「いろんな話」
東京の地下鉄は深い。エスカレーターは長い。その長いエスカレーターで、2列になった乗降客。右側通路を左側の人はルールのように空け、その右側をせっせと駆ける人たちがいる。黙って2列に並んで到着を待てよ、と思うのだが、右側の通路を急ぐ人たちがいる。
何秒も変わるわけではないだろうに、それでも人々は急ぐのだ。デパートの短いエスカレーターでも、右側に居ると「邪魔だ」と言わんばかりに急ぐ若者がいる。デパートぐらいのんびりしろよ。
急いだ訳ではないだろうが、旧知の編曲家が「亡くなっていた」ことをつい先日知った。彼の人生が幸せだったか不幸だったかは本人しかわからない。が、離婚して、長い間一人暮らしだった気がする。孫の自慢はよくしていたが。しかし、年齢を考えると、彼は死に急いだ。昔の仲間で、一度会って飲もうよ、と言ったのはもう2,3年前かもしれない。年賀状がまた一枚減った。
先日友人が沖縄に行ってきた時の話だ。沖縄に行く、と知人に話したら、いいホテルを安く取ってあげる、といわれ友人は喜んで頼んだそうだ。そして彼はその日、那覇空港に着く。で、那覇市内での打ち合わせを終えてホテルに電話をしたのだが、なんとホテルは確かに沖縄なのだが「沖縄市内」。那覇からは往復タクシーで15,000円ぐらいかかったのだとか。レンタカーを借りたほうがよっぽど安く済んだろうに。この話、現地沖縄から実況中継してきたので、久々にナチュラルな笑いを楽しんだ。「おバカだね!」
良い話、どうでもいい話、いやな話、さて今年はどの話が多かったんだろうね。まだ3日ある。いい話を探すとするか!
2017年12月28日木曜日
2017年12月27日水曜日
「思い出すということ」
ブログまで手が回らなかった、と言い訳からか・・・
つい先日、「歌のあとさき」という番組で「千昌夫」さんの収録があった。千さんは東京に出てきた年初めて見たプロ歌手だった(笑)。上野にあった体育館のような場所で、その年「集団就職」で岩手から上京した子供たちの、激励会のような催しもののゲスト歌手だった。昭和41年、あれから50年を超えた。そして今、彼の番組を制作している藤原・・・
千さんと、昔話をしていて、いくつもの忘れていた光景を思い出した。土壁の長屋住まい、井戸と便所は国道4号線を渡った反対側、桶で水くみをして、流し台の脇にあった樽にため水。千さんもしていたという「ヤクルト」とか「牛乳」の配達。新聞配達は小3~中2まで続いた。
彼は昭和40年の春休みに初めての上京をした。その同じ春休み、藤原も上京していたた。中2~中3になる春休みだったが、家出をして出てきた(苦笑)。浅草寺近くの旅館に一泊し、浅草橋にあった「化粧品問屋」のような店に住み込みで潜り込んだ。
親の承諾書と言われ、嘘を通しきれず結局岩手に帰り(当たり前だが)中3を終えて昭和41年春に正々堂々と上京することになるのだが。
本当に良い時代を生きてきた。「人情」がデジタルではなく、肌として伝わってきた時代だ。人とのコミュニケーションの取り方が、我々の感覚では追い付かない時代がもうそこまで来ているのだろう。
話は跳ぶが孫が先日一歳を迎えた。気分がすぐれないとき、携帯電話に届く孫の写真に目をやる。にんまりできる。「孫」と言っている自分にどこか納得していないのだが、世間が「お孫さん」というから仕方がない(笑)やっぱりジジイの領域かぁ。
年内に一度岩手に行こうと思っていたのだが時間が許さなかった。一度行っておかないと、景色も思い出も遠くなる・・・
ブログまで手が回らなかった、と言い訳からか・・・
つい先日、「歌のあとさき」という番組で「千昌夫」さんの収録があった。千さんは東京に出てきた年初めて見たプロ歌手だった(笑)。上野にあった体育館のような場所で、その年「集団就職」で岩手から上京した子供たちの、激励会のような催しもののゲスト歌手だった。昭和41年、あれから50年を超えた。そして今、彼の番組を制作している藤原・・・
千さんと、昔話をしていて、いくつもの忘れていた光景を思い出した。土壁の長屋住まい、井戸と便所は国道4号線を渡った反対側、桶で水くみをして、流し台の脇にあった樽にため水。千さんもしていたという「ヤクルト」とか「牛乳」の配達。新聞配達は小3~中2まで続いた。
彼は昭和40年の春休みに初めての上京をした。その同じ春休み、藤原も上京していたた。中2~中3になる春休みだったが、家出をして出てきた(苦笑)。浅草寺近くの旅館に一泊し、浅草橋にあった「化粧品問屋」のような店に住み込みで潜り込んだ。
親の承諾書と言われ、嘘を通しきれず結局岩手に帰り(当たり前だが)中3を終えて昭和41年春に正々堂々と上京することになるのだが。
本当に良い時代を生きてきた。「人情」がデジタルではなく、肌として伝わってきた時代だ。人とのコミュニケーションの取り方が、我々の感覚では追い付かない時代がもうそこまで来ているのだろう。
話は跳ぶが孫が先日一歳を迎えた。気分がすぐれないとき、携帯電話に届く孫の写真に目をやる。にんまりできる。「孫」と言っている自分にどこか納得していないのだが、世間が「お孫さん」というから仕方がない(笑)やっぱりジジイの領域かぁ。
年内に一度岩手に行こうと思っていたのだが時間が許さなかった。一度行っておかないと、景色も思い出も遠くなる・・・
2017年11月2日木曜日
「気がつけば11月」
良い時代を生きてきたと思う。生まれたのは戦後5年も経ってからだが、本当にあれこれ「もの」が無かった時代だ。無いから工夫したし、無いから憧れた。憧れたから「手に入れるため」に頑張った。こんなに「もの」が溢れている時代に生きているからこそ、無い時代をつくづく懐かしく思う。
最近の子供はアレルギーが多いという話題になり、昔を思い出すことになるのだが。まず清潔すぎて今の子供たちは菌に弱いよなと。もしかして俺たちの時代もアレルギーはあったかもしれないが、そんなことより食って生きることのほうが大切だったとか。
子供の頃、近所の家には電話があって、何か急用のときに時々その電話を借りにいった覚えがある。ぐるぐるとハンドルを回すと交換手が出るので「市外お願いします」とか言って電話番号を告げるとつないでくれた。中学卒業の頃、集団就職をする子供たちが集められて、電話局のおじさんから電話のかけ方を教わった。その時の電話は黒電話で、ダイヤルを回す電話だった。受話器の取り方、ダイヤルの回し方などを教わった。ダイヤルの回し方が「うまいね」と褒められたことをなぜか覚えている(笑)
今は本当にものが溢れていて、会社の中も然りだ。せっせと「捨てる」。だが「社長!どうしてこれ捨てるんですか!?」とくる。要らないから捨てるのだが捨てると「要る」という。ならば「片付けろ!」ということなのだが、いたちごっこ(苦笑)
このところ忙しすぎて、ブログにまで全く気が回らなかった。気がつけばもう11月。時間を盗んでインフルエンザの予防注射を打ってきた。気休め、きやすめ。
さて、世間はまた連休だというが、わが社に「働き方改革」という言葉は縁遠いものとなっている。総理大臣、あなたに働き方改革が当てはまりますか?てなもんだ。総理の多忙と同じくらい、小さな会社に改革できる余裕なんてないよね。
良い時代を生きてきたと思う。生まれたのは戦後5年も経ってからだが、本当にあれこれ「もの」が無かった時代だ。無いから工夫したし、無いから憧れた。憧れたから「手に入れるため」に頑張った。こんなに「もの」が溢れている時代に生きているからこそ、無い時代をつくづく懐かしく思う。
最近の子供はアレルギーが多いという話題になり、昔を思い出すことになるのだが。まず清潔すぎて今の子供たちは菌に弱いよなと。もしかして俺たちの時代もアレルギーはあったかもしれないが、そんなことより食って生きることのほうが大切だったとか。
子供の頃、近所の家には電話があって、何か急用のときに時々その電話を借りにいった覚えがある。ぐるぐるとハンドルを回すと交換手が出るので「市外お願いします」とか言って電話番号を告げるとつないでくれた。中学卒業の頃、集団就職をする子供たちが集められて、電話局のおじさんから電話のかけ方を教わった。その時の電話は黒電話で、ダイヤルを回す電話だった。受話器の取り方、ダイヤルの回し方などを教わった。ダイヤルの回し方が「うまいね」と褒められたことをなぜか覚えている(笑)
今は本当にものが溢れていて、会社の中も然りだ。せっせと「捨てる」。だが「社長!どうしてこれ捨てるんですか!?」とくる。要らないから捨てるのだが捨てると「要る」という。ならば「片付けろ!」ということなのだが、いたちごっこ(苦笑)
