2015年9月8日火曜日

「櫂」

EUと難民の問題が毎日のようにクローズアップされている。現実的には、遠い地域での話なのだが・・・。これが受入国が「日本」だった場合、どういう社会現象が起きるのだろうか。今の日本で、「安保法案反対」「憲法違反」と叫ぶ人々は、日本に難民が押し寄せたとしたら、どう叫ぶのだろうか?

自国だけが平和ならいい、自国の平和のためにだけ憲法がある、というのだろうか・・・。その問題に関しては門外漢を決め込んでいるが、愛読している新聞は「読売」と「産経」と「日経」だ。どっち寄りかすぐに想像がつくというものだ。首相が大阪でテレビ出演していたら「国会軽視だ」とかみついていた野党の見慣れた議員がいた。「上げ足ばかり取ってんじゃないよお前!」と言いたくなる。

日常の生活の中にも、「批判的指摘」にエネルギーを消耗している人が結構いる。幸せを感じさせない「暗がりの占い師」が、人の幸せを説いているようなものだ。「反対」や「だめ」を叫ぶだけなら結構楽な作業だとおもう。それぞれの立場が違えば、見え方も考え方も違うのは当然だが・・・。

ま、文句ばっかり言ってるやつは、好きになれないということなのだが。じゃ「私なら責任をもってこうします」と己の責任論に触れてほしいね。

話は変わるが、
今日の昼飯はとても久しぶりに会社の近くの「牛舎」という店に行った。ここのマスターとも付き合いは長い。もうかれこれ20年ほど前、ラスベガスのあるホテルでばったり出会ったマスターだ。日本人がほとんど居ないあるホテルでばったり!出会ったのだ。確立としてはすごい話だ。そのマスターが実に若い。何でそんなに若いの?と聞いたら「これですよこれ!」と言って満面の笑みで小指を立てた。自己責任で完結!こういう生き方がいいよね。

「平和」と「自己責任」、「博愛」と「自己愛」、情報が氾濫する現代という「海」を漕いで行くのか、流れに身を任せるのか?俺か?漕ぐに決まっているじゃないの。で、その漕ぐ「櫂」は、どこにあるんだ?(笑)。