2018年12月4日火曜日

「イルミネーション」

我が家のシンボルツリーはオリーブ。結構大きく育った。日頃は自分で丸く刈り込んで手入れをしているのだが、さすがに育ち過ぎて、専門家の手を入れた。やはり素人には限界があるとつくづく思ったのだった。

綺麗になったオリーブの木だが、今年もクリスマスイルミネーションを飾り付けた。なかなかうまく飾れたと思う。結構派手だが、気に入っている。我が家のある通りで飾り付けをするのは毎年我が家だけだったが、今年はご近所にもう1件飾り付けをした家がある。嬉しい、いい傾向だ。

先日、我が家の前を自転車で通り抜けた親子の会話が聞こえた。娘「綺麗!」母親「綺麗だね~」
気分がほっこりした。

渋谷の街もイルミネーションで賑やかになってきた。会社の近くは「ブルー」の世界で彩られている。交差点で誘導員が声をからしている。年末の風物詩だ。今日の暖かさは、年末のイメージとは程遠いけどね。

今年を振り返るにはまだ早いが、いろいろあり過ぎた。出来事満載。昨日、一昨日と数年ぶりに「デパス」を服用した。イライラを封じ込めるには薬が必要だったからなのだが、我が家ではその辺をガサゴソ探せばいろんな薬が出てくる(苦笑)

毎晩、玄関を開けてから、一度ゆっくり振り返る。イルミネーションが例年より、なぜか暖かい。

2018年11月14日水曜日

「孫に会いたい」

一昨日、月一回の治療の注射とインフルエンザの注射を打ち、午後には整形外科で肩に注射を打った。何を言いたいかというと、体穴だらけ(笑)

最近、酒を飲んでも気分が愉快にならない。酔った感じがする前に酒がいらなくなり、いわゆる酔っぱらいになれないのだ。これはいたって不自然・・・あの飲んべぇがね・・・それとは関係ないが、先日自宅でなぜかタバコが吸いたくなり、コンビニで「一番弱いタバコ」と伝え、ひと箱買い求めた。2~3本テラスで吸ってみた・・・で、残りをどこに置いたか忘れてしまった(苦笑)

9日に毎年制作を担当している「日本賞」というイベントと番組の収録があったのだが、今年もいつもと同じように皇太子さまのご臨席があった。平成最後のイベントであり、皇太子さまは来年からは天皇陛下になられるんだ・・・といつもとは違った感慨にひたった。前日は「山形」に出向かれ、9日当日は雨の中の「園遊会」。で夕方からNHKのスタジオ入りをされたのだが、激務だと思う。イベントはきっちり一時間半で終わるのだが、姿勢を崩されることなく授賞式をご覧になるのだから・・・

昨日は「BEGIN」の特番の収録があり終わりが23時。明日は明後日都内の斎場で行われる有名漫画家の「お別れの会」の準備と某有名歌手が「献歌」をするのでそのリハーサルの立ち合いだ。
朝が早い。明後日の本番も朝が早い・・・「遅くまで」と「早く」から・・・
これって「働き方改革」の精神には全然沿っていないよな・・・なんてね。

先週、直進禁止の場所を直進して、違反切符を切られた。長々と信号が変わるのを待って左右を確認して「直進」したのだが、「ピーピー」と笛を鳴らしながらお巡りさんが自転車で追いかけてきた。「振り切っちゃおうかな、知らんふりして」と一瞬思ったのだが、そんな時に限って、駐車違反の車を避けたタクシーに道をふさがれてしまった。「ぜーぜーはぁはぁ」したお巡りさんが追いつき窓をコンコン。「俺のこと?え?何?、お巡りさんどこにいたの?」なんて無駄な会話が・・・「7,000円で点数は2点!」だってさ。諦めず追いかけてきた「君」はえらい!

日常とは、こんなことの積み重ね、ということだ。そう言えば、孫にしばらく会ってない。

2018年10月17日水曜日

「時には子供のように」

新聞のコラムにあった一節。「大人なんていない、子供が大きくなっただけ」。このフレーズなんか好きだな。子供のような心を持ったまま生きるのは至難の業だけど。でも、憧れるね。

今朝、自室から2階に上がると、いつものように愛犬がしっぽを振って待っていた。「おはよう!りんた!」??? 愛犬の名は通称「茶々」で、「りんた」は孫の「倫太朗」だ。先日は何かの拍子に「竜太」(息子)「りんた」(孫)「ちゃちゃ」(愛犬)と3連呼した気がする。(誰を呼ぼうとしたのか記憶にはないが)

今朝、会社のエレベーターに乗ってふと「25年」という数字が駆け巡った。今の家を建ててまだ16年目ぐらいだから、自宅より長い人生がこの建物にあるんだ・・・と。もしかして滞在時間も自宅より会社の方が長いかもしれない・・・「会社の25年」。長いと読むか、まだまだと読むか。

今まで、「我々のような中小企業は」という言い方をしてきたが、我々のような規模の会社は「零細企業」という区分らしい。最近知った。消費税増税の解説のなかにあった。「我々のような零細企業は・・・」と言うのも、なんか厭味ったらしいよね。

数時間前、サンクトペテルブルクの友人にメールを送ったら、ついさっき返信がきた。あれ、時差は何時間だっけ?

「大好きな藤原様!
お便り、ありがとうございます!大喜びです!・・・  ・・・(中抜き)
藤原家の皆さんはとても恋しいです。ペテルブルグでお待ちしております!!!
日本も恋しいです! 行きたいなぁ!」
 パカパカ
 
現地の日本語教師だから、日本語でやり取りができる。ちなみに「パカパカ」とは、またね!のような意味。ペテルブルクの 白夜が懐かしい・・・

2018年10月15日月曜日

「人間の機能と車の機能」

この一年半ほどホルモン系の治療を毎月続け、毎回のように血液検査をしている。今日送られてきた結果にあったのは、なんと70歳以上の平均値にも入らない低レベル・・・このホルモンは男性の「気力」「精神力」に直結するから、意識して治療を続けているのだが、なんとも結果は爺のままだ(笑)男性の更年期とか軽度の鬱といわれる厄介な状況が現れる症状だ。

内臓の検査結果はすべてOKなのだが。

でも、見かけはかなり若く見えるらしい。今日東京労働局の方が来社され、御幾つですか?と聞かれたので68と答えたら、本気でびっくりしてくれた。(いいひとだ・笑)

昨日、軽度の「孫病」にかかってしまい、携帯のFace Timeとやらでやり取りをしたら、その後娘夫婦が孫を連れて家に来てくれた。つくづく思ったのだ。「孫」は心のビタミンだ、と。

愛犬の「茶々丸子」が少しかわいそうになるけどね。孫が来ると一気に存在感を失うらしく、元気がなくなる。人でも犬でも、存在感が必要だ。ワン公がそれを体現して見せてくれる。

さて、今の状況を抜け出そうといろいろ試みている。旅に出る、海外に行く・・・すべて今ひとつ。でもその延長線上で7月に車を変えたのだが、これはよかったと思っている。セダンに乗り飽きてSUVに変え、世間が同じような車ばかりになったので今のクーペスタイルの車に変えた。4輪駆動で280馬力。スポーツモードでヴゥォーンという感じがいいね。この感覚だけは爺じゃない!(苦笑)

先日の土曜日、静岡まで往復して、夕方から会社の仕事をしたのだが、運転の疲労感はなかった。ま、一つだけ言えば、車の機能が多すぎて今だもって、何が何だかわからないものも。半分は未使用で次に行くんだな、きっと。前の車も、下取りに出すときはじめて知った機能と「もの」があった。やれやれ・・・だ。

2018年10月4日木曜日

「明日、来年、未来、想像しにくくなってきた」

次々とやってくる台風、続く地震、何れ地球崩壊か?と思わせるような日常が積み重なってゆく。先日はとても近い存在の知人が「NHK元部長何たら」というニュースの素材となってしまった。時代が変わってしまった・・・と納得するしかないのか・・・

時流に乗るための情報があふれ、、非日常だったはずのものが当たり前になり、大した疑いも持たず「そんなものか」と認めてしまう。なんてことはどうでもいいや。日本人のノーベル賞受賞のニュースは久々気分のいいニュースだった。「教科書を信じるな、情報を疑え、情報に疑問を持て」。このコメントになぜか気分がすっきり!

昨日、久々にスーツを着たので、当然Yシャツを着ることになるのだが、Yシャツの袖に入っている刺繍のネームを見て、今時珍しいね、と老齢の美術プロデューサーが声をかけてきた。「古いYシャツだから・・・昔、こだわって作ったYシャツが山のように積んでありますよ」と答えたのだが、事実だ。今、なかなかオーダーYシャツを着るチャンスがない。スーツを着る機会が少なくなったこともあるのだが、本当の理由はYシャツを処理できる「クリー二ング店」がないのだ。

今は機械で処理するクリーニング店ばかりで、手仕上げで処理できるクリーニング屋さんがなくなってしまった。我が家の近所に2年ほど前までは存在していたのだが廃業してしまった。当時の
Yシャツは手仕上げを前提に素材を選び、カフスと襟を作っているので、機械では希望の処理ができないのだ。これも時代だ。

話は跳ぶ。
つい先日、台湾の十分で「天燈上げ」を体験してきた。小さな感動があった。久々に感じた感動。
昨日、チェコにいる息子に送った荷物が20日間かかってやっと本人に届いた。久々の安心。
日本人にもう一人「ノーベル賞受賞者」が出ないものかと、なぜか強い思いで期待。

今日はジーパンで出社したから気楽でいいや!
そうそう、一昨日東京労働局から調査官の来訪があった。社長とスタッフ1名で計3時間の聴取を
受けた。いろんなことがあるよな、今年は・・・
社長は波乱万丈の人生を歩んできたから、数々の難しく危険な場面も経験してきた。ので、どうってことはないが、スタッフが妙に委縮しなければいいのだが。

2018年9月7日金曜日

「日常のShock!」

チェコにいる息子にEMS郵便で荷物を送ったのだが10日間を過ぎても届かない。息子自身に現地の郵便局などに問い合わせてもらったら、荷物のバリューが高すぎるらしい、と連絡がきた。日本円で6,000円を超えていてはいけないのだそうだ。中身はインスタント食品が中心なのだが内容品を13,000円と書いた。結局30ユーロ現地で税金を払い、荷物が届いたそうだ。

アメリカもイギリスもこの程度の金額では何も問題はなかったのだが、国が変われば・・・ということだ。ちなみに日本も、アメリカから個人輸入したものが15,000円を超えると税金がかかる。サプリメントを購入して、税金として余分な金を支払ったことがあったっけ。それにしてもシステムの告知が徹底されていないよな。当事者が注意をしろ、ということなのだろうが。

今日、久々でスタッフと近所のラーメン屋に行った。ラーメン屋が久々ということだが、その店はちゃんと紙エプロンを用意してくれる。汁物でしょっちゅう衣服を汚すものだから、ラーメンに紙エプロンは必須。なのに、食い終えてエプロンを外した時、エプロンの紐部分がめん汁に入ったらしく、味噌ラーメンの濃い色が上着にベタベタベタ!

これって本当にショックなんだよなぁ。食っている最中は細心の注意をしているつもりで、ほっと一息最後のコーヒーを白いズボンにこぼしてしまう・・・なんてザラだけど、今日はかなりショック。

会社に戻り、会社の洗濯機に色柄もの漂白剤をたっぷり入れて上着を洗ってやった。縮まないか?型崩れしないか?そんなことぁ関係ない。汚してしまったという現実を早く消したいのだ。その上着はどうなった?(まだベランダに干してある。汚れは取れたようだ 笑 )型崩れ?だめなら捨てりゃぁいい。

のんきな事を言ってはいるが、北海道の地震も、関西の台風も、他人事のようで他人事ではない。明日は我が身、その程度の心構えは必要だな・・・とつくづく思うのである。

2018年8月27日月曜日

「(・д・)チッ!」

ま、結局無事で今日から普通に出勤。あ、そうじゃない、午前中病院だった。「しばらく様子を見ましょう」てなことで今回の騒ぎは終了だ。

あちこち検査をしたわけだが、レントゲンやCT画像を見ながらある部分を指して「これは年齢的なものでしょう」という医者の言葉を何度か聞いた。(・д・)チッ。

20日に半ば強引に退院して21日から4日間ほど一人で旅に出た。一番安心できる場所は「我が家」なのだが、家は職場と同じようなことをあれこれ考えてしまう場所でもある。ため息も出てしまう。小説と雑誌をもってぶらっと出かけるのだが、成田に戻った途端「ため息」が出た。思わず苦笑い。

さて今日の夜は「そろばん侍 風の市兵衛」というドラマ番組の打ち上げがある。わが社がこのドラマの音楽を担当したのだが視聴率もかなり良かったらしい。続編をぜひ願いたいものだ。先日某音楽大学で講師をする機会があったので、少しDVDを見せてドラマと音楽の関係性の話をしたのだが「時代劇を初めて見ました」「主題歌以外ドラマ内の音楽を意識したことがありません」とか、「やはりね」という発言がいくつかあった。

興味のあるものにしか目が行かない、神経が及ばない、今風なのか音楽大学という特性なのか・・・?

先日ついでに。日経新聞の記事に「輝くZ世代」という記事を見つけ、切り抜いた。10代、20代の年齢層をZ世代と称するのだそうだが(正確には1995~2008年生まれらしい)、初めて知った。勉強不足を恥じながら周囲に問うてみた。結構みんな知らない・・・やれやれ俺だけじゃなくてよかった。だが娘の旦那は知ってたよ。それも「サラッ」とした感じで。。(・д・)チッ!

2018年8月20日月曜日

「久々の入院」
 
17日の朝、体調を崩し、腹部とか腰あたりの痛みに我慢できず近くの「東京女子医大病院」に行った。救急の窓口に着いたのが午後二時。受付嬢…「救急の受付は午後4時からです」・・・「救急に受付時間の制限があんの???」と思いながらも「ならば方法は?」と聞いたら「総合受付に看護師がいますから相談してみてください」と。

 18年ほど前、やはり女子医大の救急に来てそのまま「緊急治療室」に回されたことがあったから、この病院を選んだのだが・・・でもそれは夜中だったからな。
  で、結局入院することになったのだが、部屋に入って看護師さんにいろいろ質問された。で、おもわず声をあげて笑ってしまったのが「何か介護認定は受けていらっしゃいますか?」・・・「???」。一瞬何のことか理解できなかったのだが「そうか・・・年齢的にはそういうことになるんだ!」と笑ってしまって一件落着。
 
様々な検査を終えて、車椅子で運ばれてきたのに、笑うしかない現実。そのあと渡されたアンケート用紙の中身はまさに老人向け。・心配事は?・連絡できる人は?・経済的不安は?・生きるための目標みたいな質問には「一言では表現できない」と記入し、死生観について、とまであったので「すべて神様が決める」と書いた。

 だが今回は入院したものの、大したことはない。痛みも早く収まったし、34日で退院したいと先生につたえた。予約のない患者を受け入れ、入院を勧めてくれた先生に感謝したい。

 この病院は家から近い。歩いても5,6分かな。車の方が時間がかかる。ので、痛みが治まって暇になってきたからPCを持ってきてもらい、こうして暇つぶし。まだ点滴中だからちょっと手は不自由なのだが。朝、看護師さんに「隔離解除です」と告げられた。? どうも隔離だったらしい(笑)
(818日 病室にて)  

 「入院3日目」
 最近のニュースで一番心を痛めたのが周防大島の2歳の子供の行方不明だったが、一番嬉しいニュースがこの子供の発見情報だった。どうしても自分の孫と重なってしまう。

子供を発見し、ボランティアで活動する彼は78歳。藤原より10歳も上だ。人の生き方とか生きざまを考えながら入院は3日目。先ほどまで続いていた点滴はいったん休憩で夜9時からまた抗生剤の点滴が始まる。 明日の午前中に退院したいと伝えているが、明日朝も点滴があるそうだ。朝の血液検査の結果で退院許可が出るそうだが、明日会社に行かないとみんなの給料が間に合わない!(笑)チェコにいる息子にベットでの様子を自撮りして送ったら、コメントをつけ忘れたので写真に驚いた息子から「何があったの!?」とメールが来た。時差があるから彼からのメールはいつも朝方4時半とか5時ごろ。
マナーモードにしていても何か反応して目が覚めてしまう。しかし、自撮りした自分の顔、なんと不細工に写るんだろうね…とつつくづく思うこの自覚の無さ・・・か。 診察から今まで4人の先生と出会ったが、看護師さんに「主治医の先生はどなた?」と聞いたら「???」だと。土日を挟んでしまったから、当直の先生が顔を出すということで納得せよ!ということかな。退院の判断は誰が出すの?などと少しばかり不安を抱えながら明日の朝を待つこととしよう。 
 (819日 病室にて)
 

2018年8月9日木曜日

「服薬の功罪」

夕べ、一度飲んだ薬の存在をすっかり忘れて、同じものを2度飲んだ気がする(苦笑)睡眠導入剤と軽い抗うつ剤の頓服薬みたいなもんだが、今思えば確かに2度飲んだ・・・ような。

一度目の摂取と二度目の摂取の間に「アルコールの摂取」が存在したものだから、間違いが起きた。長い長い夢とともに、朝なかなか起きられなかったから、やっぱりね。

先月の末に車を買い替えた。やはり薬のせいで前の車をぶつけたから、それで嫌になったことと、街中にSUVが氾濫して、乗っている車にあまり個性を感じられなくなったことだ。それに、左ハンドルにも嫌気がさしてきたこと。今度の車はインターネットでたまたま見た派手なスポーツタイプにした。脳みそと感覚だけは、歳を重ねている現実を認めようとしていないようだ。

が、機能が多すぎて覚えられない。説明書など4冊もある。説明書を開く気もしない。担当者が近いうちに来て、教えてくれるそうだ。(わからないことをメモしておいてください!)う~ん!何がわからないのかがわからない(笑)

近いうちに、さまざまな転換期が否応なしにやってくるのだろう。先日友人に「40代は必死を信条としたが、今は充実を求める」と言ったら彼は「必死と充実は一緒じゃないんですか?」と良い質問をした。だからこう答えた。求めているものの「欲の種類、欲の色が違う」と。

その友人と今度の土曜日、飯を食うことにした。テーマは「漫画でも新聞の記事を読んでも泣くし、もちろん映画やドラマで大泣きする藤原が、なぜこの問題で泣けないのか」だ。だが、そんな難しい話ではない。その友人は医者だが、彼も心の問題を解決できずに引きずっている、たぶん。迂闊に人には話せないことを彼と話すことで楽になることを期待している。なんせ俺が飲んでいる薬は、すべて彼が処方しているんだから。

