2019年12月5日木曜日

「地図に刻みたい道」

60兆もの細胞からなる人間の身体、頭がいい悪い、背が高い低い、ブスか美形か、優しいか意地悪か、足が臭いか臭くないか、ほんの数個の遺伝子の違いなのかもしれない。

そう考えたら、出来不出来は大したことではない。誰に出会ったか、どんな刺激を受けたか、自然と共生できたか、両親を愛することが出来たか、もしかは愛しているか。生命の不思議と、自身の生きざまを振り返る時、微笑んでいる自分でいられるか。

「幸せの遺伝子」という本に触れて、また少しばかり刺激を受けた自分。

去年は、自宅のシンボルツリーのオリーブの木を、かなり派手なイルミネーションで飾った。今年は木を止めて、2回のテラスに設置。1日では完了せず2日ほど時間を要した。
なぜオリーブの木を止めたか?取り外すときに小枝に電飾などが絡まって、イライラして切り取ったのだが、ついでに枝を全部切り取って、いわゆる裸にしてしまった。葉っぱ一枚もない骸骨のようなオリーブの木。かみさんは,このオヤジ、気が狂ったのか?と哀れなオリーブの木を見てかなり悲しんだ。

そのオリーブの木がかなり立派に復活している。ありもしなかったところから新芽がでて、愛おしいほどだ。だから今年は電飾を巻き付けることを止めた。

樹木に、生命の神秘のようなものを感じることが出来たのだ。切り花などでは味わうことのできない美しさがそこにある。人間同士の営みも、そんな思いで接することが出来たなら、平和は難しいことではないかもしれないが、難しいよな。多少の遺伝子の違いをもって我々は誕生しているから。

もうすぐ孫の誕生日だ。自分の部屋に3枚ほど絵を飾ってあるが、額の隙間に孫の写真をたくさん挟んであるから、素敵なカフェの画は、まるで「白い肌が虫刺さされ状態」のような有様だ。こんなカードも挟んであった。「パパ、今頃パパは泣きはらした後でしょうか…今日という日を迎えられて本当にうれしいです。26年間パパでいてくれてありがとう。これからもよろしくね、あすみ。」娘の結婚式の日にもらったカードだ、これも絵に挟んである。

息子からも、過去たくさんメッセージをもらっているが、さすが張り付けたりはできない。それにしても、いい人生を歩ませていただいたと、「何か」に感謝するべき時が来た、そんな気がしてならない。次なる歩みを進めるためにも。


2019年11月29日金曜日

「夢と現実」

長く疲れる夢だった。どこかの会館に向かっていた。まずタクシーが捕まらない。この部分が長かった。なぜ会館に?歌を3曲ほど歌うことになっていて、そのあと芝居に出ることになっていた。曲目は何だっけ?ん?歌詞を全く思い出せない!そのあとの芝居、共演者はいっぱいいることになっているが、俺のセリフ部分は?全く覚えていない!台本を手にして舞台に出られるか?(とてもリアルな夢だった)

タクシーをようやく拾った気がするが、今度は切手か印紙が必要ということで、売ってる場所を運転手さんと一緒に探す。この部分も長かった。会館に向かっている途中、歌の部分は「出演無し」で行こうと決心する。芝居だけなら…だがセリフを全く覚えていない…焦る!会館に着いた!だが、楽屋にたどり着けない!

だんだんこれは「夢だな」という感覚になってきて、「もうやめて」と小さく叫んで目が覚めた気がする。やだやだ、トイレを探す夢の方がずっと楽だ(笑)

11月も終わる。何を焦っているんだか藤原さん、夢にまで焦りが反映しているのか困ったもんだ、が時間は過ぎていく。先日MEMOした言葉に「時間の流れは強い味方だ」という文言があった。続きは「時が過ぎれば、どんな苦しい思いも、いずれ変わってくれる」という趣旨の文言だったと思うが、正確には思い出せない。

歳をとって涙もろくなるのは、感受性が豊かになった訳ではなく、脳の老化なそうだ。怒りとか、悲しみとかをコントロールする脳の機能の低下と聞いてやや納得。俺は実に涙もろい。でも、結構若いころから涙もろかったから、だいぶ早い老化か?(笑)結構瞬間的な怒りの感情も増えた気がする。かなり抑える努力を重ねているが、研究者によると、怒りの感情が沸いた瞬間から6秒待つのだそうだ。そうだ1秒ごとに一音ずつ、「が・ま・ん・が・ま・ん」と言えばいいんだよ、必要な人はね。 

2019年11月27日水曜日

「素敵な友人」

友人の「浜ちゃん」と久しぶりに飲んだ。先日電話があって「今日どう?会わない?」「今日は孫が遊びに来ているから出られない」なんて会話をしたものだから、後日電話をした結果急遽会うことになったのだ。

「晩飯食わない?」と藤原。「いいよ、カレー屋さんで会おうか、美味しい店だよ」「晩飯がカレーなの?」「3時に会おうよ」「晩飯なのに3時?」なんて会話があったのち、結局ホテルで落ち合うことになった。

「何時?早い方がいいよ」「わかった、5時半ぐらいは?」「遅いよ5時」「わかった5時に行く、麹町のホテルね」。すべて先の喋りが浜ちゃん、後者が藤原。

最近酒を控えている、と自己申告があったものだから、安心して出かけた。食事をしながら少しだけ飲んで盛り上がり、彼がコーヒーを注文したものだから、藤原もコーヒーを飲んで「それでは」と言おうとしたら「2丁目行こうよ」。2丁目とは新宿2丁目のことで有名な「ゲイバー街」だ。以前彼と行ったら、3,4件ハシゴすることになったので「今日は2丁目やめて四谷にしようよ」となり小雨降る中、タクシーで四谷へ。

バーでそこそこ飲んでいたら、カウンターに見知った人が。続いてさらに見知ったカップルが。馴染みの寿司屋でよく会う知人。寿司屋の話で盛り上がったものだから、浜ちゃんが「寿司屋へ行こうよ」「バーに居るのに寿司屋?順番逆でしょ」なんて会話をしながら結局寿司屋へ。そこで寿司屋の親父が「浜先生を知ってる〇〇がすぐ近くでスナックをやってるよ」と余計なことをいうものだから浜ちゃんが「懐かしいね、そこへ行こう!!」
となり〆はカラオケバーのような店。結局4軒目だよ。…よく飲んだ。

「12月29日空いてる?藤原さんちの近くの〇〇で〇〇と忘年会やるから、顔出してよ」
酒を控えているはずの彼はそんな言葉を残して今日から1か月ほどハワイに向かった。
呼ぶときは一応「先生」と呼ぶが、やっぱり「浜ちゃん」だよ。素敵な友人だ。

2019年11月20日水曜日

「ま、いいか」

寒くなった。岩手出身なのに寒さにはすこぶる弱い。夕暮れが早くやってくるのも嫌いだ。一日が早く終わるような気がするし、気分も何となく黄昏る。言っても仕方のないことだけれど。ま、いいか。

先週の日曜日、歌番組の収録予定だったのだが、前日出演者の喉の病気が判明、急遽取りやめと言うことになった。初めての経験だが、こんなこともあるんだ…と今更ながら長い道のりや経験に思いを馳せるのだった。スタッフが1日休めたから、ま、いいか。

ふるさと納税であれこれ頼みあれこれ届いている。肉とかカニとか焼酎とか。今日は岩手の北上市から「ティッシュペーパー50箱」が届いた。なんでティッシュペーパー?と自分でも思うのだが、10,000で「ティッシュペーパー50箱」、これってお得?岩手だから、まいいよね。

昨夜、ベットに入ってから少し真面目な書類に目を通してしまったら、眠剤を飲んでいるのになかなか眠れなかった。本を読んでいた時は眠くなったのでやめたのだが、そのあとに書類に目を通したのがよくなかった。あれや、これや。こればっかしは、ま、いいかって感じじゃないんだよね。(苦笑)

今日、古い友人が会社にメロンを届けてくれた。外出していたので友人には会えなかったが、きっと麻布からバイクに乗って来てくれたんだろうな…彼もすでに78歳か?40年以上の付き合いになる。ゴルフを初めて教えてくれたのも彼だ。パターとアイアン1本持って果敢に挑戦したんだっけ。やったこともないのにいきなりコースに出たものだから、それがゴルフだと思って、ずっとピクニックゴルフだった。スコア?誰か俺のもつけといて、のように不真面目なまま終わってしまった。最後の仲間は千家和也氏だったが、死んでしまったし。ま、いいか…では終われないな。

