2019年12月5日木曜日

「地図に刻みたい道」

60兆もの細胞からなる人間の身体、頭がいい悪い、背が高い低い、ブスか美形か、優しいか意地悪か、足が臭いか臭くないか、ほんの数個の遺伝子の違いなのかもしれない。

そう考えたら、出来不出来は大したことではない。誰に出会ったか、どんな刺激を受けたか、自然と共生できたか、両親を愛することが出来たか、もしかは愛しているか。生命の不思議と、自身の生きざまを振り返る時、微笑んでいる自分でいられるか。

「幸せの遺伝子」という本に触れて、また少しばかり刺激を受けた自分。

去年は、自宅のシンボルツリーのオリーブの木を、かなり派手なイルミネーションで飾った。今年は木を止めて、2回のテラスに設置。1日では完了せず2日ほど時間を要した。
なぜオリーブの木を止めたか?取り外すときに小枝に電飾などが絡まって、イライラして切り取ったのだが、ついでに枝を全部切り取って、いわゆる裸にしてしまった。葉っぱ一枚もない骸骨のようなオリーブの木。かみさんは,このオヤジ、気が狂ったのか?と哀れなオリーブの木を見てかなり悲しんだ。

そのオリーブの木がかなり立派に復活している。ありもしなかったところから新芽がでて、愛おしいほどだ。だから今年は電飾を巻き付けることを止めた。

樹木に、生命の神秘のようなものを感じることが出来たのだ。切り花などでは味わうことのできない美しさがそこにある。人間同士の営みも、そんな思いで接することが出来たなら、平和は難しいことではないかもしれないが、難しいよな。多少の遺伝子の違いをもって我々は誕生しているから。

もうすぐ孫の誕生日だ。自分の部屋に3枚ほど絵を飾ってあるが、額の隙間に孫の写真をたくさん挟んであるから、素敵なカフェの画は、まるで「白い肌が虫刺さされ状態」のような有様だ。こんなカードも挟んであった。「パパ、今頃パパは泣きはらした後でしょうか…今日という日を迎えられて本当にうれしいです。26年間パパでいてくれてありがとう。これからもよろしくね、あすみ。」娘の結婚式の日にもらったカードだ、これも絵に挟んである。

息子からも、過去たくさんメッセージをもらっているが、さすが張り付けたりはできない。それにしても、いい人生を歩ませていただいたと、「何か」に感謝するべき時が来た、そんな気がしてならない。次なる歩みを進めるためにも。


2019年11月29日金曜日

「夢と現実」

長く疲れる夢だった。どこかの会館に向かっていた。まずタクシーが捕まらない。この部分が長かった。なぜ会館に?歌を3曲ほど歌うことになっていて、そのあと芝居に出ることになっていた。曲目は何だっけ?ん?歌詞を全く思い出せない!そのあとの芝居、共演者はいっぱいいることになっているが、俺のセリフ部分は?全く覚えていない!台本を手にして舞台に出られるか?(とてもリアルな夢だった)

タクシーをようやく拾った気がするが、今度は切手か印紙が必要ということで、売ってる場所を運転手さんと一緒に探す。この部分も長かった。会館に向かっている途中、歌の部分は「出演無し」で行こうと決心する。芝居だけなら…だがセリフを全く覚えていない…焦る!会館に着いた!だが、楽屋にたどり着けない!

だんだんこれは「夢だな」という感覚になってきて、「もうやめて」と小さく叫んで目が覚めた気がする。やだやだ、トイレを探す夢の方がずっと楽だ(笑)

11月も終わる。何を焦っているんだか藤原さん、夢にまで焦りが反映しているのか困ったもんだ、が時間は過ぎていく。先日MEMOした言葉に「時間の流れは強い味方だ」という文言があった。続きは「時が過ぎれば、どんな苦しい思いも、いずれ変わってくれる」という趣旨の文言だったと思うが、正確には思い出せない。

歳をとって涙もろくなるのは、感受性が豊かになった訳ではなく、脳の老化なそうだ。怒りとか、悲しみとかをコントロールする脳の機能の低下と聞いてやや納得。俺は実に涙もろい。でも、結構若いころから涙もろかったから、だいぶ早い老化か?(笑)結構瞬間的な怒りの感情も増えた気がする。かなり抑える努力を重ねているが、研究者によると、怒りの感情が沸いた瞬間から6秒待つのだそうだ。そうだ1秒ごとに一音ずつ、「が・ま・ん・が・ま・ん」と言えばいいんだよ、必要な人はね。 

2019年11月27日水曜日

「素敵な友人」

友人の「浜ちゃん」と久しぶりに飲んだ。先日電話があって「今日どう?会わない?」「今日は孫が遊びに来ているから出られない」なんて会話をしたものだから、後日電話をした結果急遽会うことになったのだ。

「晩飯食わない?」と藤原。「いいよ、カレー屋さんで会おうか、美味しい店だよ」「晩飯がカレーなの?」「3時に会おうよ」「晩飯なのに3時?」なんて会話があったのち、結局ホテルで落ち合うことになった。

「何時?早い方がいいよ」「わかった、5時半ぐらいは?」「遅いよ5時」「わかった5時に行く、麹町のホテルね」。すべて先の喋りが浜ちゃん、後者が藤原。

最近酒を控えている、と自己申告があったものだから、安心して出かけた。食事をしながら少しだけ飲んで盛り上がり、彼がコーヒーを注文したものだから、藤原もコーヒーを飲んで「それでは」と言おうとしたら「2丁目行こうよ」。2丁目とは新宿2丁目のことで有名な「ゲイバー街」だ。以前彼と行ったら、3,4件ハシゴすることになったので「今日は2丁目やめて四谷にしようよ」となり小雨降る中、タクシーで四谷へ。

バーでそこそこ飲んでいたら、カウンターに見知った人が。続いてさらに見知ったカップルが。馴染みの寿司屋でよく会う知人。寿司屋の話で盛り上がったものだから、浜ちゃんが「寿司屋へ行こうよ」「バーに居るのに寿司屋?順番逆でしょ」なんて会話をしながら結局寿司屋へ。そこで寿司屋の親父が「浜先生を知ってる〇〇がすぐ近くでスナックをやってるよ」と余計なことをいうものだから浜ちゃんが「懐かしいね、そこへ行こう!!」
となり〆はカラオケバーのような店。結局4軒目だよ。…よく飲んだ。

「12月29日空いてる?藤原さんちの近くの〇〇で〇〇と忘年会やるから、顔出してよ」
酒を控えているはずの彼はそんな言葉を残して今日から1か月ほどハワイに向かった。
呼ぶときは一応「先生」と呼ぶが、やっぱり「浜ちゃん」だよ。素敵な友人だ。

2019年11月20日水曜日

「ま、いいか」

寒くなった。岩手出身なのに寒さにはすこぶる弱い。夕暮れが早くやってくるのも嫌いだ。一日が早く終わるような気がするし、気分も何となく黄昏る。言っても仕方のないことだけれど。ま、いいか。

先週の日曜日、歌番組の収録予定だったのだが、前日出演者の喉の病気が判明、急遽取りやめと言うことになった。初めての経験だが、こんなこともあるんだ…と今更ながら長い道のりや経験に思いを馳せるのだった。スタッフが1日休めたから、ま、いいか。

ふるさと納税であれこれ頼みあれこれ届いている。肉とかカニとか焼酎とか。今日は岩手の北上市から「ティッシュペーパー50箱」が届いた。なんでティッシュペーパー?と自分でも思うのだが、10,000で「ティッシュペーパー50箱」、これってお得?岩手だから、まいいよね。

昨夜、ベットに入ってから少し真面目な書類に目を通してしまったら、眠剤を飲んでいるのになかなか眠れなかった。本を読んでいた時は眠くなったのでやめたのだが、そのあとに書類に目を通したのがよくなかった。あれや、これや。こればっかしは、ま、いいかって感じじゃないんだよね。(苦笑)

今日、古い友人が会社にメロンを届けてくれた。外出していたので友人には会えなかったが、きっと麻布からバイクに乗って来てくれたんだろうな…彼もすでに78歳か?40年以上の付き合いになる。ゴルフを初めて教えてくれたのも彼だ。パターとアイアン1本持って果敢に挑戦したんだっけ。やったこともないのにいきなりコースに出たものだから、それがゴルフだと思って、ずっとピクニックゴルフだった。スコア?誰か俺のもつけといて、のように不真面目なまま終わってしまった。最後の仲間は千家和也氏だったが、死んでしまったし。ま、いいか…では終われないな。

2019年11月13日水曜日

「ロンドン時代の娘の映像、見つけた」
 映像添付メッセージのタイトルは「papaへ」だけだった・・・


2019年11月11日月曜日

「刺激」

この数日、ナット・キング・コールの古いレコードを聴いている。時々音飛びをするのだが、なんとなく繰り返し聴いている・・・

スピーカーを縦にしてみたり横にしてみたり位置を替えたり・・・

今、キサス・キサス・キサスが流れている。途中の歌詞が「明日食わんど、明日食わんど」と聞こえて楽しい。この歌に限らず頭の中で勝手に言葉が置き換わるのだ。日本語の歌はなかなか置き換わらないけど英語の歌は置き換え頭脳が活躍する。

そんないい加減な遊び脳に刺激を与えた一文に出会った。

私たちが あらゆるものを 「空」とするために 削り取り
削り取ったことさえも削り取るとき
私たちは深い理性をもち
「空」なる智慧を身につけたものになれるのです

昔、刺激的な想いで心に刻んだ一文に匹敵する出会いだった。その昔刻んだ一文はこれだ。誰の言葉かは忘れたが・・・

「上に登れば孤独だ だけど遠くが見える」

2019年11月5日火曜日

「カウントダウン」

急に涼しくなった。寒くなったという方が正しいかな。夏物の整理をしなくては、などと季節の変わり目を実感している。

1日は「中村雅俊」さんの番組収録だった。昨日4日は正月時代劇の音楽録音、8日は毎年行われる「日本賞」のイベントと収録が控え、それなりに社内は慌ただしい。このまま年末を迎え、一年が早かったね、などと言うことになるのだろうか?なんて… …

つい先日、めちゃくちゃユニークで個性的な医師と出会った。友人が院長を務めている病院の「緩和ケア診療部長」という肩書を持つ先生だ。末期医療の在り方や末期患者との接し方に悩み抜き、前の勤務先の病院で激しい「パワハラ」にもあい、生き方に不安を抱いたときに出会った「本」や、現院長との出会い、仏教との巡り合わせ…などなど話してくれた。

その話し方が決して深刻ではなく、まるで生徒が先生に話すような感じ?というか…
「本当にお医者様?」と微笑んでしまうような、良いキャラなのだ。最近出会った方々の中では「ダントツ」に良い人!なのだ。病院の院長は藤原を「パパ」という呼び方をするし、人には「兄のような存在」と紹介してくれる。この関係、心のよりどころを求める「仲間」みたいなもんだな。

そうそう、首里城が焼けた件で僅かだが寄付をした。再建に長い歳月を要するだろうな。悲惨な出来事だ。そうこうしているうちに確かに11月、今年もカウントダウンに入ってしまった。「カウントダウン」が始まった。

2019年10月30日水曜日

「心の羅針盤はどこを向いてる?」

最近、ハンバーガーが恋しくなることがある。それもマック。ハンバーガーとコーラとポテト、それにホットコーヒー。これ最近ハマっている。
食の好みがだいぶ変わってきた。昼はプロントでスパゲッティーなんてのも普通になったし。週に2回なんてこともある。

若い頃は刺身系だった。酒のつまみもほとんど刺身系。それにはたぶん原因があって、子供時代、刺身は村のお祭りと正月のご馳走だったから(苦笑)刺身に飢えていたんだろうな。「本当にマグロの赤身が好きだね」と言われたことがあった。赤身しか知らなかったから(笑)

60歳を超えたころからなぜか肉系になった。肉と野菜、体が欲しがっている気がする。そしてハンバーガーだよ。子供のおやつだと思っていたのに。

最近、上京したての頃を思い出すことがある。今朝、なぜか唐突に思い出したのは他人名義の3畳間からの夜逃げ。16歳の時だ。カレー屋さんだったと思うが、2,3度行った店で、そこで働いているお姉さんに住むところが無い、と言ったんだと思う。「私今ここのおばさんのところで暮らしているから、部屋空いてるわよ」渡りに船とはこのことだ。可哀そうだと思って助けてくれたんだ!すぐに転がり込んだのだが数日後そのお姉さんが来て「部屋代払って!」「いまそんなお金ありません」「おばさん呼んでくる!」

彼女が向かったであろう駅とは別の駅に向かって荷物抱えて走った走った。だがその隣の駅からどこに向かったのかは記憶にない。あの部屋で手にしていたレコードが菅原洋一さんの「恋心」。これはなぜか鮮明な記憶だ。なかにし礼さんの詞だが、今でも歌詞はすらすら出てくる。そんな なかにしさんの番組もたくさん創った。不思議なもんだ、人生。

今日は大きな決め事をした。心が揺れた日だった。だが、まただよ、孫が自宅に来ていると連絡が!早めに帰ったのだが「さっきまでのりぴーのベットで遅いお昼寝してたよ」と聞いて心は満足。「なんでわざわざ俺のベットで寝たのかな?」なんて野暮なことは聞かずに、孫と戯れるのだった。ストレス解消法、GET!

2019年10月23日水曜日

「平凡だったな 何もかも」

「天皇即位の礼」をテレビで少し見た。2時から会社で打ち合わせだったので、1時開始の儀式をほんの15分ほど。30年前の即位の礼は記憶にないし、パレードも記憶にない。当時とはテレビそのものの映像の質が違っているのだから、今日のそれは鮮明で華やかで厳かで神秘的でもあった。その瞬間、嘘のように雨風が止んだし・・・

毎年秋にあるNHKの「日本賞」をもう6,7年担当しているが、去年までは天皇陛下になられた皇太子さまがお出ましになっていた。藤原は壇上に登る方々のエスコート役なので、毎年すぐおそばで皇太子さまを拝見していたのだが、今日は見るからに風格が違っていた。御父上に劣らない立派な天皇となられるのだろう。

2時の打ち合わせに数分遅れはしたが間に合いセーフ。1時間もすると携帯に呼び出し音が! 映像付きの電話の呼び出し音らしい。それを何と言ったかな?ともかく映像の電話。いそいそと打ち合わせルームを抜け「もしもし、倫君!」「のりぴー、どこへ行ってるの?」しばらく爺様と孫のだらしのない会話が続く~。

で、わしは打ち合わせが終わると一目散に家へ!「のりぴーお帰り!」なんて嬉しい声が2階から聞こえ、暗中模索をしているような状態の、のりぴーの心は一気にHappy Mode ! 子供が喜びそうなあらゆるエネルギーと知恵を駆使して孫の笑いを取る。これが成功すると「もう一回!もう一回!」となりエンドレスとなりしまいにはくたくた…

そして今日も終わった。おや、もう深夜の12時を回ったよ。平凡な一日だったな。

2019年10月18日金曜日

「訃報」 

会社を始めたばかりのころ、お世話になった元NHKのSさんが亡くなったとさっき電話連絡があった。この道の歩みを振り返ることになる。いつものように…

家からの通勤路の途中に、オリンピックの会場となるオリンピックスタジアムがある。17年この道を通っている。景色が様変わりした。会社の前の「渋谷公会堂」も新しくなり、このあたりの景色も変わった。26年間変わらないのは会社の中の風景と、会社の電話番号だけか?

会社を設立したころ、消費税は3%だった。しかも3年間は減免されたと記憶している。5%-8%そして10%。社員の交通費の改定作業をしながら、またここでも歩みを振り返ることになる。思えば貴重な26年間だ。

BS放送も始まったばかりで、契約が400万軒から500万軒になった、と嬉々としていた時代だ、隔世の感もする。あの頃、若かったな(苦笑)

今日まで、数多くの訃報を受け取った。つい先日も、有名俳優の「ご母堂様」とか某作曲家の「お別れの会」とか…だが最近は、黒いネクタイの必要な集まりにはなるべく「不義理」を通している。お祝いの会なら、喜んで出かけるけど。たぶん。

Sさん、いや世羅さん いい人だった。好きだった一人だ… 。。。 。。。

2019年10月17日木曜日

「行きつくところは倫君!」

22日が祝日であることは理解していたが、お休みが伴う祭日扱いだということを、つい先日知った。毎日新聞を3紙読み、ニュースもマメに見てるのにその情報だけスルー?「え?休日扱いなの?」なんとも呑気な経営者である。

先日の台風19号、事前の告知が多かったので身構えていた。家の周りの風で飛びそうな物は全部家の中に入れ、2階のバルコニーの排水溝の掃除、洗濯竿の回収、家の近くのごみ集積所の確認…

ほとんど一日中放映されていた台風情報に目をやりながら、結構動き回っていたのだが…
都内を通過する時間になっても、時折強い風を感じたが物が飛ぶほどではなかったし、まして木が倒れる、なんて状況でもなかった。少し拍子抜け…と思っていたら次々と明らかになる台風被害の情報に唖然、とした。

毎回そうだが、風水害の情報に接するたび思うのは人間の無力。自然とは戦えない。目先の利益誘導で「八ッ場ダム無用廃止」を叫んだあの方たち、どんな思いで「八ッ場ダム情報」に接したのかね?と要らないことまで考えてしまった。

あんまり楽しくない休日のさなかに、ほっとすることが一つだけ。家内の携帯に娘からのメールで、孫が「のりぴー仲良し 好き」と言っている、と。うっとおしい気分は一瞬にして、Happyマークに変わったのは言うまでもない。倫太朗君!ありがとう!!!