8月は静かだ。社内も静かだ。だから、ため息が目立つ。

2018年7月27日金曜日

「5月~7月」

何があったの?という程ブログから遠ざかっていた。で、何があったんだろう。手帳の5月のページを開いてみた。自分で読めない文字もある。このころから薬を飲んでも眠れない日々が続くようになったのかなぁ。6月、息子の大学院の卒業式があったのでイギリスに行った。これは結構肉体的にしんどかった。3泊5日の旅で毎日徹夜している感覚。でも行ってよかったよ。ロンドンに1泊して翌日オックスフォードへ。列車で移動したのだが普通席のチケットでファーストクラスと呼ばれている車両に乗ることに。ドア毎ににいちいち担当の車掌らしきおおっさんがいて、「乗れない、とかNO!」とか言っているのだが発車のベルが!強引に乗る。一般車両に向かったが満員で座れなかったから豪華な車両に戻り座ることに。おっさんがかなり怒っていた感じだったがプンプンしながらいなくなってしまった。追加料金取りに来るんだろうと思っているうちにオックスフォードについてしまう。そのまま改札を出てしまったから、結局「ファーストクラス」はただ乗り。

翌日息子の卒業式。これも朝が早かったのだ。一度日本の大学を卒業しているから、息子の卒業式としては2度目だ。なかなか誇らしげな息子の姿を見ながら、親としては満足。羽ばたけ息子よ!で、彼は今「チェコ」の企業で働いている。

で、7月。いろいろありすぎた7月。番組のロケハンで広島に出向いていたのがまさに豪雨の最中、
5日と6日。6日の夜から道路の閉鎖が始まったので東京に戻ることが出来ず、広島に連泊。さて、翌日、道路の封鎖は広がり新幹線も始発から運休ときたもんだ。街の中から出ることもできない。
国道は渋滞のままストップ。飛行機は飛んでいる便もありそうなのだが飛行場迄たどり着ける道がない。「お手上げ」とうこういうことを言うのだろう。ホテル探し、飛行機の予約とキャンセル、疲れ果てた一日を広島市内で過ごし、1泊の予定だったロケハンは結局3泊することになったのだ。

そして豪雨の影響で12日が本番だった愛媛県宇和島市の「BS日本のうた」が収録中止。だが、迷った挙句19日と20日の「水森かおりのさがせ全国うた自慢」は決行することにした。山陽道がそれまでに復活することに賭けてロケを決めた。準備を進めていた16日午後、一本の電話が・・・

「母親が亡くなった」という知らせだった。数十年のさまざまな思いが交錯するなか17日の夜、盛岡へ。事情を書き出したら数十ページにも及ぶだろうからやめる。

18日、兄弟だけで葬儀と納骨を済ませ東京に戻った。そして19日の朝早い便で広島へ・・・

そうそう、6月に歳を一つ重ねたんだっけ。ははは、見た目と違って結構年寄りなんだ俺。。。

娘と息子に、母親との関係性を文章で送る、と伝えたまま何も書けていない。話せること、話せないこともある。だが、神様に感謝したいほど、誇らしい息子と娘がいて、俺は幸せ者だ。

2018年4月25日水曜日

「帰郷」

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」という啄木の短歌がある。大好きなこの短歌の碑が、岩手の盛岡城跡にあった。ノリオは15歳の少年期、城跡のこの碑の側で、寝ころんで空を仰ぎ見たものだった。「俺は高校には行かない、東京に行く!」そんな風に考えていたのかもしれない。とにかく思い出の歌であり、思い出の場所なのだ。

盛岡城跡を訪ねることもスケジュールの中に入れ、昨日、一昨日と郷里、岩手に行ってきた。主な目的は墓参りとお寺に立ち寄ることだったが、今回はあえて少年期の思い出に触れる旅にしてみた。そう、生まれ育った場所、中学校跡地、同級生、満開の桜・・・

盛岡から矢幅という町まで東北本線を使った。新幹線を降り、在来線に乗り換え、トイレは次の電車でと思っていたら2両編成の電車で・・・扉を開けるタイミングがわからない~とか。あの頃、東北本線に乗り上野まで鈍行だと14時間ぐらいかかったような気がする。2両編成なんて、山奥を走る地方の話だと思っていたら、ここもちゃんと地方だったのだ(笑)

駅まで中学の同級生が迎えに来てくれた。その後何人か合流してノリオの思い出の場所を回ってくれた。町並みは変わりすぎて殆ど面影はない。中学の跡地は懐かしかったな・・・何年か前、息子がこの中学の跡地を訪ね、グラウンドを走ったそうだ。「パパの気持ちになって走ってみた」とメールが来たのだが、本人とこの話をしたことはない。中学時代の思い出というより、そこに息子が走っている姿が浮かび、感情の整理が難しかった・・・な。

何で息子にもっと優しくしてやれないのか・・・

夜は?もちろんよく飲んだ。合計8人の「うた仲間」と化したのだが、ノリオ以外は皆女子。本人たちが「美女軍団」と言っているから、敢えて否定はせず(笑)

翌日、レンタカーで墓参りと寺の挨拶を済ませ、盛岡城へ向かった。啄木の碑の側で寝ころんで空を仰ぎ見る!予定だったのだが、雨ふりやまず・・・盛岡城の周りを車でぐるっと回り、結局諦めた。上京して50数年、ふるさと矢幅の景色は変わってしまったが、思い出の匂いに似た風は、確かに故郷の風だった。

2018年4月10日火曜日

「普通という定義」

先日の日曜8日に娘から声がかかってランチを共にした。だんだん自我が芽生えてきた孫はこの日で1歳4か月。あれからもう1年と4か月?などと二日酔いの胃袋をごまかしながらせっせとランチ。

9日に息子がチェコへ旅立つものだから、7日の土曜の夜は息子を誘って飲みに出かけ、鮨屋、バー、3件目がゲイバーとはしご。息子は殆ど飲まないから付き合うことがしんどかったと思うが、ワシはよく飲んだのだ。3件目などいくら支払ったか定かではない。家に帰ってどんぶり飯に納豆をかけて食ったそうだが、そんなこと記憶にもない(笑)

だから、ランチ時の胃袋は、二日酔いというよりも寝る前の大食いのせいだ、という話を聞き一件落着。ランチを誘われたときは一瞬「まいったな」と思ったのだが、孫に会える!という現実を優先。さすが翌日曜は飲まなかった。

で、昨日の夜息子を成田まで送った。就職のためチェコに向かったのだが、別れ間際に「卒業式は6月21日だから。予約しておいた・・・」だと。大学院はイギリスだ。6月21日・・・う~ん、何か大切な仕事と被っている・・・と思い今日会社で確認したら確かに被っている・・・どうするか・・・

自分が走ろうが歩こうが、時間は同じスピードで過ぎてゆく。何を「満足」と捉え何を「不満足」と捉えるのか、どちらに転んでも時間は同じように流れていく。会社の25年も己の67年も、人々と同じ時間の中にあったのだ。何を言いたい?今日主治医のところで注射を打った。何のために?心の健康が欲しいから。気休めのような気もするのだが、安心もする。

そうそう、先日息子が「普通の定義って何?」と強い口調で口走った。なんだろうね。

2018年4月5日木曜日

「4月5日 25周年 創立記念日」

前回の投稿が2月24日だから、長い間何をしていたんだ・・・?と思う程間が空いてしまった。大抵年度末近くになると、なんやかんや考えすぎてボーっとしているもんだから。で、今日は25年目を迎えることになる創立記念日だ。それを思い出したのが昨夜。慌てて昼飯用に少し高級な「釜飯」を注文した。そして社員に向けてメール。「万難を排して昼集合してください」。ほどなくメールが。「明日2人は収録でスタジオ、誰誰は編集室・・・前回会議でお話ししました・・・」とか。沈没・・・

息子が今帰国している。大学院の卒業が決まり、就職先として「チェコ」という国を選んだそうだ。直行便の無い国だ。行けないなぁ(苦笑)

先日久しぶりで作曲家の「浜圭介」さんと飲んだ。彼は6年ほど禁酒していたから、飲んだのは本当に久しぶり。5時30分に待ち合わせをしてまず食事と酒。そのあと近所のバーでひとしきりウイスキーを飲み盛り上がる。帰ろうかな、と思ったら「飲もうよ」。新宿方面に向かい3軒はしご。さすがくたびれて帰ると告げたのが午前1時30分。先生、「俺あともう一杯飲んでいくから・・・」。本当に6年も禁酒していたのか?(笑)

会社は25年目を迎えた・・・長い道のりを歩いてきたものだ。東京に出てきたのが15歳、6月には確か68歳になる(苦笑)。浜さんは4月いっぱい海外に居るが「海外に居ると何も考えなくていいから・・・」の一言に大きく納得。俺は仕事をやめない限り、一か月も海外にいることはできないだろうけどね。

2018年2月24日土曜日

「せめて心のエリートになりたい」

先日、岩手に在住する妹の長男の結婚式が帝国ホテルであった。東大の医学部を卒業して医者になった、いわばエリートのいとこだ。大学に入学する時は、理系に行ってロケットを飛ばしたいと言ってたのだが・・・式場で、ロケットを飛ばすんじゃなかっったっけ?と意地悪を言ってみた。「結局医者になっちまいました」と照れてはいたが。

高校時代の同級生と10年も付き合って結婚したんだそうだ。なんと、妹も旦那と高校時代に出会い、10年付き合って結婚した。いとこもその嫁さんも、妹もその旦那も、岩手の同じ高校だ。全く同じ道を歩んでいる。そして義弟も医者だ。そしてその息子も結局・・・

式場で新郎の幸せそうな顔を眺めながら瞬間我が人生を振り返ってしまった。集団就職で上京した典男と帝国ホテルで挙式をしている「いとこ」。振り返ったというか、心の中で笑ってしまったのだけれど。

その日の夕方から「明治座」にでかけ「桂 雀々」の落語を聞いた。かなりの苦労人らしい。中学時代に両親に捨てられ、自力で生き抜いたとか。落語を聞き終えてから、その辺の人間ドラマを知ったのだが、午前中の式典の華やかさと、師匠の口座での輝きと、種類は違うが、つくづく人の生きる道の違いを思った一日だった。

で、今週は大分に新番組のロケに行ってきた。水森かおりさんと岩佐美咲さんという二人の歌手と一泊二日の強行軍ロケ。湯布院、寒かったなぁ。九州がなんでこんなに寒いの!ってなもんだが、
今日の東京は14℃だとか。土曜日なのにみんな会社に出ているよ、ご苦労様。

さて、3月から新しいデスクが来てくれるから、HPの情報も更新できるようになると思う。そして4月を迎えたら、この会社は25年目に突入する。25年、これは長いのか?それとも、まだやってるのか?もしくは、まだ25年目なのか?

間違いなく、歳を重ねているということだ。人の出会いと別れを繰り返しながら。

2018年2月5日月曜日

「取り留めもなく・・・そしてヒヨドリ憎し!」

今年に入って一度もブログを書いていなかったこと、今知った(苦笑)。

《風邪その1》1月は久しぶりに風邪をひいてしまって、これが結構長引いてしんどかった。マスクをしていて一番困ったことは、新聞を捲れないこと!指を湿らすことが出来ないから、イライラする。俺の指ってこんなに乾燥していたんだ!

《風邪その2》なるべく早くベットに入ることを心掛けたのだが、やはりどうしても様々な考え事をしてしまう。あることを思いつく!アイディアとか言葉だとか。メモを取りたいのだが、身体がしんどいものだから自分に言い聞かせる。「こんなに大切なことだから忘れるわけがない!」。そして翌朝、見事に忘れている。

会社のベランダに花を植えている。先週土曜日に今年2回目の植え替えをした。鳥に花びらをみんな食われてしまったからだ。鳥よけを施したのだが、今朝見たら少しやられていた。カラスだと思っていたのだがどうもヒヨドリらしい。今朝見かけた。そしてさっき振り返って見てみたら、すでに花びらがやられている。俺の後ろでこそこそと・・・ヒヨドリこの野郎!てな感じ。

去年の暮から仕事関係でいろいろとあった。年末年始は気持ちが地中にあったような気がする。こんなこと、この20数年間に何回もあったのかもしれないが、やはり歳を重ねたせいか「戦闘意欲」として湧き上がるものが少ないことを感じる。さて、藤原の「戦闘意欲」は蘇るのか!でもね、確かに気力もそうだけど、2日間ロケハンしただけで、なかなか疲れが抜けないという現実。

イギリスに留学している息子から、急だけどビザの関係で明日日本に帰る、というメールが今朝あった。急にそういうことなったということだが、12,000キロの旅をするのに、今日の明日とはね。地球がだんだん狭くなる感じだ。

さてさて、こういうブログを取り留めもない、というんだろうな。確かに!

2017年12月28日木曜日

「いろんな話」

東京の地下鉄は深い。エスカレーターは長い。その長いエスカレーターで、2列になった乗降客。右側通路を左側の人はルールのように空け、その右側をせっせと駆ける人たちがいる。黙って2列に並んで到着を待てよ、と思うのだが、右側の通路を急ぐ人たちがいる。

何秒も変わるわけではないだろうに、それでも人々は急ぐのだ。デパートの短いエスカレーターでも、右側に居ると「邪魔だ」と言わんばかりに急ぐ若者がいる。デパートぐらいのんびりしろよ。

急いだ訳ではないだろうが、旧知の編曲家が「亡くなっていた」ことをつい先日知った。彼の人生が幸せだったか不幸だったかは本人しかわからない。が、離婚して、長い間一人暮らしだった気がする。孫の自慢はよくしていたが。しかし、年齢を考えると、彼は死に急いだ。昔の仲間で、一度会って飲もうよ、と言ったのはもう2,3年前かもしれない。年賀状がまた一枚減った。

先日友人が沖縄に行ってきた時の話だ。沖縄に行く、と知人に話したら、いいホテルを安く取ってあげる、といわれ友人は喜んで頼んだそうだ。そして彼はその日、那覇空港に着く。で、那覇市内での打ち合わせを終えてホテルに電話をしたのだが、なんとホテルは確かに沖縄なのだが「沖縄市内」。那覇からは往復タクシーで15,000円ぐらいかかったのだとか。レンタカーを借りたほうがよっぽど安く済んだろうに。この話、現地沖縄から実況中継してきたので、久々にナチュラルな笑いを楽しんだ。「おバカだね!」

良い話、どうでもいい話、いやな話、さて今年はどの話が多かったんだろうね。まだ3日ある。いい話を探すとするか!

2017年12月27日水曜日

「思い出すということ」

ブログまで手が回らなかった、と言い訳からか・・・

つい先日、「歌のあとさき」という番組で「千昌夫」さんの収録があった。千さんは東京に出てきた年初めて見たプロ歌手だった(笑)。上野にあった体育館のような場所で、その年「集団就職」で岩手から上京した子供たちの、激励会のような催しもののゲスト歌手だった。昭和41年、あれから50年を超えた。そして今、彼の番組を制作している藤原・・・

千さんと、昔話をしていて、いくつもの忘れていた光景を思い出した。土壁の長屋住まい、井戸と便所は国道4号線を渡った反対側、桶で水くみをして、流し台の脇にあった樽にため水。千さんもしていたという「ヤクルト」とか「牛乳」の配達。新聞配達は小3~中2まで続いた。

彼は昭和40年の春休みに初めての上京をした。その同じ春休み、藤原も上京していたた。中2~中3になる春休みだったが、家出をして出てきた(苦笑)。浅草寺近くの旅館に一泊し、浅草橋にあった「化粧品問屋」のような店に住み込みで潜り込んだ。

親の承諾書と言われ、嘘を通しきれず結局岩手に帰り(当たり前だが)中3を終えて昭和41年春に正々堂々と上京することになるのだが。

本当に良い時代を生きてきた。「人情」がデジタルではなく、肌として伝わってきた時代だ。人とのコミュニケーションの取り方が、我々の感覚では追い付かない時代がもうそこまで来ているのだろう。

話は跳ぶが孫が先日一歳を迎えた。気分がすぐれないとき、携帯電話に届く孫の写真に目をやる。にんまりできる。「孫」と言っている自分にどこか納得していないのだが、世間が「お孫さん」というから仕方がない(笑)やっぱりジジイの領域かぁ。

年内に一度岩手に行こうと思っていたのだが時間が許さなかった。一度行っておかないと、景色も思い出も遠くなる・・・

2017年11月2日木曜日

「気がつけば11月」

良い時代を生きてきたと思う。生まれたのは戦後5年も経ってからだが、本当にあれこれ「もの」が無かった時代だ。無いから工夫したし、無いから憧れた。憧れたから「手に入れるため」に頑張った。こんなに「もの」が溢れている時代に生きているからこそ、無い時代をつくづく懐かしく思う。

最近の子供はアレルギーが多いという話題になり、昔を思い出すことになるのだが。まず清潔すぎて今の子供たちは菌に弱いよなと。もしかして俺たちの時代もアレルギーはあったかもしれないが、そんなことより食って生きることのほうが大切だったとか。

子供の頃、近所の家には電話があって、何か急用のときに時々その電話を借りにいった覚えがある。ぐるぐるとハンドルを回すと交換手が出るので「市外お願いします」とか言って電話番号を告げるとつないでくれた。中学卒業の頃、集団就職をする子供たちが集められて、電話局のおじさんから電話のかけ方を教わった。その時の電話は黒電話で、ダイヤルを回す電話だった。受話器の取り方、ダイヤルの回し方などを教わった。ダイヤルの回し方が「うまいね」と褒められたことをなぜか覚えている(笑)

今は本当にものが溢れていて、会社の中も然りだ。せっせと「捨てる」。だが「社長!どうしてこれ捨てるんですか!?」とくる。要らないから捨てるのだが捨てると「要る」という。ならば「片付けろ!」ということなのだが、いたちごっこ(苦笑)

このところ忙しすぎて、ブログにまで全く気が回らなかった。気がつけばもう11月。時間を盗んでインフルエンザの予防注射を打ってきた。気休め、きやすめ。

さて、世間はまた連休だというが、わが社に「働き方改革」という言葉は縁遠いものとなっている。総理大臣、あなたに働き方改革が当てはまりますか?てなもんだ。総理の多忙と同じくらい、小さな会社に改革できる余裕なんてないよね。

2017年10月14日土曜日

「泣き虫が直らない」

その人の立ち姿に、50年という人生が重なる。まるで走馬灯のようにあれこれが甦る。その人の歌声には血の流れを感じる。そしてなぜか、血の近さを感じるのだ。

その人の名は「北島三郎」。紆余曲折はあったが、昨日収録した「BS日本のうた」に出演を願った。スタジオではなく、お客様のいる会場での収録に、ずいぶん心配の声もあった。何しろ「手術」をしてから初めてのオンステージのテレビ収録。

当日(昨日)本当に頑張ってくれた。音合わせの段階で少しふらついていたようだったから、心配はしたが、結果はすべてOK。音合わせの段階で涙が止まらなくなり、新曲を歌ったところで思わずステージ中央の本人に駆け寄り手を握ってしまった。周りにいた歌手の皆さんはびっくりしたに違いない。そのまま楽屋について行き、楽屋の中でこらえきれずに大泣きしてしまった。(苦笑)

今度びっくりしたのは周りのスタッフ。「先生は大丈夫だけど、こっちが大丈夫じゃないのよ!」長年北島さんのお世話をしている女性スタッフがティッシュの箱を差し出す始末。

