2016年8月26日金曜日

「俺の旅」

昨日、北海道の帯広まで日帰りで出かけてきた。以前には沖縄を日帰りしたことがあるから、大したことではないのだが。北海道まで行って、昼はコンビニのとんかつ弁当、帰りは空港で「イカ刺し定食」850円・・・

結構、全国をまわってはいるのだが、こんな調子だからどこに行ってもその街の記憶が残らない。帯広も何度も行っているのだが、いつ、何のために帯広のどこに行ったのか記憶にない。もっと困ることがある。例えば家族と旅行したとき、誰と何のために来たのか思い出せないことがあるから、うかつにこの街に来たことがあると言えない!(笑)

突然海外旅行をするが、ほとんど無計画だから、同じ国に何度行っても言語はほとんど話せない。通じようが通じまいが片言英語と思いっきり日本語で済ませてしまう。さすがに日帰りはないけど。韓国に一泊だけという旅はあったな。旅のツアーは嫌いだ。スケジュールをみるだけで嫌になる。到着翌日から「朝出発」「早朝出発」「午前出発」のオンパレードだ。

誰かの都合で、旅のスケジュールを管理されるのが嫌なのだ。以前社員旅行で韓国に行ったときはツアーだったが、連れまわされるのが嫌だったから翌日風邪をひいたと言って自分だけベットに残っていたら、韓国人の担当者が部屋に二人も来て、一緒に出掛けるよう説得された(笑)。社長がお財布係だということを前日の観光で知っていたから、連れて行きたいのは彼らの商売上の都合なのだ。おれは頭が痛いの!とか何とか言って無視していたら彼らはあきらめてくれたが。

先日久しぶりでソウルの友人から電話があった。「そろそろ来ませんか」。とてもいいやつで、空港に送り迎えをしてくれるし、食事の場所も連れて行ってくれる。だが彼、結構仕切るのだ。明日何時がいいですか?と聞いてはくれるのだが「10時に迎えに来ます」と決め、9時半ぐらいに「今ロビーにいます」となる。「お前が10時と言ったろ!」。

旅先では誰にも仕切られたくない。自分の時間で、自分の気の向いたほうへ向かい、気の向いたものを食って飲んで、好き勝手をするのがいいのだ。それが旅のだいご味!藤原にはね。

2016年8月23日火曜日

「どこにそんな才能が?」

昨日は、演出を担当している「三山ひろし」君のコンサートのリハーサルだった。そのリハーサル会場でおよそ50年ぶりに出会った人が居る。三山君の事務所の社長「松前ひろ子」さんだ。彼女は今とは違った芸名で、その時代「北島三郎」さんの前歌をやっていた。藤原はみんなから「ボンタ」と呼ばれるbass弾きだったから、松前さんの伴奏を2~3年やっていたことになる。あれから50年!(笑)松前さんは何度もこう言った。「どこにそんな才能があったんでしょうね!」。

笑い話ではないのだ。たぶん松前さんより少し年下だったはずの「ボンちゃん」が、久々に出会ったと思ったら、三山君の出る音楽番組を創っていたり、彼のNHKホールのコンサートの構成演出をしていたり、彼女にとっては想像を超える驚きだったに違いない。自分自身でも、その変化に驚くけど。

そう言えばさっき、「北島三郎55周年記念パーティー」の案内状が届いた。50年とか、55年とか、数字の大きさにすでに驚かない年齢になった。言えることは、みんな頑張っている、と言うことだ。皆さんは一筋の道を歩んでいる・・・藤原は?幾筋もの道を歩んできた。だが、誰かに一言書け、と言われたら、「一途に生きる」と書くことが多い。一筋ではなかったが一途ではあった・・・そう思いたい。

話は跳ぶが、会社の自分の部屋が雨漏りをした。犯人は上階の住人だ!上に住んでいる奴は誰だ!あっそうだ「大家」さんだ。さっき担当のおじさんが来て実況見分をしていったが、どうやら現在新しいオーナーは上には住んでおらず、ベランダが洪水状態だったらしい。「私が言ったと言わないでください」と担当のおじさんは言ったので、ここに書いた(笑)。悪いのは、大雨だってことか。

AM11時からの行くべき会議を失念!社員が一人出ていることを確認できたので、出席をあきらめこのブログを書いている。忘れちゃいけないよ、大切な会議を!小さな才能に満足していちゃいけないよ!失念を反省しろ!藤原!

2016年8月10日水曜日

「少年時代」

夏は大好きなのだが、さすがに暑いよ。この10日間か。7月の末に森昌子さんの収録があり、昨日が小林幸子さんだった。今日は15日に予定していた函館日帰りのインタビューロケをキャンセルした。内容に変更が出たからなのだが、航空券をキャンセルしたら半額以上キャンセル料をられた。そんなもんなのかね。3人分だったから、笑えないよね。

1日に都内の某大学で講義をしてきた。夏の集中講座だったから時間がいい加減で110分ぐらいしゃべってきたかな。生まれて初めて大学という学校の教室に入ったことになる。なんせ、学校は夜間高校1年の2学期までだったからなぁ・・・

泣ける歌と言うものがある。泣けるほどにいい歌、と言う意味ではなく、その歌を思い出すだけで涙が出てしまう歌、と言う意味だ。先日某プロデューサーと収録後飯を食っていた時の事。酒は当然飲んでいたが、何かの拍子で「思い出の歌」の話になった気がする。「俺の心の歌は三波春夫のおーい船方さんなんだよね」「それはまたどうして?」と言う具合に話が進んだ。「実は俺の親父は死んだと教えられていて・・・」「それがある日生きているとわかり・・・」

この辺のくだりはやや長くなるので先へ進むが「その時泣きながら歩いて帰ったときに唄っていたのがおーい船方さん・・・」と言い始めたら不覚にも涙がジョー~てな感じ。前にもこのくだりで「泣いた」ことがある。

すこし酒を飲んでいたりすると、「あのシーンのあの感情」がストレートに出てきてしまうのだ。子供時代に味わい、心に刻まれてしまったものは、呪縛のようになかなか解きほぐされないものらしい。
他にも、子供時代、死んでしまいたいぐらいの「淋しい」シーは沢山あった気がするが、ほかの「ネタ」は涙が出ない。なのに、これだけは泣ける。

純粋と葛藤と反抗と淋しさが掛け算をしているような少年時代だった気がする。夏が好き、とこだわるのも、あの時代の「何か」が作用している気がする。夏でも、タオルケットだけでは眠れない。重みのあるもので包まれていないと眠れないのだ。汗まみれになること、わかっているのにね。