2015年11月27日金曜日

「韓国ドラマに涙」

「冬のソナタ」が爆発的ヒットをしたあと、NHKは立て続けに韓国ドラマを放映した。当時「BS2ドラマバー」という番組を制作していたので、仕事のために結構沢山ドラマを観た。その中で「春のワルツ」という番組にはまったっけ。内容はかなりめちゃくちゃなストーリーなのだが、切ない親子関係などが描かれていたと思う。

さて、このところハマっている韓国ドラマがあるのだ。タイトルはどうでもいいので認識していないが、複雑な人間関係と親子関係を描いている。作りはひどすぎてB級とかC級というレベルで、まるで漫画的つくりなのだが、これがハマるのだ。なぜなのだろう・・・そんなこと、あり得ないだろうというシーンの連続。だが、扱っているテーマは親子愛、家族愛、美しすぎる恋物語で、ある意味エンターテイメントだ。登場人物の相関図を作らないとその関係性についてはいけない。

だが、なぜか涙を誘われるのだ。ドラマの設計図としては、ほとんどリアリティーがないのに、泣かせるツボはある。で、何度も泣くことになる。感情移入が早すぎると笑われるのだが。夜遅く帰ってニュースもいい加減終わった時間、飯と酒の相手には丁度いい存在のドラマなのだ。ジャンルとしてはホームドラマというジャンルらしい。昨夜も夜中12時過ぎに帰ったものだから遅い晩飯を食いながら観たよ。そろそろ最終回が近づいてきた感じだった。いつ、あの二人、実の親子関係だと明かされるのかなぁ、などと次回を期待したりして。(笑)

で、毎回終わり方が小憎たらしい。クリフハンガーの手法をこれ見よがしに使うのだ。あざとい。で、次も観たくなる。ハマっている証拠だ。(笑)

日本人の性格はどうもリアリティーを求める傾向がある気がする。いいんだよ、バカバカしくても面白ければ、とこの程度のノリが無いといけないのでしょうね。しかし、出てくる女優さんの顔、顔、顔、どれもこれも俺でも「整形顔」とわかる美形。素の顔だろうな、という俳優が出てくるとなぜかホッとするのだ。ブス系が愛おしく感じるこの不思議!韓国ドラマだ!

2015年11月24日火曜日

「借り」

会社から歩いて10分ほどの場所に「原宿クエストホール」という会場がある。キャパは着席で300席ほどだろうか。昨日初めて行った。「BORO」のライブがあったからだ。久しぶりに彼の歌を聴いた。

「BORO復活ライブ!」と銘打ったライブで、会場は満席だった。大阪がメインのアーチストだから客入りを心配していたのだがよかった。残念ながらライブ終了後、時間が無かったので挨拶せずに会社に戻ってしまったが、パワフルで元気、なによりだった。聞けば10年ほど病気の連続だったらしい。長いトンネルを抜けたって訳だ。

彼には借りがある・・・そんな思いで今日まで来た。ずいぶん昔、彼で何本かの番組を作っている。「大阪で生まれた女」を18番まで全部紹介した番組とか、「歌が生まれるとき」という番組では彼一人を取り上げて30分の番組を創った。これは借りにならない。その後だ。ある特集番組でゲストとして招いたのだが、その番組の収録で2曲を歌ってもらったと思う。当時演出を担当していたKは時間配分など結構いい加減で、編集が佳境に入って来たときに「藤原さん、尺が足らなくてBOROの歌一曲入らないよ、カットするから本人に言っておいて!」ときたもんだ。たぶんオンエアーまで連絡しなかったと思う。彼の真剣さと熱意を知っているから、言い出せなかったような気がする。トラブルにはならなかったが、それをずっと引きずっていたのだ。

で、彼から東京でのライブの知らせが来たとき、すぐに電話をした。BOROに借りがある・・・と言ったが中身は言わなかった。でも彼は「東京に行くと藤原さんを思い出す」と言ってくれた。それで昨日ライブに出かけてきたわけだが、今度は楽屋に顔を出さなかったことを悔やみ始めるのだ。やれやれ、厄介な性格だ(笑)

何れにしろ、誰にも借りは作らないほうがいい。だが、どうでもいいようなことでも借りと思ってしまう癖があるらしい。貸しも作らないほうがいいね。穏やかに暮らしたかったら、貸し借りなしという事がいい。が、そんな甘い人生、ある訳ないよなぁ~。

2015年11月14日土曜日

「秋の土曜日」

昨日はよく飲んだ。今日は10時30分ごろにはロケハンに出かけようと思っていたのだが、起きたのが10時30分・・・結果出かけたのが12時30分。今どきはすぐに暗くなるから、予定の半分ほどの行動しかできなかった。間に合うかな・・・

