2015年6月30日火曜日

「出会いと縁」

小説家の佐藤愛子さんの講演会に行ってきた。講演テーマは「91歳の生き方」だったか。もう何十年ぶりだろう、と思えるほど久しぶりの再会だった。実際に20年ぶりぐらいかな。

講演会はすでに満席だったため、先生に関係者席というものを用意していただいた。いつもお着物というイメージがあったのだが、なんと白のスーツで足取りもしっかりご登場、91歳だとは思えない!お姿だった。びっくり。

楽屋を訪ねた。「藤原さんとどうして親しくなったんでしょうね、前世のご縁かしら」という話になったのだが確かにそうかもしれない。会ってはいないのだが、ずっと関係は続いているし、気にもなる。前世という言葉が出てくるのが先生らしい。「きっとそうです」と答えたが。出会いはもう30年以上前になると思う。小田急カルチャー主催の「トークショー」という催しがあり、藤原はそこで司会をやっていた。そこのゲストの一人が佐藤先生だった。「そんな出会いはたくさんあるのに、なぜ藤原さんと親しくなったのかしら・・・」と先生は笑うのだが、藤原にもよくわからない。

が、「藤原さんと親しい」という言葉を何度も伺ってそれで満足、嬉しかった。「こんどお食事しましょう」と言われて別れたが、楽しみだ。また「霊」の話や「前世」の話で盛り上がれるかな。最近出版された「晩鐘」もまだ読み切っていないし、早く読まなきゃ。

今朝、アイルランドに居る息子からメールが来ていた。

「わしの夢は、パパの人生を、舞台にして演出することだよ。 タイトルは、もう決めてあるだよ。 その時は、出てほしいのだ。 わし、若い頃のパパをやるよ。」
 
だって。かってなことを言っているが、それはそれでいいんじゃない(笑)で、俺の人生ってなんだ?何れ、息子や娘が俺の先を歩いていて、爺になった俺が「お若いですね!」って言われて喜んでいるのかな?
 
何にしろ、今日までの沢山の出会いを、藤原なりに大切にしていきたいものだ。





2015年6月29日月曜日

「バージンロードが短い」

昨日、娘の結婚式だった。もう、何年前からバージンロードを娘と歩く姿をイメージしていただろうか。そして歩いた。バージンロードが短か過ぎるのだ!。

会場の係は、本番直前にいろいろ決まり事を教えてくれた。それこそ本番直前に。「ここまでは普通に歩いて、ここからはブライダル歩きで」とかなんとか。それ何?って聞いているうちに今度は「前列3列目の席のところで止まって新郎に新婦を渡してください」とかなんとか。「その時そっと手を添えて」とかなんとか・・・予備知識でもあればわかるのだろうが、「ハイハイ」とは言ったもののわかるもんか!「グローブは?」と言われて「何それ?」と聞いたら白い手袋なそうだ。「白い手袋」と言えよ!「ない、要らない!」でその件はおしまい。

本番をイメージする間もなく、本番です、と言われた。娘と手を組んでいよいよその「ブライダル歩き」だ。最初の2歩まで娘と歩調が合わない。娘の緊張が伝わってくる。「大丈夫か?」と声を掛けたら「うん」という返事。3歩目でようやく足が揃った気がする。「あぁ、これが何度もイメージしたバージンロードの世界だ」と思い始めたとたん、目の前に新郎の顔が!!!お前!出てくるのが速過ぎるぞぉ!!!「もっとそっちで待ってろよ!」

おれはすでに泣いているから、周りの事なんか見えない。現実感がないのだ。ふわふわした感じ。あぁこの世界をもっと味わいたい・・・と思っていたらもう「終点」。あいつが迎えにきやがった。
おれはまだ娘に触れていたいから、名残り惜しそうに去ってゆく娘の肩をいつまでもポンポン叩く。未練がましく・・・あぁバージンロードがあと50メートルぐらいあったなら・・・

披露宴はいい披露宴だった。今日、友人の一人から、「人間って、いいな」と感じる感動的な披露宴だった、とメールをもらった。お決まりの「娘からの手紙」。「藤原さんきっと泣くから」と何処からか声が聞こえた。泣いたか?もちろんめそめそグズグズ。

司会者からご両家代表謝辞、というコールがあって婿どののお父様が謝辞。で、ここからが俺らしいといううか。「娘をやるんだから俺にもしゃべらせろ」という口上のもとに藤原がスピーチ。もちろん会場と彼のご両親には伝えてはあったが。娘を持つ父親の気持ちとは、想像していた以上に感情的だ。

式の最中、キスシーンを見逃した。いや、目を閉じたのだ。見たくもねぇよ。(笑)





2015年6月19日金曜日

「笑える思い出」

久しぶりに訪ねてきた友人と、30数年前の「あること」を思い出して、大笑いをしてしまった。藤原が30代前半だったと思う。大阪の新興宗教の会員さん相手に、月一回程度「歌唱指導」に出向いていた時期があった。一人1500円の会費で会員さんは集まって来たと思うのだが、そのうちだんだん参加者が増えてしまった。最初は集まった会費すべてが授業料だったのだが、何回目からは増えすぎてカウントする雰囲気ではない。授業料?当時の貧乏な藤原には大金だ。

