2018年9月7日金曜日

「日常のShock!」

チェコにいる息子にEMS郵便で荷物を送ったのだが10日間を過ぎても届かない。息子自身に現地の郵便局などに問い合わせてもらったら、荷物のバリューが高すぎるらしい、と連絡がきた。日本円で6,000円を超えていてはいけないのだそうだ。中身はインスタント食品が中心なのだが内容品を13,000円と書いた。結局30ユーロ現地で税金を払い、荷物が届いたそうだ。

アメリカもイギリスもこの程度の金額では何も問題はなかったのだが、国が変われば・・・ということだ。ちなみに日本も、アメリカから個人輸入したものが15,000円を超えると税金がかかる。サプリメントを購入して、税金として余分な金を支払ったことがあったっけ。それにしてもシステムの告知が徹底されていないよな。当事者が注意をしろ、ということなのだろうが。

今日、久々でスタッフと近所のラーメン屋に行った。ラーメン屋が久々ということだが、その店はちゃんと紙エプロンを用意してくれる。汁物でしょっちゅう衣服を汚すものだから、ラーメンに紙エプロンは必須。なのに、食い終えてエプロンを外した時、エプロンの紐部分がめん汁に入ったらしく、味噌ラーメンの濃い色が上着にベタベタベタ!

これって本当にショックなんだよなぁ。食っている最中は細心の注意をしているつもりで、ほっと一息最後のコーヒーを白いズボンにこぼしてしまう・・・なんてザラだけど、今日はかなりショック。

会社に戻り、会社の洗濯機に色柄もの漂白剤をたっぷり入れて上着を洗ってやった。縮まないか?型崩れしないか?そんなことぁ関係ない。汚してしまったという現実を早く消したいのだ。その上着はどうなった?(まだベランダに干してある。汚れは取れたようだ 笑 )型崩れ?だめなら捨てりゃぁいい。

のんきな事を言ってはいるが、北海道の地震も、関西の台風も、他人事のようで他人事ではない。明日は我が身、その程度の心構えは必要だな・・・とつくづく思うのである。

2018年8月27日月曜日

「(・д・)チッ!」

ま、結局無事で今日から普通に出勤。あ、そうじゃない、午前中病院だった。「しばらく様子を見ましょう」てなことで今回の騒ぎは終了だ。

あちこち検査をしたわけだが、レントゲンやCT画像を見ながらある部分を指して「これは年齢的なものでしょう」という医者の言葉を何度か聞いた。(・д・)チッ。

20日に半ば強引に退院して21日から4日間ほど一人で旅に出た。一番安心できる場所は「我が家」なのだが、家は職場と同じようなことをあれこれ考えてしまう場所でもある。ため息も出てしまう。小説と雑誌をもってぶらっと出かけるのだが、成田に戻った途端「ため息」が出た。思わず苦笑い。

さて今日の夜は「そろばん侍 風の市兵衛」というドラマ番組の打ち上げがある。わが社がこのドラマの音楽を担当したのだが視聴率もかなり良かったらしい。続編をぜひ願いたいものだ。先日某音楽大学で講師をする機会があったので、少しDVDを見せてドラマと音楽の関係性の話をしたのだが「時代劇を初めて見ました」「主題歌以外ドラマ内の音楽を意識したことがありません」とか、「やはりね」という発言がいくつかあった。

興味のあるものにしか目が行かない、神経が及ばない、今風なのか音楽大学という特性なのか・・・?

先日ついでに。日経新聞の記事に「輝くZ世代」という記事を見つけ、切り抜いた。10代、20代の年齢層をZ世代と称するのだそうだが(正確には1995~2008年生まれらしい)、初めて知った。勉強不足を恥じながら周囲に問うてみた。結構みんな知らない・・・やれやれ俺だけじゃなくてよかった。だが娘の旦那は知ってたよ。それも「サラッ」とした感じで。。(・д・)チッ!

2018年8月20日月曜日

「久々の入院」
 
17日の朝、体調を崩し、腹部とか腰あたりの痛みに我慢できず近くの「東京女子医大病院」に行った。救急の窓口に着いたのが午後二時。受付嬢…「救急の受付は午後4時からです」・・・「救急に受付時間の制限があんの???」と思いながらも「ならば方法は?」と聞いたら「総合受付に看護師がいますから相談してみてください」と。

 18年ほど前、やはり女子医大の救急に来てそのまま「緊急治療室」に回されたことがあったから、この病院を選んだのだが・・・でもそれは夜中だったからな。
  で、結局入院することになったのだが、部屋に入って看護師さんにいろいろ質問された。で、おもわず声をあげて笑ってしまったのが「何か介護認定は受けていらっしゃいますか?」・・・「???」。一瞬何のことか理解できなかったのだが「そうか・・・年齢的にはそういうことになるんだ!」と笑ってしまって一件落着。
 
様々な検査を終えて、車椅子で運ばれてきたのに、笑うしかない現実。そのあと渡されたアンケート用紙の中身はまさに老人向け。・心配事は?・連絡できる人は?・経済的不安は?・生きるための目標みたいな質問には「一言では表現できない」と記入し、死生観について、とまであったので「すべて神様が決める」と書いた。