2019年10月11日金曜日

「弘法大師 空海」

以前、モンテニューのエセ―を読み始めたと書いたことがあるが、あれはすぐに挫折。初期の翻訳本を買ったものだから何が何だか面白くもない。今の俺には不要!てなもんで買った本はさっさと捨てた(苦笑)

最近読み始めているのは「空海」系の書物。1200年以上前の空海を知ること、真言密教のそもそも…天台宗の最澄との葛藤や歴史…無宗教を自認してきたのだが、お世話になったお坊さんや親しいお坊さんは皆なぜか真言宗だ。そろそろ仏教と向き合ってみるか。

最近、昼飯に「ハンバーガー」ということがある。スパゲティーやハンバーガーなんて言うものはおやつであって飯ではない!と言ってた典男がこの変化。今日も「モスバーガー」に1人で行ってきた。ハンバーガー店が苦にならなくなってきたのは孫の影響だな。孫はポテチが好きだから、一緒に入店できるし。今日オーダーの時「ポテチのS」と言ってしまった。孫が「ポテチ」というから。「ポテト」でしょ!でもマクドナルドが好きだな。

さて、空海に戻るが、お大師様の存在は大きすぎて歴史も長く、入り口を探すのがそもそも大変だ。資料も多いが書き手の解説や洞察がそれぞれで、自分に合った扉を空けないと時間の無駄が生まれる。無駄というのは言い過ぎだが、学生ではないのだからそれなりの時間の使い方が必須となる。

以前テレビの番組で「元やくざ系」のおっさんが「立派な牧師さま」になったストーリーを紹介していた。あれ、ちょっと憧れたね、一瞬。いろんな生き方があってもいい…
充実を感じることができるならね。

2019年10月10日木曜日

「登り下り」

久能山東照宮の表参道入口の直ぐ側に、義父が入所する「特養」がある。先日、見舞いに行ったついでに、一人東照宮を目指した。表参道入り口から1159段の石段、「いちいちごくろうさん」が愛称らしい。400段目ぐらいで「まだ400段か…」半分ぐらいで「戻ろうかな…」。かなり急な石段が続く。「俺の性格じゃ、戻るわけないよな」と自問自答。はぁはぁ言いながら登り、参拝。そこから家康公の墓までまた急な階段が…

1時間ほどかけて往復したが、次の機会があったら「絶対ロープウェーで登る」と固く決意したのだった。(見栄を張らず、杖を持つべきだったよ)。

義父の部屋に戻ったら、彼は何事もなかったように眠っていた。出会った瞬間は嬉しそうに笑うのだが、数分もすると無表情に。誰も寄せ付けないような面相をする。1159段を上り下りしながら「人生」を深く考えてしまったのは、そんな義父の存在もある。

5月にある決め事をして、それなりに進んではいるのだがもう10月。結論にはまだ達していない。この数か月「生産的」であったか、「無駄に過ごしてはいなかったか」「心と上手に戦えているか」etc

往復2318に及ぶ石段を踏みしめながら、そんなことを考えてしまった。悩んでいるのではない。きっと修行させられているのだ。そう思いながら今日も時間を見送る。

2019年9月17日火曜日


「休日の過ごし方」
千葉県のいすみ市に行ってきた
台風の被害が出ている最中なので
観光客はまばら。
そんな中いすみ鉄道に乗車。
車掌さんが、運転士さんの帽子を
貸してくれたり、写真を撮ってくれたり。

昭和39年に出来た車両なそうだ。
当時中学2年か…などと時代を振り返りながら
大原から上総中野まで。
そしてそのまま折り返し大原まで約2時間半かな。
退屈するだろうと思って週刊誌を買って乗車
したのだが、ページをめくることもなかった。

カラカラ回る扇風機、鉄板でできたような和式トイレ、木の枝が当たるから窓は
空けられない。この列車は急行だが途中駅に15分ほど止まる。どこまでものんびり。
現実から少しだけ距離を置き、童心に帰ったような時間…せっかく買い直したカメラ
を忘れて出かけ、今のところ活躍の場がないmyカメラ。携帯で済んじゃうしなぁ…

2019年9月12日木曜日

「うまい酒」

一杯ずつ注文するのが嫌いだから、なじみの店はほとんどボトルを入れている。住まいの近所の店だけでも6軒。ボトルがあったかどうか忘れてしまうから今年から携帯のMEMOに書きとめることにした。○○、何日ボトル入れた。○○、何日、ボトル残っている、のように。他に渋谷、青山、六本木…

思えば、ずいぶん沢山酒を消費してきた。だが、最近酔うほど飲めない。と言っても一般の方より量が多いのは確かだが。グラスに残ってることが気にならなくなった、というか飲み切らないことに抵抗がなくなってきたのだ。ほとんど毎日、義務のように飲んではいるけど。

焼酎を量り売りのように考えている店がある。焼酎ロック!「シングルですか?ダブルですか?」そんな店は2度と行かない。「焼酎はなみなみと注ぐものだ!」

酒飲みはたいてい酒に関して意地汚い。酒飲みの気持ちが理解できていない奴は酒を売るな!ってな気分にもなるし。芋焼酎、バーボンウイスキー、日本酒、ワイン、どれも気取って飲みたい酒ではない。赤ワインなんか、冷えていなければ氷を入れて飲むし。いい氷に限るけど。

何が言いたい?「うまい酒が飲みたい」。うまい酒とは、体調がよくて、気分がよくて、好みの料理があって、いい話し相手という環境のある酒だ。最近何かが欠けている気がする・・・「うまい酒が飲みたい」。。。

2019年9月6日金曜日

「涙くん こんにちわ」

先日の小旅行で東野圭吾の「時生」を読んだ。彼の作品は結構沢山読んでいるがタイトルをすぐ忘れてしまう。が、なぜ旅先で東野圭吾を読むか?一気にストーリーに引き込まれる、読み返さないと不安になる、てなことはなく、そしてどこかで必ず泣かせてくれる、更に言えば、一見現実風で実は非現実的、肩がこらないことかな。

ホテルの部屋の清掃が始まりそうな時間にロビーに降りて一気に読んだ。そしてロビーで一度泣いた。結構長時間フロント近くのロビーで読書したので、変な客だと思われていないかなぁ…などと小さく気にしながら。

帰りの飛行機の中で見た映画でも泣いた。若者の恋愛と、父親と娘の美しい愛情物語…ラストシーン近くで涙が止まらなくなり、ハンカチが活躍。最終シーンをイメージし始めたころ、ドスン!という音とともに空港到着!アナウンスが入り映画は終わった…ラストシーン前に…。感動的な映画に限っていつもそうだ。チェ!!!

もともと涙もろいのだが、最近我慢が足らなくなってきた気がする。歳のせい???

さて、最近知った新しい言葉は「ギフテッド」。特殊な能力にたけている?偏った天才君というか… いずれにしろ、知らないことが沢山あるんだ、ということをなぜか強く実感する今日この頃。学び直すとすれば、いったい何から?持続できる分野と、持続できない分野がはっきりしているからなぁ、俺。今までのところ…

2019年8月27日火曜日

「25分間の慌ただしい光景」

22日、番組収録のため秋田に向かうことになった。スタッフは全員前日入りのため当日入りは藤原ひとり。リハーサルに間に合わせるために11時の飛行機を予約。いつもより少し早めに家を出たのだが、空港の駐車場が見えてきたあたりで不吉な予感…「満車」という赤い文字が見えた気がした!のだ。

P1P2 P3P4 一回りしてみたのだがすべて「満車」。「参ったなぁ」…とりあえず並んで係のおじさんに聞いた。「何分待ちですか?」「60分ぐらいですかね」とのんびりした答え。時計を見たら10時15分!残された時間は25分!「出ます!」と告げて列を抜け取り敢えず車を走らせる…「東京駅に向かって新幹線にするか…でも4時間もかかるし…」と少し思案。「よし!国際線の駐車場に向かってみるか、そこがだめだったら東京駅に向かえばいい!」。国際線の駐車場は9階だけが少し空いていてセーフ!。さて、どうやって第一ターミナルに戻るか。

国際線にはいつも車で行くのでタクシーを使ったことがない!タクシーの乗り場がわからない!ので到着口を目指してダッシュ!タクシー乗り場はどこだ?どこだ?やっと飛び乗って第1ターミナルを目指した。1万円札を出したらお釣りがありません!もたもた。解決してターミナルに入るとそこは南ウィング。東北方面は北ウィング!またダッシュ!…間に合った!!!

傍から見ていたら、滑稽な姿だったろうな…と自分の姿を想像しながら1時間程度の空の旅。平日だからと安心していたのだが、8月は夏休み中なんだということを肝に銘じなければいけない。はい!反省。。。

2019年8月18日日曜日

「8月17日」

毎年夏の時期、縁があって都内にある某音楽大学に講義に行く。2時間ほど様々な話をするのだが、今日の生徒は楽器系と声楽とマネジメントの各4年生で、専攻はバラバラ。休憩なしで2時間授業をやり、最後に「質問は?」と生徒に振ったら、ピアノ専攻の生徒が「夢はなんですか?」ときた。

それまで生徒に、目標値とか、夢の必要性などを話していたものだから、逆質門されると少々困った。「女の子の孫がいたらいいな、それが小さな夢」と軽く逃げておいて、さてと話しながら考える…「俺にも語るべき夢が必要なのかも…」とか。「夢、とストレートに言えるものなんてあるか?」などと心の中で呟きながら、言葉を操って質問には答えたが…。年を重ねると、頭の大部分が理屈で構成されていて、思っているほど頭は柔軟ではないな、などと思いを巡らせつつ生徒のストレートな質問にやや反省モード。

今日の刺激はもうひとつ。昨日、注文していたレコードプレーヤーが届いた。昨日の夜は酔っていたから眺めていただけ。今日午前中組み立てを始め調整も一通り完成させ、久々にアナログレコードを聴いた。チリチリチリのノイズ・・・

20年ほど我が家にレコードプレーヤーは存在していなかった気がする。今日はスピーカーの位置を変えたり、配置の見てくれにこだわったり・・・。なんか新鮮気分!!!

夕方から主治医殿と飯会。飲食時間5時間!八王子から四谷まで呼び出してしまった、
ごめんね。

2019年8月8日木曜日

「深夜という時間帯は 自己満足時間」

処置と措置、承継と継承、分かっていそうで間違えそうな言葉を改めて確認する。最近この作業が増えた気がする。慎重になったのか、知識がなかったのか・・・

20数年前、まだPCに否定的な時期があった。「知りたければ本屋へ行け!」とか「ゲームばかりしているおじさんのおもちゃだろ!」とか。だが、今はどうだ、PCがなければほとんど作業ができない。カメラがデジタルに変わる時もそうだった。「写真はフィルムだろ!」これも、デジタルカメラの力を認めることに時間はあまり要らなかった。

ことほと左様に時代は人の心の文化までもいともたやすく変化に導く。

変わらないもの、変わりたくないもの、変われないものもある。親子の愛情の距離とか、心をむしばむ過去の遺産とか、胃袋に巣くう毒薬にもなりうる「忘れられない言葉」とか。大なり小なり、そうして人は「悩みらしいもの」を抱えて生きていく。

子供自転車がなかった時代、子供は大人の自転車に「三角乗り」をした。スケート靴を買えなかった子は長靴に金具をつけた。米を生産していない子は地域の運動会でおにぎりをもらえなかった・・・。

それでも少年や少女たちは、「笑顔」の尊さを、または笑顔のぬくもりを身に着ける努力をしながら時代を生き抜いてきた。PCなんか、要らなかったのだ。まして、空飛ぶタクシーなんていらないのだ。とした時に…この先、どう生きていけばいいの?と笑顔で語る「昭和人」に必要な「実のある文化」を教える?または探せ!というのか、難しいね。

職業が坊さんとか牧師さんでもよかったな、と思うことがある。どちらにしても、かなり生臭かっただろうが。(笑)(8日・深夜)

2019年8月5日月曜日

「夏のある一日」

猛暑が続いている。夏が大好きな藤原でも、急激な暑さの到来なので体が少し驚いている気がする。「無理をしないように…」本格的な夏を迎えて初めて思った。

人々の一般的な感覚とはたぶん逆で、外に出てギラギラの太陽光線を浴びた瞬間「幸福感」を感じるのだ。暑いかどうかとは全く別の気分。前世はきっと、ほとんど陽にあたることのできない場所で暮らしていたのかもしれない。

家で時々頼まれてもいない洗濯をする。今の時期、洗濯ものを取り込むとき、カラっと乾ききったそれぞれが気分を和らげてくれる。洗えるものを探して何でもかんでも洗濯機に放り込むから、そばで聞こえる小さなため息に気づくこともあるけれど(苦笑)

昨日も日曜日なのだから家でじっとのんびりしていればいいのに、何かしないと時間がもったいないと思ってしまう。この性格は生涯直らない気がする。9時から午後4時まで孫を預かってそれなりに楽しく過ごした。休日なのだからそれで終わればいいじゃないか・・・

洗濯ものを取り込む、孫がプール遊びをした後片づけをする、洗車をする、ついでに近所と共有のごみ捨て場を掃除する、自転車に夜間用のシールやテープを張る、伸びてきた木の枝を整理する…あと何かすることはないかな?と思った頃には夕餉の支度が出来ていた。少し家の用事をしたことでちょっぴりの満足感を得た気分。だが!

寝る直前自分が発した一言が自分の今を表しているのだ、と改めて思った。「何をしていても、こうして一日は終わる…」。最近よく同じ言葉をつぶやいている気がする・・・

2019年7月30日火曜日

「のりぴーの人生」

駐車場から車の中にあったゴミ袋を手にして会社に向かった。駐車場の階段の途中にあったゴミが気になって、せっかくゴミ袋を持っているのだから、と一つ拾った。次の階段にアイスクリームの袋が!これも拾った。会社のエレベーターの脇に、昨日も見たはずの郵便受けからこぼれただろう広告の紙、これも拾った。

明日水曜はゴミ出しの日だから、会社のごみとして捨てればいいや…

会社の洗面所で手を洗いながら思うのだった。なんかいい気分…もっと歳を重ねたら、俺、公園のごみ拾いなんかやってんのかなぁ…複雑な気分も…

今日の午前中は八王子の主治医の病院まで出かけ、いつもの注射と薬の処方をしてもらい、主治医に「会合やろうよ」と飲食の誘い。医者の匂いを感じさせない主治医で、外ではよく、薬の営業か不動産、金融関係に間違われるそうだ。そこがなんとも良い。(笑)

今まで、本当にたくさんの人と出会ってきた。突如、今までの人生の出会いをすべて「リセットしたい」という思いに駆られることがある。その中に「リセット外」の人が何人いるかな…と思うこともある。「リセット外」に入るね、我が主治医殿。

そうそう、孫がようやく「のりぴー」と呼んでくれるようになった!もともと「のりぴー」と呼んでほしかったのだが「ぴー」が言えずずっと「のりのり」が呼び名だったが
一週間ほど前から「のりぴー」が定着!いいね!

