2018年12月29日土曜日

「年末の会社で思うこと」

先日、久しぶりで中央線に乗った。新宿から三鷹を目指したのだが、新宿の中央線乗り場がなかなか見つからず慌てる。見つけたと思ったら反対の東京行き。普通反対のホームは逆方向だろう!と思うのだがどちらも東京行き。ならば下りのホームはどこなのだ!

昭和41年から東京で暮らしているのにこのありさま(笑)しかも新宿に住んで30数年、俺は田舎者か?それとも年寄りか?

なぜ三鷹?整形外科に通っている肩と腕の痛みがなかなか治らず、主治医が教えてくれた「痛みのクリニック」という病院に向かったのだ。レントゲンで確認しながら首にブロック注射。麻酔薬なそうだが麻酔薬だから処置後当然ベットへ。車椅子で運ばれた先にベットが20床ほど。その光景に思わず苦笑・・・一見してわかる相当高齢の爺と婆の寝姿・・・あぁ俺もこの仲間?

帰りも電車に乗ったが相当混んでいて、ふらついているのだが立ったまま。途中から乗ってきた若者の堅いカバンが腕に当たって痛い。それとなく顔を見たけど気づいていない。それならばと、当たっているカバンの角を腕の「ツボ」にあててみた。マッサージのようなもんだと思えば腹も立たない。

目の前にいたおばさんはとても背が小さい。そして僅かの隙間でスマホを見ている。目を落とすとそのスマホの画面を見ることになる。仕方がないからずっと上を見ている・・・こんなもんだよ中央線は。そして新宿で乗り換え、会社に向かったのだった。

さて、良くも悪くも一年が終わる。神棚は綺麗にした。ドアに飾り付けもした。ベランダの花を整理しようと思っていたのだが花屋に寄ることを忘れた。そして思うのだ。年末らしい騒々しさや慌ただしさがない。さて、印鑑を綺麗にするか。   
   

2018年12月22日土曜日

「記憶」

時々陥る思い出せない病。う~ん、あの人の名前は・・・彼の苗字は・・・、先日はなぜか「パスワード」という単語がこぼれて、「暗証番号」じゃないし・・・えっと・・・、と苦笑い。笑い話で済むのか、事件なのか(苦笑)。

肩の痛みに悩まされて1年以上。整形外科でもう15回も注射を打ち、楽にはなったがか完治には遠く、来週「痛みのクリニック」という病院を受診することにした。これって、頭も体も老化ってこと?と
ひそかに落ち込むのである。

運動が不得意だから、体操なんてまずやらない。でも、昨夜は痛みでなかなか眠れなかったから、夜中に痛み止めを飲んだついでにベットの上で運動!テレビでは20回ほどやれ、と言ってたが、2、3回やったかな・・・よくなるわけがない。熟睡を願ってあれこれ薬を飲んでいるから、「思い出せない病」は薬のせいだ、ということにして一件落着。

父親が運動に興味がないものだから、息子も娘も運動音痴(たぶん)。息子が小学生だったころ、一度だけ野球観戦に連れて行ったことがある。一塁だったか二塁だったか「アウト」という場面があった。息子が父親にこう聞いた。「アウトって、戻るの?」。なぜかこのシーンを鮮明に覚えている。我が家の運動に関するレベルはこの程度!

娘も息子も、中学では生徒会長をやった。運動はだめだがその辺は頑張れたんだろう。だが、二人ともよくこんな電話を仕事場によこした。「今日何時に帰る?」「なんで?」「明日の運動会で生徒会長の挨拶が・・・」。帰って急いで原稿を書いてやる。「自分の言葉に直してね」。で、運動会に出かけた。そのあいさつはpapaの原稿そのまんま・・・papaは思わず赤面。

思い出せない名前や単語、思い出して嬉しい場面、なぜかはっきり分かれてきたような(笑)

2018年12月19日水曜日

「時間」

そろそろ一年を振り返る季節がやってきた。いろんなことがあったが、それでも時間は普通に過ぎていく。普通の基準は曖昧だが。

母の死もあった。入院もした。広島の豪雨のさなか広島に居た。薬の飲み過ぎで車を擦り、嫌になって車を変えた。芸能界拒否症に陥りパーティーやコンサートに出かけることをやめた。それでも時間は普通に過ぎていく。


    今月、孫の倫君が2歳の誕生日を迎えた!2歳だって!
    これは何だか不思議。早いのか、当たり前なのか、彼は
    すくすく成長して、ようやく「のりのり」と言ってくれる。
    目論見は「のりぴー」だったのだが、どうもピーの発音は
    難しいらしく、ま「のりのり」でもいいか、と満足し始めて
    いる。携帯アプリの「みてね」に毎日のように写真や動画
    が送られてくる。新しいデータが来ていないかな… …
    今日も2,3度、携帯をチェック(苦笑)