2019年11月13日水曜日

「ロンドン時代の娘の映像、見つけた」
 映像添付メッセージのタイトルは「papaへ」だけだった・・・


2019年11月11日月曜日

「刺激」

この数日、ナット・キング・コールの古いレコードを聴いている。時々音飛びをするのだが、なんとなく繰り返し聴いている・・・

スピーカーを縦にしてみたり横にしてみたり位置を替えたり・・・

今、キサス・キサス・キサスが流れている。途中の歌詞が「明日食わんど、明日食わんど」と聞こえて楽しい。この歌に限らず頭の中で勝手に言葉が置き換わるのだ。日本語の歌はなかなか置き換わらないけど英語の歌は置き換え頭脳が活躍する。

そんないい加減な遊び脳に刺激を与えた一文に出会った。

私たちが あらゆるものを 「空」とするために 削り取り
削り取ったことさえも削り取るとき
私たちは深い理性をもち
「空」なる智慧を身につけたものになれるのです

昔、刺激的な想いで心に刻んだ一文に匹敵する出会いだった。その昔刻んだ一文はこれだ。誰の言葉かは忘れたが・・・

「上に登れば孤独だ だけど遠くが見える」

2019年11月5日火曜日

「カウントダウン」

急に涼しくなった。寒くなったという方が正しいかな。夏物の整理をしなくては、などと季節の変わり目を実感している。

1日は「中村雅俊」さんの番組収録だった。昨日4日は正月時代劇の音楽録音、8日は毎年行われる「日本賞」のイベントと収録が控え、それなりに社内は慌ただしい。このまま年末を迎え、一年が早かったね、などと言うことになるのだろうか?なんて… …

つい先日、めちゃくちゃユニークで個性的な医師と出会った。友人が院長を務めている病院の「緩和ケア診療部長」という肩書を持つ先生だ。末期医療の在り方や末期患者との接し方に悩み抜き、前の勤務先の病院で激しい「パワハラ」にもあい、生き方に不安を抱いたときに出会った「本」や、現院長との出会い、仏教との巡り合わせ…などなど話してくれた。

その話し方が決して深刻ではなく、まるで生徒が先生に話すような感じ?というか…
「本当にお医者様?」と微笑んでしまうような、良いキャラなのだ。最近出会った方々の中では「ダントツ」に良い人!なのだ。病院の院長は藤原を「パパ」という呼び方をするし、人には「兄のような存在」と紹介してくれる。この関係、心のよりどころを求める「仲間」みたいなもんだな。

そうそう、首里城が焼けた件で僅かだが寄付をした。再建に長い歳月を要するだろうな。悲惨な出来事だ。そうこうしているうちに確かに11月、今年もカウントダウンに入ってしまった。「カウントダウン」が始まった。

2019年10月30日水曜日

「心の羅針盤はどこを向いてる?」

最近、ハンバーガーが恋しくなることがある。それもマック。ハンバーガーとコーラとポテト、それにホットコーヒー。これ最近ハマっている。
食の好みがだいぶ変わってきた。昼はプロントでスパゲッティーなんてのも普通になったし。週に2回なんてこともある。

若い頃は刺身系だった。酒のつまみもほとんど刺身系。それにはたぶん原因があって、子供時代、刺身は村のお祭りと正月のご馳走だったから(苦笑)刺身に飢えていたんだろうな。「本当にマグロの赤身が好きだね」と言われたことがあった。赤身しか知らなかったから(笑)

60歳を超えたころからなぜか肉系になった。肉と野菜、体が欲しがっている気がする。そしてハンバーガーだよ。子供のおやつだと思っていたのに。

最近、上京したての頃を思い出すことがある。今朝、なぜか唐突に思い出したのは他人名義の3畳間からの夜逃げ。16歳の時だ。カレー屋さんだったと思うが、2,3度行った店で、そこで働いているお姉さんに住むところが無い、と言ったんだと思う。「私今ここのおばさんのところで暮らしているから、部屋空いてるわよ」渡りに船とはこのことだ。可哀そうだと思って助けてくれたんだ!すぐに転がり込んだのだが数日後そのお姉さんが来て「部屋代払って!」「いまそんなお金ありません」「おばさん呼んでくる!」

彼女が向かったであろう駅とは別の駅に向かって荷物抱えて走った走った。だがその隣の駅からどこに向かったのかは記憶にない。あの部屋で手にしていたレコードが菅原洋一さんの「恋心」。これはなぜか鮮明な記憶だ。なかにし礼さんの詞だが、今でも歌詞はすらすら出てくる。そんな なかにしさんの番組もたくさん創った。不思議なもんだ、人生。

今日は大きな決め事をした。心が揺れた日だった。だが、まただよ、孫が自宅に来ていると連絡が!早めに帰ったのだが「さっきまでのりぴーのベットで遅いお昼寝してたよ」と聞いて心は満足。「なんでわざわざ俺のベットで寝たのかな?」なんて野暮なことは聞かずに、孫と戯れるのだった。ストレス解消法、GET!

2019年10月23日水曜日

「平凡だったな 何もかも」

「天皇即位の礼」をテレビで少し見た。2時から会社で打ち合わせだったので、1時開始の儀式をほんの15分ほど。30年前の即位の礼は記憶にないし、パレードも記憶にない。当時とはテレビそのものの映像の質が違っているのだから、今日のそれは鮮明で華やかで厳かで神秘的でもあった。その瞬間、嘘のように雨風が止んだし・・・

毎年秋にあるNHKの「日本賞」をもう6,7年担当しているが、去年までは天皇陛下になられた皇太子さまがお出ましになっていた。藤原は壇上に登る方々のエスコート役なので、毎年すぐおそばで皇太子さまを拝見していたのだが、今日は見るからに風格が違っていた。御父上に劣らない立派な天皇となられるのだろう。

2時の打ち合わせに数分遅れはしたが間に合いセーフ。1時間もすると携帯に呼び出し音が! 映像付きの電話の呼び出し音らしい。それを何と言ったかな?ともかく映像の電話。いそいそと打ち合わせルームを抜け「もしもし、倫君!」「のりぴー、どこへ行ってるの?」しばらく爺様と孫のだらしのない会話が続く~。

で、わしは打ち合わせが終わると一目散に家へ!「のりぴーお帰り!」なんて嬉しい声が2階から聞こえ、暗中模索をしているような状態の、のりぴーの心は一気にHappy Mode ! 子供が喜びそうなあらゆるエネルギーと知恵を駆使して孫の笑いを取る。これが成功すると「もう一回!もう一回!」となりエンドレスとなりしまいにはくたくた…

そして今日も終わった。おや、もう深夜の12時を回ったよ。平凡な一日だったな。

2019年10月18日金曜日

「訃報」 

会社を始めたばかりのころ、お世話になった元NHKのSさんが亡くなったとさっき電話連絡があった。この道の歩みを振り返ることになる。いつものように…

家からの通勤路の途中に、オリンピックの会場となるオリンピックスタジアムがある。17年この道を通っている。景色が様変わりした。会社の前の「渋谷公会堂」も新しくなり、このあたりの景色も変わった。26年間変わらないのは会社の中の風景と、会社の電話番号だけか?

会社を設立したころ、消費税は3%だった。しかも3年間は減免されたと記憶している。5%-8%そして10%。社員の交通費の改定作業をしながら、またここでも歩みを振り返ることになる。思えば貴重な26年間だ。

BS放送も始まったばかりで、契約が400万軒から500万軒になった、と嬉々としていた時代だ、隔世の感もする。あの頃、若かったな(苦笑)

今日まで、数多くの訃報を受け取った。つい先日も、有名俳優の「ご母堂様」とか某作曲家の「お別れの会」とか…だが最近は、黒いネクタイの必要な集まりにはなるべく「不義理」を通している。お祝いの会なら、喜んで出かけるけど。たぶん。

Sさん、いや世羅さん いい人だった。好きだった一人だ… 。。。 。。。

2019年10月17日木曜日

「行きつくところは倫君!」

22日が祝日であることは理解していたが、お休みが伴う祭日扱いだということを、つい先日知った。毎日新聞を3紙読み、ニュースもマメに見てるのにその情報だけスルー?「え?休日扱いなの?」なんとも呑気な経営者である。

先日の台風19号、事前の告知が多かったので身構えていた。家の周りの風で飛びそうな物は全部家の中に入れ、2階のバルコニーの排水溝の掃除、洗濯竿の回収、家の近くのごみ集積所の確認…

ほとんど一日中放映されていた台風情報に目をやりながら、結構動き回っていたのだが…
都内を通過する時間になっても、時折強い風を感じたが物が飛ぶほどではなかったし、まして木が倒れる、なんて状況でもなかった。少し拍子抜け…と思っていたら次々と明らかになる台風被害の情報に唖然、とした。

毎回そうだが、風水害の情報に接するたび思うのは人間の無力。自然とは戦えない。目先の利益誘導で「八ッ場ダム無用廃止」を叫んだあの方たち、どんな思いで「八ッ場ダム情報」に接したのかね?と要らないことまで考えてしまった。

あんまり楽しくない休日のさなかに、ほっとすることが一つだけ。家内の携帯に娘からのメールで、孫が「のりぴー仲良し 好き」と言っている、と。うっとおしい気分は一瞬にして、Happyマークに変わったのは言うまでもない。倫太朗君!ありがとう!!!