2019年7月24日水曜日

「POWER」

最近、車庫入れで車が真っ直ぐに収まらないな、と思うことがある。真っ直ぐに直そうという努力を怠っているのか(こんなもんで、といういい加減!)真っ直ぐ入れられなくなったのか?高齢者運転のハードルの手前ではあるが、気になる。前者のような気がするが。

スピード狂ではないがスピードは出したい方だ。先日制限速度70キロの道路で、前をぴったり70キロで走っている車が。同じ道で覆面パトカーにやられたことがあるから、慎重に追い越してすぐ前に入ってスピードを落とした。一瞬キラキラライトをつけた「85-〇〇」の車はやっぱり覆面。数分後その覆面はサイレンを鳴らして別な車を追いかけ藤原の車を抜いていった。可哀そうなドライバーと見え見えの覆面パト。ご苦労様。

今さっき、部屋の模様替えをした。社長机と打ち合わせコーナーを前に戻しただけなのだが、少しは気分が変わるかもしれない。年末に模様替えして以降、あまりにもいいことがなさ過ぎたから(言い換えれば不幸が続いた?(苦笑))気分転換は大切だ。

雑然とした社長室だが、孫の大きな写真が3枚、昔から貼ったり掛けたりしている家族写真、馬と子供の大きな画、観音様の画だとか龍の画だとかが壁にあり、なんだかなぁ、という部屋なのかも。もう色が抜けてきたが「パパ今日もお仕事頑張ってね」と書かれた付箋も壁にある。娘が10数年前に弁当を作ってくれたことがあって、その弁当に貼られていたものだ。

振り返ってばかりいるわけではないが、過ぎた時間の積み重ねの結果として今がある。契約駐車場の記録を見たら、車は7台目になるようだ。4300㏄というパワーにこだわったこともあった。昨年までの車は3000㏄だったが、今は2000㏄で280馬力。排気量は小ぶりになったが馬力にはこだわる。人生と同じだ。小ぶりになっても馬力にはこだわる。

2019年7月19日金曜日

「想い出のニューヨーク・出てきた旅MEMO」

今は一児の母になった娘が高校2年生のころ、父親と二人でニューヨークへ旅した。その時のMEMOが机の中にあった。汚い字でホテルのメモ用紙に書きなぐっているのだが、あまりにも懐かしいものを見つけたので、書き写して思い出を残しておくことにした。
(原文まま)
「ニューヨーク旅日記」  (JAL・ABCで携帯電話借りる)
1日目。自宅を13時40分に出発。成田へ。予定より10分早い出発で15時20分C08便でにて出発。親子なのに17Bと18Bで前後バラバラ。12時間30分の旅へ。前の座席のオバサンが乗って間もなくリクライニングを最大にたおしやがってめしもくいにくい!飯の時ぐらい戻せ、あほ!予定どうりニューアークリバティー国際空港到着。迎えの係とともにヒルトンニューヨークHへ。部屋は1152.あみは眠り起きられない。パパは仕方なく近くのデリを探し食料と水、缶ビールなどを仕入れる。アイロン台を持ち出してテーブル代わりに、持参のカップラーメンと買いだした肉とかまずいライス系のなんとかで食事。バスがわかりにくい、熱い湯が出ない。ま、仕方ないか・・・で寝る。

2日目 7時50分、市内一日観光へ向けホテルロビー集合。伊藤さんという何人か分からない日本人と3人で出発。ガイドは在米15年という〇〇さん。雨と風、寒い。傘を一本5ドルで2本買う。市内を回るが外は寒くてへきへき。ミッドタウン→南下。ダウンタウンを経て
自由の女神に向かうが、風波荒く船が出ず、リバティ島へ向かうことは断念。グラウンド・ゼロは下車したが、寒さで見ず北上してハーレムへ。グランドセントラル駅を下車観光。国連ビル下車観光。サウス・ストリート・シーポートを下車観光。中国人のウエディングドレス・白タキの新婚カップルが大勢いてビックリ。その後、ウォール街を下車観光、伊藤さんをYMCAでおろしホテルへ。夕食はジョーズ上海(鹿鳴春)で中国料理、シャンシャン。

1/4   3日目
セントラルパークへ徒歩で向かう。観光馬車に乗って小さく一周。$34ドルと書いていたのを知らず、ハウマッチと聞き、40ドルと言われ結果40ドル払う。(最初にジャパニーズ?)と聞いた、だからだ・・・ブロードウエィを南下、昼食に立ち寄る。メニューを見たがよくわからん。ウェートレスがきたのでセット風メニューを指さし、お互い注文。来るまでなんだかよくわからない。裏に15%と書いた伝票をもらい、ウェートレスを呼んで聞いた。合計金額(+15%?)と紙に書いて聞いた。笑って、チップは4ドルだと言われた。さらにブロードウェイを南下。派手な看板が並び、あみは ニューヨークだ!と喜ぶ。き馬警官バックに写真をとり、フィルムを交換しようとしたらカメラがフィルムを巻かない。ウンともスンとも言わない。近くのカメラを扱っているショップに入り、おじさんの店員を呼んで(ノー ムーヴ)とあみが英語風に言った。店員は電池を出し入れし、やり直したら動いた。典男が店員の手を握り、サンキューといかにも嬉しそうに言った。その後スターバックスに入る。注文の仕方がわからないので「俺コーヒー」といってあみにゆだねる。あみの日本語英語はなかなか通じない。システムが違っていて注文は現金を支払った後名前を告げ、名前を呼ばれたら受け取る仕組み。名前を問われていることがわからない。うしろの日本人が教えてくれた。「名前を聞かれています」。その後ガーシュイン劇場でミュージカル「ウィキッド」をみる。一旦ホテルへ帰り夜はブルーノートへ向かい本場のJAZZを。パパは半分寝ていた。その夜晩飯も食わず寝た。

4日目以降はMEMOがない。このあと娘が19歳の時、また二人でニューヨークを楽しんだ。


2019年7月17日水曜日

「名セリフ」

「子供のころの自分から、今の自分を見て、誇りに思えるかどうかが、理想的に生きているかどうかだ…」

正確かどうか自信はないが、ある映画を観終わってすぐにメモした言葉だ。翻訳のセリフだが、映画を観終えるまで頭の中で何度か繰り返した。忘れないように。

さて、このセリフが自分に当てはまるか?理想的に生きる…難しいね。だが、悔いていることはないような気がする。それなりに必死だったし、自分らしかったから。

何かを信仰していればよかったな、と思うことがある。神も仏も大切にするが信仰心が篤いとは言えない。氏神様も大切にするし、お寺の住職とも親しくするし、神棚に榊を忘れることもない。お地蔵さんにだって挨拶するし、海外に行けば教会も訪ねる。だが、今一つまじめさに欠ける…気がしてならない(苦笑)

ではなぜ「何かを信仰していればいかった」と思う?心のよりどころが欲しい場合がある。「般若心経」を読んだ時代がある。だが長続きしない。なのに「あぁ神様、何とかして!」と神頼みすることもある。「理想的に生きている」本当にそんなことあるか?
だが、映画の主人公は正しい人生とは言えないが、実に楽しんで生きていた。

そうだ、理想的に生きるということは楽しんで生きることだ。なぁんだ、簡単なことだ。
難しいことも、簡単だと思えばいい。自分らしく。

2019年7月8日月曜日

「いろいろ」

7月1日に、第10回岩谷時子賞の授賞式が開催された。今年の岩谷時子賞は坂東玉三郎さん。もう10回もこの会に足を運んでいることになる。10年、あっという間だ…

授賞式のあと、例によってレセプションパーティーが始まるのだが、主催者の一人で、審査員でもある某音楽プロデューサーと1年ぶりの再会。透析を週3回もしている人だからまず「体調」の話から入る。さり気なく「あっちのほうはどうなの?」と聞いたら「〇欲はあるんだけど〇力がないんだよ」と来た。はいはい。

友人の「千家和也」が逝った。あの顔で、あの性格で、素晴らしい詞を書いた人だ。ずいぶん一緒に飲んだ。数年前まで、彼と彼の奥様と藤原と、よくゴルフにも出かけた。少しすれ違いが起きて、この2年ほど音信不通になっていたのだが、最後の記憶では、少しの酒で足元がふらつき、タクシーに抱え込むようにして乗せた。だから、訃報に接しても驚きはしなかったが、73才は、あまりにも早いだろう…

昨日は「明治座」の「中村雅俊45周年記念公演」に行ってきた。芝居は結構面白くエンターテイメントを感じたいい舞台だった。2部の「歌」では、女性の観客が涙を流しながら聴き入っている姿をたくさん目にした。まさに歌が、時間の垣根を越えてそれぞれの思い出の世界へと誘ったのだろう。「歌の力」はうまいか下手かではないんだ(苦笑)でも、味があっていい歌だったよ、中村雅俊さん。

この部屋から梅雨の隙間のような青空が見えている。最近、青や緑が、いいな。

2019年7月4日木曜日

「帰郷」

6月に、小学校の同窓会があったので、岩手まで行ってきた。盛岡から在来線にのって矢幅駅まで行き、駅近くの宴会場へ向かったのだがあいにくの雨。100名ほどに案内を出したらしいのだが出席したのは35名ほどかな。それで?多くを語らないことにしておこう(笑い)

翌日、念願だった不来方城(盛岡城)にある啄木の碑を目指した。雨という天気予報は外れ、願ってもない晴天。コンビニで弁当を買い、54年ぶりの碑との再会を目指ざす!!!

こっちらしい…
城跡の中はほとんど記憶がないのだが、啄木の碑は案外分かりやすかった。中学3年の時、進学をやめて上京を決意したころ、よく啄木の碑の前で寝ころんだものだった。まさに多感だった中学生時代…           
学校の授業を抜け出して来たこともあった気がする。
あったぞ!!!
「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし 十五の心」

当時は、もっと高い位置に碑があったような気がしていたが…



碑のそばで遅めの昼食ということで弁当を食い、寝ころんで空を見上げた…吸い込まれるような青空だった…

それから墓参りへ。自分で建てた墓だが、最初に眠ったのは弟。昨年母が入った。墓参を済ませ寺に挨拶に寄ったが住職はあいにく葬儀の最中で、奥様と長い時間話し込んだ。もっぱら個人的な愚痴の聞き役だったけど(笑)

さて、それから夕方盛岡駅前で待ち合わせたのが自称「美女軍団」と言ってはばからない4人の女性グループ。一升瓶の焼酎を軽く空け、移動したカラオケバーで地元産ワインを2本軽く空け…   … 多くを語らないことにしておこう!(笑)

2019年6月19日水曜日

「赤ちゃん言葉にご用心!」

「病院でいたたまれなくなる光景の一つは、医師や看護師が高齢者に、赤ちゃん言葉で接している場面である。見ていて、とてもつらい」

今日の日経新聞のコラムの冒頭にあった言葉だ。

「長い人生をひた走り、辛酸をなめ、それぞれに足跡を残してきたひと人の尊厳はどこにある」ともあった。

まったくもって、その通りだ。つい先日も話題にしたばかりだった。その光景に接すると、腹立たしいというか、残念というか、いい気持になったことはない。

優しく言っているつもりだろうが、ある皮膚科の女性院長先生が、藤原に対して子供に言い含めるような言い方をする。だから嫌いだあいつは!(笑)
「俺の尊厳はどこにある!!!」




たとえどんなにイラついていても、この「お孫様」の写真を
見ると、突然笑顔になれる。
「女院長!あの言葉は孫に言ってくれ!」

結構根に持っているワタクシ・・・(苦笑)

それにしても、可愛いなぁ・・・
なぁ 倫君!

2019年6月13日木曜日

「哲学って何だっけ?」

友人から「私の座右のノート」というテーマのメールが届いた。「一流の盲点 二流でいこう 三流の弱点」なのだそうだ。人はみな、何かを肝に銘じて人生という歩みを進めている。

俺に座右の銘なんてあったかな・・・?

「やればやられる」 「感情は勘定」 なんて言葉かな・・・書き記すようなもんじゃ、ないよな。
俺の哲学のようなもんだ、たぶん。

哲学と言えば、モンテーニュがなかなか読み進められない。一文が長いし、物事を肯定しているのだろうと思って読んでいると最後に「・・・を否定することになる」とくる。あれ?となってもう一度読むことになる。藤原に、大学生時代があったとしたら、学生時代に読むべき本だよな、などと心の中でぶつぶつ言いながら又数ページをめくる・・・

藤原の人生には多分4つのステージがある。その①は15才までの子供時代、②は上京して音楽の仕事をしていた40才までの時代、③は会社を設立してからの社長業時代④は残りの人生を充実させるために豊かな時間を求める時代・・・かな。

第2ステージとなる16才~40才までの時代は、5年ごとに人生に点を打っていた。例えば20歳の時、25歳の時点ではこうなっていたい、25歳になると、30歳の時点ではこうなっていたい、のように。で40歳の時に「そうなっていなかった」から音楽をやめた。

地球一周の旅、ってのもいいな。中間地点を超えた時「思えば遠くに来たもんだ」と思うのか「結局このまま「振り出しに戻る」と思うのか。この理屈、決してモンテーニュのせいではない(笑)

2019年6月12日水曜日

「誕生日」


 🎂 69歳の誕生日を迎えてしまった。誕生日当日は
土曜日だったため、一日早く社員がケーキと花束で
祝ってくれた。これは取り分けてくれた藤原の分の
食いかけ。

みんなで撮った写真は誰のカメラで撮ったのかわから
ないので取り敢えず手元にはない。

誕生日当日は昼に家族で集まった。娘夫婦と孫、息子
カミさんと食事会。かわいらしいプレゼントも。

朝早くに、ペテルブルクの友人からお祝いメールが。
彼女も結構歳をかさね、体調がすぐれないらしい。
でも、頑張って現地の日本語学校で日本語を教えて
居る。みんな頑張っている・・・

ペテルブルクに行ってこようかな・・・


さっき、取引銀行の元の担当者が顔を出してくれた。彼は
なかなかのやり手なのだが、「いやー、ちょっと時間ができたので社長の顔が見たくて!」ときた。
銀行の不振などの一通りの話をしたあと事業継承の話へ。「お金を貸し出すことでは利益が出ないんですよね・・・会社の代替わりのお手伝いをして手数料を稼ぐとか・・・」

「ところで社長はこの先どうされるんですか?」何を言いたいかは解っているから「俺か?俺は株式会社 老人 ということで頑張るんだよ」とけむに巻いてやった(笑)清水君、期待に応えられなくてごめんね。

世間が様々な思いを巡らせるそんな年齢になったということだ。

2019年6月5日水曜日

「SONY α 6400」

脱力感や無気力と戦うのは難しい。そうではない「フリ」をするのはもっと難しい。そして、人に教わるのはややこしい。

社長業を長くやると、人に教わることが下手になる、というのは情報として知っていた。それを最近実感した。一眼のカメラを新たに購入したので、メーカーが主催している教室に行ったのだが・・・
座学6時間、屋外のモデルを使った撮影会で2時間、計8時間かけて技術の入り口を学んだ。

なぜ入口?それはそれはあまりにも機能が多く複雑だから。子供のころから写真は好きだったが、今のカメラは初めてPCに触れた時と同じ感覚になる。一回で覚えられないという、脳みその機能マヒも原因の一つではあるのだが。

会社に居ると、社員に「おーい、これどうするの?」とか「よくわかんないからやっておいて!」とかすぐ人に頼る癖の様なものがある。カメラの教室で先生を呼びつけて「これどうすんの?」というわけにもいかないし・・・「わからないから来てるだろ!もっと丁寧に教えろよ!」と言う訳にも行かないし・・・

屋外の撮影の時、先生が「もっとモデルさんに注文を出して!」と言うのだが、今まで沢山の歌手のみなさんにさんざん注文を出してきた身としては、逆に大勢の前では照れくさくて言えない・・・
「早く終わればいいな・・・」そればかりを考えていた。

あとは、カメラをいじくりまわして、体で覚えるしかないな・・・と思うのだがその集中力にも欠ける。 

新聞のコラムに出てきた「モンテーニュのエセ―」に興味をもって岩波文庫のものを4巻まで買った。6巻まであるそうだが、後でもいいや、と思い取り敢えず4巻まで。で、今日までに読んだのは3,40ページほど(笑)コラムにあった「3巻の〇章」までたどり着くのに半年はかかりそう。どこか海外にでも出かけて読書に没頭すれば少しは読み進められるかも。

6月だ。もうすぐまた年齢を一つ重ねる。 「独立心旺盛で臨機応変、無駄のない時間の使い方」にエネルギーを使ってきた藤原君も、思案のしどころというところか。  

2019年5月24日金曜日

「マグニチュード計測中」

心が激しく揺れ動いた一か月だった。揺れが収まったわけではないが、大きな船からボートに乗り移り、ようやく小舟のオールを漕ぎ始めたというところか・・・ますます揺れるよな。

令和という文字を、まだペンで書いたことがない。が、新たな時代が始まったということだ。「日本賞」という番組で、毎年身近で拝見していた皇太子さまが天皇に・・・今年の「日本賞」には、どなたがお見えになるのか。

オリンピックの入場券申し込みにトライした。開会式と閉会式とスポーツ音痴の僕でもわかりそうなバレーボールの3種。申込金額は120万を超えていた。当選するわけない!と踏んでいるからなんの問題もないが(笑)でも、開会式だけは観たいな。

昭和39年のオリンピック時、中学2年生だった。聖火が国道4号線を東京に向かう途中、おらが村を通った。短い区間だったと思うが、聖火ランナーの後ろを伴走者として走った記憶がある。遠い記憶だが、鮮明な記憶でもある。

去年も書いた気がするが「不来方の お城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」という石川啄木の短歌が好きだった。この句が書かれた碑が不来方城(盛岡城)にあって、中学三年のころ、この碑の前でよく寝ころんだ。それを再現したくて去年盛岡城まで行ったのだが、大雨のため断念。6月に盛岡に行く予定があるから、今年こそチャレンジして来よう。(碑がまだ存在するかは知らない)

そうそう車の免許更新に行かなくちゃ。ギリギリ高齢者講習受講者ではない。去年買い替えた車が結構スポーツタイプなので、坂道なんぞブォ~ンという感じでアクセルを踏み込んでしまう。いずれそう遠くない日に、家族から心配される日がやってくるんだろうね。

揺れはいつまで続くのか・・・とりあえず揺れのない、小さな陸地を探すとするか。

2019年4月10日水曜日

「仲間」

懐かしい昔仲間との会合があった。6人中現役は二人。あとの4人は爺さん(笑)。現役は藤原とNHKの阿部渉アナウンサー。10年近く続いている「会」のような気がするが、もっと長いかもしれない・・・西暦2000年になった時の番組の話が出るから、もっと長いのかも。

懐かしい写真を見せてもらって思い出したのだが、会のメンバーの数人は亡くなってる。「生きて逢えてよかったね」と軽口をたたいたが、どこかに真実の匂いがするから困ったものだ(苦笑)。

幹事役のおじさんが懐かしい写真をセレクトして持ってきてくれたのだが、どの写真を見ても、藤原が一番目立つ表情をしていて、更に生意気そう!俺っていつもそうだっけ?などと改めて感心したり・・・周りが普通のおっさんばかりだからそう見えるんだよ、と小さな言い訳。

2次会のない(年寄りばかりだから)小さな飲み会は2時間程度でお開きとなった。だが、今年はなぜか「楽しい」と感じた。いつもより、という意味だけど・・・

時間の経過や、過去のさまざまに対する思いが、年齢とともに少しずつ変化してきたのだと思う。

さて、社内は?静かな時間が流れている。苦手なんだよな、職場がやけに静かなのは。かえって物事に集中できない。ロックコンサートに行くと熟睡できるようなもので、社内が活気で騒々しい方が安心して自分のことに集中できるのだが・・・

先日SONYの新しい一眼レフのカメラを買った。昔のような説明書はなく、PCで見ろと。紙に印刷しようとしたら600ページだとか。で、一日教室に行くことにした。習うより慣れろ、の時代ではなくなった。まず、ちゃんと基礎を教われ!そうしないとほとんどの新しい製品が、宝の持ち腐れになっちまう!!!