笑えるのはこの後。授業が終わると、教祖様から封筒を受け取る。会員さんに新大阪の駅まで送っていただいたと思うのだが、藤原は新幹線に飛び乗るなり荷物を置いて真っ直ぐトイレへ!おもむろに封筒を取り出して、今日の売り上げ!お札を数えるのだ。これが楽しみだった。

この頃、人の「欲望」を思い知る。ある程度の金額までは大喜びしていたのに、しばらくすると、あんなに参加者が居たのにこれだけ?的な感覚にとらわれてしまう。人の欲望はきりがない、と
改めて思い知ることになるのだが。当時、夜は銀座でピアノを弾いていたが、一日の出張でピアノ弾きのギャラの2か月分ぐらいになったかもしれない。貴重な人生経験だった。

昨日、ある番組の収録現場で、それこそ30数年前に出会った元某レコード会社のディレクターに再会。昨日、改めて思い出したののだが、彼は藤原の作品を4曲ほど採用してくれているはずだ。彼いわく「なんか作品をやったよね」なのだが、確か4曲だと思う。作品を採用して欲しくて、平身低頭、彼に売り込みをしていたのだが、藤原がTVプロデューサーになった途端、立場が変わった!と笑い話になった。これは、ほほえましく暖かな気分になる笑い話だった。

さて、これから別なレコード会社の宣伝部長とディレクター氏と会食をする。当時このレコード会社にも、売り込みのため通ったっけ。今?彼らに「こら!」と言っている。ほほえましい感じでね。


2015年6月15日月曜日

「時の過ぎゆくままに」

「ドジョウの会」という仲間の集いがある。7,8人のメンバーで、半年に一度ぐらいは集まろうという事になっていた。去る10日に集まったのは6名の男女。じゃ、次回は12月ごろね、と言って〆ようとしたのだが。「半年後だと誰が死ぬかわからないから、9月ごろにやろうよ!」と誰かの一声で9月開催になったのだが、いったい平均年齢何歳の会?(笑)

12日は「船村徹誕生日 歌供養」のパーティーだった。去年の6月12日からもう一年?と思うほど早い。去年の歌供養の様子は前回もブログに書いたはずだが、今年はもう31回目の歌供養になるという。20年ほど前から参加していることになるのだろうか。今年は船村徹記念館も完成し、本も新たに出版され、先生の活動のスピードが落ちていないことに敬服するばかりだ。

14日の日曜日、両国のシアターXという劇場で、アイルランドの詩人「イェイツ」の生誕150周年を記念したシンポジュームがあったので行ってきた。「ノーベル文学賞」を受賞た詩人であり、劇作家であり、アイルランドの紙幣に肖像が使用されているような人物だ。知っていたのか?いや、知らなかった。が、番組の提案でアイルランドを調べていたから、イベントの表題に「アイルランド」とあったので興味を持ったのだ。シンポジュームでは、某大学の名誉教授、某大学の教授2名、他「能」の演出家と4名から発言があった。驚いたのは、なんと話の下手なことか・・・。あまりにも・・・大学経験のない藤原は、こんな調子の講義を生徒は聞いているの?と思うほど。某教授は、ペーパーを抑揚のない声で読み上げるだけ・・・

いわゆる表現力の欠如、というやつだ。日本人!頑張れよ!そんな思いで会場を後にした。

さて、今週もはじまった。会社の月曜日の花も新しくなった。今日1日の充実感があったかどうかは別として、またいつものように時は過ぎてゆく。せめて、ハッピーな顔をして過ごしたいね。

2015年6月8日月曜日

「50・65」
上京して50年、今日で65歳、長い道のりを歩んできた気がする。競馬で言えば、最終コーナーを回り、残りの直線で勝負が決まるところだ。直線を駆け抜ける余力があるのか、最初から頑張ってスピードを加減しなかったから息切れするのか。そのどちらかでゴールの結果が見えてくるというところか。体力だけではない。気力・精神力がポイントになりそうだ。

4日に、番組出演中の「北島」さんを訪ねた。去年亡くなった北島さんの末弟の墓参りの報告と、何気の陣中見舞いだったのだが、千葉の君津市というところまで行ってきた。会場に着いたら音合わせ中で、しばらく客席で見ていたのだが、楽屋に顔を出したら「客席にいるのはお前かと思っていた」と迎えてくれた。

いつもの事だが、楽屋で二人だと「個人的ないろいろ」を話してくれる。スタッフが入ってくると、上手に話が一般的になって来る。少し込み入った話をしていたのだが、スタッフが入ってきたら、いつの間にか競馬の話に乗り替わっていく(笑)。最初はチンプンカンプンなのだが、だんだんわかって来る。先日のダービーの話になり、最初飛ばし過ぎたので、直線コースに入ったら息切れして、結果は残念賞という事になったという話なのだが、人の生き様と一緒かも。カメリハ2分前まで話し込んでしまった。