2019年10月11日金曜日

「弘法大師 空海」

以前、モンテニューのエセ―を読み始めたと書いたことがあるが、あれはすぐに挫折。初期の翻訳本を買ったものだから何が何だか面白くもない。今の俺には不要!てなもんで買った本はさっさと捨てた(苦笑)

最近読み始めているのは「空海」系の書物。1200年以上前の空海を知ること、真言密教のそもそも…天台宗の最澄との葛藤や歴史…無宗教を自認してきたのだが、お世話になったお坊さんや親しいお坊さんは皆なぜか真言宗だ。そろそろ仏教と向き合ってみるか。

最近、昼飯に「ハンバーガー」ということがある。スパゲティーやハンバーガーなんて言うものはおやつであって飯ではない!と言ってた典男がこの変化。今日も「モスバーガー」に1人で行ってきた。ハンバーガー店が苦にならなくなってきたのは孫の影響だな。孫はポテチが好きだから、一緒に入店できるし。今日オーダーの時「ポテチのS」と言ってしまった。孫が「ポテチ」というから。「ポテト」でしょ!でもマクドナルドが好きだな。

さて、空海に戻るが、お大師様の存在は大きすぎて歴史も長く、入り口を探すのがそもそも大変だ。資料も多いが書き手の解説や洞察がそれぞれで、自分に合った扉を空けないと時間の無駄が生まれる。無駄というのは言い過ぎだが、学生ではないのだからそれなりの時間の使い方が必須となる。

以前テレビの番組で「元やくざ系」のおっさんが「立派な牧師さま」になったストーリーを紹介していた。あれ、ちょっと憧れたね、一瞬。いろんな生き方があってもいい…
充実を感じることができるならね。

2019年10月10日木曜日

「登り下り」

久能山東照宮の表参道入口の直ぐ側に、義父が入所する「特養」がある。先日、見舞いに行ったついでに、一人東照宮を目指した。表参道入り口から1159段の石段、「いちいちごくろうさん」が愛称らしい。400段目ぐらいで「まだ400段か…」半分ぐらいで「戻ろうかな…」。かなり急な石段が続く。「俺の性格じゃ、戻るわけないよな」と自問自答。はぁはぁ言いながら登り、参拝。そこから家康公の墓までまた急な階段が…

1時間ほどかけて往復したが、次の機会があったら「絶対ロープウェーで登る」と固く決意したのだった。(見栄を張らず、杖を持つべきだったよ)。

義父の部屋に戻ったら、彼は何事もなかったように眠っていた。出会った瞬間は嬉しそうに笑うのだが、数分もすると無表情に。誰も寄せ付けないような面相をする。1159段を上り下りしながら「人生」を深く考えてしまったのは、そんな義父の存在もある。

5月にある決め事をして、それなりに進んではいるのだがもう10月。結論にはまだ達していない。この数か月「生産的」であったか、「無駄に過ごしてはいなかったか」「心と上手に戦えているか」etc

往復2318に及ぶ石段を踏みしめながら、そんなことを考えてしまった。悩んでいるのではない。きっと修行させられているのだ。そう思いながら今日も時間を見送る。

2019年9月17日火曜日


「休日の過ごし方」
千葉県のいすみ市に行ってきた
台風の被害が出ている最中なので
観光客はまばら。
そんな中いすみ鉄道に乗車。
車掌さんが、運転士さんの帽子を
貸してくれたり、写真を撮ってくれたり。

昭和39年に出来た車両なそうだ。
当時中学2年か…などと時代を振り返りながら
大原から上総中野まで。
そしてそのまま折り返し大原まで約2時間半かな。
退屈するだろうと思って週刊誌を買って乗車
したのだが、ページをめくることもなかった。

カラカラ回る扇風機、鉄板でできたような和式トイレ、木の枝が当たるから窓は
空けられない。この列車は急行だが途中駅に15分ほど止まる。どこまでものんびり。
現実から少しだけ距離を置き、童心に帰ったような時間…せっかく買い直したカメラ
を忘れて出かけ、今のところ活躍の場がないmyカメラ。携帯で済んじゃうしなぁ…

2019年9月12日木曜日

「うまい酒」

一杯ずつ注文するのが嫌いだから、なじみの店はほとんどボトルを入れている。住まいの近所の店だけでも6軒。ボトルがあったかどうか忘れてしまうから今年から携帯のMEMOに書きとめることにした。○○、何日ボトル入れた。○○、何日、ボトル残っている、のように。他に渋谷、青山、六本木…

思えば、ずいぶん沢山酒を消費してきた。だが、最近酔うほど飲めない。と言っても一般の方より量が多いのは確かだが。グラスに残ってることが気にならなくなった、というか飲み切らないことに抵抗がなくなってきたのだ。ほとんど毎日、義務のように飲んではいるけど。

焼酎を量り売りのように考えている店がある。焼酎ロック!「シングルですか?ダブルですか?」そんな店は2度と行かない。「焼酎はなみなみと注ぐものだ!」

酒飲みはたいてい酒に関して意地汚い。酒飲みの気持ちが理解できていない奴は酒を売るな!ってな気分にもなるし。芋焼酎、バーボンウイスキー、日本酒、ワイン、どれも気取って飲みたい酒ではない。赤ワインなんか、冷えていなければ氷を入れて飲むし。いい氷に限るけど。

何が言いたい?「うまい酒が飲みたい」。うまい酒とは、体調がよくて、気分がよくて、好みの料理があって、いい話し相手という環境のある酒だ。最近何かが欠けている気がする・・・「うまい酒が飲みたい」。。。

2019年9月6日金曜日

「涙くん こんにちわ」

先日の小旅行で東野圭吾の「時生」を読んだ。彼の作品は結構沢山読んでいるがタイトルをすぐ忘れてしまう。が、なぜ旅先で東野圭吾を読むか?一気にストーリーに引き込まれる、読み返さないと不安になる、てなことはなく、そしてどこかで必ず泣かせてくれる、更に言えば、一見現実風で実は非現実的、肩がこらないことかな。

ホテルの部屋の清掃が始まりそうな時間にロビーに降りて一気に読んだ。そしてロビーで一度泣いた。結構長時間フロント近くのロビーで読書したので、変な客だと思われていないかなぁ…などと小さく気にしながら。

帰りの飛行機の中で見た映画でも泣いた。若者の恋愛と、父親と娘の美しい愛情物語…ラストシーン近くで涙が止まらなくなり、ハンカチが活躍。最終シーンをイメージし始めたころ、ドスン!という音とともに空港到着!アナウンスが入り映画は終わった…ラストシーン前に…。感動的な映画に限っていつもそうだ。チェ!!!

もともと涙もろいのだが、最近我慢が足らなくなってきた気がする。歳のせい???

さて、最近知った新しい言葉は「ギフテッド」。特殊な能力にたけている?偏った天才君というか… いずれにしろ、知らないことが沢山あるんだ、ということをなぜか強く実感する今日この頃。学び直すとすれば、いったい何から?持続できる分野と、持続できない分野がはっきりしているからなぁ、俺。今までのところ…

2019年8月27日火曜日

「25分間の慌ただしい光景」

22日、番組収録のため秋田に向かうことになった。スタッフは全員前日入りのため当日入りは藤原ひとり。リハーサルに間に合わせるために11時の飛行機を予約。いつもより少し早めに家を出たのだが、空港の駐車場が見えてきたあたりで不吉な予感…「満車」という赤い文字が見えた気がした!のだ。

P1P2 P3P4 一回りしてみたのだがすべて「満車」。「参ったなぁ」…とりあえず並んで係のおじさんに聞いた。「何分待ちですか?」「60分ぐらいですかね」とのんびりした答え。時計を見たら10時15分!残された時間は25分!「出ます!」と告げて列を抜け取り敢えず車を走らせる…「東京駅に向かって新幹線にするか…でも4時間もかかるし…」と少し思案。「よし!国際線の駐車場に向かってみるか、そこがだめだったら東京駅に向かえばいい!」。国際線の駐車場は9階だけが少し空いていてセーフ!。さて、どうやって第一ターミナルに戻るか。

国際線にはいつも車で行くのでタクシーを使ったことがない!タクシーの乗り場がわからない!ので到着口を目指してダッシュ!タクシー乗り場はどこだ?どこだ?やっと飛び乗って第1ターミナルを目指した。1万円札を出したらお釣りがありません!もたもた。解決してターミナルに入るとそこは南ウィング。東北方面は北ウィング!またダッシュ!…間に合った!!!

