2015年6月30日火曜日

「出会いと縁」

小説家の佐藤愛子さんの講演会に行ってきた。講演テーマは「91歳の生き方」だったか。もう何十年ぶりだろう、と思えるほど久しぶりの再会だった。実際に20年ぶりぐらいかな。

講演会はすでに満席だったため、先生に関係者席というものを用意していただいた。いつもお着物というイメージがあったのだが、なんと白のスーツで足取りもしっかりご登場、91歳だとは思えない!お姿だった。びっくり。

楽屋を訪ねた。「藤原さんとどうして親しくなったんでしょうね、前世のご縁かしら」という話になったのだが確かにそうかもしれない。会ってはいないのだが、ずっと関係は続いているし、気にもなる。前世という言葉が出てくるのが先生らしい。「きっとそうです」と答えたが。出会いはもう30年以上前になると思う。小田急カルチャー主催の「トークショー」という催しがあり、藤原はそこで司会をやっていた。そこのゲストの一人が佐藤先生だった。「そんな出会いはたくさんあるのに、なぜ藤原さんと親しくなったのかしら・・・」と先生は笑うのだが、藤原にもよくわからない。

が、「藤原さんと親しい」という言葉を何度も伺ってそれで満足、嬉しかった。「こんどお食事しましょう」と言われて別れたが、楽しみだ。また「霊」の話や「前世」の話で盛り上がれるかな。最近出版された「晩鐘」もまだ読み切っていないし、早く読まなきゃ。

今朝、アイルランドに居る息子からメールが来ていた。

「わしの夢は、パパの人生を、舞台にして演出することだよ。 タイトルは、もう決めてあるだよ。 その時は、出てほしいのだ。 わし、若い頃のパパをやるよ。」
 
だって。かってなことを言っているが、それはそれでいいんじゃない(笑)で、俺の人生ってなんだ?何れ、息子や娘が俺の先を歩いていて、爺になった俺が「お若いですね!」って言われて喜んでいるのかな?
 
何にしろ、今日までの沢山の出会いを、藤原なりに大切にしていきたいものだ。





2015年6月29日月曜日

「バージンロードが短い」

昨日、娘の結婚式だった。もう、何年前からバージンロードを娘と歩く姿をイメージしていただろうか。そして歩いた。バージンロードが短か過ぎるのだ!。

会場の係は、本番直前にいろいろ決まり事を教えてくれた。それこそ本番直前に。「ここまでは普通に歩いて、ここからはブライダル歩きで」とかなんとか。それ何?って聞いているうちに今度は「前列3列目の席のところで止まって新郎に新婦を渡してください」とかなんとか。「その時そっと手を添えて」とかなんとか・・・予備知識でもあればわかるのだろうが、「ハイハイ」とは言ったもののわかるもんか!「グローブは?」と言われて「何それ?」と聞いたら白い手袋なそうだ。「白い手袋」と言えよ!「ない、要らない!」でその件はおしまい。

本番をイメージする間もなく、本番です、と言われた。娘と手を組んでいよいよその「ブライダル歩き」だ。最初の2歩まで娘と歩調が合わない。娘の緊張が伝わってくる。「大丈夫か?」と声を掛けたら「うん」という返事。3歩目でようやく足が揃った気がする。「あぁ、これが何度もイメージしたバージンロードの世界だ」と思い始めたとたん、目の前に新郎の顔が!!!お前!出てくるのが速過ぎるぞぉ!!!「もっとそっちで待ってろよ!」

おれはすでに泣いているから、周りの事なんか見えない。現実感がないのだ。ふわふわした感じ。あぁこの世界をもっと味わいたい・・・と思っていたらもう「終点」。あいつが迎えにきやがった。
おれはまだ娘に触れていたいから、名残り惜しそうに去ってゆく娘の肩をいつまでもポンポン叩く。未練がましく・・・あぁバージンロードがあと50メートルぐらいあったなら・・・

披露宴はいい披露宴だった。今日、友人の一人から、「人間って、いいな」と感じる感動的な披露宴だった、とメールをもらった。お決まりの「娘からの手紙」。「藤原さんきっと泣くから」と何処からか声が聞こえた。泣いたか?もちろんめそめそグズグズ。

司会者からご両家代表謝辞、というコールがあって婿どののお父様が謝辞。で、ここからが俺らしいといううか。「娘をやるんだから俺にもしゃべらせろ」という口上のもとに藤原がスピーチ。もちろん会場と彼のご両親には伝えてはあったが。娘を持つ父親の気持ちとは、想像していた以上に感情的だ。

式の最中、キスシーンを見逃した。いや、目を閉じたのだ。見たくもねぇよ。(笑)





2015年6月19日金曜日

「笑える思い出」

久しぶりに訪ねてきた友人と、30数年前の「あること」を思い出して、大笑いをしてしまった。藤原が30代前半だったと思う。大阪の新興宗教の会員さん相手に、月一回程度「歌唱指導」に出向いていた時期があった。一人1500円の会費で会員さんは集まって来たと思うのだが、そのうちだんだん参加者が増えてしまった。最初は集まった会費すべてが授業料だったのだが、何回目からは増えすぎてカウントする雰囲気ではない。授業料?当時の貧乏な藤原には大金だ。

笑えるのはこの後。授業が終わると、教祖様から封筒を受け取る。会員さんに新大阪の駅まで送っていただいたと思うのだが、藤原は新幹線に飛び乗るなり荷物を置いて真っ直ぐトイレへ!おもむろに封筒を取り出して、今日の売り上げ!お札を数えるのだ。これが楽しみだった。

