2019年8月27日火曜日

「25分間の慌ただしい光景」

22日、番組収録のため秋田に向かうことになった。スタッフは全員前日入りのため当日入りは藤原ひとり。リハーサルに間に合わせるために11時の飛行機を予約。いつもより少し早めに家を出たのだが、空港の駐車場が見えてきたあたりで不吉な予感…「満車」という赤い文字が見えた気がした!のだ。

P1P2 P3P4 一回りしてみたのだがすべて「満車」。「参ったなぁ」…とりあえず並んで係のおじさんに聞いた。「何分待ちですか?」「60分ぐらいですかね」とのんびりした答え。時計を見たら10時15分!残された時間は25分!「出ます!」と告げて列を抜け取り敢えず車を走らせる…「東京駅に向かって新幹線にするか…でも4時間もかかるし…」と少し思案。「よし!国際線の駐車場に向かってみるか、そこがだめだったら東京駅に向かえばいい!」。国際線の駐車場は9階だけが少し空いていてセーフ!。さて、どうやって第一ターミナルに戻るか。

国際線にはいつも車で行くのでタクシーを使ったことがない!タクシーの乗り場がわからない!ので到着口を目指してダッシュ!タクシー乗り場はどこだ?どこだ?やっと飛び乗って第1ターミナルを目指した。1万円札を出したらお釣りがありません!もたもた。解決してターミナルに入るとそこは南ウィング。東北方面は北ウィング!またダッシュ!…間に合った!!!

傍から見ていたら、滑稽な姿だったろうな…と自分の姿を想像しながら1時間程度の空の旅。平日だからと安心していたのだが、8月は夏休み中なんだということを肝に銘じなければいけない。はい!反省。。。

2019年8月18日日曜日

「8月17日」

毎年夏の時期、縁があって都内にある某音楽大学に講義に行く。2時間ほど様々な話をするのだが、今日の生徒は楽器系と声楽とマネジメントの各4年生で、専攻はバラバラ。休憩なしで2時間授業をやり、最後に「質問は?」と生徒に振ったら、ピアノ専攻の生徒が「夢はなんですか?」ときた。

それまで生徒に、目標値とか、夢の必要性などを話していたものだから、逆質門されると少々困った。「女の子の孫がいたらいいな、それが小さな夢」と軽く逃げておいて、さてと話しながら考える…「俺にも語るべき夢が必要なのかも…」とか。「夢、とストレートに言えるものなんてあるか?」などと心の中で呟きながら、言葉を操って質問には答えたが…。年を重ねると、頭の大部分が理屈で構成されていて、思っているほど頭は柔軟ではないな、などと思いを巡らせつつ生徒のストレートな質問にやや反省モード。

今日の刺激はもうひとつ。昨日、注文していたレコードプレーヤーが届いた。昨日の夜は酔っていたから眺めていただけ。今日午前中組み立てを始め調整も一通り完成させ、久々にアナログレコードを聴いた。チリチリチリのノイズ・・・

20年ほど我が家にレコードプレーヤーは存在していなかった気がする。今日はスピーカーの位置を変えたり、配置の見てくれにこだわったり・・・。なんか新鮮気分!!!

夕方から主治医殿と飯会。飲食時間5時間!八王子から四谷まで呼び出してしまった、
ごめんね。

2019年8月8日木曜日

「深夜という時間帯は 自己満足時間」

処置と措置、承継と継承、分かっていそうで間違えそうな言葉を改めて確認する。最近この作業が増えた気がする。慎重になったのか、知識がなかったのか・・・

20数年前、まだPCに否定的な時期があった。「知りたければ本屋へ行け!」とか「ゲームばかりしているおじさんのおもちゃだろ!」とか。だが、今はどうだ、PCがなければほとんど作業ができない。カメラがデジタルに変わる時もそうだった。「写真はフィルムだろ!」これも、デジタルカメラの力を認めることに時間はあまり要らなかった。

ことほと左様に時代は人の心の文化までもいともたやすく変化に導く。

変わらないもの、変わりたくないもの、変われないものもある。親子の愛情の距離とか、心をむしばむ過去の遺産とか、胃袋に巣くう毒薬にもなりうる「忘れられない言葉」とか。大なり小なり、そうして人は「悩みらしいもの」を抱えて生きていく。

