2016年12月25日日曜日

「今日はクリスマス」

昨日のイヴの渋谷公園通りの人込みは本当にすごかった。明治神宮の初詣の列のごとく、信号もなかなか渡れない。青のイルミネーションは会社の帰りなどに毎日観ているから、綺麗だなとは思っていたのだが、そんなに評判になっていたなんて。今夜もきっと込むんだろうな。

「青の洞窟」と呼ばれていることを今日知った。人工雪も降らせるんだそうだ。場所が近すぎることと、一緒に見物する相手の居ないことが問題なんだな(苦笑)。何よりも、人込みが苦手だからだけど。

夕べ何年振りかで精神安定剤を服用した。ここ数年服用していない睡眠導入剤を探していたのだが「飲まない」と決めたときすべて処分してしまったらしい。薬用の引き出しに昔飲んでいた安定剤を見つけたものだからこれでもいいや、てな感じで飲んだのだが、薬にも服用期限がある。何年前に処方された薬?と疑問を持った時はすでに薬は胃袋の中!ま、生きてるし(笑)

そして今日はクリスマス。昨日のイヴも身の回りは静かなものだった。娘が出産したばかりだから、それどころではない感じなのだが、クリスマスプレゼント、クリスマスケーキ、クリスマスツリー、玄関前のクリスマスイルミネーション、すべて過去のイベントになった感じかな。

子供たちが子供だった頃は、結構派手に玄関回りに電飾を飾り、近所からも毎年楽しみにされていたのだが、一度やめると復活にかなりの労力をイメージしてしまう。今年は心理的余裕がなかったせいもあるが、来年は復活させようかな・・・自分のためにもね。

先日何かの雑誌に、歳をとったと感じる行動に「マメに洗車をしなくなる」というものがあった。事実だ。あれだけマメに洗車していたのに、いつも先延ばし。今日もスタンドに寄ろうと思っていたのに、明日でいいか・・・この繰り返し。午後、雨が降ることがわかっていても洗車に行っていた人だったのにねぇ。

さて、今日は会社に来たくなかったのだが、スタッフが働いていると思うとついつい来てしまった。社員にとってそれがいいのかどうかわからないが、当たり前のように出社してしまう・・・

さっきデパートの外商さんから電話。「年末に切れてしまうポイントがあります」。買い物・・・面倒なんだよなぁ今の俺。小さな神様、笑顔をください!

2016年12月23日金曜日

「もういくつ寝るとお正月」

どこから手を付けていいんだか、こんがらかる心。久々困難が直球でやってきた~てな感じかね。会社は来年25年目を迎える。よくやってきたな、という思いと、まだやるのかな、という思いが行ったり来たり。

今日久々に会社のベランダの花を植え替えた。一部枯れていたのは認識していたのだが気持ちが花に向かわない・・・久々だねこの感覚。思いっきり無駄銭を使いたい気分なのだが、物欲は無いし、性欲もない(笑)。

そう言えば、ふた月ほど前、仲のいい民放の若いプロデューサーと飲んだ時、こんな事を言っていた。僕は物欲もなければ性欲もない、食欲もない(本当に食わないのだ、キウリとセロリだけのような)、酒さえ飲んでればいいんです・・・人生を捨てているようなことを言いながら藤原としこたま飲んだのだが、今、無菌室に入院している。面会謝絶。藤原がいいやつだな、好きだな、と思う人はどこか変わっている。彼には早く回復してほしい。本当にそう願っている。

でこぼこの道を歩んできた。ほんとうにでこぼこだったなぁ。崖っぷちに強いと言われてきた。確かにそうだったと思う。ちょっと過去形かね。社会人50年生としては、51年かな、乗り越えるとか、耐えるとか、戦うとか、踏みとどまるとか、限りない経験を積んできたはずなのだが、いとも簡単に折れてしまうこともある。人間臭くていいけどね。

今日のブログ、時間がかかっている。(苦笑)いつもはサラサラと書くのにね。えーと、お年賀の発注は済んだ、年賀状は手付かず・・・机の上は紙が散乱・・・やるべきことが沢山あるんだが、今日はやらない!もういくつ寝るとお正月・・・

2016年12月20日火曜日

「笑顔の裏側」

日曜日はは忘年会だったが3,40分で抜けて編集室へ。だが結構早く帰って12時ごろには自宅にいた?かも。記憶にない(苦笑)それにしても我が社員もよく働く。結構過密スケジュールをこなしている。せめて風邪の予防にと、加湿器を一個買い足した。だが、水を入れようとする社員は居らず、結果藤原の仕事となる・・・俺は母親かぁ~!

今日は月曜だったらしいが曜日の感覚がないため、こんがらかる。給与の振り込みはした・・・海外送金もした・・・一日中パソコンと向き合って番組構成の準備もした・・・あと何をした?

気が付けば夜10時、ということになる。これでいいのか!?

