2017年7月31日月曜日

「同人誌 こけし人形」

「こけし人形」という歌謡同人誌がある。歌謡系の同人誌は過去沢山存在していたが、現在はこの同人誌以外存在するのか知らない。月一発行で756集というのだから歴史は長い。


この同人誌との出会いは、僕がまだ10代の頃だった。18か19歳。雑誌は180集とか、まだ100番代だった気がする。ここで「詩」を書き始めた。「詩」を書き始めるような精神状態だったということだ。よく覚えている。
そのうち、この同人誌を紹介してくれた友人のピアニストが、作曲が向いている、と言ってくれたので作曲も始めた。
当時は世田谷の6畳一間のアパート暮らしだった。

何もかもが青春だった。「らりって」階段を踏み外したり、喫茶店の電話を壊したり、朝方配達されたばかりの他家の牛乳を飲み干したり・・・
金はなかったが、それ風のそれなりの友達が居た。

コーヒー一杯でジャズ喫茶に何時間も居座わり、途中でラーメン食いに出かけて戻ってもマスターは文句を言わなかった。どうやって食っていたのか記憶にない。「北島バンド」を辞めて直後の時代だった気がする。金はなかった・・・でも、この同人誌は続けていた。

今でも送ってくださる。継続のご苦労には本当に頭が下がる。
入会したころはまだ歌手志望だったかもしれない。あんなこんなで気分は作曲に転向する。24歳の時に初めての作曲作品がレコードになった。いきがっていて、今思えば可愛いもんだ、

音楽生活25年、先行きに不安を感じて「音楽」をすべてやめた。そしてテレビ業界へ。歌手になれなかったから、歌手にこだわる歌番組を沢山創った。そして、作家として大成しなかったものだから、敬意を払って作詞・作曲家の番組をたくさん創った。

そんな藤原の創った番組がどんどん追悼番組になってしまう。先日の「平尾昌晃」さんもそうだ。過去には「遠藤実」「星野哲郎」「岩谷時子」「船村徹」・・・番組は追悼番組となって放送された。

久々に「こけし人形」を手にして、一気に走馬灯のように過去が甦ってきたのだ。

2017年7月30日日曜日

「夏の日曜日」 
                                                                

新宿区余丁町という町に住んでいる。
町内会が主催する恒例の盆踊り大会
があった。

近所の花屋さんが、サービス券
(ただ券)を1500円分くれた
から顔を出さないわけにはいかない・・・
というので30分ほど出かけた。

ドンパン節とか北海盆歌とか
古典的な音楽が聞こえている。
この日のために練習したであろう女性
たちが櫓の上で一生懸命踊っている。

段取りなんか関係ない・・・
とりあえず櫓の上に行き
音楽が鳴ったら踊ればいい。
活舌の悪い進行係が何か言っている・・・
活舌の悪いプロレスラーが人気な
そうだからま、いいか。

でも、何を言っているのかよくわからない。
あ、写真撮っちゃってごめんね。
音楽が鳴ったのに、櫓の上で立っている
だけの女性陣?
※進行係
「あ!すみません!
裏面をかけてしまいました」
現代の若者はどれだけ理解できるのか?
本部を覗いてみると音源はレコード
だった!進行係はさらなる言い訳を・・・
「今年から機械を変えたものですから」
面白いから本部の中を覗いた。
レコードプレーヤーの隣に、
カセットテープが積んであった。
でも、ここは東京だ・・・                                                                                                                                    

2017年7月27日木曜日

「酒 2題」

なかなか進まない案件があって、今日は一日イラついた。冷静にふるまっているつもりなのだがあちこちにイライラが見え隠れする。家に帰ってからもイライラは収まらず、冷蔵庫から落ちた豆腐の容器をおもっいっきり床にたたきつけてしまった。

そんなときの妙薬がこれだ!倫太朗の写真!
PC画面の写真も変えたが、見るとはなしに可愛い写真に出くわすと
一瞬現実を離れられる瞬間となる。

写真は某所ビアガーデンのバーべキュー会場だ。
煙のいかない方が俺側だったから必然的に抱っこ。

一人で結構飲んでるね。ビール飲み飽きたから、「焼酎濃いめ!」
とか無理言って、次は「もっと濃いめ!」などと要求するおっさん。
ビアガーデンなのにね。



その2日後、今度はおじさん3人で飲み会だ。それも夕方5時半スタート。みんな、仕事ちゃんとしているのか!?                             

