2015年9月24日木曜日

「凡事徹底」

「フォルクスワーゲンの不正」という記事を読みながら、今までいったい何台の車に乗って来たかなぁ・・・などと思いを巡らせてみた。一番初めはトヨタのスプリンターだった。次が117クーペ。その次がカマロだったかもしれない。で、その車の思い出と重なる女性がすべて違っていることに気付いた。その次の車から現在まで、数々の車に重なるのは「カミさん」だから、ま、運転はぶれていない、という事でいいとするか。

車は結構好きだから、40才過ぎてからはほぼ3年ごとに替えて来たかもしれない。今の車はもう2年数か月たつのに走行キロは16,000キロ程度。若い頃は年に10,000キロ以下などという事はなかったのに、走らなくなったもんだ。以前、なかにし礼さんが「ポルシェも含め沢山乗って来たけどもう車なんていらないよ、タクシー代月50,000円使うのって大変だよ」てなことを言っていた。そんな気分になる日が来るのかなぁ・・・

で、そんな「なかにし礼」さんと先日久しぶりに電話で話すことが出来た。この春の大手術のあとから、一度も話してなかった。というか、状況が見えないので遠慮していたのだが、思い切ってSMSでメールを送ったらすぐ折り返し電話がかかってきた。お元気そうでよかった!とても暖かい想いに包まれた気分になり、一日ハッピーだったよ。不屈の闘士「なかにし礼」頑張れ!

で、俺の事もだれか、励ましてくれないかなぁ・・・(笑)。

今日は何曜日だっけ?と何度も聞いてしまうほど連休ボケだ。3日間休んだ。経営者にとって長すぎる連休は迷惑なだけなのだが、休めたスタッフもいたから良しとするか。なぜか祝日が多すぎる気がするのだが、年々増えていないか?錯覚しそうだ。

そして9月も終盤、秋の深まりが身近に迫り、衣替えももうすぐだ。国勢調査の用紙もまだ書いていない。寝ていても起きていても、歩いても走っても、同じように時間が流れていく。改めて「凡事徹底」を心に刻むこととしよう。

2015年9月15日火曜日

「やわらかな日差し」

「チャンスにノックは要らない訳ですから・・・」。ニュース番組のコメンテーターが言った一言、「チャンスにノックは要らない」、この言葉が妙に気に入って書き留めた。チャンス、そのチャンスに気づくこともなかなか難しいのだけれど。

さて、毎週花屋さんに替えてもらう今週の花の主役は「ひまわり」だ。夏の名残り、そんな気もする。大雨が通り過ぎたあとの東京は、まさに秋晴れ。日が落ちるのも早くなった。早く暗くなる季節が嫌いだ。若い時分、夜の店でピアノを弾いていた頃のことだが、世間の人々が家路に向かうのを斜に見ながら、夜の仕事場に向かっていた日々のイメージが甦ったりする。暗くなってから仕事に出かける・・・なんか寂しい気分だった。

あれから〇十年!!!
昼の仕事師となった藤原は日差しに感謝しながら生きている。前にも書いたが、日差しが大好きだ。水害被害に遭った地域の皆さんも、今日のようなやわらかな日差しを浴びてほしい。

水害被害のあった当日、被災地とそれほど遠くない「前橋市」で番組の収録をしていた。本番直前、モニタールームのチェック用画面の隣で、生々しいニュースが流れ続けていた。楽しい舞台を作り、お客様に楽しんでいただくための番組の隣で、緊急を告げる生々しい画面。笑う事も出来ない・・・

明日も、明後日も、このやわらかな日差しが、続いて欲しい。祈るような思いだ。

2015年9月8日火曜日

「櫂」

EUと難民の問題が毎日のようにクローズアップされている。現実的には、遠い地域での話なのだが・・・。これが受入国が「日本」だった場合、どういう社会現象が起きるのだろうか。今の日本で、「安保法案反対」「憲法違反」と叫ぶ人々は、日本に難民が押し寄せたとしたら、どう叫ぶのだろうか?

自国だけが平和ならいい、自国の平和のためにだけ憲法がある、というのだろうか・・・。その問題に関しては門外漢を決め込んでいるが、愛読している新聞は「読売」と「産経」と「日経」だ。どっち寄りかすぐに想像がつくというものだ。首相が大阪でテレビ出演していたら「国会軽視だ」とかみついていた野党の見慣れた議員がいた。「上げ足ばかり取ってんじゃないよお前!」と言いたくなる。

日常の生活の中にも、「批判的指摘」にエネルギーを消耗している人が結構いる。幸せを感じさせない「暗がりの占い師」が、人の幸せを説いているようなものだ。「反対」や「だめ」を叫ぶだけなら結構楽な作業だとおもう。それぞれの立場が違えば、見え方も考え方も違うのは当然だが・・・。

