2015年2月9日月曜日

「善喜と高貴」

友人から、今年から後期高齢者になります、というメールが来た。なんだかよくわからない高齢者の区分けだ。何が後期高齢者だ、失礼な分け方だ。そこで、こう提案したのだ。「善喜高齢者」と「高貴高齢者」だと。ははは、これで一件落着!(笑)

しかし、高齢者というのは何歳から?高齢者だなんて考えたこともないし…ま、フシブシがやや痛むとか瞬発力に欠ける、という事はあるけれど、高齢者などと一括りにするのはやめてほしい!と言っても無駄な抵抗かもしれない。ま、せいぜい若ぶることとしましょうか。

最近自宅のテラスに「ヒヨドリ」がやって来る。他の小鳥もやって来る。どうも、家族が餌でおびき寄せているらしいのだが、昨日の日曜日、何気に鳥たちをボーっと観ていた。「老人になったら、こうして日がな一日、小鳥を観ていても飽きない暮らしという日が来るのだろうか・・・」などと思いを巡らせてしまった。。。想像も出来ないが、そんな日が来るのかもしれない。高貴高齢者になったら(笑)

今日まで、一本道を歩んできたとは言えない。むしろ、脇道が多かったような気さえする。心根も一筋、一途だったとは言えない。だが最近、何かに書き物をする時、「一途」と書くことが多い。そう、人は一途になれるのがいい。それは前期でも後期でもだ。もちろん、善喜でも高貴でも。そしていつかその日が来たら役所に言ってやる。「馬鹿もん!俺を高齢者呼ばわりするんじゃない!」ってね。