傍から見ていたら、滑稽な姿だったろうな…と自分の姿を想像しながら1時間程度の空の旅。平日だからと安心していたのだが、8月は夏休み中なんだということを肝に銘じなければいけない。はい!反省。。。

2019年8月18日日曜日

「8月17日」

毎年夏の時期、縁があって都内にある某音楽大学に講義に行く。2時間ほど様々な話をするのだが、今日の生徒は楽器系と声楽とマネジメントの各4年生で、専攻はバラバラ。休憩なしで2時間授業をやり、最後に「質問は?」と生徒に振ったら、ピアノ専攻の生徒が「夢はなんですか?」ときた。

それまで生徒に、目標値とか、夢の必要性などを話していたものだから、逆質門されると少々困った。「女の子の孫がいたらいいな、それが小さな夢」と軽く逃げておいて、さてと話しながら考える…「俺にも語るべき夢が必要なのかも…」とか。「夢、とストレートに言えるものなんてあるか?」などと心の中で呟きながら、言葉を操って質問には答えたが…。年を重ねると、頭の大部分が理屈で構成されていて、思っているほど頭は柔軟ではないな、などと思いを巡らせつつ生徒のストレートな質問にやや反省モード。

今日の刺激はもうひとつ。昨日、注文していたレコードプレーヤーが届いた。昨日の夜は酔っていたから眺めていただけ。今日午前中組み立てを始め調整も一通り完成させ、久々にアナログレコードを聴いた。チリチリチリのノイズ・・・

20年ほど我が家にレコードプレーヤーは存在していなかった気がする。今日はスピーカーの位置を変えたり、配置の見てくれにこだわったり・・・。なんか新鮮気分!!!

夕方から主治医殿と飯会。飲食時間5時間!八王子から四谷まで呼び出してしまった、
ごめんね。

2019年8月8日木曜日

「深夜という時間帯は 自己満足時間」

処置と措置、承継と継承、分かっていそうで間違えそうな言葉を改めて確認する。最近この作業が増えた気がする。慎重になったのか、知識がなかったのか・・・

20数年前、まだPCに否定的な時期があった。「知りたければ本屋へ行け!」とか「ゲームばかりしているおじさんのおもちゃだろ!」とか。だが、今はどうだ、PCがなければほとんど作業ができない。カメラがデジタルに変わる時もそうだった。「写真はフィルムだろ!」これも、デジタルカメラの力を認めることに時間はあまり要らなかった。

ことほと左様に時代は人の心の文化までもいともたやすく変化に導く。

変わらないもの、変わりたくないもの、変われないものもある。親子の愛情の距離とか、心をむしばむ過去の遺産とか、胃袋に巣くう毒薬にもなりうる「忘れられない言葉」とか。大なり小なり、そうして人は「悩みらしいもの」を抱えて生きていく。

子供自転車がなかった時代、子供は大人の自転車に「三角乗り」をした。スケート靴を買えなかった子は長靴に金具をつけた。米を生産していない子は地域の運動会でおにぎりをもらえなかった・・・。

それでも少年や少女たちは、「笑顔」の尊さを、または笑顔のぬくもりを身に着ける努力をしながら時代を生き抜いてきた。PCなんか、要らなかったのだ。まして、空飛ぶタクシーなんていらないのだ。とした時に…この先、どう生きていけばいいの?と笑顔で語る「昭和人」に必要な「実のある文化」を教える?または探せ!というのか、難しいね。

職業が坊さんとか牧師さんでもよかったな、と思うことがある。どちらにしても、かなり生臭かっただろうが。(笑)(8日・深夜)

2019年8月5日月曜日

「夏のある一日」

猛暑が続いている。夏が大好きな藤原でも、急激な暑さの到来なので体が少し驚いている気がする。「無理をしないように…」本格的な夏を迎えて初めて思った。

人々の一般的な感覚とはたぶん逆で、外に出てギラギラの太陽光線を浴びた瞬間「幸福感」を感じるのだ。暑いかどうかとは全く別の気分。前世はきっと、ほとんど陽にあたることのできない場所で暮らしていたのかもしれない。

家で時々頼まれてもいない洗濯をする。今の時期、洗濯ものを取り込むとき、カラっと乾ききったそれぞれが気分を和らげてくれる。洗えるものを探して何でもかんでも洗濯機に放り込むから、そばで聞こえる小さなため息に気づくこともあるけれど(苦笑)

昨日も日曜日なのだから家でじっとのんびりしていればいいのに、何かしないと時間がもったいないと思ってしまう。この性格は生涯直らない気がする。9時から午後4時まで孫を預かってそれなりに楽しく過ごした。休日なのだからそれで終わればいいじゃないか・・・

洗濯ものを取り込む、孫がプール遊びをした後片づけをする、洗車をする、ついでに近所と共有のごみ捨て場を掃除する、自転車に夜間用のシールやテープを張る、伸びてきた木の枝を整理する…あと何かすることはないかな?と思った頃には夕餉の支度が出来ていた。少し家の用事をしたことでちょっぴりの満足感を得た気分。だが!

寝る直前自分が発した一言が自分の今を表しているのだ、と改めて思った。「何をしていても、こうして一日は終わる…」。最近よく同じ言葉をつぶやいている気がする・・・

2019年7月30日火曜日

「のりぴーの人生」

駐車場から車の中にあったゴミ袋を手にして会社に向かった。駐車場の階段の途中にあったゴミが気になって、せっかくゴミ袋を持っているのだから、と一つ拾った。次の階段にアイスクリームの袋が!これも拾った。会社のエレベーターの脇に、昨日も見たはずの郵便受けからこぼれただろう広告の紙、これも拾った。

明日水曜はゴミ出しの日だから、会社のごみとして捨てればいいや…

会社の洗面所で手を洗いながら思うのだった。なんかいい気分…もっと歳を重ねたら、俺、公園のごみ拾いなんかやってんのかなぁ…複雑な気分も…

今日の午前中は八王子の主治医の病院まで出かけ、いつもの注射と薬の処方をしてもらい、主治医に「会合やろうよ」と飲食の誘い。医者の匂いを感じさせない主治医で、外ではよく、薬の営業か不動産、金融関係に間違われるそうだ。そこがなんとも良い。(笑)

今まで、本当にたくさんの人と出会ってきた。突如、今までの人生の出会いをすべて「リセットしたい」という思いに駆られることがある。その中に「リセット外」の人が何人いるかな…と思うこともある。「リセット外」に入るね、我が主治医殿。

そうそう、孫がようやく「のりぴー」と呼んでくれるようになった!もともと「のりぴー」と呼んでほしかったのだが「ぴー」が言えずずっと「のりのり」が呼び名だったが
一週間ほど前から「のりぴー」が定着!いいね!

2019年7月24日水曜日

「POWER」

最近、車庫入れで車が真っ直ぐに収まらないな、と思うことがある。真っ直ぐに直そうという努力を怠っているのか(こんなもんで、といういい加減!)真っ直ぐ入れられなくなったのか?高齢者運転のハードルの手前ではあるが、気になる。前者のような気がするが。

スピード狂ではないがスピードは出したい方だ。先日制限速度70キロの道路で、前をぴったり70キロで走っている車が。同じ道で覆面パトカーにやられたことがあるから、慎重に追い越してすぐ前に入ってスピードを落とした。一瞬キラキラライトをつけた「85-〇〇」の車はやっぱり覆面。数分後その覆面はサイレンを鳴らして別な車を追いかけ藤原の車を抜いていった。可哀そうなドライバーと見え見えの覆面パト。ご苦労様。

今さっき、部屋の模様替えをした。社長机と打ち合わせコーナーを前に戻しただけなのだが、少しは気分が変わるかもしれない。年末に模様替えして以降、あまりにもいいことがなさ過ぎたから(言い換えれば不幸が続いた?(苦笑))気分転換は大切だ。

雑然とした社長室だが、孫の大きな写真が3枚、昔から貼ったり掛けたりしている家族写真、馬と子供の大きな画、観音様の画だとか龍の画だとかが壁にあり、なんだかなぁ、という部屋なのかも。もう色が抜けてきたが「パパ今日もお仕事頑張ってね」と書かれた付箋も壁にある。娘が10数年前に弁当を作ってくれたことがあって、その弁当に貼られていたものだ。

振り返ってばかりいるわけではないが、過ぎた時間の積み重ねの結果として今がある。契約駐車場の記録を見たら、車は7台目になるようだ。4300㏄というパワーにこだわったこともあった。昨年までの車は3000㏄だったが、今は2000㏄で280馬力。排気量は小ぶりになったが馬力にはこだわる。人生と同じだ。小ぶりになっても馬力にはこだわる。