 だが今回は入院したものの、大したことはない。痛みも早く収まったし、3泊4日で退院したいと先生につたえた。予約のない患者を受け入れ、入院を勧めてくれた先生に感謝したい。

 この病院は家から近い。歩いても5,6分かな。車の方が時間がかかる。ので、痛みが治まって暇になってきたからPCを持ってきてもらい、こうして暇つぶし。まだ点滴中だからちょっと手は不自由なのだが。朝、看護師さんに「隔離解除です」と告げられた。? どうも隔離だったらしい(笑)
(8月18日 病室にて)  

 「入院3日目」
 最近のニュースで一番心を痛めたのが周防大島の2歳の子供の行方不明だったが、一番嬉しいニュースがこの子供の発見情報だった。どうしても自分の孫と重なってしまう。

子供を発見し、ボランティアで活動する彼は78歳。藤原より10歳も上だ。人の生き方とか生きざまを考えながら入院は3日目。先ほどまで続いていた点滴はいったん休憩で夜9時からまた抗生剤の点滴が始まる。 明日の午前中に退院したいと伝えているが、明日朝も点滴があるそうだ。朝の血液検査の結果で退院許可が出るそうだが、明日会社に行かないとみんなの給料が間に合わない!(笑)チェコにいる息子にベットでの様子を自撮りして送ったら、コメントをつけ忘れたので写真に驚いた息子から「何があったの!?」とメールが来た。時差があるから彼からのメールはいつも朝方4時半とか5時ごろ。
マナーモードにしていても何か反応して目が覚めてしまう。しかし、自撮りした自分の顔、なんと不細工に写るんだろうね…とつつくづく思うこの自覚の無さ・・・か。 診察から今まで4人の先生と出会ったが、看護師さんに「主治医の先生はどなた?」と聞いたら「???」だと。土日を挟んでしまったから、当直の先生が顔を出すということで納得せよ!ということかな。退院の判断は誰が出すの?などと少しばかり不安を抱えながら明日の朝を待つこととしよう。 
 (8月19日 病室にて)
 

2018年8月9日木曜日

「服薬の功罪」

夕べ、一度飲んだ薬の存在をすっかり忘れて、同じものを2度飲んだ気がする(苦笑)睡眠導入剤と軽い抗うつ剤の頓服薬みたいなもんだが、今思えば確かに2度飲んだ・・・ような。

一度目の摂取と二度目の摂取の間に「アルコールの摂取」が存在したものだから、間違いが起きた。長い長い夢とともに、朝なかなか起きられなかったから、やっぱりね。

先月の末に車を買い替えた。やはり薬のせいで前の車をぶつけたから、それで嫌になったことと、街中にSUVが氾濫して、乗っている車にあまり個性を感じられなくなったことだ。それに、左ハンドルにも嫌気がさしてきたこと。今度の車はインターネットでたまたま見た派手なスポーツタイプにした。脳みそと感覚だけは、歳を重ねている現実を認めようとしていないようだ。

が、機能が多すぎて覚えられない。説明書など4冊もある。説明書を開く気もしない。担当者が近いうちに来て、教えてくれるそうだ。(わからないことをメモしておいてください!)う~ん!何がわからないのかがわからない(笑)

近いうちに、さまざまな転換期が否応なしにやってくるのだろう。先日友人に「40代は必死を信条としたが、今は充実を求める」と言ったら彼は「必死と充実は一緒じゃないんですか?」と良い質問をした。だからこう答えた。求めているものの「欲の種類、欲の色が違う」と。

その友人と今度の土曜日、飯を食うことにした。テーマは「漫画でも新聞の記事を読んでも泣くし、もちろん映画やドラマで大泣きする藤原が、なぜこの問題で泣けないのか」だ。だが、そんな難しい話ではない。その友人は医者だが、彼も心の問題を解決できずに引きずっている、たぶん。迂闊に人には話せないことを彼と話すことで楽になることを期待している。なんせ俺が飲んでいる薬は、すべて彼が処方しているんだから。

8月は静かだ。社内も静かだ。だから、ため息が目立つ。

2018年7月27日金曜日

「5月~7月」

何があったの?という程ブログから遠ざかっていた。で、何があったんだろう。手帳の5月のページを開いてみた。自分で読めない文字もある。このころから薬を飲んでも眠れない日々が続くようになったのかなぁ。6月、息子の大学院の卒業式があったのでイギリスに行った。これは結構肉体的にしんどかった。3泊5日の旅で毎日徹夜している感覚。でも行ってよかったよ。ロンドンに1泊して翌日オックスフォードへ。列車で移動したのだが普通席のチケットでファーストクラスと呼ばれている車両に乗ることに。ドア毎ににいちいち担当の車掌らしきおおっさんがいて、「乗れない、とかNO!」とか言っているのだが発車のベルが!強引に乗る。一般車両に向かったが満員で座れなかったから豪華な車両に戻り座ることに。おっさんがかなり怒っていた感じだったがプンプンしながらいなくなってしまった。追加料金取りに来るんだろうと思っているうちにオックスフォードについてしまう。そのまま改札を出てしまったから、結局「ファーストクラス」はただ乗り。