他のスタッフが後で耳の側でこういった。「男が号泣する姿を始めてみました。藤原さんはテレビマンだと思えませんね・・・浪花節ですね・・・」

しかし、長時間の収録によく耐えてもらった。最後には「嬉しかった、楽しかった」とも言ってくれた。本当にお疲れさまでした。

あの一言が嬉しかったな。
「藤原は身内だから・・・」

出逢いから51年

数奇な運命を感じる。

3年前に亡くなった末の弟さんが
今の藤原と同い年。
俺はまだ、元気だけどね。
よく、泣くけど。

2017年10月7日土曜日

「時の過ぎゆくままに」

今日は川中美幸さんのお母様の告別式だった。本当にお母さん想いの川中さんだったから、その心中を察するに余りある。お母さんが亡くなつた3日後、生放送に出演してお母さんを題材にした歌を歌っていた。当然泣いていた。

偶然放送を見たのだが、もらい泣き。番組終了後、マネージャーにメールを送った。「番組って罪ですね・・・」と。あまりにも分かり易い制作者の意図が見えたから。でも、母親をあんなにも愛せた川中さんを羨ましいとも思ったけれど。

怒涛のような毎日が過ぎてゆく。税務調査は終わったけれど、後処理がまだ残っている。番組収録と同時だったものだから、心も体も疲労×2。12日の番組の準備で「北島」さんと最終的な打ち合わせが無事できたことが何よりの安心情報だ。それが終わると例年の「日本賞」が控えている。それが終わるとすぐに「純烈コンサート」のリハーサルがあるのだが、なんと構成演出に手を付けられていない。焦っている?そう、焦っている。美術打ち合わせがようやく明後日だから、そこからスタートかな。

社員がみんな手一杯なものだから、資料を作ってくれるスタッフパワーもないのだ!これって、本当に大丈夫?てな感じ・・・

間もなく娘夫婦が引っ越しして独立生活を送ることになった。丸1年同居していたかな。朝起きてやぁ「倫太朗」と呼ぶ相手も居なくなる。孫はすぐ俺を忘れるかもしれない・・・今だって長い時間一緒に居ないから、最近なんだか孫が俺を「しかと」。つい先日まで、顔をみてすぐに笑ってくれたのだが・・・孫よ!のりぴーにもっと優しくして!(笑)

だが、引っ越し先を聞いたら、自宅から4,5分の距離らしい。ははは、どうせ土日には実家に入りびたりだろう!と期待しているのだが。

2017年9月27日水曜日

「集中力」

今日、国際フォーラムCという会場の下見に行ってきた。11月の「純烈」のコンサートのための下見なのだが、あとひと月とちょっとしかないのに明日ようやく本人たちと打ち合わせ。少し準備期間が足りないかな・・・などと今日ぐらいから少し焦っている感覚が胸のどこかに・・・ま、結果はいつも間に合うのだが。

今回はゲスト扱いの歌手が多く、どうさばいたらいいものやら。
番組や舞台が重なり、税務調査と求人が重なり、どうさばいたらいいものやら。

で、ふと思い立ってまた見てしまった「孫」の最新動画。う~ん、癒されるぅ、思わず顔が緩む。家に帰って孫と戯れたいな・・・などと職場放棄の誘惑まで・・・が駄目だ。打ち合わせに出かけるスタッフから「帰ったら(日本のうた)の打ち合わせを!」と時間の拘束を受けてしまった。やれやれ。

で、何とか気分を変えたいから「あなたの運勢助言」というカードをひいてみた。「控えめに対処することが却って良好を得られる時」だって・・・なるほどね。机の中にあるこのカード、年に一回程度見る。カードを元に戻しながら思う。このところまた机の引き出しの中が汚いな・・・

で、仕事に戻らず新聞を開く。このブログの途中で。いずれにせよ、集中力に欠けているということなのだな、今日の藤原。さて、何から手をつけるか。集中力よ!やって来い!!!

2017年9月25日月曜日

「アプリ」

今、海外の某空港で「復路」の飛行機の搭乗時間をラウンジで待っている。この国は25年ほど前に来たはずなのだが、まったく記憶にない。湿気と暑さが迎えてくれたような気がするのだが。

ま、隔世の感だな。当時は携帯もなければPCもなかった。今回はなぜか、初めて海外用Wi-Fiというものを持ってきた。いつもはホテルでPCは使えるしdocomoのSMSは無料だし、何の不自由もなかったのだが、ま、娘の勧めで成田で借りてきた。

いつもと何が違う?こうして空港でPCを利用しているし、会社からの連絡もPCを持ってさえいればいつでも相互通信可。(望んではいないが)

Wi-Fiは余分といえば余分なのだが、今回は娘が利用する「みてね」アプリを最大限利用することになった。アプリなんて必要を感じたこともなかったのに。アプリなんて「いらねぇ」と言っていたのにね。これがまた、可愛い孫の「お姿」が瞬時に送られてくることになったのだ。

さて、そんなアプリの中から、SayHiというアプリの存在を知った。翻訳アプリだよ。日本語で言えば何語でも翻訳してくれる。どこの国へ出かけてもYesとNoで生き延びてきたのだが、超便利なことだと理解した。今朝チェックアウトの時、早速使ったね。「ルームキーを紛失しました」と英語でね。

いけない、間もなく搭乗時間だ。

2017年9月15日金曜日

「出演していた38年前の番組」

9月に入ってから、なぜかわさわさしていてブログにまで神経が行かない・・・そんな感じかな。ところで8月にすごい番組があったよ。8月27日にNHKの総合テレビでOAされた「あの日あの時あの番組 三宅裕司さんが選ぶもう一度見たいこの番組」という番組。

何がすごい?なんと38年ほど前の俺が番組に出ていたのだよ。20年ほど続いた「あなたのメロディー」という番組が取り上げられていたのだ。それが何と藤原の出演回、なんで?という感じだ。アマチュアの作品を取り上げる番組だったが、すでに何枚かレコードが出ていたからアマチュアとは言えなかったのだが、本名で応募したからバレず。ペンネームで仕事をしていたからね。都はるみさんが歌ってくれた。

番組出ていたよ、と知人から連絡があって後日見ることになったのだが、一緒に見た社員は「ひぇーバリバリ尖がってる!」とか「生意気そうで突っ張ってる!」とか、一瞬笑ったら「あ、ようやく笑った!」とか。

自分でも「尖がりすぎ!」そう思ったね。二度と見たくない(笑)若かった・・・

しかし、人間は歳を重ねると変わるもんだ。今や人の良いただのおっさんだから!

昨日と一昨日は演出を担当している新人君のコンサートリハーサル。同じ若者でも素直で清々しい。俺のあの頃は・・・ま、過去のことだしいいか!

先日、イギリスの大学院に行ってる息子からメールが来て「大変そうだね、助けてあげる」的な申し入れが(笑)う~ん、何を助けてもらったらいいのかわからない・・・「そのうちね」と返信したけど。どこかで困ったオーラが出ているのかな・・・俺。

2017年8月24日木曜日


「在りし日の出来事」

最近、ふっと岩手に行こうかな、と思うことがある。神経がどこか昔帰りをしているのかもしれ
ない。これから制作する「千昌夫」さんの番組があるのだが、提案を読んでいるうちに思い出し
たことがある。昭和41年、上京したその年、上野近辺の会場で岩手から上京したいわゆる「金の卵 」を集めて激励会のようなイベントがあった。その時のゲスト歌手がデビューしたばかりの
千昌夫さんだった。東京に出て、初めて見た「生の歌手」だった。(笑)

で、昔帰りをしようと思って仕事の手を止め、古い資料を取り出したら、なんと懐かしい資料を見つ
けた。1988年の日付があるハワイの日本語新聞だ。俺は作曲家として行ったらしい。
歌を歌ったことは覚えているのだが(笑)                                                                                                                                                                                 
 



〇この写真はその時の ホノルルのどこかのホテルの
 会場。ラジオで生中継された。宿泊先のホテルに帰っ
  たら「あなた、売れるわよ」と言われた(笑)

  1988年3月とあるから、37歳か。

 新聞に一緒に写っている「小谷充」さんは作・編曲家
   で音楽の師匠だった。

  ホテルが同じ部屋で(男どうし)湯舟とトイレが
   同じで、風呂に入っていたら、この小谷のおっさんが
   入ってきて隣で「うんこ」を始めた。

 アル中先生だったから、窓際にスリッパが揃えて
   あり、姿が見えず、思わず「飛び降りた?」と
   本気で心配した。
  嘘のような本当の珍道中だった。


〇これは大阪の当時の中之島ホールだと思う。

共演は「大月みやこ」さんや 「菅原洋一」さんだった
と思う。歌手ではなかったのに、なぜか人前で歌を歌っ
ている。

こんな写真を引っ張り出して、昔を懐かしんでいるよう
じゃ俺も大したことないね。

さっき作曲家の浜圭介さんから電話があって、来月の
約束をしたのだが、「その日生きているかなあぁ」と言っ
たら「俺と同じようなこと言わないでよ」と言われた。

俺は(スケジュールがあるかな?スケジュールが
 生きているかな?)の意味だったんだが・・・
どうもその日の「生死」の話になったらしい(笑!)

2017年8月21日月曜日

「残暑お見舞い申し上げます」

しばらくブログご無沙汰だったから、8月に入って何をしていたかなぁ、そんな思いで手帳をめくってみた。4日、コンサートとだけ書いてある。誰の?コンサート行ったんだっけ?そんな調子。他、いろいろ書いてあるがハッピーな気分になるスケジュールが見当たらない・・・そんな8月なのだ。(笑)

世間でいうお盆期間中、スタッフはそれなりに休暇を取ってくれた。俺も休めばいいのになんとなく出社。孤独な留守番の日が何日か・・・これが性分なんだな。土日なども休めばいいのになんとなく出社する日が多い。以前なら、提案を書いたりそれなりに積極的だったのに、今は社内の掃除をしたり、片付けをしたり・・・ただの貧乏性。

このところ番組以外のコンサート演出の話が進んでいる。赤坂BLITZの「新人君」のファーストコンサートだったり、「純烈」の国際フォーラムでのコンサートだったり。舞台演出は好きだから、二つ返事で引き受けるのだが、毎回求められるハードルが上がっていくような気がする。いやいや、自分でハードルを上げているのだ、きっと。

だんだん仕事案件が机の上に積みあがっていくのだが、相変わらずのスロースターター、なかなか手を付けられない。心に棘のように刺さっている懸案事項、2、3件がが解決すれば・・・などと半分言い訳をしながら、気分の晴れない8月だ・・・などとブツブツ。

だが、たいてい「いつも明るい藤原さん」と言われる。「いつもニコニコしてますよね、会社をやっていれば大変なこともあるはずなのに」と言ってくれた「彼」は俺の中ですごくいいやつになった(笑)   

それにしても雨が続く東京だが、今日は久々傘が要らないかもしれない。青空も見える。これでようやく「残暑」という言葉が使えるのかね。

2017年7月31日月曜日

「同人誌 こけし人形」

「こけし人形」という歌謡同人誌がある。歌謡系の同人誌は過去沢山存在していたが、現在はこの同人誌以外存在するのか知らない。月一発行で756集というのだから歴史は長い。


この同人誌との出会いは、僕がまだ10代の頃だった。18か19歳。雑誌は180集とか、まだ100番代だった気がする。ここで「詩」を書き始めた。「詩」を書き始めるような精神状態だったということだ。よく覚えている。
そのうち、この同人誌を紹介してくれた友人のピアニストが、作曲が向いている、と言ってくれたので作曲も始めた。
当時は世田谷の6畳一間のアパート暮らしだった。

何もかもが青春だった。「らりって」階段を踏み外したり、喫茶店の電話を壊したり、朝方配達されたばかりの他家の牛乳を飲み干したり・・・
金はなかったが、それ風のそれなりの友達が居た。

コーヒー一杯でジャズ喫茶に何時間も居座わり、途中でラーメン食いに出かけて戻ってもマスターは文句を言わなかった。どうやって食っていたのか記憶にない。「北島バンド」を辞めて直後の時代だった気がする。金はなかった・・・でも、この同人誌は続けていた。

今でも送ってくださる。継続のご苦労には本当に頭が下がる。
入会したころはまだ歌手志望だったかもしれない。あんなこんなで気分は作曲に転向する。24歳の時に初めての作曲作品がレコードになった。いきがっていて、今思えば可愛いもんだ、

音楽生活25年、先行きに不安を感じて「音楽」をすべてやめた。そしてテレビ業界へ。歌手になれなかったから、歌手にこだわる歌番組を沢山創った。そして、作家として大成しなかったものだから、敬意を払って作詞・作曲家の番組をたくさん創った。

そんな藤原の創った番組がどんどん追悼番組になってしまう。先日の「平尾昌晃」さんもそうだ。過去には「遠藤実」「星野哲郎」「岩谷時子」「船村徹」・・・番組は追悼番組となって放送された。

久々に「こけし人形」を手にして、一気に走馬灯のように過去が甦ってきたのだ。

2017年7月30日日曜日

「夏の日曜日」 
                                                                

新宿区余丁町という町に住んでいる。
町内会が主催する恒例の盆踊り大会
があった。

近所の花屋さんが、サービス券
(ただ券)を1500円分くれた
から顔を出さないわけにはいかない・・・
というので30分ほど出かけた。

ドンパン節とか北海盆歌とか
古典的な音楽が聞こえている。
この日のために練習したであろう女性
たちが櫓の上で一生懸命踊っている。

段取りなんか関係ない・・・
とりあえず櫓の上に行き
音楽が鳴ったら踊ればいい。
活舌の悪い進行係が何か言っている・・・
活舌の悪いプロレスラーが人気な
そうだからま、いいか。

でも、何を言っているのかよくわからない。
あ、写真撮っちゃってごめんね。
音楽が鳴ったのに、櫓の上で立っている
だけの女性陣?
※進行係
「あ!すみません!
裏面をかけてしまいました」
現代の若者はどれだけ理解できるのか?
本部を覗いてみると音源はレコード
だった!進行係はさらなる言い訳を・・・
「今年から機械を変えたものですから」
面白いから本部の中を覗いた。
レコードプレーヤーの隣に、
カセットテープが積んであった。
でも、ここは東京だ・・・                                                                                                                                    

2017年7月27日木曜日

「酒 2題」

なかなか進まない案件があって、今日は一日イラついた。冷静にふるまっているつもりなのだがあちこちにイライラが見え隠れする。家に帰ってからもイライラは収まらず、冷蔵庫から落ちた豆腐の容器をおもっいっきり床にたたきつけてしまった。

そんなときの妙薬がこれだ!倫太朗の写真!
PC画面の写真も変えたが、見るとはなしに可愛い写真に出くわすと
一瞬現実を離れられる瞬間となる。

写真は某所ビアガーデンのバーべキュー会場だ。
煙のいかない方が俺側だったから必然的に抱っこ。

一人で結構飲んでるね。ビール飲み飽きたから、「焼酎濃いめ!」
とか無理言って、次は「もっと濃いめ!」などと要求するおっさん。
ビアガーデンなのにね。



その2日後、今度はおじさん3人で飲み会だ。それも夕方5時半スタート。みんな、仕事ちゃんとしているのか!?                             

某 小山さん
某 アナウンサー
某 藤原

利害関係のない3人だから話題は
フラット。昔話から始まりそれぞれの
得意不得意,人生話から女性感まで。
金の話は出なかったね。
「こら!番組の衣装がだせぇよ!」
などと酔っ払い藤原が檄を飛ばすとかね。

ビールを飲み、焼酎が飲み飽きた時分だねこれ・・・ウイスキーに代わっているし  料理もほとんど終わっている。持つべきものは変らぬ友!みんな二十年以上の付き合いだ。このグループでいいのは口に安心できることと人の悪口を言わないこと。大人だもん、80歳と50歳と67歳。

このところ酒が続き、ベットの中で「俺ってバカだね」とつぶやくことが続いたので、昨日今日、珍しく2日間も断酒している。今年初めてか・・・
朝の支度は早いし、何といってもシャワーを浴びているときの気分がよろしい。酒残っていないことがこんなに楽なのか、とおもう瞬間でもあるね。飲みすぎてどれだけ時間を無駄にしてきたんだか!反省はしないと強い思いを持ちつつ小さく反省しているわ・た・し。
                 

2017年7月24日月曜日

HappyBlue

婿殿が出張中だったので、娘と孫とカミさんと、久しぶりでカミさんの実家である静岡の爺さん、婆さんを訪ねた。静岡の両親は「倫太朗君」とは初対面。数時間の滞在時間だったが、ほとんど寝たきりの爺さんが起き上がって満面の笑み。この一年ほど病気のため能面のような表情だった爺さんに、表情が戻った瞬間だった。なんと、帰りには外に出てきて見送ってくれた。

前回行ったときは殆ど会話もなく、無表情だった義父。やはり人は豊かな表情で人に接することが一番だ・・・とつくづく思うのだった。

娘が結婚してから、「娘を独占!」したことがなかったから、いやはや「至福の時間」だったよ。ははは、婿殿!ごめんね。

この土日は、本当に久しぶりで「日常の平和」を感じた素敵な時間だった、と朝まで思っていた。そして出社後の朝1番、税理士事務所から電話が。「税務調査が入ります」だと。

気分は一気にブルー・・・。「ざけんなよ!」って気分になるんだな、それが。日ごろの経営の苦労なんぞ彼らには関係ない。細かい数字についてあれでもない、これでもない・・・「お前!一週間でいいから俺と一緒に働いてみろよ!」と言ったところで無駄だしね。

Happyな気分はなかな長続きしないという現実があるだけ。

そんな最中、テレ東のプロデューサーから電話。「9月収録10月OAの番組を制作できますか!?」
ブルーな気分は少し改善!こんな状況を一喜一憂というのかね。だが、その日は出張で俺が不在の日だ、とあとで気が付く。対策はあとで考えるとしても、気分が多少改善できたことに感謝しよう。

2017年7月18日火曜日

「充実の日々とは・・・」

このところ、昼飯を食うと眠くなる・・・まるでお子ちゃまか、おじいちゃまだ。睡眠障害を意識してから何か月たつだろうか。始まりは去年の秋ごろだった気がする。気休めに眠剤を飲んで寝ることにはしているが、ベットの上をゴロゴロしている自分を意識しているから、結局は熟睡出来ていないということだけれど・・・

105歳で亡くなった「日野原重明」さんの訃報を目にして、俺はこんなんでいいのかな、などと改めて思ったりもする。75歳を過ぎてから第3の人生が始まる、とおっしゃったそうだ。日ごろ、俺はもう社会人52年生だと口に出し、人生のゴールをなんとなくイメージしている自分が、小さく見えてきたりする。ま、日野原さんは別格だけどね。「充実していること」それが基本だということだ。

今日、久しぶりに以前大変お世話になった「お坊様」の仏前参りをしてきた。今年17回忌だと伺ってびっくり!奥様に「間違えていない?」と言ったほど。会社を始めるにあたり、当時すべてこの「先生」の言う通りにした。「この方角にしなさい」「設立は何年何月にしなさい」「今タイミングではありません」「〇〇がいいでしょう」etc.