このところ忙しすぎて、ブログにまで全く気が回らなかった。気がつけばもう11月。時間を盗んでインフルエンザの予防注射を打ってきた。気休め、きやすめ。
さて、世間はまた連休だというが、わが社に「働き方改革」という言葉は縁遠いものとなっている。総理大臣、あなたに働き方改革が当てはまりますか?てなもんだ。総理の多忙と同じくらい、小さな会社に改革できる余裕なんてないよね。
2017年10月14日土曜日
「泣き虫が直らない」
その人の立ち姿に、50年という人生が重なる。まるで走馬灯のようにあれこれが甦る。その人の歌声には血の流れを感じる。そしてなぜか、血の近さを感じるのだ。
その人の名は「北島三郎」。紆余曲折はあったが、昨日収録した「BS日本のうた」に出演を願った。スタジオではなく、お客様のいる会場での収録に、ずいぶん心配の声もあった。何しろ「手術」をしてから初めてのオンステージのテレビ収録。
当日(昨日)本当に頑張ってくれた。音合わせの段階で少しふらついていたようだったから、心配はしたが、結果はすべてOK。音合わせの段階で涙が止まらなくなり、新曲を歌ったところで思わずステージ中央の本人に駆け寄り手を握ってしまった。周りにいた歌手の皆さんはびっくりしたに違いない。そのまま楽屋について行き、楽屋の中でこらえきれずに大泣きしてしまった。(苦笑)
今度びっくりしたのは周りのスタッフ。「先生は大丈夫だけど、こっちが大丈夫じゃないのよ!」長年北島さんのお世話をしている女性スタッフがティッシュの箱を差し出す始末。
他のスタッフが後で耳の側でこういった。「男が号泣する姿を始めてみました。藤原さんはテレビマンだと思えませんね・・・浪花節ですね・・・」
しかし、長時間の収録によく耐えてもらった。最後には「嬉しかった、楽しかった」とも言ってくれた。本当にお疲れさまでした。
あの一言が嬉しかったな。
「藤原は身内だから・・・」
出逢いから51年
数奇な運命を感じる。
3年前に亡くなった末の弟さんが
今の藤原と同い年。
俺はまだ、元気だけどね。
よく、泣くけど。
その人の立ち姿に、50年という人生が重なる。まるで走馬灯のようにあれこれが甦る。その人の歌声には血の流れを感じる。そしてなぜか、血の近さを感じるのだ。
その人の名は「北島三郎」。紆余曲折はあったが、昨日収録した「BS日本のうた」に出演を願った。スタジオではなく、お客様のいる会場での収録に、ずいぶん心配の声もあった。何しろ「手術」をしてから初めてのオンステージのテレビ収録。
当日(昨日)本当に頑張ってくれた。音合わせの段階で少しふらついていたようだったから、心配はしたが、結果はすべてOK。音合わせの段階で涙が止まらなくなり、新曲を歌ったところで思わずステージ中央の本人に駆け寄り手を握ってしまった。周りにいた歌手の皆さんはびっくりしたに違いない。そのまま楽屋について行き、楽屋の中でこらえきれずに大泣きしてしまった。(苦笑)
今度びっくりしたのは周りのスタッフ。「先生は大丈夫だけど、こっちが大丈夫じゃないのよ!」長年北島さんのお世話をしている女性スタッフがティッシュの箱を差し出す始末。
他のスタッフが後で耳の側でこういった。「男が号泣する姿を始めてみました。藤原さんはテレビマンだと思えませんね・・・浪花節ですね・・・」
しかし、長時間の収録によく耐えてもらった。最後には「嬉しかった、楽しかった」とも言ってくれた。本当にお疲れさまでした。
あの一言が嬉しかったな。
「藤原は身内だから・・・」
出逢いから51年
数奇な運命を感じる。
3年前に亡くなった末の弟さんが
今の藤原と同い年。
俺はまだ、元気だけどね。
よく、泣くけど。
2017年10月7日土曜日
「時の過ぎゆくままに」
今日は川中美幸さんのお母様の告別式だった。本当にお母さん想いの川中さんだったから、その心中を察するに余りある。お母さんが亡くなつた3日後、生放送に出演してお母さんを題材にした歌を歌っていた。当然泣いていた。
偶然放送を見たのだが、もらい泣き。番組終了後、マネージャーにメールを送った。「番組って罪ですね・・・」と。あまりにも分かり易い制作者の意図が見えたから。でも、母親をあんなにも愛せた川中さんを羨ましいとも思ったけれど。
怒涛のような毎日が過ぎてゆく。税務調査は終わったけれど、後処理がまだ残っている。番組収録と同時だったものだから、心も体も疲労×2。12日の番組の準備で「北島」さんと最終的な打ち合わせが無事できたことが何よりの安心情報だ。それが終わると例年の「日本賞」が控えている。それが終わるとすぐに「純烈コンサート」のリハーサルがあるのだが、なんと構成演出に手を付けられていない。焦っている?そう、焦っている。美術打ち合わせがようやく明後日だから、そこからスタートかな。
社員がみんな手一杯なものだから、資料を作ってくれるスタッフパワーもないのだ!これって、本当に大丈夫?てな感じ・・・
間もなく娘夫婦が引っ越しして独立生活を送ることになった。丸1年同居していたかな。朝起きてやぁ「倫太朗」と呼ぶ相手も居なくなる。孫はすぐ俺を忘れるかもしれない・・・今だって長い時間一緒に居ないから、最近なんだか孫が俺を「しかと」。つい先日まで、顔をみてすぐに笑ってくれたのだが・・・孫よ!のりぴーにもっと優しくして!(笑)
だが、引っ越し先を聞いたら、自宅から4,5分の距離らしい。ははは、どうせ土日には実家に入りびたりだろう!と期待しているのだが。
今日は川中美幸さんのお母様の告別式だった。本当にお母さん想いの川中さんだったから、その心中を察するに余りある。お母さんが亡くなつた3日後、生放送に出演してお母さんを題材にした歌を歌っていた。当然泣いていた。
偶然放送を見たのだが、もらい泣き。番組終了後、マネージャーにメールを送った。「番組って罪ですね・・・」と。あまりにも分かり易い制作者の意図が見えたから。でも、母親をあんなにも愛せた川中さんを羨ましいとも思ったけれど。
怒涛のような毎日が過ぎてゆく。税務調査は終わったけれど、後処理がまだ残っている。番組収録と同時だったものだから、心も体も疲労×2。12日の番組の準備で「北島」さんと最終的な打ち合わせが無事できたことが何よりの安心情報だ。それが終わると例年の「日本賞」が控えている。それが終わるとすぐに「純烈コンサート」のリハーサルがあるのだが、なんと構成演出に手を付けられていない。焦っている?そう、焦っている。美術打ち合わせがようやく明後日だから、そこからスタートかな。
社員がみんな手一杯なものだから、資料を作ってくれるスタッフパワーもないのだ!これって、本当に大丈夫?てな感じ・・・
間もなく娘夫婦が引っ越しして独立生活を送ることになった。丸1年同居していたかな。朝起きてやぁ「倫太朗」と呼ぶ相手も居なくなる。孫はすぐ俺を忘れるかもしれない・・・今だって長い時間一緒に居ないから、最近なんだか孫が俺を「しかと」。つい先日まで、顔をみてすぐに笑ってくれたのだが・・・孫よ!のりぴーにもっと優しくして!(笑)
だが、引っ越し先を聞いたら、自宅から4,5分の距離らしい。ははは、どうせ土日には実家に入りびたりだろう!と期待しているのだが。
2017年9月27日水曜日
「集中力」
今日、国際フォーラムCという会場の下見に行ってきた。11月の「純烈」のコンサートのための下見なのだが、あとひと月とちょっとしかないのに明日ようやく本人たちと打ち合わせ。少し準備期間が足りないかな・・・などと今日ぐらいから少し焦っている感覚が胸のどこかに・・・ま、結果はいつも間に合うのだが。
今回はゲスト扱いの歌手が多く、どうさばいたらいいものやら。
番組や舞台が重なり、税務調査と求人が重なり、どうさばいたらいいものやら。
で、ふと思い立ってまた見てしまった「孫」の最新動画。う~ん、癒されるぅ、思わず顔が緩む。家に帰って孫と戯れたいな・・・などと職場放棄の誘惑まで・・・が駄目だ。打ち合わせに出かけるスタッフから「帰ったら(日本のうた)の打ち合わせを!」と時間の拘束を受けてしまった。やれやれ。
で、何とか気分を変えたいから「あなたの運勢助言」というカードをひいてみた。「控えめに対処することが却って良好を得られる時」だって・・・なるほどね。机の中にあるこのカード、年に一回程度見る。カードを元に戻しながら思う。このところまた机の引き出しの中が汚いな・・・
で、仕事に戻らず新聞を開く。このブログの途中で。いずれにせよ、集中力に欠けているということなのだな、今日の藤原。さて、何から手をつけるか。集中力よ!やって来い!!!
