2019年4月1日月曜日

「新元号への想い」


平成の元号が発表されたその日、発表の瞬間を小さいテレビで見ていた。娘が生まれた翌年のことなのだが、発表の時間帯に自宅にいたということと、本当に小さなテレビだったことをなぜか鮮明に覚えている。

大変な時代と重なる・・・(苦笑)。二人目が生まれたが、職業はいい加減、悩みぬいていたころだと思う。夜はピアノの弾き語り、土日は結婚式の司会、昼はカラオケの先生、レコーディングの指揮者、あと何をやっていたかな・・・

あの頃、カラオケ教室のギャラをバイクの男にひったくられ、ほとほと運気に愛想が尽きて、音楽を辞めて、小さなカレー屋でもやろうかな、と本気で考えたりした。店名は「森の小人」にしようか・・・などと本気で考えたものだ。

平成の元号の発表時の光景が、良くも悪くも鮮烈なものなので、今日の発表の瞬間を心待ちにした。30年の歩みが走馬灯のように・・・そんな1日になった。人の生きざまは、いくら考えても読み切れるものではない、そんな思いが重なる。

平成2年の暮れで音楽活動をすべてやめた。平成3年の正月から展望のない日々を迎える。個人の力は弱い、会社組織の中に居なければ力を発揮できない、そんなことを思ったと思う。平成という時代が藤原を育ててくれたのだ、とも思う。

音楽を辞めると決めた平成2年の暮れ、銀座のある店で「藤原君の第1回目コンサート」というイベントをやった。やめると決めているのだから「第2回目」があるはずもない。昼夜2回やって、80万ぐらい利益を出した。貯金が無かったから、取り敢えずの生活費が必要だったのだ(笑)あの日の皆様、今更ごめんなさい。

時代を振り返り 明日を見るにはいいタイミングだ。が、昭和がますます遠くなる。