先週は番組で岩手の奥州市まで行ってきた。収録が終わった翌日、盛岡まで行き、久々で墓参りをしてきた。父親の墓は亡くなった時以来だから、何年ぶりになるのだろうか・・・複雑な親子関係だから、父親の墓は藤原の墓とは別場所にある。なぜ、急に墓参りの気分になったのか・・・自分でもよくわからないが、なんとなくやるべきことをやった気分だ。

駆け足で2か所のお墓とお寺を回ったものだから、せっかく郷里に行ったのに、急ぎ足で帰ってきてしまった。もう育った場所や学校の面影もないはずだが、せっかく行ったのだから、すこし思い出の土地を訪ねたかった気もする。周辺の紅葉は綺麗だったけどね。

さてさて、年末までのカウントダウンが始まった気がする。毎日がせわしないが、なぜかホッとするのだ。「忙しい」という言葉や現実が藤原にとっての妙薬となる。休みが欲しい、と思うぐらいが丁度いいんだな。いつまで続くか、身体が(笑)

同じ姿勢をとっていると、立ち上がるときスキッと立ち上がれない、そう感じることが多くなった。周囲の仲間もだんだん年寄りが増えてきた。気持ちは充分に若いと自信があるのだが、スポーツカーから颯爽と降りられない、とイメージするようになったらなんだかくやしいね。さて、今日の土曜日は終わりとするか。これも、あれも、明日にしよう!っと。

2015年10月30日金曜日

「川中美幸さん」

沢山の演歌歌手の舞台を観てきたが、今日観たステージは楽しかった。川中美幸さん。番組では何度もご一緒しているのだが、舞台を観た記憶があまりない。今日、カメラを担いで「水戸」のコンンサート会場まで出向き、カメラを回しながら舞台を楽しんだ。

トークがうまい!実にうまい。一度のトークタイムで客は何度笑っただろうか。俺も途中で何度も笑った。カメラマイクには藤原のでかい笑い声が収録されているはずだ。

一回目の公演が終わったところで楽屋に行ったら「あら!ご自身でいらしたんですか、舞台で紹介すればよかった!(とケラケラ笑う)」一事が万事この調子。明るくて、素敵な人だ。

13日に彼女の番組を収録する。その番組用のインサート素材を撮りに行ったのだが、彼女のスタッフは「社長がカメラ回すんですか?」と驚いていた。人手が少ないから仕方がない・・・とは言わなかった(笑)。「いや~俺結構好きだからよく回すよ」とかなんとか言ってね。

ここ数年、社長がやり過ぎると若手が育たない、そんな思いから現場仕事をなるべく控えてきた。だが控えすぎると弊害も出てきた。経営的問題もそうだが、指をくわえて現場を遠目に見ている状態は「病気になれ」と言われているようなものなのだ。で、やりたがり藤原がまたぼちぼち動き始めたという訳。

今日の「水戸」には若手の杉谷部長と一緒に行った。運転手はもちろん藤原。首都高に乗って数分もたたないうちに彼は眠りの森に迷い込む。常磐道に入ったあたりでは熟睡の世界の虜になったようだ。昼飯ぐらい食っておこうと思ってサービスエリアに入った途端、彼はまるでずっと起きていたとアピールするかのような態度で眠りから覚める。俺だって眠かったんだぞ!

ま、水戸まで往復したものだから、今日一日が川中美幸さんで終わってしまった。だが、彼女の頑張りとあの明るさは、今日はいい一日だった、と思わせるエネルギーになる気がする。13日の週録が楽しみだ。

2015年10月20日火曜日

「Mr Ms Dr」

22日に「日本賞」という番組の収録がある。その司会者打ち合わせが昨日あった。外国人の方が沢山いらっしゃるイベントなので、名前の表記がカタカナと英語で表記されている。ほとんどの外人がMr、Msの表記なのに一人だけDrで始まる人が居た。司会者の一人は女優のKさん。台本を見ながら、「どうしてこの人だけDrなのかな・・・」 同じく司会のMアナウンサー「博士号(ハクシゴー)を持った人はDrって付きますよね・・・」 女優Kさん「え!隠し子(カクシゴ)?!」・・・  ・・・

とっさの「ボケ」に一同大爆笑だ。この面白さは現場に居た人しかわからないかもしれないのだが今日もまたその場面を思い出して、にやにやしてしまった。それだけ面白かったのだ。この女優さんが大好きになった。聞けば天然らしいのだが、好かれる意味がわかる。絶妙のタイミングで、ほんとにおもしろかったんだから。

さて、そんな日本賞で明日も明後日も朝が早い。昨日は午前2時過ぎまで会社で仕事をしていたから今日は眠い。普通の暮らし、とはどんな暮らしを言うんだろうね。

机の上には 玉ねぎエキス、ビタミンC パブロンS そしてサクロンが並んでいる。机の中には血圧、尿酸、高脂血症のくすり、他にサプリメントの・・・

あ、そうそう、財布の中には「ハゲ」薬のプロペシアが。なんで財布の中?貴重だから(笑)これが言わば俺の普通な暮らしなのかね。

さて、Drだが。俺にはディレクターかドクターだとしか思えないけどね。まさか、隠し子をもった人だったなんて。

2015年10月10日土曜日

「駒ヶ岳・小原農場」

16,7年前の事になるが、北海道・駒ヶ岳の麓で番組のロケをしていた時のことだ。「北島三郎 遥かなる道」という番組だったので、一本道にこだわり、駒ヶ岳に向かう一本道を探し出してロケをしていた。すると畑を横切って猛烈な勢いのトラクターが!