さて、50年の歳月と65年の歳月。結構長いよな。母親は95歳で100まで生きると言っている。結構長いよな。昭和41年3月、上野駅の公園口で「立川職安」というプラカードの前に並んだ。15歳だった。あれから50年。結構長いよな。月並みな表現を借りれば「波乱万丈」の人生だったかもしれない。つまずいたり、ころんだり、走ったり、よろけたり、いきがったり。よく人は、ある程度の年齢になると「ありがとう」とか「感謝」という言葉を使い始めるが、そんな言葉がくすぐったいほど、振り返る人生には「いろいろ」があった気がする。「ありがとう」とか「感謝」では言い表せないいろいろが。

さっき、スタッフがケーキで誕生日を祝ってくれた。なんと、顔写真付きのケーキだったよ!
何日も前から、注文してくれていたらしい。
 なによりも、忘れられていなかったことにほっとしたのだが(笑)


間もなく娘の結婚式だ。まだまだ直線コースで息切れしてなんか居られないのかもしれない。
来年からは「誕生日おめでとう」ではなく
「誕生日を迎えられておめでとう」なんてことにならないように。
コツは、腹を立てないことと、「寂しい思い」をしないことだ。きっとね。

2015年5月26日火曜日

「たわごと」

会社のベランダのプランターに「ゴウヤ」の苗を植えようとして、最近意味もなく伸びている葉っぱとツルを引き抜いた・・・ら、何と地中から「サツマイモ」が。なんで、なんで???どうみても絶対「サツマイモ」だ。なぜベランダに「サツマイモ」なんだか。結構でかいよ。植物の生命力って、すごいね。

自宅のテラスには最近「雀」が集まる。集まる、というより、集めているんだな、コメを撒いて。鳥の糞から、何か珍しい植物が生えてきたら面白いね、という発想で楽しんでいるのだが、サツマイモは論外。チュンチュンうるさいが、見ていて飽きない。そのうち捕まえて、焼き鳥に!(笑)

心豊かになったり、ほっとしたり、想いが暖かくなったり、そんな環境を求めているんだな、きっと。植物にも、小動物にもね。ジジイむさいね、これ。

さっき親しい作詩家から電話があった。「生きてるの?死んだんじゃないかと思って」と言いやがる。「昨日銀座で3軒ほどハシゴしてさぁ、二日酔いというよりも三日酔い」とまだろれつが回っていない。「用事は無かったけどさ、生きているか死んでいるか確認したいから、たまには電話ちょうだいよ」。・・・歳を重ねてくると、どこにでも寂しいやつがいる。そして寂しがり屋は、ちょっと強情で、そしていいやつが多い。

このところ、体力的にもしんどい日々が続いていたが、昨日あたりで一区切り。やれやれと思っていたら、決算の最終的な数字が昨日出て、こころ「沈没」(苦笑)。もう50年も働いたし、とか、今後に展望はあるのか、とか、なにが「高齢者予防接種」だ、とか、ぶつぶつ思いながら小料理屋で一人で飲んだ。銀座でハシゴしていた彼と、なんと対照的なことか(笑笑)

で、ベランダに目をやる。くたびれた風車が時々回っている。風車君は風を待っている。俺は風を待っていてはいけない。「よし、俺が風を作ってやる!」と言い切れたあの日に、帰りたいけど帰れない?のか?。

2015年5月19日火曜日

「命名」

数日前、帰宅したら「イモリ」が2匹家にいた。近所のお祭りで買ってきたんだそうだ。「イモリ」?、あまりなじみが無いような気がするのだが「イモリ」と聞いたので名前を付けてやった。メスは「みゆき」でオスは「ただし」だ。きのう家に帰ったら、一匹ずつ水槽に入っていて、名札がはってあった。「みゆき」と「ただし」。みゆきは分かるが、オスをなぜ「ただし」にしたのかわからない。ま、姿形を見て、「ただし」だと直感したのだろう、その時は。いもりみゆき、と いもりただし。いいいいカップルだ。

我が家の愛犬は「茶々丸子」という。動物病院に行って、名字から呼ばれると長い名前らしい。これも俺が命名した。茶々ならよくある名前。丸子がつくから良い。息子の名前も娘の名前も父親の命名だ。俺の名前だけなんで「典男」なんてせこい名前だよ。生まれた時、近所に「のりこ」という男勝りの女の子が居て、みんなが「男ならよかったのに」と言っていたので「典男」にした、と聞いたことがある。いいかげん!

アズ クリエーションという社名を決めるときには結構時間を要した。AZだからA~Z。ひらがなで言えば あ~ん だ。全部という意味だから、欲張りな名前、という事だが。ペンネームとしてもいろんな名前を名乗った。ほとんどいい加減。「恵方道三(えがたどうさん)」という名前もあった。根拠?「A型父さん」だ。いいかげん!