ま、文句ばっかり言ってるやつは、好きになれないということなのだが。じゃ「私なら責任をもってこうします」と己の責任論に触れてほしいね。

話は変わるが、
今日の昼飯はとても久しぶりに会社の近くの「牛舎」という店に行った。ここのマスターとも付き合いは長い。もうかれこれ20年ほど前、ラスベガスのあるホテルでばったり出会ったマスターだ。日本人がほとんど居ないあるホテルでばったり!出会ったのだ。確立としてはすごい話だ。そのマスターが実に若い。何でそんなに若いの?と聞いたら「これですよこれ!」と言って満面の笑みで小指を立てた。自己責任で完結!こういう生き方がいいよね。

「平和」と「自己責任」、「博愛」と「自己愛」、情報が氾濫する現代という「海」を漕いで行くのか、流れに身を任せるのか?俺か?漕ぐに決まっているじゃないの。で、その漕ぐ「櫂」は、どこにあるんだ?(笑)。

2015年8月28日金曜日

「人種差別」

アイルランドに居る息子のメールに、時々「人種差別に遭った」という文言が出てくる。現地に詳しい人の話では、それは人種差別ではなく、現地の彼、彼女らの「文化」なのだという。だが、日本人から見たらふてぶてしく感じるその態度が、息子は「人種差別」に感じるらしい。

で、さっきこともあろうにこの俺が人種差別に遭った!。今うちのスタッフが手がけている仕事に関して、クライアントの某プロデューサーとの会話の中で藤原が「人種差別」されたのだ!

某・「もう一人スタッフを出してほしいのですが」
俺・「もちろん」 某・「スタッフは誰ですか?」
俺・「俺が一番いいんじゃない?」
某・「藤原さんじゃ重すぎます!」
俺・「あっ失礼な!なんで?」
某・「藤原さん、これは未来型コンサートですよ。藤原さんの昭和歌謡コンサートじゃないんですから!」  笑・笑・笑!!!

これって絶対「人種差別」じゃない? 失礼な!

あぁ、俺には昭和演歌のイメージがついて回るらしい。あながち間違ってはいないが・・・だが、未来型が俺には似合わない!というイメージには反抗してやる!あの野郎~~~
(苦笑)

2015年8月20日木曜日

「友人を殺してしまった」

その時は気が付かず、後で失敗に気が付き大慌て、なんてことは良くあるが、殺してしまってはいけない。故 浜圭介様 と宛名を書いて その浜圭介様にFAXを送ってしまった。なぜ?

先日亡くなった「菅原やすのり」さんのご遺族にFAXを送ったのだが、その用紙に上書きをしたのが失敗のもと。故 菅原やすのり様ご遺族様・・・という宛名を消して書き直したのだが、「故」が残っていたことに気付かず、故 浜圭介様に・・・

いくら友達でも、慌てたね(苦笑)本人となかなか連絡がとれずへこんでいたのだが、さっき藤原の留守電に彼のメッセージが・・・「死んだけど、生き返ったから・・・」。やれやれ、これが浜さんだったからよかったが、〇〇だったらきっと一生言われるな・・・などと思いながら安易な上書きを反省!!!慣れきった作業には「落とし穴」、肝に銘じよう。

さっき、赤毛のアンというミュージカルを観てきた。無料招待ミュージカルなので豪華セット、豪華演出とはいかないが、なかなか上品で可愛らしいミュージカルだった。現実の大波小波の世界で生きていると、ほっとする瞬間が大切な息抜きになる。肩の凝らない素敵な時間だった。

さて、周囲の見慣れた景色、見慣れたスタッフ、わかりきった手順と作業・・・どこかに落とし穴がないか、注意注意!言葉ひとつで、人を殺すこともあるから!

2015年8月13日木曜日

「彩りの街」

インターネットである人物を検索していたのだが、何気に「藤原典男」も検索してみた。同姓同名の人物がお二人ほど居た。どこかの街の議員さんと、もと高校教師で著作を出版されている藤原典男さん。同姓同名なのだから、優秀な方に違いない!(笑)

検索を先に進めると、昔歌った「愛のおしゃべり折尾の街」という情報に出会った。その先に「彩りの街」という楽曲が「You Tube」にアップされているのに出くわす。この作品の詞は「石原裕次郎」さんに書いたもので、昭和50何年だったか・・・カラオケ愛好家がカバーして歌っているらしい。興味本位で聴いてみることに。3人ほどの歌唱がアップされていた。

一人は原曲にかなり近く歌っている。あとの二人は見事に作曲していた。ヒットしなかった歌は、こうして変化を遂げていくのだろう(笑)あぁ 彩(いろ)とりどりだよ。

当時は作曲をしたかったのだが、活動を共にしている相手が作曲だったものだから、仕方なく詞を書いていた。曲を書きたいのに仕方なく歌も歌ってた(苦笑)。ヒット曲はなかったが、いま時代を経てこうして当時の作品に触れると、なんとも懐かしい。