会社が軌道に乗って、恩返しができるようになったころ亡くなった。目の前が真っ暗な感じだったね。この先、俺は一人で大丈夫か?と不安に。だが、残された奥様が「藤原さんはもう大丈夫、卒業されましたから・・・知野がそう言ってました・・・」

※ 先生は「知野哲山」を名乗る真言密教のお坊さんだった。

今も、会社に知野先生が描いた仏画が当時と変わらぬ状況で飾ってある。変わったと言えば、周囲の壁紙が薄汚れてきたことだ。年月を感じる。先日、会社の部屋を担当する不動産屋さんが来て、このビルでわが社が、1、2番目に居住年数が長い、という話になった。先代から受け継いだ現オーナーも、不動産屋も、わが社の入居時のことを知らないのだ。

隣の部屋をぶち抜いてドアを新たに設置し、ベランダ部分を部屋として広げ、トイレとシャワーだった場所を倉庫に改築し・・・こんな勝手をすべて前オーナーは許可してくれた。それもこれも、長い年月の一ページ。この先を長いと思うか、まだまだと思うか、「充実の日々」を重ねる道のりは険しい・・・のかも。と、知野先生の仏前で思ったような、思わなかったような・・・(苦笑)

2017年7月12日水曜日

「日常の光景」

昨年12月に孫が誕生した。日常の暮らしの中に新たな主役が登場したわけだ。なのに、パソコンの待ち受け画面も携帯の待ち受け画面も「娘」だった・・・。まだ娘がロンドンに居た頃からPC画面は娘の写真だったから、長いこと毎日こんにちわしていたわけだが。

娘が結婚して2年以上、孫も元気に育っているのだから・・・ということでPCの待ち受け画面は変えた!(携帯はまだ娘!俺って、変か?笑)
                      
 これはこれで、PC画面を開くたびにんまりしてしまう。

 自分が「孫」と言っていること自体変な気分なのだが。

 最近時々、俺って幾つだっけ?と思うことがある。

 あ、でも俺は「お爺ちゃん」ではなく「のりぴー」
 だけどね。  あとどれぐらいで、この子が俺を
 「のりぴー」と呼んでくれるのか。



  《中国のある街の日常の一コマ》
  
  4人乗りなんて普通の光景
  横断歩道で待っているだけ偉い!

  この数年で登場した信号機だが 以前はかなり
  無秩序だった。今では、バイクの5台に1台
  ぐらいが、こうして信号機に従っている。
  子供の教育のためだ(笑)                                     

2017年7月11日火曜日

「7月ですよ」

先日久しぶりに海外に出かけた。帰りの飛行機の中で観た映画「きみに読む物語」には泣けたな(笑)。ずいぶん以前に、ロスからの飛行機のなか中でボロボロ泣いて以来だな・・・と思うほど泣いた。以前はアメリカ系の飛行機だったから、肌が黒系のスチュワーデスさんが心配して水を持ってきてくれた。今回はANAだったが中国系のスチュワーデスさんが多く「このおっさん、なんで泣いてるの?」って感じ(笑)

さて、8日に一年ぶりとなる「キム・ヨンジャさん」のPVを撮影した。彼女もいつまでも変わらないね。彼女と仕事をすると、なぜか懐かしい・・・という気分になる。今回も、家の中からいろんな小道具を持って行ってすべて撮影に使ったし、撮影用の飲み物も藤原のお手製。曲の間奏の映像に使ったカットは大声では言えないが、自宅の一部を3カット撮って使った。言わなきゃ絶対にわからないけど。曲名は「赤い涙」。赤い涙?どんな涙だよ!薔薇の花びらで表現してみた。



この角度で撮るなよなぁ 瀬口!
俺、足、無いじゃん!

このスタジオで6時間、このあと
迎賓館前の公園に移動。

夜は彼女の知り合いの韓国料理店
で打ち上げ。

次の日コンサートだというのに
お疲れさまでした!

2017年6月22日木曜日

「無題」

帝国ホテルで行われたペギー葉山さんの「お別れの会」に行ってきた。結構長いお付き合いをさせていただいた。番組とか、民音コンサートの演出とか・・・足腰は確かに弱っていたが、まだまだお元気だったのに。

先日の船村徹先生も、ペギーさんも・・・昭和の灯りが次々と消えていく・・・そんな気がする。平成ももうすぐ元号が変わるのだから、昭和は本当に遠くなる、そういうことだな。

今日友人からこんなメールが来た。「一番上の孫の話」「(奥さん)令子ちゃんはね、もうすぐ70歳になるのよ。(4歳の孫)あのね、僕は20までしか数えられないの・・・」

なんとなく沈んだ気分でいた時に届いたメールなものだから、嬉しかったね。ほのぼのというか、愛らしいというか、日ごろ使わない心のスポットに入り込んで来たいい話・・・だよな。

昨日は久しぶりで、社員全員集まっての飲み会が出来た。全員と言っても8人・・・これしか社員居なかったっけ・・・?なんて気分にもなったが、ま、目が行き届く小ぶりな会社ということで、良しとするか。長い社員はもう20年超かな、時間は規則正しく過ぎ行き、そして規則正しくやってくる。社会人「52年生」としては、「時間の無駄への緊張感」が増してきた気もする。

さて、6月は一つ年を重ねた月でもある。まず今月を豊かに過ごすためには!?行きつけの鮨屋が誕生月に焼酎ボトル一本サービスをやっていることを思いだした。まずこれをゲットだな。豊かな気分になってきた!(笑)もうすぐ株の配当金がもらえる(苦笑)。豊かな気分になってきた!明日は給与支払い日だ。うーん(現実的な気分になってきた・・・)。

さて、これからの道のりを、あるいは山坂を、豊かな気持ちで歩むための術を・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで書いて嫌になってきた。おしまい(笑)

2017年6月12日月曜日

「第8回岩谷時子賞」

あれからもう1年過ぎたのか・・・そんな思いで丸の内のパレスホテルに向かった。第1回から参加しているから、当然8回目の出席なのだが、初期の頃のことは、遠い記憶になりつつある。

今回の岩谷時子賞は加山雄三さん。特別賞が斉藤由貴さんだったが、特に印象に残ったのが奨励賞のひとり「野田あすか」さんだ。いわゆる障害者ピアニストなのだが、ピアノのテクニックを競うタイプではなく、聴く人の心に音楽をそっと届ける・・・そんな演奏家だ。

早速AmazonでCDを注文した。車の中か、寝る間際に聴くにはもってこいのCDだろうな・・・そんな気がする。

参加者の顔ぶれも例年と変わらないのだろうが、日ごろ出かける演歌・歌謡曲系とは一線を画している。見知らぬ顔が多いのだ。知り合いはごく少数だが、当然同じ顔触れだし、年々増える切実な病気の話題(笑)。「人工透析が始まって、週3回だよ、毎回4時間だよ、女もダメになったよ・・・」

いいんじゃない!まだ「おんな」ってこと口にできるんだし!

話は跳ぶが、広島の宮島にある「大願寺」というお寺に行ってきた。ここの住職と親しい仲だから、仕事のついでに寄ってきたのだが、日ごろは神社信仰なのにここだけは別。きっちり加持祈祷をしてもらう。平山真明という住職さんだが「まごころ真明」の名の方がぴったり!「まごころ」感満載のご住職だ。厳島神社のすぐ隣に位置するので厳島神社さんには申し訳ないのだが神社は「有料抜け道」になってしまう。もちろん神社には礼を尽くして通り抜けるのだが。

長居をしてしまったが別れ際にご住職は「元気をもらいました」と言ってくれた。いやいや、おかげさまで身も心も洗われた気持ちになれたのは「真明」さんのおかげですから!

そうそう、大願寺に行ったのは9日。前日の8日は誕生日で番組の本番と重なった。また一つ年を重ねたのか・・・そんな思いで向かったお寺であり、今日の岩谷時子賞だ。みんなもそのまんま年を重ねているから「差」はどこまでも一緒だが、さすが今日の加山雄三さんの若さには驚いたよ。80歳だって。俺なんかまだまだ・・・ガキだね。

2017年5月31日水曜日

「変わらないことを よし!とする?」

もう5月もおしまいか・・・そんな思いから去年の5月31日のブログを読み返してみた。「なかにし礼」さんと会った日だった。提案採択の電話があったとも書いていた・・・今年は提案採択の連絡はまだ無い。ほっと一息と昨年は書いていたが、ほっと一息つけないわけだ・・・

昨日は久しぶりで「北島三郎」さんと会った。八王子でコンサートあるとレコード会社に聞いていたので行ったのだが、思ったよりはお元気。だが歩行がもう少し・・・かな。番組の話をしたら、足がもう少し回復するまで待って・・・と。その通りだな、番組には颯爽と登場してほしいし。なんたって、北島三郎だもの。馬も、あんなに走っているんだしね。(笑)

そうそう、今度の9日に久々に宮島の「大願寺」に行ける。厳島神社のすぐ隣にある由緒ある寺だ。ここの御住職と親しくしているのだが、久しくお目にかかっていない。前日に同じ街の廿日市市に行くので、これ幸いと立ち寄ることにした。島の観光場所はほとんど出かけているから、大願寺に行くだけの行程になってしまうのだが、住職も奥様も、なぜかとても歓待してくれる。夜、二人を宿に呼び出したこともあったけどね。住職は残念ながら下戸。

こうして振り返ってみると、実にたくさんの人々と出会ってきたものだ。昨日もかなり年配の方に八王子のホールで声を掛けられ、呼び止められた。ちゃんと「藤原」と呼んでくれたのだが、相手の名前を思い出せない。だが、よく知っている顔だ。「若いねぇ、何十年も前から、藤原さんは変わらないねぇ」「いやいや」てな具合で北島さんの楽屋に一緒に向かったのだが、どこでお目にかかった方だったか思い出せない。

楽屋近辺にいたレコード会社の担当者に聞いた。「クラウンの人だっけ?」「いえ、新宿コマ劇場の偉い方でしたよ」。納得、それで何度も会っているわけだ。かなりの年配なのに藤原の名前は覚えてくれている。なのに何だ俺は。どこの人だったかも忘れている・・・名前も。

何十年も前から変わらない!とまで言ってくれたのにね(笑)楽屋の前で北島さんに何十年も付いている女子が通りすがりにこう言った。「だってパパは(なぜかおれをパパと呼ぶ)全然悩み事ないし、お金ももってるし!ねぇ~」といって去って行った。「こら!」としか反論しなかったけど。(笑)

2017年5月27日土曜日

「風評被害」

先日「風評被害」をテーマにした番組をたまたま観た。福島の「米」がテーマだった。厳しい放射能検査、流通システム、すべてクリアーして保証されている「米」なのに、「福島」という名前があるだけで売れない、敬遠される・・・産地名を表記しない工夫もされている。

番組を観終わった後、すぐにインターネットで「福島米」を探し注文した。30キロほど。届いたのだが重すぎてそのまま置いていたら・・・

現在授乳中の娘が米を発見「なぜわざわざ福島のコメを!」と小さな騒ぎになったらしい。そうなんだ、これが現実なのだ。飲み物もすべてカフェインレスにしているような娘が、わざわざ福島のコメを!と思うのもまぁ致し方ないのだろう。我が家にも風評被害の流れをくむ現実が存在したのだ。
俺が頑張って食って、少しだけ雀とも仲良くしようかな・・・

因みに、授乳をキーワードに検索してみたら、出るわ出るわ「授乳中」はあれが駄目これもダメ、それしちゃだめこれ食っちゃダメ・・・
医者が言っているのか栄養士が言っているのか知らんが、「駄目」でビジネスしている人の情報は参考になることはあっても、役には立たない。自分の動物的な感覚の方が、医者よりずっと現実的ということがある。外科的なもの以外はね。

情報が氾濫する中で何を、どれをセレクトするかは己の判断だが、情報過多な時代は次の世代に何を与えていくのか。20代の青年とついさっきそんな話しをしていたのだが、彼が「進化を遂げるか、退化するかですね」と言った。俺は退化論に軍配を上げた。

自分で考えることを忘れて、情報というマニュアルに沿って人間が生きてしまったら、本来の五感あるいは六感は失われ、人間としては退化だと思う・・・のだ。

東日本大震災の時、その日から丁度一か月後に岩手の震災現場に一人で行った。帰り、でこぼこした高速道路をわざわざ福島県内で降りて、スーパーに寄った。野菜は多くが他県のものが並べられていたが、福島の牛乳を買い求めた。再発売されたばかりだった。他にも福島産の食材を何点か買って帰ってきた。俺はそういう性分なのだ、と自分では理解している。

共存の意識は大切だ。今のままだと、きっと「人間力」は退化する。

2017年5月24日水曜日

「疲れた疲れたと言うんじゃない!」

疲れがたまってなかなか抜けない・・・と思う日々が増えた、気もしないでもない。肩が痛くてずっと整形外科に通って注射を打ってもらっているのだが、痛みが改善しない。そこで整骨院でマッサージしてもらったら注射より楽?になった?気もしないでもない。

では今日も、と思い予約の電話を入れたが、昨日の担当者はお休み。「じゃ、いいや」ということになり続かない。でも肩も背中もバリバリ、疲れているんだな。

一昨日、気分転換をしようと思い、一人で飲みにでかけた。一件目の店でやめようと思いタクシー乗り場に向かったのだが、途中で激しい尿意。仕方なく駅に向かい駅中のトイレに入り一件落着したのだが、せっかく中に入ったんだから電車に乗らなくちゃ損だ・・・てな気分になったと思召せ。    

新宿方面に乗れば家に帰る気になるのだが、反対方向に乗った。で隣の恵比寿で降りて結局タクシーを拾い六本木へ。この時点で結構酔っていたんだな。向かった店はかれこれ40年の付き合いのある店だから、安心感は自宅にいるようなもんだ。マスターが久々に「歌うたってよ」などというものだから本当に久々に歌った、のが失敗のもと。他に客がいなかったものだから調子に乗って飲みながら午前2時を回ってしまった。

昨日、日々の疲れの上に、飲み疲れが重なったのは言うまでもない。さすが昨日は一滴も飲まなかった。だが今日も肩バリバリ。

先日「純烈」の舞台があって、その演出をした。結構充実したいいコンサートだったと思う。「Z旗」というグループが音楽を担当してくれたのだが、初めての付き合いなものだから波長を合わせることに少し時間を要した。が、結果はみんなが本当によくやってくれたとおもう。だが、翌日は珍しく藤原、一日死んでたけどね。

舞台の演出は結構楽しい。自分の思い描いているものが現実として舞台上で繰り広げられる。選曲ももちろんそうだが、動き、照明、しゃべり、立ち振る舞い etc

「純烈」は本当に指示通りよくやった・・・が最後に小さく裏切った(笑)これで終わりというコーナーで好き勝手なしゃべりをしやがって!リーダーにこう伝えた。「次回は本番中にNGブザーを鳴らす」
と伝えたら、リーダーもなかなかなもの。「ブザーをお願いします!」

この疲労感は、歳を重ねた結果、と捉えることにしよう(苦笑)。

2017年5月19日金曜日

「午前3時のAZスタイル!」

今、午前3時25分だ。神経が少し高ぶっているので睡眠導入剤と、もう一種類の眠剤系を飲んだ。薬のせいで明日出社が遅れるかもしれない・・・留守電に「遅くなるかも」と入れておこう・・・と思い夜中の会社に電話した。

「もしもし?」うん?留守電か?「もしもし?」なんとこんな時間に電話に出るやつがいるのか?誰だお前は!「和久田です」・・・

なんでこんな時間に会社にいるの?
「明日提案の締め切りなので提案を書いていました」・・・ ・・・

社長とし、突然のコメントを用意できなかったが、そういうことだ・・・

今日は20日の三越劇場の「純烈」コンサートのリハーサルだった。午前の時間から12時間ほど、思ったより気力体力がいる。家に帰って飯を食う・・・寝る・・・のだがそうはいかないのだ。構成・演出という仕事に絶対と完璧はなかなか伴わない。

2時間の公演の中の動きと音楽、出演者のパワーと音レベルの協調などなど・・・etc.

だが、なかなかいいんだこれが。「純烈」が2年前より、本当に育った。
 そんなこんなでさて本番は20日か・・・そしてこれから・・・などを考えているうちに午前3時が過ぎてしまった・・と言いうことになる。

薬は友人の医者が処方してくれている。薬に依存することに拒否感は十分にあるのだが、こんな仕事と時間の使い方をしていたら、薬に頼ることも多くなる。熟睡したい・・・

今日、「純烈」のリーダーが俺にこう言った。「僕は藤原さんの歳になったとき、そのピュアというか、若さを保っていられるか自信がありません・・・」

「ピュア」という言葉の裏側に「ガキっぽい」という響きがありありだった。そうだ、俺はガキっぽく生きていたいんだ!!!

これ、夜中に書いているから、たいてい朝になるとその感覚を否定したくなるのだが、(ま、どっでもいいや)とにかく、午前3時過ぎに自社に電話して、スタッフが対応するなんて会社、自慢できたものではない!のだが、WAKU!ありがとう、そしてごくろうさまです!
 

2017年5月16日火曜日

「25時に書くブログ」

長い時間、ブログを書いていなかったな。3月から6週間かけてスタッフ募集をし、80人ほどの応募者のなかから一人の青年が就業することになった。新卒は8年ぶりだ。頑張れ青年!

連休は4日を一日休んで、他は会社に出た。休むことのできた日はあったのだが、出社しているスタッフがいたし、ズルズルと出てしまった感じ。連休明け締め切りの番組提案は間に合ったけどね。

このところ暑さと寒さが交互している感じがする。着るものに困るんだよな、朝の気温に合わせて洋服を選ぶと夜に反省することになるし、夏物になったり春物になったり・・・早く夏になれよ!

明日は「純烈」のコンサートの最初のリハーサルだ。本人たちは番組があるので夜9時過ぎまで来られないという。昼から音楽リハに立ち会っている藤原は何時間労働?夜12時は過ぎる。最近さぁ、その時間までの仕事をイメージするとなかなか楽しいとは思えなくなってきた。でも、現場に入ってしまうと、楽しいんだけどね。ゴルフと一緒だよ。行くまでは面倒くさいのだが、始めると楽しい…

そうそう、7日にブロードウエーで活躍するプロデューサーに都内の某ホテルで会った。「ブルーマン」という舞台を大当たりさせた「出口」さんという日本人だが、素敵な人だった。もちろん藤原より若い。初対面だったが、なぜかその日の気分はジーパンだったから、えらくラフな格好で出かけたのだが、彼もジーパンだった。だいたい場所がホテルホテルのラウンジで初対面となると、ネクタイ必須なんだけどね。後悔しなくてすんだよ。

そんなこんなで、精神的には暇ではなく、のんびりしているわけではないのだが、熟睡できずこの数日眠剤を変えてみた。夕べは一晩中リアリティーのある夢を見ていた感じ。夢に出てくる仕事や関係者がナマナマしくて疲れた。今夜は友人が処方してくれた2種類を素直に飲んでみよう。あとは、気力と充実感の再来を願って若者返りするか!どうやって?(笑)

目先の課題に対処する「小計得」(こはからえ)ではなく、将来を冷徹に見通す「大計得」(おおはからえ)の堅持が必須である。今日の新聞のコラムにあった。なるほどね。






2017年4月28日金曜日

「出逢いと素敵な音楽に乾杯!