藤原典男以外に「アズ クリエーション」の名前が一番長くなった。時々パーティーなどで隣席になった方に名刺を差し出すと、「お名前は伺っています」と言われることも多くなった。「アズ クリエーション」という社名は気に入っている。「典男」はどうかね。もう少し、垢抜けた名前は付けられなかったものかね。猿之助とか桃太郎とか牛若丸とかさ。

2015年5月11日月曜日

「今を生きる」

北国では「桜の花」の次は「リンゴの花」という。リンゴの花?思い出せないのだ。リンゴの記憶は、すでに青いリンゴになっていて、それに「袋」を被せる作業は知っている。そして赤く色づく。当時はほとんどリンゴと言えば「紅玉」だった。その紅玉を「まんこ」と呼ぶ(笑)。「まんこりんご」が正しいのかもしれないが、おばさんたちが「まんこ、まんこ」と言うのだ。イントネーションはこれを読んだ人の想像に任せるとしよう。

言いたいのは、「リンゴの花」の記憶がないこと。リンゴは実って初めて「リンゴ」だと思っていたんだろうな・・・子供のころは。遠い記憶だけれど・・・

話は跳ぶが、今度の旅の飛行機のトイレが「ウォシュレット」だった!初めての経験。見つけた時はうれしかったよ!(笑)飛行機の便器に腰掛けながら、時代の変遷を思ったわけさ。で、なぜだかリンゴの花を思い出したりして・・・

この頃なぜか、「生きる」ということを考えてしまう。来月が誕生日で、上京してから50年目という事実に接しているからだと思う。「生きがい」とか「生きる」とか「充実」だとか、さまざまな思いが押し寄せてくる。2,3日前作曲家の「三木たかし」さんの7回忌に出席したが、享年64だと今更知った。今の俺の歳か・・・などと思ったりもする。

「何れ」とか「今度」とか「余裕が出来たら」とかを、禁句にしたい。「早速」とか「今」とか「やっちゃおう!」とか、「すぐに」「任せとけ!」とか、そんな言葉を枕詞にしたいね。

これを書いている途中でSMSメッセージが入った。「昨日、娘の○○が亡くなりました・・・」。そうだよ、「今を生きる」、それが大切なんだよ。

2015年5月6日水曜日

「ちょっぴり激怒」

目的地の駅に着いたのにドアが開かない。ボタンを押すのかと思って「開」のボタンを押したのだが関係ないらしい。駅員がそばに見えたので中から窓をどんどん叩いたのだが、彼はちらっと見て知らんふり。後ろに並んでいた他の客は別のドアへ。社内にはなんの案内もない。普通ではないことに気づきしばらく待つことに。しかし何の案内もない。そしてようやく「踏切があるため電車はバックできません」???「バックできないためこのまま出発します。次の駅で降りて登り線にお乗り換えください」・・・ ・・・何のこと???ドアは開かず、目的地で降りられずそのまま電車は走り出した。

日本人は本当におとなしい。後ろに並んでいた客は何も言わない。いや、状況がみなわかっていないのだ。電車が走りだして社内放送が。「踏切があるため・・・バックできなかったため・・・」云々。これ、説明になっているか?心のない「ご迷惑をおかけしました」の車内放送。戻る電車の案内もない。そればかりか、次の駅が終着なのだが、その先の乗り換えの案内をしている。「こいつ!馬鹿か!」藤原の小さなハートはふつふつと怒りモードに。

で、次の駅に着いたて降りたのだが、どの電車で戻るのかすぐホームで案内もない。ここで「切れた」。一目散に改札の駅員たまり場に向かう。「戻る電車の案内もない!何番線の電車で戻れというのか!」マスクをしたまま若い駅員が「すみません」の連発。「そんなことはどうでもいい!なぜ案内が無いのか!!!」と窓口を叩きながら抗議。戻る電車を聞き出し、「乗って来た電車の車掌は失礼だ!」とかなんとか言って戻る電車が待つ隣のホームへ。ぎりぎり飛び乗った。

いや~久々に切れたよ。しかし、状況説明の出来ないあの車掌、現場から外して研修させるべきだね。因みに電車はJRの湘南新宿ラインだ。結局、運転士は停止ラインをオーバーして停まり、車掌はあたふたするだけで状況説明もできなかった、という事だろうか。ちゃんと案内があれば、藤原、切れたりすることは無かったのにね。仏の藤原だもの(笑)

さて、そうして大型連休も終わる。今日は夕方の打合わせに向けてゆっくり出社予定だったのだが「午前中に打ち合わせをしたい」というメールに「ゆっくり」は叶わぬことに。だが、藤原はそんなことで怒ることもない。だって、仏様のような人なんだもの。

2015年5月2日土曜日

「吉方位」

ブログを始めたころ、あまり個人名を出さない配慮をしていたと思う。誰と会おうがそんなこと人に告げる必要もないし・・・という思いだった。最近、個人名を書くようになった。誰と会った、とか誰と仕事をした、とか。理由?ブログに「記録」という意思を持ち始めたからだ。まさに「日記」のように。なぜ?「忘れる」からだ。あれ~いつのことだっけ・・・で自分のブログを見直す。結構便利(笑)

今日、取材のため練馬方面の「石神井公園駅」という場所に向かった。運転しながら考えた。自分がこっち方面に住む、という可能性はあっただろうか・・・
もう50年ほどだが、上京した時から、なぜか住むなら「山手線」の中、と決めていた気がする。上京してすぐに住んだのが「国分寺」という郊外だった。田んぼや畑があるような。北区の「東十条」という街で暗く暮らしていた頃、山手線の外は「灰色」に感じて好きになれなかった。そしてかれこれ40年近く、山手線の中に住んでいる。取材場所に向かう少しの間、そんなことを考えていた。

周囲にやたらと50周年という人が多い。なぜか今年が特に多い気がする。作詞家も作曲家も。で俺も上京50周年だ。自分の暮らしを「ありがたい」と思うことが多くなってきた。そう、こうしていられることが「ありがたい」という感覚になって来たのだ。やれやれ、歳のせいか?