「こらー!何をやっている!」。役場を通して許可申請していたはずなのだが、どかかで行き違いがあったらしい。北島さんはじめ みな後ずさりして藤原が謝罪と説明を始める・・・。農場主「前回も〇〇の一行がきて撮影をし、畑を荒らすわジュース缶を散乱させるわ、いい加減にしてくれ!」のようなお叱りを受けたのだ。藤原ひたすら詫びるのみ。一行は藤原の後ろで嵐が過ぎるのを待っている。この時は撮影用のヘリコプターも飛ばしたので結構騒々しいロケだった。

春夏秋冬を追う設定だったので、この場所には撮影に4回も行ったっことになる。だが、トウモロコシの季節に、北島さんが子供の頃の回想シーンで畑のトウモロコシを一本取った。とっさのことでもちろん無断。番組に使用するシーンだったのでテープを添えて改めて謝罪(苦笑)。

先日、その北島さんの新曲のPVを作ることになったので、せっかくだから函館にロケに行ってきた。新曲も「おれの道」で「道」がテーマだしね。ふと思い立ってその駒ヶ岳の麓の農場を訪ねる気になった。記憶を辿って農場を探してみた。一度は間違えたのだが、行けたよその場所に。あの懐かしいこだわりの一本道がある広大な畑だ。

レンタカーで農道に入って行ったら、声を掛けられた。「なにか御用でも?」軽トラックからオジサンが降りてきた。「実は16,7年前ここで番組のロケをして、こちらの畑の方にご迷惑をおかけしてしまい、たまたま函館に来たものですから懐かしくて来てみました」。

当時の状況をかいつまんで話したら、その時怒ったトラクターの主は「私です」という事に!。「大切な畑を踏み散らかすのは、歌手のステージに私が土足で乗るようなもの」。ごもっとも。ひとしきり話すと、せっかくだから「ジャガイモあげる」となり採れたてのジャガイモをもらった。「北島さんに会うことがあったら、申し訳なかったと伝えてください、なんとなく気になっていたんですよ」とご主人が言う。もちろん伝えた。藤原は認識していなかったのだが、その当日、道に降りるという約束のヘリコプターが畑の中に降りたのだそうだ、そりゃぁ怒るよなぁ。

ご主人は藤原と同じ歳だという事も知った。農場を後にした帰路、暖かくて嬉しい気分に浸っているボクが居た。広い畑は「小原農場」という。小原さん、今日も頑張っているんだろうな・・・

2015年9月24日木曜日

「凡事徹底」

「フォルクスワーゲンの不正」という記事を読みながら、今までいったい何台の車に乗って来たかなぁ・・・などと思いを巡らせてみた。一番初めはトヨタのスプリンターだった。次が117クーペ。その次がカマロだったかもしれない。で、その車の思い出と重なる女性がすべて違っていることに気付いた。その次の車から現在まで、数々の車に重なるのは「カミさん」だから、ま、運転はぶれていない、という事でいいとするか。

車は結構好きだから、40才過ぎてからはほぼ3年ごとに替えて来たかもしれない。今の車はもう2年数か月たつのに走行キロは16,000キロ程度。若い頃は年に10,000キロ以下などという事はなかったのに、走らなくなったもんだ。以前、なかにし礼さんが「ポルシェも含め沢山乗って来たけどもう車なんていらないよ、タクシー代月50,000円使うのって大変だよ」てなことを言っていた。そんな気分になる日が来るのかなぁ・・・

で、そんな「なかにし礼」さんと先日久しぶりに電話で話すことが出来た。この春の大手術のあとから、一度も話してなかった。というか、状況が見えないので遠慮していたのだが、思い切ってSMSでメールを送ったらすぐ折り返し電話がかかってきた。お元気そうでよかった!とても暖かい想いに包まれた気分になり、一日ハッピーだったよ。不屈の闘士「なかにし礼」頑張れ!

