかなかストーリーが進まないどちらかというと滑稽な韓国ホームドラマだ。だがようやく最終回を観ることが出来た。3本溜まっていたけどね。

で、飯と共にワインを飲みながら3本続けて観たのだよ。で、3本とも泣いた。泣く場面があるんだな、これが・・・。3本観終わった頃には目が腫れていたりして。ドラマを観て泣くのはすごくストレス発散になると思っているから、泣くことに抵抗はないのだが、酒量が少し多かったかもしれない。なんとなく今日は体調がすぐれないから(笑)

今日の土曜日、新橋演舞場の「舟木一夫公演」のチケットをいただいていたのだが、知人の老夫婦に代わりに行ってもらった。奥さんに拙宅までチケットを取りにきてもらったのだが、髪の毛ぐしゃぐしゃで「パジャマ」に「どてら」という格好で玄関で迎えたら「典ちゃんもそんな恰好!(そんな恰好するんだ、という意味)安心した!」と言って満面の笑みで帰って行った。う~ん、典ちゃんは日頃外ではきっと、気取っているのかもね。

ところでハマった韓国ドラマは「黄金の虹」というドラマ。最終回は、そうなるであろうな・・・と想像がつくハッピーエンドだったが、視聴者が、楽しきゃいいんだよ!ってね。

2015年12月13日日曜日

「ふるさと納税」

ふるさと納税とやらに参加してみた。「ふるさとチョイス」というサイトがあることも知った。いわば、税金の先払いで、先払いした分利息をもらうようなもんだな。今日第一便の「焼酎とさつま揚げ」が届いた。

税理事務所から、社長ならこれぐらいまで納税できますよ、と電話をもらったからだが、なんだか変なシステムだね。気分がすっきりしないのだが、慣れてくれば理解できるのかもしれない。パソコン上で簡単に出来るものだから、あっちこちに寄付した(笑)少額ずつ。

ふるさとは岩手県の矢巾町だから矢巾町も検索したのだが、チョイス出来る物品がなかった。から納税しなかった。これって変だよね。ふるさと納税なんだから、物をもらわなくても基本的には故郷にご奉仕なんだろうが、何もくれないらしいからやめた。・・・でも、なんか気分は変だ。

時代は便利になり、パソコン上で、買い物も寄付も済んでしまうようになった。今年のお歳暮もすべてパソコン上で手配した。誰とコミュニケーション取るでもなく、資料片手にコツコツと作業してすべてが終わる。会話のいらない時代がやって来るのだろうか・・・寒い気分になる。

先日写真家の浅井慎平さんと久々に会った。番組出演をお願いしていたので、ご自宅までタクシーを手配することになっていたのだが、会うのが久々だから藤原が自分の車で迎えに行った。インターホンを押して「NHKからのお迎えの車でございます」と伝えて浅井さんを待った。かれは当然ビックリしたわけだが、コミュニケーションとはそんなもんだと思っている。

ふるさとよ!俺が見返りを望まずに寄付できる日を待っててくれ!(そんな日が来るのか?)そうそう、年末の宝くじを買わなくちゃ。これはパソコン上では買えないんだよなぁ・・・。

2015年12月7日月曜日

「いい時代を生きてきた」

カンニングを疑われて飛び降り自殺をした高校生のニュースを読んだ。カンニングで、死ぬ気になってしまうのか?多感というのか、現代の子ととらえればいいのか・・・

藤原は高校に行っていないから同じレベルでは語れないが、中学の時それはよくカンニングをした。当時は廊下に成績順位を張り出されたものだから、生徒会長をやっていた藤原には見栄が優先する。高校に進学するつもりはなかったから特に勉強はしない。で、カンニングに身をゆだねる。普段のテストは周囲の学友に見せたり「教えろ、見せろ」と言ったり。張り出されるテストは、下敷き、手のひら、消しゴム、あらゆるものが仲間だった。俺の机の周りには、藤原からカンニングを求められることを待っていたような感じの「人」も。(教えてあげる・・・ ・・・)

たとえ見つかったとしても、死ぬ気にはならなかったろう。

毎朝新聞配達をしていたものだから、冬場なんかよく遅刻をした。そんな事情を知っている英語の先生は、テストで間違いのスペルを赤で修正して「満点」をくれれたこともあった。いい時代だったのだ。スイカ、トマト、リンゴ、よく盗んだよ。今ならきっと窃盗罪で警察行だ。当時の悪がきが、今の時代は犯罪者扱い。いい時代を生きてきたと、つくづく思う。

上京してから、一度警察に捕まったことがある。権力に対して無茶苦茶反抗精神を持っていた時代があって、新宿の交番のおまわりさんのほっぺを「軽く」叩いたことがある。交番の奥に連れて行かれ、刑事さんにボコボコ殴られた。「なんで殴るんだ」と聞いたら「権力だ」と言われた。その日から二晩泊められたが、いい経験だ。鉄格子の中の「オカマさん」から、「ねぇお店どこ?」と声を掛けられたっけ。藤原、派手な格好で、頭は金髪だったから(笑)。いい時代を生きてきたとおもう。

2015年11月27日金曜日

「韓国ドラマに涙」

「冬のソナタ」が爆発的ヒットをしたあと、NHKは立て続けに韓国ドラマを放映した。当時「BS2ドラマバー」という番組を制作していたので、仕事のために結構沢山ドラマを観た。その中で「春のワルツ」という番組にはまったっけ。内容はかなりめちゃくちゃなストーリーなのだが、切ない親子関係などが描かれていたと思う。

さて、このところハマっている韓国ドラマがあるのだ。タイトルはどうでもいいので認識していないが、複雑な人間関係と親子関係を描いている。作りはひどすぎてB級とかC級というレベルで、まるで漫画的つくりなのだが、これがハマるのだ。なぜなのだろう・・・そんなこと、あり得ないだろうというシーンの連続。だが、扱っているテーマは親子愛、家族愛、美しすぎる恋物語で、ある意味エンターテイメントだ。登場人物の相関図を作らないとその関係性についてはいけない。

だが、なぜか涙を誘われるのだ。ドラマの設計図としては、ほとんどリアリティーがないのに、泣かせるツボはある。で、何度も泣くことになる。感情移入が早すぎると笑われるのだが。夜遅く帰ってニュースもいい加減終わった時間、飯と酒の相手には丁度いい存在のドラマなのだ。ジャンルとしてはホームドラマというジャンルらしい。昨夜も夜中12時過ぎに帰ったものだから遅い晩飯を食いながら観たよ。そろそろ最終回が近づいてきた感じだった。いつ、あの二人、実の親子関係だと明かされるのかなぁ、などと次回を期待したりして。(笑)

で、毎回終わり方が小憎たらしい。クリフハンガーの手法をこれ見よがしに使うのだ。あざとい。で、次も観たくなる。ハマっている証拠だ。(笑)

日本人の性格はどうもリアリティーを求める傾向がある気がする。いいんだよ、バカバカしくても面白ければ、とこの程度のノリが無いといけないのでしょうね。しかし、出てくる女優さんの顔、顔、顔、どれもこれも俺でも「整形顔」とわかる美形。素の顔だろうな、という俳優が出てくるとなぜかホッとするのだ。ブス系が愛おしく感じるこの不思議!韓国ドラマだ!

2015年11月24日火曜日

「借り」

会社から歩いて10分ほどの場所に「原宿クエストホール」という会場がある。キャパは着席で300席ほどだろうか。昨日初めて行った。「BORO」のライブがあったからだ。久しぶりに彼の歌を聴いた。

「BORO復活ライブ!」と銘打ったライブで、会場は満席だった。大阪がメインのアーチストだから客入りを心配していたのだがよかった。残念ながらライブ終了後、時間が無かったので挨拶せずに会社に戻ってしまったが、パワフルで元気、なによりだった。聞けば10年ほど病気の連続だったらしい。長いトンネルを抜けたって訳だ。

彼には借りがある・・・そんな思いで今日まで来た。ずいぶん昔、彼で何本かの番組を作っている。「大阪で生まれた女」を18番まで全部紹介した番組とか、「歌が生まれるとき」という番組では彼一人を取り上げて30分の番組を創った。これは借りにならない。その後だ。ある特集番組でゲストとして招いたのだが、その番組の収録で2曲を歌ってもらったと思う。当時演出を担当していたKは時間配分など結構いい加減で、編集が佳境に入って来たときに「藤原さん、尺が足らなくてBOROの歌一曲入らないよ、カットするから本人に言っておいて!」ときたもんだ。たぶんオンエアーまで連絡しなかったと思う。彼の真剣さと熱意を知っているから、言い出せなかったような気がする。トラブルにはならなかったが、それをずっと引きずっていたのだ。

で、彼から東京でのライブの知らせが来たとき、すぐに電話をした。BOROに借りがある・・・と言ったが中身は言わなかった。でも彼は「東京に行くと藤原さんを思い出す」と言ってくれた。それで昨日ライブに出かけてきたわけだが、今度は楽屋に顔を出さなかったことを悔やみ始めるのだ。やれやれ、厄介な性格だ(笑)

何れにしろ、誰にも借りは作らないほうがいい。だが、どうでもいいようなことでも借りと思ってしまう癖があるらしい。貸しも作らないほうがいいね。穏やかに暮らしたかったら、貸し借りなしという事がいい。が、そんな甘い人生、ある訳ないよなぁ~。

2015年11月14日土曜日

「秋の土曜日」

昨日はよく飲んだ。今日は10時30分ごろにはロケハンに出かけようと思っていたのだが、起きたのが10時30分・・・結果出かけたのが12時30分。今どきはすぐに暗くなるから、予定の半分ほどの行動しかできなかった。間に合うかな・・・

先週は番組で岩手の奥州市まで行ってきた。収録が終わった翌日、盛岡まで行き、久々で墓参りをしてきた。父親の墓は亡くなった時以来だから、何年ぶりになるのだろうか・・・複雑な親子関係だから、父親の墓は藤原の墓とは別場所にある。なぜ、急に墓参りの気分になったのか・・・自分でもよくわからないが、なんとなくやるべきことをやった気分だ。

駆け足で2か所のお墓とお寺を回ったものだから、せっかく郷里に行ったのに、急ぎ足で帰ってきてしまった。もう育った場所や学校の面影もないはずだが、せっかく行ったのだから、すこし思い出の土地を訪ねたかった気もする。周辺の紅葉は綺麗だったけどね。

さてさて、年末までのカウントダウンが始まった気がする。毎日がせわしないが、なぜかホッとするのだ。「忙しい」という言葉や現実が藤原にとっての妙薬となる。休みが欲しい、と思うぐらいが丁度いいんだな。いつまで続くか、身体が(笑)

同じ姿勢をとっていると、立ち上がるときスキッと立ち上がれない、そう感じることが多くなった。周囲の仲間もだんだん年寄りが増えてきた。気持ちは充分に若いと自信があるのだが、スポーツカーから颯爽と降りられない、とイメージするようになったらなんだかくやしいね。さて、今日の土曜日は終わりとするか。これも、あれも、明日にしよう!っと。

2015年10月30日金曜日

「川中美幸さん」

沢山の演歌歌手の舞台を観てきたが、今日観たステージは楽しかった。川中美幸さん。番組では何度もご一緒しているのだが、舞台を観た記憶があまりない。今日、カメラを担いで「水戸」のコンンサート会場まで出向き、カメラを回しながら舞台を楽しんだ。

トークがうまい!実にうまい。一度のトークタイムで客は何度笑っただろうか。俺も途中で何度も笑った。カメラマイクには藤原のでかい笑い声が収録されているはずだ。

一回目の公演が終わったところで楽屋に行ったら「あら!ご自身でいらしたんですか、舞台で紹介すればよかった!(とケラケラ笑う)」一事が万事この調子。明るくて、素敵な人だ。

13日に彼女の番組を収録する。その番組用のインサート素材を撮りに行ったのだが、彼女のスタッフは「社長がカメラ回すんですか?」と驚いていた。人手が少ないから仕方がない・・・とは言わなかった(笑)。「いや~俺結構好きだからよく回すよ」とかなんとか言ってね。

ここ数年、社長がやり過ぎると若手が育たない、そんな思いから現場仕事をなるべく控えてきた。だが控えすぎると弊害も出てきた。経営的問題もそうだが、指をくわえて現場を遠目に見ている状態は「病気になれ」と言われているようなものなのだ。で、やりたがり藤原がまたぼちぼち動き始めたという訳。

今日の「水戸」には若手の杉谷部長と一緒に行った。運転手はもちろん藤原。首都高に乗って数分もたたないうちに彼は眠りの森に迷い込む。常磐道に入ったあたりでは熟睡の世界の虜になったようだ。昼飯ぐらい食っておこうと思ってサービスエリアに入った途端、彼はまるでずっと起きていたとアピールするかのような態度で眠りから覚める。俺だって眠かったんだぞ!