子供自転車がなかった時代、子供は大人の自転車に「三角乗り」をした。スケート靴を買えなかった子は長靴に金具をつけた。米を生産していない子は地域の運動会でおにぎりをもらえなかった・・・。

それでも少年や少女たちは、「笑顔」の尊さを、または笑顔のぬくもりを身に着ける努力をしながら時代を生き抜いてきた。PCなんか、要らなかったのだ。まして、空飛ぶタクシーなんていらないのだ。とした時に…この先、どう生きていけばいいの?と笑顔で語る「昭和人」に必要な「実のある文化」を教える?または探せ!というのか、難しいね。

職業が坊さんとか牧師さんでもよかったな、と思うことがある。どちらにしても、かなり生臭かっただろうが。(笑)(8日・深夜)

2019年8月5日月曜日

「夏のある一日」

猛暑が続いている。夏が大好きな藤原でも、急激な暑さの到来なので体が少し驚いている気がする。「無理をしないように…」本格的な夏を迎えて初めて思った。

人々の一般的な感覚とはたぶん逆で、外に出てギラギラの太陽光線を浴びた瞬間「幸福感」を感じるのだ。暑いかどうかとは全く別の気分。前世はきっと、ほとんど陽にあたることのできない場所で暮らしていたのかもしれない。

家で時々頼まれてもいない洗濯をする。今の時期、洗濯ものを取り込むとき、カラっと乾ききったそれぞれが気分を和らげてくれる。洗えるものを探して何でもかんでも洗濯機に放り込むから、そばで聞こえる小さなため息に気づくこともあるけれど(苦笑)

昨日も日曜日なのだから家でじっとのんびりしていればいいのに、何かしないと時間がもったいないと思ってしまう。この性格は生涯直らない気がする。9時から午後4時まで孫を預かってそれなりに楽しく過ごした。休日なのだからそれで終わればいいじゃないか・・・

洗濯ものを取り込む、孫がプール遊びをした後片づけをする、洗車をする、ついでに近所と共有のごみ捨て場を掃除する、自転車に夜間用のシールやテープを張る、伸びてきた木の枝を整理する…あと何かすることはないかな?と思った頃には夕餉の支度が出来ていた。少し家の用事をしたことでちょっぴりの満足感を得た気分。だが!

寝る直前自分が発した一言が自分の今を表しているのだ、と改めて思った。「何をしていても、こうして一日は終わる…」。最近よく同じ言葉をつぶやいている気がする・・・

2019年7月30日火曜日

「のりぴーの人生」

駐車場から車の中にあったゴミ袋を手にして会社に向かった。駐車場の階段の途中にあったゴミが気になって、せっかくゴミ袋を持っているのだから、と一つ拾った。次の階段にアイスクリームの袋が!これも拾った。会社のエレベーターの脇に、昨日も見たはずの郵便受けからこぼれただろう広告の紙、これも拾った。

明日水曜はゴミ出しの日だから、会社のごみとして捨てればいいや…

会社の洗面所で手を洗いながら思うのだった。なんかいい気分…もっと歳を重ねたら、俺、公園のごみ拾いなんかやってんのかなぁ…複雑な気分も…

今日の午前中は八王子の主治医の病院まで出かけ、いつもの注射と薬の処方をしてもらい、主治医に「会合やろうよ」と飲食の誘い。医者の匂いを感じさせない主治医で、外ではよく、薬の営業か不動産、金融関係に間違われるそうだ。そこがなんとも良い。(笑)

今まで、本当にたくさんの人と出会ってきた。突如、今までの人生の出会いをすべて「リセットしたい」という思いに駆られることがある。その中に「リセット外」の人が何人いるかな…と思うこともある。「リセット外」に入るね、我が主治医殿。

そうそう、孫がようやく「のりぴー」と呼んでくれるようになった!もともと「のりぴー」と呼んでほしかったのだが「ぴー」が言えずずっと「のりのり」が呼び名だったが
一週間ほど前から「のりぴー」が定着!いいね!