活動を共にしていた作曲家はもう25年も前に亡くなっている。56か57才だったと思う。毎日酒浸りで、酒を止めさせる為に何度も病院に入れた。彼の編曲作品の写譜もやっていたのだが、朝スコアーを取りに行くと玄関口で寝ていて驚くこともたびたび・・・ある日午前10時から2曲のレコーディングがあるので写譜の時間を逆算してスコア―を取りに行ったら、やはり床に寝ていた。編曲が完成していれば問題ないのだが。おそるおそる机を覗いたら、エンディングだけがまだ未完成。それも一曲のみ・・・仕方なくエンディングだけを書き加え、一曲のみ写譜を終えて一人スタジオへ。代わりに指揮棒を振って、一曲のみレコーディング。ディレクターにも演奏陣にも平謝りで詫びたっけ。レコーディングを終え、彼のもとへ報告に行ったとき、彼が何と言ったかは覚えていない。

「彩りの街」はそんな彼の作・編曲だ。遠い記憶だが、時間を飛び越えて今も尚、鮮やかによみがえる、いい思い出なのだ。

2015年8月11日火曜日

「わがままに生きる」

8月8日「地球歌の日コンサート」お待ちしています。そんな招待状が届いたのが7月。招待状とパンフレットを机の上に置いたまま、8月9日を迎えてしまった。コンサートの主催は歌手「菅原やすのり」さん。いつもマメに招待状を送って下さる。失念してしまい、結果としては行けなかったのだが、9日の朝刊で彼が亡くなったことを知る・・・

8月4日に亡くなった、と訃報記事が掲載されていた。白血病とあった。無念であっただろう・・・コンサート目前の死であったから、なおさら。どんなコンサートの招待状でも、必ず自筆で一言添えられていた。稀有な存在だった。こころからご冥福をお祈りする。

昨日、久々で出会った友人が「藤原さん、見かけが若いから・・・」。それって褒め言葉?「見かけが若い?」ならばどこが年齢相応なわけ?!と後で思うのだった(笑)。だが、あちこちで知人、友人の「死」という強烈なテーマに出会うと、「若い」という言葉に一喜一憂してていいものか、などと思ってしまう。

「わがままに生きたい」と思う。結構わがままに生きてきたが、もっとわがままに生きたい。「わがまま」の定義なんぞわかっちゃいないが、人は「わがまま」でいいのだ。さて、ならば誰よりも「わがまま」に生きる方法はあるのだろうか。やるだけやって、がむしゃらに生きて、疲れたな・・・と思ったら後先考えずに「ぽっくり死ぬ」、これ、結構究極の「わがまま」かも。人は、後先考えすぎるからくたびれる。「わがままに生きてわがままに死ぬ」。できたら、いいね。

話を「菅原やすのり」さんに戻すが、最後に会ったのはいつだったろう・・・「肩の力が抜けて、いい歌になりましたね」と生意気なことを申し上げたのだが、「藤原さんに褒めてもらって・・・」と謙虚に受け止める方だった。いい意味で「わがまま」に生きられた方だな・・・そんな気もする。合掌。


2015年8月5日水曜日

「老人性?」

手の甲に出来たイボが気になったので皮膚科に行った。「このイボを取りたい事と、足に出来たこのシミのようなものが気になるんですが・・・」と医師に告げた。「イボはウイルス性ですね、すぐ取れます。足のこれは・・・老人性脂漏角化症です、良性です」。

「先生、最初の2文字が気に入らないんですが。その老人というネーミング、何とかなりませんか?」と医師に訴えたのだ(笑)「皮膚ガンかもしれないじゃないですか!」「では念のため写真で検査しましょう」と余分な検査をして高い診療費を払った(苦笑)

病院から会社に戻ったとたん、社労士さんから電話が。「老齢基礎年金の件ですが・・・」。この話題も「老」だ。いい加減にして~~~

最近、日焼け止めジェルを使っている。「男が日焼け止め?ざけんなよ!」という種類の戯言をつい先日まで言っていた気がするのだが、別の皮膚科の医師から強く勧められ、心を入れ替えた。すべて皮膚がんの予防のためだそうだ。世の男子諸君!日焼け止めジェルを塗ってから外出したまえ!。

ま、気分的には「老人」とはなんら関係を持っていないのだが、体力的にはいささか不安でもある。同じ姿勢でいると美しく立ち上がれないし、深夜12時を過ぎたら酒も要らなくなる。美しいお姉さんをみてもドキドキ感は半分程度になったし(決して枯れてはいない!)口説いてるふりをしていても面倒くささが前面に出ているし・・・。なら、ただの老人じゃないの?って?