ま、水戸まで往復したものだから、今日一日が川中美幸さんで終わってしまった。だが、彼女の頑張りとあの明るさは、今日はいい一日だった、と思わせるエネルギーになる気がする。13日の週録が楽しみだ。

2015年10月20日火曜日

「Mr Ms Dr」

22日に「日本賞」という番組の収録がある。その司会者打ち合わせが昨日あった。外国人の方が沢山いらっしゃるイベントなので、名前の表記がカタカナと英語で表記されている。ほとんどの外人がMr、Msの表記なのに一人だけDrで始まる人が居た。司会者の一人は女優のKさん。台本を見ながら、「どうしてこの人だけDrなのかな・・・」 同じく司会のMアナウンサー「博士号(ハクシゴー)を持った人はDrって付きますよね・・・」 女優Kさん「え!隠し子(カクシゴ)?!」・・・  ・・・

とっさの「ボケ」に一同大爆笑だ。この面白さは現場に居た人しかわからないかもしれないのだが今日もまたその場面を思い出して、にやにやしてしまった。それだけ面白かったのだ。この女優さんが大好きになった。聞けば天然らしいのだが、好かれる意味がわかる。絶妙のタイミングで、ほんとにおもしろかったんだから。

さて、そんな日本賞で明日も明後日も朝が早い。昨日は午前2時過ぎまで会社で仕事をしていたから今日は眠い。普通の暮らし、とはどんな暮らしを言うんだろうね。

机の上には 玉ねぎエキス、ビタミンC パブロンS そしてサクロンが並んでいる。机の中には血圧、尿酸、高脂血症のくすり、他にサプリメントの・・・

あ、そうそう、財布の中には「ハゲ」薬のプロペシアが。なんで財布の中?貴重だから(笑)これが言わば俺の普通な暮らしなのかね。

さて、Drだが。俺にはディレクターかドクターだとしか思えないけどね。まさか、隠し子をもった人だったなんて。

2015年10月10日土曜日

「駒ヶ岳・小原農場」

16,7年前の事になるが、北海道・駒ヶ岳の麓で番組のロケをしていた時のことだ。「北島三郎 遥かなる道」という番組だったので、一本道にこだわり、駒ヶ岳に向かう一本道を探し出してロケをしていた。すると畑を横切って猛烈な勢いのトラクターが!

「こらー!何をやっている!」。役場を通して許可申請していたはずなのだが、どかかで行き違いがあったらしい。北島さんはじめ みな後ずさりして藤原が謝罪と説明を始める・・・。農場主「前回も〇〇の一行がきて撮影をし、畑を荒らすわジュース缶を散乱させるわ、いい加減にしてくれ!」のようなお叱りを受けたのだ。藤原ひたすら詫びるのみ。一行は藤原の後ろで嵐が過ぎるのを待っている。この時は撮影用のヘリコプターも飛ばしたので結構騒々しいロケだった。

春夏秋冬を追う設定だったので、この場所には撮影に4回も行ったっことになる。だが、トウモロコシの季節に、北島さんが子供の頃の回想シーンで畑のトウモロコシを一本取った。とっさのことでもちろん無断。番組に使用するシーンだったのでテープを添えて改めて謝罪(苦笑)。

先日、その北島さんの新曲のPVを作ることになったので、せっかくだから函館にロケに行ってきた。新曲も「おれの道」で「道」がテーマだしね。ふと思い立ってその駒ヶ岳の麓の農場を訪ねる気になった。記憶を辿って農場を探してみた。一度は間違えたのだが、行けたよその場所に。あの懐かしいこだわりの一本道がある広大な畑だ。

レンタカーで農道に入って行ったら、声を掛けられた。「なにか御用でも?」軽トラックからオジサンが降りてきた。「実は16,7年前ここで番組のロケをして、こちらの畑の方にご迷惑をおかけしてしまい、たまたま函館に来たものですから懐かしくて来てみました」。

当時の状況をかいつまんで話したら、その時怒ったトラクターの主は「私です」という事に!。「大切な畑を踏み散らかすのは、歌手のステージに私が土足で乗るようなもの」。ごもっとも。ひとしきり話すと、せっかくだから「ジャガイモあげる」となり採れたてのジャガイモをもらった。「北島さんに会うことがあったら、申し訳なかったと伝えてください、なんとなく気になっていたんですよ」とご主人が言う。もちろん伝えた。藤原は認識していなかったのだが、その当日、道に降りるという約束のヘリコプターが畑の中に降りたのだそうだ、そりゃぁ怒るよなぁ。

ご主人は藤原と同じ歳だという事も知った。農場を後にした帰路、暖かくて嬉しい気分に浸っているボクが居た。広い畑は「小原農場」という。小原さん、今日も頑張っているんだろうな・・・

2015年9月24日木曜日

「凡事徹底」

「フォルクスワーゲンの不正」という記事を読みながら、今までいったい何台の車に乗って来たかなぁ・・・などと思いを巡らせてみた。一番初めはトヨタのスプリンターだった。次が117クーペ。その次がカマロだったかもしれない。で、その車の思い出と重なる女性がすべて違っていることに気付いた。その次の車から現在まで、数々の車に重なるのは「カミさん」だから、ま、運転はぶれていない、という事でいいとするか。

車は結構好きだから、40才過ぎてからはほぼ3年ごとに替えて来たかもしれない。今の車はもう2年数か月たつのに走行キロは16,000キロ程度。若い頃は年に10,000キロ以下などという事はなかったのに、走らなくなったもんだ。以前、なかにし礼さんが「ポルシェも含め沢山乗って来たけどもう車なんていらないよ、タクシー代月50,000円使うのって大変だよ」てなことを言っていた。そんな気分になる日が来るのかなぁ・・・

で、そんな「なかにし礼」さんと先日久しぶりに電話で話すことが出来た。この春の大手術のあとから、一度も話してなかった。というか、状況が見えないので遠慮していたのだが、思い切ってSMSでメールを送ったらすぐ折り返し電話がかかってきた。お元気そうでよかった!とても暖かい想いに包まれた気分になり、一日ハッピーだったよ。不屈の闘士「なかにし礼」頑張れ!

で、俺の事もだれか、励ましてくれないかなぁ・・・(笑)。

今日は何曜日だっけ?と何度も聞いてしまうほど連休ボケだ。3日間休んだ。経営者にとって長すぎる連休は迷惑なだけなのだが、休めたスタッフもいたから良しとするか。なぜか祝日が多すぎる気がするのだが、年々増えていないか?錯覚しそうだ。

そして9月も終盤、秋の深まりが身近に迫り、衣替えももうすぐだ。国勢調査の用紙もまだ書いていない。寝ていても起きていても、歩いても走っても、同じように時間が流れていく。改めて「凡事徹底」を心に刻むこととしよう。

2015年9月15日火曜日

「やわらかな日差し」

「チャンスにノックは要らない訳ですから・・・」。ニュース番組のコメンテーターが言った一言、「チャンスにノックは要らない」、この言葉が妙に気に入って書き留めた。チャンス、そのチャンスに気づくこともなかなか難しいのだけれど。

さて、毎週花屋さんに替えてもらう今週の花の主役は「ひまわり」だ。夏の名残り、そんな気もする。大雨が通り過ぎたあとの東京は、まさに秋晴れ。日が落ちるのも早くなった。早く暗くなる季節が嫌いだ。若い時分、夜の店でピアノを弾いていた頃のことだが、世間の人々が家路に向かうのを斜に見ながら、夜の仕事場に向かっていた日々のイメージが甦ったりする。暗くなってから仕事に出かける・・・なんか寂しい気分だった。

あれから〇十年!!!
昼の仕事師となった藤原は日差しに感謝しながら生きている。前にも書いたが、日差しが大好きだ。水害被害に遭った地域の皆さんも、今日のようなやわらかな日差しを浴びてほしい。

水害被害のあった当日、被災地とそれほど遠くない「前橋市」で番組の収録をしていた。本番直前、モニタールームのチェック用画面の隣で、生々しいニュースが流れ続けていた。楽しい舞台を作り、お客様に楽しんでいただくための番組の隣で、緊急を告げる生々しい画面。笑う事も出来ない・・・

明日も、明後日も、このやわらかな日差しが、続いて欲しい。祈るような思いだ。

2015年9月8日火曜日

「櫂」

EUと難民の問題が毎日のようにクローズアップされている。現実的には、遠い地域での話なのだが・・・。これが受入国が「日本」だった場合、どういう社会現象が起きるのだろうか。今の日本で、「安保法案反対」「憲法違反」と叫ぶ人々は、日本に難民が押し寄せたとしたら、どう叫ぶのだろうか?

自国だけが平和ならいい、自国の平和のためにだけ憲法がある、というのだろうか・・・。その問題に関しては門外漢を決め込んでいるが、愛読している新聞は「読売」と「産経」と「日経」だ。どっち寄りかすぐに想像がつくというものだ。首相が大阪でテレビ出演していたら「国会軽視だ」とかみついていた野党の見慣れた議員がいた。「上げ足ばかり取ってんじゃないよお前!」と言いたくなる。

日常の生活の中にも、「批判的指摘」にエネルギーを消耗している人が結構いる。幸せを感じさせない「暗がりの占い師」が、人の幸せを説いているようなものだ。「反対」や「だめ」を叫ぶだけなら結構楽な作業だとおもう。それぞれの立場が違えば、見え方も考え方も違うのは当然だが・・・。

ま、文句ばっかり言ってるやつは、好きになれないということなのだが。じゃ「私なら責任をもってこうします」と己の責任論に触れてほしいね。

話は変わるが、
今日の昼飯はとても久しぶりに会社の近くの「牛舎」という店に行った。ここのマスターとも付き合いは長い。もうかれこれ20年ほど前、ラスベガスのあるホテルでばったり出会ったマスターだ。日本人がほとんど居ないあるホテルでばったり!出会ったのだ。確立としてはすごい話だ。そのマスターが実に若い。何でそんなに若いの?と聞いたら「これですよこれ!」と言って満面の笑みで小指を立てた。自己責任で完結!こういう生き方がいいよね。

「平和」と「自己責任」、「博愛」と「自己愛」、情報が氾濫する現代という「海」を漕いで行くのか、流れに身を任せるのか?俺か?漕ぐに決まっているじゃないの。で、その漕ぐ「櫂」は、どこにあるんだ?(笑)。

2015年8月28日金曜日

「人種差別」

アイルランドに居る息子のメールに、時々「人種差別に遭った」という文言が出てくる。現地に詳しい人の話では、それは人種差別ではなく、現地の彼、彼女らの「文化」なのだという。だが、日本人から見たらふてぶてしく感じるその態度が、息子は「人種差別」に感じるらしい。

で、さっきこともあろうにこの俺が人種差別に遭った!。今うちのスタッフが手がけている仕事に関して、クライアントの某プロデューサーとの会話の中で藤原が「人種差別」されたのだ!