一昨日、チェコにいる息子からクリスマスカードが届いた。差出人は
サンタクロースということになっているのだが。
父親と母親と、そして「倫君」に送ってくれたらしい。それぞれがそれぞれに歩み始め、そして時間は普通に過ぎていく。

2018年12月4日火曜日

「イルミネーション」

我が家のシンボルツリーはオリーブ。結構大きく育った。日頃は自分で丸く刈り込んで手入れをしているのだが、さすがに育ち過ぎて、専門家の手を入れた。やはり素人には限界があるとつくづく思ったのだった。

綺麗になったオリーブの木だが、今年もクリスマスイルミネーションを飾り付けた。なかなかうまく飾れたと思う。結構派手だが、気に入っている。我が家のある通りで飾り付けをするのは毎年我が家だけだったが、今年はご近所にもう1件飾り付けをした家がある。嬉しい、いい傾向だ。

先日、我が家の前を自転車で通り抜けた親子の会話が聞こえた。娘「綺麗!」母親「綺麗だね~」
気分がほっこりした。

渋谷の街もイルミネーションで賑やかになってきた。会社の近くは「ブルー」の世界で彩られている。交差点で誘導員が声をからしている。年末の風物詩だ。今日の暖かさは、年末のイメージとは程遠いけどね。

今年を振り返るにはまだ早いが、いろいろあり過ぎた。出来事満載。昨日、一昨日と数年ぶりに「デパス」を服用した。イライラを封じ込めるには薬が必要だったからなのだが、我が家ではその辺をガサゴソ探せばいろんな薬が出てくる(苦笑)

毎晩、玄関を開けてから、一度ゆっくり振り返る。イルミネーションが例年より、なぜか暖かい。

2018年11月14日水曜日

「孫に会いたい」

一昨日、月一回の治療の注射とインフルエンザの注射を打ち、午後には整形外科で肩に注射を打った。何を言いたいかというと、体穴だらけ(笑)

最近、酒を飲んでも気分が愉快にならない。酔った感じがする前に酒がいらなくなり、いわゆる酔っぱらいになれないのだ。これはいたって不自然・・・あの飲んべぇがね・・・それとは関係ないが、先日自宅でなぜかタバコが吸いたくなり、コンビニで「一番弱いタバコ」と伝え、ひと箱買い求めた。2~3本テラスで吸ってみた・・・で、残りをどこに置いたか忘れてしまった(苦笑)

9日に毎年制作を担当している「日本賞」というイベントと番組の収録があったのだが、今年もいつもと同じように皇太子さまのご臨席があった。平成最後のイベントであり、皇太子さまは来年からは天皇陛下になられるんだ・・・といつもとは違った感慨にひたった。前日は「山形」に出向かれ、9日当日は雨の中の「園遊会」。で夕方からNHKのスタジオ入りをされたのだが、激務だと思う。イベントはきっちり一時間半で終わるのだが、姿勢を崩されることなく授賞式をご覧になるのだから・・・

昨日は「BEGIN」の特番の収録があり終わりが23時。明日は明後日都内の斎場で行われる有名漫画家の「お別れの会」の準備と某有名歌手が「献歌」をするのでそのリハーサルの立ち合いだ。
朝が早い。明後日の本番も朝が早い・・・「遅くまで」と「早く」から・・・
これって「働き方改革」の精神には全然沿っていないよな・・・なんてね。

先週、直進禁止の場所を直進して、違反切符を切られた。長々と信号が変わるのを待って左右を確認して「直進」したのだが、「ピーピー」と笛を鳴らしながらお巡りさんが自転車で追いかけてきた。「振り切っちゃおうかな、知らんふりして」と一瞬思ったのだが、そんな時に限って、駐車違反の車を避けたタクシーに道をふさがれてしまった。「ぜーぜーはぁはぁ」したお巡りさんが追いつき窓をコンコン。「俺のこと?え?何?、お巡りさんどこにいたの?」なんて無駄な会話が・・・「7,000円で点数は2点!」だってさ。諦めず追いかけてきた「君」はえらい!