翌日息子の卒業式。これも朝が早かったのだ。一度日本の大学を卒業しているから、息子の卒業式としては2度目だ。なかなか誇らしげな息子の姿を見ながら、親としては満足。羽ばたけ息子よ!で、彼は今「チェコ」の企業で働いている。

で、7月。いろいろありすぎた7月。番組のロケハンで広島に出向いていたのがまさに豪雨の最中、
5日と6日。6日の夜から道路の閉鎖が始まったので東京に戻ることが出来ず、広島に連泊。さて、翌日、道路の封鎖は広がり新幹線も始発から運休ときたもんだ。街の中から出ることもできない。
国道は渋滞のままストップ。飛行機は飛んでいる便もありそうなのだが飛行場迄たどり着ける道がない。「お手上げ」とうこういうことを言うのだろう。ホテル探し、飛行機の予約とキャンセル、疲れ果てた一日を広島市内で過ごし、1泊の予定だったロケハンは結局3泊することになったのだ。

そして豪雨の影響で12日が本番だった愛媛県宇和島市の「BS日本のうた」が収録中止。だが、迷った挙句19日と20日の「水森かおりのさがせ全国うた自慢」は決行することにした。山陽道がそれまでに復活することに賭けてロケを決めた。準備を進めていた16日午後、一本の電話が・・・

「母親が亡くなった」という知らせだった。数十年のさまざまな思いが交錯するなか17日の夜、盛岡へ。事情を書き出したら数十ページにも及ぶだろうからやめる。

18日、兄弟だけで葬儀と納骨を済ませ東京に戻った。そして19日の朝早い便で広島へ・・・

そうそう、6月に歳を一つ重ねたんだっけ。ははは、見た目と違って結構年寄りなんだ俺。。。

娘と息子に、母親との関係性を文章で送る、と伝えたまま何も書けていない。話せること、話せないこともある。だが、神様に感謝したいほど、誇らしい息子と娘がいて、俺は幸せ者だ。

2018年4月25日水曜日

「帰郷」

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」という啄木の短歌がある。大好きなこの短歌の碑が、岩手の盛岡城跡にあった。ノリオは15歳の少年期、城跡のこの碑の側で、寝ころんで空を仰ぎ見たものだった。「俺は高校には行かない、東京に行く!」そんな風に考えていたのかもしれない。とにかく思い出の歌であり、思い出の場所なのだ。

盛岡城跡を訪ねることもスケジュールの中に入れ、昨日、一昨日と郷里、岩手に行ってきた。主な目的は墓参りとお寺に立ち寄ることだったが、今回はあえて少年期の思い出に触れる旅にしてみた。そう、生まれ育った場所、中学校跡地、同級生、満開の桜・・・

盛岡から矢幅という町まで東北本線を使った。新幹線を降り、在来線に乗り換え、トイレは次の電車でと思っていたら2両編成の電車で・・・扉を開けるタイミングがわからない~とか。あの頃、東北本線に乗り上野まで鈍行だと14時間ぐらいかかったような気がする。2両編成なんて、山奥を走る地方の話だと思っていたら、ここもちゃんと地方だったのだ(笑)

駅まで中学の同級生が迎えに来てくれた。その後何人か合流してノリオの思い出の場所を回ってくれた。町並みは変わりすぎて殆ど面影はない。中学の跡地は懐かしかったな・・・何年か前、息子がこの中学の跡地を訪ね、グラウンドを走ったそうだ。「パパの気持ちになって走ってみた」とメールが来たのだが、本人とこの話をしたことはない。中学時代の思い出というより、そこに息子が走っている姿が浮かび、感情の整理が難しかった・・・な。

何で息子にもっと優しくしてやれないのか・・・

夜は?もちろんよく飲んだ。合計8人の「うた仲間」と化したのだが、ノリオ以外は皆女子。本人たちが「美女軍団」と言っているから、敢えて否定はせず(笑)

翌日、レンタカーで墓参りと寺の挨拶を済ませ、盛岡城へ向かった。啄木の碑の側で寝ころんで空を仰ぎ見る!予定だったのだが、雨ふりやまず・・・盛岡城の周りを車でぐるっと回り、結局諦めた。上京して50数年、ふるさと矢幅の景色は変わってしまったが、思い出の匂いに似た風は、確かに故郷の風だった。

2018年4月10日火曜日

「普通という定義」

先日の日曜8日に娘から声がかかってランチを共にした。だんだん自我が芽生えてきた孫はこの日で1歳4か月。あれからもう1年と4か月?などと二日酔いの胃袋をごまかしながらせっせとランチ。