某・「もう一人スタッフを出してほしいのですが」
俺・「もちろん」 某・「スタッフは誰ですか?」
俺・「俺が一番いいんじゃない?」
某・「藤原さんじゃ重すぎます!」
俺・「あっ失礼な!なんで?」
某・「藤原さん、これは未来型コンサートですよ。藤原さんの昭和歌謡コンサートじゃないんですから!」  笑・笑・笑!!!

これって絶対「人種差別」じゃない? 失礼な!

あぁ、俺には昭和演歌のイメージがついて回るらしい。あながち間違ってはいないが・・・だが、未来型が俺には似合わない!というイメージには反抗してやる!あの野郎~~~
(苦笑)

2015年8月20日木曜日

「友人を殺してしまった」

その時は気が付かず、後で失敗に気が付き大慌て、なんてことは良くあるが、殺してしまってはいけない。故 浜圭介様 と宛名を書いて その浜圭介様にFAXを送ってしまった。なぜ?

先日亡くなった「菅原やすのり」さんのご遺族にFAXを送ったのだが、その用紙に上書きをしたのが失敗のもと。故 菅原やすのり様ご遺族様・・・という宛名を消して書き直したのだが、「故」が残っていたことに気付かず、故 浜圭介様に・・・

いくら友達でも、慌てたね(苦笑)本人となかなか連絡がとれずへこんでいたのだが、さっき藤原の留守電に彼のメッセージが・・・「死んだけど、生き返ったから・・・」。やれやれ、これが浜さんだったからよかったが、〇〇だったらきっと一生言われるな・・・などと思いながら安易な上書きを反省!!!慣れきった作業には「落とし穴」、肝に銘じよう。

さっき、赤毛のアンというミュージカルを観てきた。無料招待ミュージカルなので豪華セット、豪華演出とはいかないが、なかなか上品で可愛らしいミュージカルだった。現実の大波小波の世界で生きていると、ほっとする瞬間が大切な息抜きになる。肩の凝らない素敵な時間だった。

さて、周囲の見慣れた景色、見慣れたスタッフ、わかりきった手順と作業・・・どこかに落とし穴がないか、注意注意!言葉ひとつで、人を殺すこともあるから!

2015年8月13日木曜日

「彩りの街」

インターネットである人物を検索していたのだが、何気に「藤原典男」も検索してみた。同姓同名の人物がお二人ほど居た。どこかの街の議員さんと、もと高校教師で著作を出版されている藤原典男さん。同姓同名なのだから、優秀な方に違いない!(笑)

検索を先に進めると、昔歌った「愛のおしゃべり折尾の街」という情報に出会った。その先に「彩りの街」という楽曲が「You Tube」にアップされているのに出くわす。この作品の詞は「石原裕次郎」さんに書いたもので、昭和50何年だったか・・・カラオケ愛好家がカバーして歌っているらしい。興味本位で聴いてみることに。3人ほどの歌唱がアップされていた。

一人は原曲にかなり近く歌っている。あとの二人は見事に作曲していた。ヒットしなかった歌は、こうして変化を遂げていくのだろう(笑)あぁ 彩(いろ)とりどりだよ。

当時は作曲をしたかったのだが、活動を共にしている相手が作曲だったものだから、仕方なく詞を書いていた。曲を書きたいのに仕方なく歌も歌ってた(苦笑)。ヒット曲はなかったが、いま時代を経てこうして当時の作品に触れると、なんとも懐かしい。

活動を共にしていた作曲家はもう25年も前に亡くなっている。56か57才だったと思う。毎日酒浸りで、酒を止めさせる為に何度も病院に入れた。彼の編曲作品の写譜もやっていたのだが、朝スコアーを取りに行くと玄関口で寝ていて驚くこともたびたび・・・ある日午前10時から2曲のレコーディングがあるので写譜の時間を逆算してスコア―を取りに行ったら、やはり床に寝ていた。編曲が完成していれば問題ないのだが。おそるおそる机を覗いたら、エンディングだけがまだ未完成。それも一曲のみ・・・仕方なくエンディングだけを書き加え、一曲のみ写譜を終えて一人スタジオへ。代わりに指揮棒を振って、一曲のみレコーディング。ディレクターにも演奏陣にも平謝りで詫びたっけ。レコーディングを終え、彼のもとへ報告に行ったとき、彼が何と言ったかは覚えていない。

「彩りの街」はそんな彼の作・編曲だ。遠い記憶だが、時間を飛び越えて今も尚、鮮やかによみがえる、いい思い出なのだ。

2015年8月11日火曜日

「わがままに生きる」

8月8日「地球歌の日コンサート」お待ちしています。そんな招待状が届いたのが7月。招待状とパンフレットを机の上に置いたまま、8月9日を迎えてしまった。コンサートの主催は歌手「菅原やすのり」さん。いつもマメに招待状を送って下さる。失念してしまい、結果としては行けなかったのだが、9日の朝刊で彼が亡くなったことを知る・・・

8月4日に亡くなった、と訃報記事が掲載されていた。白血病とあった。無念であっただろう・・・コンサート目前の死であったから、なおさら。どんなコンサートの招待状でも、必ず自筆で一言添えられていた。稀有な存在だった。こころからご冥福をお祈りする。

昨日、久々で出会った友人が「藤原さん、見かけが若いから・・・」。それって褒め言葉?「見かけが若い?」ならばどこが年齢相応なわけ?!と後で思うのだった(笑)。だが、あちこちで知人、友人の「死」という強烈なテーマに出会うと、「若い」という言葉に一喜一憂してていいものか、などと思ってしまう。

「わがままに生きたい」と思う。結構わがままに生きてきたが、もっとわがままに生きたい。「わがまま」の定義なんぞわかっちゃいないが、人は「わがまま」でいいのだ。さて、ならば誰よりも「わがまま」に生きる方法はあるのだろうか。やるだけやって、がむしゃらに生きて、疲れたな・・・と思ったら後先考えずに「ぽっくり死ぬ」、これ、結構究極の「わがまま」かも。人は、後先考えすぎるからくたびれる。「わがままに生きてわがままに死ぬ」。できたら、いいね。

話を「菅原やすのり」さんに戻すが、最後に会ったのはいつだったろう・・・「肩の力が抜けて、いい歌になりましたね」と生意気なことを申し上げたのだが、「藤原さんに褒めてもらって・・・」と謙虚に受け止める方だった。いい意味で「わがまま」に生きられた方だな・・・そんな気もする。合掌。


2015年8月5日水曜日

「老人性?」

手の甲に出来たイボが気になったので皮膚科に行った。「このイボを取りたい事と、足に出来たこのシミのようなものが気になるんですが・・・」と医師に告げた。「イボはウイルス性ですね、すぐ取れます。足のこれは・・・老人性脂漏角化症です、良性です」。

「先生、最初の2文字が気に入らないんですが。その老人というネーミング、何とかなりませんか?」と医師に訴えたのだ(笑)「皮膚ガンかもしれないじゃないですか!」「では念のため写真で検査しましょう」と余分な検査をして高い診療費を払った(苦笑)

病院から会社に戻ったとたん、社労士さんから電話が。「老齢基礎年金の件ですが・・・」。この話題も「老」だ。いい加減にして~~~

最近、日焼け止めジェルを使っている。「男が日焼け止め?ざけんなよ!」という種類の戯言をつい先日まで言っていた気がするのだが、別の皮膚科の医師から強く勧められ、心を入れ替えた。すべて皮膚がんの予防のためだそうだ。世の男子諸君!日焼け止めジェルを塗ってから外出したまえ!。

ま、気分的には「老人」とはなんら関係を持っていないのだが、体力的にはいささか不安でもある。同じ姿勢でいると美しく立ち上がれないし、深夜12時を過ぎたら酒も要らなくなる。美しいお姉さんをみてもドキドキ感は半分程度になったし(決して枯れてはいない!)口説いてるふりをしていても面倒くささが前面に出ているし・・・。なら、ただの老人じゃないの?って?

ところで「老人性」とは「老人の性」ということ?駄目だこりゃ。おあとがよろしいようで。

2015年7月31日金曜日

「暑中見舞いはがき」

暑中見舞いのはがきを書かなくなって、何年ほどになるだろう・・・メールのやりとりが多くなってきたころから、暑中見舞いの感覚が薄くなってきた気がする。こんな葉書が届いた。表書きには藤原の住所と「おかわりないですか?」の文字。お便り面は、こんな感じ・・・


母86才 認知症  私66才 呆け少々
それは分かったのだが その「私」は誰???
誰だ~おまえは!(笑)
呆け少々は わかったから 名を名乗れ!(笑)
お願いですから、はがきを出すときには 自分の名前を書き込むことを忘れないようにしましょう!


とか言っているけど、今日スタッフと昼食に行き、帰り伝票を手にしながら「あっ!メガネ メガネ!」とわめいたのだが、メガネは胸ポケットに。つい先日は、喫茶店にメガネを忘れたかもしれない、と言って人を走らせたのだが、そのメガネは(机の書類の陰に・・・)。ついでにこんなことを思い出した。息子が赤ちゃんだったころ、背中に(おんぶ)して買い物をしていたのだが、品定めからふと我に返った瞬間「あっ!〇〇が居ない!」  ・・・  ・・・
 そばにいたカミさんは(ぽか~ん)。。。。。。 息子は背中ですやすや眠りの中。。。。。。

歳を重ねるとみんな呆けてきた、というのだがそんなことはない。細かいことを気にしなくなってきただけ。それだけ人間がおおらかになって来たという事だ!てな言い訳でいいかな。ね、ね、ね。

2015年7月27日月曜日



「あっ!という光景」

「あっ!」と思った瞬間車のトランクが閉まった。「もしかして・・・」とは思ったのだが、案の定運転席サイドのドアが開かない・・・。普段は車中にキーを置いてドアを閉めようとするとクラクションが自動で鳴って、キーを閉じ込めることは無い。車屋の担当者に電話をしたら「トランクは鳴らないんですよ!」そんなことはどうでもいい。「開ける方法はないの?」「スペアキーでしか・・・」

場所は成田空港の駐車場。順調に通関して、風邪気味だったから早く家に帰りたい・・・と駐車場に急いだのにこの始末。でどうした?カミさんに新宿からタクシーを飛ばしてもらったのだ。何十年ぶりだろうか、キーの閉じ込めなんて。

「あ!」の瞬間からおよそ2時間後にスペアキーが届くことになるのだが、問題はそのあいだの時間の過ごし方だ。現金もカードもすべて車の中・・・時間つぶしの週刊誌を買うことも出来ない。で、航空会社とかバス会社のパンフレットを手当たり次第に集め読むことに。パンフレットのなかに発見があった。飛行機もリムジンバスも、65歳を過ぎるとシニア割引があります、だと。バスなんか3,100円が2,000円になるらしい。飛行機も当日空席があればかなり安くなるらしい。2時間の待ち時間で手に入れられたものはそれだケ・・・(苦笑)

今度の旅では佐藤愛子さんの「晩鐘」を読み切った。他に読むものが無かったから帰りの機中では映画を観た。殺し屋の父を持つ息子とその父親の葛藤を描いた映画だったが、その親子の葛藤を自分自身の親子に当てはめてみたり・・・映画の中の父親は、息子を守るために最後は撃たれて息絶えるのだが・・・充分に見ごたえがあった。

ところで、国が変われば事情が変わるのは当たり前だが、こんな光景をどう捉えればいいのだろうか。街には結構高級車が走り回る中国の某市街中の光景だ。車が止まっているのは、歩行者用道路だ。歩行者のための空間に当たり前のように車が止まっている。郊外ではない、街中なのだ。これだけ堂々と駐車違反されるとね・・・



                    

