2017年12月28日木曜日

「いろんな話」

東京の地下鉄は深い。エスカレーターは長い。その長いエスカレーターで、2列になった乗降客。右側通路を左側の人はルールのように空け、その右側をせっせと駆ける人たちがいる。黙って2列に並んで到着を待てよ、と思うのだが、右側の通路を急ぐ人たちがいる。

何秒も変わるわけではないだろうに、それでも人々は急ぐのだ。デパートの短いエスカレーターでも、右側に居ると「邪魔だ」と言わんばかりに急ぐ若者がいる。デパートぐらいのんびりしろよ。

急いだ訳ではないだろうが、旧知の編曲家が「亡くなっていた」ことをつい先日知った。彼の人生が幸せだったか不幸だったかは本人しかわからない。が、離婚して、長い間一人暮らしだった気がする。孫の自慢はよくしていたが。しかし、年齢を考えると、彼は死に急いだ。昔の仲間で、一度会って飲もうよ、と言ったのはもう2,3年前かもしれない。年賀状がまた一枚減った。

先日友人が沖縄に行ってきた時の話だ。沖縄に行く、と知人に話したら、いいホテルを安く取ってあげる、といわれ友人は喜んで頼んだそうだ。そして彼はその日、那覇空港に着く。で、那覇市内での打ち合わせを終えてホテルに電話をしたのだが、なんとホテルは確かに沖縄なのだが「沖縄市内」。那覇からは往復タクシーで15,000円ぐらいかかったのだとか。レンタカーを借りたほうがよっぽど安く済んだろうに。この話、現地沖縄から実況中継してきたので、久々にナチュラルな笑いを楽しんだ。「おバカだね!」

良い話、どうでもいい話、いやな話、さて今年はどの話が多かったんだろうね。まだ3日ある。いい話を探すとするか!

2017年12月27日水曜日

「思い出すということ」

ブログまで手が回らなかった、と言い訳からか・・・

つい先日、「歌のあとさき」という番組で「千昌夫」さんの収録があった。千さんは東京に出てきた年初めて見たプロ歌手だった(笑)。上野にあった体育館のような場所で、その年「集団就職」で岩手から上京した子供たちの、激励会のような催しもののゲスト歌手だった。昭和41年、あれから50年を超えた。そして今、彼の番組を制作している藤原・・・

千さんと、昔話をしていて、いくつもの忘れていた光景を思い出した。土壁の長屋住まい、井戸と便所は国道4号線を渡った反対側、桶で水くみをして、流し台の脇にあった樽にため水。千さんもしていたという「ヤクルト」とか「牛乳」の配達。新聞配達は小3~中2まで続いた。

彼は昭和40年の春休みに初めての上京をした。その同じ春休み、藤原も上京していたた。中2~中3になる春休みだったが、家出をして出てきた(苦笑)。浅草寺近くの旅館に一泊し、浅草橋にあった「化粧品問屋」のような店に住み込みで潜り込んだ。

親の承諾書と言われ、嘘を通しきれず結局岩手に帰り(当たり前だが)中3を終えて昭和41年春に正々堂々と上京することになるのだが。

本当に良い時代を生きてきた。「人情」がデジタルではなく、肌として伝わってきた時代だ。人とのコミュニケーションの取り方が、我々の感覚では追い付かない時代がもうそこまで来ているのだろう。

話は跳ぶが孫が先日一歳を迎えた。気分がすぐれないとき、携帯電話に届く孫の写真に目をやる。にんまりできる。「孫」と言っている自分にどこか納得していないのだが、世間が「お孫さん」というから仕方がない(笑)やっぱりジジイの領域かぁ。

年内に一度岩手に行こうと思っていたのだが時間が許さなかった。一度行っておかないと、景色も思い出も遠くなる・・・