今日、国際フォーラムCという会場の下見に行ってきた。11月の「純烈」のコンサートのための下見なのだが、あとひと月とちょっとしかないのに明日ようやく本人たちと打ち合わせ。少し準備期間が足りないかな・・・などと今日ぐらいから少し焦っている感覚が胸のどこかに・・・ま、結果はいつも間に合うのだが。
今回はゲスト扱いの歌手が多く、どうさばいたらいいものやら。
番組や舞台が重なり、税務調査と求人が重なり、どうさばいたらいいものやら。
で、ふと思い立ってまた見てしまった「孫」の最新動画。う~ん、癒されるぅ、思わず顔が緩む。家に帰って孫と戯れたいな・・・などと職場放棄の誘惑まで・・・が駄目だ。打ち合わせに出かけるスタッフから「帰ったら(日本のうた)の打ち合わせを!」と時間の拘束を受けてしまった。やれやれ。
で、何とか気分を変えたいから「あなたの運勢助言」というカードをひいてみた。「控えめに対処することが却って良好を得られる時」だって・・・なるほどね。机の中にあるこのカード、年に一回程度見る。カードを元に戻しながら思う。このところまた机の引き出しの中が汚いな・・・
で、仕事に戻らず新聞を開く。このブログの途中で。いずれにせよ、集中力に欠けているということなのだな、今日の藤原。さて、何から手をつけるか。集中力よ!やって来い!!!
2017年9月25日月曜日
「アプリ」
今、海外の某空港で「復路」の飛行機の搭乗時間をラウンジで待っている。この国は25年ほど前に来たはずなのだが、まったく記憶にない。湿気と暑さが迎えてくれたような気がするのだが。
ま、隔世の感だな。当時は携帯もなければPCもなかった。今回はなぜか、初めて海外用Wi-Fiというものを持ってきた。いつもはホテルでPCは使えるしdocomoのSMSは無料だし、何の不自由もなかったのだが、ま、娘の勧めで成田で借りてきた。
いつもと何が違う?こうして空港でPCを利用しているし、会社からの連絡もPCを持ってさえいればいつでも相互通信可。(望んではいないが)
Wi-Fiは余分といえば余分なのだが、今回は娘が利用する「みてね」アプリを最大限利用することになった。アプリなんて必要を感じたこともなかったのに。アプリなんて「いらねぇ」と言っていたのにね。これがまた、可愛い孫の「お姿」が瞬時に送られてくることになったのだ。
さて、そんなアプリの中から、SayHiというアプリの存在を知った。翻訳アプリだよ。日本語で言えば何語でも翻訳してくれる。どこの国へ出かけてもYesとNoで生き延びてきたのだが、超便利なことだと理解した。今朝チェックアウトの時、早速使ったね。「ルームキーを紛失しました」と英語でね。
いけない、間もなく搭乗時間だ。
今、海外の某空港で「復路」の飛行機の搭乗時間をラウンジで待っている。この国は25年ほど前に来たはずなのだが、まったく記憶にない。湿気と暑さが迎えてくれたような気がするのだが。
ま、隔世の感だな。当時は携帯もなければPCもなかった。今回はなぜか、初めて海外用Wi-Fiというものを持ってきた。いつもはホテルでPCは使えるしdocomoのSMSは無料だし、何の不自由もなかったのだが、ま、娘の勧めで成田で借りてきた。
いつもと何が違う?こうして空港でPCを利用しているし、会社からの連絡もPCを持ってさえいればいつでも相互通信可。(望んではいないが)
Wi-Fiは余分といえば余分なのだが、今回は娘が利用する「みてね」アプリを最大限利用することになった。アプリなんて必要を感じたこともなかったのに。アプリなんて「いらねぇ」と言っていたのにね。これがまた、可愛い孫の「お姿」が瞬時に送られてくることになったのだ。
さて、そんなアプリの中から、SayHiというアプリの存在を知った。翻訳アプリだよ。日本語で言えば何語でも翻訳してくれる。どこの国へ出かけてもYesとNoで生き延びてきたのだが、超便利なことだと理解した。今朝チェックアウトの時、早速使ったね。「ルームキーを紛失しました」と英語でね。
いけない、間もなく搭乗時間だ。
2017年9月15日金曜日
「出演していた38年前の番組」
9月に入ってから、なぜかわさわさしていてブログにまで神経が行かない・・・そんな感じかな。ところで8月にすごい番組があったよ。8月27日にNHKの総合テレビでOAされた「あの日あの時あの番組 三宅裕司さんが選ぶもう一度見たいこの番組」という番組。
何がすごい?なんと38年ほど前の俺が番組に出ていたのだよ。20年ほど続いた「あなたのメロディー」という番組が取り上げられていたのだ。それが何と藤原の出演回、なんで?という感じだ。アマチュアの作品を取り上げる番組だったが、すでに何枚かレコードが出ていたからアマチュアとは言えなかったのだが、本名で応募したからバレず。ペンネームで仕事をしていたからね。都はるみさんが歌ってくれた。
番組出ていたよ、と知人から連絡があって後日見ることになったのだが、一緒に見た社員は「ひぇーバリバリ尖がってる!」とか「生意気そうで突っ張ってる!」とか、一瞬笑ったら「あ、ようやく笑った!」とか。
自分でも「尖がりすぎ!」そう思ったね。二度と見たくない(笑)若かった・・・
しかし、人間は歳を重ねると変わるもんだ。今や人の良いただのおっさんだから!
昨日と一昨日は演出を担当している新人君のコンサートリハーサル。同じ若者でも素直で清々しい。俺のあの頃は・・・ま、過去のことだしいいか!
先日、イギリスの大学院に行ってる息子からメールが来て「大変そうだね、助けてあげる」的な申し入れが(笑)う~ん、何を助けてもらったらいいのかわからない・・・「そのうちね」と返信したけど。どこかで困ったオーラが出ているのかな・・・俺。
9月に入ってから、なぜかわさわさしていてブログにまで神経が行かない・・・そんな感じかな。ところで8月にすごい番組があったよ。8月27日にNHKの総合テレビでOAされた「あの日あの時あの番組 三宅裕司さんが選ぶもう一度見たいこの番組」という番組。
何がすごい?なんと38年ほど前の俺が番組に出ていたのだよ。20年ほど続いた「あなたのメロディー」という番組が取り上げられていたのだ。それが何と藤原の出演回、なんで?という感じだ。アマチュアの作品を取り上げる番組だったが、すでに何枚かレコードが出ていたからアマチュアとは言えなかったのだが、本名で応募したからバレず。ペンネームで仕事をしていたからね。都はるみさんが歌ってくれた。
番組出ていたよ、と知人から連絡があって後日見ることになったのだが、一緒に見た社員は「ひぇーバリバリ尖がってる!」とか「生意気そうで突っ張ってる!」とか、一瞬笑ったら「あ、ようやく笑った!」とか。
自分でも「尖がりすぎ!」そう思ったね。二度と見たくない(笑)若かった・・・
しかし、人間は歳を重ねると変わるもんだ。今や人の良いただのおっさんだから!
昨日と一昨日は演出を担当している新人君のコンサートリハーサル。同じ若者でも素直で清々しい。俺のあの頃は・・・ま、過去のことだしいいか!