家に帰ってテレビのニュースを見ていたら、小池都知事と築地市場の関係者のヒアリングというシーンを目にした。市場関係者が切実な訴えをしていたが、小池都知事は笑みを浮かべて返答していた。市場関係者はきっと命懸けだ。こんなやり取りを夢想した。

市場関係者「私たちは命懸けです。机上で論じているあなた方に、命懸けの方はいらっしゃるんですか?」
都知事「わたくしたちも皆様のご苦労を想うと尚いっそう頑張らなければならないと思います」
市場関係者「思うだけならだれでもできる。今流れている血が見えないのですか?」
都知事 にっこり笑いながら「その痛みに関しましては私どもも共有しているつもりです」
市場関係者「ならば、死にざまも共有できるんですか!知事殿!」

どうでもいい話だが、小池知事のにっこり返答が気になっただけ。
宝くじをカミさんと娘に手分けして買ってもらった。もちろんお金を渡してね。今年の自分は当たりそうもないから(笑)年末には10億円か?ははは、10日間は夢を見られる。はい!おしまい!

2016年12月18日日曜日

「ガラガラポンでいい感じ」

来年の話をしても、もう鬼は笑わない。そんな師走の風が吹いている。人々はみな異口同音に、あっという間だねぇ、早いねぇ、と口にする。そう、あっという間だ。

今年を振り返る・・・しんどい年だった。10年に一度、もしくは12年に一度、そんなレベルでしんどかった。このところ思う・・・10年前だったらもっと馬力があったよな、とか闘争精神が豊かだったよなとか・・・やはり歳を重ねたせいだろう。仕事はそれなりにこなしたが、精神を直撃する嵐に遭遇する。そんな一年だった。

ところで今日、以前お世話になったお坊さんの家を訪ねてきた。昔は何度も手を合わせた観音様の前に座り今年のお礼をつぶやいたのだが、来年は坊様が亡くなって17年目になるという。それこそ早い。まだお元気な奥様が、藤原さんにはお世話になったと繰り返す。そんなことないのに・・・藤原にとって手を合わせるものは神社でもお地蔵さんでもなんでもいいのだが、このお坊さんだけは別格だった。もう17年か・・・本当かな、とも思う。

さて、9時を過ぎスタッフが手伝っている生放送がいま終わった。これから番組の忘年会。生放送の番組を観ながら来年の番組の構成を今終えた・・・これで決着すれば良いのだが。胃薬飲みながら頑張るかね(苦笑)

しんどい話ばかりもしていられないね。赤ちゃんの名前が決まった。倫太朗君!愚痴っている大人もいれば、未来だけが開ける倫君もいる。ガラガラポンして、良しとするか!

2016年12月11日日曜日

「疲れを忘れるいい話」

20秒ほどの磐梯山の映像がほしくて、昨日三脚とカメラを担いで一人福島県の猪苗代町まで行ってきた。雪が舞い、驚くほど寒かった。空一面を雲が覆い、風は強く雪は降るし、一日を棒に振ったかなと諦めて道の駅に入った。レストランは混雑していたから、順番待ちリストに名前を書き込んでメニューを見ながら待っていると、どうやら晴れて来た気配!慌てて名前を消してカメラと三脚の準備を始めた。さっきの風と雪が急に止んで青空が見えた。「なんだ、今日のこの天気は!」周囲の人々も驚いている。

青空のあるうちに・・・慌てているものだから準備がうまく進まない。手はかじかんで指がうまく反応しないし。でも、寒さの中で2時間ほど粘ったかな。いつもなら性格上、もう少しポイントを変えていろんな画を撮ろうとするのだが、4時までに郡山に戻りたかった。早々に納得して4時30分の新幹線に間に合った。6時30分には新宿に居たかったのだ。

なぜ6時30分に新宿?8日に娘が出産したからだ。生んだ日は病院に顔を出せたのだが、その後行けてなかった。面会時間は夜8時までだと思っていたのだが、娘から7時までだとメールが・・・結局新宿駅の近くにある病院には三脚とカメラを担いで6時30分前につく事が出来た。疲れた・・・

出産は12月の28日が予定日ということになっていたから、余裕をこいていたのだが3週間も早い。赤ん坊はそれなりに体重もあったし、特に早産ということでもないらしい。計算間違いか?ま、母子とも元気だから神様に感謝、そんな気分かな。

今日は午前中のナレーションの収録に始まった日曜日だったが、さすがに7時で退社した。身体中疲労という感じ(苦笑)早くベットに入ればいいのにこれを書いている。さすがの貧乏性!