2015年7月21日火曜日

「偲ぶ会」

藤原を「ボン太」と呼んだ彼が逝ってから、丸一年が過ぎた。昨日、京王プラザホテルで彼を偲ぶ会が催されたので行ってきた。あれから一年・・・本当に早い。500人ほどの参加者が居ただろうか。偲ぶ会が盛大でも、死んでしまったらなぁ・・・とかなんとか言いながら会場を後にしたのだが。

一年もたったのに、また泣けてしまった。友人が、ずっと観察していたらしい。「藤原はきっと泣くぞ」とおもって見ていたらやっぱり泣いた、と嬉しそうに言っていた。彼は先日の娘の結婚式にも出席していて、藤原の泣き顔を沢山写真に撮っていて、それを嬉しそうに見せてくれた。やっぱり俺は泣き虫だし、それが周囲にバレているという事なのだが。

2.3日前、資料として中村美律子さんの「瞼の母」という歌謡浪曲を聴いたのだが、ヘッドフォンをしながら泣いてしまった。これって、涙腺弱すぎ!人情ものにからっきし弱い。やれやれ。

「みんなに偲ばれる」彼が亡くなった一年前に、何度かブログには書いたが、お互い10代の出会いだった。「りえ」という可愛い女の子を取り合った仲だ。他にも沢山悪さをした。みんないい思い出だ。過ぎてしまえば・・・いい思い出。

彼と言うのは、北島三郎さんの末の弟だが、帰り際北島さんの奥様が「次は楽しい場面で逢いましょうね」と声を掛けてくれた。その通りだ。「誰それが死んだ」「誰それはもう危ないらしい」そんな情報が多過ぎる。歳を重ねるという事は、そういう事らしい。



2015年7月15日水曜日


「あ~言っちゃった!」

「クソ社長!」その一言は藤原の心を突き刺した。あまりにも突然襲ったその言葉・・・しばらく涙が止まらなかった・・・。

笑い転げて、「笑い泣き」というやつだ。笑って涙が出るのは久しぶりだった。誰がそんなことを?社内にいる某女子社員だ。ある飲み会の席で、彼女の乙女心について話し始めた藤原。「そこだけはバラサナイで!」という部分を面白おかしく解説していたら「もう嫌だ、やめて!もう、馬鹿!」というような感情表現が「クソ社長!」となったのだろう(笑)。なかなかインパクトがあった。実に面白かった。他に誰か言いたい奴はいるか?「クソ社長~!」と。

言いたいことを言って可愛がられる人もいる。言わなくていいことを言って煙たがられる人もいる。人は皆、言葉に敏感なはずなのに、自分の事がわからない人もいる。言葉は上手に使えば、最大のコミニュ二ケーションの道具。肝に銘じたい。

メールが通信手段の主役になってから、言葉、いや言い回しが特に重要になってきたと思う。その文字や言い回しによって、高圧的に感じたり、距離を感じたり。間違いを犯さないためには、相手に寄り添う気持ちや、心配りの余裕を持ち合わせることがいかに大切か・・・と思う。

世間ではお中元の受け付けは今日までだという。立ち止まっていても、しがみついていても、時間は止まらない。そういう意味では、泣いていようが、笑っていようが時間は過ぎていく。ならば笑っていたい、誰もがそう思うのかもしれない。笑えてよかったよ!某女子社員!




2015年6月30日火曜日

「出会いと縁」

小説家の佐藤愛子さんの講演会に行ってきた。講演テーマは「91歳の生き方」だったか。もう何十年ぶりだろう、と思えるほど久しぶりの再会だった。実際に20年ぶりぐらいかな。

講演会はすでに満席だったため、先生に関係者席というものを用意していただいた。いつもお着物というイメージがあったのだが、なんと白のスーツで足取りもしっかりご登場、91歳だとは思えない!お姿だった。びっくり。

楽屋を訪ねた。「藤原さんとどうして親しくなったんでしょうね、前世のご縁かしら」という話になったのだが確かにそうかもしれない。会ってはいないのだが、ずっと関係は続いているし、気にもなる。前世という言葉が出てくるのが先生らしい。「きっとそうです」と答えたが。出会いはもう30年以上前になると思う。小田急カルチャー主催の「トークショー」という催しがあり、藤原はそこで司会をやっていた。そこのゲストの一人が佐藤先生だった。「そんな出会いはたくさんあるのに、なぜ藤原さんと親しくなったのかしら・・・」と先生は笑うのだが、藤原にもよくわからない。

が、「藤原さんと親しい」という言葉を何度も伺ってそれで満足、嬉しかった。「こんどお食事しましょう」と言われて別れたが、楽しみだ。また「霊」の話や「前世」の話で盛り上がれるかな。最近出版された「晩鐘」もまだ読み切っていないし、早く読まなきゃ。

今朝、アイルランドに居る息子からメールが来ていた。

「わしの夢は、パパの人生を、舞台にして演出することだよ。 タイトルは、もう決めてあるだよ。 その時は、出てほしいのだ。 わし、若い頃のパパをやるよ。」
 
だって。かってなことを言っているが、それはそれでいいんじゃない(笑)で、俺の人生ってなんだ?何れ、息子や娘が俺の先を歩いていて、爺になった俺が「お若いですね!」って言われて喜んでいるのかな?
 
何にしろ、今日までの沢山の出会いを、藤原なりに大切にしていきたいものだ。





2015年6月29日月曜日

「バージンロードが短い」

昨日、娘の結婚式だった。もう、何年前からバージンロードを娘と歩く姿をイメージしていただろうか。そして歩いた。バージンロードが短か過ぎるのだ!。

会場の係は、本番直前にいろいろ決まり事を教えてくれた。それこそ本番直前に。「ここまでは普通に歩いて、ここからはブライダル歩きで」とかなんとか。それ何?って聞いているうちに今度は「前列3列目の席のところで止まって新郎に新婦を渡してください」とかなんとか。「その時そっと手を添えて」とかなんとか・・・予備知識でもあればわかるのだろうが、「ハイハイ」とは言ったもののわかるもんか!「グローブは?」と言われて「何それ?」と聞いたら白い手袋なそうだ。「白い手袋」と言えよ!「ない、要らない!」でその件はおしまい。

本番をイメージする間もなく、本番です、と言われた。娘と手を組んでいよいよその「ブライダル歩き」だ。最初の2歩まで娘と歩調が合わない。娘の緊張が伝わってくる。「大丈夫か?」と声を掛けたら「うん」という返事。3歩目でようやく足が揃った気がする。「あぁ、これが何度もイメージしたバージンロードの世界だ」と思い始めたとたん、目の前に新郎の顔が!!!お前!出てくるのが速過ぎるぞぉ!!!「もっとそっちで待ってろよ!」

おれはすでに泣いているから、周りの事なんか見えない。現実感がないのだ。ふわふわした感じ。あぁこの世界をもっと味わいたい・・・と思っていたらもう「終点」。あいつが迎えにきやがった。
おれはまだ娘に触れていたいから、名残り惜しそうに去ってゆく娘の肩をいつまでもポンポン叩く。未練がましく・・・あぁバージンロードがあと50メートルぐらいあったなら・・・

披露宴はいい披露宴だった。今日、友人の一人から、「人間って、いいな」と感じる感動的な披露宴だった、とメールをもらった。お決まりの「娘からの手紙」。「藤原さんきっと泣くから」と何処からか声が聞こえた。泣いたか?もちろんめそめそグズグズ。

司会者からご両家代表謝辞、というコールがあって婿どののお父様が謝辞。で、ここからが俺らしいといううか。「娘をやるんだから俺にもしゃべらせろ」という口上のもとに藤原がスピーチ。もちろん会場と彼のご両親には伝えてはあったが。娘を持つ父親の気持ちとは、想像していた以上に感情的だ。

式の最中、キスシーンを見逃した。いや、目を閉じたのだ。見たくもねぇよ。(笑)





2015年6月19日金曜日

「笑える思い出」

久しぶりに訪ねてきた友人と、30数年前の「あること」を思い出して、大笑いをしてしまった。藤原が30代前半だったと思う。大阪の新興宗教の会員さん相手に、月一回程度「歌唱指導」に出向いていた時期があった。一人1500円の会費で会員さんは集まって来たと思うのだが、そのうちだんだん参加者が増えてしまった。最初は集まった会費すべてが授業料だったのだが、何回目からは増えすぎてカウントする雰囲気ではない。授業料?当時の貧乏な藤原には大金だ。

笑えるのはこの後。授業が終わると、教祖様から封筒を受け取る。会員さんに新大阪の駅まで送っていただいたと思うのだが、藤原は新幹線に飛び乗るなり荷物を置いて真っ直ぐトイレへ!おもむろに封筒を取り出して、今日の売り上げ!お札を数えるのだ。これが楽しみだった。

この頃、人の「欲望」を思い知る。ある程度の金額までは大喜びしていたのに、しばらくすると、あんなに参加者が居たのにこれだけ?的な感覚にとらわれてしまう。人の欲望はきりがない、と
改めて思い知ることになるのだが。当時、夜は銀座でピアノを弾いていたが、一日の出張でピアノ弾きのギャラの2か月分ぐらいになったかもしれない。貴重な人生経験だった。

昨日、ある番組の収録現場で、それこそ30数年前に出会った元某レコード会社のディレクターに再会。昨日、改めて思い出したののだが、彼は藤原の作品を4曲ほど採用してくれているはずだ。彼いわく「なんか作品をやったよね」なのだが、確か4曲だと思う。作品を採用して欲しくて、平身低頭、彼に売り込みをしていたのだが、藤原がTVプロデューサーになった途端、立場が変わった!と笑い話になった。これは、ほほえましく暖かな気分になる笑い話だった。

さて、これから別なレコード会社の宣伝部長とディレクター氏と会食をする。当時このレコード会社にも、売り込みのため通ったっけ。今?彼らに「こら!」と言っている。ほほえましい感じでね。


2015年6月15日月曜日

「時の過ぎゆくままに」

「ドジョウの会」という仲間の集いがある。7,8人のメンバーで、半年に一度ぐらいは集まろうという事になっていた。去る10日に集まったのは6名の男女。じゃ、次回は12月ごろね、と言って〆ようとしたのだが。「半年後だと誰が死ぬかわからないから、9月ごろにやろうよ!」と誰かの一声で9月開催になったのだが、いったい平均年齢何歳の会?(笑)

12日は「船村徹誕生日 歌供養」のパーティーだった。去年の6月12日からもう一年?と思うほど早い。去年の歌供養の様子は前回もブログに書いたはずだが、今年はもう31回目の歌供養になるという。20年ほど前から参加していることになるのだろうか。今年は船村徹記念館も完成し、本も新たに出版され、先生の活動のスピードが落ちていないことに敬服するばかりだ。

14日の日曜日、両国のシアターXという劇場で、アイルランドの詩人「イェイツ」の生誕150周年を記念したシンポジュームがあったので行ってきた。「ノーベル文学賞」を受賞た詩人であり、劇作家であり、アイルランドの紙幣に肖像が使用されているような人物だ。知っていたのか?いや、知らなかった。が、番組の提案でアイルランドを調べていたから、イベントの表題に「アイルランド」とあったので興味を持ったのだ。シンポジュームでは、某大学の名誉教授、某大学の教授2名、他「能」の演出家と4名から発言があった。驚いたのは、なんと話の下手なことか・・・。あまりにも・・・大学経験のない藤原は、こんな調子の講義を生徒は聞いているの?と思うほど。某教授は、ペーパーを抑揚のない声で読み上げるだけ・・・

いわゆる表現力の欠如、というやつだ。日本人!頑張れよ!そんな思いで会場を後にした。

さて、今週もはじまった。会社の月曜日の花も新しくなった。今日1日の充実感があったかどうかは別として、またいつものように時は過ぎてゆく。せめて、ハッピーな顔をして過ごしたいね。