2019年7月19日金曜日

「想い出のニューヨーク・出てきた旅MEMO」

今は一児の母になった娘が高校2年生のころ、父親と二人でニューヨークへ旅した。その時のMEMOが机の中にあった。汚い字でホテルのメモ用紙に書きなぐっているのだが、あまりにも懐かしいものを見つけたので、書き写して思い出を残しておくことにした。
(原文まま)
「ニューヨーク旅日記」  (JAL・ABCで携帯電話借りる)
1日目。自宅を13時40分に出発。成田へ。予定より10分早い出発で15時20分C08便でにて出発。親子なのに17Bと18Bで前後バラバラ。12時間30分の旅へ。前の座席のオバサンが乗って間もなくリクライニングを最大にたおしやがってめしもくいにくい!飯の時ぐらい戻せ、あほ!予定どうりニューアークリバティー国際空港到着。迎えの係とともにヒルトンニューヨークHへ。部屋は1152.あみは眠り起きられない。パパは仕方なく近くのデリを探し食料と水、缶ビールなどを仕入れる。アイロン台を持ち出してテーブル代わりに、持参のカップラーメンと買いだした肉とかまずいライス系のなんとかで食事。バスがわかりにくい、熱い湯が出ない。ま、仕方ないか・・・で寝る。

2日目 7時50分、市内一日観光へ向けホテルロビー集合。伊藤さんという何人か分からない日本人と3人で出発。ガイドは在米15年という〇〇さん。雨と風、寒い。傘を一本5ドルで2本買う。市内を回るが外は寒くてへきへき。ミッドタウン→南下。ダウンタウンを経て
自由の女神に向かうが、風波荒く船が出ず、リバティ島へ向かうことは断念。グラウンド・ゼロは下車したが、寒さで見ず北上してハーレムへ。グランドセントラル駅を下車観光。国連ビル下車観光。サウス・ストリート・シーポートを下車観光。中国人のウエディングドレス・白タキの新婚カップルが大勢いてビックリ。その後、ウォール街を下車観光、伊藤さんをYMCAでおろしホテルへ。夕食はジョーズ上海(鹿鳴春)で中国料理、シャンシャン。

1/4   3日目
セントラルパークへ徒歩で向かう。観光馬車に乗って小さく一周。$34ドルと書いていたのを知らず、ハウマッチと聞き、40ドルと言われ結果40ドル払う。(最初にジャパニーズ?)と聞いた、だからだ・・・ブロードウエィを南下、昼食に立ち寄る。メニューを見たがよくわからん。ウェートレスがきたのでセット風メニューを指さし、お互い注文。来るまでなんだかよくわからない。裏に15%と書いた伝票をもらい、ウェートレスを呼んで聞いた。合計金額(+15%?)と紙に書いて聞いた。笑って、チップは4ドルだと言われた。さらにブロードウェイを南下。派手な看板が並び、あみは ニューヨークだ!と喜ぶ。き馬警官バックに写真をとり、フィルムを交換しようとしたらカメラがフィルムを巻かない。ウンともスンとも言わない。近くのカメラを扱っているショップに入り、おじさんの店員を呼んで(ノー ムーヴ)とあみが英語風に言った。店員は電池を出し入れし、やり直したら動いた。典男が店員の手を握り、サンキューといかにも嬉しそうに言った。その後スターバックスに入る。注文の仕方がわからないので「俺コーヒー」といってあみにゆだねる。あみの日本語英語はなかなか通じない。システムが違っていて注文は現金を支払った後名前を告げ、名前を呼ばれたら受け取る仕組み。名前を問われていることがわからない。うしろの日本人が教えてくれた。「名前を聞かれています」。その後ガーシュイン劇場でミュージカル「ウィキッド」をみる。一旦ホテルへ帰り夜はブルーノートへ向かい本場のJAZZを。パパは半分寝ていた。その夜晩飯も食わず寝た。

4日目以降はMEMOがない。このあと娘が19歳の時、また二人でニューヨークを楽しんだ。


2019年7月17日水曜日

「名セリフ」

「子供のころの自分から、今の自分を見て、誇りに思えるかどうかが、理想的に生きているかどうかだ…」

正確かどうか自信はないが、ある映画を観終わってすぐにメモした言葉だ。翻訳のセリフだが、映画を観終えるまで頭の中で何度か繰り返した。忘れないように。

さて、このセリフが自分に当てはまるか?理想的に生きる…難しいね。だが、悔いていることはないような気がする。それなりに必死だったし、自分らしかったから。

何かを信仰していればよかったな、と思うことがある。神も仏も大切にするが信仰心が篤いとは言えない。氏神様も大切にするし、お寺の住職とも親しくするし、神棚に榊を忘れることもない。お地蔵さんにだって挨拶するし、海外に行けば教会も訪ねる。だが、今一つまじめさに欠ける…気がしてならない(苦笑)

ではなぜ「何かを信仰していればいかった」と思う?心のよりどころが欲しい場合がある。「般若心経」を読んだ時代がある。だが長続きしない。なのに「あぁ神様、何とかして!」と神頼みすることもある。「理想的に生きている」本当にそんなことあるか?
だが、映画の主人公は正しい人生とは言えないが、実に楽しんで生きていた。

そうだ、理想的に生きるということは楽しんで生きることだ。なぁんだ、簡単なことだ。
難しいことも、簡単だと思えばいい。自分らしく。

2019年7月8日月曜日

「いろいろ」

7月1日に、第10回岩谷時子賞の授賞式が開催された。今年の岩谷時子賞は坂東玉三郎さん。もう10回もこの会に足を運んでいることになる。10年、あっという間だ…

授賞式のあと、例によってレセプションパーティーが始まるのだが、主催者の一人で、審査員でもある某音楽プロデューサーと1年ぶりの再会。透析を週3回もしている人だからまず「体調」の話から入る。さり気なく「あっちのほうはどうなの?」と聞いたら「〇欲はあるんだけど〇力がないんだよ」と来た。はいはい。

友人の「千家和也」が逝った。あの顔で、あの性格で、素晴らしい詞を書いた人だ。ずいぶん一緒に飲んだ。数年前まで、彼と彼の奥様と藤原と、よくゴルフにも出かけた。少しすれ違いが起きて、この2年ほど音信不通になっていたのだが、最後の記憶では、少しの酒で足元がふらつき、タクシーに抱え込むようにして乗せた。だから、訃報に接しても驚きはしなかったが、73才は、あまりにも早いだろう…

昨日は「明治座」の「中村雅俊45周年記念公演」に行ってきた。芝居は結構面白くエンターテイメントを感じたいい舞台だった。2部の「歌」では、女性の観客が涙を流しながら聴き入っている姿をたくさん目にした。まさに歌が、時間の垣根を越えてそれぞれの思い出の世界へと誘ったのだろう。「歌の力」はうまいか下手かではないんだ(苦笑)でも、味があっていい歌だったよ、中村雅俊さん。

この部屋から梅雨の隙間のような青空が見えている。最近、青や緑が、いいな。

2019年7月4日木曜日

「帰郷」

6月に、小学校の同窓会があったので、岩手まで行ってきた。盛岡から在来線にのって矢幅駅まで行き、駅近くの宴会場へ向かったのだがあいにくの雨。100名ほどに案内を出したらしいのだが出席したのは35名ほどかな。それで?多くを語らないことにしておこう(笑い)

翌日、念願だった不来方城(盛岡城)にある啄木の碑を目指した。雨という天気予報は外れ、願ってもない晴天。コンビニで弁当を買い、54年ぶりの碑との再会を目指ざす!!!

こっちらしい…
城跡の中はほとんど記憶がないのだが、啄木の碑は案外分かりやすかった。中学3年の時、進学をやめて上京を決意したころ、よく啄木の碑の前で寝ころんだものだった。まさに多感だった中学生時代…           
学校の授業を抜け出して来たこともあった気がする。
あったぞ!!!
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

当時は、もっと高い位置に碑があったような気がしていたが…



碑のそばで遅めの昼食ということで弁当を食い、寝ころんで空を見上げた…吸い込まれるような青空だった…

それから墓参りへ。自分で建てた墓だが、最初に眠ったのは弟。昨年母が入った。墓参を済ませ寺に挨拶に寄ったが住職はあいにく葬儀の最中で、奥様と長い時間話し込んだ。もっぱら個人的な愚痴の聞き役だったけど(笑)

さて、それから夕方盛岡駅前で待ち合わせたのが自称「美女軍団」と言ってはばからない4人の女性グループ。一升瓶の焼酎を軽く空け、移動したカラオケバーで地元産ワインを2本軽く空け…   … 多くを語らないことにしておこう!(笑)

2019年6月19日水曜日

「赤ちゃん言葉にご用心!」

「病院でいたたまれなくなる光景の一つは、医師や看護師が高齢者に、赤ちゃん言葉で接している場面である。見ていて、とてもつらい」

今日の日経新聞のコラムの冒頭にあった言葉だ。

「長い人生をひた走り、辛酸をなめ、それぞれに足跡を残してきたひと人の尊厳はどこにある」ともあった。

まったくもって、その通りだ。つい先日も話題にしたばかりだった。その光景に接すると、腹立たしいというか、残念というか、いい気持になったことはない。

優しく言っているつもりだろうが、ある皮膚科の女性院長先生が、藤原に対して子供に言い含めるような言い方をする。だから嫌いだあいつは!(笑)
「俺の尊厳はどこにある!!!」




たとえどんなにイラついていても、この「お孫様」の写真を
見ると、突然笑顔になれる。
「女院長!あの言葉は孫に言ってくれ!」

結構根に持っているワタクシ・・・(苦笑)

それにしても、可愛いなぁ・・・
なぁ 倫君!

