2015年5月26日火曜日

「たわごと」

会社のベランダのプランターに「ゴウヤ」の苗を植えようとして、最近意味もなく伸びている葉っぱとツルを引き抜いた・・・ら、何と地中から「サツマイモ」が。なんで、なんで???どうみても絶対「サツマイモ」だ。なぜベランダに「サツマイモ」なんだか。結構でかいよ。植物の生命力って、すごいね。

自宅のテラスには最近「雀」が集まる。集まる、というより、集めているんだな、コメを撒いて。鳥の糞から、何か珍しい植物が生えてきたら面白いね、という発想で楽しんでいるのだが、サツマイモは論外。チュンチュンうるさいが、見ていて飽きない。そのうち捕まえて、焼き鳥に!(笑)

心豊かになったり、ほっとしたり、想いが暖かくなったり、そんな環境を求めているんだな、きっと。植物にも、小動物にもね。ジジイむさいね、これ。

さっき親しい作詩家から電話があった。「生きてるの?死んだんじゃないかと思って」と言いやがる。「昨日銀座で3軒ほどハシゴしてさぁ、二日酔いというよりも三日酔い」とまだろれつが回っていない。「用事は無かったけどさ、生きているか死んでいるか確認したいから、たまには電話ちょうだいよ」。・・・歳を重ねてくると、どこにでも寂しいやつがいる。そして寂しがり屋は、ちょっと強情で、そしていいやつが多い。

このところ、体力的にもしんどい日々が続いていたが、昨日あたりで一区切り。やれやれと思っていたら、決算の最終的な数字が昨日出て、こころ「沈没」(苦笑)。もう50年も働いたし、とか、今後に展望はあるのか、とか、なにが「高齢者予防接種」だ、とか、ぶつぶつ思いながら小料理屋で一人で飲んだ。銀座でハシゴしていた彼と、なんと対照的なことか(笑笑)

で、ベランダに目をやる。くたびれた風車が時々回っている。風車君は風を待っている。俺は風を待っていてはいけない。「よし、俺が風を作ってやる!」と言い切れたあの日に、帰りたいけど帰れない?のか?。

2015年5月19日火曜日

「命名」

数日前、帰宅したら「イモリ」が2匹家にいた。近所のお祭りで買ってきたんだそうだ。「イモリ」?、あまりなじみが無いような気がするのだが「イモリ」と聞いたので名前を付けてやった。メスは「みゆき」でオスは「ただし」だ。きのう家に帰ったら、一匹ずつ水槽に入っていて、名札がはってあった。「みゆき」と「ただし」。みゆきは分かるが、オスをなぜ「ただし」にしたのかわからない。ま、姿形を見て、「ただし」だと直感したのだろう、その時は。いもりみゆき、と いもりただし。いいいいカップルだ。

我が家の愛犬は「茶々丸子」という。動物病院に行って、名字から呼ばれると長い名前らしい。これも俺が命名した。茶々ならよくある名前。丸子がつくから良い。息子の名前も娘の名前も父親の命名だ。俺の名前だけなんで「典男」なんてせこい名前だよ。生まれた時、近所に「のりこ」という男勝りの女の子が居て、みんなが「男ならよかったのに」と言っていたので「典男」にした、と聞いたことがある。いいかげん!

アズ クリエーションという社名を決めるときには結構時間を要した。AZだからA~Z。ひらがなで言えば あ~ん だ。全部という意味だから、欲張りな名前、という事だが。ペンネームとしてもいろんな名前を名乗った。ほとんどいい加減。「恵方道三(えがたどうさん)」という名前もあった。根拠?「A型父さん」だ。いいかげん!

藤原典男以外に「アズ クリエーション」の名前が一番長くなった。時々パーティーなどで隣席になった方に名刺を差し出すと、「お名前は伺っています」と言われることも多くなった。「アズ クリエーション」という社名は気に入っている。「典男」はどうかね。もう少し、垢抜けた名前は付けられなかったものかね。猿之助とか桃太郎とか牛若丸とかさ。

2015年5月11日月曜日

「今を生きる」

北国では「桜の花」の次は「リンゴの花」という。リンゴの花?思い出せないのだ。リンゴの記憶は、すでに青いリンゴになっていて、それに「袋」を被せる作業は知っている。そして赤く色づく。当時はほとんどリンゴと言えば「紅玉」だった。その紅玉を「まんこ」と呼ぶ(笑)。「まんこりんご」が正しいのかもしれないが、おばさんたちが「まんこ、まんこ」と言うのだ。イントネーションはこれを読んだ人の想像に任せるとしよう。

言いたいのは、「リンゴの花」の記憶がないこと。リンゴは実って初めて「リンゴ」だと思っていたんだろうな・・・子供のころは。遠い記憶だけれど・・・

話は跳ぶが、今度の旅の飛行機のトイレが「ウォシュレット」だった!初めての経験。見つけた時はうれしかったよ!(笑)飛行機の便器に腰掛けながら、時代の変遷を思ったわけさ。で、なぜだかリンゴの花を思い出したりして・・・