2015年6月8日月曜日

「50・65」
上京して50年、今日で65歳、長い道のりを歩んできた気がする。競馬で言えば、最終コーナーを回り、残りの直線で勝負が決まるところだ。直線を駆け抜ける余力があるのか、最初から頑張ってスピードを加減しなかったから息切れするのか。そのどちらかでゴールの結果が見えてくるというところか。体力だけではない。気力・精神力がポイントになりそうだ。

4日に、番組出演中の「北島」さんを訪ねた。去年亡くなった北島さんの末弟の墓参りの報告と、何気の陣中見舞いだったのだが、千葉の君津市というところまで行ってきた。会場に着いたら音合わせ中で、しばらく客席で見ていたのだが、楽屋に顔を出したら「客席にいるのはお前かと思っていた」と迎えてくれた。

いつもの事だが、楽屋で二人だと「個人的ないろいろ」を話してくれる。スタッフが入ってくると、上手に話が一般的になって来る。少し込み入った話をしていたのだが、スタッフが入ってきたら、いつの間にか競馬の話に乗り替わっていく(笑)。最初はチンプンカンプンなのだが、だんだんわかって来る。先日のダービーの話になり、最初飛ばし過ぎたので、直線コースに入ったら息切れして、結果は残念賞という事になったという話なのだが、人の生き様と一緒かも。カメリハ2分前まで話し込んでしまった。

さて、50年の歳月と65年の歳月。結構長いよな。母親は95歳で100まで生きると言っている。結構長いよな。昭和41年3月、上野駅の公園口で「立川職安」というプラカードの前に並んだ。15歳だった。あれから50年。結構長いよな。月並みな表現を借りれば「波乱万丈」の人生だったかもしれない。つまずいたり、ころんだり、走ったり、よろけたり、いきがったり。よく人は、ある程度の年齢になると「ありがとう」とか「感謝」という言葉を使い始めるが、そんな言葉がくすぐったいほど、振り返る人生には「いろいろ」があった気がする。「ありがとう」とか「感謝」では言い表せないいろいろが。

さっき、スタッフがケーキで誕生日を祝ってくれた。なんと、顔写真付きのケーキだったよ!
何日も前から、注文してくれていたらしい。
 なによりも、忘れられていなかったことにほっとしたのだが(笑)


間もなく娘の結婚式だ。まだまだ直線コースで息切れしてなんか居られないのかもしれない。
来年からは「誕生日おめでとう」ではなく
「誕生日を迎えられておめでとう」なんてことにならないように。
コツは、腹を立てないことと、「寂しい思い」をしないことだ。きっとね。

2015年5月26日火曜日

「たわごと」

会社のベランダのプランターに「ゴウヤ」の苗を植えようとして、最近意味もなく伸びている葉っぱとツルを引き抜いた・・・ら、何と地中から「サツマイモ」が。なんで、なんで???どうみても絶対「サツマイモ」だ。なぜベランダに「サツマイモ」なんだか。結構でかいよ。植物の生命力って、すごいね。

自宅のテラスには最近「雀」が集まる。集まる、というより、集めているんだな、コメを撒いて。鳥の糞から、何か珍しい植物が生えてきたら面白いね、という発想で楽しんでいるのだが、サツマイモは論外。チュンチュンうるさいが、見ていて飽きない。そのうち捕まえて、焼き鳥に!(笑)

心豊かになったり、ほっとしたり、想いが暖かくなったり、そんな環境を求めているんだな、きっと。植物にも、小動物にもね。ジジイむさいね、これ。

さっき親しい作詩家から電話があった。「生きてるの?死んだんじゃないかと思って」と言いやがる。「昨日銀座で3軒ほどハシゴしてさぁ、二日酔いというよりも三日酔い」とまだろれつが回っていない。「用事は無かったけどさ、生きているか死んでいるか確認したいから、たまには電話ちょうだいよ」。・・・歳を重ねてくると、どこにでも寂しいやつがいる。そして寂しがり屋は、ちょっと強情で、そしていいやつが多い。

このところ、体力的にもしんどい日々が続いていたが、昨日あたりで一区切り。やれやれと思っていたら、決算の最終的な数字が昨日出て、こころ「沈没」(苦笑)。もう50年も働いたし、とか、今後に展望はあるのか、とか、なにが「高齢者予防接種」だ、とか、ぶつぶつ思いながら小料理屋で一人で飲んだ。銀座でハシゴしていた彼と、なんと対照的なことか(笑笑)

で、ベランダに目をやる。くたびれた風車が時々回っている。風車君は風を待っている。俺は風を待っていてはいけない。「よし、俺が風を作ってやる!」と言い切れたあの日に、帰りたいけど帰れない?のか?。

2015年5月19日火曜日

「命名」

数日前、帰宅したら「イモリ」が2匹家にいた。近所のお祭りで買ってきたんだそうだ。「イモリ」?、あまりなじみが無いような気がするのだが「イモリ」と聞いたので名前を付けてやった。メスは「みゆき」でオスは「ただし」だ。きのう家に帰ったら、一匹ずつ水槽に入っていて、名札がはってあった。「みゆき」と「ただし」。みゆきは分かるが、オスをなぜ「ただし」にしたのかわからない。ま、姿形を見て、「ただし」だと直感したのだろう、その時は。いもりみゆき、と いもりただし。いいいいカップルだ。

我が家の愛犬は「茶々丸子」という。動物病院に行って、名字から呼ばれると長い名前らしい。これも俺が命名した。茶々ならよくある名前。丸子がつくから良い。息子の名前も娘の名前も父親の命名だ。俺の名前だけなんで「典男」なんてせこい名前だよ。生まれた時、近所に「のりこ」という男勝りの女の子が居て、みんなが「男ならよかったのに」と言っていたので「典男」にした、と聞いたことがある。いいかげん!

アズ クリエーションという社名を決めるときには結構時間を要した。AZだからA~Z。ひらがなで言えば あ~ん だ。全部という意味だから、欲張りな名前、という事だが。ペンネームとしてもいろんな名前を名乗った。ほとんどいい加減。「恵方道三(えがたどうさん)」という名前もあった。根拠?「A型父さん」だ。いいかげん!

藤原典男以外に「アズ クリエーション」の名前が一番長くなった。時々パーティーなどで隣席になった方に名刺を差し出すと、「お名前は伺っています」と言われることも多くなった。「アズ クリエーション」という社名は気に入っている。「典男」はどうかね。もう少し、垢抜けた名前は付けられなかったものかね。猿之助とか桃太郎とか牛若丸とかさ。

2015年5月11日月曜日

「今を生きる」

北国では「桜の花」の次は「リンゴの花」という。リンゴの花?思い出せないのだ。リンゴの記憶は、すでに青いリンゴになっていて、それに「袋」を被せる作業は知っている。そして赤く色づく。当時はほとんどリンゴと言えば「紅玉」だった。その紅玉を「まんこ」と呼ぶ(笑)。「まんこりんご」が正しいのかもしれないが、おばさんたちが「まんこ、まんこ」と言うのだ。イントネーションはこれを読んだ人の想像に任せるとしよう。

言いたいのは、「リンゴの花」の記憶がないこと。リンゴは実って初めて「リンゴ」だと思っていたんだろうな・・・子供のころは。遠い記憶だけれど・・・

話は跳ぶが、今度の旅の飛行機のトイレが「ウォシュレット」だった!初めての経験。見つけた時はうれしかったよ!(笑)飛行機の便器に腰掛けながら、時代の変遷を思ったわけさ。で、なぜだかリンゴの花を思い出したりして・・・

この頃なぜか、「生きる」ということを考えてしまう。来月が誕生日で、上京してから50年目という事実に接しているからだと思う。「生きがい」とか「生きる」とか「充実」だとか、さまざまな思いが押し寄せてくる。2,3日前作曲家の「三木たかし」さんの7回忌に出席したが、享年64だと今更知った。今の俺の歳か・・・などと思ったりもする。

「何れ」とか「今度」とか「余裕が出来たら」とかを、禁句にしたい。「早速」とか「今」とか「やっちゃおう!」とか、「すぐに」「任せとけ!」とか、そんな言葉を枕詞にしたいね。

これを書いている途中でSMSメッセージが入った。「昨日、娘の○○が亡くなりました・・・」。そうだよ、「今を生きる」、それが大切なんだよ。

2015年5月6日水曜日

「ちょっぴり激怒」

目的地の駅に着いたのにドアが開かない。ボタンを押すのかと思って「開」のボタンを押したのだが関係ないらしい。駅員がそばに見えたので中から窓をどんどん叩いたのだが、彼はちらっと見て知らんふり。後ろに並んでいた他の客は別のドアへ。社内にはなんの案内もない。普通ではないことに気づきしばらく待つことに。しかし何の案内もない。そしてようやく「踏切があるため電車はバックできません」???「バックできないためこのまま出発します。次の駅で降りて登り線にお乗り換えください」・・・ ・・・何のこと???ドアは開かず、目的地で降りられずそのまま電車は走り出した。

日本人は本当におとなしい。後ろに並んでいた客は何も言わない。いや、状況がみなわかっていないのだ。電車が走りだして社内放送が。「踏切があるため・・・バックできなかったため・・・」云々。これ、説明になっているか?心のない「ご迷惑をおかけしました」の車内放送。戻る電車の案内もない。そればかりか、次の駅が終着なのだが、その先の乗り換えの案内をしている。「こいつ!馬鹿か!」藤原の小さなハートはふつふつと怒りモードに。

で、次の駅に着いたて降りたのだが、どの電車で戻るのかすぐホームで案内もない。ここで「切れた」。一目散に改札の駅員たまり場に向かう。「戻る電車の案内もない!何番線の電車で戻れというのか!」マスクをしたまま若い駅員が「すみません」の連発。「そんなことはどうでもいい!なぜ案内が無いのか!!!」と窓口を叩きながら抗議。戻る電車を聞き出し、「乗って来た電車の車掌は失礼だ!」とかなんとか言って戻る電車が待つ隣のホームへ。ぎりぎり飛び乗った。

いや~久々に切れたよ。しかし、状況説明の出来ないあの車掌、現場から外して研修させるべきだね。因みに電車はJRの湘南新宿ラインだ。結局、運転士は停止ラインをオーバーして停まり、車掌はあたふたするだけで状況説明もできなかった、という事だろうか。ちゃんと案内があれば、藤原、切れたりすることは無かったのにね。仏の藤原だもの(笑)

さて、そうして大型連休も終わる。今日は夕方の打合わせに向けてゆっくり出社予定だったのだが「午前中に打ち合わせをしたい」というメールに「ゆっくり」は叶わぬことに。だが、藤原はそんなことで怒ることもない。だって、仏様のような人なんだもの。

2015年5月2日土曜日

「吉方位」

ブログを始めたころ、あまり個人名を出さない配慮をしていたと思う。誰と会おうがそんなこと人に告げる必要もないし・・・という思いだった。最近、個人名を書くようになった。誰と会った、とか誰と仕事をした、とか。理由?ブログに「記録」という意思を持ち始めたからだ。まさに「日記」のように。なぜ?「忘れる」からだ。あれ~いつのことだっけ・・・で自分のブログを見直す。結構便利(笑)

今日、取材のため練馬方面の「石神井公園駅」という場所に向かった。運転しながら考えた。自分がこっち方面に住む、という可能性はあっただろうか・・・
もう50年ほどだが、上京した時から、なぜか住むなら「山手線」の中、と決めていた気がする。上京してすぐに住んだのが「国分寺」という郊外だった。田んぼや畑があるような。北区の「東十条」という街で暗く暮らしていた頃、山手線の外は「灰色」に感じて好きになれなかった。そしてかれこれ40年近く、山手線の中に住んでいる。取材場所に向かう少しの間、そんなことを考えていた。

周囲にやたらと50周年という人が多い。なぜか今年が特に多い気がする。作詞家も作曲家も。で俺も上京50周年だ。自分の暮らしを「ありがたい」と思うことが多くなってきた。そう、こうしていられることが「ありがたい」という感覚になって来たのだ。やれやれ、歳のせいか?