9日に息子がチェコへ旅立つものだから、7日の土曜の夜は息子を誘って飲みに出かけ、鮨屋、バー、3件目がゲイバーとはしご。息子は殆ど飲まないから付き合うことがしんどかったと思うが、ワシはよく飲んだのだ。3件目などいくら支払ったか定かではない。家に帰ってどんぶり飯に納豆をかけて食ったそうだが、そんなこと記憶にもない(笑)

だから、ランチ時の胃袋は、二日酔いというよりも寝る前の大食いのせいだ、という話を聞き一件落着。ランチを誘われたときは一瞬「まいったな」と思ったのだが、孫に会える!という現実を優先。さすが翌日曜は飲まなかった。

で、昨日の夜息子を成田まで送った。就職のためチェコに向かったのだが、別れ間際に「卒業式は6月21日だから。予約しておいた・・・」だと。大学院はイギリスだ。6月21日・・・う~ん、何か大切な仕事と被っている・・・と思い今日会社で確認したら確かに被っている・・・どうするか・・・

自分が走ろうが歩こうが、時間は同じスピードで過ぎてゆく。何を「満足」と捉え何を「不満足」と捉えるのか、どちらに転んでも時間は同じように流れていく。会社の25年も己の67年も、人々と同じ時間の中にあったのだ。何を言いたい?今日主治医のところで注射を打った。何のために?心の健康が欲しいから。気休めのような気もするのだが、安心もする。

そうそう、先日息子が「普通の定義って何?」と強い口調で口走った。なんだろうね。

2018年4月5日木曜日

「4月5日 25周年 創立記念日」

前回の投稿が2月24日だから、長い間何をしていたんだ・・・?と思う程間が空いてしまった。大抵年度末近くになると、なんやかんや考えすぎてボーっとしているもんだから。で、今日は25年目を迎えることになる創立記念日だ。それを思い出したのが昨夜。慌てて昼飯用に少し高級な「釜飯」を注文した。そして社員に向けてメール。「万難を排して昼集合してください」。ほどなくメールが。「明日2人は収録でスタジオ、誰誰は編集室・・・前回会議でお話ししました・・・」とか。沈没・・・

息子が今帰国している。大学院の卒業が決まり、就職先として「チェコ」という国を選んだそうだ。直行便の無い国だ。行けないなぁ(苦笑)

先日久しぶりで作曲家の「浜圭介」さんと飲んだ。彼は6年ほど禁酒していたから、飲んだのは本当に久しぶり。5時30分に待ち合わせをしてまず食事と酒。そのあと近所のバーでひとしきりウイスキーを飲み盛り上がる。帰ろうかな、と思ったら「飲もうよ」。新宿方面に向かい3軒はしご。さすがくたびれて帰ると告げたのが午前1時30分。先生、「俺あともう一杯飲んでいくから・・・」。本当に6年も禁酒していたのか?(笑)

会社は25年目を迎えた・・・長い道のりを歩いてきたものだ。東京に出てきたのが15歳、6月には確か68歳になる(苦笑)。浜さんは4月いっぱい海外に居るが「海外に居ると何も考えなくていいから・・・」の一言に大きく納得。俺は仕事をやめない限り、一か月も海外にいることはできないだろうけどね。

2018年2月24日土曜日

「せめて心のエリートになりたい」

先日、岩手に在住する妹の長男の結婚式が帝国ホテルであった。東大の医学部を卒業して医者になった、いわばエリートのいとこだ。大学に入学する時は、理系に行ってロケットを飛ばしたいと言ってたのだが・・・式場で、ロケットを飛ばすんじゃなかっったっけ?と意地悪を言ってみた。「結局医者になっちまいました」と照れてはいたが。

高校時代の同級生と10年も付き合って結婚したんだそうだ。なんと、妹も旦那と高校時代に出会い、10年付き合って結婚した。いとこもその嫁さんも、妹もその旦那も、岩手の同じ高校だ。全く同じ道を歩んでいる。そして義弟も医者だ。そしてその息子も結局・・・

式場で新郎の幸せそうな顔を眺めながら瞬間我が人生を振り返ってしまった。集団就職で上京した典男と帝国ホテルで挙式をしている「いとこ」。振り返ったというか、心の中で笑ってしまったのだけれど。

その日の夕方から「明治座」にでかけ「桂 雀々」の落語を聞いた。かなりの苦労人らしい。中学時代に両親に捨てられ、自力で生き抜いたとか。落語を聞き終えてから、その辺の人間ドラマを知ったのだが、午前中の式典の華やかさと、師匠の口座での輝きと、種類は違うが、つくづく人の生きる道の違いを思った一日だった。

で、今週は大分に新番組のロケに行ってきた。水森かおりさんと岩佐美咲さんという二人の歌手と一泊二日の強行軍ロケ。湯布院、寒かったなぁ。九州がなんでこんなに寒いの!ってなもんだが、
今日の東京は14℃だとか。土曜日なのにみんな会社に出ているよ、ご苦労様。

さて、3月から新しいデスクが来てくれるから、HPの情報も更新できるようになると思う。そして4月を迎えたら、この会社は25年目に突入する。25年、これは長いのか?それとも、まだやってるのか?もしくは、まだ25年目なのか?