いい話もある。出産した日の夜、娘から母親にメールが来たそうだ。「ママ、私を生んでくれてありがとう」。 ・・・今朝だったか夕べだったかその話を聞いた。その瞬間、疲れを忘れた。

2016年12月1日木曜日

「笑顔願望」

444と書いて何と読む?フォフォフォ  簡単に発音すればホホホかな。なかなか読めないけど言われればなるほどね。最近気にいっているランチの店だ。Angel Number 444。

中学の同窓生が亡くなったとさっきメールが来た。続いたメールも訃報だった。届くはがきの多くは「喪中につき新年の・・・」という種類のはがきだ。先日もお別れの会に出席してきたが、周りでは人の命の入れ替わりが盛んにおこなわれている。つい、人生の残り時間をカウントしてしまうよね。

そんなこんなで11月はかなりハードだったかなぁ。せっかく始めたボート漕ぎの運動も、一度理由をつけて休んだら、どうも毎日理由がついて長期おやすみ・・・残念!続ける気はあるんだが、今日はくたびれ過ぎとか、朝はやめて夜にしようとか、今日は休むけど明日にしよう・・・とか、結構毎日言い訳の理由は見つかるものだ(笑)

先日PV2本の監督をしたが、結構PVの仕事は楽しいんだよね。若いスタッフのために開発した仕事なのになぜか藤原がやることに・・・社内的雰囲気も、社長がやるんでしょ的な雰囲気で誰も仕事に手を挙げない。これでいいんでしょうか。世間とのお付き合いの仕事も、それ社長でしょ、的な雰囲気が・・・俺もさ、番組もやれば監督もやれば構成演出もするでしょ、会社の雑務もこなしてんだからさぁ、少しは気の毒がれよ!こら社員!(苦笑)

来年1月に船村徹文化勲章受章記念パーティーがあるのだが、これの制作演出系を引き受けることになった。こんなお付き合い系の仕事は、社員は見て見ぬふりだな。「大変ですね・・・」ぐらいは言ってくれるけど。

今日は何?愚痴大会?いやいや、くたびれてんだよさすがに。愚痴って解決することは何もないけどね。そんな時、笑顔に出会うのがうれしいね。笑顔は、百薬の長だよまさに。そういえば東京に出てきた16歳のころ、「笑顔を笑顔で迎えられるそんな幸せを」と何かに書いた記憶がある。笑顔願望があったのかね、俺。

2016年11月15日火曜日

「風に吹かれて漂いたい」

先日、取材のため徳島県の鳴門市まで行ってきた。行ったついでに足を延ばしたのが「大塚国際美術館」。ここは陶板(いわゆるタイル)に名画を複写した作品を展示している美術館だ。入場料はなんと3,000以上した。ここでたまたま説明をしているおじさんの前で足を止めいろいろ質問しのだが、国会議事堂の屋根の一部もここの画を創っている会社の製品なそうだ。ついでに聞いてみた。墓石に自分の写真を入れることはできないの?なんてね。

面白いことを言っていたな。「普通の美術館は贋作を展示しないためのエネルギーを使うのに、ここの画はすべて偽物です」だって。そりゃそうだ。タイルに張り付けた複写だものね。工程なども詳しく教えてくれた。話を一通り聞いたら、画に対する興味はなくなったから、そこそこで引きあげたけどね。でも、それなりに勉強になった。

この取材旅があったせいかはともかく、仕事が片付かない。明日から長野の岡谷市に番組の収録で出向き17日の夜中に戻るのだが、18日は朝から来客で夕方から以前出向いた某大学でもう一度講義をするのだそうだ。だが、18日中に片付けなければならないことは他にもある。24日と28日のPVロケの準備は何もできていない・・・出演者サイドからはどんどん問い合わせがくる・・・12月5日の特番の構成が迫っている・・・間に合っていない!

と、まぁ忙しぶっぶっているだけなのだがね(笑)

昨日は作詞家の星野哲郎先生の7回忌だった。会場に流す映像のお手伝いをさせていただいた。嬉しかったのは、北島さんが出席したこと。完全回復とはいかないまでも、一人で歩き、力強い挨拶も聞けた。彼に「よかった」と言ったら「自分の足で立っているよ!」と笑顔。…あぁ良かった。

そして今日は作曲家の船村徹先生の文化勲章受章を祝う会の打ち合わせがあった。これもお手伝いすることに。人間関係による忙しさが多くて、会社の売り上げにはなかなか貢献できていないんだけどね。

でもこのところ、一寸隙間がなさすぎるかなぁ。隙間風が吹くよりは、いいけど。

2016年11月5日土曜日

「親の感性」

年末に第一子が生まれる予定の娘が、夫婦でまもなく実家に引っ越してくる。初期の子育ての時期を実家で過ごすのだそうだ。「あの娘がお産だなんてね・・・」そんな夫婦の会話で今日の朝が始まった。

初めてアメリカに留学させた時の事。彼女は19歳だったが、成田まで見送りに行き、父も母も当然のように泣いた。で、そのあとの虚無感を埋めることができないことを見越して、我々はそのまま観光の名目で韓国に向かった。娘の居ない家に帰るのが怖かったのだ。長男は娘の付き添いで一緒に行かせたから、家には誰もいない。