先日、イギリスの大学院に行ってる息子からメールが来て「大変そうだね、助けてあげる」的な申し入れが(笑)う~ん、何を助けてもらったらいいのかわからない・・・「そのうちね」と返信したけど。どこかで困ったオーラが出ているのかな・・・俺。
2017年8月24日木曜日
「在りし日の出来事」
最近、ふっと岩手に行こうかな、と思うことがある。神経がどこか昔帰りをしているのかもしれ
ない。これから制作する「千昌夫」さんの番組があるのだが、提案を読んでいるうちに思い出し
たことがある。昭和41年、上京したその年、上野近辺の会場で岩手から上京したいわゆる「金の卵 」を集めて激励会のようなイベントがあった。その時のゲスト歌手がデビューしたばかりの
千昌夫さんだった。東京に出て、初めて見た「生の歌手」だった。(笑)
で、昔帰りをしようと思って仕事の手を止め、古い資料を取り出したら、なんと懐かしい資料を見つ
けた。1988年の日付があるハワイの日本語新聞だ。俺は作曲家として行ったらしい。
歌を歌ったことは覚えているのだが(笑)

〇この写真はその時の ホノルルのどこかのホテルの
会場。ラジオで生中継された。宿泊先のホテルに帰っ
たら「あなた、売れるわよ」と言われた(笑)
1988年3月とあるから、37歳か。
新聞に一緒に写っている「小谷充」さんは作・編曲家
で音楽の師匠だった。
ホテルが同じ部屋で(男どうし)湯舟とトイレが
同じで、風呂に入っていたら、この小谷のおっさんが
入ってきて隣で「うんこ」を始めた。
アル中先生だったから、窓際にスリッパが揃えて
あり、姿が見えず、思わず「飛び降りた?」と
本気で心配した。
嘘のような本当の珍道中だった。
〇これは大阪の当時の中之島ホールだと思う。
共演は「大月みやこ」さんや 「菅原洋一」さんだった
と思う。歌手ではなかったのに、なぜか人前で歌を歌っ
ている。
こんな写真を引っ張り出して、昔を懐かしんでいるよう
じゃ俺も大したことないね。
さっき作曲家の浜圭介さんから電話があって、来月の
約束をしたのだが、「その日生きているかなあぁ」と言っ
たら「俺と同じようなこと言わないでよ」と言われた。
俺は(スケジュールがあるかな?スケジュールが
生きているかな?)の意味だったんだが・・・
どうもその日の「生死」の話になったらしい(笑!)
最近、ふっと岩手に行こうかな、と思うことがある。神経がどこか昔帰りをしているのかもしれ
ない。これから制作する「千昌夫」さんの番組があるのだが、提案を読んでいるうちに思い出し
たことがある。昭和41年、上京したその年、上野近辺の会場で岩手から上京したいわゆる「金の卵 」を集めて激励会のようなイベントがあった。その時のゲスト歌手がデビューしたばかりの
千昌夫さんだった。東京に出て、初めて見た「生の歌手」だった。(笑)
で、昔帰りをしようと思って仕事の手を止め、古い資料を取り出したら、なんと懐かしい資料を見つ
けた。1988年の日付があるハワイの日本語新聞だ。俺は作曲家として行ったらしい。
歌を歌ったことは覚えているのだが(笑)
〇この写真はその時の ホノルルのどこかのホテルの
会場。ラジオで生中継された。宿泊先のホテルに帰っ
たら「あなた、売れるわよ」と言われた(笑)
1988年3月とあるから、37歳か。
新聞に一緒に写っている「小谷充」さんは作・編曲家
で音楽の師匠だった。
ホテルが同じ部屋で(男どうし)湯舟とトイレが
同じで、風呂に入っていたら、この小谷のおっさんが
入ってきて隣で「うんこ」を始めた。
アル中先生だったから、窓際にスリッパが揃えて
あり、姿が見えず、思わず「飛び降りた?」と
本気で心配した。
嘘のような本当の珍道中だった。
〇これは大阪の当時の中之島ホールだと思う。
共演は「大月みやこ」さんや 「菅原洋一」さんだった
と思う。歌手ではなかったのに、なぜか人前で歌を歌っ
ている。
こんな写真を引っ張り出して、昔を懐かしんでいるよう
じゃ俺も大したことないね。
さっき作曲家の浜圭介さんから電話があって、来月の
約束をしたのだが、「その日生きているかなあぁ」と言っ
たら「俺と同じようなこと言わないでよ」と言われた。
俺は(スケジュールがあるかな?スケジュールが
生きているかな?)の意味だったんだが・・・
どうもその日の「生死」の話になったらしい(笑!)
2017年8月21日月曜日
「残暑お見舞い申し上げます」
しばらくブログご無沙汰だったから、8月に入って何をしていたかなぁ、そんな思いで手帳をめくってみた。4日、コンサートとだけ書いてある。誰の?コンサート行ったんだっけ?そんな調子。他、いろいろ書いてあるがハッピーな気分になるスケジュールが見当たらない・・・そんな8月なのだ。(笑)
世間でいうお盆期間中、スタッフはそれなりに休暇を取ってくれた。俺も休めばいいのになんとなく出社。孤独な留守番の日が何日か・・・これが性分なんだな。土日なども休めばいいのになんとなく出社する日が多い。以前なら、提案を書いたりそれなりに積極的だったのに、今は社内の掃除をしたり、片付けをしたり・・・ただの貧乏性。
このところ番組以外のコンサート演出の話が進んでいる。赤坂BLITZの「新人君」のファーストコンサートだったり、「純烈」の国際フォーラムでのコンサートだったり。舞台演出は好きだから、二つ返事で引き受けるのだが、毎回求められるハードルが上がっていくような気がする。いやいや、自分でハードルを上げているのだ、きっと。
だんだん仕事案件が机の上に積みあがっていくのだが、相変わらずのスロースターター、なかなか手を付けられない。心に棘のように刺さっている懸案事項、2、3件がが解決すれば・・・などと半分言い訳をしながら、気分の晴れない8月だ・・・などとブツブツ。
だが、たいてい「いつも明るい藤原さん」と言われる。「いつもニコニコしてますよね、会社をやっていれば大変なこともあるはずなのに」と言ってくれた「彼」は俺の中ですごくいいやつになった(笑)
それにしても雨が続く東京だが、今日は久々傘が要らないかもしれない。青空も見える。これでようやく「残暑」という言葉が使えるのかね。
しばらくブログご無沙汰だったから、8月に入って何をしていたかなぁ、そんな思いで手帳をめくってみた。4日、コンサートとだけ書いてある。誰の?コンサート行ったんだっけ?そんな調子。他、いろいろ書いてあるがハッピーな気分になるスケジュールが見当たらない・・・そんな8月なのだ。(笑)
世間でいうお盆期間中、スタッフはそれなりに休暇を取ってくれた。俺も休めばいいのになんとなく出社。孤独な留守番の日が何日か・・・これが性分なんだな。土日なども休めばいいのになんとなく出社する日が多い。以前なら、提案を書いたりそれなりに積極的だったのに、今は社内の掃除をしたり、片付けをしたり・・・ただの貧乏性。
このところ番組以外のコンサート演出の話が進んでいる。赤坂BLITZの「新人君」のファーストコンサートだったり、「純烈」の国際フォーラムでのコンサートだったり。舞台演出は好きだから、二つ返事で引き受けるのだが、毎回求められるハードルが上がっていくような気がする。いやいや、自分でハードルを上げているのだ、きっと。
だんだん仕事案件が机の上に積みあがっていくのだが、相変わらずのスロースターター、なかなか手を付けられない。心に棘のように刺さっている懸案事項、2、3件がが解決すれば・・・などと半分言い訳をしながら、気分の晴れない8月だ・・・などとブツブツ。
だが、たいてい「いつも明るい藤原さん」と言われる。「いつもニコニコしてますよね、会社をやっていれば大変なこともあるはずなのに」と言ってくれた「彼」は俺の中ですごくいいやつになった(笑)
それにしても雨が続く東京だが、今日は久々傘が要らないかもしれない。青空も見える。これでようやく「残暑」という言葉が使えるのかね。
2017年7月31日月曜日
「同人誌 こけし人形」
「こけし人形」という歌謡同人誌がある。歌謡系の同人誌は過去沢山存在していたが、現在はこの同人誌以外存在するのか知らない。月一発行で756集というのだから歴史は長い。
この同人誌との出会いは、僕がまだ10代の頃だった。18か19歳。雑誌は180集とか、まだ100番代だった気がする。ここで「詩」を書き始めた。「詩」を書き始めるような精神状態だったということだ。よく覚えている。
そのうち、この同人誌を紹介してくれた友人のピアニストが、作曲が向いている、と言ってくれたので作曲も始めた。
当時は世田谷の6畳一間のアパート暮らしだった。
何もかもが青春だった。「らりって」階段を踏み外したり、喫茶店の電話を壊したり、朝方配達されたばかりの他家の牛乳を飲み干したり・・・
金はなかったが、それ風のそれなりの友達が居た。