某 小山さん
某 アナウンサー
某 藤原

利害関係のない3人だから話題は
フラット。昔話から始まりそれぞれの
得意不得意,人生話から女性感まで。
金の話は出なかったね。
「こら!番組の衣装がだせぇよ!」
などと酔っ払い藤原が檄を飛ばすとかね。

ビールを飲み、焼酎が飲み飽きた時分だねこれ・・・ウイスキーに代わっているし  料理もほとんど終わっている。持つべきものは変らぬ友!みんな二十年以上の付き合いだ。このグループでいいのは口に安心できることと人の悪口を言わないこと。大人だもん、80歳と50歳と67歳。

このところ酒が続き、ベットの中で「俺ってバカだね」とつぶやくことが続いたので、昨日今日、珍しく2日間も断酒している。今年初めてか・・・
朝の支度は早いし、何といってもシャワーを浴びているときの気分がよろしい。酒残っていないことがこんなに楽なのか、とおもう瞬間でもあるね。飲みすぎてどれだけ時間を無駄にしてきたんだか!反省はしないと強い思いを持ちつつ小さく反省しているわ・た・し。
                 

2017年7月24日月曜日

HappyBlue

婿殿が出張中だったので、娘と孫とカミさんと、久しぶりでカミさんの実家である静岡の爺さん、婆さんを訪ねた。静岡の両親は「倫太朗君」とは初対面。数時間の滞在時間だったが、ほとんど寝たきりの爺さんが起き上がって満面の笑み。この一年ほど病気のため能面のような表情だった爺さんに、表情が戻った瞬間だった。なんと、帰りには外に出てきて見送ってくれた。

前回行ったときは殆ど会話もなく、無表情だった義父。やはり人は豊かな表情で人に接することが一番だ・・・とつくづく思うのだった。

娘が結婚してから、「娘を独占!」したことがなかったから、いやはや「至福の時間」だったよ。ははは、婿殿!ごめんね。

この土日は、本当に久しぶりで「日常の平和」を感じた素敵な時間だった、と朝まで思っていた。そして出社後の朝1番、税理士事務所から電話が。「税務調査が入ります」だと。

気分は一気にブルー・・・。「ざけんなよ!」って気分になるんだな、それが。日ごろの経営の苦労なんぞ彼らには関係ない。細かい数字についてあれでもない、これでもない・・・「お前!一週間でいいから俺と一緒に働いてみろよ!」と言ったところで無駄だしね。

Happyな気分はなかな長続きしないという現実があるだけ。

そんな最中、テレ東のプロデューサーから電話。「9月収録10月OAの番組を制作できますか!?」
ブルーな気分は少し改善!こんな状況を一喜一憂というのかね。だが、その日は出張で俺が不在の日だ、とあとで気が付く。対策はあとで考えるとしても、気分が多少改善できたことに感謝しよう。

2017年7月18日火曜日

「充実の日々とは・・・」

このところ、昼飯を食うと眠くなる・・・まるでお子ちゃまか、おじいちゃまだ。睡眠障害を意識してから何か月たつだろうか。始まりは去年の秋ごろだった気がする。気休めに眠剤を飲んで寝ることにはしているが、ベットの上をゴロゴロしている自分を意識しているから、結局は熟睡出来ていないということだけれど・・・

105歳で亡くなった「日野原重明」さんの訃報を目にして、俺はこんなんでいいのかな、などと改めて思ったりもする。75歳を過ぎてから第3の人生が始まる、とおっしゃったそうだ。日ごろ、俺はもう社会人52年生だと口に出し、人生のゴールをなんとなくイメージしている自分が、小さく見えてきたりする。ま、日野原さんは別格だけどね。「充実していること」それが基本だということだ。

今日、久しぶりに以前大変お世話になった「お坊様」の仏前参りをしてきた。今年17回忌だと伺ってびっくり!奥様に「間違えていない?」と言ったほど。会社を始めるにあたり、当時すべてこの「先生」の言う通りにした。「この方角にしなさい」「設立は何年何月にしなさい」「今タイミングではありません」「〇〇がいいでしょう」etc.

