2016年10月7日金曜日

「55年という歳月」

5日に北島三郎さんの55周年を祝うパーティーがあった。50周年のときは東日本大震災があったので開催されず、周年を祝う会は10年ぶりなはずだ。手術のあとなので、歩行はなかなか辛そうだったが、そこは気丈な人だ。終始にこやかに対応していた。

たぶん、人が思っいてるい以上に自分にとっての歳月は北島さんに重なる。パーティーの会場に向かいながら考えた。彼が歌手をやめたら、自分の一つの時代も終わる・・・こういう気持を、文字に起こしたらなんと書くことになるのだろう・・・表現に困るのだ。

16歳の時の出会いから、66歳になった今も付かず離れずなんとなく近くにいる。どこか弱った北島三郎を目にすると、なんとも言い難い想いが自分を襲う。パーティーで使用された写真の中に「角度を変えて撮ってくれたらあそこに俺が居るのになぁ」という写真があった。「昭和43年、新宿コマ初座長公演」とテロップが打たれていた。あそこに、俺が居たんだよなぁ・・・

パ―ティーで顔を合わせた大勢の歌手の皆さんと、昨日の「日本のうた」の収録でも顔を合わせることになった。小林旭、大月みやこ、美川憲一、山本譲二、瀬川瑛子、「昨日はどうも、12時間ぶりですね・・・」のように。結構狭い世界で生きているんだよなぁ、などと思ったりもして。

今日、一人昼飯の帰り、気付いたことがある。歩くスピードがやたらとゆっくりだ。10年前はかなりせっかちな早歩きだった気がする。歩幅も小さくなった(気がする)。頭だけはめまぐるしくいろんなことを考えている(ような気がする)。

やや歩行に困難を伴う「55周年の北島三郎」の姿に接したことで、自分の生きるスピードを現実として捉えることになった。いや、捉えざるを得ないのだ。さまざまな目標値をどこに設定するか、とかね。

パーティーの途中、安倍晋三内閣総理大臣が祝辞のために駆け付けた。この国会の忙しい時に・・・北島三郎という小さな巨人に、改めて尊敬の念を抱いた瞬間でもあった。