韓国のホテルに着き、それぞれが娘から渡されたい手紙を開け、嗚咽!恥ずかしいほどに・・・親子とはそうしたものなのか・・・まもなく孫を産もうとしている娘に思いを寄せたとき、そのさまざまが思い出されるのだ。

反比例するように思い出してしまうことがある。「あの時俺の母親は集団就職列車を見送りながら泣いただろうか・・・」「そんな訳ないよな、一人子供の口減らしができてほっとしていたはずだよな・・・」。そして決まって登場するシーンが。腎臓炎で入院した小学2年生の時の事。腎臓炎だから、味のついたものは一切食べられない典男少年。見舞いに来た母が、部屋にあった七輪で餅を焼いてうまそうに食った・・・

食い物の恨みは一生忘れない!(笑)

親に甘やかされた記憶を持たないものだから、息子も娘も結構甘やかして育てたと思う。「甘やかし過ぎですよ」という人もいるがその人に迷惑をかけているわけではない。娘を、息子を信じることで、迷いは消える。

人は育った環境で根性が決まる。両親の感性は子を育てることもあれば、将来的な苦痛を背負わせることもある。苦痛を背負わせるタイプの親は得てしてこう言う「あんなにあなたのことを思って大切に育てたのに!」

わが娘はどんな風に子供を育てるのかな。あの娘がねぇ・・・・・・ ニマニマしながら我儘娘の子育てを楽しむこととしよう。来年からね。

2016年10月31日月曜日

「健康寿命の呪縛」

やや「認知症」が入ったであろう80歳になる義父が数日間家に来ていた。食事の時間には起きて来るが他の時間はほぼ寝ている。食欲はあるのだが、無表情で食べ続け、食い終わるとスーっと夢遊病者のように立ち上がり、寝室に消えていく。

「健康寿命」の基準とはなんだ?肉体を言うのか、精神を言うのか?

2日ほど夕食を共にしたが、「男の一生とは?」のような思いが箸の先にまとわりつき、やや空気の重い食卓だった。明るく軽いノリの義父だったのだが・・・

俺は元気なうちに!あれもこれも!なんてことは思わないが、さまざまな現実に触れるたびに妙な気分になる。ま、いいか。ボート漕ぎも始めたし(笑)

今日、病院に行ったら前回検査したテストステロンの数値が出ていた。男性ホルモンのことだが、これが低くなると鬱のような気分に陥るから時々検査する。かなり低めだが範囲内。まだ馴染んでいない医者なので、いつも打っているのだが「プラセンタ打って」と言ったら、「いいんですか、女性ホルモンですよ、駄目になりますよ」といって医者は自分の股間部分でこぶしを下に振った!(笑)
「え?聞いたことないよ、肝臓にいいんだから」医者「肝臓にはいいんですが胎盤ですから・・・ね」とどうでもいい会話が続く。でも、この会話でこの先生とは少し馴染んだね。

ずっと主治医だった「田中ちゃん」が高尾の病院に行っちゃったから、近くにもわがままを言える医者が必要だ。「その薬いらない!あの薬が欲しい!あの注射打って!、薬は4週間分ね」とかいろいろ。そうだ、インフルエンザの予防注射を忘れてしまったよ。

そんなこんなで、人々は健康に留意する。今日の病院も年寄りで大繁盛していた。「ああ、年寄りばかりだ!」と勝手に思っていたのだが、病院側からしたら俺もきっと年寄りと一緒だよね。やれやれ、病院の待合室は気分を重くする要素を持っている。あ~ぁ。

2016年10月26日水曜日

「今日という日」

心が折れそうな気分になったのは10年ぶりくらい・・・もう2週間ほど前のことになるが、久々へこんだ。崖っぷちに強いと言われてきた藤原だが、どこかに「弱気」が・・・

ちょっと心がしんどくて、深酒をしたのだが、そのあと3日間ほど禁酒。酒を飲まないと時間ができる。以前成田空港で買って結局ページを開いていなかった村上春樹本を読んだ。禁酒一日目は数ページでダウン。二日目は1時間程度読んだらやめようと思って11時ころベットに入ったのだが、目がしょぼしょぼするまで読んだ。時計を見たらなんと午前3時。

そこまでタイトルも見ていなかった。だが読み進めるとなぜかはまっちゃううんだな、これが。彼のどの作品にも通じるのだが、時々出て来る性描写などもかなりリアリティーを持っている。さりげなく、だけど生々しく。「ノルウェイの森」しかり、「1Q84」しかり。奇想天外ふうな設定や描写も、ああ、こう来るな、と解るようになってきた。しかし、小説家は天才だと思う。次から次へとよくも考え付くよ。そして驚くほどの取材力。感心しながらまだ読み切れず、本はベットの脇に。夕べは数ページで、寝ちゃった・・・

心のバランスを維持するのは難しい。このところ家の床の間に置いてある「お守り」を身に着けている。らしくない、と思う人が居るかもしれないが、これが俺らしいのだ。会社を始めて、この状況は3回目かな。攻めの少ない藤原に、進軍ラッパを吹け!と誰か言ってくれ!(笑)