間違いなく、歳を重ねているということだ。人の出会いと別れを繰り返しながら。

2018年2月5日月曜日

「取り留めもなく・・・そしてヒヨドリ憎し!」

今年に入って一度もブログを書いていなかったこと、今知った(苦笑)。

《風邪その1》1月は久しぶりに風邪をひいてしまって、これが結構長引いてしんどかった。マスクをしていて一番困ったことは、新聞を捲れないこと!指を湿らすことが出来ないから、イライラする。俺の指ってこんなに乾燥していたんだ!

《風邪その2》なるべく早くベットに入ることを心掛けたのだが、やはりどうしても様々な考え事をしてしまう。あることを思いつく!アイディアとか言葉だとか。メモを取りたいのだが、身体がしんどいものだから自分に言い聞かせる。「こんなに大切なことだから忘れるわけがない!」。そして翌朝、見事に忘れている。

会社のベランダに花を植えている。先週土曜日に今年2回目の植え替えをした。鳥に花びらをみんな食われてしまったからだ。鳥よけを施したのだが、今朝見たら少しやられていた。カラスだと思っていたのだがどうもヒヨドリらしい。今朝見かけた。そしてさっき振り返って見てみたら、すでに花びらがやられている。俺の後ろでこそこそと・・・ヒヨドリこの野郎!てな感じ。

去年の暮から仕事関係でいろいろとあった。年末年始は気持ちが地中にあったような気がする。こんなこと、この20数年間に何回もあったのかもしれないが、やはり歳を重ねたせいか「戦闘意欲」として湧き上がるものが少ないことを感じる。さて、藤原の「戦闘意欲」は蘇るのか!でもね、確かに気力もそうだけど、2日間ロケハンしただけで、なかなか疲れが抜けないという現実。

イギリスに留学している息子から、急だけどビザの関係で明日日本に帰る、というメールが今朝あった。急にそういうことなったということだが、12,000キロの旅をするのに、今日の明日とはね。地球がだんだん狭くなる感じだ。

さてさて、こういうブログを取り留めもない、というんだろうな。確かに!

2017年12月28日木曜日

「いろんな話」

東京の地下鉄は深い。エスカレーターは長い。その長いエスカレーターで、2列になった乗降客。右側通路を左側の人はルールのように空け、その右側をせっせと駆ける人たちがいる。黙って2列に並んで到着を待てよ、と思うのだが、右側の通路を急ぐ人たちがいる。

何秒も変わるわけではないだろうに、それでも人々は急ぐのだ。デパートの短いエスカレーターでも、右側に居ると「邪魔だ」と言わんばかりに急ぐ若者がいる。デパートぐらいのんびりしろよ。

急いだ訳ではないだろうが、旧知の編曲家が「亡くなっていた」ことをつい先日知った。彼の人生が幸せだったか不幸だったかは本人しかわからない。が、離婚して、長い間一人暮らしだった気がする。孫の自慢はよくしていたが。しかし、年齢を考えると、彼は死に急いだ。昔の仲間で、一度会って飲もうよ、と言ったのはもう2,3年前かもしれない。年賀状がまた一枚減った。

先日友人が沖縄に行ってきた時の話だ。沖縄に行く、と知人に話したら、いいホテルを安く取ってあげる、といわれ友人は喜んで頼んだそうだ。そして彼はその日、那覇空港に着く。で、那覇市内での打ち合わせを終えてホテルに電話をしたのだが、なんとホテルは確かに沖縄なのだが「沖縄市内」。那覇からは往復タクシーで15,000円ぐらいかかったのだとか。レンタカーを借りたほうがよっぽど安く済んだろうに。この話、現地沖縄から実況中継してきたので、久々にナチュラルな笑いを楽しんだ。「おバカだね!」

良い話、どうでもいい話、いやな話、さて今年はどの話が多かったんだろうね。まだ3日ある。いい話を探すとするか!

2017年12月27日水曜日

「思い出すということ」

ブログまで手が回らなかった、と言い訳からか・・・

つい先日、「歌のあとさき」という番組で「千昌夫」さんの収録があった。千さんは東京に出てきた年初めて見たプロ歌手だった(笑)。上野にあった体育館のような場所で、その年「集団就職」で岩手から上京した子供たちの、激励会のような催しもののゲスト歌手だった。昭和41年、あれから50年を超えた。そして今、彼の番組を制作している藤原・・・

千さんと、昔話をしていて、いくつもの忘れていた光景を思い出した。土壁の長屋住まい、井戸と便所は国道4号線を渡った反対側、桶で水くみをして、流し台の脇にあった樽にため水。千さんもしていたという「ヤクルト」とか「牛乳」の配達。新聞配達は小3~中2まで続いた。

彼は昭和40年の春休みに初めての上京をした。その同じ春休み、藤原も上京していたた。中2~中3になる春休みだったが、家出をして出てきた(苦笑)。浅草寺近くの旅館に一泊し、浅草橋にあった「化粧品問屋」のような店に住み込みで潜り込んだ。

