2017年4月28日金曜日

「出逢いと素敵な音楽に乾杯!

先日、我が家にお寿司屋さんが来て、ダイニングで握りずしを振る舞ってくれた。おやじは近所ですし店を営んでいたのだが高齢を理由に店じまいをした。それから奥さんの嘆きが始まる。「店を続けていればよかったとか、おれはもう駄目だ、愚痴ばっかりで嫌になる」。なるほどなるほど。

老人性鬱もあるとかで、たまに逢うといかにも生気がない。それでこうなる。「俺んちに来て握って食わせてよ!」。彼は入念に仕込みをして、奥さんと素材と道具一式をもって来てくれた。それも大量に。我が家は4人だったから、食いきれないと判断して知人に電話をするも急すぎてだめ。

一通り食べ終えた頃から、職人だった彼は何度も泣く。奥さんは藤原を「のりちゃん」と呼ぶのだが彼は「社長」とか「社長さん」とよぶ。「その呼び方やめてよ、町内会の仲間なんだから」というとまた泣く。どうやら「仲間でしょ」が涙のツボだったようだ。

娘が、彼が寿司を握っているかっこいい姿を写真に撮り、すぐ紙焼にして渡したら、また大泣き。道具をもってご夫婦を彼達の家まで送ると、エレベーターの中でも大泣き。でも、でもそんな彼が大好きだな。

同じ年配でも、今日は強烈なパワーを持った女性にあった。久しぶりだった。「なんであなたと親しくしているんでしょ、なんか縁があるのよね・・・」。猛烈な勢いでいま本が売れている小説家の「佐藤愛子」さんだ。周囲の人は「目指せ100万部です!」と。ニュース番組でも特集を組むし、週刊誌も特大特集を組むし、あっちでもこっちでも「佐藤愛子」を目にするし耳にするし、すごい勢い。

今日NHKに行くから、と今朝電話をいただいたので、局内の喫茶店で逢った。お元気だった。こっそり「そのパワーを少しください!」と念じたけどね(笑)。

さて、5月20日に三越劇場で開催される「純烈」のショーの構成演出をする。間に合っていない。5月2日にPVの監督をする。30日にロケハンをするからそれから画コンテを書く。もろもろ間に合っていない。スタッフ募集をしていたのだが明日ようやく最後の面接。これには結構パワーが必要だった。
5月1日にはケリをつけたい。

そうそう、昨日は久しぶりに「サーカス」のコンサートに行ってきた。コットンクラブ東京という会場だったが、彼らのコンサートに会場はぴったりのサイズかな。満足できるいい音楽を聴いた。

2017年4月14日金曜日

「木綿子という女の子と元漁師の父の物語」

社員のブログ読んで、ウルウルしてしまった。不思議な感情と懐かしさでだ。俺のツボを突くんじゃない!海老!

昨日、福岡の友人から久しぶりに電話があった。藤原が30歳ぐらいの時に出会った彼は、五島列島・福江島で漁師をしていた。今でも藤原を「あいしぇんしぇ(先生)」と呼ぶ。その時彼の娘は小学1.2年生で、真っ赤なランドセルを背負っていた。本当にチビちゃんだった。

その娘は今、福岡でバリバリ仕事をしているが、父である友人が電話口でこう言った。「木綿子が妊娠して今3か月、高齢出産だから無事育ってくれればいいけど」と。彼女が高齢出産?イメージが沸かない・・・

以前にも書いたことがあるが、名前の「木綿子」は女優の浜木綿子さんからとったものだ。父親が浜さんが大好きで、その名前を拝借してしまったのだ。

以前「浜さん」をインタビューロケした時、個人的なお願いとして、福岡の木綿子ちゃん宛のメッセージVを収録させてもらった。公私混同なのだが快く応じてくれた浜さん。

そのVTRがきっかけで浜木綿子さんと福岡の木綿子ちゃんは親しい関係になったらしい。7月に福岡の博多座で浜さん座長の公演があり、親子で楽屋に招待されたとのこと。昨日の電話の主題はその話だった。

「先生、手土産にいったい何を持って行ったらいいか・・・アドバイスして!」
「福岡のお菓子とか花とか当たり前だから、五島の名産なんかどう?五島出身です、なんて方が話題が広がるから五島をイメージする何かがいいよ、どうせ周りのみんなにあげるんだから」
「わかった、五島のイカの一夜干しにしよう!」

五島のイカの一夜干しなら、俺も欲しいよ!!!