今日はスタッフがほとんど外出していたから、一人机に座っている時間が長かった。電話を留守電にして、宅急便だけ対応した。「飲みに来てほしい」となじみの小料理屋さんからメールがきた。う~ん、出かける気力がわかない。「いくいく、近いうちに、ごめんね」てな風に返信。

今夜、読み切れるかな、村上本。タイトル忘れた。なんか長いタイトルだったような。

2016年10月19日水曜日

「鍛える」

3年ぶりぐらいになるだろうか、久々ゴルフコースを回った。それも「薄暮」というやつで、15時ごろスタートで9ホールのみ。9ホールを終えるころには陽が陰り、そこからは打ったボールが見えない、という状況になる。ぎりぎり間に合ったけど。相手は御年75歳になる「じいさん」(笑)。

さて、カートに乗ってから何かが足りないと気付く。「スコアカード忘れた!」「いいよいいよ何個打ってもいいんだから」こんな会話をしながらいい加減なゴルフを始めた。結構ボールは飛んだよ、真っすぐに。もちろん林に直行したボールも、いくつかはあったけど。

彼、「愛ちゃんもう一個打ったら」僕「いやだ、せっかく真っすぐ飛んだからこれでいい」などと、たわいもない会話をしながら2時間ほど、つかの間現実を忘れて楽しむことができた日曜日だった。

そうそう、彼は今でも「愛ちゃん」と呼ぶ。40年ほどの付き合いだもんね。彼は禿げたし、俺もくたびれてきた・・・でも、それなりに楽しかった。朝から出かけてフルで回ろうとは思わないけどね。

最近、6年ほど使っていなかった「ボート漕ぎ」のマシンを使い始めた。寝室に置いたまま、6年以上は洋服の下に埋もれたりしていたのだが、急に思いついて漕ぎ始めた。体に緊張感を持たせないと、ズルズルとくたびれていきそうな気がしたからだ。

これは6年ほど前、還暦を祝った中学の同窓会に参加する時に買ったものだ。筋肉をたくましく鍛えてカッコよく同窓会に出席しようとの魂胆で買い求めたものだ(笑)。だから同窓会のあとは無用の長物だったわけ!

身体は鍛えれば結果がでる。メンタルな部分は、鍛えるなんてできるんだろうか・・・などと、今更ながら思ったりもする。                  

2016年10月7日金曜日

「55年という歳月」

5日に北島三郎さんの55周年を祝うパーティーがあった。50周年のときは東日本大震災があったので開催されず、周年を祝う会は10年ぶりなはずだ。手術のあとなので、歩行はなかなか辛そうだったが、そこは気丈な人だ。終始にこやかに対応していた。

たぶん、人が思っいてるい以上に自分にとっての歳月は北島さんに重なる。パーティーの会場に向かいながら考えた。彼が歌手をやめたら、自分の一つの時代も終わる・・・こういう気持を、文字に起こしたらなんと書くことになるのだろう・・・表現に困るのだ。

16歳の時の出会いから、66歳になった今も付かず離れずなんとなく近くにいる。どこか弱った北島三郎を目にすると、なんとも言い難い想いが自分を襲う。パーティーで使用された写真の中に「角度を変えて撮ってくれたらあそこに俺が居るのになぁ」という写真があった。「昭和43年、新宿コマ初座長公演」とテロップが打たれていた。あそこに、俺が居たんだよなぁ・・・

パ―ティーで顔を合わせた大勢の歌手の皆さんと、昨日の「日本のうた」の収録でも顔を合わせることになった。小林旭、大月みやこ、美川憲一、山本譲二、瀬川瑛子、「昨日はどうも、12時間ぶりですね・・・」のように。結構狭い世界で生きているんだよなぁ、などと思ったりもして。

今日、一人昼飯の帰り、気付いたことがある。歩くスピードがやたらとゆっくりだ。10年前はかなりせっかちな早歩きだった気がする。歩幅も小さくなった(気がする)。頭だけはめまぐるしくいろんなことを考えている(ような気がする)。

やや歩行に困難を伴う「55周年の北島三郎」の姿に接したことで、自分の生きるスピードを現実として捉えることになった。いや、捉えざるを得ないのだ。さまざまな目標値をどこに設定するか、とかね。

パーティーの途中、安倍晋三内閣総理大臣が祝辞のために駆け付けた。この国会の忙しい時に・・・北島三郎という小さな巨人に、改めて尊敬の念を抱いた瞬間でもあった。

2016年9月28日水曜日

「充実」

携帯に電話してもなかなか出ない。2、3度続く。周りに聞いてみたら、具合が悪くて出社していません・・・とか。古い友人だから気がかりだ。そして昨日は別人の訃報が。50年来の知人は入院、手術・・・。お互い歳を重ねてきたんだな、とつくづく思う。

