2015年8月13日木曜日

「彩りの街」

インターネットである人物を検索していたのだが、何気に「藤原典男」も検索してみた。同姓同名の人物がお二人ほど居た。どこかの街の議員さんと、もと高校教師で著作を出版されている藤原典男さん。同姓同名なのだから、優秀な方に違いない!(笑)

検索を先に進めると、昔歌った「愛のおしゃべり折尾の街」という情報に出会った。その先に「彩りの街」という楽曲が「You Tube」にアップされているのに出くわす。この作品の詞は「石原裕次郎」さんに書いたもので、昭和50何年だったか・・・カラオケ愛好家がカバーして歌っているらしい。興味本位で聴いてみることに。3人ほどの歌唱がアップされていた。

一人は原曲にかなり近く歌っている。あとの二人は見事に作曲していた。ヒットしなかった歌は、こうして変化を遂げていくのだろう(笑)あぁ 彩(いろ)とりどりだよ。

当時は作曲をしたかったのだが、活動を共にしている相手が作曲だったものだから、仕方なく詞を書いていた。曲を書きたいのに仕方なく歌も歌ってた(苦笑)。ヒット曲はなかったが、いま時代を経てこうして当時の作品に触れると、なんとも懐かしい。

活動を共にしていた作曲家はもう25年も前に亡くなっている。56か57才だったと思う。毎日酒浸りで、酒を止めさせる為に何度も病院に入れた。彼の編曲作品の写譜もやっていたのだが、朝スコアーを取りに行くと玄関口で寝ていて驚くこともたびたび・・・ある日午前10時から2曲のレコーディングがあるので写譜の時間を逆算してスコア―を取りに行ったら、やはり床に寝ていた。編曲が完成していれば問題ないのだが。おそるおそる机を覗いたら、エンディングだけがまだ未完成。それも一曲のみ・・・仕方なくエンディングだけを書き加え、一曲のみ写譜を終えて一人スタジオへ。代わりに指揮棒を振って、一曲のみレコーディング。ディレクターにも演奏陣にも平謝りで詫びたっけ。レコーディングを終え、彼のもとへ報告に行ったとき、彼が何と言ったかは覚えていない。

「彩りの街」はそんな彼の作・編曲だ。遠い記憶だが、時間を飛び越えて今も尚、鮮やかによみがえる、いい思い出なのだ。