2019年4月5日金曜日

「26年目」

最初の1年間は他社のスペースを借りて段ボールの上に電話を乗せているだけの会社だった。2年目に今のビルに引っ越し丸々24年、計25年が過ぎ、今日26年目を迎えた。4月5日が設立記念日。4半世紀の時が過ぎた。

炬燵に入って、会社の作り方という本を見ながら設立の準備をしたっけ。そのころは、ワープロを使いこなせていたから良かったが、それより昔は書類を手書きで作ったのかね。

数年は有限会社だった。軍資金が苦労して集めた300万しかなかったから。当時は株式会社にするのには1,000万円必要だった。隔世の感がする。

ある日取引先に請求書を持っていったら「おーい、ウチって有限会社と取引できるんだっけ?」と担当者が近くの仲間に声を掛けた。

藤原 「カチン!!!」

その小さな事件のあと、すぐに株式会社にした
ような気がする。そして今日、会社は
26年目を迎えた。

小規模な会社で始まり、そして小規模になった。
(苦笑)

20年を超えるスタッフもいる。
会社が小さすぎて、それぞれの息遣いも聞こえる。
これはマイナス要素だな。
まるで家族スタイルだ。

ま、小規模なんだから仕方がないか。
だが以前のように、頑固おやじスタイルで
怒鳴りまくることも無くなった・・・

2019年4月4日木曜日

「ベランダのチューリップ」




5輪咲いた。
もう1本はまだつぼみ。

どうやら短足ではなかったようだ。
ちゃんと背も伸びている。

空は青空。

二人の遺伝子は次の時代に流転していく・・・
昨日、内田裕也さんの娘がそう語っていた。
なんとも文学的だが・・・

そう言えば、娘が裕也さんとロンドンで2度出会ったそうだ。記念写真を撮っていたっけ。

2019年4月1日月曜日

「新元号への想い」


平成の元号が発表されたその日、発表の瞬間を小さいテレビで見ていた。娘が生まれた翌年のことなのだが、発表の時間帯に自宅にいたということと、本当に小さなテレビだったことをなぜか鮮明に覚えている。

大変な時代と重なる・・・(苦笑)。二人目が生まれたが、職業はいい加減、悩みぬいていたころだと思う。夜はピアノの弾き語り、土日は結婚式の司会、昼はカラオケの先生、レコーディングの指揮者、あと何をやっていたかな・・・

あの頃、カラオケ教室のギャラをバイクの男にひったくられ、ほとほと運気に愛想が尽きて、音楽を辞めて、小さなカレー屋でもやろうかな、と本気で考えたりした。店名は「森の小人」にしようか・・・などと本気で考えたものだ。

平成の元号の発表時の光景が、良くも悪くも鮮烈なものなので、今日の発表の瞬間を心待ちにした。30年の歩みが走馬灯のように・・・そんな1日になった。人の生きざまは、いくら考えても読み切れるものではない、そんな思いが重なる。

平成2年の暮れで音楽活動をすべてやめた。平成3年の正月から展望のない日々を迎える。個人の力は弱い、会社組織の中に居なければ力を発揮できない、そんなことを思ったと思う。平成という時代が藤原を育ててくれたのだ、とも思う。

音楽を辞めると決めた平成2年の暮れ、銀座のある店で「藤原君の第1回目コンサート」というイベントをやった。やめると決めているのだから「第2回目」があるはずもない。昼夜2回やって、80万ぐらい利益を出した。貯金が無かったから、取り敢えずの生活費が必要だったのだ(笑)あの日の皆様、今更ごめんなさい。

時代を振り返り 明日を見るにはいいタイミングだ。が、昭和がますます遠くなる。

2019年3月20日水曜日

「チューリップ」

葉っぱがなんか赤くなっている・・・どうしたのかな?心配でのぞいたら、なんと開花していた!

会社のベランダで球根から育てているチューリップの話!赤い花びらが申し訳なさそうに・・・

チューリップって、もっと茎が伸びて高い位置で花を咲かせると思っていたから、びっくりした。球根から植えて育てたのは初めての経験だから、うれしい。
それにしても、背が低いね。短足チューリップ?俺似?

今日の東京は、びっくりするぐらい暖かい。桜ももうすぐかな?
あちこちから春の便りが届く。先日の日曜、黄色が一面に広がる菜の花を観た。俺って、こんなに花が好きだっけ???
でも、花の名前は詳しくない。外来種はほとんどわからない。
覚えようともしないけど。
この一週間ほど、気の滅入ることが続いたから、
花に救われる・・・。。。                  

2019年3月13日水曜日

「3泊4日の旅」

9日から4日間ほど、一人旅をしてきた。いつものことだが、片道4時間程度の海外へふらっと出かけてくる。大した目的もなく、仕事から離れるため毎回パソコンを持参することを止めようと思うのだが、結局持って出かけた。

東野圭吾の小説を2冊持ってでかけ、2冊とも読み切った。旅先で読むには肩が凝らず楽しめる作品が多い作者で、もう何冊も読んでいるが、タイトルを記憶しているものは無い。今回読んだのは、作者の代表作と言われている「秘密」と現実感がやや乏しい「ラプラスの魔女」。

「秘密」はうわさ通り、いい作品だった。ホテルの部屋をお掃除のおばさんに空け渡すために、ロビーに移動して読み続けたのだが、最後のページで思わず涙。ハンカチが必要なほど涙。周りに他の客は居なかったがフロントからは丸見え。最後の最後で泣かせてくれる小説だった。パソコンでのやり取りは1,2回しただけだから、PCは結局持っていかなくても良かったのになぁ・・・

で、成田に着いて最初にしたことは「マスク」を着けること。この2,3年花粉症に苦しめられている。年齢のせいかな?とおもう症状も沢山ある。考えたくはないが、医者通いが増えた(苦笑)。そうそう、帰りの機中は読むものがないから、映画を観た。だがセレクト間違い。アカデミー賞という文言にひかれて観た「ムーンライト」。もっと感動的な作品かと思ったのだが残念賞!

さて、3月も中旬。今月が決算月だ。4月から26期目に突入する。成田から自宅に向かう車の中はまさに、現実に戻る高速道路。カーナビの画面が埋め尽くされた地図に見えたり、まだ道を描ける可能性のある地図に見えたり・・・アクセルを踏むべきか・・・
様々な現実に直面する帰り道・・・。。。

2019年3月8日金曜日

「たけのこ」

4日の月曜日に久し振りでテレビ東京の「歌いーな!」の収録があった。因みに放送は3月30日の土曜日お昼時だ。藤原は構成担当。春真っ盛りだし、お昼時なので「食」をテーマにしたコーナーも作ろうということになった。春の旬の食材と春らしい食べ物・・・桜餅、桜プリン、桜バウムクーヘン、食材としては「筍」「なばな」「フキノトウ」とか・・・

台本にそう書きこんで、収録前に念のため「筍」の存在を確認してみた。あちこち電話してみたが収録日あたりは時期がまだ早い!という現実に直面。千葉県あたりが産地ということなので、知っている道の駅に電話してみたら「3月中旬ごろから店頭に並びます」だと。収録は4日、無いわけ?

そんなことで諦める藤原ではない。産地として名高い千葉県大多喜町の道の駅に電話してみた。「店頭に並び始めましたよ。お取り置きはできないんですね・・・朝早めに来ていただければあると思います」

収録前日の3日、藤原は当然、大多喜町の道の駅「たけゆらの里おおたき」に向かったわけだ。見よ!この筍にかける執念!番組上は僅か2~3分のコーナーなのにだ。10時頃着いたかな、店内でおじさんが「大多喜のたけのこ ありますよ!」と叫んでいる。あった!あった!で、買った。

筍、なばな、フキノトウ、GET!。で、翌日4日無事収録。スタジオでは「あの筍美味しそう!」と筍が一番注目を集めていた。

なんでそこまでこだわる?それはきっと「ものをつくる」人間の執念とこだわりなんだろうね。で、大多喜ってどこにある?東京から片道80キロぐらいかな・・・往復160キロという距離にある。そこまでするか?って感じだよね。でも、台本を書いている時にすでに頭の中で「画」ができているから、その画が完成しないことが許せないんだよね。

収録の技術さんが、「AZさんの番組は手作り感があって、あったかくていいですね」と言ったらしい。何よりうれしい一言だ、と思った。さぁ、いよいよ「春ですね」。

2019年2月2日土曜日

「本当に」

一昨日飲み過ぎたので、昨夜は早めにベットに入った。それなのに!サッカーが気になって12時ごろよいコラショ、とリビングへ戻りテレビ観戦。日頃、サッカーにほとんど無関心なのだが、日本が「決勝」となると、なぜか気になる。マナーの良い日本人の戦いを観ながら、昨今の隣国への日本の対応などに思いが及ぶ。忍耐の日本人か・・・などと。

今日は昨日までの寒さが嘘のような陽気だ。陽も長くなってきた。寒さと夕暮れが苦手な藤原にとって、夕暮れ時間が遅くなることはうれしい季節。春よ、来い!だ。

話は跳ぶが、最近若手の歌手のステージトークでやたら気になる文言がある。何につけ「本当に」という。多分、文脈が計算されていないから「接続」の意味合いで「本当に」を連発するのだろうが、なんとも心地悪い。「本当に」。

「嘘」だと思われることを前提にしているの?と突っ込みたくもなる。トークを練習しろよ、プロなんだから!と言いたいぐらい・・・「本当に」。

椅子に腰かけるとき「いや いや いや」という人がいる。毎回突っ込んでやる。「そんなに嫌ですか?」。

先日社内会議で「すみません」と安易に言うなと言った。「すみませんは「Excuse me」の時にだけ使ってください。何かを注意されて「すみません」を連呼するな!」ということなんだけど。何かにつけて「すみません」を連呼されると、謝罪の言葉の安易な代用ということがよくわかる。「本当に」。

さっき「テレビは芸術ではありませんから」と口にした。後で、じゃぁテレビは何?と自問自答。テレビは「時代と文化の鏡」てなことでどうだ?などと思いながら、ブログを書いている。

2019年1月18日金曜日

「友人」

主治医のいる病院は遠い。八王子だけど、高尾の方に寄っているかも。月に1度受診し、注射を打ち、1か月分の薬を処方してもらう。付き合いは17年ぐらいになるのかなぁ。長い付き合いだ。今日は眠剤を変えてもらった。「昨日調べたんだけど〇〇を止めて〇〇の2ミリにしてみようかな」とか患者が生意気を言って処方を変えてもらったりして。なんか偉そうなんだよね、俺。

思い起こせば、あちこちに長い付き合いの友人がいる。先日、福岡にいる友人と電話で話した時はすごく暖かい気分になれた。彼は30数年来の友達だ。若い頃は神戸の893で、組を抜けるときに手の指を2,3本失っている。1本でないことは確かなのだが、2本だったか3本だったか。だが、人間的には最高。子供たち3人が本当に立派に育って・・・彼も本当によく頑張った。

そう言えば、韓国ソウルの同い年の友人も、もと現地の893だった。梨泰院近辺で、地元の親分という人を紹介されたことがある。紹介されてもなぁ、てな感じなのだが、紹介された(苦笑)。
もちろん彼はだいぶ前から堅気だが。今頃、孫とじゃれあっているのだろうなぁ。時々、今年は来るよね、と電話がある。

思い起こせば、たくさんの人と出会ってきた。友人は多ければいいというものでもない。会いたいと思ったときに会えて、余分な神経を使わない相手がいい。15歳で社会に出てしまったから、利害に関係のない友人に出会うチャンスは少なかったが、それなりに周りにはいる。

年を重ねれば立ち位置が変わる。立ち位置によって価値観も変わる。昔、いいと思ったものが今、どうでも良かったり、どうでもよかったものが今、とても大切なものだと思えたり。人は変わるのだ。
なのに、ずっと長い友人で居られることは、貴重でありがたいことだ。

2019年1月17日木曜日

「週末別荘?」

千葉県にいすみ市という町がある。東京から南東方向に房総半島を突っ切る感じで距離的には100キロと少し。どこにも寄らずにまっすぐ行けば1時間30分ほどかな。2時間あれば充分。この地になぜかハマっている。

安い宿を見つけた。金額的にはペンションみたいなもんかな・・・と思って出かけたら夕食のそれなりの豪華さにちょっとびっくり(値段にしてはという意味だが)。温泉地の宿のように、過剰なサービスは一切ないけれど、ぬくもりのある対応はとてもここち良い。ゆるい感じがいいのだ。出しゃばらない、気を使い過ぎない・・・

純粋な温泉ではないのだが、それなりの湯舟。年末に「いすみ市」のイベントに用事があって出かけたついでに娘夫婦、もちろん孫も一緒に連れて行ったので探した宿だ。それからなんと2度行った。まるで週末別荘のように。風呂に近い201号室がいいとか、次は206号室がいいとか注文を付けて・・・。短い期間に重ねて行ったので「食事が同じで飽きるでしょう、事前に言ってくれれば変更できますよ」なんて優しいことも言われ・・・。

豪華さをそれなりに求めて生きてきた。対応がよい、部屋が立派、食事が料亭のよう etc
そんなものは一切ないのだが、なぜかハマった。「ゆるい感じ」それがいいのだと思う。周囲には何もない。河川と少し歩けば海。これ以上は誰にも教えたくないね。週末別荘だから(笑)

2019年1月16日水曜日

「芸能界」

時間が流れて普通に新年がやってくるだけなのだが、今年は新年を迎え少しだけ変化を試みることにした。昨年はなぜか(原因はわかっているが)芸能界という世界に心が背を向けていて、コンサートにも行かない、業界系パーティーにはもちろん出ない、と徹底した。

今年、やや何かが吹っ切れたらしく、9日の業界の新年会には出席し、12日には明治座に取材を兼ねて出かけた。先ほどもコンサートの出席通知を出したばかり。案内状が届くすべてに顔を出すことは当然できないが、去年のように拒否する理由も見当たらないので、なるべく出かけることにしようと思う。そういう意味で新年は、切り替わりのチャンスをくれるのかもしれない。

そうそう、最近のショックは「純烈」かな・・・彼らとはかなり親しくしていたし、応援もしていたから。友井君には俺が持っていたベースギターとそれ用のアンプをあげたりして・・・紅白出場を待って、認知度が全国区になってから暴露記事を書く某週刊誌には、感心するというか、馬鹿垂れ、というか、ゴシップで食っている奴の心の奥底をのぞいてみたい。ま、俺には彼らのような真似は到底できないが。

2019年1月7日月曜日

「ヨーイ ドン!」

24年間、始業は4日と決めていたのだが、今年は今日7日とした。世間に合わせる、というやり方を止め、現実的な業務の形を求めた結果だが。

年末31日、四谷の寿司屋さんが「フグ」と「マグロ」を届けてくれた。デカいフグが箱入りで2匹。冷凍していないフグだから早く食え!と。毎年恒例なのだが、すっかり届くことを失念していたものだから、急遽食卓に2台のコンロが並ぶことになった。

食いきれないよ、と思いつつ娘夫婦と義母と、我々夫婦、一人暮らしをしている40年来の友人を招いて食卓を囲ん結果、なぜか寄せ鍋もフグちりもマグロも完売!。友人が焼いてきた「ローストチキン」はさすがに手を付けられなかったが。77歳になる友人と二人でしこたま飲んで気が付けば、新年は開けていた・・・のだ。

元日、二日酔いのまま近くの神社に初もうで。この神社でお祓いを受け、祝詞を上げていただくのも恒例行事。17年目・・・かな?もちろん孫も一緒。

2日は何してたんだかなぁ・・・会社には来た。自宅の裏で育てている榊を持参して、会社の神棚の前年のものと交換。例年は元旦の行事だったのだが。そうそう、正月も働いているスタッフにお年玉を持ってきたんだっけ。

3日?ほとんど忘れたけど、市ヶ谷の「亀岡八幡宮」に行った。役者をやっている知人が境内で「南京玉すだれ」などの芸を披露していると連絡だあったものだから見物がてら参拝。

4日は初めて東京スカイツリーに出かけた。これは見物ではなく仕事。今度仕事でからむ新人歌手がスカイツリーにあるスタジオで歌っているとのことで面会に。ツリーの下にある「ソラマチ」という場所にあるスタジオだが、何が何だか分からなくなるほど迷路の連続。駐車場の方角さえ見失う(苦笑)帰りに無人の会社に寄り、現実に引き戻される自分を感じて軽くため息。

てなことで、会社という「現実の中」で7日を迎えた。さて、4日から7日に変わった年始の挨拶に出かけるとするか。設立26年目となる現実も、もうすぐそこに待っている。

2018年12月29日土曜日

「年末の会社で思うこと」

先日、久しぶりで中央線に乗った。新宿から三鷹を目指したのだが、新宿の中央線乗り場がなかなか見つからず慌てる。見つけたと思ったら反対の東京行き。普通反対のホームは逆方向だろう!と思うのだがどちらも東京行き。ならば下りのホームはどこなのだ!

