2017年5月27日土曜日

「風評被害」

先日「風評被害」をテーマにした番組をたまたま観た。福島の「米」がテーマだった。厳しい放射能検査、流通システム、すべてクリアーして保証されている「米」なのに、「福島」という名前があるだけで売れない、敬遠される・・・産地名を表記しない工夫もされている。

番組を観終わった後、すぐにインターネットで「福島米」を探し注文した。30キロほど。届いたのだが重すぎてそのまま置いていたら・・・

現在授乳中の娘が米を発見「なぜわざわざ福島のコメを!」と小さな騒ぎになったらしい。そうなんだ、これが現実なのだ。飲み物もすべてカフェインレスにしているような娘が、わざわざ福島のコメを!と思うのもまぁ致し方ないのだろう。我が家にも風評被害の流れをくむ現実が存在したのだ。
俺が頑張って食って、少しだけ雀とも仲良くしようかな・・・

因みに、授乳をキーワードに検索してみたら、出るわ出るわ「授乳中」はあれが駄目これもダメ、それしちゃだめこれ食っちゃダメ・・・
医者が言っているのか栄養士が言っているのか知らんが、「駄目」でビジネスしている人の情報は参考になることはあっても、役には立たない。自分の動物的な感覚の方が、医者よりずっと現実的ということがある。外科的なもの以外はね。

情報が氾濫する中で何を、どれをセレクトするかは己の判断だが、情報過多な時代は次の世代に何を与えていくのか。20代の青年とついさっきそんな話しをしていたのだが、彼が「進化を遂げるか、退化するかですね」と言った。俺は退化論に軍配を上げた。

自分で考えることを忘れて、情報というマニュアルに沿って人間が生きてしまったら、本来の五感あるいは六感は失われ、人間としては退化だと思う・・・のだ。

東日本大震災の時、その日から丁度一か月後に岩手の震災現場に一人で行った。帰り、でこぼこした高速道路をわざわざ福島県内で降りて、スーパーに寄った。野菜は多くが他県のものが並べられていたが、福島の牛乳を買い求めた。再発売されたばかりだった。他にも福島産の食材を何点か買って帰ってきた。俺はそういう性分なのだ、と自分では理解している。

共存の意識は大切だ。今のままだと、きっと「人間力」は退化する。