2019年7月24日水曜日

「POWER」

最近、車庫入れで車が真っ直ぐに収まらないな、と思うことがある。真っ直ぐに直そうという努力を怠っているのか(こんなもんで、といういい加減!)真っ直ぐ入れられなくなったのか?高齢者運転のハードルの手前ではあるが、気になる。前者のような気がするが。

スピード狂ではないがスピードは出したい方だ。先日制限速度70キロの道路で、前をぴったり70キロで走っている車が。同じ道で覆面パトカーにやられたことがあるから、慎重に追い越してすぐ前に入ってスピードを落とした。一瞬キラキラライトをつけた「85-〇〇」の車はやっぱり覆面。数分後その覆面はサイレンを鳴らして別な車を追いかけ藤原の車を抜いていった。可哀そうなドライバーと見え見えの覆面パト。ご苦労様。

今さっき、部屋の模様替えをした。社長机と打ち合わせコーナーを前に戻しただけなのだが、少しは気分が変わるかもしれない。年末に模様替えして以降、あまりにもいいことがなさ過ぎたから(言い換えれば不幸が続いた?(苦笑))気分転換は大切だ。

雑然とした社長室だが、孫の大きな写真が3枚、昔から貼ったり掛けたりしている家族写真、馬と子供の大きな画、観音様の画だとか龍の画だとかが壁にあり、なんだかなぁ、という部屋なのかも。もう色が抜けてきたが「パパ今日もお仕事頑張ってね」と書かれた付箋も壁にある。娘が10数年前に弁当を作ってくれたことがあって、その弁当に貼られていたものだ。

振り返ってばかりいるわけではないが、過ぎた時間の積み重ねの結果として今がある。契約駐車場の記録を見たら、車は7台目になるようだ。4300㏄というパワーにこだわったこともあった。昨年までの車は3000㏄だったが、今は2000㏄で280馬力。排気量は小ぶりになったが馬力にはこだわる。人生と同じだ。小ぶりになっても馬力にはこだわる。

2019年7月19日金曜日

「想い出のニューヨーク・出てきた旅MEMO」

今は一児の母になった娘が高校2年生のころ、父親と二人でニューヨークへ旅した。その時のMEMOが机の中にあった。汚い字でホテルのメモ用紙に書きなぐっているのだが、あまりにも懐かしいものを見つけたので、書き写して思い出を残しておくことにした。
(原文まま)
「ニューヨーク旅日記」  (JAL・ABCで携帯電話借りる)
1日目。自宅を13時40分に出発。成田へ。予定より10分早い出発で15時20分C08便でにて出発。親子なのに17Bと18Bで前後バラバラ。12時間30分の旅へ。前の座席のオバサンが乗って間もなくリクライニングを最大にたおしやがってめしもくいにくい!飯の時ぐらい戻せ、あほ!予定どうりニューアークリバティー国際空港到着。迎えの係とともにヒルトンニューヨークHへ。部屋は1152.あみは眠り起きられない。パパは仕方なく近くのデリを探し食料と水、缶ビールなどを仕入れる。アイロン台を持ち出してテーブル代わりに、持参のカップラーメンと買いだした肉とかまずいライス系のなんとかで食事。バスがわかりにくい、熱い湯が出ない。ま、仕方ないか・・・で寝る。

2日目 7時50分、市内一日観光へ向けホテルロビー集合。伊藤さんという何人か分からない日本人と3人で出発。ガイドは在米15年という〇〇さん。雨と風、寒い。傘を一本5ドルで2本買う。市内を回るが外は寒くてへきへき。ミッドタウン→南下。ダウンタウンを経て
自由の女神に向かうが、風波荒く船が出ず、リバティ島へ向かうことは断念。グラウンド・ゼロは下車したが、寒さで見ず北上してハーレムへ。グランドセントラル駅を下車観光。国連ビル下車観光。サウス・ストリート・シーポートを下車観光。中国人のウエディングドレス・白タキの新婚カップルが大勢いてビックリ。その後、ウォール街を下車観光、伊藤さんをYMCAでおろしホテルへ。夕食はジョーズ上海(鹿鳴春)で中国料理、シャンシャン。