で、俺の事もだれか、励ましてくれないかなぁ・・・(笑)。

今日は何曜日だっけ?と何度も聞いてしまうほど連休ボケだ。3日間休んだ。経営者にとって長すぎる連休は迷惑なだけなのだが、休めたスタッフもいたから良しとするか。なぜか祝日が多すぎる気がするのだが、年々増えていないか?錯覚しそうだ。

そして9月も終盤、秋の深まりが身近に迫り、衣替えももうすぐだ。国勢調査の用紙もまだ書いていない。寝ていても起きていても、歩いても走っても、同じように時間が流れていく。改めて「凡事徹底」を心に刻むこととしよう。

2015年9月15日火曜日

「やわらかな日差し」

「チャンスにノックは要らない訳ですから・・・」。ニュース番組のコメンテーターが言った一言、「チャンスにノックは要らない」、この言葉が妙に気に入って書き留めた。チャンス、そのチャンスに気づくこともなかなか難しいのだけれど。

さて、毎週花屋さんに替えてもらう今週の花の主役は「ひまわり」だ。夏の名残り、そんな気もする。大雨が通り過ぎたあとの東京は、まさに秋晴れ。日が落ちるのも早くなった。早く暗くなる季節が嫌いだ。若い時分、夜の店でピアノを弾いていた頃のことだが、世間の人々が家路に向かうのを斜に見ながら、夜の仕事場に向かっていた日々のイメージが甦ったりする。暗くなってから仕事に出かける・・・なんか寂しい気分だった。

あれから〇十年!!!
昼の仕事師となった藤原は日差しに感謝しながら生きている。前にも書いたが、日差しが大好きだ。水害被害に遭った地域の皆さんも、今日のようなやわらかな日差しを浴びてほしい。

水害被害のあった当日、被災地とそれほど遠くない「前橋市」で番組の収録をしていた。本番直前、モニタールームのチェック用画面の隣で、生々しいニュースが流れ続けていた。楽しい舞台を作り、お客様に楽しんでいただくための番組の隣で、緊急を告げる生々しい画面。笑う事も出来ない・・・

明日も、明後日も、このやわらかな日差しが、続いて欲しい。祈るような思いだ。

2015年9月8日火曜日

「櫂」

EUと難民の問題が毎日のようにクローズアップされている。現実的には、遠い地域での話なのだが・・・。これが受入国が「日本」だった場合、どういう社会現象が起きるのだろうか。今の日本で、「安保法案反対」「憲法違反」と叫ぶ人々は、日本に難民が押し寄せたとしたら、どう叫ぶのだろうか?

自国だけが平和ならいい、自国の平和のためにだけ憲法がある、というのだろうか・・・。その問題に関しては門外漢を決め込んでいるが、愛読している新聞は「読売」と「産経」と「日経」だ。どっち寄りかすぐに想像がつくというものだ。首相が大阪でテレビ出演していたら「国会軽視だ」とかみついていた野党の見慣れた議員がいた。「上げ足ばかり取ってんじゃないよお前!」と言いたくなる。

日常の生活の中にも、「批判的指摘」にエネルギーを消耗している人が結構いる。幸せを感じさせない「暗がりの占い師」が、人の幸せを説いているようなものだ。「反対」や「だめ」を叫ぶだけなら結構楽な作業だとおもう。それぞれの立場が違えば、見え方も考え方も違うのは当然だが・・・。

ま、文句ばっかり言ってるやつは、好きになれないということなのだが。じゃ「私なら責任をもってこうします」と己の責任論に触れてほしいね。

話は変わるが、
今日の昼飯はとても久しぶりに会社の近くの「牛舎」という店に行った。ここのマスターとも付き合いは長い。もうかれこれ20年ほど前、ラスベガスのあるホテルでばったり出会ったマスターだ。日本人がほとんど居ないあるホテルでばったり!出会ったのだ。確立としてはすごい話だ。そのマスターが実に若い。何でそんなに若いの?と聞いたら「これですよこれ!」と言って満面の笑みで小指を立てた。自己責任で完結!こういう生き方がいいよね。

「平和」と「自己責任」、「博愛」と「自己愛」、情報が氾濫する現代という「海」を漕いで行くのか、流れに身を任せるのか?俺か?漕ぐに決まっているじゃないの。で、その漕ぐ「櫂」は、どこにあるんだ?(笑)。

2015年8月28日金曜日

「人種差別」

アイルランドに居る息子のメールに、時々「人種差別に遭った」という文言が出てくる。現地に詳しい人の話では、それは人種差別ではなく、現地の彼、彼女らの「文化」なのだという。だが、日本人から見たらふてぶてしく感じるその態度が、息子は「人種差別」に感じるらしい。

で、さっきこともあろうにこの俺が人種差別に遭った!。今うちのスタッフが手がけている仕事に関して、クライアントの某プロデューサーとの会話の中で藤原が「人種差別」されたのだ!

某・「もう一人スタッフを出してほしいのですが」
俺・「もちろん」 某・「スタッフは誰ですか?」
俺・「俺が一番いいんじゃない?」
某・「藤原さんじゃ重すぎます!」
俺・「あっ失礼な!なんで?」
某・「藤原さん、これは未来型コンサートですよ。藤原さんの昭和歌謡コンサートじゃないんですから!」  笑・笑・笑!!!