親の承諾書と言われ、嘘を通しきれず結局岩手に帰り(当たり前だが)中3を終えて昭和41年春に正々堂々と上京することになるのだが。

本当に良い時代を生きてきた。「人情」がデジタルではなく、肌として伝わってきた時代だ。人とのコミュニケーションの取り方が、我々の感覚では追い付かない時代がもうそこまで来ているのだろう。

話は跳ぶが孫が先日一歳を迎えた。気分がすぐれないとき、携帯電話に届く孫の写真に目をやる。にんまりできる。「孫」と言っている自分にどこか納得していないのだが、世間が「お孫さん」というから仕方がない(笑)やっぱりジジイの領域かぁ。

年内に一度岩手に行こうと思っていたのだが時間が許さなかった。一度行っておかないと、景色も思い出も遠くなる・・・

2017年11月2日木曜日

「気がつけば11月」

良い時代を生きてきたと思う。生まれたのは戦後5年も経ってからだが、本当にあれこれ「もの」が無かった時代だ。無いから工夫したし、無いから憧れた。憧れたから「手に入れるため」に頑張った。こんなに「もの」が溢れている時代に生きているからこそ、無い時代をつくづく懐かしく思う。

最近の子供はアレルギーが多いという話題になり、昔を思い出すことになるのだが。まず清潔すぎて今の子供たちは菌に弱いよなと。もしかして俺たちの時代もアレルギーはあったかもしれないが、そんなことより食って生きることのほうが大切だったとか。

子供の頃、近所の家には電話があって、何か急用のときに時々その電話を借りにいった覚えがある。ぐるぐるとハンドルを回すと交換手が出るので「市外お願いします」とか言って電話番号を告げるとつないでくれた。中学卒業の頃、集団就職をする子供たちが集められて、電話局のおじさんから電話のかけ方を教わった。その時の電話は黒電話で、ダイヤルを回す電話だった。受話器の取り方、ダイヤルの回し方などを教わった。ダイヤルの回し方が「うまいね」と褒められたことをなぜか覚えている(笑)

今は本当にものが溢れていて、会社の中も然りだ。せっせと「捨てる」。だが「社長!どうしてこれ捨てるんですか!?」とくる。要らないから捨てるのだが捨てると「要る」という。ならば「片付けろ!」ということなのだが、いたちごっこ(苦笑)

このところ忙しすぎて、ブログにまで全く気が回らなかった。気がつけばもう11月。時間を盗んでインフルエンザの予防注射を打ってきた。気休め、きやすめ。

さて、世間はまた連休だというが、わが社に「働き方改革」という言葉は縁遠いものとなっている。総理大臣、あなたに働き方改革が当てはまりますか?てなもんだ。総理の多忙と同じくらい、小さな会社に改革できる余裕なんてないよね。

2017年10月14日土曜日

「泣き虫が直らない」

その人の立ち姿に、50年という人生が重なる。まるで走馬灯のようにあれこれが甦る。その人の歌声には血の流れを感じる。そしてなぜか、血の近さを感じるのだ。

その人の名は「北島三郎」。紆余曲折はあったが、昨日収録した「BS日本のうた」に出演を願った。スタジオではなく、お客様のいる会場での収録に、ずいぶん心配の声もあった。何しろ「手術」をしてから初めてのオンステージのテレビ収録。

当日(昨日)本当に頑張ってくれた。音合わせの段階で少しふらついていたようだったから、心配はしたが、結果はすべてOK。音合わせの段階で涙が止まらなくなり、新曲を歌ったところで思わずステージ中央の本人に駆け寄り手を握ってしまった。周りにいた歌手の皆さんはびっくりしたに違いない。そのまま楽屋について行き、楽屋の中でこらえきれずに大泣きしてしまった。(苦笑)

今度びっくりしたのは周りのスタッフ。「先生は大丈夫だけど、こっちが大丈夫じゃないのよ!」長年北島さんのお世話をしている女性スタッフがティッシュの箱を差し出す始末。

他のスタッフが後で耳の側でこういった。「男が号泣する姿を始めてみました。藤原さんはテレビマンだと思えませんね・・・浪花節ですね・・・」

しかし、長時間の収録によく耐えてもらった。最後には「嬉しかった、楽しかった」とも言ってくれた。本当にお疲れさまでした。

あの一言が嬉しかったな。
「藤原は身内だから・・・」

出逢いから51年

数奇な運命を感じる。

3年前に亡くなった末の弟さんが
今の藤原と同い年。
俺はまだ、元気だけどね。
よく、泣くけど。

2017年10月7日土曜日

「時の過ぎゆくままに」

今日は川中美幸さんのお母様の告別式だった。本当にお母さん想いの川中さんだったから、その心中を察するに余りある。お母さんが亡くなつた3日後、生放送に出演してお母さんを題材にした歌を歌っていた。当然泣いていた。

偶然放送を見たのだが、もらい泣き。番組終了後、マネージャーにメールを送った。「番組って罪ですね・・・」と。あまりにも分かり易い制作者の意図が見えたから。でも、母親をあんなにも愛せた川中さんを羨ましいとも思ったけれど。