この頃なぜか、「生きる」ということを考えてしまう。来月が誕生日で、上京してから50年目という事実に接しているからだと思う。「生きがい」とか「生きる」とか「充実」だとか、さまざまな思いが押し寄せてくる。2,3日前作曲家の「三木たかし」さんの7回忌に出席したが、享年64だと今更知った。今の俺の歳か・・・などと思ったりもする。

「何れ」とか「今度」とか「余裕が出来たら」とかを、禁句にしたい。「早速」とか「今」とか「やっちゃおう!」とか、「すぐに」「任せとけ!」とか、そんな言葉を枕詞にしたいね。

これを書いている途中でSMSメッセージが入った。「昨日、娘の○○が亡くなりました・・・」。そうだよ、「今を生きる」、それが大切なんだよ。

2015年5月6日水曜日

「ちょっぴり激怒」

目的地の駅に着いたのにドアが開かない。ボタンを押すのかと思って「開」のボタンを押したのだが関係ないらしい。駅員がそばに見えたので中から窓をどんどん叩いたのだが、彼はちらっと見て知らんふり。後ろに並んでいた他の客は別のドアへ。社内にはなんの案内もない。普通ではないことに気づきしばらく待つことに。しかし何の案内もない。そしてようやく「踏切があるため電車はバックできません」???「バックできないためこのまま出発します。次の駅で降りて登り線にお乗り換えください」・・・ ・・・何のこと???ドアは開かず、目的地で降りられずそのまま電車は走り出した。

日本人は本当におとなしい。後ろに並んでいた客は何も言わない。いや、状況がみなわかっていないのだ。電車が走りだして社内放送が。「踏切があるため・・・バックできなかったため・・・」云々。これ、説明になっているか?心のない「ご迷惑をおかけしました」の車内放送。戻る電車の案内もない。そればかりか、次の駅が終着なのだが、その先の乗り換えの案内をしている。「こいつ!馬鹿か!」藤原の小さなハートはふつふつと怒りモードに。

で、次の駅に着いたて降りたのだが、どの電車で戻るのかすぐホームで案内もない。ここで「切れた」。一目散に改札の駅員たまり場に向かう。「戻る電車の案内もない!何番線の電車で戻れというのか!」マスクをしたまま若い駅員が「すみません」の連発。「そんなことはどうでもいい!なぜ案内が無いのか!!!」と窓口を叩きながら抗議。戻る電車を聞き出し、「乗って来た電車の車掌は失礼だ!」とかなんとか言って戻る電車が待つ隣のホームへ。ぎりぎり飛び乗った。

いや~久々に切れたよ。しかし、状況説明の出来ないあの車掌、現場から外して研修させるべきだね。因みに電車はJRの湘南新宿ラインだ。結局、運転士は停止ラインをオーバーして停まり、車掌はあたふたするだけで状況説明もできなかった、という事だろうか。ちゃんと案内があれば、藤原、切れたりすることは無かったのにね。仏の藤原だもの(笑)

さて、そうして大型連休も終わる。今日は夕方の打合わせに向けてゆっくり出社予定だったのだが「午前中に打ち合わせをしたい」というメールに「ゆっくり」は叶わぬことに。だが、藤原はそんなことで怒ることもない。だって、仏様のような人なんだもの。

2015年5月2日土曜日

「吉方位」

ブログを始めたころ、あまり個人名を出さない配慮をしていたと思う。誰と会おうがそんなこと人に告げる必要もないし・・・という思いだった。最近、個人名を書くようになった。誰と会った、とか誰と仕事をした、とか。理由?ブログに「記録」という意思を持ち始めたからだ。まさに「日記」のように。なぜ?「忘れる」からだ。あれ~いつのことだっけ・・・で自分のブログを見直す。結構便利(笑)

今日、取材のため練馬方面の「石神井公園駅」という場所に向かった。運転しながら考えた。自分がこっち方面に住む、という可能性はあっただろうか・・・
もう50年ほどだが、上京した時から、なぜか住むなら「山手線」の中、と決めていた気がする。上京してすぐに住んだのが「国分寺」という郊外だった。田んぼや畑があるような。北区の「東十条」という街で暗く暮らしていた頃、山手線の外は「灰色」に感じて好きになれなかった。そしてかれこれ40年近く、山手線の中に住んでいる。取材場所に向かう少しの間、そんなことを考えていた。

周囲にやたらと50周年という人が多い。なぜか今年が特に多い気がする。作詞家も作曲家も。で俺も上京50周年だ。自分の暮らしを「ありがたい」と思うことが多くなってきた。そう、こうしていられることが「ありがたい」という感覚になって来たのだ。やれやれ、歳のせいか?

話は跳ぶが、藤原の「今年の大開運吉方位」という日が4日間あって、3日間は仕事でどこにも出かけれれなかった。そして最後のチャンスが5月5日なのだそうだ。気分の問題だから、5日は吉方位とされている方角に出かけるとするか。「何処」を決めるにはまだ2日ほど時間がある。さて、1日ゆっくり時間を取って、出かけるとするか。きっと開運に恵まれる!山手線の中の様に。(笑)