ところで「老人性」とは「老人の性」ということ?駄目だこりゃ。おあとがよろしいようで。

2015年7月31日金曜日

「暑中見舞いはがき」

暑中見舞いのはがきを書かなくなって、何年ほどになるだろう・・・メールのやりとりが多くなってきたころから、暑中見舞いの感覚が薄くなってきた気がする。こんな葉書が届いた。表書きには藤原の住所と「おかわりないですか?」の文字。お便り面は、こんな感じ・・・


母86才 認知症  私66才 呆け少々
それは分かったのだが その「私」は誰???
誰だ~おまえは!(笑)
呆け少々は わかったから 名を名乗れ!(笑)
お願いですから、はがきを出すときには 自分の名前を書き込むことを忘れないようにしましょう!


とか言っているけど、今日スタッフと昼食に行き、帰り伝票を手にしながら「あっ!メガネ メガネ!」とわめいたのだが、メガネは胸ポケットに。つい先日は、喫茶店にメガネを忘れたかもしれない、と言って人を走らせたのだが、そのメガネは(机の書類の陰に・・・)。ついでにこんなことを思い出した。息子が赤ちゃんだったころ、背中に(おんぶ)して買い物をしていたのだが、品定めからふと我に返った瞬間「あっ!〇〇が居ない!」  ・・・  ・・・
 そばにいたカミさんは(ぽか~ん)。。。。。。 息子は背中ですやすや眠りの中。。。。。。

歳を重ねるとみんな呆けてきた、というのだがそんなことはない。細かいことを気にしなくなってきただけ。それだけ人間がおおらかになって来たという事だ!てな言い訳でいいかな。ね、ね、ね。

2015年7月27日月曜日



「あっ!という光景」

「あっ!」と思った瞬間車のトランクが閉まった。「もしかして・・・」とは思ったのだが、案の定運転席サイドのドアが開かない・・・。普段は車中にキーを置いてドアを閉めようとするとクラクションが自動で鳴って、キーを閉じ込めることは無い。車屋の担当者に電話をしたら「トランクは鳴らないんですよ!」そんなことはどうでもいい。「開ける方法はないの?」「スペアキーでしか・・・」

場所は成田空港の駐車場。順調に通関して、風邪気味だったから早く家に帰りたい・・・と駐車場に急いだのにこの始末。でどうした?カミさんに新宿からタクシーを飛ばしてもらったのだ。何十年ぶりだろうか、キーの閉じ込めなんて。

「あ!」の瞬間からおよそ2時間後にスペアキーが届くことになるのだが、問題はそのあいだの時間の過ごし方だ。現金もカードもすべて車の中・・・時間つぶしの週刊誌を買うことも出来ない。で、航空会社とかバス会社のパンフレットを手当たり次第に集め読むことに。パンフレットのなかに発見があった。飛行機もリムジンバスも、65歳を過ぎるとシニア割引があります、だと。バスなんか3,100円が2,000円になるらしい。飛行機も当日空席があればかなり安くなるらしい。2時間の待ち時間で手に入れられたものはそれだケ・・・(苦笑)

今度の旅では佐藤愛子さんの「晩鐘」を読み切った。他に読むものが無かったから帰りの機中では映画を観た。殺し屋の父を持つ息子とその父親の葛藤を描いた映画だったが、その親子の葛藤を自分自身の親子に当てはめてみたり・・・映画の中の父親は、息子を守るために最後は撃たれて息絶えるのだが・・・充分に見ごたえがあった。

ところで、国が変われば事情が変わるのは当たり前だが、こんな光景をどう捉えればいいのだろうか。街には結構高級車が走り回る中国の某市街中の光景だ。車が止まっているのは、歩行者用道路だ。歩行者のための空間に当たり前のように車が止まっている。郊外ではない、街中なのだ。これだけ堂々と駐車違反されるとね・・・



                    

2015年7月21日火曜日

「偲ぶ会」

藤原を「ボン太」と呼んだ彼が逝ってから、丸一年が過ぎた。昨日、京王プラザホテルで彼を偲ぶ会が催されたので行ってきた。あれから一年・・・本当に早い。500人ほどの参加者が居ただろうか。偲ぶ会が盛大でも、死んでしまったらなぁ・・・とかなんとか言いながら会場を後にしたのだが。

一年もたったのに、また泣けてしまった。友人が、ずっと観察していたらしい。「藤原はきっと泣くぞ」とおもって見ていたらやっぱり泣いた、と嬉しそうに言っていた。彼は先日の娘の結婚式にも出席していて、藤原の泣き顔を沢山写真に撮っていて、それを嬉しそうに見せてくれた。やっぱり俺は泣き虫だし、それが周囲にバレているという事なのだが。

2.3日前、資料として中村美律子さんの「瞼の母」という歌謡浪曲を聴いたのだが、ヘッドフォンをしながら泣いてしまった。これって、涙腺弱すぎ!人情ものにからっきし弱い。やれやれ。