昭和41年から東京で暮らしているのにこのありさま(笑)しかも新宿に住んで30数年、俺は田舎者か?それとも年寄りか?

なぜ三鷹?整形外科に通っている肩と腕の痛みがなかなか治らず、主治医が教えてくれた「痛みのクリニック」という病院に向かったのだ。レントゲンで確認しながら首にブロック注射。麻酔薬なそうだが麻酔薬だから処置後当然ベットへ。車椅子で運ばれた先にベットが20床ほど。その光景に思わず苦笑・・・一見してわかる相当高齢の爺と婆の寝姿・・・あぁ俺もこの仲間?

帰りも電車に乗ったが相当混んでいて、ふらついているのだが立ったまま。途中から乗ってきた若者の堅いカバンが腕に当たって痛い。それとなく顔を見たけど気づいていない。それならばと、当たっているカバンの角を腕の「ツボ」にあててみた。マッサージのようなもんだと思えば腹も立たない。

目の前にいたおばさんはとても背が小さい。そして僅かの隙間でスマホを見ている。目を落とすとそのスマホの画面を見ることになる。仕方がないからずっと上を見ている・・・こんなもんだよ中央線は。そして新宿で乗り換え、会社に向かったのだった。

さて、良くも悪くも一年が終わる。神棚は綺麗にした。ドアに飾り付けもした。ベランダの花を整理しようと思っていたのだが花屋に寄ることを忘れた。そして思うのだ。年末らしい騒々しさや慌ただしさがない。さて、印鑑を綺麗にするか。   
   

2018年12月22日土曜日

「記憶」

時々陥る思い出せない病。う~ん、あの人の名前は・・・彼の苗字は・・・、先日はなぜか「パスワード」という単語がこぼれて、「暗証番号」じゃないし・・・えっと・・・、と苦笑い。笑い話で済むのか、事件なのか(苦笑)。

肩の痛みに悩まされて1年以上。整形外科でもう15回も注射を打ち、楽にはなったがか完治には遠く、来週「痛みのクリニック」という病院を受診することにした。これって、頭も体も老化ってこと?と
ひそかに落ち込むのである。

運動が不得意だから、体操なんてまずやらない。でも、昨夜は痛みでなかなか眠れなかったから、夜中に痛み止めを飲んだついでにベットの上で運動!テレビでは20回ほどやれ、と言ってたが、2、3回やったかな・・・よくなるわけがない。熟睡を願ってあれこれ薬を飲んでいるから、「思い出せない病」は薬のせいだ、ということにして一件落着。

父親が運動に興味がないものだから、息子も娘も運動音痴(たぶん)。息子が小学生だったころ、一度だけ野球観戦に連れて行ったことがある。一塁だったか二塁だったか「アウト」という場面があった。息子が父親にこう聞いた。「アウトって、戻るの?」。なぜかこのシーンを鮮明に覚えている。我が家の運動に関するレベルはこの程度!

娘も息子も、中学では生徒会長をやった。運動はだめだがその辺は頑張れたんだろう。だが、二人ともよくこんな電話を仕事場によこした。「今日何時に帰る?」「なんで?」「明日の運動会で生徒会長の挨拶が・・・」。帰って急いで原稿を書いてやる。「自分の言葉に直してね」。で、運動会に出かけた。そのあいさつはpapaの原稿そのまんま・・・papaは思わず赤面。

思い出せない名前や単語、思い出して嬉しい場面、なぜかはっきり分かれてきたような(笑)

2018年12月19日水曜日

「時間」

そろそろ一年を振り返る季節がやってきた。いろんなことがあったが、それでも時間は普通に過ぎていく。普通の基準は曖昧だが。

母の死もあった。入院もした。広島の豪雨のさなか広島に居た。薬の飲み過ぎで車を擦り、嫌になって車を変えた。芸能界拒否症に陥りパーティーやコンサートに出かけることをやめた。それでも時間は普通に過ぎていく。


    今月、孫の倫君が2歳の誕生日を迎えた!2歳だって!
    これは何だか不思議。早いのか、当たり前なのか、彼は
    すくすく成長して、ようやく「のりのり」と言ってくれる。
    目論見は「のりぴー」だったのだが、どうもピーの発音は
    難しいらしく、ま「のりのり」でもいいか、と満足し始めて
    いる。携帯アプリの「みてね」に毎日のように写真や動画
    が送られてくる。新しいデータが来ていないかな… …
    今日も2,3度、携帯をチェック(苦笑)

一昨日、チェコにいる息子からクリスマスカードが届いた。差出人は
サンタクロースということになっているのだが。
父親と母親と、そして「倫君」に送ってくれたらしい。それぞれがそれぞれに歩み始め、そして時間は普通に過ぎていく。

2018年12月4日火曜日

「イルミネーション」

我が家のシンボルツリーはオリーブ。結構大きく育った。日頃は自分で丸く刈り込んで手入れをしているのだが、さすがに育ち過ぎて、専門家の手を入れた。やはり素人には限界があるとつくづく思ったのだった。

綺麗になったオリーブの木だが、今年もクリスマスイルミネーションを飾り付けた。なかなかうまく飾れたと思う。結構派手だが、気に入っている。我が家のある通りで飾り付けをするのは毎年我が家だけだったが、今年はご近所にもう1件飾り付けをした家がある。嬉しい、いい傾向だ。

先日、我が家の前を自転車で通り抜けた親子の会話が聞こえた。娘「綺麗!」母親「綺麗だね~」
気分がほっこりした。

渋谷の街もイルミネーションで賑やかになってきた。会社の近くは「ブルー」の世界で彩られている。交差点で誘導員が声をからしている。年末の風物詩だ。今日の暖かさは、年末のイメージとは程遠いけどね。

今年を振り返るにはまだ早いが、いろいろあり過ぎた。出来事満載。昨日、一昨日と数年ぶりに「デパス」を服用した。イライラを封じ込めるには薬が必要だったからなのだが、我が家ではその辺をガサゴソ探せばいろんな薬が出てくる(苦笑)

毎晩、玄関を開けてから、一度ゆっくり振り返る。イルミネーションが例年より、なぜか暖かい。

2018年11月14日水曜日

「孫に会いたい」

一昨日、月一回の治療の注射とインフルエンザの注射を打ち、午後には整形外科で肩に注射を打った。何を言いたいかというと、体穴だらけ(笑)

最近、酒を飲んでも気分が愉快にならない。酔った感じがする前に酒がいらなくなり、いわゆる酔っぱらいになれないのだ。これはいたって不自然・・・あの飲んべぇがね・・・それとは関係ないが、先日自宅でなぜかタバコが吸いたくなり、コンビニで「一番弱いタバコ」と伝え、ひと箱買い求めた。2~3本テラスで吸ってみた・・・で、残りをどこに置いたか忘れてしまった(苦笑)

9日に毎年制作を担当している「日本賞」というイベントと番組の収録があったのだが、今年もいつもと同じように皇太子さまのご臨席があった。平成最後のイベントであり、皇太子さまは来年からは天皇陛下になられるんだ・・・といつもとは違った感慨にひたった。前日は「山形」に出向かれ、9日当日は雨の中の「園遊会」。で夕方からNHKのスタジオ入りをされたのだが、激務だと思う。イベントはきっちり一時間半で終わるのだが、姿勢を崩されることなく授賞式をご覧になるのだから・・・

昨日は「BEGIN」の特番の収録があり終わりが23時。明日は明後日都内の斎場で行われる有名漫画家の「お別れの会」の準備と某有名歌手が「献歌」をするのでそのリハーサルの立ち合いだ。
朝が早い。明後日の本番も朝が早い・・・「遅くまで」と「早く」から・・・
これって「働き方改革」の精神には全然沿っていないよな・・・なんてね。

先週、直進禁止の場所を直進して、違反切符を切られた。長々と信号が変わるのを待って左右を確認して「直進」したのだが、「ピーピー」と笛を鳴らしながらお巡りさんが自転車で追いかけてきた。「振り切っちゃおうかな、知らんふりして」と一瞬思ったのだが、そんな時に限って、駐車違反の車を避けたタクシーに道をふさがれてしまった。「ぜーぜーはぁはぁ」したお巡りさんが追いつき窓をコンコン。「俺のこと?え?何?、お巡りさんどこにいたの?」なんて無駄な会話が・・・「7,000円で点数は2点!」だってさ。諦めず追いかけてきた「君」はえらい!

日常とは、こんなことの積み重ね、ということだ。そう言えば、孫にしばらく会ってない。

2018年10月17日水曜日

「時には子供のように」

新聞のコラムにあった一節。「大人なんていない、子供が大きくなっただけ」。このフレーズなんか好きだな。子供のような心を持ったまま生きるのは至難の業だけど。でも、憧れるね。

今朝、自室から2階に上がると、いつものように愛犬がしっぽを振って待っていた。「おはよう!りんた!」??? 愛犬の名は通称「茶々」で、「りんた」は孫の「倫太朗」だ。先日は何かの拍子に「竜太」(息子)「りんた」(孫)「ちゃちゃ」(愛犬)と3連呼した気がする。(誰を呼ぼうとしたのか記憶にはないが)

今朝、会社のエレベーターに乗ってふと「25年」という数字が駆け巡った。今の家を建ててまだ16年目ぐらいだから、自宅より長い人生がこの建物にあるんだ・・・と。もしかして滞在時間も自宅より会社の方が長いかもしれない・・・「会社の25年」。長いと読むか、まだまだと読むか。

今まで、「我々のような中小企業は」という言い方をしてきたが、我々のような規模の会社は「零細企業」という区分らしい。最近知った。消費税増税の解説のなかにあった。「我々のような零細企業は・・・」と言うのも、なんか厭味ったらしいよね。

数時間前、サンクトペテルブルクの友人にメールを送ったら、ついさっき返信がきた。あれ、時差は何時間だっけ?

「大好きな藤原様!
お便り、ありがとうございます!大喜びです!・・・  ・・・(中抜き)
藤原家の皆さんはとても恋しいです。ペテルブルグでお待ちしております!!!
日本も恋しいです! 行きたいなぁ!」
 パカパカ
 
現地の日本語教師だから、日本語でやり取りができる。ちなみに「パカパカ」とは、またね!のような意味。ペテルブルクの 白夜が懐かしい・・・

2018年10月15日月曜日

「人間の機能と車の機能」

この一年半ほどホルモン系の治療を毎月続け、毎回のように血液検査をしている。今日送られてきた結果にあったのは、なんと70歳以上の平均値にも入らない低レベル・・・このホルモンは男性の「気力」「精神力」に直結するから、意識して治療を続けているのだが、なんとも結果は爺のままだ(笑)男性の更年期とか軽度の鬱といわれる厄介な状況が現れる症状だ。

内臓の検査結果はすべてOKなのだが。

でも、見かけはかなり若く見えるらしい。今日東京労働局の方が来社され、御幾つですか?と聞かれたので68と答えたら、本気でびっくりしてくれた。(いいひとだ・笑)

昨日、軽度の「孫病」にかかってしまい、携帯のFace Timeとやらでやり取りをしたら、その後娘夫婦が孫を連れて家に来てくれた。つくづく思ったのだ。「孫」は心のビタミンだ、と。

愛犬の「茶々丸子」が少しかわいそうになるけどね。孫が来ると一気に存在感を失うらしく、元気がなくなる。人でも犬でも、存在感が必要だ。ワン公がそれを体現して見せてくれる。

さて、今の状況を抜け出そうといろいろ試みている。旅に出る、海外に行く・・・すべて今ひとつ。でもその延長線上で7月に車を変えたのだが、これはよかったと思っている。セダンに乗り飽きてSUVに変え、世間が同じような車ばかりになったので今のクーペスタイルの車に変えた。4輪駆動で280馬力。スポーツモードでヴゥォーンという感じがいいね。この感覚だけは爺じゃない!(苦笑)

先日の土曜日、静岡まで往復して、夕方から会社の仕事をしたのだが、運転の疲労感はなかった。ま、一つだけ言えば、車の機能が多すぎて今だもって、何が何だかわからないものも。半分は未使用で次に行くんだな、きっと。前の車も、下取りに出すときはじめて知った機能と「もの」があった。やれやれ・・・だ。

2018年10月4日木曜日

「明日、来年、未来、想像しにくくなってきた」

次々とやってくる台風、続く地震、何れ地球崩壊か?と思わせるような日常が積み重なってゆく。先日はとても近い存在の知人が「NHK元部長何たら」というニュースの素材となってしまった。時代が変わってしまった・・・と納得するしかないのか・・・

時流に乗るための情報があふれ、、非日常だったはずのものが当たり前になり、大した疑いも持たず「そんなものか」と認めてしまう。なんてことはどうでもいいや。日本人のノーベル賞受賞のニュースは久々気分のいいニュースだった。「教科書を信じるな、情報を疑え、情報に疑問を持て」。このコメントになぜか気分がすっきり!

昨日、久々にスーツを着たので、当然Yシャツを着ることになるのだが、Yシャツの袖に入っている刺繍のネームを見て、今時珍しいね、と老齢の美術プロデューサーが声をかけてきた。「古いYシャツだから・・・昔、こだわって作ったYシャツが山のように積んでありますよ」と答えたのだが、事実だ。今、なかなかオーダーYシャツを着るチャンスがない。スーツを着る機会が少なくなったこともあるのだが、本当の理由はYシャツを処理できる「クリー二ング店」がないのだ。

今は機械で処理するクリーニング店ばかりで、手仕上げで処理できるクリーニング屋さんがなくなってしまった。我が家の近所に2年ほど前までは存在していたのだが廃業してしまった。当時の
Yシャツは手仕上げを前提に素材を選び、カフスと襟を作っているので、機械では希望の処理ができないのだ。これも時代だ。

話は跳ぶ。
つい先日、台湾の十分で「天燈上げ」を体験してきた。小さな感動があった。久々に感じた感動。
昨日、チェコにいる息子に送った荷物が20日間かかってやっと本人に届いた。久々の安心。
日本人にもう一人「ノーベル賞受賞者」が出ないものかと、なぜか強い思いで期待。

今日はジーパンで出社したから気楽でいいや!
そうそう、一昨日東京労働局から調査官の来訪があった。社長とスタッフ1名で計3時間の聴取を
受けた。いろんなことがあるよな、今年は・・・
社長は波乱万丈の人生を歩んできたから、数々の難しく危険な場面も経験してきた。ので、どうってことはないが、スタッフが妙に委縮しなければいいのだが。

2018年9月7日金曜日

「日常のShock!」

チェコにいる息子にEMS郵便で荷物を送ったのだが10日間を過ぎても届かない。息子自身に現地の郵便局などに問い合わせてもらったら、荷物のバリューが高すぎるらしい、と連絡がきた。日本円で6,000円を超えていてはいけないのだそうだ。中身はインスタント食品が中心なのだが内容品を13,000円と書いた。結局30ユーロ現地で税金を払い、荷物が届いたそうだ。

アメリカもイギリスもこの程度の金額では何も問題はなかったのだが、国が変われば・・・ということだ。ちなみに日本も、アメリカから個人輸入したものが15,000円を超えると税金がかかる。サプリメントを購入して、税金として余分な金を支払ったことがあったっけ。それにしてもシステムの告知が徹底されていないよな。当事者が注意をしろ、ということなのだろうが。

今日、久々でスタッフと近所のラーメン屋に行った。ラーメン屋が久々ということだが、その店はちゃんと紙エプロンを用意してくれる。汁物でしょっちゅう衣服を汚すものだから、ラーメンに紙エプロンは必須。なのに、食い終えてエプロンを外した時、エプロンの紐部分がめん汁に入ったらしく、味噌ラーメンの濃い色が上着にベタベタベタ!

これって本当にショックなんだよなぁ。食っている最中は細心の注意をしているつもりで、ほっと一息最後のコーヒーを白いズボンにこぼしてしまう・・・なんてザラだけど、今日はかなりショック。

会社に戻り、会社の洗濯機に色柄もの漂白剤をたっぷり入れて上着を洗ってやった。縮まないか?型崩れしないか?そんなことぁ関係ない。汚してしまったという現実を早く消したいのだ。その上着はどうなった?(まだベランダに干してある。汚れは取れたようだ 笑 )型崩れ?だめなら捨てりゃぁいい。

のんきな事を言ってはいるが、北海道の地震も、関西の台風も、他人事のようで他人事ではない。明日は我が身、その程度の心構えは必要だな・・・とつくづく思うのである。

2018年8月27日月曜日

「(・д・)チッ!」

ま、結局無事で今日から普通に出勤。あ、そうじゃない、午前中病院だった。「しばらく様子を見ましょう」てなことで今回の騒ぎは終了だ。

あちこち検査をしたわけだが、レントゲンやCT画像を見ながらある部分を指して「これは年齢的なものでしょう」という医者の言葉を何度か聞いた。(・д・)チッ。

20日に半ば強引に退院して21日から4日間ほど一人で旅に出た。一番安心できる場所は「我が家」なのだが、家は職場と同じようなことをあれこれ考えてしまう場所でもある。ため息も出てしまう。小説と雑誌をもってぶらっと出かけるのだが、成田に戻った途端「ため息」が出た。思わず苦笑い。

さて今日の夜は「そろばん侍 風の市兵衛」というドラマ番組の打ち上げがある。わが社がこのドラマの音楽を担当したのだが視聴率もかなり良かったらしい。続編をぜひ願いたいものだ。先日某音楽大学で講師をする機会があったので、少しDVDを見せてドラマと音楽の関係性の話をしたのだが「時代劇を初めて見ました」「主題歌以外ドラマ内の音楽を意識したことがありません」とか、「やはりね」という発言がいくつかあった。

興味のあるものにしか目が行かない、神経が及ばない、今風なのか音楽大学という特性なのか・・・?

