2015年2月28日土曜日

「笑いましょう!」

家のテラスに小鳥小屋のようなものをしつらえて、小鳥を待っていた。なかなかいい景色なのだ。ボーっと見ながら何かを言おうとした。〇〇〇がね、(言葉は忘れた)・・・ ・・・なんとなく暖かな気分で小鳥を待っていたら、何を言おうとしたのか忘れた・・・「あれ、何を言おうとしたんだっけ」・・・

キッチンに向かった。流しの前まで行き「あれ、なにしに来たんだっけ・・・」
「あれ、さっきメガネこの辺に置いた気がしたんだが・・・」「あれ、メガネは?どこだっけ・・・」

携帯電話も最近よく忘れる。以前はバイク便を出して持ってこさせたりしたもんだが最近は「いいやいいや別に一日ぐらい」
社員を呼ぼうとして、とっさに名前が出てこず、一瞬ボードの名札に目が行く。で、おい〇〇!!!

先日、高野と片野を間違えた。何が起こったかって?片野君という人物に電話をしようとして携帯で番号を探す。片野に電話しようとしているのに高野を探してしまう。で、片野と思い込んで高野に電話をした。(片野とは以前在籍していたスタッフで僧侶でもある)

「もしもし、お父さんですよ、頭の悪いお坊さんですか」(これはふざけている)
高野 「あ、はい」
藤原 「しばらくだね、ちゃんと勉強しているのか、おまえ頭悪いんだから、税理士なんか目指すのやめたら!」
高野 「あ、はい」(この辺でなにやら相手の声がステレオで聞こえ始めたことに気が付く)
藤原 「おまえ、どうしたの、いつもより声が低いし、のりが悪いね」

高野 「あの~」とかなんとか言ったところで、藤原は名古屋にいる「片野」ではなく、隣の部屋にいる社員の「高野」に電話していることにようやく気が付く!  

で、どうなった? 笑ってごまかした。 ははは、今思い出しても、笑える・・・


2015年2月24日火曜日

「出会い」

昨日、久しぶりで「なかにし礼」さんに会った。会うなりCDをもらった。このところ話題になっている「なかにし礼と12人の女優たち」だった。包装が破られていたのは「中にサインをしておいたから」という理由からだったが、嬉しかったな。かなり元気そうだったし。病気を克服して禁酒されたから、もう一緒に飲むこという事は無いだろうが、いつまでも、なるべくなるべく元気でいてほしい。歌謡界の大きな財産だし、なんといっても稀有な存在だからだ。

なかにしさんは、石原裕次郎との出会いが作詞家として羽ばたくきっかけだった。藤原は、北島三郎さんとの出会いがこの業界に居るきっかけとなった。北島さんは作曲家・船村徹と出会ったから北島三郎になった。そう、人生は「誰」と出会うかによって、進むべき道が出来ていくのだとつくづく思う。そう、誰と出会うかが大切なのだ。

一昨日、山梨県の韮崎市にある中学校を訪ねた。こんど収録する番組に合唱で出てくれる生徒たちの練習を見に行ってきた。生徒たちにいろんな話をしながら、今日の出会いが、子供たちにとっていろんな刺激になる場合もある・・・という思いがよぎったりして。でも、合唱をやるような子供たちだから、可愛いよ。3声のハーモニーで参加してもらうのだが、一番下のハーモニーの男の子たちの音が違っていたが、OK!OK!頑張って!といって帰ってきた(笑)。コンクールじゃないんだし、いいよいいよ、明るく楽しく参加して!   いい出会いだった。

歳を重ねると、新たな出会いのチャンスが減ってきているような気がする。多分、数の問題ではなく刺激の問題だと思うのだが。人生に慣れてしまうと、出会いに限らず物事の刺激が乏しくなってくる。さて、何に刺激を求めようか・・・ドキドキするような「出会い」かな?(笑)



2015年2月13日金曜日

「大切な時間」

昨日もしこたま飲んだらしい。朝5時30分ごろまでソファーで寝ていた。最後のワインはやめたんだけどなぁ・・・。

酒席で、NHKの仕事を始めてから、忘れられない3つの学びがあるという話をした。
その① 川崎さんに指摘された「電話を切るのが早すぎる」その②秋本さんに指摘された「自分の社員を《あいつら》 と言ってはダメ」その③池田さんの指摘(藤原がポケットに手を入れて話をしていたら、そっと寄ってきてポンポンと手で合図をして手を出すように指示をしてくれた)・・・という3つの教訓だ。小さなことのようだが、何れも藤原の人格に影響を与えていると思う。そんな話で盛り上がったものだから、飲みすぎた!(言い訳にもならない(笑))