「みんなに偲ばれる」彼が亡くなった一年前に、何度かブログには書いたが、お互い10代の出会いだった。「りえ」という可愛い女の子を取り合った仲だ。他にも沢山悪さをした。みんないい思い出だ。過ぎてしまえば・・・いい思い出。

彼と言うのは、北島三郎さんの末の弟だが、帰り際北島さんの奥様が「次は楽しい場面で逢いましょうね」と声を掛けてくれた。その通りだ。「誰それが死んだ」「誰それはもう危ないらしい」そんな情報が多過ぎる。歳を重ねるという事は、そういう事らしい。



2015年7月15日水曜日


「あ~言っちゃった!」

「クソ社長!」その一言は藤原の心を突き刺した。あまりにも突然襲ったその言葉・・・しばらく涙が止まらなかった・・・。

笑い転げて、「笑い泣き」というやつだ。笑って涙が出るのは久しぶりだった。誰がそんなことを?社内にいる某女子社員だ。ある飲み会の席で、彼女の乙女心について話し始めた藤原。「そこだけはバラサナイで!」という部分を面白おかしく解説していたら「もう嫌だ、やめて!もう、馬鹿!」というような感情表現が「クソ社長!」となったのだろう(笑)。なかなかインパクトがあった。実に面白かった。他に誰か言いたい奴はいるか?「クソ社長~!」と。

言いたいことを言って可愛がられる人もいる。言わなくていいことを言って煙たがられる人もいる。人は皆、言葉に敏感なはずなのに、自分の事がわからない人もいる。言葉は上手に使えば、最大のコミニュ二ケーションの道具。肝に銘じたい。

メールが通信手段の主役になってから、言葉、いや言い回しが特に重要になってきたと思う。その文字や言い回しによって、高圧的に感じたり、距離を感じたり。間違いを犯さないためには、相手に寄り添う気持ちや、心配りの余裕を持ち合わせることがいかに大切か・・・と思う。

世間ではお中元の受け付けは今日までだという。立ち止まっていても、しがみついていても、時間は止まらない。そういう意味では、泣いていようが、笑っていようが時間は過ぎていく。ならば笑っていたい、誰もがそう思うのかもしれない。笑えてよかったよ!某女子社員!




2015年6月30日火曜日

「出会いと縁」

小説家の佐藤愛子さんの講演会に行ってきた。講演テーマは「91歳の生き方」だったか。もう何十年ぶりだろう、と思えるほど久しぶりの再会だった。実際に20年ぶりぐらいかな。

講演会はすでに満席だったため、先生に関係者席というものを用意していただいた。いつもお着物というイメージがあったのだが、なんと白のスーツで足取りもしっかりご登場、91歳だとは思えない!お姿だった。びっくり。

楽屋を訪ねた。「藤原さんとどうして親しくなったんでしょうね、前世のご縁かしら」という話になったのだが確かにそうかもしれない。会ってはいないのだが、ずっと関係は続いているし、気にもなる。前世という言葉が出てくるのが先生らしい。「きっとそうです」と答えたが。出会いはもう30年以上前になると思う。小田急カルチャー主催の「トークショー」という催しがあり、藤原はそこで司会をやっていた。そこのゲストの一人が佐藤先生だった。「そんな出会いはたくさんあるのに、なぜ藤原さんと親しくなったのかしら・・・」と先生は笑うのだが、藤原にもよくわからない。

が、「藤原さんと親しい」という言葉を何度も伺ってそれで満足、嬉しかった。「こんどお食事しましょう」と言われて別れたが、楽しみだ。また「霊」の話や「前世」の話で盛り上がれるかな。最近出版された「晩鐘」もまだ読み切っていないし、早く読まなきゃ。

今朝、アイルランドに居る息子からメールが来ていた。

「わしの夢は、パパの人生を、舞台にして演出することだよ。 タイトルは、もう決めてあるだよ。 その時は、出てほしいのだ。 わし、若い頃のパパをやるよ。」
 
だって。かってなことを言っているが、それはそれでいいんじゃない(笑)で、俺の人生ってなんだ?何れ、息子や娘が俺の先を歩いていて、爺になった俺が「お若いですね!」って言われて喜んでいるのかな?
 
