2015年1月30日金曜日

「北島三郎最終公演」

「昨日29日、「北島三郎・博多座最終公演」の舞台に立ちあった。27日に収録準備、28日仮収録、29日本番収録と、3日間博多座に通ったことになる。この舞台を観るのもこれが最後か・・・そんな思いを抱えて臨んだ3日間だった。

最終日は泣くことになるんだろうな・・・予感はしていたがやはり泣いた。他のスタッフは最初から藤原は泣く、と宣言していたが。北島スタッフも、藤原さんは泣く!と言いまくる。なんで俺をそんなに泣かせたがるの?(笑) 最終日、ずっと舞台袖で観ていた。舞台で歌っている姿や、華やかなステージに特別な感傷は無かった。ところが、ステージの途中、着替えをする場所で、次の出番を待っている後姿を見ていたら、ボロボロ泣けてしまった。昨年亡くなった末弟への感情とだぶってしまった。

北島さんとは、昭和42年の出会いだから、あれから47、8年になる。最後のドキュメンタリーは俺が創る!と言い続けてきたのだが、ドキュメンタリーは叶わなかった。だが、この手で最終公演を収録することは出来た。有終の美を飾る北島を撮りたい!形は変わったが一応その願いは叶ったのだ。思い出が多すぎて、なかなか整理が難しい。自分のなかでも、何かが一つ終わったような気がして、その方が危険だ。だが北島さんはこう言った。「この公演は終わったけど、明日から新たな出発です」とも言った。真似、出来るだろうか・・・

北島スタッフが「次は藤原さんが創るんですよね、最後の最後は藤原さんが撮るんですよね」と何度も言った。「先生だって新たな旅立ちと言ったじゃないですか」と藤原の顔を覗き込んだ。78歳と64歳、俺、負けている・・・

己の人生を考えてしまう、「北島三郎最終公演千秋楽」の短くも長い一日・・・が終わった。

2015年1月20日火曜日

「イチゴ」

「イチゴ」の花言葉は「愛情」「幸せな家庭」だそうだ。「イチゴ」に花言葉?花か?などと野暮なことは言わないこととしよう。何れにしろ、2015年は15にかけて、「イチゴ年」と位置付けているらしい。若い頃、毎日大量に酒を飲んでいて、毛穴の開いた藤原の鼻をみて「イチゴみたい」と言ったおばさんが居た。あの日から自分の中に「イチゴ」は飲んだくれた「藤原の鼻」というイメージが定着してしまった。「愛情」とか「幸せな家庭」とはほど遠い!(笑)。先日家族で「イチゴ狩り」の話がでて、急にこの話を思い出した。身体の欠点やあまり好ましくない特徴を、言葉にしてはならない!30年前の事をこうして覚えているのだから・・・ね。

何れにしろ、大概のものはシーズンを問わず通年食べられる時代になった。食べ物だけではない。花もそうだ。カサブランカは夏だと思っていたから、代わりに「白いユリ」でいいや、と馴染みの花屋に注文したら、一年中ありますと笑われた。事前に調べて、知ったつもりで注文したのに・・・なぁんだ、いつでもあるの・・・季節感、ないね。

全ての物事に深みが無くなった、と感じるのはこの辺にあるのだろうか。コミュニケーションが必要なことも、メールなどのただの情報の交換になり、歌さえ、ただの情報でしかなくなったと感じてしまう昨今。味覚や食感が季節を忘れて通年になってしまったことで、「感動」とか「感激」とかが失われていくように、心への刺激も、指先やのど元で終わってしまうような、そんな気がする。深いところまで、届かないのだ。歌もね。

イチゴから、だいぶ話がそれた。「あまおう」「とちおとめ」「スカイベリー」いろいろな品種があるらしい。そう言えば、お使い物によく「イチゴ大福」をつかう。新聞で知ったが「苺一縁」というイベントがあるらしい。このネーミング、いいよね。「苺一縁」、イチゴで縁が繋がりますように。

2015年1月15日木曜日

「ははは、ごめんなさい」

タイ焼きの中があんこではなく、チョコレートというタイ焼きがあった。番組のコーナーで、鳥羽一郎さんと大江裕君がそのタイ焼きを食するシーンがあった。(食わすつもりはなかったのだが)アナウンサーが本番中に食することを促したものだから、二人はパクリ。二人ともアンコだと思っているから、食べた瞬間その顔ったら!収録が終わって鳥羽さん「おれ、チョコレート嫌いなんだよ!」。ははは、ごめんなさい。

この番組で作曲家の浜圭介さんに出演を願い2曲歌ってもらった。なかなかTVには出ない人だから、この局に出演するのはもちろん初めて。歌は絶品だった。だが、一点だけ注文した。「一番最後の歌い方、そこだけ自己主張しているみたいだから、もっとさらっと歌ったほうがいいとおもう」。彼はその通りに歌って、本番を終えた。スタッフはみんな聞き惚れた。だが、彼は本当に大物だ。藤原の注文をさらっと聞き入れてしまうのだから。ははは、ごめんなさい。

