2017年10月14日土曜日

「泣き虫が直らない」

その人の立ち姿に、50年という人生が重なる。まるで走馬灯のようにあれこれが甦る。その人の歌声には血の流れを感じる。そしてなぜか、血の近さを感じるのだ。

その人の名は「北島三郎」。紆余曲折はあったが、昨日収録した「BS日本のうた」に出演を願った。スタジオではなく、お客様のいる会場での収録に、ずいぶん心配の声もあった。何しろ「手術」をしてから初めてのオンステージのテレビ収録。

当日(昨日)本当に頑張ってくれた。音合わせの段階で少しふらついていたようだったから、心配はしたが、結果はすべてOK。音合わせの段階で涙が止まらなくなり、新曲を歌ったところで思わずステージ中央の本人に駆け寄り手を握ってしまった。周りにいた歌手の皆さんはびっくりしたに違いない。そのまま楽屋について行き、楽屋の中でこらえきれずに大泣きしてしまった。(苦笑)

今度びっくりしたのは周りのスタッフ。「先生は大丈夫だけど、こっちが大丈夫じゃないのよ!」長年北島さんのお世話をしている女性スタッフがティッシュの箱を差し出す始末。

他のスタッフが後で耳の側でこういった。「男が号泣する姿を始めてみました。藤原さんはテレビマンだと思えませんね・・・浪花節ですね・・・」

しかし、長時間の収録によく耐えてもらった。最後には「嬉しかった、楽しかった」とも言ってくれた。本当にお疲れさまでした。

あの一言が嬉しかったな。
「藤原は身内だから・・・」

出逢いから51年

数奇な運命を感じる。

3年前に亡くなった末の弟さんが
今の藤原と同い年。
俺はまだ、元気だけどね。
よく、泣くけど。

2017年10月7日土曜日

「時の過ぎゆくままに」

今日は川中美幸さんのお母様の告別式だった。本当にお母さん想いの川中さんだったから、その心中を察するに余りある。お母さんが亡くなつた3日後、生放送に出演してお母さんを題材にした歌を歌っていた。当然泣いていた。

偶然放送を見たのだが、もらい泣き。番組終了後、マネージャーにメールを送った。「番組って罪ですね・・・」と。あまりにも分かり易い制作者の意図が見えたから。でも、母親をあんなにも愛せた川中さんを羨ましいとも思ったけれど。

怒涛のような毎日が過ぎてゆく。税務調査は終わったけれど、後処理がまだ残っている。番組収録と同時だったものだから、心も体も疲労×2。12日の番組の準備で「北島」さんと最終的な打ち合わせが無事できたことが何よりの安心情報だ。それが終わると例年の「日本賞」が控えている。それが終わるとすぐに「純烈コンサート」のリハーサルがあるのだが、なんと構成演出に手を付けられていない。焦っている?そう、焦っている。美術打ち合わせがようやく明後日だから、そこからスタートかな。

社員がみんな手一杯なものだから、資料を作ってくれるスタッフパワーもないのだ!これって、本当に大丈夫?てな感じ・・・

間もなく娘夫婦が引っ越しして独立生活を送ることになった。丸1年同居していたかな。朝起きてやぁ「倫太朗」と呼ぶ相手も居なくなる。孫はすぐ俺を忘れるかもしれない・・・今だって長い時間一緒に居ないから、最近なんだか孫が俺を「しかと」。つい先日まで、顔をみてすぐに笑ってくれたのだが・・・孫よ!のりぴーにもっと優しくして!(笑)

だが、引っ越し先を聞いたら、自宅から4,5分の距離らしい。ははは、どうせ土日には実家に入りびたりだろう!と期待しているのだが。