これって絶対「人種差別」じゃない? 失礼な!

あぁ、俺には昭和演歌のイメージがついて回るらしい。あながち間違ってはいないが・・・だが、未来型が俺には似合わない!というイメージには反抗してやる!あの野郎~~~
(苦笑)

2015年8月20日木曜日

「友人を殺してしまった」

その時は気が付かず、後で失敗に気が付き大慌て、なんてことは良くあるが、殺してしまってはいけない。故 浜圭介様 と宛名を書いて その浜圭介様にFAXを送ってしまった。なぜ?

先日亡くなった「菅原やすのり」さんのご遺族にFAXを送ったのだが、その用紙に上書きをしたのが失敗のもと。故 菅原やすのり様ご遺族様・・・という宛名を消して書き直したのだが、「故」が残っていたことに気付かず、故 浜圭介様に・・・

いくら友達でも、慌てたね(苦笑)本人となかなか連絡がとれずへこんでいたのだが、さっき藤原の留守電に彼のメッセージが・・・「死んだけど、生き返ったから・・・」。やれやれ、これが浜さんだったからよかったが、〇〇だったらきっと一生言われるな・・・などと思いながら安易な上書きを反省!!!慣れきった作業には「落とし穴」、肝に銘じよう。

さっき、赤毛のアンというミュージカルを観てきた。無料招待ミュージカルなので豪華セット、豪華演出とはいかないが、なかなか上品で可愛らしいミュージカルだった。現実の大波小波の世界で生きていると、ほっとする瞬間が大切な息抜きになる。肩の凝らない素敵な時間だった。

さて、周囲の見慣れた景色、見慣れたスタッフ、わかりきった手順と作業・・・どこかに落とし穴がないか、注意注意!言葉ひとつで、人を殺すこともあるから!

2015年8月13日木曜日

「彩りの街」

インターネットである人物を検索していたのだが、何気に「藤原典男」も検索してみた。同姓同名の人物がお二人ほど居た。どこかの街の議員さんと、もと高校教師で著作を出版されている藤原典男さん。同姓同名なのだから、優秀な方に違いない!(笑)

検索を先に進めると、昔歌った「愛のおしゃべり折尾の街」という情報に出会った。その先に「彩りの街」という楽曲が「You Tube」にアップされているのに出くわす。この作品の詞は「石原裕次郎」さんに書いたもので、昭和50何年だったか・・・カラオケ愛好家がカバーして歌っているらしい。興味本位で聴いてみることに。3人ほどの歌唱がアップされていた。

一人は原曲にかなり近く歌っている。あとの二人は見事に作曲していた。ヒットしなかった歌は、こうして変化を遂げていくのだろう(笑)あぁ 彩(いろ)とりどりだよ。

当時は作曲をしたかったのだが、活動を共にしている相手が作曲だったものだから、仕方なく詞を書いていた。曲を書きたいのに仕方なく歌も歌ってた(苦笑)。ヒット曲はなかったが、いま時代を経てこうして当時の作品に触れると、なんとも懐かしい。

活動を共にしていた作曲家はもう25年も前に亡くなっている。56か57才だったと思う。毎日酒浸りで、酒を止めさせる為に何度も病院に入れた。彼の編曲作品の写譜もやっていたのだが、朝スコアーを取りに行くと玄関口で寝ていて驚くこともたびたび・・・ある日午前10時から2曲のレコーディングがあるので写譜の時間を逆算してスコア―を取りに行ったら、やはり床に寝ていた。編曲が完成していれば問題ないのだが。おそるおそる机を覗いたら、エンディングだけがまだ未完成。それも一曲のみ・・・仕方なくエンディングだけを書き加え、一曲のみ写譜を終えて一人スタジオへ。代わりに指揮棒を振って、一曲のみレコーディング。ディレクターにも演奏陣にも平謝りで詫びたっけ。レコーディングを終え、彼のもとへ報告に行ったとき、彼が何と言ったかは覚えていない。

「彩りの街」はそんな彼の作・編曲だ。遠い記憶だが、時間を飛び越えて今も尚、鮮やかによみがえる、いい思い出なのだ。

2015年8月11日火曜日

「わがままに生きる」

8月8日「地球歌の日コンサート」お待ちしています。そんな招待状が届いたのが7月。招待状とパンフレットを机の上に置いたまま、8月9日を迎えてしまった。コンサートの主催は歌手「菅原やすのり」さん。いつもマメに招待状を送って下さる。失念してしまい、結果としては行けなかったのだが、9日の朝刊で彼が亡くなったことを知る・・・

8月4日に亡くなった、と訃報記事が掲載されていた。白血病とあった。無念であっただろう・・・コンサート目前の死であったから、なおさら。どんなコンサートの招待状でも、必ず自筆で一言添えられていた。稀有な存在だった。こころからご冥福をお祈りする。