会社が軌道に乗って、恩返しができるようになったころ亡くなった。目の前が真っ暗な感じだったね。この先、俺は一人で大丈夫か?と不安に。だが、残された奥様が「藤原さんはもう大丈夫、卒業されましたから・・・知野がそう言ってました・・・」

※ 先生は「知野哲山」を名乗る真言密教のお坊さんだった。

今も、会社に知野先生が描いた仏画が当時と変わらぬ状況で飾ってある。変わったと言えば、周囲の壁紙が薄汚れてきたことだ。年月を感じる。先日、会社の部屋を担当する不動産屋さんが来て、このビルでわが社が、1、2番目に居住年数が長い、という話になった。先代から受け継いだ現オーナーも、不動産屋も、わが社の入居時のことを知らないのだ。

隣の部屋をぶち抜いてドアを新たに設置し、ベランダ部分を部屋として広げ、トイレとシャワーだった場所を倉庫に改築し・・・こんな勝手をすべて前オーナーは許可してくれた。それもこれも、長い年月の一ページ。この先を長いと思うか、まだまだと思うか、「充実の日々」を重ねる道のりは険しい・・・のかも。と、知野先生の仏前で思ったような、思わなかったような・・・(苦笑)

2017年7月12日水曜日

「日常の光景」

昨年12月に孫が誕生した。日常の暮らしの中に新たな主役が登場したわけだ。なのに、パソコンの待ち受け画面も携帯の待ち受け画面も「娘」だった・・・。まだ娘がロンドンに居た頃からPC画面は娘の写真だったから、長いこと毎日こんにちわしていたわけだが。

娘が結婚して2年以上、孫も元気に育っているのだから・・・ということでPCの待ち受け画面は変えた!(携帯はまだ娘!俺って、変か?笑)
                      
 これはこれで、PC画面を開くたびにんまりしてしまう。

 自分が「孫」と言っていること自体変な気分なのだが。

 最近時々、俺って幾つだっけ?と思うことがある。

 あ、でも俺は「お爺ちゃん」ではなく「のりぴー」
 だけどね。  あとどれぐらいで、この子が俺を
 「のりぴー」と呼んでくれるのか。



  《中国のある街の日常の一コマ》
  
  4人乗りなんて普通の光景
  横断歩道で待っているだけ偉い!

  この数年で登場した信号機だが 以前はかなり
  無秩序だった。今では、バイクの5台に1台
  ぐらいが、こうして信号機に従っている。
  子供の教育のためだ(笑)                                     

2017年7月11日火曜日

「7月ですよ」

先日久しぶりに海外に出かけた。帰りの飛行機の中で観た映画「きみに読む物語」には泣けたな(笑)。ずいぶん以前に、ロスからの飛行機のなか中でボロボロ泣いて以来だな・・・と思うほど泣いた。以前はアメリカ系の飛行機だったから、肌が黒系のスチュワーデスさんが心配して水を持ってきてくれた。今回はANAだったが中国系のスチュワーデスさんが多く「このおっさん、なんで泣いてるの?」って感じ(笑)

さて、8日に一年ぶりとなる「キム・ヨンジャさん」のPVを撮影した。彼女もいつまでも変わらないね。彼女と仕事をすると、なぜか懐かしい・・・という気分になる。今回も、家の中からいろんな小道具を持って行ってすべて撮影に使ったし、撮影用の飲み物も藤原のお手製。曲の間奏の映像に使ったカットは大声では言えないが、自宅の一部を3カット撮って使った。言わなきゃ絶対にわからないけど。曲名は「赤い涙」。赤い涙?どんな涙だよ!薔薇の花びらで表現してみた。



この角度で撮るなよなぁ 瀬口!
俺、足、無いじゃん!

このスタジオで6時間、このあと
迎賓館前の公園に移動。

夜は彼女の知り合いの韓国料理店
で打ち上げ。

次の日コンサートだというのに
お疲れさまでした!