コーヒー一杯でジャズ喫茶に何時間も居座わり、途中でラーメン食いに出かけて戻ってもマスターは文句を言わなかった。どうやって食っていたのか記憶にない。「北島バンド」を辞めて直後の時代だった気がする。金はなかった・・・でも、この同人誌は続けていた。
今でも送ってくださる。継続のご苦労には本当に頭が下がる。
入会したころはまだ歌手志望だったかもしれない。あんなこんなで気分は作曲に転向する。24歳の時に初めての作曲作品がレコードになった。いきがっていて、今思えば可愛いもんだ、
音楽生活25年、先行きに不安を感じて「音楽」をすべてやめた。そしてテレビ業界へ。歌手になれなかったから、歌手にこだわる歌番組を沢山創った。そして、作家として大成しなかったものだから、敬意を払って作詞・作曲家の番組をたくさん創った。
そんな藤原の創った番組がどんどん追悼番組になってしまう。先日の「平尾昌晃」さんもそうだ。過去には「遠藤実」「星野哲郎」「岩谷時子」「船村徹」・・・番組は追悼番組となって放送された。
久々に「こけし人形」を手にして、一気に走馬灯のように過去が甦ってきたのだ。
「こけし人形」という歌謡同人誌がある。歌謡系の同人誌は過去沢山存在していたが、現在はこの同人誌以外存在するのか知らない。月一発行で756集というのだから歴史は長い。
この同人誌との出会いは、僕がまだ10代の頃だった。18か19歳。雑誌は180集とか、まだ100番代だった気がする。ここで「詩」を書き始めた。「詩」を書き始めるような精神状態だったということだ。よく覚えている。
そのうち、この同人誌を紹介してくれた友人のピアニストが、作曲が向いている、と言ってくれたので作曲も始めた。
当時は世田谷の6畳一間のアパート暮らしだった。
何もかもが青春だった。「らりって」階段を踏み外したり、喫茶店の電話を壊したり、朝方配達されたばかりの他家の牛乳を飲み干したり・・・
金はなかったが、それ風のそれなりの友達が居た。
コーヒー一杯でジャズ喫茶に何時間も居座わり、途中でラーメン食いに出かけて戻ってもマスターは文句を言わなかった。どうやって食っていたのか記憶にない。「北島バンド」を辞めて直後の時代だった気がする。金はなかった・・・でも、この同人誌は続けていた。
今でも送ってくださる。継続のご苦労には本当に頭が下がる。
入会したころはまだ歌手志望だったかもしれない。あんなこんなで気分は作曲に転向する。24歳の時に初めての作曲作品がレコードになった。いきがっていて、今思えば可愛いもんだ、
音楽生活25年、先行きに不安を感じて「音楽」をすべてやめた。そしてテレビ業界へ。歌手になれなかったから、歌手にこだわる歌番組を沢山創った。そして、作家として大成しなかったものだから、敬意を払って作詞・作曲家の番組をたくさん創った。
そんな藤原の創った番組がどんどん追悼番組になってしまう。先日の「平尾昌晃」さんもそうだ。過去には「遠藤実」「星野哲郎」「岩谷時子」「船村徹」・・・番組は追悼番組となって放送された。
久々に「こけし人形」を手にして、一気に走馬灯のように過去が甦ってきたのだ。
2017年7月30日日曜日
「夏の日曜日」

新宿区余丁町という町に住んでいる。
町内会が主催する恒例の盆踊り大会
があった。
近所の花屋さんが、サービス券
(ただ券)を1500円分くれた
から顔を出さないわけにはいかない・・・
というので30分ほど出かけた。
ドンパン節とか北海盆歌とか
古典的な音楽が聞こえている。
この日のために練習したであろう女性
たちが櫓の上で一生懸命踊っている。
段取りなんか関係ない・・・
とりあえず櫓の上に行き
音楽が鳴ったら踊ればいい。
活舌の悪い進行係が何か言っている・・・
活舌の悪いプロレスラーが人気な
そうだからま、いいか。
でも、何を言っているのかよくわからない。
あ、写真撮っちゃってごめんね。
音楽が鳴ったのに、櫓の上で立っている
だけの女性陣?
※進行係
「あ!すみません!
裏面をかけてしまいました」
現代の若者はどれだけ理解できるのか?
本部を覗いてみると音源はレコード
だった!進行係はさらなる言い訳を・・・
「今年から機械を変えたものですから」
面白いから本部の中を覗いた。
レコードプレーヤーの隣に、
カセットテープが積んであった。
でも、ここは東京だ・・・
新宿区余丁町という町に住んでいる。
町内会が主催する恒例の盆踊り大会
があった。
近所の花屋さんが、サービス券
(ただ券)を1500円分くれた
から顔を出さないわけにはいかない・・・
というので30分ほど出かけた。
ドンパン節とか北海盆歌とか
古典的な音楽が聞こえている。
この日のために練習したであろう女性
たちが櫓の上で一生懸命踊っている。
段取りなんか関係ない・・・
とりあえず櫓の上に行き
音楽が鳴ったら踊ればいい。
活舌の悪い進行係が何か言っている・・・
活舌の悪いプロレスラーが人気な
そうだからま、いいか。
でも、何を言っているのかよくわからない。
あ、写真撮っちゃってごめんね。
音楽が鳴ったのに、櫓の上で立っている
だけの女性陣?
※進行係
「あ!すみません!
裏面をかけてしまいました」
現代の若者はどれだけ理解できるのか?
本部を覗いてみると音源はレコード
だった!進行係はさらなる言い訳を・・・
「今年から機械を変えたものですから」
面白いから本部の中を覗いた。
レコードプレーヤーの隣に、
カセットテープが積んであった。
でも、ここは東京だ・・・
2017年7月27日木曜日
「酒 2題」
なかなか進まない案件があって、今日は一日イラついた。冷静にふるまっているつもりなのだがあちこちにイライラが見え隠れする。家に帰ってからもイライラは収まらず、冷蔵庫から落ちた豆腐の容器をおもっいっきり床にたたきつけてしまった。
そんなときの妙薬がこれだ!倫太朗の写真!
PC画面の写真も変えたが、見るとはなしに可愛い写真に出くわすと
一瞬現実を離れられる瞬間となる。
写真は某所ビアガーデンのバーべキュー会場だ。
煙のいかない方が俺側だったから必然的に抱っこ。
一人で結構飲んでるね。ビール飲み飽きたから、「焼酎濃いめ!」
とか無理言って、次は「もっと濃いめ!」などと要求するおっさん。
ビアガーデンなのにね。
その2日後、今度はおじさん3人で飲み会だ。それも夕方5時半スタート。みんな、仕事ちゃんとしているのか!?
某 小山さん
某 アナウンサー
某 藤原
利害関係のない3人だから話題は
フラット。昔話から始まりそれぞれの
得意不得意,人生話から女性感まで。
金の話は出なかったね。
「こら!番組の衣装がだせぇよ!」
などと酔っ払い藤原が檄を飛ばすとかね。
ビールを飲み、焼酎が飲み飽きた時分だねこれ・・・ウイスキーに代わっているし 料理もほとんど終わっている。持つべきものは変らぬ友!みんな二十年以上の付き合いだ。このグループでいいのは口に安心できることと人の悪口を言わないこと。大人だもん、80歳と50歳と67歳。
このところ酒が続き、ベットの中で「俺ってバカだね」とつぶやくことが続いたので、昨日今日、珍しく2日間も断酒している。今年初めてか・・・
朝の支度は早いし、何といってもシャワーを浴びているときの気分がよろしい。酒残っていないことがこんなに楽なのか、とおもう瞬間でもあるね。飲みすぎてどれだけ時間を無駄にしてきたんだか!反省はしないと強い思いを持ちつつ小さく反省しているわ・た・し。
なかなか進まない案件があって、今日は一日イラついた。冷静にふるまっているつもりなのだがあちこちにイライラが見え隠れする。家に帰ってからもイライラは収まらず、冷蔵庫から落ちた豆腐の容器をおもっいっきり床にたたきつけてしまった。

PC画面の写真も変えたが、見るとはなしに可愛い写真に出くわすと
一瞬現実を離れられる瞬間となる。
写真は某所ビアガーデンのバーべキュー会場だ。
煙のいかない方が俺側だったから必然的に抱っこ。
一人で結構飲んでるね。ビール飲み飽きたから、「焼酎濃いめ!」
とか無理言って、次は「もっと濃いめ!」などと要求するおっさん。
ビアガーデンなのにね。

某 小山さん
某 アナウンサー
某 藤原
利害関係のない3人だから話題は
フラット。昔話から始まりそれぞれの
得意不得意,人生話から女性感まで。
金の話は出なかったね。
「こら!番組の衣装がだせぇよ!」
などと酔っ払い藤原が檄を飛ばすとかね。
ビールを飲み、焼酎が飲み飽きた時分だねこれ・・・ウイスキーに代わっているし 料理もほとんど終わっている。持つべきものは変らぬ友!みんな二十年以上の付き合いだ。このグループでいいのは口に安心できることと人の悪口を言わないこと。大人だもん、80歳と50歳と67歳。
このところ酒が続き、ベットの中で「俺ってバカだね」とつぶやくことが続いたので、昨日今日、珍しく2日間も断酒している。今年初めてか・・・
朝の支度は早いし、何といってもシャワーを浴びているときの気分がよろしい。酒残っていないことがこんなに楽なのか、とおもう瞬間でもあるね。飲みすぎてどれだけ時間を無駄にしてきたんだか!反省はしないと強い思いを持ちつつ小さく反省しているわ・た・し。