先日ついでに。日経新聞の記事に「輝くZ世代」という記事を見つけ、切り抜いた。10代、20代の年齢層をZ世代と称するのだそうだが(正確には1995~2008年生まれらしい)、初めて知った。勉強不足を恥じながら周囲に問うてみた。結構みんな知らない・・・やれやれ俺だけじゃなくてよかった。だが娘の旦那は知ってたよ。それも「サラッ」とした感じで。。(・д・)チッ!

2018年8月20日月曜日

「久々の入院」
 
17日の朝、体調を崩し、腹部とか腰あたりの痛みに我慢できず近くの「東京女子医大病院」に行った。救急の窓口に着いたのが午後二時。受付嬢…「救急の受付は午後4時からです」・・・「救急に受付時間の制限があんの???」と思いながらも「ならば方法は?」と聞いたら「総合受付に看護師がいますから相談してみてください」と。

 18年ほど前、やはり女子医大の救急に来てそのまま「緊急治療室」に回されたことがあったから、この病院を選んだのだが・・・でもそれは夜中だったからな。
  で、結局入院することになったのだが、部屋に入って看護師さんにいろいろ質問された。で、おもわず声をあげて笑ってしまったのが「何か介護認定は受けていらっしゃいますか?」・・・「???」。一瞬何のことか理解できなかったのだが「そうか・・・年齢的にはそういうことになるんだ!」と笑ってしまって一件落着。
 
様々な検査を終えて、車椅子で運ばれてきたのに、笑うしかない現実。そのあと渡されたアンケート用紙の中身はまさに老人向け。・心配事は?・連絡できる人は?・経済的不安は?・生きるための目標みたいな質問には「一言では表現できない」と記入し、死生観について、とまであったので「すべて神様が決める」と書いた。

 だが今回は入院したものの、大したことはない。痛みも早く収まったし、34日で退院したいと先生につたえた。予約のない患者を受け入れ、入院を勧めてくれた先生に感謝したい。

 この病院は家から近い。歩いても5,6分かな。車の方が時間がかかる。ので、痛みが治まって暇になってきたからPCを持ってきてもらい、こうして暇つぶし。まだ点滴中だからちょっと手は不自由なのだが。朝、看護師さんに「隔離解除です」と告げられた。? どうも隔離だったらしい(笑)
(818日 病室にて)  

 「入院3日目」
 最近のニュースで一番心を痛めたのが周防大島の2歳の子供の行方不明だったが、一番嬉しいニュースがこの子供の発見情報だった。どうしても自分の孫と重なってしまう。

子供を発見し、ボランティアで活動する彼は78歳。藤原より10歳も上だ。人の生き方とか生きざまを考えながら入院は3日目。先ほどまで続いていた点滴はいったん休憩で夜9時からまた抗生剤の点滴が始まる。 明日の午前中に退院したいと伝えているが、明日朝も点滴があるそうだ。朝の血液検査の結果で退院許可が出るそうだが、明日会社に行かないとみんなの給料が間に合わない!(笑)チェコにいる息子にベットでの様子を自撮りして送ったら、コメントをつけ忘れたので写真に驚いた息子から「何があったの!?」とメールが来た。時差があるから彼からのメールはいつも朝方4時半とか5時ごろ。
マナーモードにしていても何か反応して目が覚めてしまう。しかし、自撮りした自分の顔、なんと不細工に写るんだろうね…とつつくづく思うこの自覚の無さ・・・か。 診察から今まで4人の先生と出会ったが、看護師さんに「主治医の先生はどなた?」と聞いたら「???」だと。土日を挟んでしまったから、当直の先生が顔を出すということで納得せよ!ということかな。退院の判断は誰が出すの?などと少しばかり不安を抱えながら明日の朝を待つこととしよう。 
 (819日 病室にて)
 

2018年8月9日木曜日

「服薬の功罪」

夕べ、一度飲んだ薬の存在をすっかり忘れて、同じものを2度飲んだ気がする(苦笑)睡眠導入剤と軽い抗うつ剤の頓服薬みたいなもんだが、今思えば確かに2度飲んだ・・・ような。

一度目の摂取と二度目の摂取の間に「アルコールの摂取」が存在したものだから、間違いが起きた。長い長い夢とともに、朝なかなか起きられなかったから、やっぱりね。

先月の末に車を買い替えた。やはり薬のせいで前の車をぶつけたから、それで嫌になったことと、街中にSUVが氾濫して、乗っている車にあまり個性を感じられなくなったことだ。それに、左ハンドルにも嫌気がさしてきたこと。今度の車はインターネットでたまたま見た派手なスポーツタイプにした。脳みそと感覚だけは、歳を重ねている現実を認めようとしていないようだ。

が、機能が多すぎて覚えられない。説明書など4冊もある。説明書を開く気もしない。担当者が近いうちに来て、教えてくれるそうだ。(わからないことをメモしておいてください!)う~ん!何がわからないのかがわからない(笑)

近いうちに、さまざまな転換期が否応なしにやってくるのだろう。先日友人に「40代は必死を信条としたが、今は充実を求める」と言ったら彼は「必死と充実は一緒じゃないんですか?」と良い質問をした。だからこう答えた。求めているものの「欲の種類、欲の色が違う」と。

その友人と今度の土曜日、飯を食うことにした。テーマは「漫画でも新聞の記事を読んでも泣くし、もちろん映画やドラマで大泣きする藤原が、なぜこの問題で泣けないのか」だ。だが、そんな難しい話ではない。その友人は医者だが、彼も心の問題を解決できずに引きずっている、たぶん。迂闊に人には話せないことを彼と話すことで楽になることを期待している。なんせ俺が飲んでいる薬は、すべて彼が処方しているんだから。

8月は静かだ。社内も静かだ。だから、ため息が目立つ。

2018年7月27日金曜日

「5月~7月」

何があったの?という程ブログから遠ざかっていた。で、何があったんだろう。手帳の5月のページを開いてみた。自分で読めない文字もある。このころから薬を飲んでも眠れない日々が続くようになったのかなぁ。6月、息子の大学院の卒業式があったのでイギリスに行った。これは結構肉体的にしんどかった。3泊5日の旅で毎日徹夜している感覚。でも行ってよかったよ。ロンドンに1泊して翌日オックスフォードへ。列車で移動したのだが普通席のチケットでファーストクラスと呼ばれている車両に乗ることに。ドア毎ににいちいち担当の車掌らしきおおっさんがいて、「乗れない、とかNO!」とか言っているのだが発車のベルが!強引に乗る。一般車両に向かったが満員で座れなかったから豪華な車両に戻り座ることに。おっさんがかなり怒っていた感じだったがプンプンしながらいなくなってしまった。追加料金取りに来るんだろうと思っているうちにオックスフォードについてしまう。そのまま改札を出てしまったから、結局「ファーストクラス」はただ乗り。

翌日息子の卒業式。これも朝が早かったのだ。一度日本の大学を卒業しているから、息子の卒業式としては2度目だ。なかなか誇らしげな息子の姿を見ながら、親としては満足。羽ばたけ息子よ!で、彼は今「チェコ」の企業で働いている。

で、7月。いろいろありすぎた7月。番組のロケハンで広島に出向いていたのがまさに豪雨の最中、
5日と6日。6日の夜から道路の閉鎖が始まったので東京に戻ることが出来ず、広島に連泊。さて、翌日、道路の封鎖は広がり新幹線も始発から運休ときたもんだ。街の中から出ることもできない。
国道は渋滞のままストップ。飛行機は飛んでいる便もありそうなのだが飛行場迄たどり着ける道がない。「お手上げ」とうこういうことを言うのだろう。ホテル探し、飛行機の予約とキャンセル、疲れ果てた一日を広島市内で過ごし、1泊の予定だったロケハンは結局3泊することになったのだ。

そして豪雨の影響で12日が本番だった愛媛県宇和島市の「BS日本のうた」が収録中止。だが、迷った挙句19日と20日の「水森かおりのさがせ全国うた自慢」は決行することにした。山陽道がそれまでに復活することに賭けてロケを決めた。準備を進めていた16日午後、一本の電話が・・・

「母親が亡くなった」という知らせだった。数十年のさまざまな思いが交錯するなか17日の夜、盛岡へ。事情を書き出したら数十ページにも及ぶだろうからやめる。

18日、兄弟だけで葬儀と納骨を済ませ東京に戻った。そして19日の朝早い便で広島へ・・・

そうそう、6月に歳を一つ重ねたんだっけ。ははは、見た目と違って結構年寄りなんだ俺。。。

娘と息子に、母親との関係性を文章で送る、と伝えたまま何も書けていない。話せること、話せないこともある。だが、神様に感謝したいほど、誇らしい息子と娘がいて、俺は幸せ者だ。

2018年4月25日水曜日

「帰郷」

「不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし十五の心」という啄木の短歌がある。大好きなこの短歌の碑が、岩手の盛岡城跡にあった。ノリオは15歳の少年期、城跡のこの碑の側で、寝ころんで空を仰ぎ見たものだった。「俺は高校には行かない、東京に行く!」そんな風に考えていたのかもしれない。とにかく思い出の歌であり、思い出の場所なのだ。

盛岡城跡を訪ねることもスケジュールの中に入れ、昨日、一昨日と郷里、岩手に行ってきた。主な目的は墓参りとお寺に立ち寄ることだったが、今回はあえて少年期の思い出に触れる旅にしてみた。そう、生まれ育った場所、中学校跡地、同級生、満開の桜・・・

盛岡から矢幅という町まで東北本線を使った。新幹線を降り、在来線に乗り換え、トイレは次の電車でと思っていたら2両編成の電車で・・・扉を開けるタイミングがわからない~とか。あの頃、東北本線に乗り上野まで鈍行だと14時間ぐらいかかったような気がする。2両編成なんて、山奥を走る地方の話だと思っていたら、ここもちゃんと地方だったのだ(笑)

駅まで中学の同級生が迎えに来てくれた。その後何人か合流してノリオの思い出の場所を回ってくれた。町並みは変わりすぎて殆ど面影はない。中学の跡地は懐かしかったな・・・何年か前、息子がこの中学の跡地を訪ね、グラウンドを走ったそうだ。「パパの気持ちになって走ってみた」とメールが来たのだが、本人とこの話をしたことはない。中学時代の思い出というより、そこに息子が走っている姿が浮かび、感情の整理が難しかった・・・な。

何で息子にもっと優しくしてやれないのか・・・

夜は?もちろんよく飲んだ。合計8人の「うた仲間」と化したのだが、ノリオ以外は皆女子。本人たちが「美女軍団」と言っているから、敢えて否定はせず(笑)

翌日、レンタカーで墓参りと寺の挨拶を済ませ、盛岡城へ向かった。啄木の碑の側で寝ころんで空を仰ぎ見る!予定だったのだが、雨ふりやまず・・・盛岡城の周りを車でぐるっと回り、結局諦めた。上京して50数年、ふるさと矢幅の景色は変わってしまったが、思い出の匂いに似た風は、確かに故郷の風だった。

2018年4月10日火曜日

「普通という定義」

先日の日曜8日に娘から声がかかってランチを共にした。だんだん自我が芽生えてきた孫はこの日で1歳4か月。あれからもう1年と4か月?などと二日酔いの胃袋をごまかしながらせっせとランチ。

9日に息子がチェコへ旅立つものだから、7日の土曜の夜は息子を誘って飲みに出かけ、鮨屋、バー、3件目がゲイバーとはしご。息子は殆ど飲まないから付き合うことがしんどかったと思うが、ワシはよく飲んだのだ。3件目などいくら支払ったか定かではない。家に帰ってどんぶり飯に納豆をかけて食ったそうだが、そんなこと記憶にもない(笑)

だから、ランチ時の胃袋は、二日酔いというよりも寝る前の大食いのせいだ、という話を聞き一件落着。ランチを誘われたときは一瞬「まいったな」と思ったのだが、孫に会える!という現実を優先。さすが翌日曜は飲まなかった。

で、昨日の夜息子を成田まで送った。就職のためチェコに向かったのだが、別れ間際に「卒業式は6月21日だから。予約しておいた・・・」だと。大学院はイギリスだ。6月21日・・・う~ん、何か大切な仕事と被っている・・・と思い今日会社で確認したら確かに被っている・・・どうするか・・・

自分が走ろうが歩こうが、時間は同じスピードで過ぎてゆく。何を「満足」と捉え何を「不満足」と捉えるのか、どちらに転んでも時間は同じように流れていく。会社の25年も己の67年も、人々と同じ時間の中にあったのだ。何を言いたい?今日主治医のところで注射を打った。何のために?心の健康が欲しいから。気休めのような気もするのだが、安心もする。

そうそう、先日息子が「普通の定義って何?」と強い口調で口走った。なんだろうね。

2018年4月5日木曜日

「4月5日 25周年 創立記念日」

前回の投稿が2月24日だから、長い間何をしていたんだ・・・?と思う程間が空いてしまった。大抵年度末近くになると、なんやかんや考えすぎてボーっとしているもんだから。で、今日は25年目を迎えることになる創立記念日だ。それを思い出したのが昨夜。慌てて昼飯用に少し高級な「釜飯」を注文した。そして社員に向けてメール。「万難を排して昼集合してください」。ほどなくメールが。「明日2人は収録でスタジオ、誰誰は編集室・・・前回会議でお話ししました・・・」とか。沈没・・・

息子が今帰国している。大学院の卒業が決まり、就職先として「チェコ」という国を選んだそうだ。直行便の無い国だ。行けないなぁ(苦笑)

先日久しぶりで作曲家の「浜圭介」さんと飲んだ。彼は6年ほど禁酒していたから、飲んだのは本当に久しぶり。5時30分に待ち合わせをしてまず食事と酒。そのあと近所のバーでひとしきりウイスキーを飲み盛り上がる。帰ろうかな、と思ったら「飲もうよ」。新宿方面に向かい3軒はしご。さすがくたびれて帰ると告げたのが午前1時30分。先生、「俺あともう一杯飲んでいくから・・・」。本当に6年も禁酒していたのか?(笑)

会社は25年目を迎えた・・・長い道のりを歩いてきたものだ。東京に出てきたのが15歳、6月には確か68歳になる(苦笑)。浜さんは4月いっぱい海外に居るが「海外に居ると何も考えなくていいから・・・」の一言に大きく納得。俺は仕事をやめない限り、一か月も海外にいることはできないだろうけどね。

2018年2月24日土曜日

「せめて心のエリートになりたい」

先日、岩手に在住する妹の長男の結婚式が帝国ホテルであった。東大の医学部を卒業して医者になった、いわばエリートのいとこだ。大学に入学する時は、理系に行ってロケットを飛ばしたいと言ってたのだが・・・式場で、ロケットを飛ばすんじゃなかっったっけ?と意地悪を言ってみた。「結局医者になっちまいました」と照れてはいたが。

高校時代の同級生と10年も付き合って結婚したんだそうだ。なんと、妹も旦那と高校時代に出会い、10年付き合って結婚した。いとこもその嫁さんも、妹もその旦那も、岩手の同じ高校だ。全く同じ道を歩んでいる。そして義弟も医者だ。そしてその息子も結局・・・

式場で新郎の幸せそうな顔を眺めながら瞬間我が人生を振り返ってしまった。集団就職で上京した典男と帝国ホテルで挙式をしている「いとこ」。振り返ったというか、心の中で笑ってしまったのだけれど。

その日の夕方から「明治座」にでかけ「桂 雀々」の落語を聞いた。かなりの苦労人らしい。中学時代に両親に捨てられ、自力で生き抜いたとか。落語を聞き終えてから、その辺の人間ドラマを知ったのだが、午前中の式典の華やかさと、師匠の口座での輝きと、種類は違うが、つくづく人の生きる道の違いを思った一日だった。

で、今週は大分に新番組のロケに行ってきた。水森かおりさんと岩佐美咲さんという二人の歌手と一泊二日の強行軍ロケ。湯布院、寒かったなぁ。九州がなんでこんなに寒いの!ってなもんだが、
今日の東京は14℃だとか。土曜日なのにみんな会社に出ているよ、ご苦労様。

さて、3月から新しいデスクが来てくれるから、HPの情報も更新できるようになると思う。そして4月を迎えたら、この会社は25年目に突入する。25年、これは長いのか?それとも、まだやってるのか?もしくは、まだ25年目なのか?

間違いなく、歳を重ねているということだ。人の出会いと別れを繰り返しながら。

2018年2月5日月曜日

「取り留めもなく・・・そしてヒヨドリ憎し!」

今年に入って一度もブログを書いていなかったこと、今知った(苦笑)。

《風邪その1》1月は久しぶりに風邪をひいてしまって、これが結構長引いてしんどかった。マスクをしていて一番困ったことは、新聞を捲れないこと!指を湿らすことが出来ないから、イライラする。俺の指ってこんなに乾燥していたんだ!