人生という歩みの中で本当にたくさんの人々と出会ってきた。そして多くの良い人たちは、藤原の記憶と心のひだに、しっかりと刻まれている。

2017年4月7日金曜日

「24年目の道」

早いと思えばいいのか、まだ、と思えばいいのか、会社が24年目を迎えた。だが、炬燵の中で慣れないワープロを使って、会社設立の書類を作っていたのは確かに遠い記憶だ。まだ寒い時期だったんだろうな。そして登記したのが4月5日。

40歳を迎え、音楽を捨て、NHKの番組の手伝いみたいなことを始めてから2年目だったと思う。資金もなく、成功の見込みも読めず、危ない船出だったことは確かだ。思えばよく歩いてきたもんだ。

アズ クリエーションという社名にたどり着くまでに、結構時間を費やした。あれでもない、これでもない、それでもない・・・まてよ、俺は欲張りだ。《あ~ん》迄全部、50音でいえば《あ~ん》だが、アルファベット表記なら《A~Z》だ!こんな脈略で社名が決まることになる。

会社の作り方という本を片手に一人で全部やったっけ。設立資金は全部借金だった。有限会社でスタートしたのだが転機はすぐにやってくる。ある取引先に請求書を持参したら、担当者が「おーい、うちは有限会社と取引できるんだっけ?」と。この言葉が突き刺さる。

猛烈な勢いで株式会社に変更することとなった。法律が今とは違うので、それなりの資金が必要だったが一気にやり切った気がする。コンサート会場に並べられたアズからの祝い花の看板が、有限から株式になっていることを目にした時に、現実を実感したもんだっけ。

そんなこんなで24年目を迎えている。あまりにも紆余曲折がありすぎたが、それでも24年目を迎えている。この先、どんな人と出会い、どんな仲間と歩みを続けるのかと思うと、迂闊に言葉にできない気がする。

「年を重ねただけでは人は老いない 理想を失うときに初めて老いがくる」なんだそうだ。

2017年4月4日火曜日

「時代」

3年ぶりで整形外科へ行ってきた。左肩が痛みすぎるので久々に行ったのだが、レントゲンを撮ると、肩と腕の接着部分の骨の隙間がなく、内部で出血もしていたとか。注射をしばらく続けることになり、首の牽引、患部への電気治療&肩のマッサージというセットの治療が始まった。

以前、右肩も同じ現象が起き、ペンも握れないぐらい痛みがきてから病院に行ったので、今回の左肩はそれほどでもない・・・と2年間ほど我慢してしまった。当然もっと早く来い!と言われる。先生曰く、「首も肩も回らなくなっちゃうよ!」だと。

運動しろ、とも言われるのだが、日常生活に無い動きだと、つい忘れてしまう。本来運動嫌いなのだ。だが、体がギシギシ言い始めていることを実感せずにはいられない。俺が歳をとったのではない。身体が勝手に歳をとっているのだ、と屁理屈を並べても行動は遅くなるばかり!(笑)

昨日の夜、サンクトペテルブルクの地下鉄爆発事件のニュースを見て、ペテルブルクの友人にメールをしようとPCを開けたら、すでに「私は無事です」とメールが来ていた。よかった。つい先ごろは息子の居るイギリスでテロ、今度はロシアもか、という感じ。平和ボケしてはいられない時代が、ついそこまで来ている、ということだな。

さっき新聞で、テスラという電気自動車の会社の株がフォードを抜いた、という記事を目にした。
そこで再び思ったのが、本当にいい時代を生きてきということだ。食べ物がない、とか、情報がない、という時代の工夫や知恵。汚いとか不衛生で得た耐菌性(笑)。社会の全体的な貧乏が生んだ食欲、物欲、出世欲。海の上に橋が架かる新しい風景、すべてが自動に変わる「便利」という「不便」。それもこれもほとんど「無」という現実からスタートして「溢れている」という現実までを体験できたのだ。

俺の記憶にある最初の車は、お隣のプロパンガスと醤油屋を営んでいる家の車で、親父さんがエンジンをかけるために金属棒をぐるぐる回している車だ。スターターの無い時代だな。それが電気自動車だと。写真はフィルムが一番!と言い張っていた時代は遠くなりにけり、だ。時代は回らず、一直線に進むのか?