この頃、人の「欲望」を思い知る。ある程度の金額までは大喜びしていたのに、しばらくすると、あんなに参加者が居たのにこれだけ?的な感覚にとらわれてしまう。人の欲望はきりがない、と
改めて思い知ることになるのだが。当時、夜は銀座でピアノを弾いていたが、一日の出張でピアノ弾きのギャラの2か月分ぐらいになったかもしれない。貴重な人生経験だった。

昨日、ある番組の収録現場で、それこそ30数年前に出会った元某レコード会社のディレクターに再会。昨日、改めて思い出したののだが、彼は藤原の作品を4曲ほど採用してくれているはずだ。彼いわく「なんか作品をやったよね」なのだが、確か4曲だと思う。作品を採用して欲しくて、平身低頭、彼に売り込みをしていたのだが、藤原がTVプロデューサーになった途端、立場が変わった!と笑い話になった。これは、ほほえましく暖かな気分になる笑い話だった。

さて、これから別なレコード会社の宣伝部長とディレクター氏と会食をする。当時このレコード会社にも、売り込みのため通ったっけ。今?彼らに「こら!」と言っている。ほほえましい感じでね。


2015年6月15日月曜日

「時の過ぎゆくままに」

「ドジョウの会」という仲間の集いがある。7,8人のメンバーで、半年に一度ぐらいは集まろうという事になっていた。去る10日に集まったのは6名の男女。じゃ、次回は12月ごろね、と言って〆ようとしたのだが。「半年後だと誰が死ぬかわからないから、9月ごろにやろうよ!」と誰かの一声で9月開催になったのだが、いったい平均年齢何歳の会?(笑)

12日は「船村徹誕生日 歌供養」のパーティーだった。去年の6月12日からもう一年?と思うほど早い。去年の歌供養の様子は前回もブログに書いたはずだが、今年はもう31回目の歌供養になるという。20年ほど前から参加していることになるのだろうか。今年は船村徹記念館も完成し、本も新たに出版され、先生の活動のスピードが落ちていないことに敬服するばかりだ。

14日の日曜日、両国のシアターXという劇場で、アイルランドの詩人「イェイツ」の生誕150周年を記念したシンポジュームがあったので行ってきた。「ノーベル文学賞」を受賞た詩人であり、劇作家であり、アイルランドの紙幣に肖像が使用されているような人物だ。知っていたのか?いや、知らなかった。が、番組の提案でアイルランドを調べていたから、イベントの表題に「アイルランド」とあったので興味を持ったのだ。シンポジュームでは、某大学の名誉教授、某大学の教授2名、他「能」の演出家と4名から発言があった。驚いたのは、なんと話の下手なことか・・・。あまりにも・・・大学経験のない藤原は、こんな調子の講義を生徒は聞いているの?と思うほど。某教授は、ペーパーを抑揚のない声で読み上げるだけ・・・

いわゆる表現力の欠如、というやつだ。日本人!頑張れよ!そんな思いで会場を後にした。

さて、今週もはじまった。会社の月曜日の花も新しくなった。今日1日の充実感があったかどうかは別として、またいつものように時は過ぎてゆく。せめて、ハッピーな顔をして過ごしたいね。

2015年6月8日月曜日

「50・65」
上京して50年、今日で65歳、長い道のりを歩んできた気がする。競馬で言えば、最終コーナーを回り、残りの直線で勝負が決まるところだ。直線を駆け抜ける余力があるのか、最初から頑張ってスピードを加減しなかったから息切れするのか。そのどちらかでゴールの結果が見えてくるというところか。体力だけではない。気力・精神力がポイントになりそうだ。

4日に、番組出演中の「北島」さんを訪ねた。去年亡くなった北島さんの末弟の墓参りの報告と、何気の陣中見舞いだったのだが、千葉の君津市というところまで行ってきた。会場に着いたら音合わせ中で、しばらく客席で見ていたのだが、楽屋に顔を出したら「客席にいるのはお前かと思っていた」と迎えてくれた。

いつもの事だが、楽屋で二人だと「個人的ないろいろ」を話してくれる。スタッフが入ってくると、上手に話が一般的になって来る。少し込み入った話をしていたのだが、スタッフが入ってきたら、いつの間にか競馬の話に乗り替わっていく(笑)。最初はチンプンカンプンなのだが、だんだんわかって来る。先日のダービーの話になり、最初飛ばし過ぎたので、直線コースに入ったら息切れして、結果は残念賞という事になったという話なのだが、人の生き様と一緒かも。カメリハ2分前まで話し込んでしまった。

さて、50年の歳月と65年の歳月。結構長いよな。母親は95歳で100まで生きると言っている。結構長いよな。昭和41年3月、上野駅の公園口で「立川職安」というプラカードの前に並んだ。15歳だった。あれから50年。結構長いよな。月並みな表現を借りれば「波乱万丈」の人生だったかもしれない。つまずいたり、ころんだり、走ったり、よろけたり、いきがったり。よく人は、ある程度の年齢になると「ありがとう」とか「感謝」という言葉を使い始めるが、そんな言葉がくすぐったいほど、振り返る人生には「いろいろ」があった気がする。「ありがとう」とか「感謝」では言い表せないいろいろが。

さっき、スタッフがケーキで誕生日を祝ってくれた。なんと、顔写真付きのケーキだったよ!
何日も前から、注文してくれていたらしい。
 なによりも、忘れられていなかったことにほっとしたのだが(笑)


間もなく娘の結婚式だ。まだまだ直線コースで息切れしてなんか居られないのかもしれない。
来年からは「誕生日おめでとう」ではなく
「誕生日を迎えられておめでとう」なんてことにならないように。
コツは、腹を立てないことと、「寂しい思い」をしないことだ。きっとね。