2015年8月28日金曜日

「人種差別」

アイルランドに居る息子のメールに、時々「人種差別に遭った」という文言が出てくる。現地に詳しい人の話では、それは人種差別ではなく、現地の彼、彼女らの「文化」なのだという。だが、日本人から見たらふてぶてしく感じるその態度が、息子は「人種差別」に感じるらしい。

で、さっきこともあろうにこの俺が人種差別に遭った!。今うちのスタッフが手がけている仕事に関して、クライアントの某プロデューサーとの会話の中で藤原が「人種差別」されたのだ!

某・「もう一人スタッフを出してほしいのですが」
俺・「もちろん」 某・「スタッフは誰ですか?」
俺・「俺が一番いいんじゃない?」
某・「藤原さんじゃ重すぎます!」
俺・「あっ失礼な!なんで?」
某・「藤原さん、これは未来型コンサートですよ。藤原さんの昭和歌謡コンサートじゃないんですから!」  笑・笑・笑!!!

これって絶対「人種差別」じゃない? 失礼な!

あぁ、俺には昭和演歌のイメージがついて回るらしい。あながち間違ってはいないが・・・だが、未来型が俺には似合わない!というイメージには反抗してやる!あの野郎~~~
(苦笑)

2015年8月20日木曜日

「友人を殺してしまった」

その時は気が付かず、後で失敗に気が付き大慌て、なんてことは良くあるが、殺してしまってはいけない。故 浜圭介様 と宛名を書いて その浜圭介様にFAXを送ってしまった。なぜ?

先日亡くなった「菅原やすのり」さんのご遺族にFAXを送ったのだが、その用紙に上書きをしたのが失敗のもと。故 菅原やすのり様ご遺族様・・・という宛名を消して書き直したのだが、「故」が残っていたことに気付かず、故 浜圭介様に・・・

いくら友達でも、慌てたね(苦笑)本人となかなか連絡がとれずへこんでいたのだが、さっき藤原の留守電に彼のメッセージが・・・「死んだけど、生き返ったから・・・」。やれやれ、これが浜さんだったからよかったが、〇〇だったらきっと一生言われるな・・・などと思いながら安易な上書きを反省!!!慣れきった作業には「落とし穴」、肝に銘じよう。

さっき、赤毛のアンというミュージカルを観てきた。無料招待ミュージカルなので豪華セット、豪華演出とはいかないが、なかなか上品で可愛らしいミュージカルだった。現実の大波小波の世界で生きていると、ほっとする瞬間が大切な息抜きになる。肩の凝らない素敵な時間だった。

さて、周囲の見慣れた景色、見慣れたスタッフ、わかりきった手順と作業・・・どこかに落とし穴がないか、注意注意!言葉ひとつで、人を殺すこともあるから!

2015年8月13日木曜日

「彩りの街」

インターネットである人物を検索していたのだが、何気に「藤原典男」も検索してみた。同姓同名の人物がお二人ほど居た。どこかの街の議員さんと、もと高校教師で著作を出版されている藤原典男さん。同姓同名なのだから、優秀な方に違いない!(笑)

検索を先に進めると、昔歌った「愛のおしゃべり折尾の街」という情報に出会った。その先に「彩りの街」という楽曲が「You Tube」にアップされているのに出くわす。この作品の詞は「石原裕次郎」さんに書いたもので、昭和50何年だったか・・・カラオケ愛好家がカバーして歌っているらしい。興味本位で聴いてみることに。3人ほどの歌唱がアップされていた。

一人は原曲にかなり近く歌っている。あとの二人は見事に作曲していた。ヒットしなかった歌は、こうして変化を遂げていくのだろう(笑)あぁ 彩(いろ)とりどりだよ。

当時は作曲をしたかったのだが、活動を共にしている相手が作曲だったものだから、仕方なく詞を書いていた。曲を書きたいのに仕方なく歌も歌ってた(苦笑)。ヒット曲はなかったが、いま時代を経てこうして当時の作品に触れると、なんとも懐かしい。