1/4   3日目
セントラルパークへ徒歩で向かう。観光馬車に乗って小さく一周。$34ドルと書いていたのを知らず、ハウマッチと聞き、40ドルと言われ結果40ドル払う。(最初にジャパニーズ?)と聞いた、だからだ・・・ブロードウエィを南下、昼食に立ち寄る。メニューを見たがよくわからん。ウェートレスがきたのでセット風メニューを指さし、お互い注文。来るまでなんだかよくわからない。裏に15%と書いた伝票をもらい、ウェートレスを呼んで聞いた。合計金額(+15%?)と紙に書いて聞いた。笑って、チップは4ドルだと言われた。さらにブロードウェイを南下。派手な看板が並び、あみは ニューヨークだ!と喜ぶ。き馬警官バックに写真をとり、フィルムを交換しようとしたらカメラがフィルムを巻かない。ウンともスンとも言わない。近くのカメラを扱っているショップに入り、おじさんの店員を呼んで(ノー ムーヴ)とあみが英語風に言った。店員は電池を出し入れし、やり直したら動いた。典男が店員の手を握り、サンキューといかにも嬉しそうに言った。その後スターバックスに入る。注文の仕方がわからないので「俺コーヒー」といってあみにゆだねる。あみの日本語英語はなかなか通じない。システムが違っていて注文は現金を支払った後名前を告げ、名前を呼ばれたら受け取る仕組み。名前を問われていることがわからない。うしろの日本人が教えてくれた。「名前を聞かれています」。その後ガーシュイン劇場でミュージカル「ウィキッド」をみる。一旦ホテルへ帰り夜はブルーノートへ向かい本場のJAZZを。パパは半分寝ていた。その夜晩飯も食わず寝た。

4日目以降はMEMOがない。このあと娘が19歳の時、また二人でニューヨークを楽しんだ。


2019年7月17日水曜日

「名セリフ」

「子供のころの自分から、今の自分を見て、誇りに思えるかどうかが、理想的に生きているかどうかだ…」

正確かどうか自信はないが、ある映画を観終わってすぐにメモした言葉だ。翻訳のセリフだが、映画を観終えるまで頭の中で何度か繰り返した。忘れないように。

さて、このセリフが自分に当てはまるか?理想的に生きる…難しいね。だが、悔いていることはないような気がする。それなりに必死だったし、自分らしかったから。

何かを信仰していればよかったな、と思うことがある。神も仏も大切にするが信仰心が篤いとは言えない。氏神様も大切にするし、お寺の住職とも親しくするし、神棚に榊を忘れることもない。お地蔵さんにだって挨拶するし、海外に行けば教会も訪ねる。だが、今一つまじめさに欠ける…気がしてならない(苦笑)

ではなぜ「何かを信仰していればいかった」と思う?心のよりどころが欲しい場合がある。「般若心経」を読んだ時代がある。だが長続きしない。なのに「あぁ神様、何とかして!」と神頼みすることもある。「理想的に生きている」本当にそんなことあるか?
だが、映画の主人公は正しい人生とは言えないが、実に楽しんで生きていた。

そうだ、理想的に生きるということは楽しんで生きることだ。なぁんだ、簡単なことだ。
難しいことも、簡単だと思えばいい。自分らしく。

2019年7月8日月曜日

「いろいろ」

7月1日に、第10回岩谷時子賞の授賞式が開催された。今年の岩谷時子賞は坂東玉三郎さん。もう10回もこの会に足を運んでいることになる。10年、あっという間だ…

授賞式のあと、例によってレセプションパーティーが始まるのだが、主催者の一人で、審査員でもある某音楽プロデューサーと1年ぶりの再会。透析を週3回もしている人だからまず「体調」の話から入る。さり気なく「あっちのほうはどうなの?」と聞いたら「〇欲はあるんだけど〇力がないんだよ」と来た。はいはい。

友人の「千家和也」が逝った。あの顔で、あの性格で、素晴らしい詞を書いた人だ。ずいぶん一緒に飲んだ。数年前まで、彼と彼の奥様と藤原と、よくゴルフにも出かけた。少しすれ違いが起きて、この2年ほど音信不通になっていたのだが、最後の記憶では、少しの酒で足元がふらつき、タクシーに抱え込むようにして乗せた。だから、訃報に接しても驚きはしなかったが、73才は、あまりにも早いだろう…