何にしろ、今日までの沢山の出会いを、藤原なりに大切にしていきたいものだ。





2015年6月29日月曜日

「バージンロードが短い」

昨日、娘の結婚式だった。もう、何年前からバージンロードを娘と歩く姿をイメージしていただろうか。そして歩いた。バージンロードが短か過ぎるのだ!。

会場の係は、本番直前にいろいろ決まり事を教えてくれた。それこそ本番直前に。「ここまでは普通に歩いて、ここからはブライダル歩きで」とかなんとか。それ何?って聞いているうちに今度は「前列3列目の席のところで止まって新郎に新婦を渡してください」とかなんとか。「その時そっと手を添えて」とかなんとか・・・予備知識でもあればわかるのだろうが、「ハイハイ」とは言ったもののわかるもんか!「グローブは?」と言われて「何それ?」と聞いたら白い手袋なそうだ。「白い手袋」と言えよ!「ない、要らない!」でその件はおしまい。

本番をイメージする間もなく、本番です、と言われた。娘と手を組んでいよいよその「ブライダル歩き」だ。最初の2歩まで娘と歩調が合わない。娘の緊張が伝わってくる。「大丈夫か?」と声を掛けたら「うん」という返事。3歩目でようやく足が揃った気がする。「あぁ、これが何度もイメージしたバージンロードの世界だ」と思い始めたとたん、目の前に新郎の顔が!!!お前!出てくるのが速過ぎるぞぉ!!!「もっとそっちで待ってろよ!」

おれはすでに泣いているから、周りの事なんか見えない。現実感がないのだ。ふわふわした感じ。あぁこの世界をもっと味わいたい・・・と思っていたらもう「終点」。あいつが迎えにきやがった。
おれはまだ娘に触れていたいから、名残り惜しそうに去ってゆく娘の肩をいつまでもポンポン叩く。未練がましく・・・あぁバージンロードがあと50メートルぐらいあったなら・・・

披露宴はいい披露宴だった。今日、友人の一人から、「人間って、いいな」と感じる感動的な披露宴だった、とメールをもらった。お決まりの「娘からの手紙」。「藤原さんきっと泣くから」と何処からか声が聞こえた。泣いたか?もちろんめそめそグズグズ。

司会者からご両家代表謝辞、というコールがあって婿どののお父様が謝辞。で、ここからが俺らしいといううか。「娘をやるんだから俺にもしゃべらせろ」という口上のもとに藤原がスピーチ。もちろん会場と彼のご両親には伝えてはあったが。娘を持つ父親の気持ちとは、想像していた以上に感情的だ。

式の最中、キスシーンを見逃した。いや、目を閉じたのだ。見たくもねぇよ。(笑)





2015年6月19日金曜日

「笑える思い出」

久しぶりに訪ねてきた友人と、30数年前の「あること」を思い出して、大笑いをしてしまった。藤原が30代前半だったと思う。大阪の新興宗教の会員さん相手に、月一回程度「歌唱指導」に出向いていた時期があった。一人1500円の会費で会員さんは集まって来たと思うのだが、そのうちだんだん参加者が増えてしまった。最初は集まった会費すべてが授業料だったのだが、何回目からは増えすぎてカウントする雰囲気ではない。授業料?当時の貧乏な藤原には大金だ。

笑えるのはこの後。授業が終わると、教祖様から封筒を受け取る。会員さんに新大阪の駅まで送っていただいたと思うのだが、藤原は新幹線に飛び乗るなり荷物を置いて真っ直ぐトイレへ!おもむろに封筒を取り出して、今日の売り上げ!お札を数えるのだ。これが楽しみだった。

この頃、人の「欲望」を思い知る。ある程度の金額までは大喜びしていたのに、しばらくすると、あんなに参加者が居たのにこれだけ?的な感覚にとらわれてしまう。人の欲望はきりがない、と
改めて思い知ることになるのだが。当時、夜は銀座でピアノを弾いていたが、一日の出張でピアノ弾きのギャラの2か月分ぐらいになったかもしれない。貴重な人生経験だった。

昨日、ある番組の収録現場で、それこそ30数年前に出会った元某レコード会社のディレクターに再会。昨日、改めて思い出したののだが、彼は藤原の作品を4曲ほど採用してくれているはずだ。彼いわく「なんか作品をやったよね」なのだが、確か4曲だと思う。作品を採用して欲しくて、平身低頭、彼に売り込みをしていたのだが、藤原がTVプロデューサーになった途端、立場が変わった!と笑い話になった。これは、ほほえましく暖かな気分になる笑い話だった。

さて、これから別なレコード会社の宣伝部長とディレクター氏と会食をする。当時このレコード会社にも、売り込みのため通ったっけ。今?彼らに「こら!」と言っている。ほほえましい感じでね。


2015年6月15日月曜日

「時の過ぎゆくままに」

「ドジョウの会」という仲間の集いがある。7,8人のメンバーで、半年に一度ぐらいは集まろうという事になっていた。去る10日に集まったのは6名の男女。じゃ、次回は12月ごろね、と言って〆ようとしたのだが。「半年後だと誰が死ぬかわからないから、9月ごろにやろうよ!」と誰かの一声で9月開催になったのだが、いったい平均年齢何歳の会?(笑)

12日は「船村徹誕生日 歌供養」のパーティーだった。去年の6月12日からもう一年?と思うほど早い。去年の歌供養の様子は前回もブログに書いたはずだが、今年はもう31回目の歌供養になるという。20年ほど前から参加していることになるのだろうか。今年は船村徹記念館も完成し、本も新たに出版され、先生の活動のスピードが落ちていないことに敬服するばかりだ。

