2017年8月24日木曜日


「在りし日の出来事」

最近、ふっと岩手に行こうかな、と思うことがある。神経がどこか昔帰りをしているのかもしれ
ない。これから制作する「千昌夫」さんの番組があるのだが、提案を読んでいるうちに思い出し
たことがある。昭和41年、上京したその年、上野近辺の会場で岩手から上京したいわゆる「金の卵 」を集めて激励会のようなイベントがあった。その時のゲスト歌手がデビューしたばかりの
千昌夫さんだった。東京に出て、初めて見た「生の歌手」だった。(笑)

で、昔帰りをしようと思って仕事の手を止め、古い資料を取り出したら、なんと懐かしい資料を見つ
けた。1988年の日付があるハワイの日本語新聞だ。俺は作曲家として行ったらしい。
歌を歌ったことは覚えているのだが(笑)                                                                                                                                                                                 
 



〇この写真はその時の ホノルルのどこかのホテルの
 会場。ラジオで生中継された。宿泊先のホテルに帰っ
  たら「あなた、売れるわよ」と言われた(笑)

  1988年3月とあるから、37歳か。

 新聞に一緒に写っている「小谷充」さんは作・編曲家
   で音楽の師匠だった。

  ホテルが同じ部屋で(男どうし)湯舟とトイレが
   同じで、風呂に入っていたら、この小谷のおっさんが
   入ってきて隣で「うんこ」を始めた。

 アル中先生だったから、窓際にスリッパが揃えて
   あり、姿が見えず、思わず「飛び降りた?」と
   本気で心配した。
  嘘のような本当の珍道中だった。


〇これは大阪の当時の中之島ホールだと思う。

共演は「大月みやこ」さんや 「菅原洋一」さんだった
と思う。歌手ではなかったのに、なぜか人前で歌を歌っ
ている。

こんな写真を引っ張り出して、昔を懐かしんでいるよう
じゃ俺も大したことないね。

さっき作曲家の浜圭介さんから電話があって、来月の
約束をしたのだが、「その日生きているかなあぁ」と言っ
たら「俺と同じようなこと言わないでよ」と言われた。

俺は(スケジュールがあるかな?スケジュールが
 生きているかな?)の意味だったんだが・・・
どうもその日の「生死」の話になったらしい(笑!)

2017年8月21日月曜日

「残暑お見舞い申し上げます」

しばらくブログご無沙汰だったから、8月に入って何をしていたかなぁ、そんな思いで手帳をめくってみた。4日、コンサートとだけ書いてある。誰の?コンサート行ったんだっけ?そんな調子。他、いろいろ書いてあるがハッピーな気分になるスケジュールが見当たらない・・・そんな8月なのだ。(笑)

世間でいうお盆期間中、スタッフはそれなりに休暇を取ってくれた。俺も休めばいいのになんとなく出社。孤独な留守番の日が何日か・・・これが性分なんだな。土日なども休めばいいのになんとなく出社する日が多い。以前なら、提案を書いたりそれなりに積極的だったのに、今は社内の掃除をしたり、片付けをしたり・・・ただの貧乏性。

このところ番組以外のコンサート演出の話が進んでいる。赤坂BLITZの「新人君」のファーストコンサートだったり、「純烈」の国際フォーラムでのコンサートだったり。舞台演出は好きだから、二つ返事で引き受けるのだが、毎回求められるハードルが上がっていくような気がする。いやいや、自分でハードルを上げているのだ、きっと。

だんだん仕事案件が机の上に積みあがっていくのだが、相変わらずのスロースターター、なかなか手を付けられない。心に棘のように刺さっている懸案事項、2、3件がが解決すれば・・・などと半分言い訳をしながら、気分の晴れない8月だ・・・などとブツブツ。

だが、たいてい「いつも明るい藤原さん」と言われる。「いつもニコニコしてますよね、会社をやっていれば大変なこともあるはずなのに」と言ってくれた「彼」は俺の中ですごくいいやつになった(笑)   

それにしても雨が続く東京だが、今日は久々傘が要らないかもしれない。青空も見える。これでようやく「残暑」という言葉が使えるのかね。