2017年7月24日月曜日
「HappyとBlue」
婿殿が出張中だったので、娘と孫とカミさんと、久しぶりでカミさんの実家である静岡の爺さん、婆さんを訪ねた。静岡の両親は「倫太朗君」とは初対面。数時間の滞在時間だったが、ほとんど寝たきりの爺さんが起き上がって満面の笑み。この一年ほど病気のため能面のような表情だった爺さんに、表情が戻った瞬間だった。なんと、帰りには外に出てきて見送ってくれた。
前回行ったときは殆ど会話もなく、無表情だった義父。やはり人は豊かな表情で人に接することが一番だ・・・とつくづく思うのだった。
娘が結婚してから、「娘を独占!」したことがなかったから、いやはや「至福の時間」だったよ。ははは、婿殿!ごめんね。
この土日は、本当に久しぶりで「日常の平和」を感じた素敵な時間だった、と朝まで思っていた。そして出社後の朝1番、税理士事務所から電話が。「税務調査が入ります」だと。
気分は一気にブルー・・・。「ざけんなよ!」って気分になるんだな、それが。日ごろの経営の苦労なんぞ彼らには関係ない。細かい数字についてあれでもない、これでもない・・・「お前!一週間でいいから俺と一緒に働いてみろよ!」と言ったところで無駄だしね。
Happyな気分はなかな長続きしないという現実があるだけ。
そんな最中、テレ東のプロデューサーから電話。「9月収録10月OAの番組を制作できますか!?」
ブルーな気分は少し改善!こんな状況を一喜一憂というのかね。だが、その日は出張で俺が不在の日だ、とあとで気が付く。対策はあとで考えるとしても、気分が多少改善できたことに感謝しよう。
婿殿が出張中だったので、娘と孫とカミさんと、久しぶりでカミさんの実家である静岡の爺さん、婆さんを訪ねた。静岡の両親は「倫太朗君」とは初対面。数時間の滞在時間だったが、ほとんど寝たきりの爺さんが起き上がって満面の笑み。この一年ほど病気のため能面のような表情だった爺さんに、表情が戻った瞬間だった。なんと、帰りには外に出てきて見送ってくれた。
前回行ったときは殆ど会話もなく、無表情だった義父。やはり人は豊かな表情で人に接することが一番だ・・・とつくづく思うのだった。
娘が結婚してから、「娘を独占!」したことがなかったから、いやはや「至福の時間」だったよ。ははは、婿殿!ごめんね。
この土日は、本当に久しぶりで「日常の平和」を感じた素敵な時間だった、と朝まで思っていた。そして出社後の朝1番、税理士事務所から電話が。「税務調査が入ります」だと。
気分は一気にブルー・・・。「ざけんなよ!」って気分になるんだな、それが。日ごろの経営の苦労なんぞ彼らには関係ない。細かい数字についてあれでもない、これでもない・・・「お前!一週間でいいから俺と一緒に働いてみろよ!」と言ったところで無駄だしね。
Happyな気分はなかな長続きしないという現実があるだけ。
そんな最中、テレ東のプロデューサーから電話。「9月収録10月OAの番組を制作できますか!?」
ブルーな気分は少し改善!こんな状況を一喜一憂というのかね。だが、その日は出張で俺が不在の日だ、とあとで気が付く。対策はあとで考えるとしても、気分が多少改善できたことに感謝しよう。
2017年7月18日火曜日
「充実の日々とは・・・」
このところ、昼飯を食うと眠くなる・・・まるでお子ちゃまか、おじいちゃまだ。睡眠障害を意識してから何か月たつだろうか。始まりは去年の秋ごろだった気がする。気休めに眠剤を飲んで寝ることにはしているが、ベットの上をゴロゴロしている自分を意識しているから、結局は熟睡出来ていないということだけれど・・・
105歳で亡くなった「日野原重明」さんの訃報を目にして、俺はこんなんでいいのかな、などと改めて思ったりもする。75歳を過ぎてから第3の人生が始まる、とおっしゃったそうだ。日ごろ、俺はもう社会人52年生だと口に出し、人生のゴールをなんとなくイメージしている自分が、小さく見えてきたりする。ま、日野原さんは別格だけどね。「充実していること」それが基本だということだ。
今日、久しぶりに以前大変お世話になった「お坊様」の仏前参りをしてきた。今年17回忌だと伺ってびっくり!奥様に「間違えていない?」と言ったほど。会社を始めるにあたり、当時すべてこの「先生」の言う通りにした。「この方角にしなさい」「設立は何年何月にしなさい」「今タイミングではありません」「〇〇がいいでしょう」etc.
会社が軌道に乗って、恩返しができるようになったころ亡くなった。目の前が真っ暗な感じだったね。この先、俺は一人で大丈夫か?と不安に。だが、残された奥様が「藤原さんはもう大丈夫、卒業されましたから・・・知野がそう言ってました・・・」
※ 先生は「知野哲山」を名乗る真言密教のお坊さんだった。
今も、会社に知野先生が描いた仏画が当時と変わらぬ状況で飾ってある。変わったと言えば、周囲の壁紙が薄汚れてきたことだ。年月を感じる。先日、会社の部屋を担当する不動産屋さんが来て、このビルでわが社が、1、2番目に居住年数が長い、という話になった。先代から受け継いだ現オーナーも、不動産屋も、わが社の入居時のことを知らないのだ。
隣の部屋をぶち抜いてドアを新たに設置し、ベランダ部分を部屋として広げ、トイレとシャワーだった場所を倉庫に改築し・・・こんな勝手をすべて前オーナーは許可してくれた。それもこれも、長い年月の一ページ。この先を長いと思うか、まだまだと思うか、「充実の日々」を重ねる道のりは険しい・・・のかも。と、知野先生の仏前で思ったような、思わなかったような・・・(苦笑)
このところ、昼飯を食うと眠くなる・・・まるでお子ちゃまか、おじいちゃまだ。睡眠障害を意識してから何か月たつだろうか。始まりは去年の秋ごろだった気がする。気休めに眠剤を飲んで寝ることにはしているが、ベットの上をゴロゴロしている自分を意識しているから、結局は熟睡出来ていないということだけれど・・・
105歳で亡くなった「日野原重明」さんの訃報を目にして、俺はこんなんでいいのかな、などと改めて思ったりもする。75歳を過ぎてから第3の人生が始まる、とおっしゃったそうだ。日ごろ、俺はもう社会人52年生だと口に出し、人生のゴールをなんとなくイメージしている自分が、小さく見えてきたりする。ま、日野原さんは別格だけどね。「充実していること」それが基本だということだ。
今日、久しぶりに以前大変お世話になった「お坊様」の仏前参りをしてきた。今年17回忌だと伺ってびっくり!奥様に「間違えていない?」と言ったほど。会社を始めるにあたり、当時すべてこの「先生」の言う通りにした。「この方角にしなさい」「設立は何年何月にしなさい」「今タイミングではありません」「〇〇がいいでしょう」etc.
会社が軌道に乗って、恩返しができるようになったころ亡くなった。目の前が真っ暗な感じだったね。この先、俺は一人で大丈夫か?と不安に。だが、残された奥様が「藤原さんはもう大丈夫、卒業されましたから・・・知野がそう言ってました・・・」
※ 先生は「知野哲山」を名乗る真言密教のお坊さんだった。
今も、会社に知野先生が描いた仏画が当時と変わらぬ状況で飾ってある。変わったと言えば、周囲の壁紙が薄汚れてきたことだ。年月を感じる。先日、会社の部屋を担当する不動産屋さんが来て、このビルでわが社が、1、2番目に居住年数が長い、という話になった。先代から受け継いだ現オーナーも、不動産屋も、わが社の入居時のことを知らないのだ。
隣の部屋をぶち抜いてドアを新たに設置し、ベランダ部分を部屋として広げ、トイレとシャワーだった場所を倉庫に改築し・・・こんな勝手をすべて前オーナーは許可してくれた。それもこれも、長い年月の一ページ。この先を長いと思うか、まだまだと思うか、「充実の日々」を重ねる道のりは険しい・・・のかも。と、知野先生の仏前で思ったような、思わなかったような・・・(苦笑)
2017年7月12日水曜日
「日常の光景」
昨年12月に孫が誕生した。日常の暮らしの中に新たな主役が登場したわけだ。なのに、パソコンの待ち受け画面も携帯の待ち受け画面も「娘」だった・・・。まだ娘がロンドンに居た頃からPC画面は娘の写真だったから、長いこと毎日こんにちわしていたわけだが。
娘が結婚して2年以上、孫も元気に育っているのだから・・・ということでPCの待ち受け画面は変えた!(携帯はまだ娘!俺って、変か?笑)
これはこれで、PC画面を開くたびにんまりしてしまう。
自分が「孫」と言っていること自体変な気分なのだが。
最近時々、俺って幾つだっけ?と思うことがある。
あ、でも俺は「お爺ちゃん」ではなく「のりぴー」
だけどね。 あとどれぐらいで、この子が俺を
「のりぴー」と呼んでくれるのか。
《中国のある街の日常の一コマ》
4人乗りなんて普通の光景
横断歩道で待っているだけ偉い!