話は跳ぶが、藤原の「今年の大開運吉方位」という日が4日間あって、3日間は仕事でどこにも出かけれれなかった。そして最後のチャンスが5月5日なのだそうだ。気分の問題だから、5日は吉方位とされている方角に出かけるとするか。「何処」を決めるにはまだ2日ほど時間がある。さて、1日ゆっくり時間を取って、出かけるとするか。きっと開運に恵まれる!山手線の中の様に。(笑)


2015年4月30日木曜日

「素敵な一日の始まり」

昨日、娘夫婦と千葉のバラ園に行った。入園料1,200円だよ、と思ったら、それは5月からの話で4月中は一人300円だという。その違いは?何のことはない、まだ咲いていなかったのだ。だから、青々としたバラであろう塊たちの間を散歩という事になったわけだが。それでも、一部はとてもいい香りを放っていた。満開のバラを想像しながら、優しい気分に浸れることのできたわずかな時間だったが、それはそれで貴重な空間とひと時。

バラ園に行く前に一件取材を済ませてから出かけたのだが、お相手は布施明さん。布施さんとはなぜか今日まで番組でご縁が無かったのだが、一時間ほどの打合わせの時間はもう笑いっぱなし。なんと楽しい人だったことか。その布施さんの面白さを抱えて出かけた今日のうち合わせは「小林幸子」さん。今度番組でご一緒願うのだが、楽しい番組になりそうだ。

しかし、怒涛の4月だった気がする。番組の途中でスタッフが1名欠けてしまったものだから、みんなの作業量が増えたことと、その分藤原のお手伝い個所が増えたものだから、手も気も抜けないという事になっただけなのだが。

番組の隙間で頼まれもののプロモーションビデオの制作をするのだが、昨日は誰も手が無く、藤原がすべてを撮ることになってしまった。ロケハン・画コンテ・監督・運転手・AD、2日間でみんなやったよ。デスクの小池ちゃんを連れて行って、現場の「音出し」だけはやってもらったけど・・・編集作業だけは出来ないから、今他のスタッフにやってもらっている。が、今夜中に完成させなければならないとすると・・・怒涛の4月の延長だ。

で、月末だ。経理系の作業は手つかずだ。

そうそう、今朝、車を点検に出した帰り、会社の会議に間に合うようにタクシーに乗った。「六本木通りに出て、渋谷公会堂の前まで」と言ったのに、運転手は「わかりました」と言いながらカーナビの操作を始めた。「定年になってからタクシーを始めたものですから、まだよくわからなくて・・・」とカーナビ通りに走り始めた。よくしゃべる運転手さんで歌番組の話になった。偶然にも僕が作った番組を沢山見ていたことが判明。藤原よりもシーンを実によく覚えているのだ。「あのシーンに出てきたジャズのお店はどこかなと思っていました」「作詞家の〇〇さんはこんなことを言ってましたね」・・・ ・・・あまりにもよく覚えているから、感心したふりをしていたのだが車はどんどん知らない道へ・・・「今日は女房に自慢が出来ます!」車は一車線の混雑している道へ・・・「そう言えばテレ朝の方から六本木通りとおっしゃってましたね!」・・・もう怒る気にもなれない。イメージよりも15分ぐらい余分な時間タクシーに揺られ、ようやく到着。彼はこう言った。「今日はとてもいい一日です。帰ったら女房に自慢します!お気をつけて!」・・・ ・・・ いい一日の始まりだった。

2015年4月20日月曜日

「春よ来い」

会社のベランの一角に、一株の「一才藤」を小ぶりの鉢に植えておいた。、なんと花が咲き始めたのだ。藤の花というのは藤棚でしか見ていないから、小さな株から花が出てくると、なんだか嬉しい。自宅のテラスでは今年も白いツツジの大輪が咲き始めた。これも春を感じて嬉しい。

なのに毎日雨が続く。今夜から雨風が強くなるともいう。やれやれ、本物の春よ、早く来い。

先日、北島三郎さんにサインをもらった。出会って何十年にもなるのだが、初めて「サインを下さい」と言った。「何処までも 我が路を・・・ ・・・」と書いてくれた。30分ほど二人で話し込んだが結構お疲れモードだったから、無理をしないで欲しい。「頑張ってください」とは言えなかった。みんながそう言うらしいのだが、今更頑張る必要はない。すでに、誰よりも頑張って来たのだから。

俺?まだまだ頑張るんだろうな。まだ60代だし・・・サブちゃんは「70歳を過ぎたら急に疲労度が増すよ」と言っていた。そうか、まだ大丈夫だ。明日も朝早い、明後日も朝早い、その次の日も朝が早い。あぁ、そろそろ休みたい(笑)