だが、さっきベンツの新しいオープンカーの記事を見たら、一生に一度オープンカーも悪くはないかな、と思ったりして。これは元気な証拠なのか、負け惜しみなのか、はたまたやけくそなのか。

身の回りの重い空気をかき消したいだけなのかもしれない。颯爽と駆け抜けて。

さて、今年も「日本賞」の準備が始まった。皇太子さまをお迎えする恒例のイベントなのだが、え!あれからもう一年たったの!?充実していないと、時間の流れが速く感じるそうだ。机の前に居る時間が多すぎることが自分にイラつく原因でもあるんだよなぁ・・・充実かぁ・・・

夕べ長い夢をみた。どうもステージで歌を歌う夢だったような・・・そして不動産屋と家を売るような話をしていた。金額がちいさくてみみっちい話だったような(笑)一瞬目が覚めて「あぁ夢でよかった」と言ったような、思ったような・・・

そんなこんなでまもなく9月も終わる。先日近所の花屋のおばさんから「お孫さんは生まれたんですか~」と声をかけられた。「まだだよ、今はお楽しみ期間中!」と答えた。そうだそうだ、プライベートの充実がもうすぐやってくるんだっけ。オープンカー、いいかもなぁ・・・

2016年9月20日火曜日

「父親」

台風の影響にしても、激しい雨だ。こんな天気が何日か続いて、一気に秋が来るのだろうか。この夏、日焼けを楽しむ余裕もなかったな。

おなかの大きな娘が隣に座っていた。父は「こんなに大きくなったおなか・・・」と言いながらおなかをさすろうとして、あろうことか「おっぱいを!」・・・娘は以外にも平然と笑っていたが父は慌てて、そして大いに照れた。わざとではない!本当に偶然のなせる業だったのだ。

これが娘ではなく、嫁だったら「このクソジジイ!」だよね、と娘の旦那と笑った。いや、笑ってごまかした。ははは、本当にバツが悪かったよ。

娘の歩く後ろ姿を見て、幾度となく「平和」を感じた。いや平和ではなく「幸せ」だな。「こんな気分が幸せってことかな・・・」のようにね。そして昔を思い出す。最初の沐浴は、この父がしてあげたんだぞ~なんてね。

さてさて、そんなこんなで3連休が終わった。3連休したのは正月以来だ。なかなかハッピーだったね。そしてイギリスに居る息子からは行くべき大学院が決まったと連絡が来た。この父の出番はまだまだ続きそうだ。「これはきっと良いことだ、これはきっと良いことだ」と自分に言い聞かせる。

「いつまで働けばいいんだ!」とは決して思わないことにする(笑)。

2016年9月16日金曜日

「三山ひろしコンサート」

一生懸命とか必死とか前向きとか、それらを感じる人と仕事をするのは楽しい。一昨日の三山ひろしNHKホールコンサート、楽しんで演出ができた。ゲストの純烈の6人組、彼らにも同じことを感じる。それぞれが忙しいから合同のリハーサルは殆ど出来ず、バラバラのリハーサルを重ねて本番に臨むことになったのだが、奇跡的に合体(笑)。

オープニングは演奏中のバンドが一斉に手を挙げて彼を迎えるシーンだった。三山君には、迎えてくれるバンドに会釈は必要がないから、まっすぐにお客様だけを見て登場して!と念を押してあったのだが、本番でバンドと目が合ってしまったものだから、バンドへの会釈で登場。こら!ってもんだがこれが彼の人柄だね。

あれが、まっすぐお客様だけを見て登場できるようになったら、一段上がることになるのかな。

結構、手間暇かけて作り上げたステージだと思うが、お客様が喜んでいる様子伝わってきて、それなりに暖かくてよかったかな。

それにしても、夜が早くなったよね。夏が好きだというのは、日差しが好きだということと、夜が早く来ないということなのだ。バンドマンだったころ、ピアノの弾き語りだったころ、仕事に出る時間が暗い、と言うのが嫌だった・・・夜になってしまえば自分の世界だったけどね(笑)

さて、次は何に一生懸命になるとするか。いくつになっても、熱中できる仕事があるのがいいよね。番組は殆どスタッフに任せるようになったし、貧乏性藤原君は次の何かを探す。敬老の日を「祝ってもらう日」が来ないことを願って、コツコツとやるだな。

2016年9月13日火曜日

「根暗」

気分がすぐれない、と言うのはどういうことを言うのだ?体調が悪い感じ・・・やる気が起きないってな感じ・・・不愉快な感じ・・・?う~ん、なんだか気分がすぐれないのだ。

あかるく振る舞ってはいるのだがなんか気分が停滞・・・いちいち深めにものを考えてしまうし、サバサバ感を演じてはいるのだがサバサバなんかしていない。

そんなこんなに効きそうだというサプリメントをけっこうたくさん飲んでいるのだが、なぜか「こんな気分嫌だ!」ってな感じ。手が焼ける。男の更年期障害で片付けてしまえば楽なのだが。

何週間か前に雨漏りがして、天井が汚れたままだ。早く修理してもらいたいのだがまだ手つかずだ。こんなことにもイライラ腹が立つ。さっさと片づけないことに腹が立つのだ。借りたものをすぐ返さないとか、やるべきことをすぐやらないとか、せっかちを自任する藤原にとってストレスの原因はそこいらに散らばっている。

てなことを書いて、ストレス発散!