日常とは、こんなことの積み重ね、ということだ。そう言えば、孫にしばらく会ってない。

2018年10月17日水曜日

「時には子供のように」

新聞のコラムにあった一節。「大人なんていない、子供が大きくなっただけ」。このフレーズなんか好きだな。子供のような心を持ったまま生きるのは至難の業だけど。でも、憧れるね。

今朝、自室から2階に上がると、いつものように愛犬がしっぽを振って待っていた。「おはよう!りんた!」??? 愛犬の名は通称「茶々」で、「りんた」は孫の「倫太朗」だ。先日は何かの拍子に「竜太」(息子)「りんた」(孫)「ちゃちゃ」(愛犬)と3連呼した気がする。(誰を呼ぼうとしたのか記憶にはないが)

今朝、会社のエレベーターに乗ってふと「25年」という数字が駆け巡った。今の家を建ててまだ16年目ぐらいだから、自宅より長い人生がこの建物にあるんだ・・・と。もしかして滞在時間も自宅より会社の方が長いかもしれない・・・「会社の25年」。長いと読むか、まだまだと読むか。

今まで、「我々のような中小企業は」という言い方をしてきたが、我々のような規模の会社は「零細企業」という区分らしい。最近知った。消費税増税の解説のなかにあった。「我々のような零細企業は・・・」と言うのも、なんか厭味ったらしいよね。

数時間前、サンクトペテルブルクの友人にメールを送ったら、ついさっき返信がきた。あれ、時差は何時間だっけ?

「大好きな藤原様!
お便り、ありがとうございます!大喜びです!・・・  ・・・(中抜き)
藤原家の皆さんはとても恋しいです。ペテルブルグでお待ちしております!!!
日本も恋しいです! 行きたいなぁ!」
 パカパカ
 
現地の日本語教師だから、日本語でやり取りができる。ちなみに「パカパカ」とは、またね!のような意味。ペテルブルクの 白夜が懐かしい・・・

2018年10月15日月曜日

「人間の機能と車の機能」

この一年半ほどホルモン系の治療を毎月続け、毎回のように血液検査をしている。今日送られてきた結果にあったのは、なんと70歳以上の平均値にも入らない低レベル・・・このホルモンは男性の「気力」「精神力」に直結するから、意識して治療を続けているのだが、なんとも結果は爺のままだ(笑)男性の更年期とか軽度の鬱といわれる厄介な状況が現れる症状だ。

内臓の検査結果はすべてOKなのだが。

でも、見かけはかなり若く見えるらしい。今日東京労働局の方が来社され、御幾つですか?と聞かれたので68と答えたら、本気でびっくりしてくれた。(いいひとだ・笑)

昨日、軽度の「孫病」にかかってしまい、携帯のFace Timeとやらでやり取りをしたら、その後娘夫婦が孫を連れて家に来てくれた。つくづく思ったのだ。「孫」は心のビタミンだ、と。

愛犬の「茶々丸子」が少しかわいそうになるけどね。孫が来ると一気に存在感を失うらしく、元気がなくなる。人でも犬でも、存在感が必要だ。ワン公がそれを体現して見せてくれる。

さて、今の状況を抜け出そうといろいろ試みている。旅に出る、海外に行く・・・すべて今ひとつ。でもその延長線上で7月に車を変えたのだが、これはよかったと思っている。セダンに乗り飽きてSUVに変え、世間が同じような車ばかりになったので今のクーペスタイルの車に変えた。4輪駆動で280馬力。スポーツモードでヴゥォーンという感じがいいね。この感覚だけは爺じゃない!(苦笑)

先日の土曜日、静岡まで往復して、夕方から会社の仕事をしたのだが、運転の疲労感はなかった。ま、一つだけ言えば、車の機能が多すぎて今だもって、何が何だかわからないものも。半分は未使用で次に行くんだな、きっと。前の車も、下取りに出すときはじめて知った機能と「もの」があった。やれやれ・・・だ。

2018年10月4日木曜日

「明日、来年、未来、想像しにくくなってきた」

次々とやってくる台風、続く地震、何れ地球崩壊か?と思わせるような日常が積み重なってゆく。先日はとても近い存在の知人が「NHK元部長何たら」というニュースの素材となってしまった。時代が変わってしまった・・・と納得するしかないのか・・・

時流に乗るための情報があふれ、、非日常だったはずのものが当たり前になり、大した疑いも持たず「そんなものか」と認めてしまう。なんてことはどうでもいいや。日本人のノーベル賞受賞のニュースは久々気分のいいニュースだった。「教科書を信じるな、情報を疑え、情報に疑問を持て」。このコメントになぜか気分がすっきり!