先日、我が家にお寿司屋さんが来て、ダイニングで握りずしを振る舞ってくれた。おやじは近所ですし店を営んでいたのだが高齢を理由に店じまいをした。それから奥さんの嘆きが始まる。「店を続けていればよかったとか、おれはもう駄目だ、愚痴ばっかりで嫌になる」。なるほどなるほど。

老人性鬱もあるとかで、たまに逢うといかにも生気がない。それでこうなる。「俺んちに来て握って食わせてよ!」。彼は入念に仕込みをして、奥さんと素材と道具一式をもって来てくれた。それも大量に。我が家は4人だったから、食いきれないと判断して知人に電話をするも急すぎてだめ。

一通り食べ終えた頃から、職人だった彼は何度も泣く。奥さんは藤原を「のりちゃん」と呼ぶのだが彼は「社長」とか「社長さん」とよぶ。「その呼び方やめてよ、町内会の仲間なんだから」というとまた泣く。どうやら「仲間でしょ」が涙のツボだったようだ。

娘が、彼が寿司を握っているかっこいい姿を写真に撮り、すぐ紙焼にして渡したら、また大泣き。道具をもってご夫婦を彼達の家まで送ると、エレベーターの中でも大泣き。でも、でもそんな彼が大好きだな。

同じ年配でも、今日は強烈なパワーを持った女性にあった。久しぶりだった。「なんであなたと親しくしているんでしょ、なんか縁があるのよね・・・」。猛烈な勢いでいま本が売れている小説家の「佐藤愛子」さんだ。周囲の人は「目指せ100万部です!」と。ニュース番組でも特集を組むし、週刊誌も特大特集を組むし、あっちでもこっちでも「佐藤愛子」を目にするし耳にするし、すごい勢い。

今日NHKに行くから、と今朝電話をいただいたので、局内の喫茶店で逢った。お元気だった。こっそり「そのパワーを少しください!」と念じたけどね(笑)。

さて、5月20日に三越劇場で開催される「純烈」のショーの構成演出をする。間に合っていない。5月2日にPVの監督をする。30日にロケハンをするからそれから画コンテを書く。もろもろ間に合っていない。スタッフ募集をしていたのだが明日ようやく最後の面接。これには結構パワーが必要だった。
5月1日にはケリをつけたい。

そうそう、昨日は久しぶりに「サーカス」のコンサートに行ってきた。コットンクラブ東京という会場だったが、彼らのコンサートに会場はぴったりのサイズかな。満足できるいい音楽を聴いた。

2017年4月14日金曜日

「木綿子という女の子と元漁師の父の物語」

社員のブログ読んで、ウルウルしてしまった。不思議な感情と懐かしさでだ。俺のツボを突くんじゃない!海老!

昨日、福岡の友人から久しぶりに電話があった。藤原が30歳ぐらいの時に出会った彼は、五島列島・福江島で漁師をしていた。今でも藤原を「あいしぇんしぇ(先生)」と呼ぶ。その時彼の娘は小学1.2年生で、真っ赤なランドセルを背負っていた。本当にチビちゃんだった。

その娘は今、福岡でバリバリ仕事をしているが、父である友人が電話口でこう言った。「木綿子が妊娠して今3か月、高齢出産だから無事育ってくれればいいけど」と。彼女が高齢出産?イメージが沸かない・・・

以前にも書いたことがあるが、名前の「木綿子」は女優の浜木綿子さんからとったものだ。父親が浜さんが大好きで、その名前を拝借してしまったのだ。

以前「浜さん」をインタビューロケした時、個人的なお願いとして、福岡の木綿子ちゃん宛のメッセージVを収録させてもらった。公私混同なのだが快く応じてくれた浜さん。

そのVTRがきっかけで浜木綿子さんと福岡の木綿子ちゃんは親しい関係になったらしい。7月に福岡の博多座で浜さん座長の公演があり、親子で楽屋に招待されたとのこと。昨日の電話の主題はその話だった。

「先生、手土産にいったい何を持って行ったらいいか・・・アドバイスして!」
「福岡のお菓子とか花とか当たり前だから、五島の名産なんかどう?五島出身です、なんて方が話題が広がるから五島をイメージする何かがいいよ、どうせ周りのみんなにあげるんだから」
「わかった、五島のイカの一夜干しにしよう!」

五島のイカの一夜干しなら、俺も欲しいよ!!!

人生という歩みの中で本当にたくさんの人々と出会ってきた。そして多くの良い人たちは、藤原の記憶と心のひだに、しっかりと刻まれている。

2017年4月7日金曜日

「24年目の道」

早いと思えばいいのか、まだ、と思えばいいのか、会社が24年目を迎えた。だが、炬燵の中で慣れないワープロを使って、会社設立の書類を作っていたのは確かに遠い記憶だ。まだ寒い時期だったんだろうな。そして登記したのが4月5日。

40歳を迎え、音楽を捨て、NHKの番組の手伝いみたいなことを始めてから2年目だったと思う。資金もなく、成功の見込みも読めず、危ない船出だったことは確かだ。思えばよく歩いてきたもんだ。

アズ クリエーションという社名にたどり着くまでに、結構時間を費やした。あれでもない、これでもない、それでもない・・・まてよ、俺は欲張りだ。《あ~ん》迄全部、50音でいえば《あ~ん》だが、アルファベット表記なら《A~Z》だ!こんな脈略で社名が決まることになる。

会社の作り方という本を片手に一人で全部やったっけ。設立資金は全部借金だった。有限会社でスタートしたのだが転機はすぐにやってくる。ある取引先に請求書を持参したら、担当者が「おーい、うちは有限会社と取引できるんだっけ?」と。この言葉が突き刺さる。

猛烈な勢いで株式会社に変更することとなった。法律が今とは違うので、それなりの資金が必要だったが一気にやり切った気がする。コンサート会場に並べられたアズからの祝い花の看板が、有限から株式になっていることを目にした時に、現実を実感したもんだっけ。

そんなこんなで24年目を迎えている。あまりにも紆余曲折がありすぎたが、それでも24年目を迎えている。この先、どんな人と出会い、どんな仲間と歩みを続けるのかと思うと、迂闊に言葉にできない気がする。

「年を重ねただけでは人は老いない 理想を失うときに初めて老いがくる」なんだそうだ。

2017年4月4日火曜日

「時代」

3年ぶりで整形外科へ行ってきた。左肩が痛みすぎるので久々に行ったのだが、レントゲンを撮ると、肩と腕の接着部分の骨の隙間がなく、内部で出血もしていたとか。注射をしばらく続けることになり、首の牽引、患部への電気治療&肩のマッサージというセットの治療が始まった。

以前、右肩も同じ現象が起き、ペンも握れないぐらい痛みがきてから病院に行ったので、今回の左肩はそれほどでもない・・・と2年間ほど我慢してしまった。当然もっと早く来い!と言われる。先生曰く、「首も肩も回らなくなっちゃうよ!」だと。

運動しろ、とも言われるのだが、日常生活に無い動きだと、つい忘れてしまう。本来運動嫌いなのだ。だが、体がギシギシ言い始めていることを実感せずにはいられない。俺が歳をとったのではない。身体が勝手に歳をとっているのだ、と屁理屈を並べても行動は遅くなるばかり!(笑)

昨日の夜、サンクトペテルブルクの地下鉄爆発事件のニュースを見て、ペテルブルクの友人にメールをしようとPCを開けたら、すでに「私は無事です」とメールが来ていた。よかった。つい先ごろは息子の居るイギリスでテロ、今度はロシアもか、という感じ。平和ボケしてはいられない時代が、ついそこまで来ている、ということだな。

さっき新聞で、テスラという電気自動車の会社の株がフォードを抜いた、という記事を目にした。
そこで再び思ったのが、本当にいい時代を生きてきということだ。食べ物がない、とか、情報がない、という時代の工夫や知恵。汚いとか不衛生で得た耐菌性(笑)。社会の全体的な貧乏が生んだ食欲、物欲、出世欲。海の上に橋が架かる新しい風景、すべてが自動に変わる「便利」という「不便」。それもこれもほとんど「無」という現実からスタートして「溢れている」という現実までを体験できたのだ。

俺の記憶にある最初の車は、お隣のプロパンガスと醤油屋を営んでいる家の車で、親父さんがエンジンをかけるために金属棒をぐるぐる回している車だ。スターターの無い時代だな。それが電気自動車だと。写真はフィルムが一番!と言い張っていた時代は遠くなりにけり、だ。時代は回らず、一直線に進むのか?



2017年3月14日火曜日

「いいかげんでございます」

つい先日、コンサートライブ会場で「藤原さ~ん」と声を掛けられた。マスクをしていたから、それでも藤原がわかるご婦人は相当の知人なはず・・・「父が亡くなってからなかなかお目にかかることもなく・・・」とにこやかに話しかけられたのだ。

その直前に、受付で見知った顔の女性に声を掛けられたばかり。こちらの方は知っている顔だったが、何のタイミングで出会ったのか思い出せなかった。「あ~そうなんだ」とか曖昧な相槌を打ってかわした直後だったものだからびっくり。

「今日は珍しい人と会う日だなぁ・・・」とにこやかに答えてみたものの全く思い出せない。本当に思い出せないのだ。客席に座ってから頭の中でパズルを紐解くように記憶を辿る。

思い出せない女性はどうやらスタッフのようだった。決して若くはないから、「亡くなった父」というのは相当な年齢なはずだ。スタッフだということは音楽業界関係者だ・・・一曲目が始まり二曲目が終わり・・・だが頭の中ではずっと記憶を辿っている。

レコード会社の関係者かな、作詞家?作曲家?あの顔は見おぼえないよなぁ・・・てな具合。あと2曲、となったあたりにはかなり焦る。会場を出る前に思い出さなきゃ!出口あたりにまた彼女が居たら困ったな、てな具合に(苦笑)会わずに済んだ!

しかし、今考えてもどこで出会ったのか思い出せない。名前を名乗ってほしかったな。そうしたら自分の記憶力をこんなに悩まないで済むのに。

でも、昔からそうだったよ。覚えようというスイッチを入れておかないと、まったく記憶に残らないのだ。つまんないことはよく覚えていたりするのにね。厄介なことだ。それにしても、彼女は誰の娘でいつの時代にどこで出会ったのだろう・・・いかにも親しそうに声を掛けてくれたよなぁ・・・

2017年3月9日木曜日

「トラブル納め」

旅の1日目。
機体の空調が故障とのことで一時間半ほど機内で待たされた。結局その機体で出発。到着空港で待ちくたびれたであろう顔見知りのガイドから翌日の列車の切符をゲット。ホテルに向かう。ところが、予約されていないというのだ。いつもはどこに行っても身振り手振りと片言英語で解決するのだが込み入った話になるのでちんぷんかんぷん。結局現場で部屋を取り直してチェックイン。だが納得いかないのでその場で「ちょっと待て」と合図してBooking.comに電話。

やり取りが続くのだが、おかげでチェックインカウンターで3,40分。なんだ今日という日は!

旅の2日目。
一泊でその街を離れ、高速列車で次の目的地に向かう。30分ほど走ったところで浅い眠りから目を覚ますと何やら列車は止まったまま。どうやら前を行く列車の事故らしい。ふてくされて目を閉じる。結局一時間半程度の行程が三時間弱。昨日からいったいどうしたの、てな気になる。

2日目のホテルのチェックインカウンター、前日のトラブルが頭をよぎるがここではちゃんと予約ができていた。「デポジット」というからカードを出したら、今度は「このカードは認識できない」という。なんで?今朝チェックアウトしたときこのカードを使ったばかりなのに!と思うのだがなんと言っていいかわからないので別なカードで処理。なんなんだ今回の旅は、てな気になる。

おまけが。上手な日本語で「スイマセン、タバコスイマスカ」と聞くから即座に「スイマセン」と答えたら何やら妙な反応が。すかさず「No Smoking」と答える。「スイマセン」と言わないで「スミマセン」と言えよ!

他にもあったよ。乗ったタクシーの運転手がふてくされた男で、駅についてトランクから荷物を出したら、トランクを閉める前に走り去り、トランクは開いたまま。どこか俺の視線から消えたところで止まって、ぶつぶつ言いながらトランクを閉めたんだろうな。馬鹿なやつ(笑)

3泊4日の旅。今回は大したことはないがトラブル続きだったのでいろいろ神経を使った。いちいち財布を確認したりパスポートを確認したり。だが、こうも思ったね。会社のトラブルが続いたから、この旅でトラブル納めだ!とね。そうなりますように。

2017年3月2日木曜日

「田中先生様」

最近のことだが、ある料理屋さんのカウンターで飲んでいた時の事。「藤原さん、ため息が・・・」。ため息が激しいと言いたかったようだ。「先日なんか声を掛けるのもはばかられる様な雰囲気で、家内と心配していました・・・」。なそうだ。

この状態が長く続き過ぎているので今日は友人の病院へ行ってきた。「この治療、僕は初めてですから迷ったんですが、文献やガイドラインを調べて、パパには大丈夫だと思いましたから用意しておきました」というような会話があり、治療を受けてきた。「よし、これで大丈夫だ!」と思いたいところだ。

以前は、仕事のストレスは大量の血尿という形で現れた。出血多量?と驚くほどの血尿で、これは経験した人でないとわからないな。何度もあった。医者に行っても解決しなかったのだが、当時、赤坂の店のママの一言で、恐れは消えた。「血尿なんて社長業やっていれば当たり前のことよ。みんな通る道よ」ってなことを言われたんだっけな。あの一言が素晴らしい治療薬だった。 

最近、血尿に至ることはなくなった。血の気が足りないだけか?

そうこうしているうちに3月だよ。早いね。12月に生まれた孫はもうすぐ3か月になる。あの小さな赤ちゃんがね、よく笑うようになった。昨日は444にも笑顔があった。藤原がため息をつこうがつくまいが、周りには笑顔がいっぱい。いいね。

今日は田中先生の治療も受けたし、なんか元気になってきた気がするぜ。田中ちゃん、3月中に飲もうね。田中先生様、って気分になってきたよ。    

2017年2月24日金曜日

「船村先生とのお別れの日」

作曲家、船村徹先生の通夜式が一昨日、昨日が告別式だった。通夜式の日は朝10時にお寺に出向いた。昨日の告別式は朝9時。寒い2日間だったが無事終えた。

記録映像と会場の外に出す映像の担当だったため、映像技術8人とともに狭いコンクリートの部屋に居たから、本当に寒かった。コートやマフラーで会場の中を歩く訳にもいかず、久しぶりで芯から冷えた、という感じかな。

通夜の日は、夜まで何度も隙間の時間があったから、時々車に戻り読書。文庫本を持って行ってよかった。読んでいたのは井上靖の「しろばんば」。いつ買い求めたのか記憶にないのだが、ベットの脇にあったからこのところ就寝前に少しずつ読んでいる小説だ。登場人物の洪作少年の感受性や、大人びた観察力の表現に、妙に心惹かれる。

昔読んだ、住井すゑの「橋のない川」を読んでいるときの感覚に似ているなぁ・・・などと思うのである。あれも主人公は子供だった。(洪作少年はいい所の子供だけどね)

しかし、「しろばんば」を読み終えるには時間がかかる。ベットに入ってから読むものだから、読書は長くても一時間、そして小説は長い!(苦笑)

夕食時に新聞を読んでいない場合、たいていはベットに入ってから新聞を読む。新聞で終わる場合がほとんどで、夕食時に新聞を読んだ時だけ小説に手が伸びる。それも時々。だがこの小説は久しぶりに読んでも、それまでのストーリーをよく覚えているのだから不思議。

たいていの本は、ここ読んだっけかなぁ・・・という感じだから。

今日は何を書きかかったか定かではないが、船村先生の通夜という記憶に残る日に、この本を読んでいたんだということを書き留めたかったのかなぁ・・・かな。



2017年2月20日月曜日

「神社巡り」

16日の伊賀市の収録の後、伊勢神宮の外宮、内宮、ついでに猿田彦神社と久々に神社詣でをしてきた。昨年からあまりにも難儀な局面が多すぎて、神頼みの気持ちも無かったとは言えないが、なぜか無性に伊勢神宮に寄りたかったのだ。

外宮から回るのが常識なそうだが、そんなことはついぞ忘れて、伊勢市駅の前が外宮だったものだから外宮へ。おや?あの有名な「橋」がないぞ!?(ここでまだ外宮と内宮を理解していない)前回は観光バスで行ったものだから、土地勘も曖昧・・・すぐに気が付いたけどね。(なんだ、あの橋は内宮か・・・)

猿田彦神社では絵馬を買い求め願掛け?絵馬に張る保護シールなるものの存在を始めて知った。絵馬に願い事、なんて初めてかも。記憶にないな。

16日に話は戻るが、収録後携帯を点検すると「緊急」という文字のメールが。最近ネガティブな藤原は「また、何かあったわけ?・・・」みたいな負のエネルギーで物事を捉えてしまう。「9時40分ごろ電話に出てください」、とも書いてあった。益々嫌な予感・・・

話は別な意味でよくない情報だった。「まだ公表されていませんが船村先生が亡くなられたようです」。ひと月前、文化勲章受章パーティーをやったばかりなのに。

神社巡りを始めた頃からいろいろ電話が入る。通夜、葬儀の日時、記録映像が必要、今から手配できるか・・・18日が現地下見だが来られるか・・・

18日は急すぎて行けなかったから、さっきお寺の下見に行ってきた。会場外に映像を出すモニターも今、手配できた。カメラチームと予算の話もできた。土、日を挟んでしまったものだから、一度は「無理」という言葉が過ぎったのだが。

船村先生には番組でも大変お世話になった。お手伝いできるのはこれが最後になる。そう、「亡くなる」ということは「無くなる」ということなのだ。15日の夜にも親しい友人の訃報を聞いたばかりだった。こんな時、せめて神社巡りが出来て、良かった・・・

2017年2月6日月曜日

「笑いで始まる一日」

今朝、洗車のためガソリンスタンドに寄った。いつもの見慣れた女の子が「パパも洗いますか?」と聞いてくるから「え!?俺も洗うの?」というちぐはぐな会話になり・・・「中も洗いますかって・・・」と言った瞬間から彼女はよだれをたらさんばかりに笑った。

近所の美容院やその辺の店で俺を「パパ」と呼ぶ人がいるから、その延長線上にあったのだけれど、いきなり若い女の子から「パパも洗いますか?」なんてねぇ。洗って!!!