話は跳ぶが、藤原の「今年の大開運吉方位」という日が4日間あって、3日間は仕事でどこにも出かけれれなかった。そして最後のチャンスが5月5日なのだそうだ。気分の問題だから、5日は吉方位とされている方角に出かけるとするか。「何処」を決めるにはまだ2日ほど時間がある。さて、1日ゆっくり時間を取って、出かけるとするか。きっと開運に恵まれる!山手線の中の様に。(笑)


2015年4月30日木曜日

「素敵な一日の始まり」

昨日、娘夫婦と千葉のバラ園に行った。入園料1,200円だよ、と思ったら、それは5月からの話で4月中は一人300円だという。その違いは?何のことはない、まだ咲いていなかったのだ。だから、青々としたバラであろう塊たちの間を散歩という事になったわけだが。それでも、一部はとてもいい香りを放っていた。満開のバラを想像しながら、優しい気分に浸れることのできたわずかな時間だったが、それはそれで貴重な空間とひと時。

バラ園に行く前に一件取材を済ませてから出かけたのだが、お相手は布施明さん。布施さんとはなぜか今日まで番組でご縁が無かったのだが、一時間ほどの打合わせの時間はもう笑いっぱなし。なんと楽しい人だったことか。その布施さんの面白さを抱えて出かけた今日のうち合わせは「小林幸子」さん。今度番組でご一緒願うのだが、楽しい番組になりそうだ。

しかし、怒涛の4月だった気がする。番組の途中でスタッフが1名欠けてしまったものだから、みんなの作業量が増えたことと、その分藤原のお手伝い個所が増えたものだから、手も気も抜けないという事になっただけなのだが。

番組の隙間で頼まれもののプロモーションビデオの制作をするのだが、昨日は誰も手が無く、藤原がすべてを撮ることになってしまった。ロケハン・画コンテ・監督・運転手・AD、2日間でみんなやったよ。デスクの小池ちゃんを連れて行って、現場の「音出し」だけはやってもらったけど・・・編集作業だけは出来ないから、今他のスタッフにやってもらっている。が、今夜中に完成させなければならないとすると・・・怒涛の4月の延長だ。

で、月末だ。経理系の作業は手つかずだ。

そうそう、今朝、車を点検に出した帰り、会社の会議に間に合うようにタクシーに乗った。「六本木通りに出て、渋谷公会堂の前まで」と言ったのに、運転手は「わかりました」と言いながらカーナビの操作を始めた。「定年になってからタクシーを始めたものですから、まだよくわからなくて・・・」とカーナビ通りに走り始めた。よくしゃべる運転手さんで歌番組の話になった。偶然にも僕が作った番組を沢山見ていたことが判明。藤原よりもシーンを実によく覚えているのだ。「あのシーンに出てきたジャズのお店はどこかなと思っていました」「作詞家の〇〇さんはこんなことを言ってましたね」・・・ ・・・あまりにもよく覚えているから、感心したふりをしていたのだが車はどんどん知らない道へ・・・「今日は女房に自慢が出来ます!」車は一車線の混雑している道へ・・・「そう言えばテレ朝の方から六本木通りとおっしゃってましたね!」・・・もう怒る気にもなれない。イメージよりも15分ぐらい余分な時間タクシーに揺られ、ようやく到着。彼はこう言った。「今日はとてもいい一日です。帰ったら女房に自慢します!お気をつけて!」・・・ ・・・ いい一日の始まりだった。

2015年4月20日月曜日

「春よ来い」

会社のベランの一角に、一株の「一才藤」を小ぶりの鉢に植えておいた。、なんと花が咲き始めたのだ。藤の花というのは藤棚でしか見ていないから、小さな株から花が出てくると、なんだか嬉しい。自宅のテラスでは今年も白いツツジの大輪が咲き始めた。これも春を感じて嬉しい。

なのに毎日雨が続く。今夜から雨風が強くなるともいう。やれやれ、本物の春よ、早く来い。

先日、北島三郎さんにサインをもらった。出会って何十年にもなるのだが、初めて「サインを下さい」と言った。「何処までも 我が路を・・・ ・・・」と書いてくれた。30分ほど二人で話し込んだが結構お疲れモードだったから、無理をしないで欲しい。「頑張ってください」とは言えなかった。みんながそう言うらしいのだが、今更頑張る必要はない。すでに、誰よりも頑張って来たのだから。

俺?まだまだ頑張るんだろうな。まだ60代だし・・・サブちゃんは「70歳を過ぎたら急に疲労度が増すよ」と言っていた。そうか、まだ大丈夫だ。明日も朝早い、明後日も朝早い、その次の日も朝が早い。あぁ、そろそろ休みたい(笑)

今週は、やや地獄だ。あぁ本当の春よ、来い。

2015年4月10日金曜日

「友人の条件」

今日、取材のため歌手の大下八郎さんにお目にかかった。昭和36年の集団就職だ、という話になると、藤原は自分のことを黙っていられなくなる。「いやいや自分の事で恐縮ですが実は僕も昭和41年の集団就職で・・・」とついなってしまうのだ。こんな話になると、扉が大きく開けられたと同じ、急に距離感が縮まって話が弾む。「そう、あの頃は東京がまだこんなんで・・・あの歌がヒットしたころですよね・・・えぇっ!女遊びした事なかったの!?」etc. 時代や環境を共有しているという事は人の距離を一気に近くする。

今日はこれから浜圭介さんとすし屋で落ち合うことになっているのだが、彼と共有するもの?「歌に対する愛情」という言葉がまず一致する。「そこそこ悪だったね」という話も一致する。貧乏だった時代、ずっと母親の面倒を見た話、まだまだ頑張る!という話・・・。浜圭介作曲生活50年、藤原は昭和41年の上京だから、芸能界風数え方をすれば上京から50年だ。50年の歴史の中で、どれだけの人と出会えてきたのだろう。そして、これからどれだけの人と出会えるのだろう。いい出会いは人生の大きな財産だから。

サンクトペテルブルクの友人からメールが届いていた。浜先生はお元気ですか?とあった。友人は日本語学校の先生だから、生徒に浜圭介作品を聴かせている。彼女が来日した時、浜先生と3人で食事をしたのが、彼女にとって大切な出会いになっているらしい。ロシアで日本語の歌謡曲が歌われるのは良いことだ。歌を愛する仲間を感じて嬉しい。

さて、外は寒いのだが、寿司屋へ向かうとするか。一生に、いったい何人の心許せる友人と出会うことが出来るのだろう。損得抜きで、利害の絡まない、そんな関係でいられる友人が・・・サンクトペテルブルクの友人も、一番町に住まう友人も、藤原の人生の中で、大切な友人だ。

2015年4月9日木曜日

「鼻炎大敵」

「俺は鼻炎になんかなったことが無い、アレルギーの検査をしても何もひっかからなかった」と言い続けてきた。本気でそう思っていたのだが、今年は鼻炎がひどい。一ヶ月ぐらい身近にある薬や、家族から分けてもらった薬を飲み続けていたのだが、ちょっと辛すぎるので医者に行った。「去年の6月に来ているけど一回きりでその後来なかったね、直ったの?」とか言われ、あれ?鼻だっけ?耳が詰まって来た、と思い込んでいたのだがどうも鼻炎もあったらしい。薬局に行ったら、「前回と同じ薬です」と言われたし・・・、なんだ鼻炎があったのかよ!

さすが耳鼻科、2日ほどで楽になった。ようやく夜も眠れるようになったし、なぁんだ、早く医者に行けばよかった、と今更ながらに思う訳である。長い間、集中力に欠けたし、酒はまずいし、人間の体は実に繊細で悩ましい。

季節が変わる、という事はさまざまな事象を伴うという事だ。今年も、来年も、その先も。それぞれに耐えられる元気が続くかどうかは別として、何か楽しみを探さなくちゃ!

フィリピンに行って12600 人を買春した64歳という男の記事を目にした。年に3回フィリピンに行き、26年間続けたとあった。12600 人を26で割ったら、484人。毎日頑張っても無理なのに、484人を年3回の渡航でどうしたの?と単純に思ったりして(笑)なんと、藤原はわざわざ電卓を出して、このニュースに反応したのである(笑)。昔、「24000回のキッス」という歌が流行ったが、「♪一秒のキッスを一日続ければ24000~」という歌詞なのだが、この時も計算したっけ。思わずそのことを思い出したのである。(同年代とはいえ、彼は女を愛するということを知らない哀れな男だ。)

俺が探している楽しみとはこんなことか?違う違う。でも、この記事に出てくる数字が、「間違いである」と誰か突き止めて欲しいね。どう計算しても不思議だもの。相手にした女性も~70歳までだと。どうでもいいと言いながら、こんなネタを、なぜか取り上げているボク。

さて、鼻のつまりも改善したし、真っ直ぐ帰るか・・・寄り道するか・・・

2015年4月3日金曜日

「桜に想う」

4月5日が会社の創立記念日だ。22年目を迎えることになる。毎年意識しているのに、昨日まで忘れていた・・・慌ただしかったから、なのか、はてさて・・・

今日は風が強く、桜は大丈夫なのかな?この時期、毎年言っているような気がするのだが、桜がいつ咲いていつ終わるのか、気が付いたら終わっていた、などと。だが、今年は先日出かけた広島県・大竹市の亀居城というお城でたっぷりと桜を観てきた。まだ、満開ではなかったのだが、何年ぶりだろう・・・と思うほど桜を観た気がする。桜の花びらの寿命は一週間だという。そのあいだならば、桜は雨にも負けず風にも負けないらしいが、どの段階から一週間なんだろうね。何れにしろ東京の桜は間もなく終わる。

明日娘が引っ越しをする。結婚して新居を構えたので引っ越すのだが、どうも実感が無い。結婚式がまだなことと、5年間も海外に居たので、居なくなることに慣れているせいかもしれない。しかし、確実に時間が過ぎ、状況が変わっていくことを認めざるを得ない。そんなこんなで、また会社創立記念日を迎えるのだ。

そういえば、先日「年金」について書いたが、もっとひどい案内が来た。「高齢者」が受ける肺炎かなんかの予防接種の案内状だ。「高齢者」という文字を見て、放ってある。65歳以上は何年かに一度受けるのだそうだ。しかし「高齢者」という呼び方が気に入らない。これは本当に気に入らないのだ。一括りにされてたまるもんか!などと思ってしまう。(苦笑)

さて、明日の土曜日、桜は枝にあるのだろうか。寿命は短いが、実はたくましいのが桜ではないだろうか。薄くて柔らかでか弱そうに見えるが、毎年巡りくるこの季節の「主役の座」を守り続けているのだから。

2015年3月28日土曜日

「現在・過去・未来」

なかにし礼さんにショートメールを送ったら、電話があった。思ったよりもお元気で、一安心。手術の2日前にインタビューロケをしたのだが、手術の事は一言も話されなかったので「お元気そうで何よりでした!」などと気軽に別れたのだが。その2日後にガンの手術をされたということはニュースで知った。礼さんは「男の中の男だ」と改めて思う。

その礼さんに出演していただいた「北島三郎78歳の挑戦」が一昨日放送された。わが社の制作ではないのだがコーディネーターとして参加した。番組表記は「取材協力」という事になったのだが。何れにしろ長丁場だった番組は無事放送され、我が社が制作した「博多座最終公演」は今日放送される。今月はまさに「サブちゃん漬」の毎日だったと思う。クラウンから発売されるDVDも作ったから、頭の中がごちゃごちゃになるぐらいサブちゃんの映像を見た事になる。ありがとう!サブちゃん。

そんなあわただしさの中、息子がイギリスに旅立った。留学だから、2年になるのか3年になるのか・・・2年ほど前、娘が帰って来たばかりなのに、また留学生の父だ。老後はどんどん遠くなる。(苦笑)でも、サブちゃんも78歳になってもあんなに頑張っているしなぁ・・・とここでまたサブちゃんが役に立つ。サブちゃん!ありがとう。