今週は、やや地獄だ。あぁ本当の春よ、来い。

2015年4月10日金曜日

「友人の条件」

今日、取材のため歌手の大下八郎さんにお目にかかった。昭和36年の集団就職だ、という話になると、藤原は自分のことを黙っていられなくなる。「いやいや自分の事で恐縮ですが実は僕も昭和41年の集団就職で・・・」とついなってしまうのだ。こんな話になると、扉が大きく開けられたと同じ、急に距離感が縮まって話が弾む。「そう、あの頃は東京がまだこんなんで・・・あの歌がヒットしたころですよね・・・えぇっ!女遊びした事なかったの!?」etc. 時代や環境を共有しているという事は人の距離を一気に近くする。

今日はこれから浜圭介さんとすし屋で落ち合うことになっているのだが、彼と共有するもの?「歌に対する愛情」という言葉がまず一致する。「そこそこ悪だったね」という話も一致する。貧乏だった時代、ずっと母親の面倒を見た話、まだまだ頑張る!という話・・・。浜圭介作曲生活50年、藤原は昭和41年の上京だから、芸能界風数え方をすれば上京から50年だ。50年の歴史の中で、どれだけの人と出会えてきたのだろう。そして、これからどれだけの人と出会えるのだろう。いい出会いは人生の大きな財産だから。

サンクトペテルブルクの友人からメールが届いていた。浜先生はお元気ですか?とあった。友人は日本語学校の先生だから、生徒に浜圭介作品を聴かせている。彼女が来日した時、浜先生と3人で食事をしたのが、彼女にとって大切な出会いになっているらしい。ロシアで日本語の歌謡曲が歌われるのは良いことだ。歌を愛する仲間を感じて嬉しい。

さて、外は寒いのだが、寿司屋へ向かうとするか。一生に、いったい何人の心許せる友人と出会うことが出来るのだろう。損得抜きで、利害の絡まない、そんな関係でいられる友人が・・・サンクトペテルブルクの友人も、一番町に住まう友人も、藤原の人生の中で、大切な友人だ。

2015年4月9日木曜日

「鼻炎大敵」

「俺は鼻炎になんかなったことが無い、アレルギーの検査をしても何もひっかからなかった」と言い続けてきた。本気でそう思っていたのだが、今年は鼻炎がひどい。一ヶ月ぐらい身近にある薬や、家族から分けてもらった薬を飲み続けていたのだが、ちょっと辛すぎるので医者に行った。「去年の6月に来ているけど一回きりでその後来なかったね、直ったの?」とか言われ、あれ?鼻だっけ?耳が詰まって来た、と思い込んでいたのだがどうも鼻炎もあったらしい。薬局に行ったら、「前回と同じ薬です」と言われたし・・・、なんだ鼻炎があったのかよ!

さすが耳鼻科、2日ほどで楽になった。ようやく夜も眠れるようになったし、なぁんだ、早く医者に行けばよかった、と今更ながらに思う訳である。長い間、集中力に欠けたし、酒はまずいし、人間の体は実に繊細で悩ましい。

季節が変わる、という事はさまざまな事象を伴うという事だ。今年も、来年も、その先も。それぞれに耐えられる元気が続くかどうかは別として、何か楽しみを探さなくちゃ!

フィリピンに行って12600 人を買春した64歳という男の記事を目にした。年に3回フィリピンに行き、26年間続けたとあった。12600 人を26で割ったら、484人。毎日頑張っても無理なのに、484人を年3回の渡航でどうしたの?と単純に思ったりして(笑)なんと、藤原はわざわざ電卓を出して、このニュースに反応したのである(笑)。昔、「24000回のキッス」という歌が流行ったが、「♪一秒のキッスを一日続ければ24000~」という歌詞なのだが、この時も計算したっけ。思わずそのことを思い出したのである。(同年代とはいえ、彼は女を愛するということを知らない哀れな男だ。)

俺が探している楽しみとはこんなことか?違う違う。でも、この記事に出てくる数字が、「間違いである」と誰か突き止めて欲しいね。どう計算しても不思議だもの。相手にした女性も~70歳までだと。どうでもいいと言いながら、こんなネタを、なぜか取り上げているボク。

さて、鼻のつまりも改善したし、真っ直ぐ帰るか・・・寄り道するか・・・

2015年4月3日金曜日

「桜に想う」

4月5日が会社の創立記念日だ。22年目を迎えることになる。毎年意識しているのに、昨日まで忘れていた・・・慌ただしかったから、なのか、はてさて・・・

今日は風が強く、桜は大丈夫なのかな?この時期、毎年言っているような気がするのだが、桜がいつ咲いていつ終わるのか、気が付いたら終わっていた、などと。だが、今年は先日出かけた広島県・大竹市の亀居城というお城でたっぷりと桜を観てきた。まだ、満開ではなかったのだが、何年ぶりだろう・・・と思うほど桜を観た気がする。桜の花びらの寿命は一週間だという。そのあいだならば、桜は雨にも負けず風にも負けないらしいが、どの段階から一週間なんだろうね。何れにしろ東京の桜は間もなく終わる。

明日娘が引っ越しをする。結婚して新居を構えたので引っ越すのだが、どうも実感が無い。結婚式がまだなことと、5年間も海外に居たので、居なくなることに慣れているせいかもしれない。しかし、確実に時間が過ぎ、状況が変わっていくことを認めざるを得ない。そんなこんなで、また会社創立記念日を迎えるのだ。

