2015年4月10日金曜日

「友人の条件」

今日、取材のため歌手の大下八郎さんにお目にかかった。昭和36年の集団就職だ、という話になると、藤原は自分のことを黙っていられなくなる。「いやいや自分の事で恐縮ですが実は僕も昭和41年の集団就職で・・・」とついなってしまうのだ。こんな話になると、扉が大きく開けられたと同じ、急に距離感が縮まって話が弾む。「そう、あの頃は東京がまだこんなんで・・・あの歌がヒットしたころですよね・・・えぇっ!女遊びした事なかったの!?」etc. 時代や環境を共有しているという事は人の距離を一気に近くする。

今日はこれから浜圭介さんとすし屋で落ち合うことになっているのだが、彼と共有するもの?「歌に対する愛情」という言葉がまず一致する。「そこそこ悪だったね」という話も一致する。貧乏だった時代、ずっと母親の面倒を見た話、まだまだ頑張る!という話・・・。浜圭介作曲生活50年、藤原は昭和41年の上京だから、芸能界風数え方をすれば上京から50年だ。50年の歴史の中で、どれだけの人と出会えてきたのだろう。そして、これからどれだけの人と出会えるのだろう。いい出会いは人生の大きな財産だから。

サンクトペテルブルクの友人からメールが届いていた。浜先生はお元気ですか?とあった。友人は日本語学校の先生だから、生徒に浜圭介作品を聴かせている。彼女が来日した時、浜先生と3人で食事をしたのが、彼女にとって大切な出会いになっているらしい。ロシアで日本語の歌謡曲が歌われるのは良いことだ。歌を愛する仲間を感じて嬉しい。

さて、外は寒いのだが、寿司屋へ向かうとするか。一生に、いったい何人の心許せる友人と出会うことが出来るのだろう。損得抜きで、利害の絡まない、そんな関係でいられる友人が・・・サンクトペテルブルクの友人も、一番町に住まう友人も、藤原の人生の中で、大切な友人だ。