2019年7月30日火曜日

「のりぴーの人生」

駐車場から車の中にあったゴミ袋を手にして会社に向かった。駐車場の階段の途中にあったゴミが気になって、せっかくゴミ袋を持っているのだから、と一つ拾った。次の階段にアイスクリームの袋が!これも拾った。会社のエレベーターの脇に、昨日も見たはずの郵便受けからこぼれただろう広告の紙、これも拾った。

明日水曜はゴミ出しの日だから、会社のごみとして捨てればいいや…

会社の洗面所で手を洗いながら思うのだった。なんかいい気分…もっと歳を重ねたら、俺、公園のごみ拾いなんかやってんのかなぁ…複雑な気分も…

今日の午前中は八王子の主治医の病院まで出かけ、いつもの注射と薬の処方をしてもらい、主治医に「会合やろうよ」と飲食の誘い。医者の匂いを感じさせない主治医で、外ではよく、薬の営業か不動産、金融関係に間違われるそうだ。そこがなんとも良い。(笑)

今まで、本当にたくさんの人と出会ってきた。突如、今までの人生の出会いをすべて「リセットしたい」という思いに駆られることがある。その中に「リセット外」の人が何人いるかな…と思うこともある。「リセット外」に入るね、我が主治医殿。

そうそう、孫がようやく「のりぴー」と呼んでくれるようになった!もともと「のりぴー」と呼んでほしかったのだが「ぴー」が言えずずっと「のりのり」が呼び名だったが
一週間ほど前から「のりぴー」が定着!いいね!

2019年7月24日水曜日

「POWER」

最近、車庫入れで車が真っ直ぐに収まらないな、と思うことがある。真っ直ぐに直そうという努力を怠っているのか(こんなもんで、といういい加減!)真っ直ぐ入れられなくなったのか?高齢者運転のハードルの手前ではあるが、気になる。前者のような気がするが。

スピード狂ではないがスピードは出したい方だ。先日制限速度70キロの道路で、前をぴったり70キロで走っている車が。同じ道で覆面パトカーにやられたことがあるから、慎重に追い越してすぐ前に入ってスピードを落とした。一瞬キラキラライトをつけた「85-〇〇」の車はやっぱり覆面。数分後その覆面はサイレンを鳴らして別な車を追いかけ藤原の車を抜いていった。可哀そうなドライバーと見え見えの覆面パト。ご苦労様。

今さっき、部屋の模様替えをした。社長机と打ち合わせコーナーを前に戻しただけなのだが、少しは気分が変わるかもしれない。年末に模様替えして以降、あまりにもいいことがなさ過ぎたから(言い換えれば不幸が続いた?(苦笑))気分転換は大切だ。

雑然とした社長室だが、孫の大きな写真が3枚、昔から貼ったり掛けたりしている家族写真、馬と子供の大きな画、観音様の画だとか龍の画だとかが壁にあり、なんだかなぁ、という部屋なのかも。もう色が抜けてきたが「パパ今日もお仕事頑張ってね」と書かれた付箋も壁にある。娘が10数年前に弁当を作ってくれたことがあって、その弁当に貼られていたものだ。

振り返ってばかりいるわけではないが、過ぎた時間の積み重ねの結果として今がある。契約駐車場の記録を見たら、車は7台目になるようだ。4300㏄というパワーにこだわったこともあった。昨年までの車は3000㏄だったが、今は2000㏄で280馬力。排気量は小ぶりになったが馬力にはこだわる。人生と同じだ。小ぶりになっても馬力にはこだわる。