そういえば、先日「年金」について書いたが、もっとひどい案内が来た。「高齢者」が受ける肺炎かなんかの予防接種の案内状だ。「高齢者」という文字を見て、放ってある。65歳以上は何年かに一度受けるのだそうだ。しかし「高齢者」という呼び方が気に入らない。これは本当に気に入らないのだ。一括りにされてたまるもんか!などと思ってしまう。(苦笑)

さて、明日の土曜日、桜は枝にあるのだろうか。寿命は短いが、実はたくましいのが桜ではないだろうか。薄くて柔らかでか弱そうに見えるが、毎年巡りくるこの季節の「主役の座」を守り続けているのだから。

2015年3月28日土曜日

「現在・過去・未来」

なかにし礼さんにショートメールを送ったら、電話があった。思ったよりもお元気で、一安心。手術の2日前にインタビューロケをしたのだが、手術の事は一言も話されなかったので「お元気そうで何よりでした!」などと気軽に別れたのだが。その2日後にガンの手術をされたということはニュースで知った。礼さんは「男の中の男だ」と改めて思う。

その礼さんに出演していただいた「北島三郎78歳の挑戦」が一昨日放送された。わが社の制作ではないのだがコーディネーターとして参加した。番組表記は「取材協力」という事になったのだが。何れにしろ長丁場だった番組は無事放送され、我が社が制作した「博多座最終公演」は今日放送される。今月はまさに「サブちゃん漬」の毎日だったと思う。クラウンから発売されるDVDも作ったから、頭の中がごちゃごちゃになるぐらいサブちゃんの映像を見た事になる。ありがとう!サブちゃん。

そんなあわただしさの中、息子がイギリスに旅立った。留学だから、2年になるのか3年になるのか・・・2年ほど前、娘が帰って来たばかりなのに、また留学生の父だ。老後はどんどん遠くなる。(苦笑)でも、サブちゃんも78歳になってもあんなに頑張っているしなぁ・・・とここでまたサブちゃんが役に立つ。サブちゃん!ありがとう。

次の番組のために、昨日「秋川雅史」さんと打ち合わせをし、さっきは「ささきいさお」さんと打ち合わせをしてきた。二人とも人間的にもとても素敵な方で、いろんな方とお目にかかる事がとても刺激になる。頑張っている人のパワーに触れるのがいい。

その一方で訃報もよく届くようになった。7回忌の法要にお招き、といった種類の情報も多い。今日は「三木たかし」さんの7回忌の案内が届いた。30日からは「石本美由起」さんの7回忌に使う映像制作のため広島にロケに行く。現在・過去・未来。そのさまざまが、毎日行き交うのだ。

2015年3月11日水曜日

「俺は爺じゃない!」


東京の今日は穏やかで暖かくていい一日だった。が、岩手では積もるほどの雪だという。春の本番は、いつ、どこからなのだろう。桜の開花情報なども出始めた。立ち止まることを知らない時間が容赦なく流れていく。

「年金申請書」なる書類が届いた。なにこれ?とうそぶいてはみたものの、自分宛てなのは確かだ。年金?冗談じゃねぇえよ、おれはそんな歳じゃない!と思っているのは自分だけか・・・ ・・・葉書一枚ハンコを押して届出、という訳にはいかないらしい。なんと15ページもある「書類」だった。だった、という意味は、働いている自分にとって、あまり現実的ではないから社労士さんに記入を頼んでしまったからだ。「俺は年金暮らしだから・・・」という日常には、まだまだ遠いぞ俺は!!!と、いきがってみるとしよう。

昨日、近所の馴染みのすし屋の奥さんから電話があった。「のりちゃん、今月いっぱいで店を閉めることにしたのよ・・・」女将さん72歳、親父さん75歳、年齢的には仕方がないのかもしれないが、周囲に、現役を去るという人が増えてきた。「マスターは?」「今病院に行っている」「病気?」「店をたたむと決めてから精神的に辛そうで、今点滴を打ちに行っている」「店という目標が無くなってしまったら、マスターしんどいよね」などという会話をしながら、改めて早すぎる時の流れを認めるしかなかった。もう一軒の馴染みのすし屋の親父もいい歳だし。そんなことを考えているとなるべく若い知り合いを作っておかなくては、と思ったりする。(笑)

社内は少し若返った。新しいスタッフ2名は20代。この年頃、俺はどうだったかなぁ、などと思い出すのも楽しい。悪かったし、貧乏だったし、女たらしだったし、呑兵衛だったし。ハチャメチャとは言わないが、それに比べたら今どきの人は本当に「いい子」だ。

などと、言うことがだんだん爺むさくなってきた!(笑)
だから、「年金申請書」が来るんだよ!