14日の日曜日、両国のシアターXという劇場で、アイルランドの詩人「イェイツ」の生誕150周年を記念したシンポジュームがあったので行ってきた。「ノーベル文学賞」を受賞た詩人であり、劇作家であり、アイルランドの紙幣に肖像が使用されているような人物だ。知っていたのか?いや、知らなかった。が、番組の提案でアイルランドを調べていたから、イベントの表題に「アイルランド」とあったので興味を持ったのだ。シンポジュームでは、某大学の名誉教授、某大学の教授2名、他「能」の演出家と4名から発言があった。驚いたのは、なんと話の下手なことか・・・。あまりにも・・・大学経験のない藤原は、こんな調子の講義を生徒は聞いているの?と思うほど。某教授は、ペーパーを抑揚のない声で読み上げるだけ・・・

いわゆる表現力の欠如、というやつだ。日本人!頑張れよ!そんな思いで会場を後にした。

さて、今週もはじまった。会社の月曜日の花も新しくなった。今日1日の充実感があったかどうかは別として、またいつものように時は過ぎてゆく。せめて、ハッピーな顔をして過ごしたいね。

2015年6月8日月曜日

「50・65」
上京して50年、今日で65歳、長い道のりを歩んできた気がする。競馬で言えば、最終コーナーを回り、残りの直線で勝負が決まるところだ。直線を駆け抜ける余力があるのか、最初から頑張ってスピードを加減しなかったから息切れするのか。そのどちらかでゴールの結果が見えてくるというところか。体力だけではない。気力・精神力がポイントになりそうだ。

4日に、番組出演中の「北島」さんを訪ねた。去年亡くなった北島さんの末弟の墓参りの報告と、何気の陣中見舞いだったのだが、千葉の君津市というところまで行ってきた。会場に着いたら音合わせ中で、しばらく客席で見ていたのだが、楽屋に顔を出したら「客席にいるのはお前かと思っていた」と迎えてくれた。

いつもの事だが、楽屋で二人だと「個人的ないろいろ」を話してくれる。スタッフが入ってくると、上手に話が一般的になって来る。少し込み入った話をしていたのだが、スタッフが入ってきたら、いつの間にか競馬の話に乗り替わっていく(笑)。最初はチンプンカンプンなのだが、だんだんわかって来る。先日のダービーの話になり、最初飛ばし過ぎたので、直線コースに入ったら息切れして、結果は残念賞という事になったという話なのだが、人の生き様と一緒かも。カメリハ2分前まで話し込んでしまった。

さて、50年の歳月と65年の歳月。結構長いよな。母親は95歳で100まで生きると言っている。結構長いよな。昭和41年3月、上野駅の公園口で「立川職安」というプラカードの前に並んだ。15歳だった。あれから50年。結構長いよな。月並みな表現を借りれば「波乱万丈」の人生だったかもしれない。つまずいたり、ころんだり、走ったり、よろけたり、いきがったり。よく人は、ある程度の年齢になると「ありがとう」とか「感謝」という言葉を使い始めるが、そんな言葉がくすぐったいほど、振り返る人生には「いろいろ」があった気がする。「ありがとう」とか「感謝」では言い表せないいろいろが。

さっき、スタッフがケーキで誕生日を祝ってくれた。なんと、顔写真付きのケーキだったよ!
何日も前から、注文してくれていたらしい。
 なによりも、忘れられていなかったことにほっとしたのだが(笑)


間もなく娘の結婚式だ。まだまだ直線コースで息切れしてなんか居られないのかもしれない。
来年からは「誕生日おめでとう」ではなく
「誕生日を迎えられておめでとう」なんてことにならないように。
コツは、腹を立てないことと、「寂しい思い」をしないことだ。きっとね。

2015年5月26日火曜日

「たわごと」

会社のベランダのプランターに「ゴウヤ」の苗を植えようとして、最近意味もなく伸びている葉っぱとツルを引き抜いた・・・ら、何と地中から「サツマイモ」が。なんで、なんで???どうみても絶対「サツマイモ」だ。なぜベランダに「サツマイモ」なんだか。結構でかいよ。植物の生命力って、すごいね。

自宅のテラスには最近「雀」が集まる。集まる、というより、集めているんだな、コメを撒いて。鳥の糞から、何か珍しい植物が生えてきたら面白いね、という発想で楽しんでいるのだが、サツマイモは論外。チュンチュンうるさいが、見ていて飽きない。そのうち捕まえて、焼き鳥に!(笑)