昨日、久々で出会った友人が「藤原さん、見かけが若いから・・・」。それって褒め言葉?「見かけが若い?」ならばどこが年齢相応なわけ?!と後で思うのだった(笑)。だが、あちこちで知人、友人の「死」という強烈なテーマに出会うと、「若い」という言葉に一喜一憂してていいものか、などと思ってしまう。

「わがままに生きたい」と思う。結構わがままに生きてきたが、もっとわがままに生きたい。「わがまま」の定義なんぞわかっちゃいないが、人は「わがまま」でいいのだ。さて、ならば誰よりも「わがまま」に生きる方法はあるのだろうか。やるだけやって、がむしゃらに生きて、疲れたな・・・と思ったら後先考えずに「ぽっくり死ぬ」、これ、結構究極の「わがまま」かも。人は、後先考えすぎるからくたびれる。「わがままに生きてわがままに死ぬ」。できたら、いいね。

話を「菅原やすのり」さんに戻すが、最後に会ったのはいつだったろう・・・「肩の力が抜けて、いい歌になりましたね」と生意気なことを申し上げたのだが、「藤原さんに褒めてもらって・・・」と謙虚に受け止める方だった。いい意味で「わがまま」に生きられた方だな・・・そんな気もする。合掌。


2015年8月5日水曜日

「老人性?」

手の甲に出来たイボが気になったので皮膚科に行った。「このイボを取りたい事と、足に出来たこのシミのようなものが気になるんですが・・・」と医師に告げた。「イボはウイルス性ですね、すぐ取れます。足のこれは・・・老人性脂漏角化症です、良性です」。

「先生、最初の2文字が気に入らないんですが。その老人というネーミング、何とかなりませんか?」と医師に訴えたのだ(笑)「皮膚ガンかもしれないじゃないですか!」「では念のため写真で検査しましょう」と余分な検査をして高い診療費を払った(苦笑)

病院から会社に戻ったとたん、社労士さんから電話が。「老齢基礎年金の件ですが・・・」。この話題も「老」だ。いい加減にして~~~

最近、日焼け止めジェルを使っている。「男が日焼け止め?ざけんなよ!」という種類の戯言をつい先日まで言っていた気がするのだが、別の皮膚科の医師から強く勧められ、心を入れ替えた。すべて皮膚がんの予防のためだそうだ。世の男子諸君!日焼け止めジェルを塗ってから外出したまえ!。

ま、気分的には「老人」とはなんら関係を持っていないのだが、体力的にはいささか不安でもある。同じ姿勢でいると美しく立ち上がれないし、深夜12時を過ぎたら酒も要らなくなる。美しいお姉さんをみてもドキドキ感は半分程度になったし(決して枯れてはいない!)口説いてるふりをしていても面倒くささが前面に出ているし・・・。なら、ただの老人じゃないの?って?

ところで「老人性」とは「老人の性」ということ?駄目だこりゃ。おあとがよろしいようで。

2015年7月31日金曜日

「暑中見舞いはがき」

暑中見舞いのはがきを書かなくなって、何年ほどになるだろう・・・メールのやりとりが多くなってきたころから、暑中見舞いの感覚が薄くなってきた気がする。こんな葉書が届いた。表書きには藤原の住所と「おかわりないですか?」の文字。お便り面は、こんな感じ・・・


母86才 認知症  私66才 呆け少々
それは分かったのだが その「私」は誰???
誰だ~おまえは!(笑)
呆け少々は わかったから 名を名乗れ!(笑)
お願いですから、はがきを出すときには 自分の名前を書き込むことを忘れないようにしましょう!


とか言っているけど、今日スタッフと昼食に行き、帰り伝票を手にしながら「あっ!メガネ メガネ!」とわめいたのだが、メガネは胸ポケットに。つい先日は、喫茶店にメガネを忘れたかもしれない、と言って人を走らせたのだが、そのメガネは(机の書類の陰に・・・)。ついでにこんなことを思い出した。息子が赤ちゃんだったころ、背中に(おんぶ)して買い物をしていたのだが、品定めからふと我に返った瞬間「あっ!〇〇が居ない!」  ・・・  ・・・
 そばにいたカミさんは(ぽか~ん)。。。。。。 息子は背中ですやすや眠りの中。。。。。。

歳を重ねるとみんな呆けてきた、というのだがそんなことはない。細かいことを気にしなくなってきただけ。それだけ人間がおおらかになって来たという事だ!てな言い訳でいいかな。ね、ね、ね。

2015年7月27日月曜日



「あっ!という光景」

「あっ!」と思った瞬間車のトランクが閉まった。「もしかして・・・」とは思ったのだが、案の定運転席サイドのドアが開かない・・・。普段は車中にキーを置いてドアを閉めようとするとクラクションが自動で鳴って、キーを閉じ込めることは無い。車屋の担当者に電話をしたら「トランクは鳴らないんですよ!」そんなことはどうでもいい。「開ける方法はないの?」「スペアキーでしか・・・」