2015年3月4日水曜日

「深~い想い」

会社の机の周りに、娘の写真が貼ってある。それも何枚も。小学生の写真、中学、成人式、ロンドン時代・・・「パパ誕生日おめでとう」とか「パパお弁当だよ ありがとう」など、娘が書いてくれたメッセージも貼ってある。ベタベタと。

そんな娘が昨日結婚した。入籍した、というのかな。今はまだ我が家に彼と居るから、嫁に行ったとか嫁に出したという感覚は無いのだが、とにかく結婚した。彼は普通に朝、行ってきま~す、と言って出かけ、「ただ今」と言って我が家に帰ってくる。新居が見つかるまでの仮住まい、という名目なのだが、当たり前のように当たり前の空気で我が家に住んでいる。から・・・住人が一人増えただけ・・・ということかな。

ずっと以前から、娘が嫁に行く姿を想像しただけで涙を流したものだ。娘はそれをよく知っているから、今のところ親父を泣かせてはいない。結婚式?涙を受け止めるバケツが必要だ、きっと。

映像の仕事をしているが、思い出を辿るのは「動画」より「スチール」の方がいいと思う。いろんな場面や状況を想像したり空想する楽しみがあるからだ。写真を撮ったこの時、どんなことを考えていたのかな・・・ここはどこだ?あぁ凱旋門の上だ、あのあと、何食ったっけ・・・

娘の写真だけ?いやいや息子の写真も一枚だけ貼ってある(笑)。藤原が爪先立ちをして撮っているから、俺の方が身長が高い。まだ、そんなことが出来た時代だ。

さてさて、感慨にふけってばかり居てどうする!仕事しろ仕事!
でもね、今日はもう、仕事モードには戻れない気がする。ま、いいっか。メールが来ていたから「味宏」にでも行くか。70ン歳のママの店に!娘が結婚したよ~~~って言いにね。

2015年2月28日土曜日

「笑いましょう!」

家のテラスに小鳥小屋のようなものをしつらえて、小鳥を待っていた。なかなかいい景色なのだ。ボーっと見ながら何かを言おうとした。〇〇〇がね、(言葉は忘れた)・・・ ・・・なんとなく暖かな気分で小鳥を待っていたら、何を言おうとしたのか忘れた・・・「あれ、何を言おうとしたんだっけ」・・・

キッチンに向かった。流しの前まで行き「あれ、なにしに来たんだっけ・・・」
「あれ、さっきメガネこの辺に置いた気がしたんだが・・・」「あれ、メガネは?どこだっけ・・・」

携帯電話も最近よく忘れる。以前はバイク便を出して持ってこさせたりしたもんだが最近は「いいやいいや別に一日ぐらい」
社員を呼ぼうとして、とっさに名前が出てこず、一瞬ボードの名札に目が行く。で、おい〇〇!!!

先日、高野と片野を間違えた。何が起こったかって?片野君という人物に電話をしようとして携帯で番号を探す。片野に電話しようとしているのに高野を探してしまう。で、片野と思い込んで高野に電話をした。(片野とは以前在籍していたスタッフで僧侶でもある)

「もしもし、お父さんですよ、頭の悪いお坊さんですか」(これはふざけている)
高野 「あ、はい」
藤原 「しばらくだね、ちゃんと勉強しているのか、おまえ頭悪いんだから、税理士なんか目指すのやめたら!」
高野 「あ、はい」(この辺でなにやら相手の声がステレオで聞こえ始めたことに気が付く)
藤原 「おまえ、どうしたの、いつもより声が低いし、のりが悪いね」

高野 「あの~」とかなんとか言ったところで、藤原は名古屋にいる「片野」ではなく、隣の部屋にいる社員の「高野」に電話していることにようやく気が付く!  

で、どうなった? 笑ってごまかした。 ははは、今思い出しても、笑える・・・


2015年2月24日火曜日

「出会い」

昨日、久しぶりで「なかにし礼」さんに会った。会うなりCDをもらった。このところ話題になっている「なかにし礼と12人の女優たち」だった。包装が破られていたのは「中にサインをしておいたから」という理由からだったが、嬉しかったな。かなり元気そうだったし。病気を克服して禁酒されたから、もう一緒に飲むこという事は無いだろうが、いつまでも、なるべくなるべく元気でいてほしい。歌謡界の大きな財産だし、なんといっても稀有な存在だからだ。

なかにしさんは、石原裕次郎との出会いが作詞家として羽ばたくきっかけだった。藤原は、北島三郎さんとの出会いがこの業界に居るきっかけとなった。北島さんは作曲家・船村徹と出会ったから北島三郎になった。そう、人生は「誰」と出会うかによって、進むべき道が出来ていくのだとつくづく思う。そう、誰と出会うかが大切なのだ。

一昨日、山梨県の韮崎市にある中学校を訪ねた。こんど収録する番組に合唱で出てくれる生徒たちの練習を見に行ってきた。生徒たちにいろんな話をしながら、今日の出会いが、子供たちにとっていろんな刺激になる場合もある・・・という思いがよぎったりして。でも、合唱をやるような子供たちだから、可愛いよ。3声のハーモニーで参加してもらうのだが、一番下のハーモニーの男の子たちの音が違っていたが、OK!OK!頑張って!といって帰ってきた(笑)。コンクールじゃないんだし、いいよいいよ、明るく楽しく参加して!   いい出会いだった。

歳を重ねると、新たな出会いのチャンスが減ってきているような気がする。多分、数の問題ではなく刺激の問題だと思うのだが。人生に慣れてしまうと、出会いに限らず物事の刺激が乏しくなってくる。さて、何に刺激を求めようか・・・ドキドキするような「出会い」かな?(笑)