2019年6月13日木曜日

「哲学って何だっけ?」

友人から「私の座右のノート」というテーマのメールが届いた。「一流の盲点 二流でいこう 三流の弱点」なのだそうだ。人はみな、何かを肝に銘じて人生という歩みを進めている。

俺に座右の銘なんてあったかな・・・?

「やればやられる」 「感情は勘定」 なんて言葉かな・・・書き記すようなもんじゃ、ないよな。
俺の哲学のようなもんだ、たぶん。

哲学と言えば、モンテーニュがなかなか読み進められない。一文が長いし、物事を肯定しているのだろうと思って読んでいると最後に「・・・を否定することになる」とくる。あれ?となってもう一度読むことになる。藤原に、大学生時代があったとしたら、学生時代に読むべき本だよな、などと心の中でぶつぶつ言いながら又数ページをめくる・・・

藤原の人生には多分4つのステージがある。その①は15才までの子供時代、②は上京して音楽の仕事をしていた40才までの時代、③は会社を設立してからの社長業時代④は残りの人生を充実させるために豊かな時間を求める時代・・・かな。

第2ステージとなる16才~40才までの時代は、5年ごとに人生に点を打っていた。例えば20歳の時、25歳の時点ではこうなっていたい、25歳になると、30歳の時点ではこうなっていたい、のように。で40歳の時に「そうなっていなかった」から音楽をやめた。

地球一周の旅、ってのもいいな。中間地点を超えた時「思えば遠くに来たもんだ」と思うのか「結局このまま「振り出しに戻る」と思うのか。この理屈、決してモンテーニュのせいではない(笑)

2019年6月12日水曜日

「誕生日」


 🎂 69歳の誕生日を迎えてしまった。誕生日当日は
土曜日だったため、一日早く社員がケーキと花束で
祝ってくれた。これは取り分けてくれた藤原の分の
食いかけ。

みんなで撮った写真は誰のカメラで撮ったのかわから
ないので取り敢えず手元にはない。

誕生日当日は昼に家族で集まった。娘夫婦と孫、息子
カミさんと食事会。かわいらしいプレゼントも。

朝早くに、ペテルブルクの友人からお祝いメールが。
彼女も結構歳をかさね、体調がすぐれないらしい。
でも、頑張って現地の日本語学校で日本語を教えて
居る。みんな頑張っている・・・

ペテルブルクに行ってこようかな・・・


さっき、取引銀行の元の担当者が顔を出してくれた。彼は
なかなかのやり手なのだが、「いやー、ちょっと時間ができたので社長の顔が見たくて!」ときた。
銀行の不振などの一通りの話をしたあと事業継承の話へ。「お金を貸し出すことでは利益が出ないんですよね・・・会社の代替わりのお手伝いをして手数料を稼ぐとか・・・」

「ところで社長はこの先どうされるんですか?」何を言いたいかは解っているから「俺か?俺は株式会社 老人 ということで頑張るんだよ」とけむに巻いてやった(笑)清水君、期待に応えられなくてごめんね。

世間が様々な思いを巡らせるそんな年齢になったということだ。

2019年6月5日水曜日

「SONY α 6400」

脱力感や無気力と戦うのは難しい。そうではない「フリ」をするのはもっと難しい。そして、人に教わるのはややこしい。

社長業を長くやると、人に教わることが下手になる、というのは情報として知っていた。それを最近実感した。一眼のカメラを新たに購入したので、メーカーが主催している教室に行ったのだが・・・
座学6時間、屋外のモデルを使った撮影会で2時間、計8時間かけて技術の入り口を学んだ。

なぜ入口?それはそれはあまりにも機能が多く複雑だから。子供のころから写真は好きだったが、今のカメラは初めてPCに触れた時と同じ感覚になる。一回で覚えられないという、脳みその機能マヒも原因の一つではあるのだが。

会社に居ると、社員に「おーい、これどうするの?」とか「よくわかんないからやっておいて!」とかすぐ人に頼る癖の様なものがある。カメラの教室で先生を呼びつけて「これどうすんの?」というわけにもいかないし・・・「わからないから来てるだろ!もっと丁寧に教えろよ!」と言う訳にも行かないし・・・

屋外の撮影の時、先生が「もっとモデルさんに注文を出して!」と言うのだが、今まで沢山の歌手のみなさんにさんざん注文を出してきた身としては、逆に大勢の前では照れくさくて言えない・・・
「早く終わればいいな・・・」そればかりを考えていた。

あとは、カメラをいじくりまわして、体で覚えるしかないな・・・と思うのだがその集中力にも欠ける。 

新聞のコラムに出てきた「モンテーニュのエセ―」に興味をもって岩波文庫のものを4巻まで買った。6巻まであるそうだが、後でもいいや、と思い取り敢えず4巻まで。で、今日までに読んだのは3,40ページほど(笑)コラムにあった「3巻の〇章」までたどり着くのに半年はかかりそう。どこか海外にでも出かけて読書に没頭すれば少しは読み進められるかも。

6月だ。もうすぐまた年齢を一つ重ねる。 「独立心旺盛で臨機応変、無駄のない時間の使い方」にエネルギーを使ってきた藤原君も、思案のしどころというところか。  

2019年5月24日金曜日

「マグニチュード計測中」

心が激しく揺れ動いた一か月だった。揺れが収まったわけではないが、大きな船からボートに乗り移り、ようやく小舟のオールを漕ぎ始めたというところか・・・ますます揺れるよな。

令和という文字を、まだペンで書いたことがない。が、新たな時代が始まったということだ。「日本賞」という番組で、毎年身近で拝見していた皇太子さまが天皇に・・・今年の「日本賞」には、どなたがお見えになるのか。

オリンピックの入場券申し込みにトライした。開会式と閉会式とスポーツ音痴の僕でもわかりそうなバレーボールの3種。申込金額は120万を超えていた。当選するわけない!と踏んでいるからなんの問題もないが(笑)でも、開会式だけは観たいな。

昭和39年のオリンピック時、中学2年生だった。聖火が国道4号線を東京に向かう途中、おらが村を通った。短い区間だったと思うが、聖火ランナーの後ろを伴走者として走った記憶がある。遠い記憶だが、鮮明な記憶でもある。

去年も書いた気がするが「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」という石川啄木の短歌が好きだった。この句が書かれた碑が不来方城(盛岡城)にあって、中学三年のころ、この碑の前でよく寝ころんだ。それを再現したくて去年盛岡城まで行ったのだが、大雨のため断念。6月に盛岡に行く予定があるから、今年こそチャレンジして来よう。(碑がまだ存在するかは知らない)

そうそう車の免許更新に行かなくちゃ。ギリギリ高齢者講習受講者ではない。去年買い替えた車が結構スポーツタイプなので、坂道なんぞブォ~ンという感じでアクセルを踏み込んでしまう。いずれそう遠くない日に、家族から心配される日がやってくるんだろうね。

揺れはいつまで続くのか・・・とりあえず揺れのない、小さな陸地を探すとするか。

2019年4月10日水曜日

「仲間」

懐かしい昔仲間との会合があった。6人中現役は二人。あとの4人は爺さん(笑)。現役は藤原とNHKの阿部渉アナウンサー。10年近く続いている「会」のような気がするが、もっと長いかもしれない・・・西暦2000年になった時の番組の話が出るから、もっと長いのかも。

懐かしい写真を見せてもらって思い出したのだが、会のメンバーの数人は亡くなってる。「生きて逢えてよかったね」と軽口をたたいたが、どこかに真実の匂いがするから困ったものだ(苦笑)。

幹事役のおじさんが懐かしい写真をセレクトして持ってきてくれたのだが、どの写真を見ても、藤原が一番目立つ表情をしていて、更に生意気そう!俺っていつもそうだっけ?などと改めて感心したり・・・周りが普通のおっさんばかりだからそう見えるんだよ、と小さな言い訳。

2次会のない(年寄りばかりだから)小さな飲み会は2時間程度でお開きとなった。だが、今年はなぜか「楽しい」と感じた。いつもより、という意味だけど・・・

時間の経過や、過去のさまざまに対する思いが、年齢とともに少しずつ変化してきたのだと思う。

さて、社内は?静かな時間が流れている。苦手なんだよな、職場がやけに静かなのは。かえって物事に集中できない。ロックコンサートに行くと熟睡できるようなもので、社内が活気で騒々しい方が安心して自分のことに集中できるのだが・・・

先日SONYの新しい一眼レフのカメラを買った。昔のような説明書はなく、PCで見ろと。紙に印刷しようとしたら600ページだとか。で、一日教室に行くことにした。習うより慣れろ、の時代ではなくなった。まず、ちゃんと基礎を教われ!そうしないとほとんどの新しい製品が、宝の持ち腐れになっちまう!!!