次の番組のために、昨日「秋川雅史」さんと打ち合わせをし、さっきは「ささきいさお」さんと打ち合わせをしてきた。二人とも人間的にもとても素敵な方で、いろんな方とお目にかかる事がとても刺激になる。頑張っている人のパワーに触れるのがいい。

その一方で訃報もよく届くようになった。7回忌の法要にお招き、といった種類の情報も多い。今日は「三木たかし」さんの7回忌の案内が届いた。30日からは「石本美由起」さんの7回忌に使う映像制作のため広島にロケに行く。現在・過去・未来。そのさまざまが、毎日行き交うのだ。

2015年3月11日水曜日

「俺は爺じゃない!」


東京の今日は穏やかで暖かくていい一日だった。が、岩手では積もるほどの雪だという。春の本番は、いつ、どこからなのだろう。桜の開花情報なども出始めた。立ち止まることを知らない時間が容赦なく流れていく。

「年金申請書」なる書類が届いた。なにこれ?とうそぶいてはみたものの、自分宛てなのは確かだ。年金?冗談じゃねぇえよ、おれはそんな歳じゃない!と思っているのは自分だけか・・・ ・・・葉書一枚ハンコを押して届出、という訳にはいかないらしい。なんと15ページもある「書類」だった。だった、という意味は、働いている自分にとって、あまり現実的ではないから社労士さんに記入を頼んでしまったからだ。「俺は年金暮らしだから・・・」という日常には、まだまだ遠いぞ俺は!!!と、いきがってみるとしよう。

昨日、近所の馴染みのすし屋の奥さんから電話があった。「のりちゃん、今月いっぱいで店を閉めることにしたのよ・・・」女将さん72歳、親父さん75歳、年齢的には仕方がないのかもしれないが、周囲に、現役を去るという人が増えてきた。「マスターは?」「今病院に行っている」「病気?」「店をたたむと決めてから精神的に辛そうで、今点滴を打ちに行っている」「店という目標が無くなってしまったら、マスターしんどいよね」などという会話をしながら、改めて早すぎる時の流れを認めるしかなかった。もう一軒の馴染みのすし屋の親父もいい歳だし。そんなことを考えているとなるべく若い知り合いを作っておかなくては、と思ったりする。(笑)

社内は少し若返った。新しいスタッフ2名は20代。この年頃、俺はどうだったかなぁ、などと思い出すのも楽しい。悪かったし、貧乏だったし、女たらしだったし、呑兵衛だったし。ハチャメチャとは言わないが、それに比べたら今どきの人は本当に「いい子」だ。

などと、言うことがだんだん爺むさくなってきた!(笑)
だから、「年金申請書」が来るんだよ!

2015年3月4日水曜日

「深~い想い」

会社の机の周りに、娘の写真が貼ってある。それも何枚も。小学生の写真、中学、成人式、ロンドン時代・・・「パパ誕生日おめでとう」とか「パパお弁当だよ ありがとう」など、娘が書いてくれたメッセージも貼ってある。ベタベタと。

そんな娘が昨日結婚した。入籍した、というのかな。今はまだ我が家に彼と居るから、嫁に行ったとか嫁に出したという感覚は無いのだが、とにかく結婚した。彼は普通に朝、行ってきま~す、と言って出かけ、「ただ今」と言って我が家に帰ってくる。新居が見つかるまでの仮住まい、という名目なのだが、当たり前のように当たり前の空気で我が家に住んでいる。から・・・住人が一人増えただけ・・・ということかな。

ずっと以前から、娘が嫁に行く姿を想像しただけで涙を流したものだ。娘はそれをよく知っているから、今のところ親父を泣かせてはいない。結婚式?涙を受け止めるバケツが必要だ、きっと。

映像の仕事をしているが、思い出を辿るのは「動画」より「スチール」の方がいいと思う。いろんな場面や状況を想像したり空想する楽しみがあるからだ。写真を撮ったこの時、どんなことを考えていたのかな・・・ここはどこだ?あぁ凱旋門の上だ、あのあと、何食ったっけ・・・

娘の写真だけ?いやいや息子の写真も一枚だけ貼ってある(笑)。藤原が爪先立ちをして撮っているから、俺の方が身長が高い。まだ、そんなことが出来た時代だ。

さてさて、感慨にふけってばかり居てどうする!仕事しろ仕事!
でもね、今日はもう、仕事モードには戻れない気がする。ま、いいっか。メールが来ていたから「味宏」にでも行くか。70ン歳のママの店に!娘が結婚したよ~~~って言いにね。

2015年2月28日土曜日

「笑いましょう!」

家のテラスに小鳥小屋のようなものをしつらえて、小鳥を待っていた。なかなかいい景色なのだ。ボーっと見ながら何かを言おうとした。〇〇〇がね、(言葉は忘れた)・・・ ・・・なんとなく暖かな気分で小鳥を待っていたら、何を言おうとしたのか忘れた・・・「あれ、何を言おうとしたんだっけ」・・・

キッチンに向かった。流しの前まで行き「あれ、なにしに来たんだっけ・・・」
「あれ、さっきメガネこの辺に置いた気がしたんだが・・・」「あれ、メガネは?どこだっけ・・・」

携帯電話も最近よく忘れる。以前はバイク便を出して持ってこさせたりしたもんだが最近は「いいやいいや別に一日ぐらい」
社員を呼ぼうとして、とっさに名前が出てこず、一瞬ボードの名札に目が行く。で、おい〇〇!!!

先日、高野と片野を間違えた。何が起こったかって?片野君という人物に電話をしようとして携帯で番号を探す。片野に電話しようとしているのに高野を探してしまう。で、片野と思い込んで高野に電話をした。(片野とは以前在籍していたスタッフで僧侶でもある)

「もしもし、お父さんですよ、頭の悪いお坊さんですか」(これはふざけている)
高野 「あ、はい」
藤原 「しばらくだね、ちゃんと勉強しているのか、おまえ頭悪いんだから、税理士なんか目指すのやめたら!」
高野 「あ、はい」(この辺でなにやら相手の声がステレオで聞こえ始めたことに気が付く)
藤原 「おまえ、どうしたの、いつもより声が低いし、のりが悪いね」

高野 「あの~」とかなんとか言ったところで、藤原は名古屋にいる「片野」ではなく、隣の部屋にいる社員の「高野」に電話していることにようやく気が付く!  

で、どうなった? 笑ってごまかした。 ははは、今思い出しても、笑える・・・


2015年2月24日火曜日

「出会い」

昨日、久しぶりで「なかにし礼」さんに会った。会うなりCDをもらった。このところ話題になっている「なかにし礼と12人の女優たち」だった。包装が破られていたのは「中にサインをしておいたから」という理由からだったが、嬉しかったな。かなり元気そうだったし。病気を克服して禁酒されたから、もう一緒に飲むこという事は無いだろうが、いつまでも、なるべくなるべく元気でいてほしい。歌謡界の大きな財産だし、なんといっても稀有な存在だからだ。

なかにしさんは、石原裕次郎との出会いが作詞家として羽ばたくきっかけだった。藤原は、北島三郎さんとの出会いがこの業界に居るきっかけとなった。北島さんは作曲家・船村徹と出会ったから北島三郎になった。そう、人生は「誰」と出会うかによって、進むべき道が出来ていくのだとつくづく思う。そう、誰と出会うかが大切なのだ。

一昨日、山梨県の韮崎市にある中学校を訪ねた。こんど収録する番組に合唱で出てくれる生徒たちの練習を見に行ってきた。生徒たちにいろんな話をしながら、今日の出会いが、子供たちにとっていろんな刺激になる場合もある・・・という思いがよぎったりして。でも、合唱をやるような子供たちだから、可愛いよ。3声のハーモニーで参加してもらうのだが、一番下のハーモニーの男の子たちの音が違っていたが、OK!OK!頑張って!といって帰ってきた(笑)。コンクールじゃないんだし、いいよいいよ、明るく楽しく参加して!   いい出会いだった。

歳を重ねると、新たな出会いのチャンスが減ってきているような気がする。多分、数の問題ではなく刺激の問題だと思うのだが。人生に慣れてしまうと、出会いに限らず物事の刺激が乏しくなってくる。さて、何に刺激を求めようか・・・ドキドキするような「出会い」かな?(笑)



2015年2月13日金曜日

「大切な時間」

昨日もしこたま飲んだらしい。朝5時30分ごろまでソファーで寝ていた。最後のワインはやめたんだけどなぁ・・・。

酒席で、NHKの仕事を始めてから、忘れられない3つの学びがあるという話をした。
その① 川崎さんに指摘された「電話を切るのが早すぎる」その②秋本さんに指摘された「自分の社員を《あいつら》 と言ってはダメ」その③池田さんの指摘(藤原がポケットに手を入れて話をしていたら、そっと寄ってきてポンポンと手で合図をして手を出すように指示をしてくれた)・・・という3つの教訓だ。小さなことのようだが、何れも藤原の人格に影響を与えていると思う。そんな話で盛り上がったものだから、飲みすぎた!(言い訳にもならない(笑))

作曲家の浜圭介さん、上記の池田さん、TXのプロデューサーと藤原、男4人であんな長い時間何を話していたんだろうね。6時に集合、浜さんはいつも早いから5時45分には始めたけど、2軒目の店を出たのは何時だろうか(2軒目は二人)・・・でも、娘は起きていたような気がするから、そんなには遅くないはずだが、自分の部屋にはいかずなぜかソファーで寝ていた・・・誰か起こせよ!(苦笑)

40代まではいわゆる「ハシゴ」が大好きだったから、2軒目の店に入るとすでに次の店の話をしていたほど。あれって、なんだったんだろうね。12時前に帰るオジサンたちが信じられない、と思っていたのに、今はそのオジサンの仲間だ。だが時々こうして12時を回ってしまう。

でも、12時を回ってしまう店は決まっているのだ。20代から通っていた六本木の小さな店「プチポア」。ここの親父と長いものだから、昔話が出るとつい長居になってしまう。小さなピアノがあるものだから、弾きはじめたりするとまたまた長くなる。この店は若い頃、金が無くても飲ませてくれた。ブラっと立ち寄って、ピアノでお客の歌の伴奏をすると、親父は「今日はいいよ、飲み代」と言ってくれるものだから、ダダ酒をしこたま飲んだ。そんな恩義があるものだから、この店は藤原にとって大切な一軒でもある。

大切な人の言葉、指摘、大切な店、大切な人、大切な歌、大切な本・・・自分の身の周りで、「大切」という冠をつけて表現できるもの・・・いくつあるのだろうか。「大切な飲酒の時間!」。くらなんでも、これは却下だな。

2015年2月9日月曜日

「善喜と高貴」

友人から、今年から後期高齢者になります、というメールが来た。なんだかよくわからない高齢者の区分けだ。何が後期高齢者だ、失礼な分け方だ。そこで、こう提案したのだ。「善喜高齢者」と「高貴高齢者」だと。ははは、これで一件落着!(笑)

しかし、高齢者というのは何歳から?高齢者だなんて考えたこともないし…ま、フシブシがやや痛むとか瞬発力に欠ける、という事はあるけれど、高齢者などと一括りにするのはやめてほしい!と言っても無駄な抵抗かもしれない。ま、せいぜい若ぶることとしましょうか。

最近自宅のテラスに「ヒヨドリ」がやって来る。他の小鳥もやって来る。どうも、家族が餌でおびき寄せているらしいのだが、昨日の日曜日、何気に鳥たちをボーっと観ていた。「老人になったら、こうして日がな一日、小鳥を観ていても飽きない暮らしという日が来るのだろうか・・・」などと思いを巡らせてしまった。。。想像も出来ないが、そんな日が来るのかもしれない。高貴高齢者になったら(笑)

今日まで、一本道を歩んできたとは言えない。むしろ、脇道が多かったような気さえする。心根も一筋、一途だったとは言えない。だが最近、何かに書き物をする時、「一途」と書くことが多い。そう、人は一途になれるのがいい。それは前期でも後期でもだ。もちろん、善喜でも高貴でも。そしていつかその日が来たら役所に言ってやる。「馬鹿もん!俺を高齢者呼ばわりするんじゃない!」ってね。

2015年2月4日水曜日

「天国からの葉書」

「〇〇〇〇儀 〇月〇日 永眠いたしました。生前何かとお世話になりましたこと・・・」藤原への宛名が書かれた葉書にこう記されていた。〇〇儀とは葉書を書いた本人だ。つまり、「自分が死んだ」という通知ハガキを自分で書いているのだ。

昨日届いた封書の中にこの葉書は入れられていた。
「1月14日に妹は亡くなりました。遺書と一緒に、藤原様を含めた何人かに宛てた葉書があり、自分が死んだら出してほしいと書き添えてありました・・・」と、お兄さんからの手紙だった。なぜ?なぜ?

