2019年12月5日木曜日

「地図に刻みたい道」

60兆もの細胞からなる人間の身体、頭がいい悪い、背が高い低い、ブスか美形か、優しいか意地悪か、足が臭いか臭くないか、ほんの数個の遺伝子の違いなのかもしれない。

そう考えたら、出来不出来は大したことではない。誰に出会ったか、どんな刺激を受けたか、自然と共生できたか、両親を愛することが出来たか、もしかは愛しているか。生命の不思議と、自身の生きざまを振り返る時、微笑んでいる自分でいられるか。

「幸せの遺伝子」という本に触れて、また少しばかり刺激を受けた自分。

去年は、自宅のシンボルツリーのオリーブの木を、かなり派手なイルミネーションで飾った。今年は木を止めて、2回のテラスに設置。1日では完了せず2日ほど時間を要した。
なぜオリーブの木を止めたか?取り外すときに小枝に電飾などが絡まって、イライラして切り取ったのだが、ついでに枝を全部切り取って、いわゆる裸にしてしまった。葉っぱ一枚もない骸骨のようなオリーブの木。かみさんは,このオヤジ、気が狂ったのか?と哀れなオリーブの木を見てかなり悲しんだ。

そのオリーブの木がかなり立派に復活している。ありもしなかったところから新芽がでて、愛おしいほどだ。だから今年は電飾を巻き付けることを止めた。

樹木に、生命の神秘のようなものを感じることが出来たのだ。切り花などでは味わうことのできない美しさがそこにある。人間同士の営みも、そんな思いで接することが出来たなら、平和は難しいことではないかもしれないが、難しいよな。多少の遺伝子の違いをもって我々は誕生しているから。

もうすぐ孫の誕生日だ。自分の部屋に3枚ほど絵を飾ってあるが、額の隙間に孫の写真をたくさん挟んであるから、素敵なカフェの画は、まるで「白い肌が虫刺さされ状態」のような有様だ。こんなカードも挟んであった。「パパ、今頃パパは泣きはらした後でしょうか…今日という日を迎えられて本当にうれしいです。26年間パパでいてくれてありがとう。これからもよろしくね、あすみ。」娘の結婚式の日にもらったカードだ、これも絵に挟んである。

息子からも、過去たくさんメッセージをもらっているが、さすが張り付けたりはできない。それにしても、いい人生を歩ませていただいたと、「何か」に感謝するべき時が来た、そんな気がしてならない。次なる歩みを進めるためにも。


0 件のコメント: