2016年5月31日火曜日

「したたかな生き方とは」

先日、久しぶりで「なかにし礼」さんと会った。二人で一時間半ほど話し込んだのだが、お元気でなにより。すべてが衰えていないというか、前向きというか。大手術をした後とは思えなかったな。杖は手にしていたけどね。


待ち合わせたラウンジで、礼先生が注文したのは「タルト」。一通り注文を聞いたウェーターが去ってから先生に聞いた。「タルト」って何?(笑)俺知らねぇよ。

話は一気に進むことはなかったが、藤原も食い下がる。あれこれ言葉を駆使して説明と要望をするのだが、なかにしさん一言、「言葉じゃ負けないよ!」。そりゃそうだ。(笑)すべてかないません!
なかなか一筋縄ではいかない方だから、逆に闘志は沸くけど。

そんなこんなで5月が終わる。番組の仕事のない魔の3か月を前にして、胃を痛めていたのだが、以前に出していた提案6本のうち、年度内に4本採択になったとさっき電話があった。電話の主に一言。「あぁ~息がつける・・・」。本当にそんな気がするのだ。

昨日は、小さな音楽大学の先生が来て、一度でいいから学生に90分講義をしてくれないか、と言われた。俺が学校で講義?「おんなの口説き方」「ダジャレのすすめ」「転んでもただで起き上がるな!」とか講義する?中卒で集団就職の俺が学校で講義?ははは、ほんとかね。

ず~っといい人を演じて、なるべく出しゃばらない生き方をしてきた気がする。どちらかと言えば謙虚にね。バランスでいえば、攻撃より守り、攻めているようで、どこかで一歩引いてしまう・・・それもこれもい「いかっこし」だから。それか、本質的に気が小さいから。

それにしてもいろんな出会いがあった。その出会いの中に今の藤原が存在しているのだから、数々の出会いを大きなエネルギーに変えてもいいのに、どこかで遠慮してしまうんだよなぁ。生き方上手なだけで、仕事上手になれない。「もっとしたたか」、お題目にするかね。深呼吸して唱えてみよう。「もっとしたたか、もっとしたたか、もっとしたたか」。もっと舌かむ(笑)

2016年5月24日火曜日

「変わりゆく景色」

通勤途中にオリンピックスタジアムの工事現場がある。自宅のこんな近くでオリンピックが開催されるんだ・・・などと思いながら毎日通ることになるのだが、今は前の景色がなかなか思い出せない。そんなに意識したことがなかったせいだが、街中の景色は本当によく変わる。

自宅近くの公園で先日氏神様の例大祭があった。長年この公園で行われてきた祭りだが今年が最後らしい。公演を突っ切る新たな道路ができるのだ。きっとここの景色ももうすぐ変わる。そして前の景色を忘れて行く。何事もなかったかのように、新しい景色に馴染んでいく。いつもね。

東京の街の景色を記憶に留めるには、結構努力がいるよね。やれやれ。

さて、今年も会社のベランダに「ゴウヤ」の苗を植えた。ここの景色が変わっていくのはうれしい。毎日少しずつ成長していく姿は、けっこう楽しみ。でも、俺はじじいか?と思うこともある(笑)花や葉っぱをいじって「満足してんじゃねぇよ!」ってな気分になることもあるんだな、これが。

そして年末には家族の景色が変わる予定だ。「孫」だって!。う~ん、これに関してのコメントはこれ以上はやめておこう。ますます「じじい」の世界に入り込みそうだから。

そして季節は移り替わる。もうすぐ歳を重ねる。今のパスポートの写真を撮った時、「じじい」みたいでいやだった。今その写真を見て、若かったなぁ・・・などと思うのはなぜ?免許証ももうすぐ更新だ。そこに張られる写真が、前の「景色」のままだったらいいのにね。あぁ、きれいな「景色」で居たいってか!(笑)

2016年5月19日木曜日

「思いつき」

国立西洋美術館で開催されている「カラヴァッジョ展」に行ってきた。特に興味があったわけではなかったのだが、テレビで何度も放送していたものだから、そんなら・・・と。そうしたらあの建物が世界遺産登録だって。普通の建物だけどね、なんて思ったりして。

ルーブルとかエルミタージュとかメトロポリタンとか、美術館は結構見て回っているが、特に美術愛好家というわけでもない。花が好きでも花の種類が分からないのと同じように、絵画や美術品を鑑賞はするのだがそれ以上ではない。「確かあそこで鑑賞したあれは誰だっけ、ほら、あれあれ、ハスの花・・・あぁモネね」というレベルで今日まで来てしまったから、時々鑑賞したことすら忘れている。広く浅く、まさにそれを実践しているがのごとく、の生き方(笑)。

「こだわらない」とは違うんだな。本質的に「興味がない」という方が近いかもしれない。でも、学ぼう精神でいろいろ試みる、のだが、広く浅すぎて蓄積されていないような・・・気もする。

さて、今年も会社に恐怖の空白期間が生まれようとしている。恐怖を打ち消すためにいろいろなことを考える。番組の提案はもちろん、毎日を忙しく過ごすための何かを求めて・・・。こうして机に座っていても恐怖を覚えるのだ。座っているようではいけない!というように。