活動を共にしていた作曲家はもう25年も前に亡くなっている。56か57才だったと思う。毎日酒浸りで、酒を止めさせる為に何度も病院に入れた。彼の編曲作品の写譜もやっていたのだが、朝スコアーを取りに行くと玄関口で寝ていて驚くこともたびたび・・・ある日午前10時から2曲のレコーディングがあるので写譜の時間を逆算してスコア―を取りに行ったら、やはり床に寝ていた。編曲が完成していれば問題ないのだが。おそるおそる机を覗いたら、エンディングだけがまだ未完成。それも一曲のみ・・・仕方なくエンディングだけを書き加え、一曲のみ写譜を終えて一人スタジオへ。代わりに指揮棒を振って、一曲のみレコーディング。ディレクターにも演奏陣にも平謝りで詫びたっけ。レコーディングを終え、彼のもとへ報告に行ったとき、彼が何と言ったかは覚えていない。

「彩りの街」はそんな彼の作・編曲だ。遠い記憶だが、時間を飛び越えて今も尚、鮮やかによみがえる、いい思い出なのだ。

2015年8月11日火曜日

「わがままに生きる」

8月8日「地球歌の日コンサート」お待ちしています。そんな招待状が届いたのが7月。招待状とパンフレットを机の上に置いたまま、8月9日を迎えてしまった。コンサートの主催は歌手「菅原やすのり」さん。いつもマメに招待状を送って下さる。失念してしまい、結果としては行けなかったのだが、9日の朝刊で彼が亡くなったことを知る・・・

8月4日に亡くなった、と訃報記事が掲載されていた。白血病とあった。無念であっただろう・・・コンサート目前の死であったから、なおさら。どんなコンサートの招待状でも、必ず自筆で一言添えられていた。稀有な存在だった。こころからご冥福をお祈りする。

昨日、久々で出会った友人が「藤原さん、見かけが若いから・・・」。それって褒め言葉?「見かけが若い?」ならばどこが年齢相応なわけ?!と後で思うのだった(笑)。だが、あちこちで知人、友人の「死」という強烈なテーマに出会うと、「若い」という言葉に一喜一憂してていいものか、などと思ってしまう。

「わがままに生きたい」と思う。結構わがままに生きてきたが、もっとわがままに生きたい。「わがまま」の定義なんぞわかっちゃいないが、人は「わがまま」でいいのだ。さて、ならば誰よりも「わがまま」に生きる方法はあるのだろうか。やるだけやって、がむしゃらに生きて、疲れたな・・・と思ったら後先考えずに「ぽっくり死ぬ」、これ、結構究極の「わがまま」かも。人は、後先考えすぎるからくたびれる。「わがままに生きてわがままに死ぬ」。できたら、いいね。

話を「菅原やすのり」さんに戻すが、最後に会ったのはいつだったろう・・・「肩の力が抜けて、いい歌になりましたね」と生意気なことを申し上げたのだが、「藤原さんに褒めてもらって・・・」と謙虚に受け止める方だった。いい意味で「わがまま」に生きられた方だな・・・そんな気もする。合掌。


2015年8月5日水曜日

「老人性?」

手の甲に出来たイボが気になったので皮膚科に行った。「このイボを取りたい事と、足に出来たこのシミのようなものが気になるんですが・・・」と医師に告げた。「イボはウイルス性ですね、すぐ取れます。足のこれは・・・老人性脂漏角化症です、良性です」。

「先生、最初の2文字が気に入らないんですが。その老人というネーミング、何とかなりませんか?」と医師に訴えたのだ(笑)「皮膚ガンかもしれないじゃないですか!」「では念のため写真で検査しましょう」と余分な検査をして高い診療費を払った(苦笑)

病院から会社に戻ったとたん、社労士さんから電話が。「老齢基礎年金の件ですが・・・」。この話題も「老」だ。いい加減にして~~~

最近、日焼け止めジェルを使っている。「男が日焼け止め?ざけんなよ!」という種類の戯言をつい先日まで言っていた気がするのだが、別の皮膚科の医師から強く勧められ、心を入れ替えた。すべて皮膚がんの予防のためだそうだ。世の男子諸君!日焼け止めジェルを塗ってから外出したまえ!。

ま、気分的には「老人」とはなんら関係を持っていないのだが、体力的にはいささか不安でもある。同じ姿勢でいると美しく立ち上がれないし、深夜12時を過ぎたら酒も要らなくなる。美しいお姉さんをみてもドキドキ感は半分程度になったし(決して枯れてはいない!)口説いてるふりをしていても面倒くささが前面に出ているし・・・。なら、ただの老人じゃないの?って?

ところで「老人性」とは「老人の性」ということ?駄目だこりゃ。おあとがよろしいようで。