この数年で登場した信号機だが 以前はかなり
無秩序だった。今では、バイクの5台に1台
ぐらいが、こうして信号機に従っている。
子供の教育のためだ(笑)
昨年12月に孫が誕生した。日常の暮らしの中に新たな主役が登場したわけだ。なのに、パソコンの待ち受け画面も携帯の待ち受け画面も「娘」だった・・・。まだ娘がロンドンに居た頃からPC画面は娘の写真だったから、長いこと毎日こんにちわしていたわけだが。
娘が結婚して2年以上、孫も元気に育っているのだから・・・ということでPCの待ち受け画面は変えた!(携帯はまだ娘!俺って、変か?笑)
自分が「孫」と言っていること自体変な気分なのだが。
最近時々、俺って幾つだっけ?と思うことがある。
あ、でも俺は「お爺ちゃん」ではなく「のりぴー」
だけどね。 あとどれぐらいで、この子が俺を
「のりぴー」と呼んでくれるのか。
4人乗りなんて普通の光景
横断歩道で待っているだけ偉い!
この数年で登場した信号機だが 以前はかなり
無秩序だった。今では、バイクの5台に1台
ぐらいが、こうして信号機に従っている。
子供の教育のためだ(笑)
2017年7月11日火曜日
「7月ですよ」
先日久しぶりに海外に出かけた。帰りの飛行機の中で観た映画「きみに読む物語」には泣けたな(笑)。ずいぶん以前に、ロスからの飛行機のなか中でボロボロ泣いて以来だな・・・と思うほど泣いた。以前はアメリカ系の飛行機だったから、肌が黒系のスチュワーデスさんが心配して水を持ってきてくれた。今回はANAだったが中国系のスチュワーデスさんが多く「このおっさん、なんで泣いてるの?」って感じ(笑)
さて、8日に一年ぶりとなる「キム・ヨンジャさん」のPVを撮影した。彼女もいつまでも変わらないね。彼女と仕事をすると、なぜか懐かしい・・・という気分になる。今回も、家の中からいろんな小道具を持って行ってすべて撮影に使ったし、撮影用の飲み物も藤原のお手製。曲の間奏の映像に使ったカットは大声では言えないが、自宅の一部を3カット撮って使った。言わなきゃ絶対にわからないけど。曲名は「赤い涙」。赤い涙?どんな涙だよ!薔薇の花びらで表現してみた。
この角度で撮るなよなぁ 瀬口!
俺、足、無いじゃん!
このスタジオで6時間、このあと
迎賓館前の公園に移動。
夜は彼女の知り合いの韓国料理店
で打ち上げ。
次の日コンサートだというのに
お疲れさまでした!
先日久しぶりに海外に出かけた。帰りの飛行機の中で観た映画「きみに読む物語」には泣けたな(笑)。ずいぶん以前に、ロスからの飛行機のなか中でボロボロ泣いて以来だな・・・と思うほど泣いた。以前はアメリカ系の飛行機だったから、肌が黒系のスチュワーデスさんが心配して水を持ってきてくれた。今回はANAだったが中国系のスチュワーデスさんが多く「このおっさん、なんで泣いてるの?」って感じ(笑)
さて、8日に一年ぶりとなる「キム・ヨンジャさん」のPVを撮影した。彼女もいつまでも変わらないね。彼女と仕事をすると、なぜか懐かしい・・・という気分になる。今回も、家の中からいろんな小道具を持って行ってすべて撮影に使ったし、撮影用の飲み物も藤原のお手製。曲の間奏の映像に使ったカットは大声では言えないが、自宅の一部を3カット撮って使った。言わなきゃ絶対にわからないけど。曲名は「赤い涙」。赤い涙?どんな涙だよ!薔薇の花びらで表現してみた。
この角度で撮るなよなぁ 瀬口!
俺、足、無いじゃん!
このスタジオで6時間、このあと
迎賓館前の公園に移動。
夜は彼女の知り合いの韓国料理店
で打ち上げ。
次の日コンサートだというのに
お疲れさまでした!
2017年6月22日木曜日
「無題」
帝国ホテルで行われたペギー葉山さんの「お別れの会」に行ってきた。結構長いお付き合いをさせていただいた。番組とか、民音コンサートの演出とか・・・足腰は確かに弱っていたが、まだまだお元気だったのに。
先日の船村徹先生も、ペギーさんも・・・昭和の灯りが次々と消えていく・・・そんな気がする。平成ももうすぐ元号が変わるのだから、昭和は本当に遠くなる、そういうことだな。
今日友人からこんなメールが来た。「一番上の孫の話」「(奥さん)令子ちゃんはね、もうすぐ70歳になるのよ。(4歳の孫)あのね、僕は20までしか数えられないの・・・」
なんとなく沈んだ気分でいた時に届いたメールなものだから、嬉しかったね。ほのぼのというか、愛らしいというか、日ごろ使わない心のスポットに入り込んで来たいい話・・・だよな。
昨日は久しぶりで、社員全員集まっての飲み会が出来た。全員と言っても8人・・・これしか社員居なかったっけ・・・?なんて気分にもなったが、ま、目が行き届く小ぶりな会社ということで、良しとするか。長い社員はもう20年超かな、時間は規則正しく過ぎ行き、そして規則正しくやってくる。社会人「52年生」としては、「時間の無駄への緊張感」が増してきた気もする。
さて、6月は一つ年を重ねた月でもある。まず今月を豊かに過ごすためには!?行きつけの鮨屋が誕生月に焼酎ボトル一本サービスをやっていることを思いだした。まずこれをゲットだな。豊かな気分になってきた!(笑)もうすぐ株の配当金がもらえる(苦笑)。豊かな気分になってきた!明日は給与支払い日だ。うーん(現実的な気分になってきた・・・)。
さて、これからの道のりを、あるいは山坂を、豊かな気持ちで歩むための術を・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで書いて嫌になってきた。おしまい(笑)
帝国ホテルで行われたペギー葉山さんの「お別れの会」に行ってきた。結構長いお付き合いをさせていただいた。番組とか、民音コンサートの演出とか・・・足腰は確かに弱っていたが、まだまだお元気だったのに。
先日の船村徹先生も、ペギーさんも・・・昭和の灯りが次々と消えていく・・・そんな気がする。平成ももうすぐ元号が変わるのだから、昭和は本当に遠くなる、そういうことだな。
今日友人からこんなメールが来た。「一番上の孫の話」「(奥さん)令子ちゃんはね、もうすぐ70歳になるのよ。(4歳の孫)あのね、僕は20までしか数えられないの・・・」
なんとなく沈んだ気分でいた時に届いたメールなものだから、嬉しかったね。ほのぼのというか、愛らしいというか、日ごろ使わない心のスポットに入り込んで来たいい話・・・だよな。
昨日は久しぶりで、社員全員集まっての飲み会が出来た。全員と言っても8人・・・これしか社員居なかったっけ・・・?なんて気分にもなったが、ま、目が行き届く小ぶりな会社ということで、良しとするか。長い社員はもう20年超かな、時間は規則正しく過ぎ行き、そして規則正しくやってくる。社会人「52年生」としては、「時間の無駄への緊張感」が増してきた気もする。
さて、6月は一つ年を重ねた月でもある。まず今月を豊かに過ごすためには!?行きつけの鮨屋が誕生月に焼酎ボトル一本サービスをやっていることを思いだした。まずこれをゲットだな。豊かな気分になってきた!(笑)もうすぐ株の配当金がもらえる(苦笑)。豊かな気分になってきた!明日は給与支払い日だ。うーん(現実的な気分になってきた・・・)。
さて、これからの道のりを、あるいは山坂を、豊かな気持ちで歩むための術を・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで書いて嫌になってきた。おしまい(笑)
2017年6月12日月曜日
「第8回岩谷時子賞」
あれからもう1年過ぎたのか・・・そんな思いで丸の内のパレスホテルに向かった。第1回から参加しているから、当然8回目の出席なのだが、初期の頃のことは、遠い記憶になりつつある。
今回の岩谷時子賞は加山雄三さん。特別賞が斉藤由貴さんだったが、特に印象に残ったのが奨励賞のひとり「野田あすか」さんだ。いわゆる障害者ピアニストなのだが、ピアノのテクニックを競うタイプではなく、聴く人の心に音楽をそっと届ける・・・そんな演奏家だ。
早速AmazonでCDを注文した。車の中か、寝る間際に聴くにはもってこいのCDだろうな・・・そんな気がする。
参加者の顔ぶれも例年と変わらないのだろうが、日ごろ出かける演歌・歌謡曲系とは一線を画している。見知らぬ顔が多いのだ。知り合いはごく少数だが、当然同じ顔触れだし、年々増える切実な病気の話題(笑)。「人工透析が始まって、週3回だよ、毎回4時間だよ、女もダメになったよ・・・」
いいんじゃない!まだ「おんな」ってこと口にできるんだし!