怒涛のような毎日が過ぎてゆく。税務調査は終わったけれど、後処理がまだ残っている。番組収録と同時だったものだから、心も体も疲労×2。12日の番組の準備で「北島」さんと最終的な打ち合わせが無事できたことが何よりの安心情報だ。それが終わると例年の「日本賞」が控えている。それが終わるとすぐに「純烈コンサート」のリハーサルがあるのだが、なんと構成演出に手を付けられていない。焦っている?そう、焦っている。美術打ち合わせがようやく明後日だから、そこからスタートかな。

社員がみんな手一杯なものだから、資料を作ってくれるスタッフパワーもないのだ!これって、本当に大丈夫?てな感じ・・・

間もなく娘夫婦が引っ越しして独立生活を送ることになった。丸1年同居していたかな。朝起きてやぁ「倫太朗」と呼ぶ相手も居なくなる。孫はすぐ俺を忘れるかもしれない・・・今だって長い時間一緒に居ないから、最近なんだか孫が俺を「しかと」。つい先日まで、顔をみてすぐに笑ってくれたのだが・・・孫よ!のりぴーにもっと優しくして!(笑)

だが、引っ越し先を聞いたら、自宅から4,5分の距離らしい。ははは、どうせ土日には実家に入りびたりだろう!と期待しているのだが。

2017年9月27日水曜日

「集中力」

今日、国際フォーラムCという会場の下見に行ってきた。11月の「純烈」のコンサートのための下見なのだが、あとひと月とちょっとしかないのに明日ようやく本人たちと打ち合わせ。少し準備期間が足りないかな・・・などと今日ぐらいから少し焦っている感覚が胸のどこかに・・・ま、結果はいつも間に合うのだが。

今回はゲスト扱いの歌手が多く、どうさばいたらいいものやら。
番組や舞台が重なり、税務調査と求人が重なり、どうさばいたらいいものやら。

で、ふと思い立ってまた見てしまった「孫」の最新動画。う~ん、癒されるぅ、思わず顔が緩む。家に帰って孫と戯れたいな・・・などと職場放棄の誘惑まで・・・が駄目だ。打ち合わせに出かけるスタッフから「帰ったら(日本のうた)の打ち合わせを!」と時間の拘束を受けてしまった。やれやれ。

で、何とか気分を変えたいから「あなたの運勢助言」というカードをひいてみた。「控えめに対処することが却って良好を得られる時」だって・・・なるほどね。机の中にあるこのカード、年に一回程度見る。カードを元に戻しながら思う。このところまた机の引き出しの中が汚いな・・・

で、仕事に戻らず新聞を開く。このブログの途中で。いずれにせよ、集中力に欠けているということなのだな、今日の藤原。さて、何から手をつけるか。集中力よ!やって来い!!!

2017年9月25日月曜日

「アプリ」

今、海外の某空港で「復路」の飛行機の搭乗時間をラウンジで待っている。この国は25年ほど前に来たはずなのだが、まったく記憶にない。湿気と暑さが迎えてくれたような気がするのだが。

ま、隔世の感だな。当時は携帯もなければPCもなかった。今回はなぜか、初めて海外用Wi-Fiというものを持ってきた。いつもはホテルでPCは使えるしdocomoのSMSは無料だし、何の不自由もなかったのだが、ま、娘の勧めで成田で借りてきた。

いつもと何が違う?こうして空港でPCを利用しているし、会社からの連絡もPCを持ってさえいればいつでも相互通信可。(望んではいないが)

Wi-Fiは余分といえば余分なのだが、今回は娘が利用する「みてね」アプリを最大限利用することになった。アプリなんて必要を感じたこともなかったのに。アプリなんて「いらねぇ」と言っていたのにね。これがまた、可愛い孫の「お姿」が瞬時に送られてくることになったのだ。

さて、そんなアプリの中から、SayHiというアプリの存在を知った。翻訳アプリだよ。日本語で言えば何語でも翻訳してくれる。どこの国へ出かけてもYesとNoで生き延びてきたのだが、超便利なことだと理解した。今朝チェックアウトの時、早速使ったね。「ルームキーを紛失しました」と英語でね。

いけない、間もなく搭乗時間だ。

2017年9月15日金曜日

「出演していた38年前の番組」

9月に入ってから、なぜかわさわさしていてブログにまで神経が行かない・・・そんな感じかな。ところで8月にすごい番組があったよ。8月27日にNHKの総合テレビでOAされた「あの日あの時あの番組 三宅裕司さんが選ぶもう一度見たいこの番組」という番組。

何がすごい?なんと38年ほど前の俺が番組に出ていたのだよ。20年ほど続いた「あなたのメロディー」という番組が取り上げられていたのだ。それが何と藤原の出演回、なんで?という感じだ。アマチュアの作品を取り上げる番組だったが、すでに何枚かレコードが出ていたからアマチュアとは言えなかったのだが、本名で応募したからバレず。ペンネームで仕事をしていたからね。都はるみさんが歌ってくれた。

番組出ていたよ、と知人から連絡があって後日見ることになったのだが、一緒に見た社員は「ひぇーバリバリ尖がってる!」とか「生意気そうで突っ張ってる!」とか、一瞬笑ったら「あ、ようやく笑った!」とか。

自分でも「尖がりすぎ!」そう思ったね。二度と見たくない(笑)若かった・・・

しかし、人間は歳を重ねると変わるもんだ。今や人の良いただのおっさんだから!