2019年7月19日金曜日

「想い出のニューヨーク・出てきた旅MEMO」

今は一児の母になった娘が高校2年生のころ、父親と二人でニューヨークへ旅した。その時のMEMOが机の中にあった。汚い字でホテルのメモ用紙に書きなぐっているのだが、あまりにも懐かしいものを見つけたので、書き写して思い出を残しておくことにした。
(原文まま)
「ニューヨーク旅日記」  (JAL・ABCで携帯電話借りる)
1日目。自宅を13時40分に出発。成田へ。予定より10分早い出発で15時20分C08便でにて出発。親子なのに17Bと18Bで前後バラバラ。12時間30分の旅へ。前の座席のオバサンが乗って間もなくリクライニングを最大にたおしやがってめしもくいにくい!飯の時ぐらい戻せ、あほ!予定どうりニューアークリバティー国際空港到着。迎えの係とともにヒルトンニューヨークHへ。部屋は1152.あみは眠り起きられない。パパは仕方なく近くのデリを探し食料と水、缶ビールなどを仕入れる。アイロン台を持ち出してテーブル代わりに、持参のカップラーメンと買いだした肉とかまずいライス系のなんとかで食事。バスがわかりにくい、熱い湯が出ない。ま、仕方ないか・・・で寝る。

2日目 7時50分、市内一日観光へ向けホテルロビー集合。伊藤さんという何人か分からない日本人と3人で出発。ガイドは在米15年という〇〇さん。雨と風、寒い。傘を一本5ドルで2本買う。市内を回るが外は寒くてへきへき。ミッドタウン→南下。ダウンタウンを経て
自由の女神に向かうが、風波荒く船が出ず、リバティ島へ向かうことは断念。グラウンド・ゼロは下車したが、寒さで見ず北上してハーレムへ。グランドセントラル駅を下車観光。国連ビル下車観光。サウス・ストリート・シーポートを下車観光。中国人のウエディングドレス・白タキの新婚カップルが大勢いてビックリ。その後、ウォール街を下車観光、伊藤さんをYMCAでおろしホテルへ。夕食はジョーズ上海(鹿鳴春)で中国料理、シャンシャン。

1/4   3日目
セントラルパークへ徒歩で向かう。観光馬車に乗って小さく一周。$34ドルと書いていたのを知らず、ハウマッチと聞き、40ドルと言われ結果40ドル払う。(最初にジャパニーズ?)と聞いた、だからだ・・・ブロードウエィを南下、昼食に立ち寄る。メニューを見たがよくわからん。ウェートレスがきたのでセット風メニューを指さし、お互い注文。来るまでなんだかよくわからない。裏に15%と書いた伝票をもらい、ウェートレスを呼んで聞いた。合計金額(+15%?)と紙に書いて聞いた。笑って、チップは4ドルだと言われた。さらにブロードウェイを南下。派手な看板が並び、あみは ニューヨークだ!と喜ぶ。き馬警官バックに写真をとり、フィルムを交換しようとしたらカメラがフィルムを巻かない。ウンともスンとも言わない。近くのカメラを扱っているショップに入り、おじさんの店員を呼んで(ノー ムーヴ)とあみが英語風に言った。店員は電池を出し入れし、やり直したら動いた。典男が店員の手を握り、サンキューといかにも嬉しそうに言った。その後スターバックスに入る。注文の仕方がわからないので「俺コーヒー」といってあみにゆだねる。あみの日本語英語はなかなか通じない。システムが違っていて注文は現金を支払った後名前を告げ、名前を呼ばれたら受け取る仕組み。名前を問われていることがわからない。うしろの日本人が教えてくれた。「名前を聞かれています」。その後ガーシュイン劇場でミュージカル「ウィキッド」をみる。一旦ホテルへ帰り夜はブルーノートへ向かい本場のJAZZを。パパは半分寝ていた。その夜晩飯も食わず寝た。

4日目以降はMEMOがない。このあと娘が19歳の時、また二人でニューヨークを楽しんだ。


2019年7月17日水曜日

「名セリフ」

「子供のころの自分から、今の自分を見て、誇りに思えるかどうかが、理想的に生きているかどうかだ…」

正確かどうか自信はないが、ある映画を観終わってすぐにメモした言葉だ。翻訳のセリフだが、映画を観終えるまで頭の中で何度か繰り返した。忘れないように。

さて、このセリフが自分に当てはまるか?理想的に生きる…難しいね。だが、悔いていることはないような気がする。それなりに必死だったし、自分らしかったから。

何かを信仰していればよかったな、と思うことがある。神も仏も大切にするが信仰心が篤いとは言えない。氏神様も大切にするし、お寺の住職とも親しくするし、神棚に榊を忘れることもない。お地蔵さんにだって挨拶するし、海外に行けば教会も訪ねる。だが、今一つまじめさに欠ける…気がしてならない(苦笑)