9月に結構大きなステージの構成演出をやることになった。ならばもっと大きな舞台を仕掛けようかな・・・と思いつき、動くことにした。イメージは1万人集客規模のコンサート。成功の確率?そんなもん分かるわけがない。「やる」lという決心と「とにかく動く」しか、スタートの方法はないのだから。心配が先に来たら、スタートすらできない。心配はないのか?もちろん心配だらけ、本音はどこに?(笑)

若いころは「思いつき」だけですぐスタートできた。結構やり遂げてきたと思う。今?妙に安全運転だ。そんな自分にイラつきながら来月はまた歳を重ねる。この繰り返し、いつまで続く?いや、いつまで続けられる?かな。「思いつき」、大事だよ。きっと絵画鑑賞も、そういう意味では無駄になってはいないね、きっと。

2016年5月10日火曜日

「保険」

銀行の担当者が来て、年金型の保険商品で毎月一定額を支払い、10年後にようやく権利が発生するという商品の勧誘をされた。「俺、いまいくつだと思っている?10年支払え?75歳までこれから積み立てを続ける?60前の人間に勧めろよ!」「それはそうなんですが、社長ならなんとかやっていただけるかと・・・」

そのやり取りの結果は想像に任せるとして、今から10年先の人生を「読めないよなぁ」とつくづく思ってしまった。積み立てる、ということは収入が無いといけないということだ。もう50年間も働いているのだから・・・あとまだ10年か・・・という思い。ま、死ぬまで働くんだろうが、保険のために働くこともなかろう・・・と。

しかし銀行のH君だけが喜ぶことになろうとしている。

そんな小さな葛藤をしているときに限って、イギリスに居る息子からメールが。学費と滞在費に関する経費のメールだ。要は「金送れ」ということなのだが。毎日、円高円安の情報が気になる。送るタイミングになるとなぜか円安に振れる。娘の時代から続いているから、結構馬鹿にならない。

働き続けるということが天命なのか宿命なのか。でも俺、「保険」という名前が付くものが大嫌いなんだよね。許せるのはまぁ自動車保険だけかな。

でも、火災保険も疾病保険も掛けてるよな・・・

保険が「嫌い」という原因はわかっている。物心ついたころ母親が保険の外交員をやっていた。その時代のトラウマだ。保険はやっぱり嫌いだ。

だが、銀行のH君がもうすぐ契約書を持ってやってくる・・・最も嫌いな介護保険の年齢になってしまったと思ったら、次は「たのしみ未来」というどうでもいい保険だ。誰か、俺の「こんな精神」に保険を掛けてくれない?!

2016年5月6日金曜日

「思い出さんに こんにちわ」

ゴールデンウイークはいつまで?昨日までか?日曜までか?などどうでもいい疑問だが、世間はまだ休日週間気分であることは間違いないね。会社の電話はほとんど鳴らないし、世間もなんとなく静かな気もする。3,4日とOFFにして静岡の家内の実家に行ってきた。やや、年齢相応になってきた義父の見舞いも兼ねて行ってきたのだが、片道たったの200キロ程度なのに、なぜか遠く感じるようになってきた。静岡なんて、すぐそこだったのに。

さっき、新聞の記事をもとに伊勢志摩までの道のりを検索したら500キロ程度。「あ、無理!」と瞬時に思ってしまった自分にびっくり。でも、去年は岩手まで往復したけどね。

静岡の帰り、日用品などを扱う大型店に寄った。本来、買い物はあまり好きではないのだが、買い求めたのは会社の備品ばかり。履物、、ゴミ袋、ゴミ箱、ブックエンド、ベランダの整理箱などの各種整理用品etc. 洗面所に置こうと思った歯ブラシが見当たらない・・・(苦笑)

せっかくOFFなんだから、会社から少し離れろよ、ってなもんだが、会社に人が居ないとおもうと、頭が片付け脳になってしまうらしい。いつものことだ。だから人から「藤原さんはお母さん」とい言われてしまう所以かも。で、昨日の5日は邪魔されることなく会社を綺麗にしようと思って出社したら、なんと3人ほど仕事をしていやがる!のだ。仕事をしているものだから、目論んでいた場所を2か所ほど整理できず断念。でも、結構整理整頓は出来たね。ベランダの花も「日日草」に植え替えたし。

もう一仕事、と思っていたところに家からメール。「あみが(娘)来てますよ」。即返信「じゃぁ帰る!」そんなんで3日間は終わってしまったよ。

そんな娘にどうやら赤ちゃんができたらしい。赤ちゃんだよ、来週病院に行くそうだが、「気持ちが悪い」と言い続けている。今日、職場から「気持ちが悪くて死にそう!」というメールが来ていた。あぁ、あの娘がお母さんだって!見慣れていたはずの街並みがどんどん変わって以前の景色を忘れてしまうように、あぁ、家族の景色が変わってゆく。それがいつの日か「自然色」になっていくんだな。時々、思い出さんに「こんにちわ」をしておかなくちゃ!