週末に、おなかの大きい娘夫婦と小旅行をする予定だ。(お!少し明るい気分になってきたぞ!)久々の温泉旅行だ。娘夫婦との旅は一年ほど前の沖縄以来だ。あの時はまだ結婚式前で、今回はすでにご懐妊でおなかも目立つ。まるで、深呼吸している間に地球が何百回転もしてしまったような感じかな。(ここでまた肩こりを感じてしまう・・・)

今日のお天気が良くないな。どんより空が重くて、夢の匂わない風が吹いて、中途半端な雨が止まない・・・(なんでこんなに根暗な俺?)

さて、気分を変えるか。明日はハッピーになりますように!

2016年9月3日土曜日


「進歩」

会社のベランダの日日草が元気だ。切っても切ってもどんどん伸びて来る。これは3段になっている最上段の日日草のはなし。二段目にも同じ日、同じ日日草を植えたのだが、これは貧弱無残。特に日差しの加減に差があるとは思えないのだが、発育も成長も全く違う。水やりも、まったく同じなのに・・・

土壌のせいかもしれないが、やっぱり何かが違うんだな。育つ花と育たない花、同じなのに・・・同じ様なことが社会の中にも言えるな。同じように接したつもりなのに・・・とか、同じ愛情を注いだはずなのに・・・とかね。期待通りにならない場合、「同じ」と言うことを免罪符にするような・・・あるよね。

妊娠中の娘から昨日「男の子だった」とメールが来た。確からしい。この娘には、生まれる直前まで「男の子」と思わされていたけど(笑)、確認の精度が上がっているんだね。来年には「のりピー」の出番がやってくるわけだ。「おじいちゃん」でもなく「じぃじぃ」でもなく「じじぃ」でもなく、「のりピー」です私は! 「典男」にはじまり「典ちゃん」・・・「のんちゃん」・・・「ボンタ」・・・「愛ちゃん」・・・「先生」・・・「パパ」・・・「社長」・・・「のりピー」と呼ばれ方が変わっていくんだ人生は(笑)

あ、そうそう「クソ社長!」てのも一回あったっけ。

そんなこんなで早9月。社長と呼ばれ始めて、25年ほどになるのかな・・・そうそう、会社を作ったばかりの頃は、社長と呼ぶことは厳禁だった。「藤原さん」と呼べ!なんて言ってたね。あの頃のリクルートの江副さんを真似たと思う。でも一年もしないうちに、あまりけじめがなさ過ぎて、今度は藤原と呼ぶな「社長」と呼べ!なんてね。歴史だ。

本当にたくさんの人と出会ってきた。これも歴史だ。これからどれだけの人たちと、どれだけ有意義な出会いができるのだろうか。電話に出ることすら嫌な時期があったけど、昨今は少し違うかも。進歩かな。

     

2016年8月26日金曜日

「俺の旅」

昨日、北海道の帯広まで日帰りで出かけてきた。以前には沖縄を日帰りしたことがあるから、大したことではないのだが。北海道まで行って、昼はコンビニのとんかつ弁当、帰りは空港で「イカ刺し定食」850円・・・

結構、全国をまわってはいるのだが、こんな調子だからどこに行ってもその街の記憶が残らない。帯広も何度も行っているのだが、いつ、何のために帯広のどこに行ったのか記憶にない。もっと困ることがある。例えば家族と旅行したとき、誰と何のために来たのか思い出せないことがあるから、うかつにこの街に来たことがあると言えない!(笑)

突然海外旅行をするが、ほとんど無計画だから、同じ国に何度行っても言語はほとんど話せない。通じようが通じまいが片言英語と思いっきり日本語で済ませてしまう。さすがに日帰りはないけど。韓国に一泊だけという旅はあったな。旅のツアーは嫌いだ。スケジュールをみるだけで嫌になる。到着翌日から「朝出発」「早朝出発」「午前出発」のオンパレードだ。

誰かの都合で、旅のスケジュールを管理されるのが嫌なのだ。以前社員旅行で韓国に行ったときはツアーだったが、連れまわされるのが嫌だったから翌日風邪をひいたと言って自分だけベットに残っていたら、韓国人の担当者が部屋に二人も来て、一緒に出掛けるよう説得された(笑)。社長がお財布係だということを前日の観光で知っていたから、連れて行きたいのは彼らの商売上の都合なのだ。おれは頭が痛いの!とか何とか言って無視していたら彼らはあきらめてくれたが。