ではなぜ「何かを信仰していればいかった」と思う?心のよりどころが欲しい場合がある。「般若心経」を読んだ時代がある。だが長続きしない。なのに「あぁ神様、何とかして!」と神頼みすることもある。「理想的に生きている」本当にそんなことあるか?
だが、映画の主人公は正しい人生とは言えないが、実に楽しんで生きていた。

そうだ、理想的に生きるということは楽しんで生きることだ。なぁんだ、簡単なことだ。
難しいことも、簡単だと思えばいい。自分らしく。

2019年7月8日月曜日

「いろいろ」

7月1日に、第10回岩谷時子賞の授賞式が開催された。今年の岩谷時子賞は坂東玉三郎さん。もう10回もこの会に足を運んでいることになる。10年、あっという間だ…

授賞式のあと、例によってレセプションパーティーが始まるのだが、主催者の一人で、審査員でもある某音楽プロデューサーと1年ぶりの再会。透析を週3回もしている人だからまず「体調」の話から入る。さり気なく「あっちのほうはどうなの?」と聞いたら「〇欲はあるんだけど〇力がないんだよ」と来た。はいはい。

友人の「千家和也」が逝った。あの顔で、あの性格で、素晴らしい詞を書いた人だ。ずいぶん一緒に飲んだ。数年前まで、彼と彼の奥様と藤原と、よくゴルフにも出かけた。少しすれ違いが起きて、この2年ほど音信不通になっていたのだが、最後の記憶では、少しの酒で足元がふらつき、タクシーに抱え込むようにして乗せた。だから、訃報に接しても驚きはしなかったが、73才は、あまりにも早いだろう…

昨日は「明治座」の「中村雅俊45周年記念公演」に行ってきた。芝居は結構面白くエンターテイメントを感じたいい舞台だった。2部の「歌」では、女性の観客が涙を流しながら聴き入っている姿をたくさん目にした。まさに歌が、時間の垣根を越えてそれぞれの思い出の世界へと誘ったのだろう。「歌の力」はうまいか下手かではないんだ(苦笑)でも、味があっていい歌だったよ、中村雅俊さん。

この部屋から梅雨の隙間のような青空が見えている。最近、青や緑が、いいな。

2019年7月4日木曜日

「帰郷」

6月に、小学校の同窓会があったので、岩手まで行ってきた。盛岡から在来線にのって矢幅駅まで行き、駅近くの宴会場へ向かったのだがあいにくの雨。100名ほどに案内を出したらしいのだが出席したのは35名ほどかな。それで?多くを語らないことにしておこう(笑い)

翌日、念願だった不来方城(盛岡城)にある啄木の碑を目指した。雨という天気予報は外れ、願ってもない晴天。コンビニで弁当を買い、54年ぶりの碑との再会を目指ざす!!!

こっちらしい…
城跡の中はほとんど記憶がないのだが、啄木の碑は案外分かりやすかった。中学3年の時、進学をやめて上京を決意したころ、よく啄木の碑の前で寝ころんだものだった。まさに多感だった中学生時代…           
学校の授業を抜け出して来たこともあった気がする。
あったぞ!!!
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

当時は、もっと高い位置に碑があったような気がしていたが…



碑のそばで遅めの昼食ということで弁当を食い、寝ころんで空を見上げた…吸い込まれるような青空だった…

それから墓参りへ。自分で建てた墓だが、最初に眠ったのは弟。昨年母が入った。墓参を済ませ寺に挨拶に寄ったが住職はあいにく葬儀の最中で、奥様と長い時間話し込んだ。もっぱら個人的な愚痴の聞き役だったけど(笑)

さて、それから夕方盛岡駅前で待ち合わせたのが自称「美女軍団」と言ってはばからない4人の女性グループ。一升瓶の焼酎を軽く空け、移動したカラオケバーで地元産ワインを2本軽く空け…   … 多くを語らないことにしておこう!(笑)