場所は成田空港の駐車場。順調に通関して、風邪気味だったから早く家に帰りたい・・・と駐車場に急いだのにこの始末。でどうした?カミさんに新宿からタクシーを飛ばしてもらったのだ。何十年ぶりだろうか、キーの閉じ込めなんて。

「あ!」の瞬間からおよそ2時間後にスペアキーが届くことになるのだが、問題はそのあいだの時間の過ごし方だ。現金もカードもすべて車の中・・・時間つぶしの週刊誌を買うことも出来ない。で、航空会社とかバス会社のパンフレットを手当たり次第に集め読むことに。パンフレットのなかに発見があった。飛行機もリムジンバスも、65歳を過ぎるとシニア割引があります、だと。バスなんか3,100円が2,000円になるらしい。飛行機も当日空席があればかなり安くなるらしい。2時間の待ち時間で手に入れられたものはそれだケ・・・(苦笑)

今度の旅では佐藤愛子さんの「晩鐘」を読み切った。他に読むものが無かったから帰りの機中では映画を観た。殺し屋の父を持つ息子とその父親の葛藤を描いた映画だったが、その親子の葛藤を自分自身の親子に当てはめてみたり・・・映画の中の父親は、息子を守るために最後は撃たれて息絶えるのだが・・・充分に見ごたえがあった。

ところで、国が変われば事情が変わるのは当たり前だが、こんな光景をどう捉えればいいのだろうか。街には結構高級車が走り回る中国の某市街中の光景だ。車が止まっているのは、歩行者用道路だ。歩行者のための空間に当たり前のように車が止まっている。郊外ではない、街中なのだ。これだけ堂々と駐車違反されるとね・・・



                    

2015年7月21日火曜日

「偲ぶ会」

藤原を「ボン太」と呼んだ彼が逝ってから、丸一年が過ぎた。昨日、京王プラザホテルで彼を偲ぶ会が催されたので行ってきた。あれから一年・・・本当に早い。500人ほどの参加者が居ただろうか。偲ぶ会が盛大でも、死んでしまったらなぁ・・・とかなんとか言いながら会場を後にしたのだが。

一年もたったのに、また泣けてしまった。友人が、ずっと観察していたらしい。「藤原はきっと泣くぞ」とおもって見ていたらやっぱり泣いた、と嬉しそうに言っていた。彼は先日の娘の結婚式にも出席していて、藤原の泣き顔を沢山写真に撮っていて、それを嬉しそうに見せてくれた。やっぱり俺は泣き虫だし、それが周囲にバレているという事なのだが。

2.3日前、資料として中村美律子さんの「瞼の母」という歌謡浪曲を聴いたのだが、ヘッドフォンをしながら泣いてしまった。これって、涙腺弱すぎ!人情ものにからっきし弱い。やれやれ。

「みんなに偲ばれる」彼が亡くなった一年前に、何度かブログには書いたが、お互い10代の出会いだった。「りえ」という可愛い女の子を取り合った仲だ。他にも沢山悪さをした。みんないい思い出だ。過ぎてしまえば・・・いい思い出。

彼と言うのは、北島三郎さんの末の弟だが、帰り際北島さんの奥様が「次は楽しい場面で逢いましょうね」と声を掛けてくれた。その通りだ。「誰それが死んだ」「誰それはもう危ないらしい」そんな情報が多過ぎる。歳を重ねるという事は、そういう事らしい。



2015年7月15日水曜日


「あ~言っちゃった!」

「クソ社長!」その一言は藤原の心を突き刺した。あまりにも突然襲ったその言葉・・・しばらく涙が止まらなかった・・・。

笑い転げて、「笑い泣き」というやつだ。笑って涙が出るのは久しぶりだった。誰がそんなことを?社内にいる某女子社員だ。ある飲み会の席で、彼女の乙女心について話し始めた藤原。「そこだけはバラサナイで!」という部分を面白おかしく解説していたら「もう嫌だ、やめて!もう、馬鹿!」というような感情表現が「クソ社長!」となったのだろう(笑)。なかなかインパクトがあった。実に面白かった。他に誰か言いたい奴はいるか?「クソ社長~!」と。

言いたいことを言って可愛がられる人もいる。言わなくていいことを言って煙たがられる人もいる。人は皆、言葉に敏感なはずなのに、自分の事がわからない人もいる。言葉は上手に使えば、最大のコミニュ二ケーションの道具。肝に銘じたい。

メールが通信手段の主役になってから、言葉、いや言い回しが特に重要になってきたと思う。その文字や言い回しによって、高圧的に感じたり、距離を感じたり。間違いを犯さないためには、相手に寄り添う気持ちや、心配りの余裕を持ち合わせることがいかに大切か・・・と思う。

世間ではお中元の受け付けは今日までだという。立ち止まっていても、しがみついていても、時間は止まらない。そういう意味では、泣いていようが、笑っていようが時間は過ぎていく。ならば笑っていたい、誰もがそう思うのかもしれない。笑えてよかったよ!某女子社員!