話は跳ぶが、広島の宮島にある「大願寺」というお寺に行ってきた。ここの住職と親しい仲だから、仕事のついでに寄ってきたのだが、日ごろは神社信仰なのにここだけは別。きっちり加持祈祷をしてもらう。平山真明という住職さんだが「まごころ真明」の名の方がぴったり!「まごころ」感満載のご住職だ。厳島神社のすぐ隣に位置するので厳島神社さんには申し訳ないのだが神社は「有料抜け道」になってしまう。もちろん神社には礼を尽くして通り抜けるのだが。
長居をしてしまったが別れ際にご住職は「元気をもらいました」と言ってくれた。いやいや、おかげさまで身も心も洗われた気持ちになれたのは「真明」さんのおかげですから!
そうそう、大願寺に行ったのは9日。前日の8日は誕生日で番組の本番と重なった。また一つ年を重ねたのか・・・そんな思いで向かったお寺であり、今日の岩谷時子賞だ。みんなもそのまんま年を重ねているから「差」はどこまでも一緒だが、さすが今日の加山雄三さんの若さには驚いたよ。80歳だって。俺なんかまだまだ・・・ガキだね。
あれからもう1年過ぎたのか・・・そんな思いで丸の内のパレスホテルに向かった。第1回から参加しているから、当然8回目の出席なのだが、初期の頃のことは、遠い記憶になりつつある。
今回の岩谷時子賞は加山雄三さん。特別賞が斉藤由貴さんだったが、特に印象に残ったのが奨励賞のひとり「野田あすか」さんだ。いわゆる障害者ピアニストなのだが、ピアノのテクニックを競うタイプではなく、聴く人の心に音楽をそっと届ける・・・そんな演奏家だ。
早速AmazonでCDを注文した。車の中か、寝る間際に聴くにはもってこいのCDだろうな・・・そんな気がする。
参加者の顔ぶれも例年と変わらないのだろうが、日ごろ出かける演歌・歌謡曲系とは一線を画している。見知らぬ顔が多いのだ。知り合いはごく少数だが、当然同じ顔触れだし、年々増える切実な病気の話題(笑)。「人工透析が始まって、週3回だよ、毎回4時間だよ、女もダメになったよ・・・」
いいんじゃない!まだ「おんな」ってこと口にできるんだし!
話は跳ぶが、広島の宮島にある「大願寺」というお寺に行ってきた。ここの住職と親しい仲だから、仕事のついでに寄ってきたのだが、日ごろは神社信仰なのにここだけは別。きっちり加持祈祷をしてもらう。平山真明という住職さんだが「まごころ真明」の名の方がぴったり!「まごころ」感満載のご住職だ。厳島神社のすぐ隣に位置するので厳島神社さんには申し訳ないのだが神社は「有料抜け道」になってしまう。もちろん神社には礼を尽くして通り抜けるのだが。
長居をしてしまったが別れ際にご住職は「元気をもらいました」と言ってくれた。いやいや、おかげさまで身も心も洗われた気持ちになれたのは「真明」さんのおかげですから!
そうそう、大願寺に行ったのは9日。前日の8日は誕生日で番組の本番と重なった。また一つ年を重ねたのか・・・そんな思いで向かったお寺であり、今日の岩谷時子賞だ。みんなもそのまんま年を重ねているから「差」はどこまでも一緒だが、さすが今日の加山雄三さんの若さには驚いたよ。80歳だって。俺なんかまだまだ・・・ガキだね。
2017年5月31日水曜日
「変わらないことを よし!とする?」
もう5月もおしまいか・・・そんな思いから去年の5月31日のブログを読み返してみた。「なかにし礼」さんと会った日だった。提案採択の電話があったとも書いていた・・・今年は提案採択の連絡はまだ無い。ほっと一息と昨年は書いていたが、ほっと一息つけないわけだ・・・
昨日は久しぶりで「北島三郎」さんと会った。八王子でコンサートあるとレコード会社に聞いていたので行ったのだが、思ったよりはお元気。だが歩行がもう少し・・・かな。番組の話をしたら、足がもう少し回復するまで待って・・・と。その通りだな、番組には颯爽と登場してほしいし。なんたって、北島三郎だもの。馬も、あんなに走っているんだしね。(笑)
そうそう、今度の9日に久々に宮島の「大願寺」に行ける。厳島神社のすぐ隣にある由緒ある寺だ。ここの御住職と親しくしているのだが、久しくお目にかかっていない。前日に同じ街の廿日市市に行くので、これ幸いと立ち寄ることにした。島の観光場所はほとんど出かけているから、大願寺に行くだけの行程になってしまうのだが、住職も奥様も、なぜかとても歓待してくれる。夜、二人を宿に呼び出したこともあったけどね。住職は残念ながら下戸。
こうして振り返ってみると、実にたくさんの人々と出会ってきたものだ。昨日もかなり年配の方に八王子のホールで声を掛けられ、呼び止められた。ちゃんと「藤原」と呼んでくれたのだが、相手の名前を思い出せない。だが、よく知っている顔だ。「若いねぇ、何十年も前から、藤原さんは変わらないねぇ」「いやいや」てな具合で北島さんの楽屋に一緒に向かったのだが、どこでお目にかかった方だったか思い出せない。
楽屋近辺にいたレコード会社の担当者に聞いた。「クラウンの人だっけ?」「いえ、新宿コマ劇場の偉い方でしたよ」。納得、それで何度も会っているわけだ。かなりの年配なのに藤原の名前は覚えてくれている。なのに何だ俺は。どこの人だったかも忘れている・・・名前も。
何十年も前から変わらない!とまで言ってくれたのにね(笑)楽屋の前で北島さんに何十年も付いている女子が通りすがりにこう言った。「だってパパは(なぜかおれをパパと呼ぶ)全然悩み事ないし、お金ももってるし!ねぇ~」といって去って行った。「こら!」としか反論しなかったけど。(笑)
もう5月もおしまいか・・・そんな思いから去年の5月31日のブログを読み返してみた。「なかにし礼」さんと会った日だった。提案採択の電話があったとも書いていた・・・今年は提案採択の連絡はまだ無い。ほっと一息と昨年は書いていたが、ほっと一息つけないわけだ・・・
昨日は久しぶりで「北島三郎」さんと会った。八王子でコンサートあるとレコード会社に聞いていたので行ったのだが、思ったよりはお元気。だが歩行がもう少し・・・かな。番組の話をしたら、足がもう少し回復するまで待って・・・と。その通りだな、番組には颯爽と登場してほしいし。なんたって、北島三郎だもの。馬も、あんなに走っているんだしね。(笑)
そうそう、今度の9日に久々に宮島の「大願寺」に行ける。厳島神社のすぐ隣にある由緒ある寺だ。ここの御住職と親しくしているのだが、久しくお目にかかっていない。前日に同じ街の廿日市市に行くので、これ幸いと立ち寄ることにした。島の観光場所はほとんど出かけているから、大願寺に行くだけの行程になってしまうのだが、住職も奥様も、なぜかとても歓待してくれる。夜、二人を宿に呼び出したこともあったけどね。住職は残念ながら下戸。
こうして振り返ってみると、実にたくさんの人々と出会ってきたものだ。昨日もかなり年配の方に八王子のホールで声を掛けられ、呼び止められた。ちゃんと「藤原」と呼んでくれたのだが、相手の名前を思い出せない。だが、よく知っている顔だ。「若いねぇ、何十年も前から、藤原さんは変わらないねぇ」「いやいや」てな具合で北島さんの楽屋に一緒に向かったのだが、どこでお目にかかった方だったか思い出せない。
楽屋近辺にいたレコード会社の担当者に聞いた。「クラウンの人だっけ?」「いえ、新宿コマ劇場の偉い方でしたよ」。納得、それで何度も会っているわけだ。かなりの年配なのに藤原の名前は覚えてくれている。なのに何だ俺は。どこの人だったかも忘れている・・・名前も。
何十年も前から変わらない!とまで言ってくれたのにね(笑)楽屋の前で北島さんに何十年も付いている女子が通りすがりにこう言った。「だってパパは(なぜかおれをパパと呼ぶ)全然悩み事ないし、お金ももってるし!ねぇ~」といって去って行った。「こら!」としか反論しなかったけど。(笑)
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