《風邪その2》なるべく早くベットに入ることを心掛けたのだが、やはりどうしても様々な考え事をしてしまう。あることを思いつく!アイディアとか言葉だとか。メモを取りたいのだが、身体がしんどいものだから自分に言い聞かせる。「こんなに大切なことだから忘れるわけがない!」。そして翌朝、見事に忘れている。

会社のベランダに花を植えている。先週土曜日に今年2回目の植え替えをした。鳥に花びらをみんな食われてしまったからだ。鳥よけを施したのだが、今朝見たら少しやられていた。カラスだと思っていたのだがどうもヒヨドリらしい。今朝見かけた。そしてさっき振り返って見てみたら、すでに花びらがやられている。俺の後ろでこそこそと・・・ヒヨドリこの野郎!てな感じ。

去年の暮から仕事関係でいろいろとあった。年末年始は気持ちが地中にあったような気がする。こんなこと、この20数年間に何回もあったのかもしれないが、やはり歳を重ねたせいか「戦闘意欲」として湧き上がるものが少ないことを感じる。さて、藤原の「戦闘意欲」は蘇るのか!でもね、確かに気力もそうだけど、2日間ロケハンしただけで、なかなか疲れが抜けないという現実。

イギリスに留学している息子から、急だけどビザの関係で明日日本に帰る、というメールが今朝あった。急にそういうことなったということだが、12,000キロの旅をするのに、今日の明日とはね。地球がだんだん狭くなる感じだ。

さてさて、こういうブログを取り留めもない、というんだろうな。確かに!

2017年12月28日木曜日

「いろんな話」

東京の地下鉄は深い。エスカレーターは長い。その長いエスカレーターで、2列になった乗降客。右側通路を左側の人はルールのように空け、その右側をせっせと駆ける人たちがいる。黙って2列に並んで到着を待てよ、と思うのだが、右側の通路を急ぐ人たちがいる。

何秒も変わるわけではないだろうに、それでも人々は急ぐのだ。デパートの短いエスカレーターでも、右側に居ると「邪魔だ」と言わんばかりに急ぐ若者がいる。デパートぐらいのんびりしろよ。

急いだ訳ではないだろうが、旧知の編曲家が「亡くなっていた」ことをつい先日知った。彼の人生が幸せだったか不幸だったかは本人しかわからない。が、離婚して、長い間一人暮らしだった気がする。孫の自慢はよくしていたが。しかし、年齢を考えると、彼は死に急いだ。昔の仲間で、一度会って飲もうよ、と言ったのはもう2,3年前かもしれない。年賀状がまた一枚減った。

先日友人が沖縄に行ってきた時の話だ。沖縄に行く、と知人に話したら、いいホテルを安く取ってあげる、といわれ友人は喜んで頼んだそうだ。そして彼はその日、那覇空港に着く。で、那覇市内での打ち合わせを終えてホテルに電話をしたのだが、なんとホテルは確かに沖縄なのだが「沖縄市内」。那覇からは往復タクシーで15,000円ぐらいかかったのだとか。レンタカーを借りたほうがよっぽど安く済んだろうに。この話、現地沖縄から実況中継してきたので、久々にナチュラルな笑いを楽しんだ。「おバカだね!」

良い話、どうでもいい話、いやな話、さて今年はどの話が多かったんだろうね。まだ3日ある。いい話を探すとするか!

2017年12月27日水曜日

「思い出すということ」

ブログまで手が回らなかった、と言い訳からか・・・

つい先日、「歌のあとさき」という番組で「千昌夫」さんの収録があった。千さんは東京に出てきた年初めて見たプロ歌手だった(笑)。上野にあった体育館のような場所で、その年「集団就職」で岩手から上京した子供たちの、激励会のような催しもののゲスト歌手だった。昭和41年、あれから50年を超えた。そして今、彼の番組を制作している藤原・・・

千さんと、昔話をしていて、いくつもの忘れていた光景を思い出した。土壁の長屋住まい、井戸と便所は国道4号線を渡った反対側、桶で水くみをして、流し台の脇にあった樽にため水。千さんもしていたという「ヤクルト」とか「牛乳」の配達。新聞配達は小3~中2まで続いた。

彼は昭和40年の春休みに初めての上京をした。その同じ春休み、藤原も上京していたた。中2~中3になる春休みだったが、家出をして出てきた(苦笑)。浅草寺近くの旅館に一泊し、浅草橋にあった「化粧品問屋」のような店に住み込みで潜り込んだ。

親の承諾書と言われ、嘘を通しきれず結局岩手に帰り(当たり前だが)中3を終えて昭和41年春に正々堂々と上京することになるのだが。

本当に良い時代を生きてきた。「人情」がデジタルではなく、肌として伝わってきた時代だ。人とのコミュニケーションの取り方が、我々の感覚では追い付かない時代がもうそこまで来ているのだろう。

話は跳ぶが孫が先日一歳を迎えた。気分がすぐれないとき、携帯電話に届く孫の写真に目をやる。にんまりできる。「孫」と言っている自分にどこか納得していないのだが、世間が「お孫さん」というから仕方がない(笑)やっぱりジジイの領域かぁ。

年内に一度岩手に行こうと思っていたのだが時間が許さなかった。一度行っておかないと、景色も思い出も遠くなる・・・

2017年11月2日木曜日

「気がつけば11月」

良い時代を生きてきたと思う。生まれたのは戦後5年も経ってからだが、本当にあれこれ「もの」が無かった時代だ。無いから工夫したし、無いから憧れた。憧れたから「手に入れるため」に頑張った。こんなに「もの」が溢れている時代に生きているからこそ、無い時代をつくづく懐かしく思う。

最近の子供はアレルギーが多いという話題になり、昔を思い出すことになるのだが。まず清潔すぎて今の子供たちは菌に弱いよなと。もしかして俺たちの時代もアレルギーはあったかもしれないが、そんなことより食って生きることのほうが大切だったとか。

子供の頃、近所の家には電話があって、何か急用のときに時々その電話を借りにいった覚えがある。ぐるぐるとハンドルを回すと交換手が出るので「市外お願いします」とか言って電話番号を告げるとつないでくれた。中学卒業の頃、集団就職をする子供たちが集められて、電話局のおじさんから電話のかけ方を教わった。その時の電話は黒電話で、ダイヤルを回す電話だった。受話器の取り方、ダイヤルの回し方などを教わった。ダイヤルの回し方が「うまいね」と褒められたことをなぜか覚えている(笑)

今は本当にものが溢れていて、会社の中も然りだ。せっせと「捨てる」。だが「社長!どうしてこれ捨てるんですか!?」とくる。要らないから捨てるのだが捨てると「要る」という。ならば「片付けろ!」ということなのだが、いたちごっこ(苦笑)

このところ忙しすぎて、ブログにまで全く気が回らなかった。気がつけばもう11月。時間を盗んでインフルエンザの予防注射を打ってきた。気休め、きやすめ。

さて、世間はまた連休だというが、わが社に「働き方改革」という言葉は縁遠いものとなっている。総理大臣、あなたに働き方改革が当てはまりますか?てなもんだ。総理の多忙と同じくらい、小さな会社に改革できる余裕なんてないよね。

2017年10月14日土曜日

「泣き虫が直らない」

その人の立ち姿に、50年という人生が重なる。まるで走馬灯のようにあれこれが甦る。その人の歌声には血の流れを感じる。そしてなぜか、血の近さを感じるのだ。

その人の名は「北島三郎」。紆余曲折はあったが、昨日収録した「BS日本のうた」に出演を願った。スタジオではなく、お客様のいる会場での収録に、ずいぶん心配の声もあった。何しろ「手術」をしてから初めてのオンステージのテレビ収録。

当日(昨日)本当に頑張ってくれた。音合わせの段階で少しふらついていたようだったから、心配はしたが、結果はすべてOK。音合わせの段階で涙が止まらなくなり、新曲を歌ったところで思わずステージ中央の本人に駆け寄り手を握ってしまった。周りにいた歌手の皆さんはびっくりしたに違いない。そのまま楽屋について行き、楽屋の中でこらえきれずに大泣きしてしまった。(苦笑)

今度びっくりしたのは周りのスタッフ。「先生は大丈夫だけど、こっちが大丈夫じゃないのよ!」長年北島さんのお世話をしている女性スタッフがティッシュの箱を差し出す始末。

他のスタッフが後で耳の側でこういった。「男が号泣する姿を始めてみました。藤原さんはテレビマンだと思えませんね・・・浪花節ですね・・・」

しかし、長時間の収録によく耐えてもらった。最後には「嬉しかった、楽しかった」とも言ってくれた。本当にお疲れさまでした。

あの一言が嬉しかったな。
「藤原は身内だから・・・」

出逢いから51年

数奇な運命を感じる。

3年前に亡くなった末の弟さんが
今の藤原と同い年。
俺はまだ、元気だけどね。
よく、泣くけど。

2017年10月7日土曜日

「時の過ぎゆくままに」

今日は川中美幸さんのお母様の告別式だった。本当にお母さん想いの川中さんだったから、その心中を察するに余りある。お母さんが亡くなつた3日後、生放送に出演してお母さんを題材にした歌を歌っていた。当然泣いていた。

偶然放送を見たのだが、もらい泣き。番組終了後、マネージャーにメールを送った。「番組って罪ですね・・・」と。あまりにも分かり易い制作者の意図が見えたから。でも、母親をあんなにも愛せた川中さんを羨ましいとも思ったけれど。

怒涛のような毎日が過ぎてゆく。税務調査は終わったけれど、後処理がまだ残っている。番組収録と同時だったものだから、心も体も疲労×2。12日の番組の準備で「北島」さんと最終的な打ち合わせが無事できたことが何よりの安心情報だ。それが終わると例年の「日本賞」が控えている。それが終わるとすぐに「純烈コンサート」のリハーサルがあるのだが、なんと構成演出に手を付けられていない。焦っている?そう、焦っている。美術打ち合わせがようやく明後日だから、そこからスタートかな。

社員がみんな手一杯なものだから、資料を作ってくれるスタッフパワーもないのだ!これって、本当に大丈夫?てな感じ・・・

間もなく娘夫婦が引っ越しして独立生活を送ることになった。丸1年同居していたかな。朝起きてやぁ「倫太朗」と呼ぶ相手も居なくなる。孫はすぐ俺を忘れるかもしれない・・・今だって長い時間一緒に居ないから、最近なんだか孫が俺を「しかと」。つい先日まで、顔をみてすぐに笑ってくれたのだが・・・孫よ!のりぴーにもっと優しくして!(笑)

だが、引っ越し先を聞いたら、自宅から4,5分の距離らしい。ははは、どうせ土日には実家に入りびたりだろう!と期待しているのだが。

2017年9月27日水曜日

「集中力」

今日、国際フォーラムCという会場の下見に行ってきた。11月の「純烈」のコンサートのための下見なのだが、あとひと月とちょっとしかないのに明日ようやく本人たちと打ち合わせ。少し準備期間が足りないかな・・・などと今日ぐらいから少し焦っている感覚が胸のどこかに・・・ま、結果はいつも間に合うのだが。

今回はゲスト扱いの歌手が多く、どうさばいたらいいものやら。
番組や舞台が重なり、税務調査と求人が重なり、どうさばいたらいいものやら。

で、ふと思い立ってまた見てしまった「孫」の最新動画。う~ん、癒されるぅ、思わず顔が緩む。家に帰って孫と戯れたいな・・・などと職場放棄の誘惑まで・・・が駄目だ。打ち合わせに出かけるスタッフから「帰ったら(日本のうた)の打ち合わせを!」と時間の拘束を受けてしまった。やれやれ。

で、何とか気分を変えたいから「あなたの運勢助言」というカードをひいてみた。「控えめに対処することが却って良好を得られる時」だって・・・なるほどね。机の中にあるこのカード、年に一回程度見る。カードを元に戻しながら思う。このところまた机の引き出しの中が汚いな・・・

で、仕事に戻らず新聞を開く。このブログの途中で。いずれにせよ、集中力に欠けているということなのだな、今日の藤原。さて、何から手をつけるか。集中力よ!やって来い!!!

2017年9月25日月曜日

「アプリ」

今、海外の某空港で「復路」の飛行機の搭乗時間をラウンジで待っている。この国は25年ほど前に来たはずなのだが、まったく記憶にない。湿気と暑さが迎えてくれたような気がするのだが。

ま、隔世の感だな。当時は携帯もなければPCもなかった。今回はなぜか、初めて海外用Wi-Fiというものを持ってきた。いつもはホテルでPCは使えるしdocomoのSMSは無料だし、何の不自由もなかったのだが、ま、娘の勧めで成田で借りてきた。

いつもと何が違う?こうして空港でPCを利用しているし、会社からの連絡もPCを持ってさえいればいつでも相互通信可。(望んではいないが)

Wi-Fiは余分といえば余分なのだが、今回は娘が利用する「みてね」アプリを最大限利用することになった。アプリなんて必要を感じたこともなかったのに。アプリなんて「いらねぇ」と言っていたのにね。これがまた、可愛い孫の「お姿」が瞬時に送られてくることになったのだ。

さて、そんなアプリの中から、SayHiというアプリの存在を知った。翻訳アプリだよ。日本語で言えば何語でも翻訳してくれる。どこの国へ出かけてもYesとNoで生き延びてきたのだが、超便利なことだと理解した。今朝チェックアウトの時、早速使ったね。「ルームキーを紛失しました」と英語でね。

いけない、間もなく搭乗時間だ。

2017年9月15日金曜日

「出演していた38年前の番組」

9月に入ってから、なぜかわさわさしていてブログにまで神経が行かない・・・そんな感じかな。ところで8月にすごい番組があったよ。8月27日にNHKの総合テレビでOAされた「あの日あの時あの番組 三宅裕司さんが選ぶもう一度見たいこの番組」という番組。

何がすごい?なんと38年ほど前の俺が番組に出ていたのだよ。20年ほど続いた「あなたのメロディー」という番組が取り上げられていたのだ。それが何と藤原の出演回、なんで?という感じだ。アマチュアの作品を取り上げる番組だったが、すでに何枚かレコードが出ていたからアマチュアとは言えなかったのだが、本名で応募したからバレず。ペンネームで仕事をしていたからね。都はるみさんが歌ってくれた。

番組出ていたよ、と知人から連絡があって後日見ることになったのだが、一緒に見た社員は「ひぇーバリバリ尖がってる!」とか「生意気そうで突っ張ってる!」とか、一瞬笑ったら「あ、ようやく笑った!」とか。

自分でも「尖がりすぎ!」そう思ったね。二度と見たくない(笑)若かった・・・

しかし、人間は歳を重ねると変わるもんだ。今や人の良いただのおっさんだから!

昨日と一昨日は演出を担当している新人君のコンサートリハーサル。同じ若者でも素直で清々しい。俺のあの頃は・・・ま、過去のことだしいいか!

先日、イギリスの大学院に行ってる息子からメールが来て「大変そうだね、助けてあげる」的な申し入れが(笑)う~ん、何を助けてもらったらいいのかわからない・・・「そのうちね」と返信したけど。どこかで困ったオーラが出ているのかな・・・俺。

2017年8月24日木曜日


「在りし日の出来事」

最近、ふっと岩手に行こうかな、と思うことがある。神経がどこか昔帰りをしているのかもしれ
ない。これから制作する「千昌夫」さんの番組があるのだが、提案を読んでいるうちに思い出し
たことがある。昭和41年、上京したその年、上野近辺の会場で岩手から上京したいわゆる「金の卵 」を集めて激励会のようなイベントがあった。その時のゲスト歌手がデビューしたばかりの
千昌夫さんだった。東京に出て、初めて見た「生の歌手」だった。(笑)

で、昔帰りをしようと思って仕事の手を止め、古い資料を取り出したら、なんと懐かしい資料を見つ
けた。1988年の日付があるハワイの日本語新聞だ。俺は作曲家として行ったらしい。
歌を歌ったことは覚えているのだが(笑)                                                                                                                                                                                 
 



〇この写真はその時の ホノルルのどこかのホテルの
 会場。ラジオで生中継された。宿泊先のホテルに帰っ
  たら「あなた、売れるわよ」と言われた(笑)

  1988年3月とあるから、37歳か。

 新聞に一緒に写っている「小谷充」さんは作・編曲家
   で音楽の師匠だった。

  ホテルが同じ部屋で(男どうし)湯舟とトイレが
   同じで、風呂に入っていたら、この小谷のおっさんが
   入ってきて隣で「うんこ」を始めた。

 アル中先生だったから、窓際にスリッパが揃えて
   あり、姿が見えず、思わず「飛び降りた?」と
   本気で心配した。
  嘘のような本当の珍道中だった。


〇これは大阪の当時の中之島ホールだと思う。

共演は「大月みやこ」さんや 「菅原洋一」さんだった
と思う。歌手ではなかったのに、なぜか人前で歌を歌っ
ている。

こんな写真を引っ張り出して、昔を懐かしんでいるよう
じゃ俺も大したことないね。

さっき作曲家の浜圭介さんから電話があって、来月の
約束をしたのだが、「その日生きているかなあぁ」と言っ
たら「俺と同じようなこと言わないでよ」と言われた。

俺は(スケジュールがあるかな?スケジュールが
 生きているかな?)の意味だったんだが・・・
どうもその日の「生死」の話になったらしい(笑!)