2019年4月5日金曜日

「26年目」

最初の1年間は他社のスペースを借りて段ボールの上に電話を乗せているだけの会社だった。2年目に今のビルに引っ越し丸々24年、計25年が過ぎ、今日26年目を迎えた。4月5日が設立記念日。4半世紀の時が過ぎた。

炬燵に入って、会社の作り方という本を見ながら設立の準備をしたっけ。そのころは、ワープロを使いこなせていたから良かったが、それより昔は書類を手書きで作ったのかね。

数年は有限会社だった。軍資金が苦労して集めた300万しかなかったから。当時は株式会社にするのには1,000万円必要だった。隔世の感がする。

ある日取引先に請求書を持っていったら「おーい、ウチって有限会社と取引できるんだっけ?」と担当者が近くの仲間に声を掛けた。

藤原 「カチン!!!」

その小さな事件のあと、すぐに株式会社にした
ような気がする。そして今日、会社は
26年目を迎えた。

小規模な会社で始まり、そして小規模になった。
(苦笑)

20年を超えるスタッフもいる。
会社が小さすぎて、それぞれの息遣いも聞こえる。
これはマイナス要素だな。
まるで家族スタイルだ。

ま、小規模なんだから仕方がないか。
だが以前のように、頑固おやじスタイルで
怒鳴りまくることも無くなった・・・

2019年4月4日木曜日

「ベランダのチューリップ」




5輪咲いた。
もう1本はまだつぼみ。

どうやら短足ではなかったようだ。
ちゃんと背も伸びている。

空は青空。

二人の遺伝子は次の時代に流転していく・・・
昨日、内田裕也さんの娘がそう語っていた。
なんとも文学的だが・・・

そう言えば、娘が裕也さんとロンドンで2度出会ったそうだ。記念写真を撮っていたっけ。

2019年4月1日月曜日

「新元号への想い」


平成の元号が発表されたその日、発表の瞬間を小さいテレビで見ていた。娘が生まれた翌年のことなのだが、発表の時間帯に自宅にいたということと、本当に小さなテレビだったことをなぜか鮮明に覚えている。

大変な時代と重なる・・・(苦笑)。二人目が生まれたが、職業はいい加減、悩みぬいていたころだと思う。夜はピアノの弾き語り、土日は結婚式の司会、昼はカラオケの先生、レコーディングの指揮者、あと何をやっていたかな・・・

あの頃、カラオケ教室のギャラをバイクの男にひったくられ、ほとほと運気に愛想が尽きて、音楽を辞めて、小さなカレー屋でもやろうかな、と本気で考えたりした。店名は「森の小人」にしようか・・・などと本気で考えたものだ。

平成の元号の発表時の光景が、良くも悪くも鮮烈なものなので、今日の発表の瞬間を心待ちにした。30年の歩みが走馬灯のように・・・そんな1日になった。人の生きざまは、いくら考えても読み切れるものではない、そんな思いが重なる。

平成2年の暮れで音楽活動をすべてやめた。平成3年の正月から展望のない日々を迎える。個人の力は弱い、会社組織の中に居なければ力を発揮できない、そんなことを思ったと思う。平成という時代が藤原を育ててくれたのだ、とも思う。

音楽を辞めると決めた平成2年の暮れ、銀座のある店で「藤原君の第1回目コンサート」というイベントをやった。やめると決めているのだから「第2回目」があるはずもない。昼夜2回やって、80万ぐらい利益を出した。貯金が無かったから、取り敢えずの生活費が必要だったのだ(笑)あの日の皆様、今更ごめんなさい。

時代を振り返り 明日を見るにはいいタイミングだ。が、昭和がますます遠くなる。

2019年3月20日水曜日

「チューリップ」

葉っぱがなんか赤くなっている・・・どうしたのかな?心配でのぞいたら、なんと開花していた!

会社のベランダで球根から育てているチューリップの話!赤い花びらが申し訳なさそうに・・・

チューリップって、もっと茎が伸びて高い位置で花を咲かせると思っていたから、びっくりした。球根から植えて育てたのは初めての経験だから、うれしい。
それにしても、背が低いね。短足チューリップ?俺似?

今日の東京は、びっくりするぐらい暖かい。桜ももうすぐかな?
あちこちから春の便りが届く。先日の日曜、黄色が一面に広がる菜の花を観た。俺って、こんなに花が好きだっけ???
でも、花の名前は詳しくない。外来種はほとんどわからない。
覚えようともしないけど。
この一週間ほど、気の滅入ることが続いたから、
花に救われる・・・。。。                  

2019年3月13日水曜日

「3泊4日の旅」

9日から4日間ほど、一人旅をしてきた。いつものことだが、片道4時間程度の海外へふらっと出かけてくる。大した目的もなく、仕事から離れるため毎回パソコンを持参することを止めようと思うのだが、結局持って出かけた。

東野圭吾の小説を2冊持ってでかけ、2冊とも読み切った。旅先で読むには肩が凝らず楽しめる作品が多い作者で、もう何冊も読んでいるが、タイトルを記憶しているものは無い。今回読んだのは、作者の代表作と言われている「秘密」と現実感がやや乏しい「ラプラスの魔女」。

「秘密」はうわさ通り、いい作品だった。ホテルの部屋をお掃除のおばさんに空け渡すために、ロビーに移動して読み続けたのだが、最後のページで思わず涙。ハンカチが必要なほど涙。周りに他の客は居なかったがフロントからは丸見え。最後の最後で泣かせてくれる小説だった。パソコンでのやり取りは1,2回しただけだから、PCは結局持っていかなくても良かったのになぁ・・・

で、成田に着いて最初にしたことは「マスク」を着けること。この2,3年花粉症に苦しめられている。年齢のせいかな?とおもう症状も沢山ある。考えたくはないが、医者通いが増えた(苦笑)。そうそう、帰りの機中は読むものがないから、映画を観た。だがセレクト間違い。アカデミー賞という文言にひかれて観た「ムーンライト」。もっと感動的な作品かと思ったのだが残念賞!

さて、3月も中旬。今月が決算月だ。4月から26期目に突入する。成田から自宅に向かう車の中はまさに、現実に戻る高速道路。カーナビの画面が埋め尽くされた地図に見えたり、まだ道を描ける可能性のある地図に見えたり・・・アクセルを踏むべきか・・・
様々な現実に直面する帰り道・・・。。。

2019年3月8日金曜日

「たけのこ」

4日の月曜日に久し振りでテレビ東京の「歌いーな!」の収録があった。因みに放送は3月30日の土曜日お昼時だ。藤原は構成担当。春真っ盛りだし、お昼時なので「食」をテーマにしたコーナーも作ろうということになった。春の旬の食材と春らしい食べ物・・・桜餅、桜プリン、桜バウムクーヘン、食材としては「筍」「なばな」「フキノトウ」とか・・・

台本にそう書きこんで、収録前に念のため「筍」の存在を確認してみた。あちこち電話してみたが収録日あたりは時期がまだ早い!という現実に直面。千葉県あたりが産地ということなので、知っている道の駅に電話してみたら「3月中旬ごろから店頭に並びます」だと。収録は4日、無いわけ?