昨日は「明治座」の「中村雅俊45周年記念公演」に行ってきた。芝居は結構面白くエンターテイメントを感じたいい舞台だった。2部の「歌」では、女性の観客が涙を流しながら聴き入っている姿をたくさん目にした。まさに歌が、時間の垣根を越えてそれぞれの思い出の世界へと誘ったのだろう。「歌の力」はうまいか下手かではないんだ(苦笑)でも、味があっていい歌だったよ、中村雅俊さん。

この部屋から梅雨の隙間のような青空が見えている。最近、青や緑が、いいな。

2019年7月4日木曜日

「帰郷」

6月に、小学校の同窓会があったので、岩手まで行ってきた。盛岡から在来線にのって矢幅駅まで行き、駅近くの宴会場へ向かったのだがあいにくの雨。100名ほどに案内を出したらしいのだが出席したのは35名ほどかな。それで?多くを語らないことにしておこう(笑い)

翌日、念願だった不来方城(盛岡城)にある啄木の碑を目指した。雨という天気予報は外れ、願ってもない晴天。コンビニで弁当を買い、54年ぶりの碑との再会を目指ざす!!!

こっちらしい…
城跡の中はほとんど記憶がないのだが、啄木の碑は案外分かりやすかった。中学3年の時、進学をやめて上京を決意したころ、よく啄木の碑の前で寝ころんだものだった。まさに多感だった中学生時代…           
学校の授業を抜け出して来たこともあった気がする。
あったぞ!!!
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

当時は、もっと高い位置に碑があったような気がしていたが…



碑のそばで遅めの昼食ということで弁当を食い、寝ころんで空を見上げた…吸い込まれるような青空だった…

それから墓参りへ。自分で建てた墓だが、最初に眠ったのは弟。昨年母が入った。墓参を済ませ寺に挨拶に寄ったが住職はあいにく葬儀の最中で、奥様と長い時間話し込んだ。もっぱら個人的な愚痴の聞き役だったけど(笑)

さて、それから夕方盛岡駅前で待ち合わせたのが自称「美女軍団」と言ってはばからない4人の女性グループ。一升瓶の焼酎を軽く空け、移動したカラオケバーで地元産ワインを2本軽く空け…   … 多くを語らないことにしておこう!(笑)

2019年6月19日水曜日

「赤ちゃん言葉にご用心!」

「病院でいたたまれなくなる光景の一つは、医師や看護師が高齢者に、赤ちゃん言葉で接している場面である。見ていて、とてもつらい」

今日の日経新聞のコラムの冒頭にあった言葉だ。

「長い人生をひた走り、辛酸をなめ、それぞれに足跡を残してきたひと人の尊厳はどこにある」ともあった。

まったくもって、その通りだ。つい先日も話題にしたばかりだった。その光景に接すると、腹立たしいというか、残念というか、いい気持になったことはない。

優しく言っているつもりだろうが、ある皮膚科の女性院長先生が、藤原に対して子供に言い含めるような言い方をする。だから嫌いだあいつは!(笑)
「俺の尊厳はどこにある!!!」




たとえどんなにイラついていても、この「お孫様」の写真を
見ると、突然笑顔になれる。
「女院長!あの言葉は孫に言ってくれ!」

結構根に持っているワタクシ・・・(苦笑)

それにしても、可愛いなぁ・・・
なぁ 倫君!

2019年6月13日木曜日

「哲学って何だっけ?」

友人から「私の座右のノート」というテーマのメールが届いた。「一流の盲点 二流でいこう 三流の弱点」なのだそうだ。人はみな、何かを肝に銘じて人生という歩みを進めている。

俺に座右の銘なんてあったかな・・・?