昨日、久々にスーツを着たので、当然Yシャツを着ることになるのだが、Yシャツの袖に入っている刺繍のネームを見て、今時珍しいね、と老齢の美術プロデューサーが声をかけてきた。「古いYシャツだから・・・昔、こだわって作ったYシャツが山のように積んでありますよ」と答えたのだが、事実だ。今、なかなかオーダーYシャツを着るチャンスがない。スーツを着る機会が少なくなったこともあるのだが、本当の理由はYシャツを処理できる「クリー二ング店」がないのだ。

今は機械で処理するクリーニング店ばかりで、手仕上げで処理できるクリーニング屋さんがなくなってしまった。我が家の近所に2年ほど前までは存在していたのだが廃業してしまった。当時の
Yシャツは手仕上げを前提に素材を選び、カフスと襟を作っているので、機械では希望の処理ができないのだ。これも時代だ。

話は跳ぶ。
つい先日、台湾の十分で「天燈上げ」を体験してきた。小さな感動があった。久々に感じた感動。
昨日、チェコにいる息子に送った荷物が20日間かかってやっと本人に届いた。久々の安心。
日本人にもう一人「ノーベル賞受賞者」が出ないものかと、なぜか強い思いで期待。

今日はジーパンで出社したから気楽でいいや!
そうそう、一昨日東京労働局から調査官の来訪があった。社長とスタッフ1名で計3時間の聴取を
受けた。いろんなことがあるよな、今年は・・・
社長は波乱万丈の人生を歩んできたから、数々の難しく危険な場面も経験してきた。ので、どうってことはないが、スタッフが妙に委縮しなければいいのだが。

2018年9月7日金曜日

「日常のShock!」

チェコにいる息子にEMS郵便で荷物を送ったのだが10日間を過ぎても届かない。息子自身に現地の郵便局などに問い合わせてもらったら、荷物のバリューが高すぎるらしい、と連絡がきた。日本円で6,000円を超えていてはいけないのだそうだ。中身はインスタント食品が中心なのだが内容品を13,000円と書いた。結局30ユーロ現地で税金を払い、荷物が届いたそうだ。

アメリカもイギリスもこの程度の金額では何も問題はなかったのだが、国が変われば・・・ということだ。ちなみに日本も、アメリカから個人輸入したものが15,000円を超えると税金がかかる。サプリメントを購入して、税金として余分な金を支払ったことがあったっけ。それにしてもシステムの告知が徹底されていないよな。当事者が注意をしろ、ということなのだろうが。

今日、久々でスタッフと近所のラーメン屋に行った。ラーメン屋が久々ということだが、その店はちゃんと紙エプロンを用意してくれる。汁物でしょっちゅう衣服を汚すものだから、ラーメンに紙エプロンは必須。なのに、食い終えてエプロンを外した時、エプロンの紐部分がめん汁に入ったらしく、味噌ラーメンの濃い色が上着にベタベタベタ!

これって本当にショックなんだよなぁ。食っている最中は細心の注意をしているつもりで、ほっと一息最後のコーヒーを白いズボンにこぼしてしまう・・・なんてザラだけど、今日はかなりショック。

会社に戻り、会社の洗濯機に色柄もの漂白剤をたっぷり入れて上着を洗ってやった。縮まないか?型崩れしないか?そんなことぁ関係ない。汚してしまったという現実を早く消したいのだ。その上着はどうなった?(まだベランダに干してある。汚れは取れたようだ 笑 )型崩れ?だめなら捨てりゃぁいい。

のんきな事を言ってはいるが、北海道の地震も、関西の台風も、他人事のようで他人事ではない。明日は我が身、その程度の心構えは必要だな・・・とつくづく思うのである。

2018年8月27日月曜日

「(・д・)チッ!」

ま、結局無事で今日から普通に出勤。あ、そうじゃない、午前中病院だった。「しばらく様子を見ましょう」てなことで今回の騒ぎは終了だ。

あちこち検査をしたわけだが、レントゲンやCT画像を見ながらある部分を指して「これは年齢的なものでしょう」という医者の言葉を何度か聞いた。(・д・)チッ。

20日に半ば強引に退院して21日から4日間ほど一人で旅に出た。一番安心できる場所は「我が家」なのだが、家は職場と同じようなことをあれこれ考えてしまう場所でもある。ため息も出てしまう。小説と雑誌をもってぶらっと出かけるのだが、成田に戻った途端「ため息」が出た。思わず苦笑い。

さて今日の夜は「そろばん侍 風の市兵衛」というドラマ番組の打ち上げがある。わが社がこのドラマの音楽を担当したのだが視聴率もかなり良かったらしい。続編をぜひ願いたいものだ。先日某音楽大学で講師をする機会があったので、少しDVDを見せてドラマと音楽の関係性の話をしたのだが「時代劇を初めて見ました」「主題歌以外ドラマ内の音楽を意識したことがありません」とか、「やはりね」という発言がいくつかあった。

興味のあるものにしか目が行かない、神経が及ばない、今風なのか音楽大学という特性なのか・・・?