作曲家の浜圭介さん、上記の池田さん、TXのプロデューサーと藤原、男4人であんな長い時間何を話していたんだろうね。6時に集合、浜さんはいつも早いから5時45分には始めたけど、2軒目の店を出たのは何時だろうか(2軒目は二人)・・・でも、娘は起きていたような気がするから、そんなには遅くないはずだが、自分の部屋にはいかずなぜかソファーで寝ていた・・・誰か起こせよ!(苦笑)

40代まではいわゆる「ハシゴ」が大好きだったから、2軒目の店に入るとすでに次の店の話をしていたほど。あれって、なんだったんだろうね。12時前に帰るオジサンたちが信じられない、と思っていたのに、今はそのオジサンの仲間だ。だが時々こうして12時を回ってしまう。

でも、12時を回ってしまう店は決まっているのだ。20代から通っていた六本木の小さな店「プチポア」。ここの親父と長いものだから、昔話が出るとつい長居になってしまう。小さなピアノがあるものだから、弾きはじめたりするとまたまた長くなる。この店は若い頃、金が無くても飲ませてくれた。ブラっと立ち寄って、ピアノでお客の歌の伴奏をすると、親父は「今日はいいよ、飲み代」と言ってくれるものだから、ダダ酒をしこたま飲んだ。そんな恩義があるものだから、この店は藤原にとって大切な一軒でもある。

大切な人の言葉、指摘、大切な店、大切な人、大切な歌、大切な本・・・自分の身の周りで、「大切」という冠をつけて表現できるもの・・・いくつあるのだろうか。「大切な飲酒の時間!」。くらなんでも、これは却下だな。

2015年2月9日月曜日

「善喜と高貴」

友人から、今年から後期高齢者になります、というメールが来た。なんだかよくわからない高齢者の区分けだ。何が後期高齢者だ、失礼な分け方だ。そこで、こう提案したのだ。「善喜高齢者」と「高貴高齢者」だと。ははは、これで一件落着!(笑)

しかし、高齢者というのは何歳から?高齢者だなんて考えたこともないし…ま、フシブシがやや痛むとか瞬発力に欠ける、という事はあるけれど、高齢者などと一括りにするのはやめてほしい!と言っても無駄な抵抗かもしれない。ま、せいぜい若ぶることとしましょうか。

最近自宅のテラスに「ヒヨドリ」がやって来る。他の小鳥もやって来る。どうも、家族が餌でおびき寄せているらしいのだが、昨日の日曜日、何気に鳥たちをボーっと観ていた。「老人になったら、こうして日がな一日、小鳥を観ていても飽きない暮らしという日が来るのだろうか・・・」などと思いを巡らせてしまった。。。想像も出来ないが、そんな日が来るのかもしれない。高貴高齢者になったら(笑)

今日まで、一本道を歩んできたとは言えない。むしろ、脇道が多かったような気さえする。心根も一筋、一途だったとは言えない。だが最近、何かに書き物をする時、「一途」と書くことが多い。そう、人は一途になれるのがいい。それは前期でも後期でもだ。もちろん、善喜でも高貴でも。そしていつかその日が来たら役所に言ってやる。「馬鹿もん!俺を高齢者呼ばわりするんじゃない!」ってね。

2015年2月4日水曜日

「天国からの葉書」

「〇〇〇〇儀 〇月〇日 永眠いたしました。生前何かとお世話になりましたこと・・・」藤原への宛名が書かれた葉書にこう記されていた。〇〇儀とは葉書を書いた本人だ。つまり、「自分が死んだ」という通知ハガキを自分で書いているのだ。

昨日届いた封書の中にこの葉書は入れられていた。
「1月14日に妹は亡くなりました。遺書と一緒に、藤原様を含めた何人かに宛てた葉書があり、自分が死んだら出してほしいと書き添えてありました・・・」と、お兄さんからの手紙だった。なぜ?なぜ?

彼女の夫は藤原の10代からの友人だった。二人の結婚式の司会もした。だが、彼は3年前、病気を苦にして11階から飛び降りた。あれから3年ほど、残された彼女には新たな人生を歩んでほしいと願っていたのに。去年電話した時、彼女は石垣島に居た。「彼とよくダイビングのために出かけた場所です、これからみんなで食事に行くの」と言った。友人が沢山居るとも言っていた。古い付き合いの人間があまり関わったら、女性は新たな羽ばたきをしにくいのかも・・とその時思った。だから、年賀状も迷った結果出さなかった。彼女からも来なかった。「やっぱりね・・・」そんな気持ちでいた。

それが、正月14日に命を絶っていたなんて・・・

なんで「辛いとか、苦しいとか、寂しいとか、話してくれなかったの・・・」と悔やんでも、もう遅い。おせっかいにならないよう、押しつけにならないよう、遠くから見ていればいい、と思っていたのは間違いだったのだろうか。せめて、安らかに眠ってほしい。でも〇〇ちゃん迄、死ぬことはないだろう!!! 
馬鹿野郎!!!
節分の日に届いたメッセージは「天国からの葉書」だった。