「やればやられる」 「感情は勘定」 なんて言葉かな・・・書き記すようなもんじゃ、ないよな。
俺の哲学のようなもんだ、たぶん。

哲学と言えば、モンテーニュがなかなか読み進められない。一文が長いし、物事を肯定しているのだろうと思って読んでいると最後に「・・・を否定することになる」とくる。あれ?となってもう一度読むことになる。藤原に、大学生時代があったとしたら、学生時代に読むべき本だよな、などと心の中でぶつぶつ言いながら又数ページをめくる・・・

藤原の人生には多分4つのステージがある。その①は15才までの子供時代、②は上京して音楽の仕事をしていた40才までの時代、③は会社を設立してからの社長業時代④は残りの人生を充実させるために豊かな時間を求める時代・・・かな。

第2ステージとなる16才~40才までの時代は、5年ごとに人生に点を打っていた。例えば20歳の時、25歳の時点ではこうなっていたい、25歳になると、30歳の時点ではこうなっていたい、のように。で40歳の時に「そうなっていなかった」から音楽をやめた。

地球一周の旅、ってのもいいな。中間地点を超えた時「思えば遠くに来たもんだ」と思うのか「結局このまま「振り出しに戻る」と思うのか。この理屈、決してモンテーニュのせいではない(笑)

2019年6月12日水曜日

「誕生日」


 🎂 69歳の誕生日を迎えてしまった。誕生日当日は
土曜日だったため、一日早く社員がケーキと花束で
祝ってくれた。これは取り分けてくれた藤原の分の
食いかけ。

みんなで撮った写真は誰のカメラで撮ったのかわから
ないので取り敢えず手元にはない。

誕生日当日は昼に家族で集まった。娘夫婦と孫、息子
カミさんと食事会。かわいらしいプレゼントも。

朝早くに、ペテルブルクの友人からお祝いメールが。
彼女も結構歳をかさね、体調がすぐれないらしい。
でも、頑張って現地の日本語学校で日本語を教えて
居る。みんな頑張っている・・・

ペテルブルクに行ってこようかな・・・


さっき、取引銀行の元の担当者が顔を出してくれた。彼は
なかなかのやり手なのだが、「いやー、ちょっと時間ができたので社長の顔が見たくて!」ときた。
銀行の不振などの一通りの話をしたあと事業継承の話へ。「お金を貸し出すことでは利益が出ないんですよね・・・会社の代替わりのお手伝いをして手数料を稼ぐとか・・・」

「ところで社長はこの先どうされるんですか?」何を言いたいかは解っているから「俺か?俺は株式会社 老人 ということで頑張るんだよ」とけむに巻いてやった(笑)清水君、期待に応えられなくてごめんね。

世間が様々な思いを巡らせるそんな年齢になったということだ。

2019年6月5日水曜日

「SONY α 6400」

脱力感や無気力と戦うのは難しい。そうではない「フリ」をするのはもっと難しい。そして、人に教わるのはややこしい。

社長業を長くやると、人に教わることが下手になる、というのは情報として知っていた。それを最近実感した。一眼のカメラを新たに購入したので、メーカーが主催している教室に行ったのだが・・・
座学6時間、屋外のモデルを使った撮影会で2時間、計8時間かけて技術の入り口を学んだ。

なぜ入口?それはそれはあまりにも機能が多く複雑だから。子供のころから写真は好きだったが、今のカメラは初めてPCに触れた時と同じ感覚になる。一回で覚えられないという、脳みその機能マヒも原因の一つではあるのだが。

会社に居ると、社員に「おーい、これどうするの?」とか「よくわかんないからやっておいて!」とかすぐ人に頼る癖の様なものがある。カメラの教室で先生を呼びつけて「これどうすんの?」というわけにもいかないし・・・「わからないから来てるだろ!もっと丁寧に教えろよ!」と言う訳にも行かないし・・・

屋外の撮影の時、先生が「もっとモデルさんに注文を出して!」と言うのだが、今まで沢山の歌手のみなさんにさんざん注文を出してきた身としては、逆に大勢の前では照れくさくて言えない・・・
「早く終わればいいな・・・」そればかりを考えていた。

あとは、カメラをいじくりまわして、体で覚えるしかないな・・・と思うのだがその集中力にも欠ける。 

新聞のコラムに出てきた「モンテーニュのエセ―」に興味をもって岩波文庫のものを4巻まで買った。6巻まであるそうだが、後でもいいや、と思い取り敢えず4巻まで。で、今日までに読んだのは3,40ページほど(笑)コラムにあった「3巻の〇章」までたどり着くのに半年はかかりそう。どこか海外にでも出かけて読書に没頭すれば少しは読み進められるかも。