先日ついでに。日経新聞の記事に「輝くZ世代」という記事を見つけ、切り抜いた。10代、20代の年齢層をZ世代と称するのだそうだが(正確には1995~2008年生まれらしい)、初めて知った。勉強不足を恥じながら周囲に問うてみた。結構みんな知らない・・・やれやれ俺だけじゃなくてよかった。だが娘の旦那は知ってたよ。それも「サラッ」とした感じで。。(・д・)チッ!

2018年8月20日月曜日

「久々の入院」
 
17日の朝、体調を崩し、腹部とか腰あたりの痛みに我慢できず近くの「東京女子医大病院」に行った。救急の窓口に着いたのが午後二時。受付嬢…「救急の受付は午後4時からです」・・・「救急に受付時間の制限があんの???」と思いながらも「ならば方法は?」と聞いたら「総合受付に看護師がいますから相談してみてください」と。

 18年ほど前、やはり女子医大の救急に来てそのまま「緊急治療室」に回されたことがあったから、この病院を選んだのだが・・・でもそれは夜中だったからな。
  で、結局入院することになったのだが、部屋に入って看護師さんにいろいろ質問された。で、おもわず声をあげて笑ってしまったのが「何か介護認定は受けていらっしゃいますか?」・・・「???」。一瞬何のことか理解できなかったのだが「そうか・・・年齢的にはそういうことになるんだ!」と笑ってしまって一件落着。
 
様々な検査を終えて、車椅子で運ばれてきたのに、笑うしかない現実。そのあと渡されたアンケート用紙の中身はまさに老人向け。・心配事は?・連絡できる人は?・経済的不安は?・生きるための目標みたいな質問には「一言では表現できない」と記入し、死生観について、とまであったので「すべて神様が決める」と書いた。

 だが今回は入院したものの、大したことはない。痛みも早く収まったし、34日で退院したいと先生につたえた。予約のない患者を受け入れ、入院を勧めてくれた先生に感謝したい。

 この病院は家から近い。歩いても5,6分かな。車の方が時間がかかる。ので、痛みが治まって暇になってきたからPCを持ってきてもらい、こうして暇つぶし。まだ点滴中だからちょっと手は不自由なのだが。朝、看護師さんに「隔離解除です」と告げられた。? どうも隔離だったらしい(笑)
(818日 病室にて)  

 「入院3日目」
 最近のニュースで一番心を痛めたのが周防大島の2歳の子供の行方不明だったが、一番嬉しいニュースがこの子供の発見情報だった。どうしても自分の孫と重なってしまう。

子供を発見し、ボランティアで活動する彼は78歳。藤原より10歳も上だ。人の生き方とか生きざまを考えながら入院は3日目。先ほどまで続いていた点滴はいったん休憩で夜9時からまた抗生剤の点滴が始まる。 明日の午前中に退院したいと伝えているが、明日朝も点滴があるそうだ。朝の血液検査の結果で退院許可が出るそうだが、明日会社に行かないとみんなの給料が間に合わない!(笑)チェコにいる息子にベットでの様子を自撮りして送ったら、コメントをつけ忘れたので写真に驚いた息子から「何があったの!?」とメールが来た。時差があるから彼からのメールはいつも朝方4時半とか5時ごろ。
マナーモードにしていても何か反応して目が覚めてしまう。しかし、自撮りした自分の顔、なんと不細工に写るんだろうね…とつつくづく思うこの自覚の無さ・・・か。 診察から今まで4人の先生と出会ったが、看護師さんに「主治医の先生はどなた?」と聞いたら「???」だと。土日を挟んでしまったから、当直の先生が顔を出すということで納得せよ!ということかな。退院の判断は誰が出すの?などと少しばかり不安を抱えながら明日の朝を待つこととしよう。 
 (819日 病室にて)
 

2018年8月9日木曜日

「服薬の功罪」

夕べ、一度飲んだ薬の存在をすっかり忘れて、同じものを2度飲んだ気がする(苦笑)睡眠導入剤と軽い抗うつ剤の頓服薬みたいなもんだが、今思えば確かに2度飲んだ・・・ような。

一度目の摂取と二度目の摂取の間に「アルコールの摂取」が存在したものだから、間違いが起きた。長い長い夢とともに、朝なかなか起きられなかったから、やっぱりね。

先月の末に車を買い替えた。やはり薬のせいで前の車をぶつけたから、それで嫌になったことと、街中にSUVが氾濫して、乗っている車にあまり個性を感じられなくなったことだ。それに、左ハンドルにも嫌気がさしてきたこと。今度の車はインターネットでたまたま見た派手なスポーツタイプにした。脳みそと感覚だけは、歳を重ねている現実を認めようとしていないようだ。

