2019年8月8日木曜日

「深夜という時間帯は 自己満足時間」

処置と措置、承継と継承、分かっていそうで間違えそうな言葉を改めて確認する。最近この作業が増えた気がする。慎重になったのか、知識がなかったのか・・・

20数年前、まだPCに否定的な時期があった。「知りたければ本屋へ行け!」とか「ゲームばかりしているおじさんのおもちゃだろ!」とか。だが、今はどうだ、PCがなければほとんど作業ができない。カメラがデジタルに変わる時もそうだった。「写真はフィルムだろ!」これも、デジタルカメラの力を認めることに時間はあまり要らなかった。

ことほと左様に時代は人の心の文化までもいともたやすく変化に導く。

変わらないもの、変わりたくないもの、変われないものもある。親子の愛情の距離とか、心をむしばむ過去の遺産とか、胃袋に巣くう毒薬にもなりうる「忘れられない言葉」とか。大なり小なり、そうして人は「悩みらしいもの」を抱えて生きていく。

子供自転車がなかった時代、子供は大人の自転車に「三角乗り」をした。スケート靴を買えなかった子は長靴に金具をつけた。米を生産していない子は地域の運動会でおにぎりをもらえなかった・・・。

それでも少年や少女たちは、「笑顔」の尊さを、または笑顔のぬくもりを身に着ける努力をしながら時代を生き抜いてきた。PCなんか、要らなかったのだ。まして、空飛ぶタクシーなんていらないのだ。とした時に…この先、どう生きていけばいいの?と笑顔で語る「昭和人」に必要な「実のある文化」を教える?または探せ!というのか、難しいね。

職業が坊さんとか牧師さんでもよかったな、と思うことがある。どちらにしても、かなり生臭かっただろうが。(笑)(8日・深夜)

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