6月だ。もうすぐまた年齢を一つ重ねる。 「独立心旺盛で臨機応変、無駄のない時間の使い方」にエネルギーを使ってきた藤原君も、思案のしどころというところか。  

2019年5月24日金曜日

「マグニチュード計測中」

心が激しく揺れ動いた一か月だった。揺れが収まったわけではないが、大きな船からボートに乗り移り、ようやく小舟のオールを漕ぎ始めたというところか・・・ますます揺れるよな。

令和という文字を、まだペンで書いたことがない。が、新たな時代が始まったということだ。「日本賞」という番組で、毎年身近で拝見していた皇太子さまが天皇に・・・今年の「日本賞」には、どなたがお見えになるのか。

オリンピックの入場券申し込みにトライした。開会式と閉会式とスポーツ音痴の僕でもわかりそうなバレーボールの3種。申込金額は120万を超えていた。当選するわけない!と踏んでいるからなんの問題もないが(笑)でも、開会式だけは観たいな。

昭和39年のオリンピック時、中学2年生だった。聖火が国道4号線を東京に向かう途中、おらが村を通った。短い区間だったと思うが、聖火ランナーの後ろを伴走者として走った記憶がある。遠い記憶だが、鮮明な記憶でもある。

去年も書いた気がするが「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」という石川啄木の短歌が好きだった。この句が書かれた碑が不来方城(盛岡城)にあって、中学三年のころ、この碑の前でよく寝ころんだ。それを再現したくて去年盛岡城まで行ったのだが、大雨のため断念。6月に盛岡に行く予定があるから、今年こそチャレンジして来よう。(碑がまだ存在するかは知らない)

そうそう車の免許更新に行かなくちゃ。ギリギリ高齢者講習受講者ではない。去年買い替えた車が結構スポーツタイプなので、坂道なんぞブォ~ンという感じでアクセルを踏み込んでしまう。いずれそう遠くない日に、家族から心配される日がやってくるんだろうね。

揺れはいつまで続くのか・・・とりあえず揺れのない、小さな陸地を探すとするか。

2019年4月10日水曜日

「仲間」

懐かしい昔仲間との会合があった。6人中現役は二人。あとの4人は爺さん(笑)。現役は藤原とNHKの阿部渉アナウンサー。10年近く続いている「会」のような気がするが、もっと長いかもしれない・・・西暦2000年になった時の番組の話が出るから、もっと長いのかも。

懐かしい写真を見せてもらって思い出したのだが、会のメンバーの数人は亡くなってる。「生きて逢えてよかったね」と軽口をたたいたが、どこかに真実の匂いがするから困ったものだ(苦笑)。

幹事役のおじさんが懐かしい写真をセレクトして持ってきてくれたのだが、どの写真を見ても、藤原が一番目立つ表情をしていて、更に生意気そう!俺っていつもそうだっけ?などと改めて感心したり・・・周りが普通のおっさんばかりだからそう見えるんだよ、と小さな言い訳。

2次会のない(年寄りばかりだから)小さな飲み会は2時間程度でお開きとなった。だが、今年はなぜか「楽しい」と感じた。いつもより、という意味だけど・・・

時間の経過や、過去のさまざまに対する思いが、年齢とともに少しずつ変化してきたのだと思う。

さて、社内は?静かな時間が流れている。苦手なんだよな、職場がやけに静かなのは。かえって物事に集中できない。ロックコンサートに行くと熟睡できるようなもので、社内が活気で騒々しい方が安心して自分のことに集中できるのだが・・・

先日SONYの新しい一眼レフのカメラを買った。昔のような説明書はなく、PCで見ろと。紙に印刷しようとしたら600ページだとか。で、一日教室に行くことにした。習うより慣れろ、の時代ではなくなった。まず、ちゃんと基礎を教われ!そうしないとほとんどの新しい製品が、宝の持ち腐れになっちまう!!!