が、機能が多すぎて覚えられない。説明書など4冊もある。説明書を開く気もしない。担当者が近いうちに来て、教えてくれるそうだ。(わからないことをメモしておいてください!)う~ん!何がわからないのかがわからない(笑)

近いうちに、さまざまな転換期が否応なしにやってくるのだろう。先日友人に「40代は必死を信条としたが、今は充実を求める」と言ったら彼は「必死と充実は一緒じゃないんですか?」と良い質問をした。だからこう答えた。求めているものの「欲の種類、欲の色が違う」と。

その友人と今度の土曜日、飯を食うことにした。テーマは「漫画でも新聞の記事を読んでも泣くし、もちろん映画やドラマで大泣きする藤原が、なぜこの問題で泣けないのか」だ。だが、そんな難しい話ではない。その友人は医者だが、彼も心の問題を解決できずに引きずっている、たぶん。迂闊に人には話せないことを彼と話すことで楽になることを期待している。なんせ俺が飲んでいる薬は、すべて彼が処方しているんだから。

8月は静かだ。社内も静かだ。だから、ため息が目立つ。

2018年7月27日金曜日

「5月~7月」

何があったの?という程ブログから遠ざかっていた。で、何があったんだろう。手帳の5月のページを開いてみた。自分で読めない文字もある。このころから薬を飲んでも眠れない日々が続くようになったのかなぁ。6月、息子の大学院の卒業式があったのでイギリスに行った。これは結構肉体的にしんどかった。3泊5日の旅で毎日徹夜している感覚。でも行ってよかったよ。ロンドンに1泊して翌日オックスフォードへ。列車で移動したのだが普通席のチケットでファーストクラスと呼ばれている車両に乗ることに。ドア毎ににいちいち担当の車掌らしきおおっさんがいて、「乗れない、とかNO!」とか言っているのだが発車のベルが!強引に乗る。一般車両に向かったが満員で座れなかったから豪華な車両に戻り座ることに。おっさんがかなり怒っていた感じだったがプンプンしながらいなくなってしまった。追加料金取りに来るんだろうと思っているうちにオックスフォードについてしまう。そのまま改札を出てしまったから、結局「ファーストクラス」はただ乗り。

翌日息子の卒業式。これも朝が早かったのだ。一度日本の大学を卒業しているから、息子の卒業式としては2度目だ。なかなか誇らしげな息子の姿を見ながら、親としては満足。羽ばたけ息子よ!で、彼は今「チェコ」の企業で働いている。

で、7月。いろいろありすぎた7月。番組のロケハンで広島に出向いていたのがまさに豪雨の最中、
5日と6日。6日の夜から道路の閉鎖が始まったので東京に戻ることが出来ず、広島に連泊。さて、翌日、道路の封鎖は広がり新幹線も始発から運休ときたもんだ。街の中から出ることもできない。
国道は渋滞のままストップ。飛行機は飛んでいる便もありそうなのだが飛行場迄たどり着ける道がない。「お手上げ」とうこういうことを言うのだろう。ホテル探し、飛行機の予約とキャンセル、疲れ果てた一日を広島市内で過ごし、1泊の予定だったロケハンは結局3泊することになったのだ。

そして豪雨の影響で12日が本番だった愛媛県宇和島市の「BS日本のうた」が収録中止。だが、迷った挙句19日と20日の「水森かおりのさがせ全国うた自慢」は決行することにした。山陽道がそれまでに復活することに賭けてロケを決めた。準備を進めていた16日午後、一本の電話が・・・

「母親が亡くなった」という知らせだった。数十年のさまざまな思いが交錯するなか17日の夜、盛岡へ。事情を書き出したら数十ページにも及ぶだろうからやめる。

18日、兄弟だけで葬儀と納骨を済ませ東京に戻った。そして19日の朝早い便で広島へ・・・

そうそう、6月に歳を一つ重ねたんだっけ。ははは、見た目と違って結構年寄りなんだ俺。。。

娘と息子に、母親との関係性を文章で送る、と伝えたまま何も書けていない。話せること、話せないこともある。だが、神様に感謝したいほど、誇らしい息子と娘がいて、俺は幸せ者だ。

2018年4月25日水曜日

「帰郷」

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」という啄木の短歌がある。大好きなこの短歌の碑が、岩手の盛岡城跡にあった。ノリオは15歳の少年期、城跡のこの碑の側で、寝ころんで空を仰ぎ見たものだった。「俺は高校には行かない、東京に行く!」そんな風に考えていたのかもしれない。とにかく思い出の歌であり、思い出の場所なのだ。

盛岡城跡を訪ねることもスケジュールの中に入れ、昨日、一昨日と郷里、岩手に行ってきた。主な目的は墓参りとお寺に立ち寄ることだったが、今回はあえて少年期の思い出に触れる旅にしてみた。そう、生まれ育った場所、中学校跡地、同級生、満開の桜・・・

