2015年1月20日火曜日

「イチゴ」

「イチゴ」の花言葉は「愛情」「幸せな家庭」だそうだ。「イチゴ」に花言葉?花か?などと野暮なことは言わないこととしよう。何れにしろ、2015年は15にかけて、「イチゴ年」と位置付けているらしい。若い頃、毎日大量に酒を飲んでいて、毛穴の開いた藤原の鼻をみて「イチゴみたい」と言ったおばさんが居た。あの日から自分の中に「イチゴ」は飲んだくれた「藤原の鼻」というイメージが定着してしまった。「愛情」とか「幸せな家庭」とはほど遠い!(笑)。先日家族で「イチゴ狩り」の話がでて、急にこの話を思い出した。身体の欠点やあまり好ましくない特徴を、言葉にしてはならない!30年前の事をこうして覚えているのだから・・・ね。

何れにしろ、大概のものはシーズンを問わず通年食べられる時代になった。食べ物だけではない。花もそうだ。カサブランカは夏だと思っていたから、代わりに「白いユリ」でいいや、と馴染みの花屋に注文したら、一年中ありますと笑われた。事前に調べて、知ったつもりで注文したのに・・・なぁんだ、いつでもあるの・・・季節感、ないね。

全ての物事に深みが無くなった、と感じるのはこの辺にあるのだろうか。コミュニケーションが必要なことも、メールなどのただの情報の交換になり、歌さえ、ただの情報でしかなくなったと感じてしまう昨今。味覚や食感が季節を忘れて通年になってしまったことで、「感動」とか「感激」とかが失われていくように、心への刺激も、指先やのど元で終わってしまうような、そんな気がする。深いところまで、届かないのだ。歌もね。

イチゴから、だいぶ話がそれた。「あまおう」「とちおとめ」「スカイベリー」いろいろな品種があるらしい。そう言えば、お使い物によく「イチゴ大福」をつかう。新聞で知ったが「苺一縁」というイベントがあるらしい。このネーミング、いいよね。「苺一縁」、イチゴで縁が繋がりますように。