この土日は結構ゆっくりできた。昨日は少しだけ打ち合わせで出かけたのだが、出かけた先の事務所の社長がこれまた若い!女性。電話で話しているときはまだ慣れないお嬢さんかな?などと想像して出かけたのだがなんとまたかわいらしい顔をしたしっかり者。社長業14年目と聞いてまたびっくり。我が家のまだ20代の娘にこの話をしたら一言・・・「負けた!」。

先日、イギリスの大学院で、本人にとって未知の世界であるはずのビジネス専門コースでマネジメントを学んでいるらしい息子から、メールで「社長業」についての質問があった。昨日お目にかかった彼女に聞け!と言ってやりたいね(笑)

そんなこんなで2月だよ。今月も番組では無いお手伝いが続く。明日、明後日はある人の「お別れの会」の手伝いだ。撮影もするが某有名歌手が「献歌」をするらしく、前日リハーサルもある。頼まれれば二つ返事で引き受けてしまうが、大した売り上げになる仕事でもないから、一人でコツコツやることになる。いい人なんだよなぁ俺は・・・きっと。(苦笑)

ま、今朝一番、大笑いができたから、今日は良い一日であると信じよう。

2017年1月26日木曜日

「一月のスピード」

しばらくブログから離れているな、とは思っていたが、まさかこんなに日が過ぎていたとは。18日に船村徹文化勲章祝賀会の仕事を終え、翌19日は徳島県の鳴門市で番組収録だった。20日に帰ってきたのだがスタッフ一人インフルエンザでダウン。その余波で、土日の無い作業に突入、あぁなんていうことだこの余裕のなさ。

でも15日の日曜日には国立西洋美術館で開催されていたクラーナハ展に出向き、束の間絵画を楽しんだ。クラーナハ?何点かは写真で見た記憶があるが、名前も覚えられないね。前にも書いたが、画は好きか嫌いかが価値基準。美術館のあと、のんびりすればいいのに会社に直行、そろそろ休憩したい。

なんでブログに日付を書き入れているかって?すぐ忘れるからだ。

いい話もある。病で無菌室に入っているという知人に先日携帯メールを送った。きっと届くことはないだろうと思いながら「Happy Birthday」と送ったら、「ありがとうございます!」と返信が来たのだ。な、なんと携帯が手元にあるのか!?。でもすごくうれしかったね。職場の同僚にその事実を伝えるために電話したら「パソコンの上に置いてあったお守り、藤原さんですよね、先日机周りのものをまとめて病院に送ったとき、一緒に送りました」  ・・・ ・・・

そんこんなで1月も最終週だ。今度の週末こそ休めるのか?

で、明日の午前中は病院。高速を使って片道一時間強の高尾市の病院まで行く。その病院は老人専門病院で一般の外来患者はほとんどいないと思う。受付に行って院長を呼び出すのだ(笑)そして、あの薬をくれ、その薬も欲しい、血液検査も久しぶりだからみんな調べるか、と院長に俺が言う。

なんと偉そうな患者。でも親しいお医者様がいるのは良い。田中ちゃん、明日よろしくね!

2017年1月8日日曜日

「なにがめでたい」

「事実」と「現実」しかない。「悩んで解決することはなに何もない」。そう言ってやりたい奴が二人いる。自分と我が息子だ。

今朝新聞を広げたら、大きな活字で「佐藤愛子 90歳 なにがめでたい」という文言があった。エッセイ集の広告だった。先生、頑張るね・・・昨日先生からの年賀状を目にしたばかりだが「今年はゆっくり会いましょう、前回はあわただしかったから」と一筆添えられていた。佐藤先生は93歳だ。暖かくなったら、今年こそお目にかかろう、ゆっくりと。

実は今年届いた年賀状、ほとんど目を通していない。会社の机に積み上げたまま・・・あしたゆっくり目を通そう。今までの人生を思い起こしながら。

さて今日の日曜日は休むと決めたから自宅にいる。絵画展か花の展覧会に誘われたが今日はやめ。なぜ?寒いし雨だし(笑)

佐藤愛子さんの話に戻そう。先生との出会いは藤原がまだ30代だった頃。小田急デパート友の会主催のトークショーが定期的にあって、そこの司会者が藤原で佐藤先生はトークゲストだった。トークショーが終わったあと、今までのトークショーで、話しやすかったのはうつみ宮土理さんと藤原さんだわ、などと持ち上げられそれから細く長いお付き合いが続いている。やっぱり今年は逢っておこう。やっぱり。

18日は船村徹文化勲章授賞式パーティーがあり、パーティーの制作スタッフとして参加している。ここでしばらくぶりで北島さんにも会える。佐藤さんといい、北島さんといい、自分の人生を振り返るには十分な年月を関わってこられたと思う。

今日の雨、乾燥しきった空気と大地のためには、いいね。

2017年1月7日土曜日

「悩める者たちよ!怯むな!」

正直を言うと、まるで悪夢のような3か月間だった気がする。やることなすことマイナス作用が働いてまるで神様の悪戯か、と思うほど。以前にも困難は沢山あったはずなのだが、気力と体力の変化が、尚一層気持ちを締め付けるのかもしれない。

俺って、こんなに軟だったかなぁ・・・

ま、よからぬ結果は出てしまった。出たものは仕方がない。嘆いても仕方がない。ほらほら、だんだん気持ちが切り替わってきたぞ!

昨日、友人から「藤原さんお疲れのようですね」とメールが来た。「お孫さんをだいて抱いて日向ぼっこをすれば、元気になりますよ・・・」だと。俺は爺さんか!で、今朝そのメールを思い出して、孫を抱かせてもらった。そうだな、一瞬仕事を忘れられる瞬間だった。

そうそう昨日は強烈な二日酔い。朝も昼もまだ酔っていたし、さすが早々と退社して家に帰ってダウン。飲んだ5日の夜は風邪気味だったし極度に疲れていたから、日本酒2合でやめようと思いながら飲み始めた。しかし、まだまだ修行が足らないね。落ち込んでる風に思われたくないから、付き合いで焼酎を飲み始め、結果一人でデカ瓶1本、二人で2本飲んだはずだから。ずっとロックでね。途中から水割りにすればよかった(苦笑)きっと強気で陽気だったはずだよ。

どうやって帰ってきたのかよくわからない。だが、朝台所がご飯粒だらけだったといわれた。どうも電気釜に顔を突っ込んで飯を食ったらしい。全然記憶がない。かわいいね、俺って。

自分の欠点はそれなりに理解している。長所だろうと思える点もなんとなくわかる。ほかに自分を理解できていない点があるのだろうか?それがきっとあるんだろうな幾つになっても・・・

韓国の少女像問題のように、立場や環境が違えば、同じ問題が正反対の思惑となったりする。悩める者たちよ、俺に続け!(笑)

2017年1月5日木曜日

「年の初めに思うこと」

家族に「おめでとう!」と声をかけられて、新年を迎えたことをベットの中で知った。病で伏せていたわけではない。なぜか疲れ果てていて、一寸一休み程度の気分で10時ごろにベットイン。そのまま熟睡。もの心ついてからの人生で、年越しの瞬間をベットの中で迎えたという記憶がない・・・

そして昨日4日が仕事始め。5日の今日は収録でスタッフは全員スタジオだ。藤原は明日の会議用の構成案を今日中に作成しなくてはならないので、朝出演者に挨拶をしただけで会社で作業。作業・・・するつもりなのだがなかなか身が入らない。なんで~

初詣は例年のごとく近所の氏神様へ。そして何十年ぶりかで明治神宮にも参拝した。明治神宮はいつ行ったかも忘れるほど遠い記憶なのだが、なぜか込み合う明治神宮へ。やはり元日はすごい人出だった。ここでお守りを買った。病で寝込んでいる知人がいる。どうしても彼のためにお守りが欲しかったのだ。昨日年始回りのついでに、机のパソコン上に置いてきた。どうか一日も早く治癒しますように!

さて、ストレス食いをしているようなこんな時は、良書に触れるのが良い、と思ってベットに入りページをめくるのだがなかなか・・・元日の夜なんぞ、初夢を見るのが嫌で薬を飲んで寝た!(笑)

時間は楽しく過ごそうがイライラして過ごそうが、普通に過ぎていく。今年の抱負?う~ん、「爆発だ!」・・・意味不明(笑) 俺らしく、そして俺らしくなく、山坂超えるのかね、今年は。

2016年12月25日日曜日

「今日はクリスマス」

昨日のイヴの渋谷公園通りの人込みは本当にすごかった。明治神宮の初詣の列のごとく、信号もなかなか渡れない。青のイルミネーションは会社の帰りなどに毎日観ているから、綺麗だなとは思っていたのだが、そんなに評判になっていたなんて。今夜もきっと込むんだろうな。

「青の洞窟」と呼ばれていることを今日知った。人工雪も降らせるんだそうだ。場所が近すぎることと、一緒に見物する相手の居ないことが問題なんだな(苦笑)。何よりも、人込みが苦手だからだけど。

夕べ何年振りかで精神安定剤を服用した。ここ数年服用していない睡眠導入剤を探していたのだが「飲まない」と決めたときすべて処分してしまったらしい。薬用の引き出しに昔飲んでいた安定剤を見つけたものだからこれでもいいや、てな感じで飲んだのだが、薬にも服用期限がある。何年前に処方された薬?と疑問を持った時はすでに薬は胃袋の中!ま、生きてるし(笑)

そして今日はクリスマス。昨日のイヴも身の回りは静かなものだった。娘が出産したばかりだから、それどころではない感じなのだが、クリスマスプレゼント、クリスマスケーキ、クリスマスツリー、玄関前のクリスマスイルミネーション、すべて過去のイベントになった感じかな。

子供たちが子供だった頃は、結構派手に玄関回りに電飾を飾り、近所からも毎年楽しみにされていたのだが、一度やめると復活にかなりの労力をイメージしてしまう。今年は心理的余裕がなかったせいもあるが、来年は復活させようかな・・・自分のためにもね。

先日何かの雑誌に、歳をとったと感じる行動に「マメに洗車をしなくなる」というものがあった。事実だ。あれだけマメに洗車していたのに、いつも先延ばし。今日もスタンドに寄ろうと思っていたのに、明日でいいか・・・この繰り返し。午後、雨が降ることがわかっていても洗車に行っていた人だったのにねぇ。

さて、今日は会社に来たくなかったのだが、スタッフが働いていると思うとついつい来てしまった。社員にとってそれがいいのかどうかわからないが、当たり前のように出社してしまう・・・

さっきデパートの外商さんから電話。「年末に切れてしまうポイントがあります」。買い物・・・面倒なんだよなぁ今の俺。小さな神様、笑顔をください!

2016年12月23日金曜日

「もういくつ寝るとお正月」

どこから手を付けていいんだか、こんがらかる心。久々困難が直球でやってきた~てな感じかね。会社は来年25年目を迎える。よくやってきたな、という思いと、まだやるのかな、という思いが行ったり来たり。

今日久々に会社のベランダの花を植え替えた。一部枯れていたのは認識していたのだが気持ちが花に向かわない・・・久々だねこの感覚。思いっきり無駄銭を使いたい気分なのだが、物欲は無いし、性欲もない(笑)。

そう言えば、ふた月ほど前、仲のいい民放の若いプロデューサーと飲んだ時、こんな事を言っていた。僕は物欲もなければ性欲もない、食欲もない(本当に食わないのだ、キウリとセロリだけのような)、酒さえ飲んでればいいんです・・・人生を捨てているようなことを言いながら藤原としこたま飲んだのだが、今、無菌室に入院している。面会謝絶。藤原がいいやつだな、好きだな、と思う人はどこか変わっている。彼には早く回復してほしい。本当にそう願っている。

でこぼこの道を歩んできた。ほんとうにでこぼこだったなぁ。崖っぷちに強いと言われてきた。確かにそうだったと思う。ちょっと過去形かね。社会人50年生としては、51年かな、乗り越えるとか、耐えるとか、戦うとか、踏みとどまるとか、限りない経験を積んできたはずなのだが、いとも簡単に折れてしまうこともある。人間臭くていいけどね。

今日のブログ、時間がかかっている。(苦笑)いつもはサラサラと書くのにね。えーと、お年賀の発注は済んだ、年賀状は手付かず・・・机の上は紙が散乱・・・やるべきことが沢山あるんだが、今日はやらない!もういくつ寝るとお正月・・・

2016年12月20日火曜日

「笑顔の裏側」

日曜日はは忘年会だったが3,40分で抜けて編集室へ。だが結構早く帰って12時ごろには自宅にいた?かも。記憶にない(苦笑)それにしても我が社員もよく働く。結構過密スケジュールをこなしている。せめて風邪の予防にと、加湿器を一個買い足した。だが、水を入れようとする社員は居らず、結果藤原の仕事となる・・・俺は母親かぁ~!

今日は月曜だったらしいが曜日の感覚がないため、こんがらかる。給与の振り込みはした・・・海外送金もした・・・一日中パソコンと向き合って番組構成の準備もした・・・あと何をした?

気が付けば夜10時、ということになる。これでいいのか!?

家に帰ってテレビのニュースを見ていたら、小池都知事と築地市場の関係者のヒアリングというシーンを目にした。市場関係者が切実な訴えをしていたが、小池都知事は笑みを浮かべて返答していた。市場関係者はきっと命懸けだ。こんなやり取りを夢想した。

市場関係者「私たちは命懸けです。机上で論じているあなた方に、命懸けの方はいらっしゃるんですか?」
都知事「わたくしたちも皆様のご苦労を想うと尚いっそう頑張らなければならないと思います」
市場関係者「思うだけならだれでもできる。今流れている血が見えないのですか?」
都知事 にっこり笑いながら「その痛みに関しましては私どもも共有しているつもりです」
市場関係者「ならば、死にざまも共有できるんですか!知事殿!」

どうでもいい話だが、小池知事のにっこり返答が気になっただけ。
宝くじをカミさんと娘に手分けして買ってもらった。もちろんお金を渡してね。今年の自分は当たりそうもないから(笑)年末には10億円か?ははは、10日間は夢を見られる。はい!おしまい!

2016年12月18日日曜日

「ガラガラポンでいい感じ」

来年の話をしても、もう鬼は笑わない。そんな師走の風が吹いている。人々はみな異口同音に、あっという間だねぇ、早いねぇ、と口にする。そう、あっという間だ。

今年を振り返る・・・しんどい年だった。10年に一度、もしくは12年に一度、そんなレベルでしんどかった。このところ思う・・・10年前だったらもっと馬力があったよな、とか闘争精神が豊かだったよなとか・・・やはり歳を重ねたせいだろう。仕事はそれなりにこなしたが、精神を直撃する嵐に遭遇する。そんな一年だった。

ところで今日、以前お世話になったお坊さんの家を訪ねてきた。昔は何度も手を合わせた観音様の前に座り今年のお礼をつぶやいたのだが、来年は坊様が亡くなって17年目になるという。それこそ早い。まだお元気な奥様が、藤原さんにはお世話になったと繰り返す。そんなことないのに・・・藤原にとって手を合わせるものは神社でもお地蔵さんでもなんでもいいのだが、このお坊さんだけは別格だった。もう17年か・・・本当かな、とも思う。

さて、9時を過ぎスタッフが手伝っている生放送がいま終わった。これから番組の忘年会。生放送の番組を観ながら来年の番組の構成を今終えた・・・これで決着すれば良いのだが。胃薬飲みながら頑張るかね(苦笑)

しんどい話ばかりもしていられないね。赤ちゃんの名前が決まった。倫太朗君!愚痴っている大人もいれば、未来だけが開ける倫君もいる。ガラガラポンして、良しとするか!

2016年12月11日日曜日

「疲れを忘れるいい話」

20秒ほどの磐梯山の映像がほしくて、昨日三脚とカメラを担いで一人福島県の猪苗代町まで行ってきた。雪が舞い、驚くほど寒かった。空一面を雲が覆い、風は強く雪は降るし、一日を棒に振ったかなと諦めて道の駅に入った。レストランは混雑していたから、順番待ちリストに名前を書き込んでメニューを見ながら待っていると、どうやら晴れて来た気配!慌てて名前を消してカメラと三脚の準備を始めた。さっきの風と雪が急に止んで青空が見えた。「なんだ、今日のこの天気は!」周囲の人々も驚いている。

青空のあるうちに・・・慌てているものだから準備がうまく進まない。手はかじかんで指がうまく反応しないし。でも、寒さの中で2時間ほど粘ったかな。いつもなら性格上、もう少しポイントを変えていろんな画を撮ろうとするのだが、4時までに郡山に戻りたかった。早々に納得して4時30分の新幹線に間に合った。6時30分には新宿に居たかったのだ。

なぜ6時30分に新宿?8日に娘が出産したからだ。生んだ日は病院に顔を出せたのだが、その後行けてなかった。面会時間は夜8時までだと思っていたのだが、娘から7時までだとメールが・・・結局新宿駅の近くにある病院には三脚とカメラを担いで6時30分前につく事が出来た。疲れた・・・

出産は12月の28日が予定日ということになっていたから、余裕をこいていたのだが3週間も早い。赤ん坊はそれなりに体重もあったし、特に早産ということでもないらしい。計算間違いか?ま、母子とも元気だから神様に感謝、そんな気分かな。

今日は午前中のナレーションの収録に始まった日曜日だったが、さすがに7時で退社した。身体中疲労という感じ(苦笑)早くベットに入ればいいのにこれを書いている。さすがの貧乏性!

いい話もある。出産した日の夜、娘から母親にメールが来たそうだ。「ママ、私を生んでくれてありがとう」。 ・・・今朝だったか夕べだったかその話を聞いた。その瞬間、疲れを忘れた。

2016年12月1日木曜日

「笑顔願望」

444と書いて何と読む?フォフォフォ  簡単に発音すればホホホかな。なかなか読めないけど言われればなるほどね。最近気にいっているランチの店だ。Angel Number 444。

中学の同窓生が亡くなったとさっきメールが来た。続いたメールも訃報だった。届くはがきの多くは「喪中につき新年の・・・」という種類のはがきだ。先日もお別れの会に出席してきたが、周りでは人の命の入れ替わりが盛んにおこなわれている。つい、人生の残り時間をカウントしてしまうよね。

そんなこんなで11月はかなりハードだったかなぁ。せっかく始めたボート漕ぎの運動も、一度理由をつけて休んだら、どうも毎日理由がついて長期おやすみ・・・残念!続ける気はあるんだが、今日はくたびれ過ぎとか、朝はやめて夜にしようとか、今日は休むけど明日にしよう・・・とか、結構毎日言い訳の理由は見つかるものだ(笑)

先日PV2本の監督をしたが、結構PVの仕事は楽しいんだよね。若いスタッフのために開発した仕事なのになぜか藤原がやることに・・・社内的雰囲気も、社長がやるんでしょ的な雰囲気で誰も仕事に手を挙げない。これでいいんでしょうか。世間とのお付き合いの仕事も、それ社長でしょ、的な雰囲気が・・・俺もさ、番組もやれば監督もやれば構成演出もするでしょ、会社の雑務もこなしてんだからさぁ、少しは気の毒がれよ!こら社員!(苦笑)

来年1月に船村徹文化勲章受章記念パーティーがあるのだが、これの制作演出系を引き受けることになった。こんなお付き合い系の仕事は、社員は見て見ぬふりだな。「大変ですね・・・」ぐらいは言ってくれるけど。

今日は何?愚痴大会?いやいや、くたびれてんだよさすがに。愚痴って解決することは何もないけどね。そんな時、笑顔に出会うのがうれしいね。笑顔は、百薬の長だよまさに。そういえば東京に出てきた16歳のころ、「笑顔を笑顔で迎えられるそんな幸せを」と何かに書いた記憶がある。笑顔願望があったのかね、俺。

2016年11月15日火曜日

「風に吹かれて漂いたい」

先日、取材のため徳島県の鳴門市まで行ってきた。行ったついでに足を延ばしたのが「大塚国際美術館」。ここは陶板(いわゆるタイル)に名画を複写した作品を展示している美術館だ。入場料はなんと3,000以上した。ここでたまたま説明をしているおじさんの前で足を止めいろいろ質問しのだが、国会議事堂の屋根の一部もここの画を創っている会社の製品なそうだ。ついでに聞いてみた。墓石に自分の写真を入れることはできないの?なんてね。

面白いことを言っていたな。「普通の美術館は贋作を展示しないためのエネルギーを使うのに、ここの画はすべて偽物です」だって。そりゃそうだ。タイルに張り付けた複写だものね。工程なども詳しく教えてくれた。話を一通り聞いたら、画に対する興味はなくなったから、そこそこで引きあげたけどね。でも、それなりに勉強になった。

この取材旅があったせいかはともかく、仕事が片付かない。明日から長野の岡谷市に番組の収録で出向き17日の夜中に戻るのだが、18日は朝から来客で夕方から以前出向いた某大学でもう一度講義をするのだそうだ。だが、18日中に片付けなければならないことは他にもある。24日と28日のPVロケの準備は何もできていない・・・出演者サイドからはどんどん問い合わせがくる・・・12月5日の特番の構成が迫っている・・・間に合っていない!