盛岡から矢幅という町まで東北本線を使った。新幹線を降り、在来線に乗り換え、トイレは次の電車でと思っていたら2両編成の電車で・・・扉を開けるタイミングがわからない~とか。あの頃、東北本線に乗り上野まで鈍行だと14時間ぐらいかかったような気がする。2両編成なんて、山奥を走る地方の話だと思っていたら、ここもちゃんと地方だったのだ(笑)

駅まで中学の同級生が迎えに来てくれた。その後何人か合流してノリオの思い出の場所を回ってくれた。町並みは変わりすぎて殆ど面影はない。中学の跡地は懐かしかったな・・・何年か前、息子がこの中学の跡地を訪ね、グラウンドを走ったそうだ。「パパの気持ちになって走ってみた」とメールが来たのだが、本人とこの話をしたことはない。中学時代の思い出というより、そこに息子が走っている姿が浮かび、感情の整理が難しかった・・・な。

何で息子にもっと優しくしてやれないのか・・・

夜は?もちろんよく飲んだ。合計8人の「うた仲間」と化したのだが、ノリオ以外は皆女子。本人たちが「美女軍団」と言っているから、敢えて否定はせず(笑)

翌日、レンタカーで墓参りと寺の挨拶を済ませ、盛岡城へ向かった。啄木の碑の側で寝ころんで空を仰ぎ見る!予定だったのだが、雨ふりやまず・・・盛岡城の周りを車でぐるっと回り、結局諦めた。上京して50数年、ふるさと矢幅の景色は変わってしまったが、思い出の匂いに似た風は、確かに故郷の風だった。

2018年4月10日火曜日

「普通という定義」

先日の日曜8日に娘から声がかかってランチを共にした。だんだん自我が芽生えてきた孫はこの日で1歳4か月。あれからもう1年と4か月?などと二日酔いの胃袋をごまかしながらせっせとランチ。

9日に息子がチェコへ旅立つものだから、7日の土曜の夜は息子を誘って飲みに出かけ、鮨屋、バー、3件目がゲイバーとはしご。息子は殆ど飲まないから付き合うことがしんどかったと思うが、ワシはよく飲んだのだ。3件目などいくら支払ったか定かではない。家に帰ってどんぶり飯に納豆をかけて食ったそうだが、そんなこと記憶にもない(笑)

だから、ランチ時の胃袋は、二日酔いというよりも寝る前の大食いのせいだ、という話を聞き一件落着。ランチを誘われたときは一瞬「まいったな」と思ったのだが、孫に会える!という現実を優先。さすが翌日曜は飲まなかった。

で、昨日の夜息子を成田まで送った。就職のためチェコに向かったのだが、別れ間際に「卒業式は6月21日だから。予約しておいた・・・」だと。大学院はイギリスだ。6月21日・・・う~ん、何か大切な仕事と被っている・・・と思い今日会社で確認したら確かに被っている・・・どうするか・・・

自分が走ろうが歩こうが、時間は同じスピードで過ぎてゆく。何を「満足」と捉え何を「不満足」と捉えるのか、どちらに転んでも時間は同じように流れていく。会社の25年も己の67年も、人々と同じ時間の中にあったのだ。何を言いたい?今日主治医のところで注射を打った。何のために?心の健康が欲しいから。気休めのような気もするのだが、安心もする。

そうそう、先日息子が「普通の定義って何?」と強い口調で口走った。なんだろうね。

2018年4月5日木曜日

「4月5日 25周年 創立記念日」

前回の投稿が2月24日だから、長い間何をしていたんだ・・・?と思う程間が空いてしまった。大抵年度末近くになると、なんやかんや考えすぎてボーっとしているもんだから。で、今日は25年目を迎えることになる創立記念日だ。それを思い出したのが昨夜。慌てて昼飯用に少し高級な「釜飯」を注文した。そして社員に向けてメール。「万難を排して昼集合してください」。ほどなくメールが。「明日2人は収録でスタジオ、誰誰は編集室・・・前回会議でお話ししました・・・」とか。沈没・・・

息子が今帰国している。大学院の卒業が決まり、就職先として「チェコ」という国を選んだそうだ。直行便の無い国だ。行けないなぁ(苦笑)

先日久しぶりで作曲家の「浜圭介」さんと飲んだ。彼は6年ほど禁酒していたから、飲んだのは本当に久しぶり。5時30分に待ち合わせをしてまず食事と酒。そのあと近所のバーでひとしきりウイスキーを飲み盛り上がる。帰ろうかな、と思ったら「飲もうよ」。新宿方面に向かい3軒はしご。さすがくたびれて帰ると告げたのが午前1時30分。先生、「俺あともう一杯飲んでいくから・・・」。本当に6年も禁酒していたのか?(笑)