彼女の夫は藤原の10代からの友人だった。二人の結婚式の司会もした。だが、彼は3年前、病気を苦にして11階から飛び降りた。あれから3年ほど、残された彼女には新たな人生を歩んでほしいと願っていたのに。去年電話した時、彼女は石垣島に居た。「彼とよくダイビングのために出かけた場所です、これからみんなで食事に行くの」と言った。友人が沢山居るとも言っていた。古い付き合いの人間があまり関わったら、女性は新たな羽ばたきをしにくいのかも・・とその時思った。だから、年賀状も迷った結果出さなかった。彼女からも来なかった。「やっぱりね・・・」そんな気持ちでいた。

それが、正月14日に命を絶っていたなんて・・・

なんで「辛いとか、苦しいとか、寂しいとか、話してくれなかったの・・・」と悔やんでも、もう遅い。おせっかいにならないよう、押しつけにならないよう、遠くから見ていればいい、と思っていたのは間違いだったのだろうか。せめて、安らかに眠ってほしい。でも〇〇ちゃん迄、死ぬことはないだろう!!! 
馬鹿野郎!!!
節分の日に届いたメッセージは「天国からの葉書」だった。

2015年1月30日金曜日

「北島三郎最終公演」

「昨日29日、「北島三郎・博多座最終公演」の舞台に立ちあった。27日に収録準備、28日仮収録、29日本番収録と、3日間博多座に通ったことになる。この舞台を観るのもこれが最後か・・・そんな思いを抱えて臨んだ3日間だった。

最終日は泣くことになるんだろうな・・・予感はしていたがやはり泣いた。他のスタッフは最初から藤原は泣く、と宣言していたが。北島スタッフも、藤原さんは泣く!と言いまくる。なんで俺をそんなに泣かせたがるの?(笑) 最終日、ずっと舞台袖で観ていた。舞台で歌っている姿や、華やかなステージに特別な感傷は無かった。ところが、ステージの途中、着替えをする場所で、次の出番を待っている後姿を見ていたら、ボロボロ泣けてしまった。昨年亡くなった末弟への感情とだぶってしまった。

北島さんとは、昭和42年の出会いだから、あれから47、8年になる。最後のドキュメンタリーは俺が創る!と言い続けてきたのだが、ドキュメンタリーは叶わなかった。だが、この手で最終公演を収録することは出来た。有終の美を飾る北島を撮りたい!形は変わったが一応その願いは叶ったのだ。思い出が多すぎて、なかなか整理が難しい。自分のなかでも、何かが一つ終わったような気がして、その方が危険だ。だが北島さんはこう言った。「この公演は終わったけど、明日から新たな出発です」とも言った。真似、出来るだろうか・・・

北島スタッフが「次は藤原さんが創るんですよね、最後の最後は藤原さんが撮るんですよね」と何度も言った。「先生だって新たな旅立ちと言ったじゃないですか」と藤原の顔を覗き込んだ。78歳と64歳、俺、負けている・・・

己の人生を考えてしまう、「北島三郎最終公演千秋楽」の短くも長い一日・・・が終わった。

2015年1月20日火曜日

「イチゴ」

「イチゴ」の花言葉は「愛情」「幸せな家庭」だそうだ。「イチゴ」に花言葉?花か?などと野暮なことは言わないこととしよう。何れにしろ、2015年は15にかけて、「イチゴ年」と位置付けているらしい。若い頃、毎日大量に酒を飲んでいて、毛穴の開いた藤原の鼻をみて「イチゴみたい」と言ったおばさんが居た。あの日から自分の中に「イチゴ」は飲んだくれた「藤原の鼻」というイメージが定着してしまった。「愛情」とか「幸せな家庭」とはほど遠い!(笑)。先日家族で「イチゴ狩り」の話がでて、急にこの話を思い出した。身体の欠点やあまり好ましくない特徴を、言葉にしてはならない!30年前の事をこうして覚えているのだから・・・ね。

何れにしろ、大概のものはシーズンを問わず通年食べられる時代になった。食べ物だけではない。花もそうだ。カサブランカは夏だと思っていたから、代わりに「白いユリ」でいいや、と馴染みの花屋に注文したら、一年中ありますと笑われた。事前に調べて、知ったつもりで注文したのに・・・なぁんだ、いつでもあるの・・・季節感、ないね。

全ての物事に深みが無くなった、と感じるのはこの辺にあるのだろうか。コミュニケーションが必要なことも、メールなどのただの情報の交換になり、歌さえ、ただの情報でしかなくなったと感じてしまう昨今。味覚や食感が季節を忘れて通年になってしまったことで、「感動」とか「感激」とかが失われていくように、心への刺激も、指先やのど元で終わってしまうような、そんな気がする。深いところまで、届かないのだ。歌もね。

イチゴから、だいぶ話がそれた。「あまおう」「とちおとめ」「スカイベリー」いろいろな品種があるらしい。そう言えば、お使い物によく「イチゴ大福」をつかう。新聞で知ったが「苺一縁」というイベントがあるらしい。このネーミング、いいよね。「苺一縁」、イチゴで縁が繋がりますように。

2015年1月15日木曜日

「ははは、ごめんなさい」

タイ焼きの中があんこではなく、チョコレートというタイ焼きがあった。番組のコーナーで、鳥羽一郎さんと大江裕君がそのタイ焼きを食するシーンがあった。(食わすつもりはなかったのだが)アナウンサーが本番中に食することを促したものだから、二人はパクリ。二人ともアンコだと思っているから、食べた瞬間その顔ったら!収録が終わって鳥羽さん「おれ、チョコレート嫌いなんだよ!」。ははは、ごめんなさい。

この番組で作曲家の浜圭介さんに出演を願い2曲歌ってもらった。なかなかTVには出ない人だから、この局に出演するのはもちろん初めて。歌は絶品だった。だが、一点だけ注文した。「一番最後の歌い方、そこだけ自己主張しているみたいだから、もっとさらっと歌ったほうがいいとおもう」。彼はその通りに歌って、本番を終えた。スタッフはみんな聞き惚れた。だが、彼は本当に大物だ。藤原の注文をさらっと聞き入れてしまうのだから。ははは、ごめんなさい。

この収録の後、局のプロデューサーと飲みに出かけてしこたま飲んだらしい。朝6時半に気が付いたら、コートもスーツも着たままベッドの下の床に寝ていた。11時からリハーサル・・・現場に入った時点でまだ酔っていた。ペギー葉山さんと菅原洋一さんに「語り」の録音の注文をする。原稿は書いておいたが二人とも原稿を見るのは初めて。ペギーさんはさすが情感たっぷりに語ってくれてすぐOK。菅原さん?「俺へタだから」とご本人が言うようになかなかピタッとこない。で、藤原がこういう風に、と語ってみる。菅原さん、「もう藤原さんがやったら・・・男ならだれでもいいでしょ」と泣き言を。だめだめ、菅原さんじゃなきゃ成立しないんだから!と語っていただき何度か駄目出し!藤原かなり強気。だってまだ酔っていたから。ははは、ごめんなさい。

そんなこんなで、毎日が過ぎていく。

2015年1月12日月曜日

「すぐ眠る社員」

ロケハンや取材や緊急対応やいろんな場面で藤原が車を運転し、社員が助手席に座るというシーンがある。普通、社長と一緒、二人きりなのだから社員は少しばかり緊張するはずだ・・・と思っているのは藤原ばかり。みんな走り始めると、いつの間にかしっかり眠る。OもSもUもWもだ。

すぐ眠るから、クラクションを鳴らさないようにとか、乱暴な運転をしないようにとか、こちらが遠慮して運転に注意する始末。Sなんか、眠っていたことを隠そうとして、いきなり携帯電話を取り出して訳の分からない意味不明の操作を始めたり・・・(いいんだよ、寝てろよ)先日Oは、現場まで熟睡をし、着いたよと言ったら「一瞬で着きました!」だと。

さて今日も夜中の12時になろうとしているのに、まだ明日の収録の準備をしている。朝、早いのにいつ寝るんだよ!ってな感じだから、車の中ぐらい、ゆっくり寝かしてやろうと思ってしまう。しかし、社員は藤原が60歳過ぎていることを忘れているようだ。同じペースで仕事をしていても、誰も労わってくれようとしない(苦笑)今日は良く働いた。明日の収録の準備をし、明後日のリハーサル用の台本を作り、2月の歌番組のラフ構成をつくり、そして今からPVの完成試写をして終わりだ。さっき家に電話をして晩飯を頼んだが「今日はあまり遅くならないから」と言って電話を切ってから、じゃぁ遅いというのは何時だ?と自問自答したりして・・・もう夜中だよ・・・

新入社員のT君、いきなり過酷な現場で大変だ。頑張れ。すぐ眠る社員になれよ!

2015年1月5日月曜日

「反則切符」

「横断歩行者等妨害等」 (補足 歩行者を立ち止まらせた)不注意による確認義務不履行119と言う反則切符を受け取って、今日の会社始業日は始まった。若い白バイのお巡りさん・・・「50メートルほど手前の横断歩道で、3人の歩行者を立ち止まらせましたね」「???」「一人はジャンパー姿で二人は黒い服を着ていて、ジャンパーの人は待っていましたが、黒い服の人は渡ろうとしていました」「・・・???」。テレビ東京に年始に行く途中だった。社員と会話はしていたが、横断歩道とか歩行者だとか、まったく記憶にない。会社を出るとき、かなりイライラしていたから、それが原因なのかもしれない、が歩行者なんて居た?ってな感じ。50メートル以上走ってから言われてもなぁ。その場でサイレン鳴らせよ!と、うだうだ言っても始まらないのだが、新年早々イライラするな!「戒めッ」てなことだ、きっと。

さて、会社の今年が始まった。13日の収録の台本もこれから。14日のコンサートリハに向けた台本もこれから。やれやれ、また現実がやって来た!(苦笑)

正月3が日何をしていたか・・・1日はいつものように近くの神社に初もうで。氏神様の西向天神社と新宿の花園神社に参拝。これでいち日がほぼ終わったかな。2日は会社に来て年賀状など雑用。働いているスタッフに「お年玉」を渡して、これでほぼ終わり。3日は何をしていたかなぁ・・・夕方デパートに出かけたのだがこれでほぼ終わり。4日は会社に来て「お年賀」の買い出しと、月末の番組の構成打合わせをして、ほぼ終わり。・・・これだもの、正月と言っても・・・。

で、今日は5日始業日。10時からの会議だったのだが、10時10分前に会社に居たのは藤原含む2人のみ。寝坊組、失念組、電車遅延組、という事で藤原には「イライラお叱り始業式」スタートとなってしまったわけ。それが結果「反則切符」になる訳で・・・。藤原、まだまだ修行が足らないね。

これってぐちかなぁ・・・と愚痴ってみる。はい、おしまい!(笑)