昨日と一昨日は演出を担当している新人君のコンサートリハーサル。同じ若者でも素直で清々しい。俺のあの頃は・・・ま、過去のことだしいいか!

先日、イギリスの大学院に行ってる息子からメールが来て「大変そうだね、助けてあげる」的な申し入れが(笑)う~ん、何を助けてもらったらいいのかわからない・・・「そのうちね」と返信したけど。どこかで困ったオーラが出ているのかな・・・俺。

2017年8月24日木曜日


「在りし日の出来事」

最近、ふっと岩手に行こうかな、と思うことがある。神経がどこか昔帰りをしているのかもしれ
ない。これから制作する「千昌夫」さんの番組があるのだが、提案を読んでいるうちに思い出し
たことがある。昭和41年、上京したその年、上野近辺の会場で岩手から上京したいわゆる「金の卵 」を集めて激励会のようなイベントがあった。その時のゲスト歌手がデビューしたばかりの
千昌夫さんだった。東京に出て、初めて見た「生の歌手」だった。(笑)

で、昔帰りをしようと思って仕事の手を止め、古い資料を取り出したら、なんと懐かしい資料を見つ
けた。1988年の日付があるハワイの日本語新聞だ。俺は作曲家として行ったらしい。
歌を歌ったことは覚えているのだが(笑)                                                                                                                                                                                 
 



〇この写真はその時の ホノルルのどこかのホテルの
 会場。ラジオで生中継された。宿泊先のホテルに帰っ
  たら「あなた、売れるわよ」と言われた(笑)

  1988年3月とあるから、37歳か。

 新聞に一緒に写っている「小谷充」さんは作・編曲家
   で音楽の師匠だった。

  ホテルが同じ部屋で(男どうし)湯舟とトイレが
   同じで、風呂に入っていたら、この小谷のおっさんが
   入ってきて隣で「うんこ」を始めた。

 アル中先生だったから、窓際にスリッパが揃えて
   あり、姿が見えず、思わず「飛び降りた?」と
   本気で心配した。
  嘘のような本当の珍道中だった。


〇これは大阪の当時の中之島ホールだと思う。

共演は「大月みやこ」さんや 「菅原洋一」さんだった
と思う。歌手ではなかったのに、なぜか人前で歌を歌っ
ている。

こんな写真を引っ張り出して、昔を懐かしんでいるよう
じゃ俺も大したことないね。

さっき作曲家の浜圭介さんから電話があって、来月の
約束をしたのだが、「その日生きているかなあぁ」と言っ
たら「俺と同じようなこと言わないでよ」と言われた。

俺は(スケジュールがあるかな?スケジュールが
 生きているかな?)の意味だったんだが・・・
どうもその日の「生死」の話になったらしい(笑!)

2017年8月21日月曜日

「残暑お見舞い申し上げます」

しばらくブログご無沙汰だったから、8月に入って何をしていたかなぁ、そんな思いで手帳をめくってみた。4日、コンサートとだけ書いてある。誰の?コンサート行ったんだっけ?そんな調子。他、いろいろ書いてあるがハッピーな気分になるスケジュールが見当たらない・・・そんな8月なのだ。(笑)

世間でいうお盆期間中、スタッフはそれなりに休暇を取ってくれた。俺も休めばいいのになんとなく出社。孤独な留守番の日が何日か・・・これが性分なんだな。土日なども休めばいいのになんとなく出社する日が多い。以前なら、提案を書いたりそれなりに積極的だったのに、今は社内の掃除をしたり、片付けをしたり・・・ただの貧乏性。

このところ番組以外のコンサート演出の話が進んでいる。赤坂BLITZの「新人君」のファーストコンサートだったり、「純烈」の国際フォーラムでのコンサートだったり。舞台演出は好きだから、二つ返事で引き受けるのだが、毎回求められるハードルが上がっていくような気がする。いやいや、自分でハードルを上げているのだ、きっと。

だんだん仕事案件が机の上に積みあがっていくのだが、相変わらずのスロースターター、なかなか手を付けられない。心に棘のように刺さっている懸案事項、2、3件がが解決すれば・・・などと半分言い訳をしながら、気分の晴れない8月だ・・・などとブツブツ。

だが、たいてい「いつも明るい藤原さん」と言われる。「いつもニコニコしてますよね、会社をやっていれば大変なこともあるはずなのに」と言ってくれた「彼」は俺の中ですごくいいやつになった(笑)   

それにしても雨が続く東京だが、今日は久々傘が要らないかもしれない。青空も見える。これでようやく「残暑」という言葉が使えるのかね。