この収録の後、局のプロデューサーと飲みに出かけてしこたま飲んだらしい。朝6時半に気が付いたら、コートもスーツも着たままベッドの下の床に寝ていた。11時からリハーサル・・・現場に入った時点でまだ酔っていた。ペギー葉山さんと菅原洋一さんに「語り」の録音の注文をする。原稿は書いておいたが二人とも原稿を見るのは初めて。ペギーさんはさすが情感たっぷりに語ってくれてすぐOK。菅原さん?「俺へタだから」とご本人が言うようになかなかピタッとこない。で、藤原がこういう風に、と語ってみる。菅原さん、「もう藤原さんがやったら・・・男ならだれでもいいでしょ」と泣き言を。だめだめ、菅原さんじゃなきゃ成立しないんだから!と語っていただき何度か駄目出し!藤原かなり強気。だってまだ酔っていたから。ははは、ごめんなさい。

そんなこんなで、毎日が過ぎていく。

2015年1月12日月曜日

「すぐ眠る社員」

ロケハンや取材や緊急対応やいろんな場面で藤原が車を運転し、社員が助手席に座るというシーンがある。普通、社長と一緒、二人きりなのだから社員は少しばかり緊張するはずだ・・・と思っているのは藤原ばかり。みんな走り始めると、いつの間にかしっかり眠る。OもSもUもWもだ。

すぐ眠るから、クラクションを鳴らさないようにとか、乱暴な運転をしないようにとか、こちらが遠慮して運転に注意する始末。Sなんか、眠っていたことを隠そうとして、いきなり携帯電話を取り出して訳の分からない意味不明の操作を始めたり・・・(いいんだよ、寝てろよ)先日Oは、現場まで熟睡をし、着いたよと言ったら「一瞬で着きました!」だと。

さて今日も夜中の12時になろうとしているのに、まだ明日の収録の準備をしている。朝、早いのにいつ寝るんだよ!ってな感じだから、車の中ぐらい、ゆっくり寝かしてやろうと思ってしまう。しかし、社員は藤原が60歳過ぎていることを忘れているようだ。同じペースで仕事をしていても、誰も労わってくれようとしない(苦笑)今日は良く働いた。明日の収録の準備をし、明後日のリハーサル用の台本を作り、2月の歌番組のラフ構成をつくり、そして今からPVの完成試写をして終わりだ。さっき家に電話をして晩飯を頼んだが「今日はあまり遅くならないから」と言って電話を切ってから、じゃぁ遅いというのは何時だ?と自問自答したりして・・・もう夜中だよ・・・

新入社員のT君、いきなり過酷な現場で大変だ。頑張れ。すぐ眠る社員になれよ!

2015年1月5日月曜日

「反則切符」

「横断歩行者等妨害等」 (補足 歩行者を立ち止まらせた)不注意による確認義務不履行119と言う反則切符を受け取って、今日の会社始業日は始まった。若い白バイのお巡りさん・・・「50メートルほど手前の横断歩道で、3人の歩行者を立ち止まらせましたね」「???」「一人はジャンパー姿で二人は黒い服を着ていて、ジャンパーの人は待っていましたが、黒い服の人は渡ろうとしていました」「・・・???」。テレビ東京に年始に行く途中だった。社員と会話はしていたが、横断歩道とか歩行者だとか、まったく記憶にない。会社を出るとき、かなりイライラしていたから、それが原因なのかもしれない、が歩行者なんて居た?ってな感じ。50メートル以上走ってから言われてもなぁ。その場でサイレン鳴らせよ!と、うだうだ言っても始まらないのだが、新年早々イライラするな!「戒めッ」てなことだ、きっと。

さて、会社の今年が始まった。13日の収録の台本もこれから。14日のコンサートリハに向けた台本もこれから。やれやれ、また現実がやって来た!(苦笑)

正月3が日何をしていたか・・・1日はいつものように近くの神社に初もうで。氏神様の西向天神社と新宿の花園神社に参拝。これでいち日がほぼ終わったかな。2日は会社に来て年賀状など雑用。働いているスタッフに「お年玉」を渡して、これでほぼ終わり。3日は何をしていたかなぁ・・・夕方デパートに出かけたのだがこれでほぼ終わり。4日は会社に来て「お年賀」の買い出しと、月末の番組の構成打合わせをして、ほぼ終わり。・・・これだもの、正月と言っても・・・。

で、今日は5日始業日。10時からの会議だったのだが、10時10分前に会社に居たのは藤原含む2人のみ。寝坊組、失念組、電車遅延組、という事で藤原には「イライラお叱り始業式」スタートとなってしまったわけ。それが結果「反則切符」になる訳で・・・。藤原、まだまだ修行が足らないね。

これってぐちかなぁ・・・と愚痴ってみる。はい、おしまい!(笑)