と、まぁ忙しぶっぶっているだけなのだがね(笑)

昨日は作詞家の星野哲郎先生の7回忌だった。会場に流す映像のお手伝いをさせていただいた。嬉しかったのは、北島さんが出席したこと。完全回復とはいかないまでも、一人で歩き、力強い挨拶も聞けた。彼に「よかった」と言ったら「自分の足で立っているよ!」と笑顔。…あぁ良かった。

そして今日は作曲家の船村徹先生の文化勲章受章を祝う会の打ち合わせがあった。これもお手伝いすることに。人間関係による忙しさが多くて、会社の売り上げにはなかなか貢献できていないんだけどね。

でもこのところ、一寸隙間がなさすぎるかなぁ。隙間風が吹くよりは、いいけど。

2016年11月5日土曜日

「親の感性」

年末に第一子が生まれる予定の娘が、夫婦でまもなく実家に引っ越してくる。初期の子育ての時期を実家で過ごすのだそうだ。「あの娘がお産だなんてね・・・」そんな夫婦の会話で今日の朝が始まった。

初めてアメリカに留学させた時の事。彼女は19歳だったが、成田まで見送りに行き、父も母も当然のように泣いた。で、そのあとの虚無感を埋めることができないことを見越して、我々はそのまま観光の名目で韓国に向かった。娘の居ない家に帰るのが怖かったのだ。長男は娘の付き添いで一緒に行かせたから、家には誰もいない。

韓国のホテルに着き、それぞれが娘から渡されたい手紙を開け、嗚咽!恥ずかしいほどに・・・親子とはそうしたものなのか・・・まもなく孫を産もうとしている娘に思いを寄せたとき、そのさまざまが思い出されるのだ。

反比例するように思い出してしまうことがある。「あの時俺の母親は集団就職列車を見送りながら泣いただろうか・・・」「そんな訳ないよな、一人子供の口減らしができてほっとしていたはずだよな・・・」。そして決まって登場するシーンが。腎臓炎で入院した小学2年生の時の事。腎臓炎だから、味のついたものは一切食べられない典男少年。見舞いに来た母が、部屋にあった七輪で餅を焼いてうまそうに食った・・・

食い物の恨みは一生忘れない!(笑)

親に甘やかされた記憶を持たないものだから、息子も娘も結構甘やかして育てたと思う。「甘やかし過ぎですよ」という人もいるがその人に迷惑をかけているわけではない。娘を、息子を信じることで、迷いは消える。

人は育った環境で根性が決まる。両親の感性は子を育てることもあれば、将来的な苦痛を背負わせることもある。苦痛を背負わせるタイプの親は得てしてこう言う「あんなにあなたのことを思って大切に育てたのに!」

わが娘はどんな風に子供を育てるのかな。あの娘がねぇ・・・・・・ ニマニマしながら我儘娘の子育てを楽しむこととしよう。来年からね。

2016年10月31日月曜日

「健康寿命の呪縛」

やや「認知症」が入ったであろう80歳になる義父が数日間家に来ていた。食事の時間には起きて来るが他の時間はほぼ寝ている。食欲はあるのだが、無表情で食べ続け、食い終わるとスーっと夢遊病者のように立ち上がり、寝室に消えていく。

「健康寿命」の基準とはなんだ?肉体を言うのか、精神を言うのか?

2日ほど夕食を共にしたが、「男の一生とは?」のような思いが箸の先にまとわりつき、やや空気の重い食卓だった。明るく軽いノリの義父だったのだが・・・

俺は元気なうちに!あれもこれも!なんてことは思わないが、さまざまな現実に触れるたびに妙な気分になる。ま、いいか。ボート漕ぎも始めたし(笑)

今日、病院に行ったら前回検査したテストステロンの数値が出ていた。男性ホルモンのことだが、これが低くなると鬱のような気分に陥るから時々検査する。かなり低めだが範囲内。まだ馴染んでいない医者なので、いつも打っているのだが「プラセンタ打って」と言ったら、「いいんですか、女性ホルモンですよ、駄目になりますよ」といって医者は自分の股間部分でこぶしを下に振った!(笑)
「え?聞いたことないよ、肝臓にいいんだから」医者「肝臓にはいいんですが胎盤ですから・・・ね」とどうでもいい会話が続く。でも、この会話でこの先生とは少し馴染んだね。

ずっと主治医だった「田中ちゃん」が高尾の病院に行っちゃったから、近くにもわがままを言える医者が必要だ。「その薬いらない!あの薬が欲しい!あの注射打って!、薬は4週間分ね」とかいろいろ。そうだ、インフルエンザの予防注射を忘れてしまったよ。

そんなこんなで、人々は健康に留意する。今日の病院も年寄りで大繁盛していた。「ああ、年寄りばかりだ!」と勝手に思っていたのだが、病院側からしたら俺もきっと年寄りと一緒だよね。やれやれ、病院の待合室は気分を重くする要素を持っている。あ~ぁ。

2016年10月26日水曜日

「今日という日」

心が折れそうな気分になったのは10年ぶりくらい・・・もう2週間ほど前のことになるが、久々へこんだ。崖っぷちに強いと言われてきた藤原だが、どこかに「弱気」が・・・

ちょっと心がしんどくて、深酒をしたのだが、そのあと3日間ほど禁酒。酒を飲まないと時間ができる。以前成田空港で買って結局ページを開いていなかった村上春樹本を読んだ。禁酒一日目は数ページでダウン。二日目は1時間程度読んだらやめようと思って11時ころベットに入ったのだが、目がしょぼしょぼするまで読んだ。時計を見たらなんと午前3時。

そこまでタイトルも見ていなかった。だが読み進めるとなぜかはまっちゃううんだな、これが。彼のどの作品にも通じるのだが、時々出て来る性描写などもかなりリアリティーを持っている。さりげなく、だけど生々しく。「ノルウェイの森」しかり、「1Q84」しかり。奇想天外ふうな設定や描写も、ああ、こう来るな、と解るようになってきた。しかし、小説家は天才だと思う。次から次へとよくも考え付くよ。そして驚くほどの取材力。感心しながらまだ読み切れず、本はベットの脇に。夕べは数ページで、寝ちゃった・・・

心のバランスを維持するのは難しい。このところ家の床の間に置いてある「お守り」を身に着けている。らしくない、と思う人が居るかもしれないが、これが俺らしいのだ。会社を始めて、この状況は3回目かな。攻めの少ない藤原に、進軍ラッパを吹け!と誰か言ってくれ!(笑)

今日はスタッフがほとんど外出していたから、一人机に座っている時間が長かった。電話を留守電にして、宅急便だけ対応した。「飲みに来てほしい」となじみの小料理屋さんからメールがきた。う~ん、出かける気力がわかない。「いくいく、近いうちに、ごめんね」てな風に返信。

今夜、読み切れるかな、村上本。タイトル忘れた。なんか長いタイトルだったような。

2016年10月19日水曜日

「鍛える」

3年ぶりぐらいになるだろうか、久々ゴルフコースを回った。それも「薄暮」というやつで、15時ごろスタートで9ホールのみ。9ホールを終えるころには陽が陰り、そこからは打ったボールが見えない、という状況になる。ぎりぎり間に合ったけど。相手は御年75歳になる「じいさん」(笑)。

さて、カートに乗ってから何かが足りないと気付く。「スコアカード忘れた!」「いいよいいよ何個打ってもいいんだから」こんな会話をしながらいい加減なゴルフを始めた。結構ボールは飛んだよ、真っすぐに。もちろん林に直行したボールも、いくつかはあったけど。

彼、「愛ちゃんもう一個打ったら」僕「いやだ、せっかく真っすぐ飛んだからこれでいい」などと、たわいもない会話をしながら2時間ほど、つかの間現実を忘れて楽しむことができた日曜日だった。

そうそう、彼は今でも「愛ちゃん」と呼ぶ。40年ほどの付き合いだもんね。彼は禿げたし、俺もくたびれてきた・・・でも、それなりに楽しかった。朝から出かけてフルで回ろうとは思わないけどね。

最近、6年ほど使っていなかった「ボート漕ぎ」のマシンを使い始めた。寝室に置いたまま、6年以上は洋服の下に埋もれたりしていたのだが、急に思いついて漕ぎ始めた。体に緊張感を持たせないと、ズルズルとくたびれていきそうな気がしたからだ。

これは6年ほど前、還暦を祝った中学の同窓会に参加する時に買ったものだ。筋肉をたくましく鍛えてカッコよく同窓会に出席しようとの魂胆で買い求めたものだ(笑)。だから同窓会のあとは無用の長物だったわけ!

身体は鍛えれば結果がでる。メンタルな部分は、鍛えるなんてできるんだろうか・・・などと、今更ながら思ったりもする。                  

2016年10月7日金曜日

「55年という歳月」

5日に北島三郎さんの55周年を祝うパーティーがあった。50周年のときは東日本大震災があったので開催されず、周年を祝う会は10年ぶりなはずだ。手術のあとなので、歩行はなかなか辛そうだったが、そこは気丈な人だ。終始にこやかに対応していた。

たぶん、人が思っいてるい以上に自分にとっての歳月は北島さんに重なる。パーティーの会場に向かいながら考えた。彼が歌手をやめたら、自分の一つの時代も終わる・・・こういう気持を、文字に起こしたらなんと書くことになるのだろう・・・表現に困るのだ。

16歳の時の出会いから、66歳になった今も付かず離れずなんとなく近くにいる。どこか弱った北島三郎を目にすると、なんとも言い難い想いが自分を襲う。パーティーで使用された写真の中に「角度を変えて撮ってくれたらあそこに俺が居るのになぁ」という写真があった。「昭和43年、新宿コマ初座長公演」とテロップが打たれていた。あそこに、俺が居たんだよなぁ・・・

パ―ティーで顔を合わせた大勢の歌手の皆さんと、昨日の「日本のうた」の収録でも顔を合わせることになった。小林旭、大月みやこ、美川憲一、山本譲二、瀬川瑛子、「昨日はどうも、12時間ぶりですね・・・」のように。結構狭い世界で生きているんだよなぁ、などと思ったりもして。

今日、一人昼飯の帰り、気付いたことがある。歩くスピードがやたらとゆっくりだ。10年前はかなりせっかちな早歩きだった気がする。歩幅も小さくなった(気がする)。頭だけはめまぐるしくいろんなことを考えている(ような気がする)。

やや歩行に困難を伴う「55周年の北島三郎」の姿に接したことで、自分の生きるスピードを現実として捉えることになった。いや、捉えざるを得ないのだ。さまざまな目標値をどこに設定するか、とかね。

パーティーの途中、安倍晋三内閣総理大臣が祝辞のために駆け付けた。この国会の忙しい時に・・・北島三郎という小さな巨人に、改めて尊敬の念を抱いた瞬間でもあった。

2016年9月28日水曜日

「充実」

携帯に電話してもなかなか出ない。2、3度続く。周りに聞いてみたら、具合が悪くて出社していません・・・とか。古い友人だから気がかりだ。そして昨日は別人の訃報が。50年来の知人は入院、手術・・・。お互い歳を重ねてきたんだな、とつくづく思う。

だが、さっきベンツの新しいオープンカーの記事を見たら、一生に一度オープンカーも悪くはないかな、と思ったりして。これは元気な証拠なのか、負け惜しみなのか、はたまたやけくそなのか。

身の回りの重い空気をかき消したいだけなのかもしれない。颯爽と駆け抜けて。

さて、今年も「日本賞」の準備が始まった。皇太子さまをお迎えする恒例のイベントなのだが、え!あれからもう一年たったの!?充実していないと、時間の流れが速く感じるそうだ。机の前に居る時間が多すぎることが自分にイラつく原因でもあるんだよなぁ・・・充実かぁ・・・

夕べ長い夢をみた。どうもステージで歌を歌う夢だったような・・・そして不動産屋と家を売るような話をしていた。金額がちいさくてみみっちい話だったような(笑)一瞬目が覚めて「あぁ夢でよかった」と言ったような、思ったような・・・

そんなこんなでまもなく9月も終わる。先日近所の花屋のおばさんから「お孫さんは生まれたんですか~」と声をかけられた。「まだだよ、今はお楽しみ期間中!」と答えた。そうだそうだ、プライベートの充実がもうすぐやってくるんだっけ。オープンカー、いいかもなぁ・・・

2016年9月20日火曜日

「父親」

台風の影響にしても、激しい雨だ。こんな天気が何日か続いて、一気に秋が来るのだろうか。この夏、日焼けを楽しむ余裕もなかったな。

おなかの大きな娘が隣に座っていた。父は「こんなに大きくなったおなか・・・」と言いながらおなかをさすろうとして、あろうことか「おっぱいを!」・・・娘は以外にも平然と笑っていたが父は慌てて、そして大いに照れた。わざとではない!本当に偶然のなせる業だったのだ。

これが娘ではなく、嫁だったら「このクソジジイ!」だよね、と娘の旦那と笑った。いや、笑ってごまかした。ははは、本当にバツが悪かったよ。

娘の歩く後ろ姿を見て、幾度となく「平和」を感じた。いや平和ではなく「幸せ」だな。「こんな気分が幸せってことかな・・・」のようにね。そして昔を思い出す。最初の沐浴は、この父がしてあげたんだぞ~なんてね。

さてさて、そんなこんなで3連休が終わった。3連休したのは正月以来だ。なかなかハッピーだったね。そしてイギリスに居る息子からは行くべき大学院が決まったと連絡が来た。この父の出番はまだまだ続きそうだ。「これはきっと良いことだ、これはきっと良いことだ」と自分に言い聞かせる。

「いつまで働けばいいんだ!」とは決して思わないことにする(笑)。

2016年9月16日金曜日

「三山ひろしコンサート」

一生懸命とか必死とか前向きとか、それらを感じる人と仕事をするのは楽しい。一昨日の三山ひろしNHKホールコンサート、楽しんで演出ができた。ゲストの純烈の6人組、彼らにも同じことを感じる。それぞれが忙しいから合同のリハーサルは殆ど出来ず、バラバラのリハーサルを重ねて本番に臨むことになったのだが、奇跡的に合体(笑)。

オープニングは演奏中のバンドが一斉に手を挙げて彼を迎えるシーンだった。三山君には、迎えてくれるバンドに会釈は必要がないから、まっすぐにお客様だけを見て登場して!と念を押してあったのだが、本番でバンドと目が合ってしまったものだから、バンドへの会釈で登場。こら!ってもんだがこれが彼の人柄だね。

あれが、まっすぐお客様だけを見て登場できるようになったら、一段上がることになるのかな。

結構、手間暇かけて作り上げたステージだと思うが、お客様が喜んでいる様子伝わってきて、それなりに暖かくてよかったかな。

それにしても、夜が早くなったよね。夏が好きだというのは、日差しが好きだということと、夜が早く来ないということなのだ。バンドマンだったころ、ピアノの弾き語りだったころ、仕事に出る時間が暗い、と言うのが嫌だった・・・夜になってしまえば自分の世界だったけどね(笑)

さて、次は何に一生懸命になるとするか。いくつになっても、熱中できる仕事があるのがいいよね。番組は殆どスタッフに任せるようになったし、貧乏性藤原君は次の何かを探す。敬老の日を「祝ってもらう日」が来ないことを願って、コツコツとやるだな。

2016年9月13日火曜日

「根暗」

気分がすぐれない、と言うのはどういうことを言うのだ?体調が悪い感じ・・・やる気が起きないってな感じ・・・不愉快な感じ・・・?う~ん、なんだか気分がすぐれないのだ。

あかるく振る舞ってはいるのだがなんか気分が停滞・・・いちいち深めにものを考えてしまうし、サバサバ感を演じてはいるのだがサバサバなんかしていない。

そんなこんなに効きそうだというサプリメントをけっこうたくさん飲んでいるのだが、なぜか「こんな気分嫌だ!」ってな感じ。手が焼ける。男の更年期障害で片付けてしまえば楽なのだが。

何週間か前に雨漏りがして、天井が汚れたままだ。早く修理してもらいたいのだがまだ手つかずだ。こんなことにもイライラ腹が立つ。さっさと片づけないことに腹が立つのだ。借りたものをすぐ返さないとか、やるべきことをすぐやらないとか、せっかちを自任する藤原にとってストレスの原因はそこいらに散らばっている。

てなことを書いて、ストレス発散!

週末に、おなかの大きい娘夫婦と小旅行をする予定だ。(お!少し明るい気分になってきたぞ!)久々の温泉旅行だ。娘夫婦との旅は一年ほど前の沖縄以来だ。あの時はまだ結婚式前で、今回はすでにご懐妊でおなかも目立つ。まるで、深呼吸している間に地球が何百回転もしてしまったような感じかな。(ここでまた肩こりを感じてしまう・・・)

今日のお天気が良くないな。どんより空が重くて、夢の匂わない風が吹いて、中途半端な雨が止まない・・・(なんでこんなに根暗な俺?)

さて、気分を変えるか。明日はハッピーになりますように!