心豊かになったり、ほっとしたり、想いが暖かくなったり、そんな環境を求めているんだな、きっと。植物にも、小動物にもね。ジジイむさいね、これ。

さっき親しい作詩家から電話があった。「生きてるの?死んだんじゃないかと思って」と言いやがる。「昨日銀座で3軒ほどハシゴしてさぁ、二日酔いというよりも三日酔い」とまだろれつが回っていない。「用事は無かったけどさ、生きているか死んでいるか確認したいから、たまには電話ちょうだいよ」。・・・歳を重ねてくると、どこにでも寂しいやつがいる。そして寂しがり屋は、ちょっと強情で、そしていいやつが多い。

このところ、体力的にもしんどい日々が続いていたが、昨日あたりで一区切り。やれやれと思っていたら、決算の最終的な数字が昨日出て、こころ「沈没」(苦笑)。もう50年も働いたし、とか、今後に展望はあるのか、とか、なにが「高齢者予防接種」だ、とか、ぶつぶつ思いながら小料理屋で一人で飲んだ。銀座でハシゴしていた彼と、なんと対照的なことか(笑笑)

で、ベランダに目をやる。くたびれた風車が時々回っている。風車君は風を待っている。俺は風を待っていてはいけない。「よし、俺が風を作ってやる!」と言い切れたあの日に、帰りたいけど帰れない?のか?。

2015年5月19日火曜日

「命名」

数日前、帰宅したら「イモリ」が2匹家にいた。近所のお祭りで買ってきたんだそうだ。「イモリ」?、あまりなじみが無いような気がするのだが「イモリ」と聞いたので名前を付けてやった。メスは「みゆき」でオスは「ただし」だ。きのう家に帰ったら、一匹ずつ水槽に入っていて、名札がはってあった。「みゆき」と「ただし」。みゆきは分かるが、オスをなぜ「ただし」にしたのかわからない。ま、姿形を見て、「ただし」だと直感したのだろう、その時は。いもりみゆき、と いもりただし。いいいいカップルだ。

我が家の愛犬は「茶々丸子」という。動物病院に行って、名字から呼ばれると長い名前らしい。これも俺が命名した。茶々ならよくある名前。丸子がつくから良い。息子の名前も娘の名前も父親の命名だ。俺の名前だけなんで「典男」なんてせこい名前だよ。生まれた時、近所に「のりこ」という男勝りの女の子が居て、みんなが「男ならよかったのに」と言っていたので「典男」にした、と聞いたことがある。いいかげん!

アズ クリエーションという社名を決めるときには結構時間を要した。AZだからA~Z。ひらがなで言えば あ~ん だ。全部という意味だから、欲張りな名前、という事だが。ペンネームとしてもいろんな名前を名乗った。ほとんどいい加減。「恵方道三(えがたどうさん)」という名前もあった。根拠?「A型父さん」だ。いいかげん!

藤原典男以外に「アズ クリエーション」の名前が一番長くなった。時々パーティーなどで隣席になった方に名刺を差し出すと、「お名前は伺っています」と言われることも多くなった。「アズ クリエーション」という社名は気に入っている。「典男」はどうかね。もう少し、垢抜けた名前は付けられなかったものかね。猿之助とか桃太郎とか牛若丸とかさ。

2015年5月11日月曜日

「今を生きる」

北国では「桜の花」の次は「リンゴの花」という。リンゴの花?思い出せないのだ。リンゴの記憶は、すでに青いリンゴになっていて、それに「袋」を被せる作業は知っている。そして赤く色づく。当時はほとんどリンゴと言えば「紅玉」だった。その紅玉を「まんこ」と呼ぶ(笑)。「まんこりんご」が正しいのかもしれないが、おばさんたちが「まんこ、まんこ」と言うのだ。イントネーションはこれを読んだ人の想像に任せるとしよう。

言いたいのは、「リンゴの花」の記憶がないこと。リンゴは実って初めて「リンゴ」だと思っていたんだろうな・・・子供のころは。遠い記憶だけれど・・・

話は跳ぶが、今度の旅の飛行機のトイレが「ウォシュレット」だった!初めての経験。見つけた時はうれしかったよ!(笑)飛行機の便器に腰掛けながら、時代の変遷を思ったわけさ。で、なぜだかリンゴの花を思い出したりして・・・

この頃なぜか、「生きる」ということを考えてしまう。来月が誕生日で、上京してから50年目という事実に接しているからだと思う。「生きがい」とか「生きる」とか「充実」だとか、さまざまな思いが押し寄せてくる。2,3日前作曲家の「三木たかし」さんの7回忌に出席したが、享年64だと今更知った。今の俺の歳か・・・などと思ったりもする。

「何れ」とか「今度」とか「余裕が出来たら」とかを、禁句にしたい。「早速」とか「今」とか「やっちゃおう!」とか、「すぐに」「任せとけ!」とか、そんな言葉を枕詞にしたいね。

これを書いている途中でSMSメッセージが入った。「昨日、娘の○○が亡くなりました・・・」。そうだよ、「今を生きる」、それが大切なんだよ。