2015年6月30日火曜日

「出会いと縁」

小説家の佐藤愛子さんの講演会に行ってきた。講演テーマは「91歳の生き方」だったか。もう何十年ぶりだろう、と思えるほど久しぶりの再会だった。実際に20年ぶりぐらいかな。

講演会はすでに満席だったため、先生に関係者席というものを用意していただいた。いつもお着物というイメージがあったのだが、なんと白のスーツで足取りもしっかりご登場、91歳だとは思えない!お姿だった。びっくり。

楽屋を訪ねた。「藤原さんとどうして親しくなったんでしょうね、前世のご縁かしら」という話になったのだが確かにそうかもしれない。会ってはいないのだが、ずっと関係は続いているし、気にもなる。前世という言葉が出てくるのが先生らしい。「きっとそうです」と答えたが。出会いはもう30年以上前になると思う。小田急カルチャー主催の「トークショー」という催しがあり、藤原はそこで司会をやっていた。そこのゲストの一人が佐藤先生だった。「そんな出会いはたくさんあるのに、なぜ藤原さんと親しくなったのかしら・・・」と先生は笑うのだが、藤原にもよくわからない。

が、「藤原さんと親しい」という言葉を何度も伺ってそれで満足、嬉しかった。「こんどお食事しましょう」と言われて別れたが、楽しみだ。また「霊」の話や「前世」の話で盛り上がれるかな。最近出版された「晩鐘」もまだ読み切っていないし、早く読まなきゃ。

今朝、アイルランドに居る息子からメールが来ていた。

「わしの夢は、パパの人生を、舞台にして演出することだよ。 タイトルは、もう決めてあるだよ。 その時は、出てほしいのだ。 わし、若い頃のパパをやるよ。」
 
だって。かってなことを言っているが、それはそれでいいんじゃない(笑)で、俺の人生ってなんだ?何れ、息子や娘が俺の先を歩いていて、爺になった俺が「お若いですね!」って言われて喜んでいるのかな?
 
何にしろ、今日までの沢山の出会いを、藤原なりに大切にしていきたいものだ。





2015年6月29日月曜日

「バージンロードが短い」

昨日、娘の結婚式だった。もう、何年前からバージンロードを娘と歩く姿をイメージしていただろうか。そして歩いた。バージンロードが短か過ぎるのだ!。

会場の係は、本番直前にいろいろ決まり事を教えてくれた。それこそ本番直前に。「ここまでは普通に歩いて、ここからはブライダル歩きで」とかなんとか。それ何?って聞いているうちに今度は「前列3列目の席のところで止まって新郎に新婦を渡してください」とかなんとか。「その時そっと手を添えて」とかなんとか・・・予備知識でもあればわかるのだろうが、「ハイハイ」とは言ったもののわかるもんか!「グローブは?」と言われて「何それ?」と聞いたら白い手袋なそうだ。「白い手袋」と言えよ!「ない、要らない!」でその件はおしまい。

本番をイメージする間もなく、本番です、と言われた。娘と手を組んでいよいよその「ブライダル歩き」だ。最初の2歩まで娘と歩調が合わない。娘の緊張が伝わってくる。「大丈夫か?」と声を掛けたら「うん」という返事。3歩目でようやく足が揃った気がする。「あぁ、これが何度もイメージしたバージンロードの世界だ」と思い始めたとたん、目の前に新郎の顔が!!!お前!出てくるのが速過ぎるぞぉ!!!「もっとそっちで待ってろよ!」

おれはすでに泣いているから、周りの事なんか見えない。現実感がないのだ。ふわふわした感じ。あぁこの世界をもっと味わいたい・・・と思っていたらもう「終点」。あいつが迎えにきやがった。
おれはまだ娘に触れていたいから、名残り惜しそうに去ってゆく娘の肩をいつまでもポンポン叩く。未練がましく・・・あぁバージンロードがあと50メートルぐらいあったなら・・・

披露宴はいい披露宴だった。今日、友人の一人から、「人間って、いいな」と感じる感動的な披露宴だった、とメールをもらった。お決まりの「娘からの手紙」。「藤原さんきっと泣くから」と何処からか声が聞こえた。泣いたか?もちろんめそめそグズグズ。

司会者からご両家代表謝辞、というコールがあって婿どののお父様が謝辞。で、ここからが俺らしいといううか。「娘をやるんだから俺にもしゃべらせろ」という口上のもとに藤原がスピーチ。もちろん会場と彼のご両親には伝えてはあったが。娘を持つ父親の気持ちとは、想像していた以上に感情的だ。

式の最中、キスシーンを見逃した。いや、目を閉じたのだ。見たくもねぇよ。(笑)