2019年4月5日金曜日

「26年目」

最初の1年間は他社のスペースを借りて段ボールの上に電話を乗せているだけの会社だった。2年目に今のビルに引っ越し丸々24年、計25年が過ぎ、今日26年目を迎えた。4月5日が設立記念日。4半世紀の時が過ぎた。

炬燵に入って、会社の作り方という本を見ながら設立の準備をしたっけ。そのころは、ワープロを使いこなせていたから良かったが、それより昔は書類を手書きで作ったのかね。

数年は有限会社だった。軍資金が苦労して集めた300万しかなかったから。当時は株式会社にするのには1,000万円必要だった。隔世の感がする。

ある日取引先に請求書を持っていったら「おーい、ウチって有限会社と取引できるんだっけ?」と担当者が近くの仲間に声を掛けた。

藤原 「カチン!!!」

その小さな事件のあと、すぐに株式会社にした
ような気がする。そして今日、会社は
26年目を迎えた。

小規模な会社で始まり、そして小規模になった。
(苦笑)

20年を超えるスタッフもいる。
会社が小さすぎて、それぞれの息遣いも聞こえる。
これはマイナス要素だな。
まるで家族スタイルだ。

ま、小規模なんだから仕方がないか。
だが以前のように、頑固おやじスタイルで
怒鳴りまくることも無くなった・・・

2019年4月4日木曜日

「ベランダのチューリップ」




5輪咲いた。
もう1本はまだつぼみ。

どうやら短足ではなかったようだ。
ちゃんと背も伸びている。

空は青空。

二人の遺伝子は次の時代に流転していく・・・
昨日、内田裕也さんの娘がそう語っていた。
なんとも文学的だが・・・

そう言えば、娘が裕也さんとロンドンで2度出会ったそうだ。記念写真を撮っていたっけ。

2019年4月1日月曜日

「新元号への想い」


平成の元号が発表されたその日、発表の瞬間を小さいテレビで見ていた。娘が生まれた翌年のことなのだが、発表の時間帯に自宅にいたということと、本当に小さなテレビだったことをなぜか鮮明に覚えている。

大変な時代と重なる・・・(苦笑)。二人目が生まれたが、職業はいい加減、悩みぬいていたころだと思う。夜はピアノの弾き語り、土日は結婚式の司会、昼はカラオケの先生、レコーディングの指揮者、あと何をやっていたかな・・・

あの頃、カラオケ教室のギャラをバイクの男にひったくられ、ほとほと運気に愛想が尽きて、音楽を辞めて、小さなカレー屋でもやろうかな、と本気で考えたりした。店名は「森の小人」にしようか・・・などと本気で考えたものだ。

平成の元号の発表時の光景が、良くも悪くも鮮烈なものなので、今日の発表の瞬間を心待ちにした。30年の歩みが走馬灯のように・・・そんな1日になった。人の生きざまは、いくら考えても読み切れるものではない、そんな思いが重なる。

平成2年の暮れで音楽活動をすべてやめた。平成3年の正月から展望のない日々を迎える。個人の力は弱い、会社組織の中に居なければ力を発揮できない、そんなことを思ったと思う。平成という時代が藤原を育ててくれたのだ、とも思う。

音楽を辞めると決めた平成2年の暮れ、銀座のある店で「藤原君の第1回目コンサート」というイベントをやった。やめると決めているのだから「第2回目」があるはずもない。昼夜2回やって、80万ぐらい利益を出した。貯金が無かったから、取り敢えずの生活費が必要だったのだ(笑)あの日の皆様、今更ごめんなさい。

時代を振り返り 明日を見るにはいいタイミングだ。が、昭和がますます遠くなる。

2019年3月20日水曜日

「チューリップ」

葉っぱがなんか赤くなっている・・・どうしたのかな?心配でのぞいたら、なんと開花していた!

会社のベランダで球根から育てているチューリップの話!赤い花びらが申し訳なさそうに・・・

チューリップって、もっと茎が伸びて高い位置で花を咲かせると思っていたから、びっくりした。球根から植えて育てたのは初めての経験だから、うれしい。
それにしても、背が低いね。短足チューリップ?俺似?

今日の東京は、びっくりするぐらい暖かい。桜ももうすぐかな?
あちこちから春の便りが届く。先日の日曜、黄色が一面に広がる菜の花を観た。俺って、こんなに花が好きだっけ???
でも、花の名前は詳しくない。外来種はほとんどわからない。
覚えようともしないけど。
この一週間ほど、気の滅入ることが続いたから、
花に救われる・・・。。。