会社は25年目を迎えた・・・長い道のりを歩いてきたものだ。東京に出てきたのが15歳、6月には確か68歳になる(苦笑)。浜さんは4月いっぱい海外に居るが「海外に居ると何も考えなくていいから・・・」の一言に大きく納得。俺は仕事をやめない限り、一か月も海外にいることはできないだろうけどね。

2018年2月24日土曜日

「せめて心のエリートになりたい」

先日、岩手に在住する妹の長男の結婚式が帝国ホテルであった。東大の医学部を卒業して医者になった、いわばエリートのいとこだ。大学に入学する時は、理系に行ってロケットを飛ばしたいと言ってたのだが・・・式場で、ロケットを飛ばすんじゃなかっったっけ?と意地悪を言ってみた。「結局医者になっちまいました」と照れてはいたが。

高校時代の同級生と10年も付き合って結婚したんだそうだ。なんと、妹も旦那と高校時代に出会い、10年付き合って結婚した。いとこもその嫁さんも、妹もその旦那も、岩手の同じ高校だ。全く同じ道を歩んでいる。そして義弟も医者だ。そしてその息子も結局・・・

式場で新郎の幸せそうな顔を眺めながら瞬間我が人生を振り返ってしまった。集団就職で上京した典男と帝国ホテルで挙式をしている「いとこ」。振り返ったというか、心の中で笑ってしまったのだけれど。

その日の夕方から「明治座」にでかけ「桂 雀々」の落語を聞いた。かなりの苦労人らしい。中学時代に両親に捨てられ、自力で生き抜いたとか。落語を聞き終えてから、その辺の人間ドラマを知ったのだが、午前中の式典の華やかさと、師匠の口座での輝きと、種類は違うが、つくづく人の生きる道の違いを思った一日だった。

で、今週は大分に新番組のロケに行ってきた。水森かおりさんと岩佐美咲さんという二人の歌手と一泊二日の強行軍ロケ。湯布院、寒かったなぁ。九州がなんでこんなに寒いの!ってなもんだが、
今日の東京は14℃だとか。土曜日なのにみんな会社に出ているよ、ご苦労様。

さて、3月から新しいデスクが来てくれるから、HPの情報も更新できるようになると思う。そして4月を迎えたら、この会社は25年目に突入する。25年、これは長いのか?それとも、まだやってるのか?もしくは、まだ25年目なのか?

間違いなく、歳を重ねているということだ。人の出会いと別れを繰り返しながら。

2018年2月5日月曜日

「取り留めもなく・・・そしてヒヨドリ憎し!」

今年に入って一度もブログを書いていなかったこと、今知った(苦笑)。

《風邪その1》1月は久しぶりに風邪をひいてしまって、これが結構長引いてしんどかった。マスクをしていて一番困ったことは、新聞を捲れないこと!指を湿らすことが出来ないから、イライラする。俺の指ってこんなに乾燥していたんだ!

《風邪その2》なるべく早くベットに入ることを心掛けたのだが、やはりどうしても様々な考え事をしてしまう。あることを思いつく!アイディアとか言葉だとか。メモを取りたいのだが、身体がしんどいものだから自分に言い聞かせる。「こんなに大切なことだから忘れるわけがない!」。そして翌朝、見事に忘れている。

会社のベランダに花を植えている。先週土曜日に今年2回目の植え替えをした。鳥に花びらをみんな食われてしまったからだ。鳥よけを施したのだが、今朝見たら少しやられていた。カラスだと思っていたのだがどうもヒヨドリらしい。今朝見かけた。そしてさっき振り返って見てみたら、すでに花びらがやられている。俺の後ろでこそこそと・・・ヒヨドリこの野郎!てな感じ。

去年の暮から仕事関係でいろいろとあった。年末年始は気持ちが地中にあったような気がする。こんなこと、この20数年間に何回もあったのかもしれないが、やはり歳を重ねたせいか「戦闘意欲」として湧き上がるものが少ないことを感じる。さて、藤原の「戦闘意欲」は蘇るのか!でもね、確かに気力もそうだけど、2日間ロケハンしただけで、なかなか疲れが抜けないという現実。

イギリスに留学している息子から、急だけどビザの関係で明日日本に帰る、というメールが今朝あった。急にそういうことなったということだが、12,000キロの旅をするのに、今日の明日とはね。地球がだんだん狭くなる感じだ。

さてさて、こういうブログを取り留めもない、というんだろうな。確かに!