2016年9月3日土曜日


「進歩」

会社のベランダの日日草が元気だ。切っても切ってもどんどん伸びて来る。これは3段になっている最上段の日日草のはなし。二段目にも同じ日、同じ日日草を植えたのだが、これは貧弱無残。特に日差しの加減に差があるとは思えないのだが、発育も成長も全く違う。水やりも、まったく同じなのに・・・

土壌のせいかもしれないが、やっぱり何かが違うんだな。育つ花と育たない花、同じなのに・・・同じ様なことが社会の中にも言えるな。同じように接したつもりなのに・・・とか、同じ愛情を注いだはずなのに・・・とかね。期待通りにならない場合、「同じ」と言うことを免罪符にするような・・・あるよね。

妊娠中の娘から昨日「男の子だった」とメールが来た。確からしい。この娘には、生まれる直前まで「男の子」と思わされていたけど(笑)、確認の精度が上がっているんだね。来年には「のりピー」の出番がやってくるわけだ。「おじいちゃん」でもなく「じぃじぃ」でもなく「じじぃ」でもなく、「のりピー」です私は! 「典男」にはじまり「典ちゃん」・・・「のんちゃん」・・・「ボンタ」・・・「愛ちゃん」・・・「先生」・・・「パパ」・・・「社長」・・・「のりピー」と呼ばれ方が変わっていくんだ人生は(笑)

あ、そうそう「クソ社長!」てのも一回あったっけ。

そんなこんなで早9月。社長と呼ばれ始めて、25年ほどになるのかな・・・そうそう、会社を作ったばかりの頃は、社長と呼ぶことは厳禁だった。「藤原さん」と呼べ!なんて言ってたね。あの頃のリクルートの江副さんを真似たと思う。でも一年もしないうちに、あまりけじめがなさ過ぎて、今度は藤原と呼ぶな「社長」と呼べ!なんてね。歴史だ。

本当にたくさんの人と出会ってきた。これも歴史だ。これからどれだけの人たちと、どれだけ有意義な出会いができるのだろうか。電話に出ることすら嫌な時期があったけど、昨今は少し違うかも。進歩かな。

     

2016年8月26日金曜日

「俺の旅」

昨日、北海道の帯広まで日帰りで出かけてきた。以前には沖縄を日帰りしたことがあるから、大したことではないのだが。北海道まで行って、昼はコンビニのとんかつ弁当、帰りは空港で「イカ刺し定食」850円・・・

結構、全国をまわってはいるのだが、こんな調子だからどこに行ってもその街の記憶が残らない。帯広も何度も行っているのだが、いつ、何のために帯広のどこに行ったのか記憶にない。もっと困ることがある。例えば家族と旅行したとき、誰と何のために来たのか思い出せないことがあるから、うかつにこの街に来たことがあると言えない!(笑)

突然海外旅行をするが、ほとんど無計画だから、同じ国に何度行っても言語はほとんど話せない。通じようが通じまいが片言英語と思いっきり日本語で済ませてしまう。さすがに日帰りはないけど。韓国に一泊だけという旅はあったな。旅のツアーは嫌いだ。スケジュールをみるだけで嫌になる。到着翌日から「朝出発」「早朝出発」「午前出発」のオンパレードだ。

誰かの都合で、旅のスケジュールを管理されるのが嫌なのだ。以前社員旅行で韓国に行ったときはツアーだったが、連れまわされるのが嫌だったから翌日風邪をひいたと言って自分だけベットに残っていたら、韓国人の担当者が部屋に二人も来て、一緒に出掛けるよう説得された(笑)。社長がお財布係だということを前日の観光で知っていたから、連れて行きたいのは彼らの商売上の都合なのだ。おれは頭が痛いの!とか何とか言って無視していたら彼らはあきらめてくれたが。

先日久しぶりでソウルの友人から電話があった。「そろそろ来ませんか」。とてもいいやつで、空港に送り迎えをしてくれるし、食事の場所も連れて行ってくれる。だが彼、結構仕切るのだ。明日何時がいいですか?と聞いてはくれるのだが「10時に迎えに来ます」と決め、9時半ぐらいに「今ロビーにいます」となる。「お前が10時と言ったろ!」。

旅先では誰にも仕切られたくない。自分の時間で、自分の気の向いたほうへ向かい、気の向いたものを食って飲んで、好き勝手をするのがいいのだ。それが旅のだいご味!藤原にはね。

2016年8月23日火曜日

「どこにそんな才能が?」

昨日は、演出を担当している「三山ひろし」君のコンサートのリハーサルだった。そのリハーサル会場でおよそ50年ぶりに出会った人が居る。三山君の事務所の社長「松前ひろ子」さんだ。彼女は今とは違った芸名で、その時代「北島三郎」さんの前歌をやっていた。藤原はみんなから「ボンタ」と呼ばれるbass弾きだったから、松前さんの伴奏を2~3年やっていたことになる。あれから50年!(笑)松前さんは何度もこう言った。「どこにそんな才能があったんでしょうね!」。

笑い話ではないのだ。たぶん松前さんより少し年下だったはずの「ボンちゃん」が、久々に出会ったと思ったら、三山君の出る音楽番組を創っていたり、彼のNHKホールのコンサートの構成演出をしていたり、彼女にとっては想像を超える驚きだったに違いない。自分自身でも、その変化に驚くけど。

そう言えばさっき、「北島三郎55周年記念パーティー」の案内状が届いた。50年とか、55年とか、数字の大きさにすでに驚かない年齢になった。言えることは、みんな頑張っている、と言うことだ。皆さんは一筋の道を歩んでいる・・・藤原は?幾筋もの道を歩んできた。だが、誰かに一言書け、と言われたら、「一途に生きる」と書くことが多い。一筋ではなかったが一途ではあった・・・そう思いたい。

話は跳ぶが、会社の自分の部屋が雨漏りをした。犯人は上階の住人だ!上に住んでいる奴は誰だ!あっそうだ「大家」さんだ。さっき担当のおじさんが来て実況見分をしていったが、どうやら現在新しいオーナーは上には住んでおらず、ベランダが洪水状態だったらしい。「私が言ったと言わないでください」と担当のおじさんは言ったので、ここに書いた(笑)。悪いのは、大雨だってことか。

AM11時からの行くべき会議を失念!社員が一人出ていることを確認できたので、出席をあきらめこのブログを書いている。忘れちゃいけないよ、大切な会議を!小さな才能に満足していちゃいけないよ!失念を反省しろ!藤原!

2016年8月10日水曜日

「少年時代」

夏は大好きなのだが、さすがに暑いよ。この10日間か。7月の末に森昌子さんの収録があり、昨日が小林幸子さんだった。今日は15日に予定していた函館日帰りのインタビューロケをキャンセルした。内容に変更が出たからなのだが、航空券をキャンセルしたら半額以上キャンセル料をられた。そんなもんなのかね。3人分だったから、笑えないよね。

1日に都内の某大学で講義をしてきた。夏の集中講座だったから時間がいい加減で110分ぐらいしゃべってきたかな。生まれて初めて大学という学校の教室に入ったことになる。なんせ、学校は夜間高校1年の2学期までだったからなぁ・・・

泣ける歌と言うものがある。泣けるほどにいい歌、と言う意味ではなく、その歌を思い出すだけで涙が出てしまう歌、と言う意味だ。先日某プロデューサーと収録後飯を食っていた時の事。酒は当然飲んでいたが、何かの拍子で「思い出の歌」の話になった気がする。「俺の心の歌は三波春夫のおーい船方さんなんだよね」「それはまたどうして?」と言う具合に話が進んだ。「実は俺の親父は死んだと教えられていて・・・」「それがある日生きているとわかり・・・」

この辺のくだりはやや長くなるので先へ進むが「その時泣きながら歩いて帰ったときに唄っていたのがおーい船方さん・・・」と言い始めたら不覚にも涙がジョー~てな感じ。前にもこのくだりで「泣いた」ことがある。

すこし酒を飲んでいたりすると、「あのシーンのあの感情」がストレートに出てきてしまうのだ。子供時代に味わい、心に刻まれてしまったものは、呪縛のようになかなか解きほぐされないものらしい。
他にも、子供時代、死んでしまいたいぐらいの「淋しい」シーは沢山あった気がするが、ほかの「ネタ」は涙が出ない。なのに、これだけは泣ける。

純粋と葛藤と反抗と淋しさが掛け算をしているような少年時代だった気がする。夏が好き、とこだわるのも、あの時代の「何か」が作用している気がする。夏でも、タオルケットだけでは眠れない。重みのあるもので包まれていないと眠れないのだ。汗まみれになること、わかっているのにね。

2016年7月29日金曜日

「一服の清涼剤」

なんか疲れが抜けないなぁ・・・神経も今一つ、クリアーじゃないし。台本の書きが進まない・・・

今日は中野サンプラザの「川中美幸 40周年記念コンサート」に行ってきた。笑いっぱなし。本当に彼女のトークは人の心を掴む。疲れを忘れた2時間30分だった。いつ観ても楽しいコンサートなのだが、今日も絶好調!ステージの人だなぁ、とつくづく思うのだった。

明日は森昌子さんの収録。若いころ、好きだったなぁ。この前、本人に「本当にファンだった、昌子ちゃんが結婚するまで・・・」と言ったら周りのスタッフにいろいろ突っ込まれたっけ。(あれ、このこと前に書いたかな)

7月中に書き上げる、といった台本はまだ途中。明日は収録で時間がないし、あさっても午後は収録。8月1日は某大学で生徒に話をする日だから、また時間をとられるし・・・といろいろ言い訳を並べて台本の先延ばしを企てるわたくし(笑)。だが、リハーサルの日が迫りくる現実はあるから、焦っているのは確かなのだけれど。

9月に演出するステージはNHKホール。それこそサンプラザと神奈川県民ホールだとか大きいステージの演出はこなしてきているが、NHKホールはやはりケタ違いだよな。予算と関わる関係者の攻撃を上手に避けて(笑)のらりくらりと自分のスタイルに持っていくには、それなりの時間が必要ってことだ。(と、また先延ばしの言い訳を探す)

そうそう、楽しみもあるよ。明後日午前中、おなかの大きくなった娘を連れて近所の神社へ。腹にさらしを巻くためのなんか儀式をするそうだ。これ、なんか楽しみ!一服の清涼剤のような、そんな気分。どんなに気ぜわしくても、時々一服の清涼剤は必要だよな。このごろ、ますます思う。

2016年7月26日火曜日

「旅先あれこれ」

アジアのそれぞれの国で、日本語表記はありありがたいのだが、思わず首をひねったり微笑んだりする日本語訳に出会う。言わんとすることはわかるのだけどね。それはそてとして、この度(旅)、何度も泊まっているホテルでのエピソード。昼前、裸になってシャワーの態勢、左にひねってもお湯が出てこない。右にひねっても同じ・・・水・・・そのうち右にひねっていたらなんとなく水が暖かくなってきた気分。裸だし・・・フロントにいうのも面倒くさいし・・・(きっと通じないし)。風邪ひきそう・・・と思いながらシャワー終了。洗面所の方も同じ。お湯が出ない・・・(このホテル今工事中)なので工事のせいかも、と仕方なく納得し我慢。昨夜は遅かったから浴室は使っていなかったし、今夜もお湯が出なかったらいやだな・・・と思っていたら夕方風邪気味(の気分)。で、夜の清掃に来たおばさんを捕まえて訴えた。(お湯が出ない!風邪ひきそうだ!)このおばさん、蛇口をいじりながらこう宣う。お湯を出すなら左だ!と。左で出なかったから右にしたんじゃないか!どれどれ、流れ出る「水」を触ってみたらなんと「お湯」だ。左だ!お互い大笑いで一件落着!。なぁんだ、お湯、出るのか・・・左で。蛇口の取っ手をよく見たら左に赤い●が付いていた・・・当然右が青の●。

日本のように、ひねるとすぐ「お湯」がでる、という感覚で居るとこんな目に合う。このホテルは、左にひねってもなかなかお湯にならない、ということだけなのだ。俺はせっかちだから、こんな思い込みの間違いが起きる。右でしばらく待ったんだから、左も待てよ!ってか。



             
                    これはトイレにあった案内板
         
                    「トイレもすでに消毒を流すことに、
       安心してご使用いただけだった」

                     そうだったのか!納得!





       これは藤原の海外旅行用スーツケース
       大きいものも小さいものもこう書いてある
       「ORENO!」とか「ORENODA!」
       両面にね。
       こう書いてあれば、空港で荷物を
       間違えることはない。

       ま、飲み屋のボトルにもこう書くけどね。
       「俺の酒!」
                                  
                           

2016年7月15日金曜日

「今日この頃」

森昌子さんの事務所に彼女との打ち合わせのため行ってきた。何度も仕事はしているのだが、今回の打ち合わせは以前に増して彼女の素顔に触れた気がする。あの素直さと正直さはどこから来るのかね、と感心するほど。歌手として、女性として、数々の経験を積んできたはずなのに、「ナチュラル」を感じてしまう。若いころも大好きだったけど、今も、好きだな(笑)

いわゆる業界に長いこと身を置いているのだが、業界そのものは好きではない。むしろ嫌いかも。だが、嘘や駆け引きを感じない相手に接すると、まんざら嫌いでもないかな・・・と思ったりはするのだが。

7月ももう半ば、今月中に書き上げなければならない演出構成台本がある。殺陣芝居と歌を組み合わせた殺陣ミュージカル、と周囲には言っているのだが、中身は全くこれから。NHKホールに見合った中身で演出となると、チャッチャとやっつけると言うわけにもいかないし・・・と勝手に理屈をつけてズルズル先延ばし(苦笑)。やることを結構楽しんでいるけどね。なら、早くやれよ!ってか。

最近、彼どうしているかな・・・と思い出したりすると、突然電話がかかってくるというようなことが増えた。先日は、彼、どうしているかなぁと思いだしていたその当人が死んだという知らせがあった。二日前、歩きながら彼どうしているかなぁと連れにつぶやいていたら、今朝本当にしばらくぶりでなぜかその彼から電話があった。今日、打ち合わせに向かう車中で、「あの先生がね・・・」と話していたらその先生から着信ベル・・・。

訃報以外なら、なんでもOKだけどね。

誰を思い出そうかなぁ・・・まんざらでもない誰かいるかなぁ・・・仕事につながる人がいいなぁ・・・えっ!? 明日から世間は3連休だって?ほんとかよ!

2016年7月13日水曜日

「初体験」

結構長い間書いていなかったな。先日武道館で開催された「アイラブミュージカルズ」に行ってきた。「スリー・ファントムズ、奇跡の共演!」と題されたこのコンサート、圧倒的な歌唱力の名優たちの歌を堪能した。唯一の日本人、新妻聖子ちゃんも頑張ってたね。

なんといっても己で傑作だった観劇シーンがある。10日に水道橋の「宝生能楽堂」で開催された能と狂言に出かけてきたのだが・・・

劇場は初めてだったし、趣のある造作の空間で、得した気分に浸っていた。舞台から近いし、12,000円もする席だから、しっかり楽しもうと・・・
開演時間がやってきた。花道奥からゆっくりゆっくり歩を進める登場人物。厳かな気分に浸りながら興味深々。が、5分もすると急激な睡魔が・・・笛と小鼓、太鼓 「ヨォーゥ」「オォーゥ」なる掛け声(とは言わないのだろうが)が、気持ちよく眠りに誘うのだ。

 「ヨォーゥ」「オォーゥ」の声が実にまったりと、そして規則正しく、五感をとろけさせる。あまりの静寂の中でいびきをかいたらまずいな・・・という焦りを抱えながらどんどん眠りに落ちる。時々目を開けると「演者」はほぼ動き無く同じ場所に立っているし、前の席のおじさん、おばさんも眠りに落ちている・・・少し安心してまた眠りに落ちる。時々目を開けると「演者」はほぼ同じ場所に立っている。物語が進行している感覚が無いものだから、3,40分過ぎたかな・・・とおもって時計に目をやると、時計が狂っている!と錯覚したほど時間が過ぎていたのだ。

一演目1時間45分、演者はほぼ同じ場所でゆったり・・・ゆったり・・・「ヨォーゥ」・・・「オォーゥ」・・・眠れないと悩んでいる人が居たら「能の世界」をぜひおすすめしたい。

次の狂言を観たかったのだが、全演目で4時間・・・一日が終わってしまうと想い、途中退散して会社に来たのだった・・・仕事が残っていなければ、4時間寝ててもよかったんだけどね!

それにしても1時間45分の演目の間、1時間10分は寝ていただろうな・・・なんて初体験!だった。

2016年6月28日火曜日

「免許の更新に行ってきた」

「赤い点を見てください!」
(赤い点に視線をやると眼力が弱く見えてしまうかも・・・)
(すこし優しい表情がいいよな・・・)
「はい!終わりました!」
(また失敗だよ・・・、撮る前に少し余裕をくれよ・・・)

免許の更新に行ってきた。違反をしているから、今回も2時間の講習を受けた。前回の写真は黒いシャツにネクタイだったから、歳をとった分少し派手目に・・・とか思って白いジャケットを着て派手目のメガネをかけた。見方によっちゃヤクザみたいな恰好をして意気込んで出かけたのに、写真撮影は瞬時に終わり、目論みは全く生かされなかった!超残念!(笑)


さて、6月もまもなく終わる。雨の時期が早く終わればいいなぁ。嫌いだよ、梅雨の時期。そんな季節のせいだろうか、我が家の敷地内に生息する「カエル」君と遭遇した。


 ← 玄関わきの植木鉢の中に
   棲んでいるらしい。
   以前はもっとデカく
   て、緑色のカエルが居
   たからそれの子供か?
   
  どうも散歩中だったら
  しい。彼は遭遇したと
  たん驚いて 跳び上がっ
  たのだがここ迄!→
                                                                                                   

閑話休題
講習で知ったこと。70歳から高齢者扱いなそうだ。次の更新は3年後(優良じゃないから)、まだ70歳前だ。70、この数字、好きじゃないな。なんか次元の違う数字のような気がする。このところ、結構年齢に触れたブログを書いてきたが、年齢を語るのはやめる。気持ち悪くなってきた(笑)。で、免許証の写真の出来具合はどうだった?「見たかぁねぇよ!」。         
   

2016年6月22日水曜日

「この10日間」

さて、この10日間ほど何があったか・・・岩谷時子賞の受賞式に参加した。会場が「帝国ホテル」だとばかり思い込んでいて、ホテルの駐車場に入ってから間違いに気が付いた。「パレスホテル」だった。近くだったから授賞式にはぎりぎりセーフ。俳優の渡辺謙さんが受賞され、スピーチもなかなかカッコよかったよ。レセプション会場ではすぐ近くに彼が居たから、同行したKちゃんはこっそり写真を撮っていたね(笑)

他には一年ぶりでキムヨンジャさんのPVを撮った。「哀愁の酒」という新曲のPVなのだが、演歌の世界を無視してドラマチックに創った。収録後、彼女の陰暦での誕生日ということで池袋で飲んだ。そして飲みすぎた。彼女も相当ご機嫌だったが、藤原は翌日しっかり二日酔い。珍しく半日は会社で死んでたね。作品は?もちろん気にいってるよ。

他には「三山ひろし」君と「森進一」さんのコンサートに行った。森さんは50周年記念コンサートだったから中身の視察ってなことかな。

他に内科に行き、皮膚科に行き、歯医者に行った(笑)。歯医者はまた褒められたね。「綺麗にしていますね・・・」1時間ほど綺麗に磨いてもらって「また半年後に来てくださいね」の言葉に満足したのだが、「ゆうべ結構ニンニク食ったよなぁ」と思いながら言葉にはしなかった。

そうそう、先日知人と喫茶店で待ち合わせをした。時間と場所を決めるときの会話が「ほら、前〇〇の時に会ったあの喫茶店で15時ね」「あぁわかった、15日、15時ね」。藤原は15時ぴったりに出向いた。先方は老人だが時間には正確。なのに来ない・・・来ない。携帯で連絡すれば!?慌てて会社を飛び出したものだから、携帯を忘れた・・・今どきの喫茶店は公衆電話など無い。

30分待って店を出た。とりあえず会社に電話しよう・・・だが今度は公衆電話がない。渋谷駅前まで戻り、何年かぶりの公衆電話で会社に電話をしたら彼は別の喫茶店で待っているんだと。お互いに思い込み!結局約束から45分後に会えたのだが、日ごろすべて携帯に頼りすぎだね。約束をするときは、きちんと店の名前を確認しましょう!なのだが、店の名前をすぐ忘れる(笑)「ほらほら、あそこの、あれ、そうそう、あそこ」・・・間違いは起きるわけだ。(反省)