2017年8月21日月曜日

「残暑お見舞い申し上げます」

しばらくブログご無沙汰だったから、8月に入って何をしていたかなぁ、そんな思いで手帳をめくってみた。4日、コンサートとだけ書いてある。誰の?コンサート行ったんだっけ?そんな調子。他、いろいろ書いてあるがハッピーな気分になるスケジュールが見当たらない・・・そんな8月なのだ。(笑)

世間でいうお盆期間中、スタッフはそれなりに休暇を取ってくれた。俺も休めばいいのになんとなく出社。孤独な留守番の日が何日か・・・これが性分なんだな。土日なども休めばいいのになんとなく出社する日が多い。以前なら、提案を書いたりそれなりに積極的だったのに、今は社内の掃除をしたり、片付けをしたり・・・ただの貧乏性。

このところ番組以外のコンサート演出の話が進んでいる。赤坂BLITZの「新人君」のファーストコンサートだったり、「純烈」の国際フォーラムでのコンサートだったり。舞台演出は好きだから、二つ返事で引き受けるのだが、毎回求められるハードルが上がっていくような気がする。いやいや、自分でハードルを上げているのだ、きっと。

だんだん仕事案件が机の上に積みあがっていくのだが、相変わらずのスロースターター、なかなか手を付けられない。心に棘のように刺さっている懸案事項、2、3件がが解決すれば・・・などと半分言い訳をしながら、気分の晴れない8月だ・・・などとブツブツ。

だが、たいてい「いつも明るい藤原さん」と言われる。「いつもニコニコしてますよね、会社をやっていれば大変なこともあるはずなのに」と言ってくれた「彼」は俺の中ですごくいいやつになった(笑)   

それにしても雨が続く東京だが、今日は久々傘が要らないかもしれない。青空も見える。これでようやく「残暑」という言葉が使えるのかね。

2017年7月31日月曜日

「同人誌 こけし人形」

「こけし人形」という歌謡同人誌がある。歌謡系の同人誌は過去沢山存在していたが、現在はこの同人誌以外存在するのか知らない。月一発行で756集というのだから歴史は長い。


この同人誌との出会いは、僕がまだ10代の頃だった。18か19歳。雑誌は180集とか、まだ100番代だった気がする。ここで「詩」を書き始めた。「詩」を書き始めるような精神状態だったということだ。よく覚えている。
そのうち、この同人誌を紹介してくれた友人のピアニストが、作曲が向いている、と言ってくれたので作曲も始めた。
当時は世田谷の6畳一間のアパート暮らしだった。

何もかもが青春だった。「らりって」階段を踏み外したり、喫茶店の電話を壊したり、朝方配達されたばかりの他家の牛乳を飲み干したり・・・
金はなかったが、それ風のそれなりの友達が居た。

コーヒー一杯でジャズ喫茶に何時間も居座わり、途中でラーメン食いに出かけて戻ってもマスターは文句を言わなかった。どうやって食っていたのか記憶にない。「北島バンド」を辞めて直後の時代だった気がする。金はなかった・・・でも、この同人誌は続けていた。

今でも送ってくださる。継続のご苦労には本当に頭が下がる。
入会したころはまだ歌手志望だったかもしれない。あんなこんなで気分は作曲に転向する。24歳の時に初めての作曲作品がレコードになった。いきがっていて、今思えば可愛いもんだ、

音楽生活25年、先行きに不安を感じて「音楽」をすべてやめた。そしてテレビ業界へ。歌手になれなかったから、歌手にこだわる歌番組を沢山創った。そして、作家として大成しなかったものだから、敬意を払って作詞・作曲家の番組をたくさん創った。

そんな藤原の創った番組がどんどん追悼番組になってしまう。先日の「平尾昌晃」さんもそうだ。過去には「遠藤実」「星野哲郎」「岩谷時子」「船村徹」・・・番組は追悼番組となって放送された。

久々に「こけし人形」を手にして、一気に走馬灯のように過去が甦ってきたのだ。

2017年7月30日日曜日

「夏の日曜日」 
                                                                

新宿区余丁町という町に住んでいる。
町内会が主催する恒例の盆踊り大会
があった。

近所の花屋さんが、サービス券
(ただ券)を1500円分くれた
から顔を出さないわけにはいかない・・・
というので30分ほど出かけた。

ドンパン節とか北海盆歌とか
古典的な音楽が聞こえている。
この日のために練習したであろう女性
たちが櫓の上で一生懸命踊っている。

段取りなんか関係ない・・・
とりあえず櫓の上に行き
音楽が鳴ったら踊ればいい。
活舌の悪い進行係が何か言っている・・・
活舌の悪いプロレスラーが人気な
そうだからま、いいか。

でも、何を言っているのかよくわからない。
あ、写真撮っちゃってごめんね。
音楽が鳴ったのに、櫓の上で立っている
だけの女性陣?
※進行係
「あ!すみません!
裏面をかけてしまいました」
現代の若者はどれだけ理解できるのか?
本部を覗いてみると音源はレコード
だった!進行係はさらなる言い訳を・・・
「今年から機械を変えたものですから」
面白いから本部の中を覗いた。
レコードプレーヤーの隣に、
カセットテープが積んであった。
でも、ここは東京だ・・・                                                                                                                                    

2017年7月27日木曜日

「酒 2題」

なかなか進まない案件があって、今日は一日イラついた。冷静にふるまっているつもりなのだがあちこちにイライラが見え隠れする。家に帰ってからもイライラは収まらず、冷蔵庫から落ちた豆腐の容器をおもっいっきり床にたたきつけてしまった。

そんなときの妙薬がこれだ!倫太朗の写真!
PC画面の写真も変えたが、見るとはなしに可愛い写真に出くわすと
一瞬現実を離れられる瞬間となる。

写真は某所ビアガーデンのバーべキュー会場だ。
煙のいかない方が俺側だったから必然的に抱っこ。

一人で結構飲んでるね。ビール飲み飽きたから、「焼酎濃いめ!」
とか無理言って、次は「もっと濃いめ!」などと要求するおっさん。
ビアガーデンなのにね。



その2日後、今度はおじさん3人で飲み会だ。それも夕方5時半スタート。みんな、仕事ちゃんとしているのか!?                             

某 小山さん
某 アナウンサー
某 藤原

利害関係のない3人だから話題は
フラット。昔話から始まりそれぞれの
得意不得意,人生話から女性感まで。
金の話は出なかったね。
「こら!番組の衣装がだせぇよ!」
などと酔っ払い藤原が檄を飛ばすとかね。

ビールを飲み、焼酎が飲み飽きた時分だねこれ・・・ウイスキーに代わっているし  料理もほとんど終わっている。持つべきものは変らぬ友!みんな二十年以上の付き合いだ。このグループでいいのは口に安心できることと人の悪口を言わないこと。大人だもん、80歳と50歳と67歳。

このところ酒が続き、ベットの中で「俺ってバカだね」とつぶやくことが続いたので、昨日今日、珍しく2日間も断酒している。今年初めてか・・・
朝の支度は早いし、何といってもシャワーを浴びているときの気分がよろしい。酒残っていないことがこんなに楽なのか、とおもう瞬間でもあるね。飲みすぎてどれだけ時間を無駄にしてきたんだか!反省はしないと強い思いを持ちつつ小さく反省しているわ・た・し。
                 

2017年7月24日月曜日

HappyBlue

婿殿が出張中だったので、娘と孫とカミさんと、久しぶりでカミさんの実家である静岡の爺さん、婆さんを訪ねた。静岡の両親は「倫太朗君」とは初対面。数時間の滞在時間だったが、ほとんど寝たきりの爺さんが起き上がって満面の笑み。この一年ほど病気のため能面のような表情だった爺さんに、表情が戻った瞬間だった。なんと、帰りには外に出てきて見送ってくれた。

前回行ったときは殆ど会話もなく、無表情だった義父。やはり人は豊かな表情で人に接することが一番だ・・・とつくづく思うのだった。

娘が結婚してから、「娘を独占!」したことがなかったから、いやはや「至福の時間」だったよ。ははは、婿殿!ごめんね。

この土日は、本当に久しぶりで「日常の平和」を感じた素敵な時間だった、と朝まで思っていた。そして出社後の朝1番、税理士事務所から電話が。「税務調査が入ります」だと。

気分は一気にブルー・・・。「ざけんなよ!」って気分になるんだな、それが。日ごろの経営の苦労なんぞ彼らには関係ない。細かい数字についてあれでもない、これでもない・・・「お前!一週間でいいから俺と一緒に働いてみろよ!」と言ったところで無駄だしね。

Happyな気分はなかな長続きしないという現実があるだけ。

そんな最中、テレ東のプロデューサーから電話。「9月収録10月OAの番組を制作できますか!?」
ブルーな気分は少し改善!こんな状況を一喜一憂というのかね。だが、その日は出張で俺が不在の日だ、とあとで気が付く。対策はあとで考えるとしても、気分が多少改善できたことに感謝しよう。

2017年7月18日火曜日

「充実の日々とは・・・」

このところ、昼飯を食うと眠くなる・・・まるでお子ちゃまか、おじいちゃまだ。睡眠障害を意識してから何か月たつだろうか。始まりは去年の秋ごろだった気がする。気休めに眠剤を飲んで寝ることにはしているが、ベットの上をゴロゴロしている自分を意識しているから、結局は熟睡出来ていないということだけれど・・・

105歳で亡くなった「日野原重明」さんの訃報を目にして、俺はこんなんでいいのかな、などと改めて思ったりもする。75歳を過ぎてから第3の人生が始まる、とおっしゃったそうだ。日ごろ、俺はもう社会人52年生だと口に出し、人生のゴールをなんとなくイメージしている自分が、小さく見えてきたりする。ま、日野原さんは別格だけどね。「充実していること」それが基本だということだ。

今日、久しぶりに以前大変お世話になった「お坊様」の仏前参りをしてきた。今年17回忌だと伺ってびっくり!奥様に「間違えていない?」と言ったほど。会社を始めるにあたり、当時すべてこの「先生」の言う通りにした。「この方角にしなさい」「設立は何年何月にしなさい」「今タイミングではありません」「〇〇がいいでしょう」etc.

会社が軌道に乗って、恩返しができるようになったころ亡くなった。目の前が真っ暗な感じだったね。この先、俺は一人で大丈夫か?と不安に。だが、残された奥様が「藤原さんはもう大丈夫、卒業されましたから・・・知野がそう言ってました・・・」

※ 先生は「知野哲山」を名乗る真言密教のお坊さんだった。

今も、会社に知野先生が描いた仏画が当時と変わらぬ状況で飾ってある。変わったと言えば、周囲の壁紙が薄汚れてきたことだ。年月を感じる。先日、会社の部屋を担当する不動産屋さんが来て、このビルでわが社が、1、2番目に居住年数が長い、という話になった。先代から受け継いだ現オーナーも、不動産屋も、わが社の入居時のことを知らないのだ。

隣の部屋をぶち抜いてドアを新たに設置し、ベランダ部分を部屋として広げ、トイレとシャワーだった場所を倉庫に改築し・・・こんな勝手をすべて前オーナーは許可してくれた。それもこれも、長い年月の一ページ。この先を長いと思うか、まだまだと思うか、「充実の日々」を重ねる道のりは険しい・・・のかも。と、知野先生の仏前で思ったような、思わなかったような・・・(苦笑)

2017年7月12日水曜日

「日常の光景」

昨年12月に孫が誕生した。日常の暮らしの中に新たな主役が登場したわけだ。なのに、パソコンの待ち受け画面も携帯の待ち受け画面も「娘」だった・・・。まだ娘がロンドンに居た頃からPC画面は娘の写真だったから、長いこと毎日こんにちわしていたわけだが。

娘が結婚して2年以上、孫も元気に育っているのだから・・・ということでPCの待ち受け画面は変えた!(携帯はまだ娘!俺って、変か?笑)
                      
 これはこれで、PC画面を開くたびにんまりしてしまう。

 自分が「孫」と言っていること自体変な気分なのだが。

 最近時々、俺って幾つだっけ?と思うことがある。

 あ、でも俺は「お爺ちゃん」ではなく「のりぴー」
 だけどね。  あとどれぐらいで、この子が俺を
 「のりぴー」と呼んでくれるのか。



  《中国のある街の日常の一コマ》
  
  4人乗りなんて普通の光景
  横断歩道で待っているだけ偉い!

  この数年で登場した信号機だが 以前はかなり
  無秩序だった。今では、バイクの5台に1台
  ぐらいが、こうして信号機に従っている。
  子供の教育のためだ(笑)                                     

2017年7月11日火曜日

「7月ですよ」

先日久しぶりに海外に出かけた。帰りの飛行機の中で観た映画「きみに読む物語」には泣けたな(笑)。ずいぶん以前に、ロスからの飛行機のなか中でボロボロ泣いて以来だな・・・と思うほど泣いた。以前はアメリカ系の飛行機だったから、肌が黒系のスチュワーデスさんが心配して水を持ってきてくれた。今回はANAだったが中国系のスチュワーデスさんが多く「このおっさん、なんで泣いてるの?」って感じ(笑)

さて、8日に一年ぶりとなる「キム・ヨンジャさん」のPVを撮影した。彼女もいつまでも変わらないね。彼女と仕事をすると、なぜか懐かしい・・・という気分になる。今回も、家の中からいろんな小道具を持って行ってすべて撮影に使ったし、撮影用の飲み物も藤原のお手製。曲の間奏の映像に使ったカットは大声では言えないが、自宅の一部を3カット撮って使った。言わなきゃ絶対にわからないけど。曲名は「赤い涙」。赤い涙?どんな涙だよ!薔薇の花びらで表現してみた。



この角度で撮るなよなぁ 瀬口!
俺、足、無いじゃん!

このスタジオで6時間、このあと
迎賓館前の公園に移動。

夜は彼女の知り合いの韓国料理店
で打ち上げ。

次の日コンサートだというのに
お疲れさまでした!

2017年6月22日木曜日

「無題」

帝国ホテルで行われたペギー葉山さんの「お別れの会」に行ってきた。結構長いお付き合いをさせていただいた。番組とか、民音コンサートの演出とか・・・足腰は確かに弱っていたが、まだまだお元気だったのに。

先日の船村徹先生も、ペギーさんも・・・昭和の灯りが次々と消えていく・・・そんな気がする。平成ももうすぐ元号が変わるのだから、昭和は本当に遠くなる、そういうことだな。

今日友人からこんなメールが来た。「一番上の孫の話」「(奥さん)令子ちゃんはね、もうすぐ70歳になるのよ。(4歳の孫)あのね、僕は20までしか数えられないの・・・」

なんとなく沈んだ気分でいた時に届いたメールなものだから、嬉しかったね。ほのぼのというか、愛らしいというか、日ごろ使わない心のスポットに入り込んで来たいい話・・・だよな。

昨日は久しぶりで、社員全員集まっての飲み会が出来た。全員と言っても8人・・・これしか社員居なかったっけ・・・?なんて気分にもなったが、ま、目が行き届く小ぶりな会社ということで、良しとするか。長い社員はもう20年超かな、時間は規則正しく過ぎ行き、そして規則正しくやってくる。社会人「52年生」としては、「時間の無駄への緊張感」が増してきた気もする。

さて、6月は一つ年を重ねた月でもある。まず今月を豊かに過ごすためには!?行きつけの鮨屋が誕生月に焼酎ボトル一本サービスをやっていることを思いだした。まずこれをゲットだな。豊かな気分になってきた!(笑)もうすぐ株の配当金がもらえる(苦笑)。豊かな気分になってきた!明日は給与支払い日だ。うーん(現実的な気分になってきた・・・)。

さて、これからの道のりを、あるいは山坂を、豊かな気持ちで歩むための術を・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで書いて嫌になってきた。おしまい(笑)

2017年6月12日月曜日

「第8回岩谷時子賞」

あれからもう1年過ぎたのか・・・そんな思いで丸の内のパレスホテルに向かった。第1回から参加しているから、当然8回目の出席なのだが、初期の頃のことは、遠い記憶になりつつある。

今回の岩谷時子賞は加山雄三さん。特別賞が斉藤由貴さんだったが、特に印象に残ったのが奨励賞のひとり「野田あすか」さんだ。いわゆる障害者ピアニストなのだが、ピアノのテクニックを競うタイプではなく、聴く人の心に音楽をそっと届ける・・・そんな演奏家だ。

早速AmazonでCDを注文した。車の中か、寝る間際に聴くにはもってこいのCDだろうな・・・そんな気がする。

参加者の顔ぶれも例年と変わらないのだろうが、日ごろ出かける演歌・歌謡曲系とは一線を画している。見知らぬ顔が多いのだ。知り合いはごく少数だが、当然同じ顔触れだし、年々増える切実な病気の話題(笑)。「人工透析が始まって、週3回だよ、毎回4時間だよ、女もダメになったよ・・・」

いいんじゃない!まだ「おんな」ってこと口にできるんだし!

話は跳ぶが、広島の宮島にある「大願寺」というお寺に行ってきた。ここの住職と親しい仲だから、仕事のついでに寄ってきたのだが、日ごろは神社信仰なのにここだけは別。きっちり加持祈祷をしてもらう。平山真明という住職さんだが「まごころ真明」の名の方がぴったり!「まごころ」感満載のご住職だ。厳島神社のすぐ隣に位置するので厳島神社さんには申し訳ないのだが神社は「有料抜け道」になってしまう。もちろん神社には礼を尽くして通り抜けるのだが。

長居をしてしまったが別れ際にご住職は「元気をもらいました」と言ってくれた。いやいや、おかげさまで身も心も洗われた気持ちになれたのは「真明」さんのおかげですから!

そうそう、大願寺に行ったのは9日。前日の8日は誕生日で番組の本番と重なった。また一つ年を重ねたのか・・・そんな思いで向かったお寺であり、今日の岩谷時子賞だ。みんなもそのまんま年を重ねているから「差」はどこまでも一緒だが、さすが今日の加山雄三さんの若さには驚いたよ。80歳だって。俺なんかまだまだ・・・ガキだね。