先日久しぶりでソウルの友人から電話があった。「そろそろ来ませんか」。とてもいいやつで、空港に送り迎えをしてくれるし、食事の場所も連れて行ってくれる。だが彼、結構仕切るのだ。明日何時がいいですか?と聞いてはくれるのだが「10時に迎えに来ます」と決め、9時半ぐらいに「今ロビーにいます」となる。「お前が10時と言ったろ!」。

旅先では誰にも仕切られたくない。自分の時間で、自分の気の向いたほうへ向かい、気の向いたものを食って飲んで、好き勝手をするのがいいのだ。それが旅のだいご味!藤原にはね。

2016年8月23日火曜日

「どこにそんな才能が?」

昨日は、演出を担当している「三山ひろし」君のコンサートのリハーサルだった。そのリハーサル会場でおよそ50年ぶりに出会った人が居る。三山君の事務所の社長「松前ひろ子」さんだ。彼女は今とは違った芸名で、その時代「北島三郎」さんの前歌をやっていた。藤原はみんなから「ボンタ」と呼ばれるbass弾きだったから、松前さんの伴奏を2~3年やっていたことになる。あれから50年!(笑)松前さんは何度もこう言った。「どこにそんな才能があったんでしょうね!」。

笑い話ではないのだ。たぶん松前さんより少し年下だったはずの「ボンちゃん」が、久々に出会ったと思ったら、三山君の出る音楽番組を創っていたり、彼のNHKホールのコンサートの構成演出をしていたり、彼女にとっては想像を超える驚きだったに違いない。自分自身でも、その変化に驚くけど。

そう言えばさっき、「北島三郎55周年記念パーティー」の案内状が届いた。50年とか、55年とか、数字の大きさにすでに驚かない年齢になった。言えることは、みんな頑張っている、と言うことだ。皆さんは一筋の道を歩んでいる・・・藤原は?幾筋もの道を歩んできた。だが、誰かに一言書け、と言われたら、「一途に生きる」と書くことが多い。一筋ではなかったが一途ではあった・・・そう思いたい。

話は跳ぶが、会社の自分の部屋が雨漏りをした。犯人は上階の住人だ!上に住んでいる奴は誰だ!あっそうだ「大家」さんだ。さっき担当のおじさんが来て実況見分をしていったが、どうやら現在新しいオーナーは上には住んでおらず、ベランダが洪水状態だったらしい。「私が言ったと言わないでください」と担当のおじさんは言ったので、ここに書いた(笑)。悪いのは、大雨だってことか。

AM11時からの行くべき会議を失念!社員が一人出ていることを確認できたので、出席をあきらめこのブログを書いている。忘れちゃいけないよ、大切な会議を!小さな才能に満足していちゃいけないよ!失念を反省しろ!藤原!

2016年8月10日水曜日

「少年時代」

夏は大好きなのだが、さすがに暑いよ。この10日間か。7月の末に森昌子さんの収録があり、昨日が小林幸子さんだった。今日は15日に予定していた函館日帰りのインタビューロケをキャンセルした。内容に変更が出たからなのだが、航空券をキャンセルしたら半額以上キャンセル料をられた。そんなもんなのかね。3人分だったから、笑えないよね。

1日に都内の某大学で講義をしてきた。夏の集中講座だったから時間がいい加減で110分ぐらいしゃべってきたかな。生まれて初めて大学という学校の教室に入ったことになる。なんせ、学校は夜間高校1年の2学期までだったからなぁ・・・

泣ける歌と言うものがある。泣けるほどにいい歌、と言う意味ではなく、その歌を思い出すだけで涙が出てしまう歌、と言う意味だ。先日某プロデューサーと収録後飯を食っていた時の事。酒は当然飲んでいたが、何かの拍子で「思い出の歌」の話になった気がする。「俺の心の歌は三波春夫のおーい船方さんなんだよね」「それはまたどうして?」と言う具合に話が進んだ。「実は俺の親父は死んだと教えられていて・・・」「それがある日生きているとわかり・・・」

この辺のくだりはやや長くなるので先へ進むが「その時泣きながら歩いて帰ったときに唄っていたのがおーい船方さん・・・」と言い始めたら不覚にも涙がジョー~てな感じ。前にもこのくだりで「泣いた」ことがある。

すこし酒を飲んでいたりすると、「あのシーンのあの感情」がストレートに出てきてしまうのだ。子供時代に味わい、心に刻まれてしまったものは、呪縛のようになかなか解きほぐされないものらしい。
他にも、子供時代、死んでしまいたいぐらいの「淋しい」シーは沢山あった気がするが、ほかの「ネタ」は涙が出ない。なのに、これだけは泣ける。

純粋と葛藤と反抗と淋しさが掛け算をしているような少年時代だった気がする。夏が好き、とこだわるのも、あの時代の「何か」が作用している気がする。夏でも、タオルケットだけでは眠れない。重みのあるもので包まれていないと眠れないのだ。汗まみれになること、わかっているのにね。