そんなことで諦める藤原ではない。産地として名高い千葉県大多喜町の道の駅に電話してみた。「店頭に並び始めましたよ。お取り置きはできないんですね・・・朝早めに来ていただければあると思います」

収録前日の3日、藤原は当然、大多喜町の道の駅「たけゆらの里おおたき」に向かったわけだ。見よ!この筍にかける執念!番組上は僅か2~3分のコーナーなのにだ。10時頃着いたかな、店内でおじさんが「大多喜のたけのこ ありますよ!」と叫んでいる。あった!あった!で、買った。

筍、なばな、フキノトウ、GET!。で、翌日4日無事収録。スタジオでは「あの筍美味しそう!」と筍が一番注目を集めていた。

なんでそこまでこだわる?それはきっと「ものをつくる」人間の執念とこだわりなんだろうね。で、大多喜ってどこにある?東京から片道80キロぐらいかな・・・往復160キロという距離にある。そこまでするか?って感じだよね。でも、台本を書いている時にすでに頭の中で「画」ができているから、その画が完成しないことが許せないんだよね。

収録の技術さんが、「AZさんの番組は手作り感があって、あったかくていいですね」と言ったらしい。何よりうれしい一言だ、と思った。さぁ、いよいよ「春ですね」。

2019年2月2日土曜日

「本当に」

一昨日飲み過ぎたので、昨夜は早めにベットに入った。それなのに!サッカーが気になって12時ごろよいコラショ、とリビングへ戻りテレビ観戦。日頃、サッカーにほとんど無関心なのだが、日本が「決勝」となると、なぜか気になる。マナーの良い日本人の戦いを観ながら、昨今の隣国への日本の対応などに思いが及ぶ。忍耐の日本人か・・・などと。

今日は昨日までの寒さが嘘のような陽気だ。陽も長くなってきた。寒さと夕暮れが苦手な藤原にとって、夕暮れ時間が遅くなることはうれしい季節。春よ、来い!だ。

話は跳ぶが、最近若手の歌手のステージトークでやたら気になる文言がある。何につけ「本当に」という。多分、文脈が計算されていないから「接続」の意味合いで「本当に」を連発するのだろうが、なんとも心地悪い。「本当に」。

「嘘」だと思われることを前提にしているの?と突っ込みたくもなる。トークを練習しろよ、プロなんだから!と言いたいぐらい・・・「本当に」。

椅子に腰かけるとき「いや いや いや」という人がいる。毎回突っ込んでやる。「そんなに嫌ですか?」。

先日社内会議で「すみません」と安易に言うなと言った。「すみませんは「Excuse me」の時にだけ使ってください。何かを注意されて「すみません」を連呼するな!」ということなんだけど。何かにつけて「すみません」を連呼されると、謝罪の言葉の安易な代用ということがよくわかる。「本当に」。

さっき「テレビは芸術ではありませんから」と口にした。後で、じゃぁテレビは何?と自問自答。テレビは「時代と文化の鏡」てなことでどうだ?などと思いながら、ブログを書いている。

2019年1月18日金曜日

「友人」

主治医のいる病院は遠い。八王子だけど、高尾の方に寄っているかも。月に1度受診し、注射を打ち、1か月分の薬を処方してもらう。付き合いは17年ぐらいになるのかなぁ。長い付き合いだ。今日は眠剤を変えてもらった。「昨日調べたんだけど〇〇を止めて〇〇の2ミリにしてみようかな」とか患者が生意気を言って処方を変えてもらったりして。なんか偉そうなんだよね、俺。

思い起こせば、あちこちに長い付き合いの友人がいる。先日、福岡にいる友人と電話で話した時はすごく暖かい気分になれた。彼は30数年来の友達だ。若い頃は神戸の893で、組を抜けるときに手の指を2,3本失っている。1本でないことは確かなのだが、2本だったか3本だったか。だが、人間的には最高。子供たち3人が本当に立派に育って・・・彼も本当によく頑張った。

そう言えば、韓国ソウルの同い年の友人も、もと現地の893だった。梨泰院近辺で、地元の親分という人を紹介されたことがある。紹介されてもなぁ、てな感じなのだが、紹介された(苦笑)。
もちろん彼はだいぶ前から堅気だが。今頃、孫とじゃれあっているのだろうなぁ。時々、今年は来るよね、と電話がある。

思い起こせば、たくさんの人と出会ってきた。友人は多ければいいというものでもない。会いたいと思ったときに会えて、余分な神経を使わない相手がいい。15歳で社会に出てしまったから、利害に関係のない友人に出会うチャンスは少なかったが、それなりに周りにはいる。

年を重ねれば立ち位置が変わる。立ち位置によって価値観も変わる。昔、いいと思ったものが今、どうでも良かったり、どうでもよかったものが今、とても大切なものだと思えたり。人は変わるのだ。
なのに、ずっと長い友人で居られることは、貴重でありがたいことだ。

2019年1月17日木曜日

「週末別荘?」

千葉県にいすみ市という町がある。東京から南東方向に房総半島を突っ切る感じで距離的には100キロと少し。どこにも寄らずにまっすぐ行けば1時間30分ほどかな。2時間あれば充分。この地になぜかハマっている。

安い宿を見つけた。金額的にはペンションみたいなもんかな・・・と思って出かけたら夕食のそれなりの豪華さにちょっとびっくり(値段にしてはという意味だが)。温泉地の宿のように、過剰なサービスは一切ないけれど、ぬくもりのある対応はとてもここち良い。ゆるい感じがいいのだ。出しゃばらない、気を使い過ぎない・・・

純粋な温泉ではないのだが、それなりの湯舟。年末に「いすみ市」のイベントに用事があって出かけたついでに娘夫婦、もちろん孫も一緒に連れて行ったので探した宿だ。それからなんと2度行った。まるで週末別荘のように。風呂に近い201号室がいいとか、次は206号室がいいとか注文を付けて・・・。短い期間に重ねて行ったので「食事が同じで飽きるでしょう、事前に言ってくれれば変更できますよ」なんて優しいことも言われ・・・。

豪華さをそれなりに求めて生きてきた。対応がよい、部屋が立派、食事が料亭のよう etc
そんなものは一切ないのだが、なぜかハマった。「ゆるい感じ」それがいいのだと思う。周囲には何もない。河川と少し歩けば海。これ以上は誰にも教えたくないね。週末別荘だから(笑)

2019年1月16日水曜日

「芸能界」

時間が流れて普通に新年がやってくるだけなのだが、今年は新年を迎え少しだけ変化を試みることにした。昨年はなぜか(原因はわかっているが)芸能界という世界に心が背を向けていて、コンサートにも行かない、業界系パーティーにはもちろん出ない、と徹底した。

今年、やや何かが吹っ切れたらしく、9日の業界の新年会には出席し、12日には明治座に取材を兼ねて出かけた。先ほどもコンサートの出席通知を出したばかり。案内状が届くすべてに顔を出すことは当然できないが、去年のように拒否する理由も見当たらないので、なるべく出かけることにしようと思う。そういう意味で新年は、切り替わりのチャンスをくれるのかもしれない。

そうそう、最近のショックは「純烈」かな・・・彼らとはかなり親しくしていたし、応援もしていたから。友井君には俺が持っていたベースギターとそれ用のアンプをあげたりして・・・紅白出場を待って、認知度が全国区になってから暴露記事を書く某週刊誌には、感心するというか、馬鹿垂れ、というか、ゴシップで食っている奴の心の奥底をのぞいてみたい。ま、俺には彼らのような真似は到底できないが。

2019年1月7日月曜日

「ヨーイ ドン!」

24年間、始業は4日と決めていたのだが、今年は今日7日とした。世間に合わせる、というやり方を止め、現実的な業務の形を求めた結果だが。

年末31日、四谷の寿司屋さんが「フグ」と「マグロ」を届けてくれた。デカいフグが箱入りで2匹。冷凍していないフグだから早く食え!と。毎年恒例なのだが、すっかり届くことを失念していたものだから、急遽食卓に2台のコンロが並ぶことになった。

食いきれないよ、と思いつつ娘夫婦と義母と、我々夫婦、一人暮らしをしている40年来の友人を招いて食卓を囲ん結果、なぜか寄せ鍋もフグちりもマグロも完売!。友人が焼いてきた「ローストチキン」はさすがに手を付けられなかったが。77歳になる友人と二人でしこたま飲んで気が付けば、新年は開けていた・・・のだ。

元日、二日酔いのまま近くの神社に初もうで。この神社でお祓いを受け、祝詞を上げていただくのも恒例行事。17年目・・・かな?もちろん孫も一緒。

2日は何してたんだかなぁ・・・会社には来た。自宅の裏で育てている榊を持参して、会社の神棚の前年のものと交換。例年は元旦の行事だったのだが。そうそう、正月も働いているスタッフにお年玉を持ってきたんだっけ。

3日?ほとんど忘れたけど、市ヶ谷の「亀岡八幡宮」に行った。役者をやっている知人が境内で「南京玉すだれ」などの芸を披露していると連絡だあったものだから見物がてら参拝。

4日は初めて東京スカイツリーに出かけた。これは見物ではなく仕事。今度仕事でからむ新人歌手がスカイツリーにあるスタジオで歌っているとのことで面会に。ツリーの下にある「ソラマチ」という場所にあるスタジオだが、何が何だか分からなくなるほど迷路の連続。駐車場の方角さえ見失う(苦笑)帰りに無人の会社に寄り、現実に引き戻される自分を感じて軽くため息。

てなことで、会社という「現実の中」で7日を迎えた。さて、4日から7日に変わった年始の挨拶に出かけるとするか。設立26年目となる現実も、もうすぐそこに待っている。